日々日記
いちらんふるいあたらしい


2008年08月29日(金) 無意味なことをあえてしたい

眠くて死にそうなのに、起きていたい深夜がたまにある。

…でも眠い。


寝ますー。


2008年08月27日(水) 迷い犬と立ち尽くす午後

ドライブ中に、3頭の迷い犬と遭遇した。
首輪はしてる。
1頭だけはなぜか首輪にリードがついたまま引きずって歩き回っている。


びっくりして停止しハザード点灯するが、カーブを抜けたところなので、そのまま止まっているわけにもいかず、向かいの工場の敷地に止めさせていただいたら、犬がわきゃわきゃと寄って来た。

どうも飼い犬。逃げて来たなら飼い主にわかるよう、役所に届けてあげないと。

でも、捨て犬なら役所に連絡したらそのまま7日後に間違いなく刹処分される。


だもんでね!通報するか否かを毎回逡巡するけど、
毛も最近カットしているようだし、飢えてもいないので捨ててはいないと判断。

さっそく番号案内で調べた役所に電話。

…まさかその後、現地の場所がどの総合事務所の管内かがわからずたらい回しされ、そしてさらに管轄がわかったのちも職員が出払っていて誰も来ないまま1時間、その場で待つはめになるとは知らずに。


フハハ。


向かいの工場のパートのおばちゃんが最初不審がってちらちら見てたけど、
わたしがただの通りすがりの人間だとわかると、実は工場のそばの、
一見夜逃げしたように見える荒れ放題の家の飼い犬であることを聞かされた。

えー、ここ人住んでるんですか???
と聞くと「それがわかんないのよねぇ」と言う。

飼い主はちゃんとお勤めもしているらしいが、ここに住んでいるかはわからないんだと。
そして放し飼いしているので、車を止めたりして近所の人も困っているらしい。

そう言って、おばちゃんは一番小さいヨークシャーテリアのリードでテリアをぶった。


犬達は自由に歩けてある意味幸せかもしれない。
でも犬がリードなしで往来を歩くことは基本的に許されないわけで。

捕獲され、殺されるかもしれない、気の毒なこの犬たち。


ようやくやって来た役所の人に様々お願いして、わたしはその場を去ったけど…。


蚊もいっぱいいる。フィラリアの薬はもらえてるのか。
予防接種はうけているのか。そして飼い主にちゃんと飼う意思があるのか。


あたい、あまりにもこの問題に対して無力。

今飼ってる犬達を最大限にかわいがり、面倒を見るってことしかできない。
あーあ。


2008年08月26日(火) 居直り・考える葦

迷って何が悪い!悩んで何が悪い!

行動や考えがそれまでと180度違っていようと、それがなんぼのもんじゃい。
それをいい,悪いとなぜわたし以外の人間が口を挟めるか。

これがわたしですから。


父がそれを理解できないのならわかんないってことでいい。


父のいうことはわかる。
しかしそのように生きるかどうか、決めるのは父ではなくわたしだ。


もう少しちゃんと悩むぞー!
こんにゃろー!

今一番何をしたらいいか、何を選択したらいいか、
20年、30年後にどうなっていたいか、そのための今をどうするか、
存分に考えたるわーー!!




