非日記
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2009年03月29日(日) 自分と語り合いたいのよ。

萌えて。

ちょこっとだけど写ってる所為で、また中古屋でDVD買ってしまいました。単発でバラけてポコっと途中途中だけ持っててどうするのと思うが、だって。デッキ入れてビデオの方が求めてる場所を出しやすいんだけど(「そこしか見ない」みたいな見方をするので)、一時停止とかはしやすいんだ。三次元TVとか開発されて、画面を回したり後ろにまわれたりしないだろうか?

ついでにフェイト(ステイ無いと)のサントラもあったので買ってみました。探してた時は生産中止の上、その辺の中古店にも全然無かった。これ、ゲームした事無くてアニメも最後の方しか見てないんだけど、音楽がすごくよかったので探していたのです。相当良かった。中古屋行って、タイトル枠だけあって欠品してても「あー、でもかなりいいもんね」と仕方ない気分だった。
オタクながら、最近はゲームもアニメもマンガも殆ど見てないが、でも音楽だけはいまだに普通のドラマや映画や流行歌なんかよりアニメやゲームの方が好きだったりしますよ。使い方じゃなくて、純粋に音楽だけ聞いた時に「あ、いいなこれ」と思う割合が高い気がする。
おおもとを真面目にやった事も見た事もないけど、ひぐらし〜(言うまでも無い有名どころ。現代社会での若者の生態分析的社会学系の小論とかオタク文化評論系とかで必ず出てくる)とか、得るふぃンなんとかー(触手系の美少女が人を殺しまくるエロっぽい漫画らしい。バラバラ大量虐殺多し。聞くところによればその筋では超有名作品らしい)とか、のわーる(ほぼ無感動に人を殺しまくる雰囲気百合っぽい深夜枠美少女アニメ。絵柄がプレーンで癖がなく見やすいが、男がほんっとに雑魚でしか出てこない気がする)とかイイと思います。私好みの音楽です。しかし殺伐としててかわいそうな感じなんで見ません。さりげに最終回だけチェックしてたりする外道ぶりはいつもどおりです。私は最初と最後だけチェックして、好きそうな人が見あたらなかったら見ないのです。好きな人がいたら、朝も昼も夜もなく一コマを眺めて気がつくと半年や一年過ぎてしまう私は、常に忙しいのです。好きだかなんだかまだわからん対象に割いてる時間など残念ながらそうはありません。

いや、美少女系とか、恋愛面が際立つ作品で好きな男ってあんまいないのよ、私は。昔から元々「恋愛より大事なものがある」系の男が好きなのよ。愛とは、お互いに見つめあう事ではなく、二人で同じ方向を見つめる事…とか誰か言ってました。最初と最後がそんな感じが好きなので、女性向けえろ入りCDのえろシーンで、攻男が愛を語るのがうざくて仕方ありません。むしろおまえは黙ってろと思います。おまえの語りが邪魔で喘ぎ声が聞こえねえだろ。私は言語が聞こえると意味を取ろうとしちゃって気が散るんだよ!

つまりそんなCDを中古で漁ってみました。好きな小説のドラマCDとかは買った事があっても、そっち系に手を出したのは生まれて初めてです。好きキャラの声をしてる人が受けのやつばっかり探しまくりました。検索かけて全部メモって中古屋を五件はしごしました。ネット素晴らしい。なんという便利さよ。なんで通販で探さないのかと言うと、厳密に言えば、だって声は同じ人があててるが件の好きキャラというわけではないので「そこまでやるか?」という己のツッコミがあったからです。「そこにあったからだ」なら言い訳が立ったのよ。じゃあなんで五件も回ってるのかっていうと、それはサイクリングです。たまには運動するべきだと思ったのであって、「無かったら諦める」という己との約束のために、「無いなあ。やっぱりそう上手くはいかないわね」「いいや、まだわからないわよ!」と必死になったわけじゃありません。
一般的でないので需要が少ない所為か、新しくない所為か知らんが割と安くなっててラッキーだった。だって演技達者なのか(声優さん詳しくない)、キャラの雰囲気によって声の雰囲気が割と違うのでイイ感じにあたるの苦労しました。しかし「ああこの普通に喋ってるときの声最高!」と思います。「よし、その声で喘げ!」と思っても、攻めキャラが喋り捲るのが申し訳ないが邪魔で仕方ありません。もうちょっと落ち着けばちゃんと物語も聞ける……かもしれないんだけど、どうかな。元々恋愛系は耳を塞いで「ギャー!やめてー!」って感じだからな。好きな人の声だからと頑張りましたが、脂汗かきました。あんじぇりーくとかの悪夢が蘇ります。五文字とか三文字、あと恥ずかしい科白をべらべらしないでください。私はえげつなく生臭い話は平気で、直接ワードも簡単に口に出せますが(人が嫌がるので気をつけてる)、美しく麗しい心の清らかな科白は羞恥に悶えます。でも生臭くえげつなくリアリティ溢るる暗い話は、何が面白いのかわからないところもある。現実を虚構で覆うくせに、虚構の中に現実を込める心意気がいまいちよくわかりません。リアルが欲しいなら、そこに幾らでもあるではないかとつい思ってしまいます。なんていうの、ボランティアに一生懸命になって、でも家庭は崩壊してる、おまえまず力を入れるところが違うんじゃないの、逃避してないでまず己と向かい合えよってなんかそういう感じに似て。

