非日記
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2011年05月21日(土) 最近無駄遣いしています。

たまに金遣いが荒くなりますよ。欲しいものや必要なものがあってもなかなか買わないでいるので、財布のひもがゆるむと堰を切ったように……。何故なかなか買わないかというと、私は買い物が嫌いだからです。買い物が嫌いというより、金を使うのが嫌いなのです。金を使うのが嫌いというより、単に使わないだけで金がたまっていく……というありさまを粘着質に見守るのが微妙に好きなのです。
しかし溜まるのは必要な(かもしれない)ものを買わないからであって、どうせなくなるんだけどね。

金は天下のまわりもの。日本経済のために重い腰をあげて買い物をする事にしました(嘘です。気分の問題です)。

とりあえずロッカーを買いました。
とうとう服をハンガーにかけてつるす事ができますよ!
すンげー!洋服をハンガーにかけてつるすなんて大金持ちみたい!

ついでに私は洋服箪笥も持っていないので洋服箪笥なんか持ってる人は大金持ちです。洋服は常にダンボール箱に入っていた方が、いつでも引っ越しできて、すばやく行方をくらましたい時に便利なんですよ。あとオーブンレンジとか持っててケーキなんか焼く奴はもちろん大金持ちです。ケーキなんか特別な日に年に一度ぐらい食えばいいゴージャスこの上ない食べ物なのだから、そんなものを常日頃からスローフード的に食おうなんて大金持ちの発想でしかありえません。

組み立て式なので組み立てないといかんと言いましたら、人様に「なんでできあがってるのを買わんのじゃ!」と何故かしつこく追及されましたが、それは買ってみて届いてみたら組み立て式だったわけで別に意図したものではありません。「絶対に組み立て式は嫌!」というのが無いので、そのへんは全然見てませんでしたともよ。

組み立て式は結構愉しいよ。「……できた☆」感が。
おばちゃんが「私はそういうの全然できないからー」と言ってましたが、全然できないの意味がわかりません。だって説明書ついてるじゃんかよ。書いてある通りにやればいいのだから、筋力さえあれば小学生にだって作れると思う。私はこう見えても学生時代は素直なよい子でした。言われた事を言われたままにやる事ができるからこそ、それなりの成績もキープできたのです。それに私は人を信じる事ができるからな!説明書を書いた人間は嘘をついていないと!
そして三時間ぐらいかかって汗だくで組み立て、ひとしきり充足感と人類の善良さを味わったあとで、ふと未開封の謎のネジが目にとまり(組み立て式として売っているので親切にも種類別にまとめてあるのだ)、「ナニこれ?」と泡を食って説明書を見直すのも人生の醍醐味というものです。

泣くな、いざとなったら全部解体して最初からやり直せばいいのよ!

ちなみに問題のブツはひきだし関係だったので、あとからどうにでもなりました。過ちは犯した後でもとり繕える事もあると学ぶ事ができます。


あとプレステ2のD端子コードを買ったよ!
これでPC用のディスプレイに繋いでゲームができるわ!うちのテレビは数年も半分壊れてて音が出たり出なかったりだったからね!


ところで今も雨が降っています。
雨が降るので車を洗う気になれません。
車と言えば、12か月点検で「ココとココとココにヒビが入ってるよ」と教えてもらったのですが(さすがはトランスフォーマー初代のDVDBOXを買うのと殆ど変らない金額の車だけあります)、「俺が直してやるから金払え。命は惜しいだろう」と言うかと思って「直した方がいいですか?」と水を向けてみたら「あと一年ぐらいはもつと思うから直さなくていいよ。折れたら音がしだすから、そしたら直したらいいよ」などと言われてしまいました。異常に善良ですが、なんて恐ろしい。いつボッキン行くかと想像するだに、背筋が凍るほど安全運転になります。


今日は二十年来のお友達の誕生日だという事を突然思い出した!
おめでとーう!おめでとーう!
ここは絶対見てないけど、せっかくだから!


