ある音楽馬鹿の徒然カキコ♪...みゅう太

 

 

怒ってます! - 2003年08月29日(金)

最近愚痴っぽい日記が続くけど
もう一発だけ。


T○Sのドラマがやたら打ち切られるでしょう?


私は「ひと夏の○パへ」が打ち切りなんて考えられない!!!


上●彩ちゃんの凛々しさと可愛さに加えて、
舞台系の北村○樹さん、小日向●世さん、渡○いっけいさん、松重●さんたちの素敵な演技、
なによりも、人間悲しい存在だけど一生懸命毎日駆け抜けて、
笑って生きることができるんだ、
って言ってるような脚本が素晴らしかったと思うんだけど。

私には1週間の中で一番心の深いところまでじわ〜〜っと響くドラマだった。
とても真摯な。



でも視聴率3.6%って…(-。-)



みんな、見る目ない!



...

本末転倒 - 2003年08月28日(木)

ビルや駅や大きな建物にはお掃除オジサンやオバサンがいるものだが、
最近困ったことがある。


今朝、駅の階段でお掃除中のオバサンに水をかけられた。| |o(|`|´|)o| |

「ゲッ!」と、怒るよりもあわてたが、
オバサンは何事もなかったかのように掃除を続けている。


私はしばらくオバサンの前に立っていたが、
彼女は謝る気なんかさらさらないようで
却って「何よ、どうしたのよ、ジャマ。」って顔をしている。

私もそんな様子を見ていたら、アホらしくて何か言う気もなくなった。


公共の場所を掃除する、というのは多くの人にそこを気持ちよく使ってもらいたい
からするわけでしょう?
それを謝ることもなく、ブスッとして掃除してるなんて本末転倒だろうが。
なんのための掃除だよ。


しかし今の世の中、そんなことばっか。



でもそういえばなー
ウチのオフィスだって、たくさんのお客さんに喜んでもらいたくて、幸せな気持ちになってもらいたくて音楽の仕事をしているはずなのに
職場は殺伐として、思いやりのない言動ばっかり、
「お客にはこんなモンでいいんだよ。」みたいな志の低い、というか何だとおもってるんだ?
という態度が蔓延している。


みんな、何のために目の前のことをやってるのか?
本分は何なのか?

よく考えようぜ。



...

プチ・リフォーム - 2003年08月26日(火)

昨日は部屋に新しい洗面化粧台が入った。

なにしろウチは古い団地なので、今まで学校の水道の小さいような感じのが
チョコンとあっただけ。
(ちなみにトイレは「伊那製陶」というマークがついている。)

だから鏡もついて、お湯もでて、歯磨き、歯ブラシ、シェーバー、ムースetc…
が全部そこに置ける。
それに綺麗だし。
嬉しいよ〜〜〜。


一ヶ月くらい前に工事契約を済ませ、
今回は団地の中のかなりの戸数が設置、ということで工事日も強引に昨日になった。
「変更は不可です。」なんてムチャクチャなことを言われ、
私も仕方なく、一応会社は休暇をとり、朝から職人さんを待っていた。

9時から工事、ということで早起きして洗濯機をどけたり、
水道まわりの色々な棚やら、なんやら片付けて待っていた。


ところが待てど暮らせど来ないよ〜〜ん。
イライラしながらふて寝をしていると、10時すぎて電話が入った。
「いやー、道が混んでて全然車動かないんすよ。」

おいおい、25日で月曜だろ、そりゃ混むよ。
ちゃんと計算してないのかよ。

結局11時30分くらいに、私と同じくらいの歳だろうか、髪のモジャモジャな職人さん
は到着し、しばらく間取りやら水道管をウンウン言いながら見つめた後、
ものすごい勢いで工事を始めた。