でも二次創作で変なところにリアリティを込めてしまう気持ちはわかります。触りたいんだよ、だから。私なんぞ自分に正直に、特にえろシーンだけ嫌にしつこくなり、五文字とか三文字とかのモノローグは吹き飛んでひたすら具体的になります。男だからとりあえずそれどころじゃないはずだ、って、リアリティがあっていいじゃないのと誤魔化します。

自分で書いてたら祟って、よく告白を忘れてるほどなんだわよ。
告白もしないでどうやってラブくするのか?
大丈夫。原作がラブくみえている。元々萌えてる原作は恋愛物ではないので(というか恋愛関係でないので)、どこでも告白なんぞしてないのですよ。あったりまえじゃないの、そんなの。
ところがさ!!
同人に萌えて萌えて、人の描くもん素晴らしいと公式を読み返していたのです。人が描いて下すって頭の中でそれを読んでいられるので必要ないかと思ったんだけど、通勤時にちょっと脳内スパイス的に捲るのにカバーつけて何気なく開いて久しぶりに読んでいたのです。
公式で「かわいい顔をしてる」とかバッチリ言われてたのも割と衝撃でしたが(注:人がなんて言ってるかとか気にしてなくて、どう描写されてるかだけに注目していたっぽい)、記憶にあったよりもっと、なんかアレだったので驚いた。普段主に顔しか見てなかったのと、ナマを見てるのが恥ずかしくて斜め読みだったので話をよくわかってなかったっぽい。公式でヒロインが好きなのにさ、意外とヒロインを軽くスルーして、一生懸命彼氏(←捏造)を追いかけていました。「自分の事をどう思っているのだろうか?」なんて、そこは好きな女に対して思うところではないのか?なんでめっちゃ気に食わない男を気にして必死に知りたがってるのでしょう。しかも「こいつはあの男と仲がいいから嫌いだ」とかおまえは何をモノローグしてるんだ。アナタちょっとここに座りなさい。少しは我が身を省みなさい。
もう駄目だこいつ触れなば落ちんだよ。
頭の中で熟成してから読んだら色々衝撃的でした。だから私は、ポイントしか拾ってなくて実はちゃんと読めてなかった。だって私、文系じゃないし(すごい言訳)。読解苦手だったし(言うまでも無い言訳)。

書いてて、好きキャラを好きな理由は心の底からわかるんです。だって私が大好きだからね。もはや理由などわからないほど好きだ。どれだけ理由を粗探しして書き連ねてみても、私の好きな気持ちには到底届かず、どんな理由も気持ちに足りない気がします。なんで好きかはわからなくても、いつ好きになったのかはわかってます。目を伏せた時、具体的に言うと末尾35秒地点です。それまでもなんかこのキャラ好きだなー、顔とか性格とかーと思ってたけど、その時になんかドスっと来た。え?今何の話してたっけ?忘れました。全てを放り出して引き摺り倒して、オシャベリはいいから、ちょっと今の顔もう一回やってみてと物凄く真剣に言いたくなって、何かが駆け抜けて足を滑らせた。
だから突然何かを催す気持ちはよくわかってます。それまでは可愛くても我慢できる程度の気持ちだったのが、何を誤ったのか辛抱溜まらん気持ちになるのも我が事のようによくわかります。あの男だってこの顔を見たら落ちるに決まってると思いたいです。でも現実には見えてません。だからあの男はダメなんだ(無茶苦茶。ただのやつあたり)。もうどうして誰も見てないところでばっかそんな顔するの!

