非日記
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| 2009年07月12日(日) |
朝顔が侵入してきました。 |
最初は換気のために開けっ放しの窓の隙間から入ってきていただけだった。一つ言っておいたほうがいいような気がする事は、うちの便所は公衆トイレのように屋外にあり、私も色々と考えた事もあるんだが(例「便所の窓を常時隙間開けているというのはどうか?便所というものは閉ざされた空間であるべきではないのか?」)、窓の真下にお堀のよう小川のような溝があり(自転車で落ちかけた事が二回ある)、そこは一体なんだろうと人が覗こうとすると傍から見ていかにも怪しいおかしな体勢にならざるをえない事や、そしてその体勢が近隣から丸見えでとても目立つだろう事などがあり、台風や暴風雨で雨がどんどこ降り込んで来る時以外はあらかた隙間を開けて放置しておく事にした……という事だよ。
そういう具合で、割合常日頃から隙間があった箇所から、ある日、朝顔のツルがてろんと入ってきていた。「あらあら」と思い、それを「よいしょ」と外に押し戻したわけよ。翌日、さらに伸びたツルが再度てろんと入ってきていた。そこで再び外に押し出した。そんな事を数日繰り返していた、ある朝の事だ。
その朝私がトイレに行くと、ついに朝顔のツルは横にスライドさせて開く窓と窓枠のうち、横ではなく上から……、これを説明するのはとても難しいのだが、四角形の窓を二次元に描いたとしてそのスクエアの上辺から、いきなり六十センチほど侵入を果たしていた。朝顔のツルらしく、真っ直ぐな一本のツルではない。数本がねじれ絡み合い、先っちょがどこかわからん感じに。御丁寧に葉っぱもついてみた。
てゆうか、これ、一体どっから入ってんの?
動かしたら千切れそうだ。頑として動かない覚悟。 こうやって廃墟は崩落していくのね……、廃墟じゃないよ。私はまだ住んでるからね。私は己が為というより朝顔的に外に伸びて行った方がいいんじゃないかと思ってたんですよ。でもそんなに便所に入りたいなら私はもう何も言いません。せっかくなので、今夏は便所の中に花が咲く事を期待して生きていこうと思います。
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せんだって珍しく海外のフツーの小説を読んでいたわけです。 ちなみにフツーの小説とは、ミステリーでもSFでも幻想小説でも海洋小説でも冒険小説でも恋愛小説でもキャラクター小説でも無い、何々物と言いがたい、ジャンル分けがよくわからない、この世で最も沢山あるような気がするが、意外とそうでもないかもしれないような種類の小説の事だ。けして異常でも特異でもない種類の性質や性格の人々が、けしてありえなくはない出来事に遭遇したり引き起こしたりしつつ、けしてありえなくはない理解や共感が可能な範囲内の態度や思考や情緒をもよおしながら、特別では無い事は確かだが絶対に典型的ではない唯一の展開をするようなタイプだ。
で、一人称の中で、主人公(の一人。たぶんメインの方)が芸術や哲学や美についてしばしば吶々と考えていたわけよ。外国の小説だからか、たとえ本人は神を信じていなくとも真善美からは中々離れて生きていかず、つい哲学的に追求して考えまくってしまうわけです。 美というものはそれ自体では存在しないんだけど、優れた芸術作品においてはその中に美としか言いようの無いものが描かれており、つまり画家にしても何にしても芸術に携わるものがそこに描こうとしているものは、例えば静物画ならばそこに描かれている一個の果物、それ自体なのではなく、ようするに美を描こうとしているのです。それをもって私達は初めて美に触れる事ができるのであります。 みたいな感じ。イデアがどうとかいう感じ。 たぶん。詳しくは忘れた。たゆたうような文章で気持ちよく読んでいて忘れた。
なんでそこを気にしているのかというと、私には形而上的に「私の好きなタイプ」みたいなイデアでもあるのだろうか…、それが立ち現れて二次元の中だけれども時間的に空間的に形をとって現れている所為でミラクル愛らしいのだろうか。私が心動かしているのは件のキャラ自体ではなくて、それを通して見える形而上的な私の好きなタイプなのかもしれないよ。もしそうだとするならば、原作とちょっと違っていたり、つうか原作では具体的に知りたい部分が詳細にわからんので否が応でも捏造せざるをえなくても、例えば二次創作作品を見て、明らかに性格や個性の原作から離れた偏りが見られたとしても、やっぱりその人物であると感じる事が不可能ではないのよ。むしろあらゆる角度から照明をあてながら焦点(イデア世界の対象キャラ)をあぶりだそうとする試みというか。つまり見ているのは、現実の対象キャラというより、己の心を注ぎ込むに相応しいものとしてのそれなのかもしれない。これは二次創作物が情緒的な偏りから離れられない点に帰結するの。なぜならば、ニ次元の、二次元でなくとも創作された現実に存在しない存在に対して愛着を感じる精神は、元から肉体的な物質的実存部分にそれほど比重を置いていないのであるからして、
……なんの話だったかな?