遅く来たことには腹たってたが、いやいやそのテキパキと、そして黙々と作業をする職人さんというのはいいですねー。
すっかり感心。

水道を工事してるので、トイレにいけないし
外にも出かけられないのは苦だったけど。

テレビ見たり、本を読んでたりした。
クラシックのCDをかけるのは何となく彼にはあいそうにないな、と思ったのでかけなかった。
とにかく彼は黙々と仕事。

私はこんな日じゃないとみられない「笑っていいとも!」とか
NHKのスタジオパークのゲストが偶然私の好きな古田新太だったりしたので、
楽しんでいた。
そのうちそれにも飽きて昼寝。


結局工事は5時までかかった。
職人さんは細かく的確な使用説明をしてくれ、テキパキと掃除、片付けをして
帰っていった。
う〜ん、仕事人は実に素晴らしい。


さて、どけてた物を元に戻してと。
そしてお掃除して、と。
ちょっとした引越し気分だね。

早く終わったら会社にちょっと行こうかと思っていたけど、
結局こんなに時間かかってしまった。



さて今日出社してみたら



























会社も席替えで、机の引越しだった(>y<)



...

熱血アーティスト - 2003年08月25日(月)

私は松岡修三に似てる、と言われたことがある。

顔じゃないよ。
真面目で熱血なところが似てるそうだ。


ところでロックやポップスのミュージシャンはともかく、
クラシックのアーティストでも熱血な人は多い。

クラシックのコンサートにあまり行かない人には「へぇー」だろうが
身近で仕事をしている私なんかには、むしろそんな人間の方が多くて閉口したりしている。


しかしなんといってもその点ピカイチなのは
指揮者のゲオルク・ショルティ(もう故人だけど)とリッカルド・ムーティ。


この2人、

熱血体育会系。

ダイナミック、この上ない。

ミラノ・スカラ座の音楽監督ムーティは、メロディーをこれでもかと歌わせまくり。

長くシカゴ交響楽団を務めていたショルティは、ドドンバンバンジャカジャカジャンと
激情的。
(彼が30歳台の頃のビデオなんかを見ると、その指揮ぶりは野獣!?)


だから時々曲によっては「これが○○○の音楽?」ってことも少なくないけど。


これだけ燃えれば思いのこすことないって感じ。



しっかし気持ちいいんだな、これが。



...

ポリフォニー - 2003年08月22日(金)

「ポリフォニー」ってのは多声音楽のこと。
つまりいっぺんにいくつものメロディーが同時に流れてて
それでいてちゃんとハーモニーができているような(できてない場合も多々あるけど)
音楽。

バッハの曲なんかみんなそんな風に書かれているし、
皆さんが中学校や高校時代に音楽の授業で歌う、混声合唱なんかみんなそうだ。


昨日の晩は暑かったんだけど、
外では類稀なポリフォニーがあふれていた。



























セミの大合唱と鈴虫の声とヤンキーどもの集会によるポリフォニー{{(>_<) }}











ぜ〜〜〜んぜん眠れなかったっす。



...

曲が先?演奏が先? - 2003年08月21日(木)

「音楽の友」の今月号を読んでいて、あるところが目に止まった。


今年秋から東京交響楽団の音楽監督になる、ユベール・スダーンという指揮者と
今まで40年このオケの音楽監督を務めてきた秋山和慶さんとの対談記事の中の言葉。

スダーンの話の中で
「日本で指揮していて面白いなと思うのは、日本の聴衆の方が『あなたが指揮するブルックナーが大好きです』とか『あなたが指揮するモーツァルトのファンです』といった表現をされる点です。つまり指揮者を介して作品に接していく傾向が強いのです。ヨーロッパの聴衆はあまりそういう言い方をしません。」
という箇所だ。

これは日本人がヘンだとか良い、悪いということではなく、
そういう傾向があり、ヨーロッパ人とは違う、ということだ。



なるほどなー、と思う。
確かにそうかもしれない。
最近でいえば「故・朝比奈さんが振ったブルックナーは絶品だった。」とか
「アーノンクールの指揮するベートーヴェンは凄い。」とか。