2008年08月25日(月) 悩める

いろいろ揺れています。

こんなまでして勉強する意味ってあんのかしら?と。

そしたら父に怒られた。

安易な方向に逃げるなと。
勉強してても、それは同時にできるでしょ?なんのために勉強してんのか忘れたの?と。


わかんなくなってモチベーション下がりまくってるわ。


雑音が大きくて、余分な懸案に振り回されているのだと父はいう。
そっちを考えるのはやめれば?と。

果たして本当にそうか?まだ自分ではしっかりわかんないなぁ。

夏休み、もう少し自分と向き合う時間があるのでしっかり考えることにする。



韓国に行って来た。といってもソウルに2泊3日だけなんだけど。

そこでチマチョゴリを着た。

垢擦りエステの中にサービスで組み込まれていたので、
この場合日本人が袖を通してもいいのだろうけど、念願の美しい民族衣装を前にすると、
いろんな思いが駆け巡った。

日本人であるわたしがそれを着てもいいのかしら…。


下が赤で上が紺の衣装を選んだ。

袖を通したら、「韓国の人より似合ってるね」と着付けの人に、
そして妹にも「なんだか知らんが恐ろしいほど似合っとるよ」といわれた。

ああー。着てしまったよー。

嬉しかったけど複雑。
もっと、市井の人びとと話をして彼らの思いを知りたいと思った。
韓国と日本の歴史ももう少しちゃんと知りたいなぁ。


ソウルはとても素敵な街だった。

新しい場所に足を運ぶたびに五感でソウルを感じ、そして全身で歓喜する感じ。
懐かしい雰囲気。

わたしが日本文化として受け継いだもののルーツはここにある、
わたしとこの国とは確かに共通点がある、という感動があった。

また行きたい。
必ず行きたい。

ソウルが大好き。
で、帰る時悲しくなったもんね。


2008年08月18日(月) 水戸土産

水戸に帰省していた人にお土産をもらった。

『吉原殿中』と、『芋ほっかり』。


どちらも初めて食べたー。うまかったー。


この俵状の米パフがどうして吉原殿中なのかしら。

で、吉原殿中はオブラートが巻いてあるの!
オブラートなんて20年ぶりくらいで食べたよ。

その固めてある米パフは、雷おこしくらい固いだろうと思って気張って噛んだら、
なんだか絶妙の柔らかさと歯ごたえでびっくりした。

しっとりしてるけど、きな粉がまぶしてあって香ばしい。
不思議な感じ〜。



芋ほっかりのほうは、形状が見るからにさつま芋。
そして中のあんがさつま芋あん。周りに砂糖の入ったニッキをまぶしてある。

水だしウーロン茶との相性もよござんした。


「水戸って、これといってお土産になるようなものがないんですよー。納豆じゃ、ねぇ…。」
って彼女はいってたけど、いやいや素敵なお茶の時間を過ごせた。


たいへんおいしゅうございました。


2008年08月16日(土) どんだけ…

歳をとると、どんだけいろんなことがどーでもよくなるか。
わたしの場合は、いい意味でね。


昔だったら、昔だったら、些細なことでも

「タマとったるでぇー!!!!!!」ぐらいのイキオイだったよな…。


ええ、物心ついた頃から20代なかば過ぎまで、狂犬だったものですから。



とはいえ、
どーでもよくなった、といっても、本当にどうでもいいのとはまたちょと違う。

そか、あなたはそうするんだね。そこはわたしにとってどーにも譲れない部分じゃないので、
とくにこだわりませんから、お好きなようにどうぞ。合わせますよ。ってな感じ。

ちゃんと考えた結果なんざますのよ。


待ち合わせに、友達が遅れてきたって別にいい。
そういうこともありうると想定して向かう。

なんでそう思うようになったのか。
あるとき、3人で待ち合わせしたとき、私ともう一人が一緒に待ち合わせに遅れたんだな。

そしたら先に来て待ってた人が「わたしそういう人絶対許せない!!」
といってプンスカ怒り始めた。


そんで、そのあと機嫌が直らないの治らないのなおらないの。
なんだおめー、って逆に怒りたくなるくらいなおらない。
あもちろん我々は怒んなかったけどー。
(お互いちゃんと怒るほどの人間関係が構築されてなかったんじゃないかと今は思います。)


もし逆に怒ったら、彼女帰っちゃうだろうし。
みんなで楽しみにしてた食事会だったし。

まぁとにかく、それを見てわたしはいろんなものが萎えました。

この一件以前、inu-chanは「絶対許せないほうの人」だったけど、
それってどーなんだろうって思ったのだ。


その一件のすぐあとに大失恋を経験して、最大に悲しいお別れをして、
お互い大好きでも「絶対大丈夫」なことも、「絶対ずっと一緒」ってことはありえないって
わかったことも影響しているかも。


絶対、って言葉はさぁ、待ち合わせに遅れたぐらいで使う言葉じゃない。

そう思ったら、自分の中の「絶対事項」に優先順位ができていた。


で、わたしの中の絶対譲れないものって実はそんなに多くはなくて
今じゃいらんことに怒る必要がなくなっちゃった。

狂犬も、子犬か老犬かってなもんで、かわいいもんですのよ。
ちなみに、動物占いは「オオカミ」。

しかし、わかってますよ。ちゃんと。
そもそも待ち合わせに遅れるのはマナー違反だということ。
遅れた我々が悪いのだ。ちゃんと来て待ってた彼女は悪くない。

悪くないけど、あれはよそう。と思った。




ちょっと話はかわるけど、生き方について最近また考える。


個人主義だ、自分の価値観を持とう、とかいうわりに、見えないバイアスは強くなる一方。
自分らしく生きる、って思っても、その自分でさえもはやオリジナルかどうかもわかんない。