ともかくも、だから私の好きなこの人を好きになる理由はどうだっていいんだけど、ただ書いてると何度かふと困ったわけよ。じゃあなんで私の好きなこの人は、この男が好きなのかな?さっぱりわからん。いや、顔はかなり綺麗だなと私も思うよ?姿形もよくて性格も悪く無いと思うけどさ。でも顔だけなら綺麗なのいろいろいるし、大体優しくしてもらってない。どっちかというと虐められているじゃないか。私は好きな相手にはささやかに意地悪をしたくなりますが、意地悪する相手を好きになる気持ちなぞ全くわかりません。意地悪をやり返したくなります。
この人はこの男が好きってのは私の中ではテッパンだったのだが、でもなんでテッパンなのかわからなくて、同じように好きな人の語る事を聞いて、よくわからないけどそうなんだと思ってた(超テキトーすぎ)。でも書くとなると、そうあやふやではいかない部分があるねん。
ギャーギャー怒って騒いでるところばっかり繰り返し見てて(後美しいコマを一時停止)、「あー、嫌い嫌いって言いながら実は割りと好きなんだろうな」とは確信してた。怒ったり怯えてるのがやたら可愛いから、相手はこれねってかなり軽い気持ちだったっていうか。だってもし自分がこの攻めキャラの立ち位置で、こんなされたらかわいくて溜まらん。小突き回して突きまわしたくなる。

で、結構かなり考えた。何故好きなのだろうと。んで、原作で木っ端もわからない、この人がどんな人生を送ってきて、物事をどんな風に見てきたのかとか、少ない基本設定と科白や行動の端々から延々と考えていたら、「この人は全然そう見えないが、実は本質的には意外と暗くて救いようの無い設定なのでは!?」とコペルニクス的転回が起こってみた。私の選択したこの攻男は、選択して険しい道を選んだので、なんか人の目には結構かわいそうな人系っぽかった。でもよく考えてみたら、私の好きなこの人の方は選択の余地すら無いっぽい。そこでそう生きるしかなくて、だのにそこでそう生きていく理由が自分の中には無かったんじゃないかって気がして。全部差し出しながら自分が守っているものがどんなものか知らなくて、一生体感せず知らずに終っていく人なんじゃなかろうか。比較したら、この受け子ちゃんが超気にしている男はそれを知ってるのだな。その者は捨てた者だが、この人ははじめから持たなかった者という事になる。この人がここにいる理由をこの人はもたないが、この男は理由をもって同じ場所にいる事になるわけよ。

そう思ってみたら、なんかイイ感じにぞっとした。
嫌われたら辛くて仕方なくて、軽蔑などされた日にはこの人は生きていけないのではってぐらいの感じがめくるめいてした。ごり押しされたら押し切られたのも、だってこの人は「すべきすべき」でしか判断しようがない人なんだもの!ふらついてもしょうがないじゃん!あたりまえじゃん!無駄に切なくなって、いっそう好きになりました。そう思うようになった今更になって、久しぶりに、てゆうか真面目に素直に地道に読んでどぎゃーんって感じだった。

原作で「自分は相応しいと思うか?」とこの男に聞いてしまうのを見たらえらく限りなく切ない気がしないでもない。なんだ、そのシーン、コメディのはずなのに!
一つ一つ取り上げて全編解説したいぐらいです。