だからね、私にはたぶん私の好きなタイプみたいなのが確かにあるんだろうな…と思ったわけよ。うん、あるんだろうな。なんか確かにあるよな。そこはかとなく通底しているものが。 一つわかっているのは、私は高笑いがよく似合う居丈高で偉そうな唯我独尊に馬鹿げて派手な人が好きらしい。救急車は高笑いせんかったが登場時、居丈高で偉そうで感じ悪く傲慢で自意識過剰だった事は間違いない。何かに関して高いレベルを持ち、他の分野でも割合オールマイティで、非のうちどころが無いけれど、残念な事に性格に多大な難がある。しかし諦めずにしつこく付き合って我慢して観察を続けると意外とそうでもない(初対面の印象より遥かに常識家である)事がわかる。その人一人を見てるだけで知的崩壊を起こして、ある日こっちの目が覚めるような気分にさせられる人が好きなのよ。最初に感性に凄い衝撃を受けて、何か思い込まされて、でもある一定の思考を経ると、時間経過に伴って第二波が来るような。サビが二箇所ある歌みたいなものなのよ。
しかも男女関係無いっぽい。選民意識に凝り固まって上から人を見下すような人を見ると、こー…たまらない気持ちになって、何かをかき立てられたりする。選民意識も差別意識も人には普通あるものなのよ。それがマナーをつくり、ルールを守らせ、善悪を規定する。例えば、人の煩くいう上昇志向というものは階層化を肯定する価値観を土台にしてしかありえないように思う。いまいち好きでは無いんだけどね。つまり私はそのように向上を志向し、進歩を是とし、高みへ向かう事をよしとするような価値観や判断を蔑視する意識を有し、つまり潜在的にはその寄って経つ階層化を肯定しているわけよ。この根っこのところに隠されていて普段意識上に登らない、優秀で美しく努力家で高い社会的地位を獲得した強者に対する反射的に全否定するほどのねじくれた強烈な好意が「好みのタイプ」に赤裸々に反映されている気がする。 頭に来て見下しながら恋焦がれて愛しているのよ。高飛車で偉そうで傲慢で自信過剰で不遜で、しかもそれを恥じたりしないようなのを。 好きなので恥ずかしくて近づけません。常に二次元と三次元という聳え立つ壁、電柱の影から覗き見。 初々しいだろう。
ともかくも、 でも対立する価値観がクロスオーバーしていく時があるというか、来るでしょう。自明であったはずの基盤が壊れ、積み上げてきたものが一気に瓦解していく。そこで混沌の中に新しい秩序が新たに要求される。そんなアウフヘーベンの予感がするの。 だから彼及び彼女は青少年向けの作品において己自身の特性を変質させられることなく、それ自身である事を破壊される事なく必ず勝ってしまう主人公であってはならない。彼及び彼女は己の矛盾を引き出して顕にする対立する何者かと対峙し、それによって自己を知覚し、その他者をたたき伏せ排除する事ができない事によって、否応無くアンウントフュールジッヒの第三段階に至る事になるのだ。
何を言いたいかというと、つまり私は昔から延々とツンデレのライバル萌え。 リバカプ表記で名前をサンドイッチしたりするのに似せるならば、ツンデレツンがいいと思います。止揚の動的瞬間においてのみデレるべし。前段階において否定されたものは高次統一段階においても保存されていなければならない。ツン→デレで終了し、死の如く安定してしまうのではなく、ロンドの如く繰り返され躍動していて欲しいのよ。 つまり言いたい事は、慣れ果てようとも常に初々しくあれ。
総論としては、私はまだやっているのであった。
だってよく考えて御覧なさいよ。 ここでこう言わずに、そこでそう言う。 どうしておまえはそう、そうなんだ!? 思い出しただけで身悶えします。そうとなるからには私にそのような心持ちを与えたものには私の百倍は身悶えてもらわねばなりません。
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