雨と言えば、梅雨で、今の時期ともなれば、うちの裏庭はフキがすごい事になります。季節によって一面のフキか一面のドクダミです。
で、庭師がやってきて大家さん家の木を切っていたようなのですが、そのついでかフキを切って行ったようなのですよ。そこで例によって電話がかかってきて、いるかと言われてしまったのですが、実のところ、私はツワとフキが大好きなのです。何が好きかって、あの味が好き。

うっかり一瞬、本気で喜んでしまったのです。
遊びに誘われて「一緒に行こうよ」と言われたら「行かない」と言えても、「あげる」と言われたら「いらない」と言えないケチの私ですが、基本的に欲しいものは無いのです。私が欲しいのはまんじゅうちゃんぐらいです。しかしツワとフキは好きなので一瞬喜んでしまった。それがうっかり声に出てしまったのです。台詞はいつもと同じでも声がいつもと違うのが自分でわかってしまって、シマッタと思ったのです。シマッタと思っても取り返しはつかないのです。

おいちゃんもきっとわかってしまったのでしょう。
あいつ、追いかけてきやがった。いつもは受け取ったら直ぐドアを閉めるのに、
「欲しいならなんで勝手にとらないんだ!」
と、しつこく追いかけてきました。勘弁してください。
人の勝手じゃろうが。自分で取るのはめんどくさいんじゃー!

フキが嬉しいのは食う時なんですよ。板ずりした上に一本一本スジを取らなきゃいけないじゃないの、めんどくさいじゃないの!野生のは細いから余計にめんどくさいじゃないの!そのめんどくささを思うと、わざわざ取る気にならないよ!
でもオジサンが煩いので今度取らなきゃいけません。
ちなみにフキよりもさらに好きなツワを取らないのは同じように剥かなきゃいけないのと、そのためにアクで爪が黒く染まって手を洗ってないように見えるからです。



最近はぎゃおで虎と兎を見ています。
「なんだこれ?」と初めに一話目を見た時は最初の二分ぐらいで飽きてやめたんだけど(早すぎ)、気がつくと毎週ちゃんと見ていた。何に対しても新鮮味を感じにくくなり基本的にキャラ萌えしかしなくなったロートルにも何かが新しい。細々としたところが普通に面白い。
原作の力に頼りきって無い「ちゃんと作ってる」感があるのも好印象です。特殊な趣向の人間を引っ掛けようというつもりが製作側にあるんだか無いんだか微妙なところがいつもいい。サンライズは原作無しで一から作ってる時の方が、サンライズらしさと底力が出て抜群にいいと思う。
てゆうか、育った世代だから、どことない懐かしさを新鮮に感じているのかしら。香るサンライズ臭とバンダイの影がいいのかもしれん。

ちなみに一話目を見た時に真面目に最後まで視聴した青の祓魔師は、気がつくと全然見てませんでした。原作を知ってる弊害です。だって死ぬの知ってたから、既に二話で終わった感が……。猫又が出てくるのを待ってるんだけど。


2011年05月04日(水) 書くことは無いんだけど。

気がつくと半年経っていたので、たまには生きてる証明をしなければと思い、鬱々と書いてみるよ!

最近は「年賀状の返事を書かなくちゃ」とか思ってる!(殴っちゃれ)
年賀状に「返事」とか言ふ時点で色々と盛大に間違っている事はわかってるんだけど、たぶんこれは生涯治らない不治の病だと思う。年賀状が全然来ない場合、「そこはかとなくさみしい」のは確か。だのに自分から何故積極的に書かないのかと言うと、我が人生は基本的に受け身だからですよ。受け身の癖に受け流すんですよ。なんでもいいから反応しろとしたたかに叱られまくっていた私は、成長してレベルアップした後も反応する事に我慢と気合と努力が必要なんだよ!