こうなってくると本当にこのちょろちょろ嫌がらせして、答えを濁す相手の男は何を考えているのだろうと、心の底から本当に気になる!
ええ、自分だったらわかりますよ?端々が構ってちゃんな感じでやってきて、だのに踏み留まってるのが目障りで気にさわる。どうして欲しいか口で言え。欲しいものを黙って貰おうなんて態度、私は我慢なりません。こっちにだって欲しいものがある。一方的に搾取しようなんて、私は許しませんよ。欲しいものをくれるならなんでもあげるともよ。今にも勝手にあげそうで困っている。しかし私は勝手にあげても、好きな相手からだけはお返しが欲しくなります。喜んでほしくなります。アンタが勝手にやったんでしょ、当たり前だって態度だったら縊り殺したくなります。これだけ愛してるのにどうして?と、ストーカー気分になります。だから我慢しているのだ。あんまり可愛いので、怒ったり悔しがらせたり泣かせたりしたいです。私の欲しいものはそこにありますとも。そうですとも。それよ。何が欲しいか言いなさい。言わないともっと酷くするわよ?泣くほど冷たくするわよ?私にだけ欲しがらせるなんて泣いても許しませんよ。ええそんな事はしたくない。したくないのです。私は優しくしたいのです。それがいいと言いなさい。はやく言いなさい。
と、こういう切羽詰った気持ちになります。
こっちが欲しいものと相手が欲しがってるものの質が違うのが癪に障って仕方ない。こっちには理由が無い。好きでなければならない理由などこっちには無くて、余計な事を背負うだけで、だのに心動かされるというのに、だのにそちらには得る事に理由があり、得る事で得るものがあるというのか。私の心を利用するな。どうせ擦り切れるだけならば、この手で握り潰した方がマシだ。憎むようになるよりはマシ。私は好きだ。おまえにはわからない。はやくこの人をどうでもよくなって、無償で優しくできるようになりたいものだ。だって好きだから優しくしたいんだもん。でも今のままでは無理。一時の衝動に負けたらとんでもない事になる。てゆうかとんでもない事をする、こっちが。どうしてあげたのにくれないの、くれないなら千切り取ってしまおう、だって私はあげたもの、くれないなら返してもらわなくっちゃ、私があげたものはどこかしら?ねえあなたどこにやったの?その腹の中かしら〜?ってサイコホラーな感じになりそうだ。ここかな?それともここかな?って心の中に手を突っ込んでぐちゃぐちゃ探し回るに違いないよ。どうでもよくなるその日までなんとか誤魔化しぬかねば。ああめっちゃ意地悪したい!べろべろに甘やかしたい!このやろうかわいいな癪に障るー。ちょっと齧るぐらいならよくないだろうか?
と、こういう感じになる。
とりあえず、男性向けで男がおさわりゲームをつくる気持ちがムラムラわかるようになりました。自分の絵では萌えません。誰かにつくって欲しいです。



あ、私、割り算の意味について書こうと思ってたのに。三ヶ月ぐらい前から思ってるんだけど、どうしても辿りつけない。


2009年03月25日(水) 運動不足。

運動不足で筋肉痛三日目です。私の貴重な休みを反故にして、さらに筋肉痛三日目です。だってもう何年も空手で全力疾走なんかしてないのに、いきなり全力疾走だよ。ちょい年配のお姉さんは、
「会社の行事には出席するのが当たり前でしょ!」
なんて言ってました。正直なところ私はそうは思わないけど、問題は起こさずにやっていきたい堅実な小心者なのです。大体そんな価値観を抱いたら、早速にも首を吊って人生を辞めたくなる。しかも地味な嫌がらせにこのお姉さんの家の庭とかで。そういえば私は人間が大嫌いだったな、ちょびっとでも嫌がらせできるなら命など惜しくは無いぜって感じで、と思い出すんですよ。色々言われますが、虐められっ子が苛めっ子の名前を列挙して自殺する気持ちはちょびっとわかる気がします。幸せになるのが最大の復讐だとか云々よく言いますが、私にはよくわかりません。嫌でたまらない苛めっ子が正しく真っ当な人間として堂堂と幅を利かせて幸せに生きていけるような世界で、同じ人間として受け入られて幸せになっていく事が望ましく素晴らしい未来だなどとは思えない、ように思うのだが?己が憎んだものと「同じ人間」になるぐらいなら、「人でなし」の方がまだマシだ!おまえは人間じゃないとか言われると望むところだ笑いが止まらんわーとか思わんか?私なら思うように思います。
まあだからね、虐められっ子の名前を列挙して死ぬタイプは、人間や人間社会というもの自体には絶望したり憎んでなかったんだなと思うけど。誰かが自分の気持ちを理解して彼らを非難して罰してくれるだろうという人に丸ごと任せる気持ちがあるわけだし。私ならそんなに他人を信用したりできません。仮に良心の呵責を得るようなのが混じっていて凄くへこんだりしても、そのうち「あの子がおかしかったんだよ」と優しい周囲に慰められて段々持ち直して元気になって末は平凡に幸せになったりするんだよ。下手したら深みのある人間とかになって、人間的な魅力が増していったりするぞ。なんか奥の深い純文小説みたいな充実した人生を送りそうだ。おーのー、想像しただけで余計腹が立つわ!やるなら己で直手で報復する方がまだしも確実でマシだろうと断固として思う。