考えてみると私なんぞも全くそうだ。
ポリーニの弾くショパンだとか、ムーティの指揮するヴェルディのオペラとか、
そんなことで一喜一憂しているよなぁ。

別にそんなことを改めて考えることもなかったが(ないこともないが)
なるほどなぁ、と思ってる内、またこんなことも頭に浮かんできた。



なるほど「ポリーニの弾くショパンが好き。」(例えばね)と私は昔から考える。
しかし以前と比べその比重はかなり変わってきている気がするのだ。

いや、比重というのはその思いの中で「ポリーニ」と「ショパン」にかかる比重だ。


どっちかが薄れてきた、ということではなくてね、
前は「ポリーニ」が弾いている、ということが肝心で、そこに魅せられていた気持ちがかなり大きかった。
でもだんだん変わってきている。
今は「ショパン」という作曲家の音楽がとても個性的で魅力的で面白い、興味をひき、気持ちが彼方に誘われる…
それはポリーニがこういう態度と個性でショパンの音楽に向かっていることによって、
ショパンのこういう面が聞こえてきた、またはショパンはこういう音楽を書いた、
ということを知ることになったからだ。

こんな具合だ。



うん。確かにそうだ。
だんだん聞き方が作曲家本位、作品本位になってきている。

いつからそうなったのか、何でそうなったのかわからない。

でも私はこう考えているうちに、これは自分としては結構健全な歩みだという気がする。


もっとも皆さんに言わせたら、まず曲ありき、なのは当たり前で
オマエの方が今までマニアックすぎたのだ、と言われるかも。


でも、マニアックとは思わないけどね。
最初のスダーンの談話に戻るが、やっぱり演奏があって作品の色んな面を知ったのだ。
さっきのショパンでいえば、ポリーニだけでなく他の数え切れないほどのライヴやCD
コルトーやフランソワ、リパッティ、ルービンシュタイン、ミケランジェリ、アシュケナージ、アルゲリッチ、園田高弘さん、それに私の友人たちetc…


絵画や文学と違って「演奏」という行為がないとその作品がわからないからね、音楽は。


それに、そうだ!
今CDが売れない売れない、という中で「ナクソス」という、
一枚1000円でとにかく作品総目録のように、古今東西クラシックの音楽をすべてカタログに網羅しようとしているレーベルがあり、それがすごく売れているのだ。
私もよく買う。

値段を安くするために、できるだけギャラの安い、大家ではないが必要最小限良い演奏のできるアーティストを使ってレコーディングするというCDカンパニーだ。


それにそうだな、
大体アーティスト自体、特に若いアーティスト、
自分の個性をバリバリに押し出して演奏する、ってより
しっかりと楽譜を正確に間違いなく音にしていく、っていう演奏家が多くなってきている。


うーん、私の場合なんてことで書いてきたが
こうして考えると、今の音楽界自体がそういう「演奏家より作品が大事!」
って感じになってきてるんじゃないか。



だんだん話が大きくなってきてしまったよーー!!


また考えを深めたら、ここに書いてみますね。


今日はこれまで。





P.S ようやく晴れました〜!東京。






...

いつ晴れるの? - 2003年08月20日(水)

お盆明けの私の日記を読んでみるとグチばっか。

よくないね〜。

でもこう天気悪いとな。
ちなみに今日は雨こそ降ってないけど、どよどよ〜〜〜んと曇ってる。


週明けから太平洋高気圧が戻って晴れて暑くなって夏がきます!
…と天気予報で言ってたけど大ウソ。


しかし私はなんだか昔から天気予報って好きなんだよなー。
お天気お姉さんが好きなワケじゃないよ。(少しはあるけど)

天気図を見るのが好きなのだ。
気圧配置がこうだから、明日は晴れるけど風が強いな、とか
台風の今回の進路はこんな感じで、東京は風より雨が強そうだな、とか。
色々面白い。
だからこの夏も冷夏になることはある程度予想してた。

天気も生き物。
地球は生き物なんだな、と天気図の日々の変化を見ると実感する。

そうか!天気予報士になる、っていうテもあったんだな。(← 単純)


…今日も結局半分くらいグチになってしまった。

でも明日からはまた元気な日記にもどるでしょう。



と言いながら、結局今の天気予報と同じで大ウソだったりして (ъзъ)



...