といういつもの言い訳はいいとして。

これといった理由も無く、いつの間にか何も書かなくなっていましたね。その頃バタバタしてた上に浮気症を発揮していた事は確かなんだが気がついたら書いてなくて、「あれ、暫く書いてないな」と気がついたのが二月ぐらいだったんだけど、「こんだけ書いてなかったらもういいだろ」とそのまま惰性で……いるうちに震災があってですね、大勢の人々が激しく感情を動かす出来事があると己は口を利きたくなくなる悪癖が盛大に出て今に至るわけです。

例によって「アタイの心がいかんともしがたく動かないんだけど、そんな時どうしたらいいかな?」という相変わらずしょうもないほど甘ったれた電話はしてましたけどね。そこで「知らないわよ」と冷たくあしらわれて、さもありなんと心底納得するのが私の精神安定剤です。一つフォローするならば、私のいいところは己が心は動かずとも、人の心が動くのは全力で邪魔しないようにしたいと願うところですよ。むしろ歯ぎしりするほど羨ましい。何故世の中の人間はそんな豊かな心をもっているのか、妬ましいったらありゃしない。
正直なところを言えば、私は子供の頃から皆揃って右向け右で同じように(見える)同じような(に見える)感情(の発露)を表出するのが不思議で仕方なく、色々と苦労した結果、「つまりAという状況に置いてはBという感情を抱いてCという表現をすればいいんだな」という学習をしたものの、このBがいかんともしがたく内部に出現しないせいで困惑に次ぐ困惑を経て試行錯誤の上せっぱつまった結果、「Cという感情表現をしている全員に現実にBという感情が存在するかどうか一体どう確かめられると言うのか、現実にあろうが無かろうが瑣末な問題であり、要は場に即した正しいとされる感情を表現しさせすればいいのではないか?」という方向に納得して鋭意努力したにも関わらず、神経質に敏感で偽りを許さない人間の邪魔が入り、苦労して体得した努力の一切を放棄せざるをえなくなったわけです。しかしこれは後に社会人となってから非常に有益な技術となった。

でもここが微妙なんだけど、全然無いわけじゃないんだよ、無いわけじゃ。ただ動くべき時に動くべき方向に動かず、動かなくていい時に動かなくていい方向に動いたりする。

多くの人々の心が激しく動いている時には、膝を抱えて眺めてる感じの私です。というか指を咥えて眺めてる感じ。
長い歳月によって、人様の感情の表現や動く方向に好き嫌いがある事は自分でもわかってるんだけど、パターンはよくわからない。基本的に自分一人では私の心は動かないねん。人の感情が動くのを見て、その動き方や動きに応じて動くねん。ただし同じ方向には動かないねん。
割と保守的ではある。保守的で標準的な感情と感情表現に安心する。ただ揃って同じ方向を向いているのを見ると、逆を向いてるのを見つけたくなる。あまり良い気分にはならない、どちらかというと嫌な気分になるが、しかしそっぽ向いてるのを見ると安心する部分がある。たぶん全員が全員同じ強さで同じように感じなくてもいい(のではなかろうか)という部分に、己の立ち位置の肯定を見て安心している。そしてそれは人間の世界を肯定する安心感でもある。



なんだって何も書かないのかと言うとね、思うに、ものすごく安定してしまってるわけよ。安定してるっていうか、偏ってしまってるというか。この方向で突き進むのか、途中でバランスが変わるのか知らんけど。
二年ぶりに職場に戻ってきた人に言わせれば、「すごく明るくなりましたね」という事です。「このクソ忙しいのに?」と思うけど、たぶんそうなんでしょうよ。閑職にいた時に前の上司がやってきて「もっと仕事量のある部署に異動しましょうか」とか余計な事を言ってきて「私の楽しいジメッとタイムを邪魔するな」とムカッ腹が立ったのですが、自分が物を考える暇の無いぐらい忙しいほど怒り狂いすぎて生き生きして見える人間であることは確かかもしれませんね。
私は苛ついている時、意外と愉しい人間なのです。人に指図しまくるのも大好きですとも。人を頭っから馬鹿にする時、それはもうゾクゾクします。人が腹を立ててるのを見ても、愉しそうだなと見えてしまう人間なのです。だって自分の方が相手より優れてると心の底から自己肯定してる瞬間じゃん。愉しくなきゃ嘘だろとつい思ってしまう。私は「また快感に流されて気持ちよく腹を立ててしまった」と怒った後で凹むタイプです。しかも怒り狂って相手をやりこめてしまうと開放感のみならず征服欲と支配欲も満たされるので、あとで余計にいたたまれない。恥知らずにもつい公開調教プレイしちゃった、もうお天道様の下を歩けないわ的な恥ずかしさがあります。
でも人が怒ってる時は意外とそうじゃないのかもしれないよな。実は人はそうじゃないって聞いた事があるよ。