社会との摩擦を最少にする為に「その方が好ましいのではあろうな」とは思うが、自分との摩擦を最少にする為に「そうすべきしょ!」等とは頭が転んでも立腹したくありませんお年頃です。圧力を加えられた途端に全力で抵抗したくなるのが人の心ってもんだろう。
基本的にそういうシステムなのよ。「それが当然でしょ!」とか「どうしてそうできないの!」と言われた途端に命がけで激しい抵抗を試みそうになってしまうのだが、「あなたの好きにしていいのよ」と言われた途端、ナチュラルに「おまえの好きにしても別にいいけど?」気分になるんだよ、あたしは。心の罵詈雑言を全力で吐き出せてたこ殴りに出来たら「フー!(すっきり)じゃ、アンタの言うようにしようか!」となるんだよ、あたしは。「そこまで言うならわかった」と言われると「なんだと!そんな生やさしい気持ちで、当たり前のようにこの私に指図をしたのか!?自分は間違っていると嘆き苦しみながら泣きながらそれでもお願いしますと土下座してみせろ!」と逆切れしそうになるんだよ。しかしながら私は簡単に土下座できるタイプなので、土下座や号泣程度では意外と感動しません。土下座しろとか靴を舐めろと言われたらそんな簡単な事でいいのか、なんて安いやつだと思います。「相手が凄くやりたくない事を、それでもやった。己を曲げてまで望んだ」という点に、「では私の支払う事になる我慢など、おまえが今払った犠牲に比べればまだ安すぎるようなものだ。私もおまえが支払った対価に見合うものを提示すべきであろう。いいだろう。私は契約を遵守する。おまえの支払ったもの、失ったもの、けして無駄にはさせない」と反応するのであってですね。

しかし己に忠実に素直になると人を惑乱するだけの上に、問題を多発して生きづらいので我慢します。こういうのを戦略と言うのだよ、戦略と。思うことの一割も口には出しません。それで常時ストレス過多。この筋肉痛と肉体疲労は、そうして得た名誉の負傷です。


ところで初めて一線を越えず清らかなまま終る話に到達しました。
……すごい欲求不満だ!
えー、なんだよ、コレで終わる?冗談じゃないよ!
自分にブーイングです。

私は自分で書いていたら、一向に話が終らんのです。ここでエンドと美しく纏めることができかねます。単に動いて喋らせたいだけでプロットとか展望とか無いからってのもある。
「人生は続くのだ!」
と思ってしまい、全然駄目なのです。人の片思い話を読むとキュンキュンするので、「私もすごーく切ない話を書くぞ!それで私は切ない系でSSで読みきりは欲求不満になるからハッピーエンドにする!」と意気込んで書いてみましたが、ちゃんとハッピーエンドにするつもりだったにも関わらず途端にかわいそうになり、己が耐えられなくなりました。珍しく考えたのに、さよなら、プロットみたいなものよ。短い命だった。後四回はかわいそうな目にあわせる予定だったが、「もういいじゃないの!やめてよ!」気分になった。こんな好きなものを好きなように書こうって時ぐらい限りなく自分に正直でありたいと私は思います。
いつか幸せになれるとか私は好かないのです。いつかっていつだよとモロに思います。馬の鼻面に人参下げて走らせるようなマネをしやがってもうめっちゃ腹立ちます。いつかなんて言ってみんな「どうして?」ってビックリした顔をして死んでいったんだ!とか無駄に悲観的でシリアスになります。いつかじゃ駄目なんだよ!今じゃないと間に合わないんだよ!もうメッチャ焦ります。