なんなんだ? - 2003年08月19日(火)

今日も雨…

涼しいよ。


昨日の晩はコオロギが鳴いてたし。

でもそれはそれで好きなんだけどね。
情緒があって。
ぐっすり寝れました。


でもさ〜、
それってもうってことかい?

もう「芸術の秋」で私は本格的な仕事モードに突入しなきゃならんのかい?


朝、部屋をでたら小学生たちがニコニコしながら遊んでいた。


はぁ〜、あいつらまだ夏休みじゃん。



...

休み明け - 2003年08月18日(月)

いやいや、お盆休みも終わりましたな。


この 最悪 のお盆休みが。


寒い寒い寒ーい。

雨、雨、雨ー。


なんじゃいこりゃ。
私が前に書いたことが全部現実になってしまった。

お米もヤバイらしいし。


海はおろかプールなど全く行けず。
夜は毛布をださなきゃならん。

4日ほど愛知の知多半島にある、父の実家で一人で過ごしていたのだが、
お墓参りも行けないわ、遠出もできないわ
あげくのはてにフジテレビもTBSも映らない有様。
(ドラマを何本も落としたよ〜 悲 )


俺の夏を返せーー!!ヽ(`Д´)ノ


そして会社に出ればここでも非常事態が。


あ〜あ。

全然休んだ気がしない。

ただボケただけ。



...

キース・ジャレットとグレン・グールド - 2003年08月11日(月)

BBSの方にしましま改めサマンサさんが熱心な質問を寄せてくれている。

そこでのレスではとても長くなりそうなので、ここで書いてしまうことにした。



キース・ジャレット。
知ってますよ。
偉大なジャズ・ミュージシャン。
そんなに詳しく知っているわけではないけど、
キースといえばそれはそれは…
私なんかのイメージでいけば「孤高」のジャズ・ピアニストかな?

サマンサの言うとおり、まず音が素晴らしい。
あんな抜けるように、どこまでも澄んだ青空のように透明で柔軟。
クラシックでも、というかああいう純粋無垢な音はクラシックのピアニストでも聴いたことのない、独特な音だ。
ポリーニのかっちりした透明な音ともまた違う。


私はキースのライヴは一度しか聴いたことないけど(スタンダード・トリオでのライヴ)
あれは忘れがたい!
音もそうだけど、あんなに澄んだジャズがあるのか! 
アクの強い、汗を飛び散らせて、ってのとは一線を画していた。

だからある種のジャズ・ファンからは
「キースの素晴らしさはわかるけど、ちょっと自分の趣味とは違う。」
なんて何人かの友達から聞いたこともある。


聴いたことない人には一度オススメしたいですな。
できればもちろんライヴで。
CDでもいいし。


彼はそういう「音」を持ってクラシックのレパートリーも結構持っているのだが、
(十分予想できることだ。)
バッハとかヘンデル(これが美しい!)
あと私が意外だと思い、聴いて「これは!」と思ったのがショスタコーヴィチの「前奏曲とフーガ」だった。
この曲集はアシュケナージのCDが何と言っても世評高いのだけど、私は断然キースのが好き。
彼の澄みきった音(と音楽)がショスタコーヴィチのアイロニカルな悲しみを超えて、気持ちがずっとずっと彼方へと誘われる感じだ。


で、グールドの話だけど、
う〜〜ん、あまりキースと音が似ているとは思わないけど、
彼の音楽にいつもつきまとっている、「抒情」といってしまうにはあまりにも純潔なものが少しキースと通じるものがあるかもね。


それとサマンサはこれは何の本を読んだのかな?
音楽を言葉にすること自体、超難しいことだけど、グールドのような世紀の天才
ほんとに地球人なのか?っていうような存在は分析し、言葉にするのは…