しかし最近、人が揃って私の言う事を素直に聞くので、微妙につまらなくなってきてるような気が気の所為かもしらんけどするかもしれない。どうしてこんな事になっちゃったのかわからないんだけど、たぶん同じ場所に長い事いすぎた。時々ふと、「あ〜……働きたいな……」とか思っていて、「何言ってるの今働いてるじゃん!」と自分にツッコミ入れる始末。なんかこう一生懸命頑張ってる感が足りないような気がせんでもない。システムが構築されてルーチンワーク化しているせいかもしれない。言葉を当てるならば、退屈してるのかもしれない。忙しいのに退屈してるとはこれ如何。でも楽と言えば楽なので動くのも大儀で悩ましいところだが、どうせ数年もしないうちに移動せねばならないのでそれはいずれ解決したくなくても解決するであろう。それを理由にしてのたりのたり。


まんじゅうちゃんの心踊る更新は無いしな。
どうも精神が偏っていると気がついたのはまんじゅうちゃんの所為です。書いても書いても似たようなものしか書けなくて半端なくつまらないので、ああ今私はこっから動けないんだと気がついた。どうりでリアル生活における精神活動が安定しきっていると思ったよ。びくともしなくて困ってるぐらいだよ。それでも執念深くワードに張り付いては一条の光明が差すのを待ち続けている。


ところで私はまたもやメールアドレスが変わりました。
万が一にも尋ねる人があるかもしれないので念のためにここにも書いておこう。何故変わったかと言うと、例によってどこぞの会社の社員が勧誘の電話をしてきて、その時の私は退屈していたのか変化を求めていたのか流れに身を任せる気分で気安く「いいよ」と言ってしまったからだ。もろに地震時に被ってしまい、というか地震時をまたいでしまい、色々な諸問題が起こったんだけれど、最終的にはきちんと変更された。電話でやり取りしながら日を変えつつ、まる二十時間ぐらいかかったけれど、たぶん私の作業に手間取ったり行き詰ったりするたびに業者間で連絡を取り合ったり、どうせ待機中は何もできないからと他の契約者の事案を処理してたので余計に時間がかかったのだと思われるが、私は暇だったので静かに待ち続けましたとも。最終的には一度交わした契約を破棄して最初からやりなおす結果になったわけだけれども。


ああ、また書かなくていい事を色々宇宙に向けてつぶやいてしまった。
でも書かなくてはいけない事は私には思いつかないのでしょうがないよ。
職場から駐車場まで五分ぐらい歩くんだけど、先日同僚と歩きながら喋っていたら、その間ずーっと猫がついてきてて、駐車場で十分ぐらい立ち話してる間も消えたと思ったら足の横にいたりしたんだよ。何かが欲しくてついてきたのかと思ったんだけど、食べるものときたらフリスクしか持ってなかったんだよ。仕方がないのでデコピンをくれてやった。私はそういう間の悪い人間なんだよ。そして最近は仕事に行こうとすると、車の前輪の真横に茶色の縞猫がいつも座っているので知らぬ間に轢きそうで怖くて仕方が無い。どきたまえと言って足で押したら車の真下に入ったので、朝っぱらから地面に這いつくばって「あっちへ行けって言ってるだろー!」と腕を振り回す羽目になったよ。
そういう猫どもと過ごしてる時の何も考えないでいる自分が一番自分らしいような気がしないでもないんだけど、頭がおかしい事をぶちぶち壁に向かって喋ってるのも自分らしいので、たまには恥を忍んで書いてみた。

そう、私は基本的に喋らない人間だったんだよ。だから喋らなかったり書かなかったりするとすぐその状態に安住してしまうよな。表情や態度に出すのも苦手なら言葉を繰るのも苦手であるよ。大体言葉にするほど私の頭の中は何かが入ってるわけじゃないよ。頑張らないとなーとは思うんだけど。この胸の切実なる思いを敢えて言葉にしようかと思ってみても、「まんじゅうちゃんが好きだ。かわいすぎる」しか思い浮かばない。ウエカツエ過ぎて「おまえに会いたい」とかしか思い浮かばない。


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