人は何故こう巧みに自制心をもって書き進められるのでしょうか。私は作品としての完成度などどうでもいいと即座に思います。エロシーンに到達した途端に話の展開などどうでもよくなります。次はいつエロに持ち込めるんだとかそんな事しか考えられなくなっており、美しくエンディングにスライディングする事ができなくなっています。

寝たら朝が来てしまう。飯を食ったら、次は食器を洗うんだ。夏が終れば秋が来る。もう全然終りません。いつどう終ればいいんだ。終るならいつだっていきなり終われます。突然隕石が降ってきて終わったりできます。人生はそういうものだ……、なんで人生に拘ってるんだ。若かりし頃にオリジナルで一度死にネタを書いた事がありますが、だのに終らなかったので無理に宇宙を破壊しました。だって生きてる人間の人生はそれでも続くのだよ!と、一向に終らなかったからです。宇宙を破壊したのに、つい宇宙消滅後の世界を書いてしまったのが痛恨事だ。
おおなんでもかんでもダラダラ続きを考えてしまうんだよう。次から次に考えてしまうんだよ。

こー、よどむことなく時は流れていくのだーってのが物凄く根っこにあるような気がする。どんな痛みも哀しみも苦しみも喜びも楽しみもおかまいなしに、必ず時は流れ去っていくのだ!などと凄く物凄く思っているっぽい。根っこに頑丈に根を張っているっぽい。これが「今でなければ駄目なんだ!間に合わなくなるんだ!」という焦燥感を、まあ間に合わなくても、死なない限りは続いてしまうし、死んだら焦る事もなくなるしな、と強引に中和している。だから「死ぬかも!」という気分になると、いきなりふっと安心するんだよ私は。どうにかしたくても絶対にどうにもできないところへいく。権利を失うという事は義務も喪失するという事だ。そうか、もういいのかって気分になるわけよ。
だからいきなり途中で筆を置きたくなるのかもしれん。終らせたらはじめてしまう。はじめてしまったら変えてしまう。時間よ止まれ気分になる。でも時間が止まるのは好かない。死んだみたいだ。でも死んでない。生き返れ。それで複雑な心境により、新しいのを書き始めるんだな。

きっと明日あたり、清らかに終らせた事に我慢できなくなって、エロに持ち込むために鋭意努力してると思われる。


2009年03月16日(月) ちょっと叫んどく。

おおお、すっげー!!!
かわいいいいいいいー!!!



心不全起こすかと思った!
生まれて初めて遠足に行く前の幼稚園児になれた気がする!
私はもう明日から何を心の支えに生きていけばいいのかわからない。今まで何を楽しみにどうやって生きていたのだろう。不思議でならない。たぶん呼吸して飯食って排泄する基本を押さえながら、継続は力なりで地道に生きてきた。試験の最終日とか「傷害事件を起こしたら試験受けなくて良い…とか愚かしい事が何度も何度も頭を過ぎったのに、家出したり逃走したり行方不明にもなったりせず最後まで試験を受けきった。さっぱりわからなくても鉛筆転がして寝たフリなどせず、考えるだけ考えて時間いっぱいまで座ってた!誰にわからなくても、心の葛藤の全てをつぶさに見てきた私にはわかっている。今日まですごく良く頑張ったわ!私って偉い!」と己で己を褒めまくり、チ○ルチョコを一個買って己を労わるとか、そういう超ちっちゃい事を支えに生きてきた。

はやく寝るぞ!と頑張ったのに、横になったら鼓動で体が揺れて煩かった。あまりに揺れて船にでも乗ってるかのようで安定感が無いので、手首で脈を測ったりしていた。心臓が不安定に妙な風に鼓動するので、私はこのまま不整脈で死ぬかと思ったよ。先祖代々心臓と脳が弱いので(親父さんも此間心臓に不審な行動が見られると言われて検査入院し、「僕はもう死ぬかもしれん…生きて退院できないかもしれない(←『検査』入院だのに!)」みたいな心の葛藤がモロに透けて見える不審な電話をしてきたぐらい、よく心臓と脳で急死する)、こんな待ちに待ってるのについに目覚める事は無く朝が来たら冷たくなってるとか!?どうしよう!ごろごろしながら超考えた!