私がグールドのことを読んで納得し、勉強になったのは
評論家の吉田秀和先生とミュンヘンのヨアヒム・カイザーの文章だけ。


グールドのレコードが初めて日本でリリースされ、その破天荒ぶりに誰も理解できなくて冷淡な批評を浴びせられてたころ、吉田先生だけが孤軍奮闘してその天才・独創ぶりを
全力で、しかも深い洞察の文を書いていた。

それについでに言うと、(誤解を恐れずに言えば)
日本で音楽評論家、といえる人は吉田先生だけだと私は思ってる。
日本の音楽界−演奏、作曲、研究すべてをひっくるめ、一番遅れているのは
はっきりいって評論だ。
もちろん心ある評論家はいっぱいいるのだが、う〜ん、なかなかね。
これは国民性なのかもしれない。
欧米の人に比べて、日本人はとても感覚的には秀でているが、
ひとつのことを「何で?」「どうして?」と考え抜く力が足りないらしい。


話がそれたけど、グールドの、いつもその場に新しい音楽の生命が生まれくるような
創造的な雰囲気、
そのことをジャズ的な、と言うのならそれはそうかもしれないなー。


いや、でもとにかく彼は謎の人。
わかるのはとてつもない天才だってことだけ。


タイムトラベルができたら、絶対聴いてみたい筆頭だよね。





P.S
明日から会社はお盆休み。私もPCのないところへ出かけるので数日この日記はお休みします。
すみません。

え?ホッとしたって?
ほぉ〜〜、来週からまた目にもの見せるよっ!




...

ヘンなこのごろ - 2003年08月08日(金)

ここ数年、気候がおかしいと思いませんか?


去年は猛暑を越えて酷暑。

今年は梅雨はあけないわ、異様に涼しいわ、
(最近やっと暑くなったけど、それでもねぇ)
台風は先月から日本列島を通るものばっか来るわ。

やっぱり私が懸念していた通り、お米も今年は不作だ、とニュースにもでましたね。


ヨーロッパは逆に猛暑が続いて、パリなんかは40度!
ドイツやハンガリー、ルーマニアなんかは干ばつにまでなってるというじゃないですか。


いやいやどうなっているのやら。


きっとあんまり戦争だ、犯罪だ、なんだ、かんだと
人間我を失って非道いことばっかやってるから神様が怒ってるんだよ。


まあ、遠い昔には氷河期があったり、逆もあったり
とてつもない気候変動があったわけだから、
このくらいギャーギャー言うほどでないのかもしれないけど。


でも温暖化っていうのはかなり人為的(?)なもののわけでしょう?
こないだはオゾン層破壊が縮小に向かってる、なんて発表もあったから
少しは努力すりゃ報われることもあるんだよ、きっと。



話は戻るけど、
九州のこないだの土砂災害のあった所とか東北の地震で地盤が緩んでいる所の方、
今度の台風で何事もないことを祈っています。



...

びっくりしたぁ〜 - 2003年08月07日(木)

このレンタル日記スペース「エンピツ」さんには
便利なことに、どこからリンクされてアクセスしてきたかがわかる
“my refer” というものがある。

昨日ビーーーックリしたのは
そこを開いた途端、47 というアクセス数の表示があるリンク先が目に入ったのだ。

47
いつも とか 3 とかしかみたことない私はび、びーーーっくり!

ど、どこさー? と思ってよく見たら、いつもBBSにカキコしてくれる
ちえぞうさん(私の中学・高校の部活の同級生)のHPからだった。

なるほど、こないだ高校のオーケストラの飲み会だった…
そこでこの日記の存在を吹聴したに違いない。


いやいや有難いことです。
てことはその“47”の中身はオケの同級生、はたまた先輩や後輩。
いや〜みんな、どう思ったでしょうねー?

「昔っから変わんないな〜。」
「あいつ、こんなこと書くのか。変わったな〜。」
「下らないこと書きやがって。」
「そんなヒマなのか。アホが。」
「先輩、バカじゃん。」

あ、いかんいかん、だんだん悪い方へ悪い方へと悲観的に考えてしまった。


みなさーーん、何かBBSに足跡残してくんないとなんか気分晴れないよー!
書いてぇぇぇぇぇぇーーーーー!!