だから自分で考えて善悪を判断する。

あとはその判断のままに発言し、行動する。
他人と違ってたら、違ってることを楽しめばいい。同じだったら、同じだねって思えばいい。

このとき、考えと行動の一貫性がすごく大事。
一貫性がないときの違和感は、自分やまわりの人を知らないうちに蝕む。
ちゃんと考えることって、けっこう重要だと思う。


一貫性のない人と付き合うとすっごく疲れるから、わかる。


自由に生きることが甚だ難しいとはいうけれど、
難しくしているのは社会の構造のせいばかりじゃなくて、
我々ひとりひとりの心の中にも原因があるんじゃないかなと思う。


構造ありきで、心があるのか、心が構造を作ってんのかしらんけど、
そういう意味で「ほぼ日」というカイシャのやってる働きかたやその考え方に、
inu-chanはすごく惹かれる。


さぁ、あと3日バイトしたら、久々長期で実家に帰る。
帰れる日がこんなに待ち遠しいなんて!ちょと驚いたわ。

「ここにはわたしの知的好奇心を満足させるものは、ひとつもない」と確かに言ったが、
わたしの身も心も、故郷を離れてから作ったどのねぐらに帰っても、
きっとそれは帰ったことにはなんなくて、
結局最後の最後に帰って行くのは、あの場所なんだと思い知らされました。

これがまた、家族を持つと変わるのかなぁ。とも思ったり。


2008年08月15日(金) 丸木スマさん

70歳で初めて絵を描き始め、そして81歳で亡くなるまでに700点もの絵を描いた、
丸木スマさんの展覧会があったので行って来た。

結論。

すっごい素敵!JOYってこういうこと!!っていう感じ!
見る人を笑顔にさせる絵がいっぱい。

ということは、スマさん自身、描いててすっごく楽しかったんだろうな、って。
そしたら「絵を描くのが楽しくて、今じゃ死にたくないと思ってる」
という意味のコメントがあって

それを読んでまたまたinu-chanはニンマリした。


展覧会との出会いも偶然でありもはや必然だった。

先日映画を観に行った立川で、花より男子とポニョの間に時間があったんで
カフェでお茶してたら偶然そこの壁にスマ展のポスターが張ってあった。

その隣にはほかの展覧会のポスターもあったのに、そっちは全然目に入らなくて、
SUMA!という文字、緑濃い色彩で描かれた童話の挿絵のような風景だけが飛び込んできた。



なんだかわかんないけど強く惹かれて、ついその絵の構図を手帳に写してた。

見れば見るほど嬉しそうな絵なのよそれが。
生きてることが嬉しいって言ってるんだ、その絵が。


で、落ち着いてポスターをよくよく見たら「おばあちゃん、はじける!」って書かれてる。
えー。この作者、おばあちゃんなの????


というわけで行って来た展覧会だったのでした。


100点あまりの作品が展示されていた。
作風はゆるいんだけど、メッセージはとにかくエネルギッシュだった。
疲れたわー。



で、脳と心をフル回転させたあとの帰り道、いい絵ってなんだろうって考えた。

技術?センス?人に受け入れられる運?

技術やセンスが十分じゃなくても、たとえ時代がその絵をいいと思わなくても、
表現者がそれを作ってるとき楽しいと思ってることが伝われば
まずそれはわたしにとってはいい絵なのだ。


わたし自身、今後何の分野で生きてくのか未だ想像つかない人生ですけど、
その時その場で、何かを心から楽しんで作っていきたいなぁと思った。

そうするしかできないもんきっと。


2008年08月13日(水) 私たちは何ものなのか

最近、

私たちは自分たちを「人間」であるということにしている。

それは私たちがあえてそう名付け、
そう呼んでいるだけであって、実際のところ私たちが何なのかってことは、
まだわかってないよね!?

と、急に思ったりする。

我々の存在がいつからなのか、たまに見つかる情報をもとに想像してみることはできても、
それが本当なのかは永遠にわからない謎のままだ。だって、原初の現場を見ることは、
誰にもできないのだし。


今の我々が存在する様子を、調べて並べることはできる。
寿命の限界なんかも、遺伝子を調べることでわかってきているし。


しかし、じゃぁ我々の存在って、どのくらいの広がりと深さの営みの中の一部なのかな、
って思った時、そーれーがー、そんな営みがあんのか、ないのか、それすら
全っ然わかんないんだよねー。

星新一の世界だわ。


地球と同じような条件を備えて生命が発生している星が、宇宙空間に存在しないとは言えない、
ってことは、
あるって言えないってことと同じことであって、ようするにわかんない、ってことかなと。

でも、わかんない!って言うよりは、あるかもしんない。ないとは言えない。って言う方が
ロマンがあるわなぁ…。

ん?それってロマンの問題か…?