ああ、後一歩で届かずこのまま死ぬのか…!だが案外それもいいかも…!
でも寝たけどネ。そこらへんは自分だから。


はー…
もー…
人が描いてるって素晴らしい…!


私「後は生きて帰るだけなんだけど…。飛行機が落ちたり公共交通機関が事故ったりしないかしら?超心配だわ!」
人「落ちないって!」
私「でも今まで墜落した飛行機に乗ってた人だって、まさか自分が乗ってるやつが落ちるなんて少しも思ってなかったに違いないのよ。だから落ちるかもしれないわ」
人「最近A○Aツイてるしね。いや、ついてるって言うか逆の」
私「うん、そうなの。ついてるのよ、土が。もし墜落しそうになったら、残された時間で遺書とか書こうとしなきゃいけないと思うのよ。今までありがとうとかなんとかさ!なんか感動的なやつ!でも今だったら残された時間で読むしかない気がするんだよ!やばい感じになってきてせめて十分ぐらいあれば要所ぐらいは充分に読めるんじゃないかと思うだろ!ばーっと流してでも!」
人「まあそれは、その為に乗ったんだしねー」
私「そうだろ!?そこまでいったら、とにかく意地でも読まなきゃ何しに命を懸けたんだーって感じだろ!?しかしそれは人としてどうかと思うのよ。おまえは最後の最後まで何やってたんだって感じで、人として問題じゃないの!そんな事しちゃならねえ!ここは我慢して、今までありがとう私は幸せでしたとか人の気持ちを考えて…って思うんだけど、でもやっちゃいたいー!」
人「いや、その時は全部燃えちゃって、大方死んでるだろうし何やってたのかなんてわかんないんじゃないの?」
私「そういう時に限って、意外と奇跡的に同人誌だけ燃え残ってたりするんだっ!」

そんな感じで最後までジタバタしてました。


2009年03月12日(木) ついに会場に行きました。

半月ほど前に、コミケに入場するために深夜の神社の境内にお友達と一緒に並んでいたら、お友達が最新式の巻きナプキンというのを使っていて十五分に一回ぐらいトイレに行かねばならず、なのに一体どこらへんが「結構使い勝手がいい」なのか夢の中で悩んだ私です。私も何気にトイレに行きたいんだけど、二人とも列から離れるわけにもいかなくて、ちょっと困って目が覚めた。

昨晩はとうとう入場できました。でもパンフは宝探し地図みたいになっていて難しい数学の問題を幾つも解かねば目当てのサークルの配置がわからず、しかも会場は広大な、なんか東南アジアあたりの夜の市場だか屋台街みたいで、いまだに購入できてません。途中に建っていたえらく近未来的な建物に隠れていてわかりにくい階段があって、その上の会場でもやってるらしいという情報を入手して行ってみたのですが、国際的ななんかの学会のポスター発表中で、なんか違っていました。

こんな右往左往してたら売り切れちゃうかもしれないじゃないの…!
私が欲しいのはあの一冊、あの一冊だけなのに!
こんな海外まで来て!ここまで来て!後一歩なのに手に入らないなんて…!
畜生!なんて役に立たないパンフレットなんだ!
私が欲しいのはこんなジャマイカの雑貨とかフィリピンの民芸品とかインドネシアの工芸品みたいなんじゃないっ!

……という物凄くリアルな焦燥感にさらされ、人生でえらく久しぶりにハラハラしたような感じで、とても辛かったです。欲しいよう!欲しいようッ!手に入るなら銀行強盗だってしたいようっ!銀行強盗しないために頑張ってここにいるのに!どうして!?…て感じにめっちゃつらかったです。
ハラハラが苦手な私は、ハラハラハラハラ…、「どうするの!?どうすればいいの?!はやく!はやく!誰かーッ!」みたいなのがずうっと延々と続くのとてもツライ。とてもとてもツライ。
ああああもおおおお!
身悶えしながら目が覚めた。

どんだけ行きたいんだろうか、私は。
普通に生活できてるつもりでいたが、皮一枚下でやむにやまれぬ思いでいるらしい。実はそうな気がする。


2009年03月03日(火) 桃節句。

とりあえず心の叫びをメモっとく。

彼はバイキ○マンに似てるわ!
今日気がついた!


やぐちまさき |MAIL