おほん・・・

で、全然話は変わるが、
こないだヴォーン=ウィリアムスの曲を聴いてから、急に他のイギリス音楽をあれもこれも、と聴きたくなり、
おととい、昨日とウォルトンの交響曲第1番、第2番と立て続けに聴いた。
こうやってすぐ感化される私の悪いクセ(良いクセかも)だ。

これも良いですなぁ〜。
第2交響曲なんかすごい活気で、「スターウォーズ」のサントラみたいでワクワクした。


しかしこうして色々イギリスの音楽を聴いていると、
その人それぞれの個性ではあるけれど、やっぱり底に共通したものを感じる。

それは何だ?
いやいや、皆さんぜひ自分で聴いてみて色々感じて下さいませ。


それと、「この曲を初めて聴くぞー!」という時には
でっきるだけ良い演奏で聴くことが大事。
さもないと「なんだかわかんないな〜」で終わって「もう聴かないっ!」ことが多いっす。

どんなコンサート行ったら?とかどんなCD買ったら?
ってことがありましたら
どうぞ遠慮なく、
どなたでもBBSでカキコして下さい。



 



...

のびのび息したいよー! - 2003年08月05日(火)

どうしてこの国はこんなに窮屈なのか!?(`-´)/


あーしなきゃいけない。
こうしなきゃいけない。
こうでなきゃいけない。

他人を自分にあわせたがり、
考えが違うとすぐ排他的になる。
自分は他人と違うことを恐れ、他人と話を合わせようとする。
右へならえ。
長いものに巻かれろ。
そして徒党を組む。


もうがんじがらめじゃないか。


昔、何回か外国に行った時、
異国に身を置いてドキドキしたり不安だったりもしたけど
不思議とだんだんと気持ちには余裕がでてくる。

それが成田に着いた途端、
なんだか周りに見張られているような窮屈な気分になったものだ。


私は言っとくがこの国が好きだ。
日本の美しい自然、文化、
あいまいだけれど繊細な心使い。

でも集団社会になると途端におかしくなる。

あ〜〜〜疲れるんだよ、まったく。


いや今日はすみません。
何があったわけでもないんです。
単に今朝、なんだかイライラした寝起きだったところに
バス亭での団地の若奥様がたの、当たり障りのない会話に終始する井戸端会議に直面して
つい、心の中が日頃からの憤りでいっぱいになってしまったんです。


それだけのこと。(`-´)/





...

変わっていく - 2003年08月04日(月)

昨日の晩は、今度はブラームスの「ドイツ・レクイエム」を聴き、
また色々なことを思った。
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ウィーン・フィルのライヴCD。


このCDは学生時代に買ったもので聴くのは久しぶりだったが、
実に素晴らしい演奏。
古今東西こんなにも「慰め」の音楽が、さらにも増して高潔なジュリーニの指揮のもと、
なんという品格、精神的な重み
…深々と心に染みてきた。

オーケストラが、合唱が全身全霊を込めて演奏している。
そして今は大スターのソプラノ、バーバラ・ボニーとバリトンのアンドレアス・シュミットがまだデビューしたての若々しい声を響かせているのが何とも感慨深い。

そういえば買った頃、何度も何度も聴いたっけ…。



ところで、聴きながら改めて、というかひとつ強く印象深いことがあった。

それは他ならぬウィーン・フィルハーモニー管弦楽団という、世界に冠たる名オーケストラの当時の充実ぶり。


私は「昔は良かった…。」などと言うような趣味は持っていない人間のつもりだが、
今のウィーン・フィルは実演を聴いても、CDを聴いても正直それほど魅力を感じなくなった。
とはいっても、そりゃ、他の凡百なオケとはワケが違いますよ。
なにが変わったか?
それはちょっと慎重にたくさんのことを考察していかなきゃならない問題だろうし、こんな一音楽馬鹿の日記で考えていくには手に余るので止めるけど、
でもやっぱり何か変わったよ。