ああー。命ってなんでしょう。
生命体って、なぁに?

わたしたち、どっから来て、そしてどこへ向かうのかすらわからずに、
生まれてきたこの星で、ごくごく当たり前のように社会生活を営むという、このフシギ。

いろんなことをシステム化して、人間は生きて来てんだなぁって、
社会学を学ぶようになってより一層考えるようになった。



最近もうひとつ、不思議だなぁと思うことがある。

街に出て、往来を行き交う全ての人びとを見ていて思うのだけど、
この人たちのうちのたった1人だって、生まれた後、誰かに面倒をみてもらわなかったという人は
いないのだという事実。

生後すぐの人間は、一人立ちできるまで面倒を見てもらわなきゃ、生きていけないもんね。

親じゃなくとも、親戚や近所の人や、社会福祉が育てたケースもあるだろう。

「我々はどこからきたか」などということなんかまぁとりあえず考えずに、ただ、とにかく
子供の面倒をみた数多の人びとがいて、今のこの雑踏が存在するんだなーと思うと
胸がきゅー、となる。


いろんなことを考えることができるようになって、楽しい。
そのことだけでも、大学に来たかいが大いにあったと思うんだよねー。


2008年08月12日(火) 映画映画

花より男子ファイナルを見た。

なんだかぐだぐだな展開もあったけど、やはり道明寺さんの盲目愛が一番面白かった。
満足満足。

言いたいことを言いながらも、
2人でいる時、急にしおらしくなるつくしも可愛かった。

まぁ、ようするに甘甘なのよねー。
あてられっぱなしっすよ。

気ままにYou Tubeで予習(いや、復習?)をしていった甲斐がありました。
>ほとんど寝ないでバイト行った日もあったわぁ



そんで続いてポニョも見た。


ポニョたまらん可愛い。めちゃめちゃいじらしい。
そうすけも礼儀ただしい立派なナイトで、頼もしかったぞ。

背景画がとっても美しくて、こういう海すっごくいいなぁと驚嘆。堪能した。


ジブリはこうでなくちゃねー。


あんまりにも素直で、そしていじらしくて,とっても素敵なストーリーで、
最後の最後、不覚にもほろりと来ちゃったよ。


私的には、非常にいい映画だと思った。
わくわくしたし、子どもがいたら絶対に見せたい映画だと思った。

批評家がとやかく言ってるらしいが、関係ないね。


駿さん、あなたは立派だ。
子どもを心から心配して、信じて、
自分なりの方法で精一杯のエールを送ることのできる最高の大人だ。


今後はー、スカイクロラが見たいな。

20世紀少年はどうしよっかなー。

セックス・アンド・ザ・シティと、デトロイト・メタル・シティは絶対見たい!


2008年08月08日(金) ため息で彩られる2008年の夏

バイトで失敗。

きっかけはまさに慢心。
それがそのまんま、結果になったって感じ。

そこに不幸なアクシデントが被さって大惨事に。

さらに、助けてくれる人のいない、サバイバル状態が追い打ちをかけ。
(なんでレジ操作わかんないのナイト店長は)


とにかく反省。

そして、あまり深く落ち込まぬように気持ちの維持、確保をして。

明日より、慢心を排してまたがんばります。



そして、もう一個トラブル勃発。

まぁ、最初は無視してたんやけど、見過す事ができない事態になってきた。

さすがに真意と違うことで周囲に色めき立たれるとこっちも疲れるので、
このへんで釘を刺させていただいたが、果たしてちゃんと通じているだろうか。


失敗も、走り過ぎも、人の世の常ですなー。


さらにもう一個言えば、軽い失恋つーか、通り過ぎちゃった、みたいな。

もう以前いいって言ってた人のことはなからどうでもよくなってて、
全然違う年上の人のことを「すてきだなぁ」と思っていたんですけど、

あー。

結婚していた!
どうぞお幸せに。

でも久々に色めき立ったなぁ。楽しかった☆

恋愛感度が上がって来たかも。
今ってつまり暖気期間なんだわ。


inu-chan