この「ドイツ・レクイエム」のCD、1987年のライヴだ。
当時のウィーン・フィルといえば、
1970年代から80年代あたまはあのカール・ベームが看板指揮者のように振っていた時代で、(ビデオなんかで知ってる人は知ってると思うけど、ドイツ系の名指揮者という以上にまあ、ガミガミガミガミ厳しい人でオケは相当鍛えられただろうし、またその分緊張してグッと引き締まった演奏をしていた。コンマスのキュッヒル氏からも「カレハコワカッタデスヨ〜。」という話を聞いたことがある。)
そのベームが亡くなってからは、なんといってもカラヤン、バーンスタインがウィーン・フィルにとっての大横綱だった。
それにこのジュリーニや元気バリバリのショルティ、ハイティンクや小澤さん、マゼールが定期的に指揮をし、またアバドがオペラの方の音楽監督を務めていた錚々たる時代 − それが80年代のウィーン・フィルだったかと思う。


私がウィーン・フィルを初めてナマで聴いたのは確か1989年。
アバドの指揮でブルックナーの「第7交響曲」だった。
前にも書いたことがあるような気がするけど、あまり感心しない演奏会だった。
アバドがあまりブルックナーと相性が良くないのかなぁ?なんて思っていたけど、
その後小澤征爾さんの指揮で聴いたブラームスの「第4交響曲」もさっぱり。
それからなんだかんだ1年おきくらいにウィーン・フィルは聴いていて、そりゃ大指揮者が指揮するし、例えばショルティ指揮でチャイコフスキーの「悲愴交響曲」とかハイティンク指揮でブルックナーの「第7交響曲」とか、ムーティ指揮のシューマン「第2交響曲」とか、そうそう一番最近でいえばラトルの指揮でベートーヴェンの「第9」。
これらはみんな良かったけど、それでも天下の名器を聴いたにしてはあまり後々まで感銘が残っていない。

なんでかね?


70年代のベームで聴くCDやさっきのジュリーニの「ドイツ・レクイエム」なんかで聴こえてくるある種の「重み」、とか全身全霊、それこそ命を削って何かを訴える、という感じがないのだ。

そんなストイックに聴くものかい?
またもっと年配の人に言わせれば、「何を言ってるんだ。50年代60年代はもっとそんなものではなかったよ。」
とか言われるかもしれないが、私の受けるこういう感じは動かしようがない。

それに繰り返し強調(言い訳)しとくけど、
っていうか、私のカキコをずっと読んでいてくれる人ならわかってくれると思うけど、
基本的には保守的だとしても、私は決して懐古趣味の人間ではないし、むしろ新しい価値を積極的に肯定するのが好きな人種だ。

でもね、変わっていいものと変わって悪いものがあると思うのですよ。



しかし、これって別にウィーン・フィルの話、音楽の話だけじゃなく、
つまるところ今の世の中至るところに感じられることだと思うのだけど、
どうでしょうね?



...

昨日の驚き - 2003年08月01日(金)

★「うたばん」で久々に「モー娘。」を見たが、
辻・加護のツートップが大きくなってたのに驚いた。
成長期??

★先週から毎日見ている「ほ乳類・大自然の物語」でクジラの求愛行動を初めて見たが、
オスの○○○があんなに長いとは驚いた。
つか普通にあるんだ…。
初めて見た…。

★FMでリストの「超絶技巧練習曲」が流れてて
聴いてる内に誰の演奏でいつの録音でどこどこのレコード会社からでてるヤツじゃないかな〜、とぼんやり考えていたら
マジ、バッチリ当たってた。

私の記憶力に驚いた。


★夜寝る時に腕が筋肉痛になって、
「痛いな〜。なんでだろう〜?」
と思っていたら今度は攣った。
「あいたたたたた…!」

昼間何をしたかよ〜く考えた。


あ、今朝の電車のラッシュがひどくって
体が振られ、自由がきかない中、必死でつり革につかまってたんだった。

それだけでかよ…?


あー、歳をとった自分に一番驚いた。
 



...




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