非日記
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今年は年末も年始も延々と年をまたいで仕事で、半ば過ぎまで二連休すら無いので、まったく年の瀬の気がしない。とりあえず新聞で発見した同職種でボーナスがンヶ月分ついたという記事を上司にお見舞いし、「他所よりマシな方だ」等という雲の上の方からのお言葉はどこからひり出したのか、まさかただ今地獄の様相を呈している製造業とかと比べているのかとツッコミ入れてみる。 「私だってがんばっています!統括にも会長にも直訴しています!」 ああ、あなたも大した権力も無い中間管理職だのに、家に帰っても待機状態といういずこの幹部さんですかみたいな給金に見合わぬ義務と責任ぶりで、「しかしここで放り出したら顧客はどうなる!」という人としての善意をアテにしていいようにこき使われ、悲惨極まりないですね……と慰めてみたよ。
ご苦労さんと労わられ、人人にジュースとか菓子とか奢ってもらった。この人の心のなにげない優しさが私の攻撃力と加虐性を抑圧するのだ。私の子供の頃の夢を言おうか。周囲の人間が一人残らず私を苛め抜いてくれさえすれば、気持ちよく虐殺できるのにぃ、なんだって皆中途半端に善良なのだろうか……と、すごく鬱だったものだ。今は生きる事にしたので割り切ってるのだが、しかし今だに嫌な感じの人に会って、意地悪な事をされたり言われると微妙にときめいてしまう。もしかしてこの人は私の理性と感情の鎖を切ってくれる人では無いか……と、つい。だのに愚かな私は嫌なヤツの良い所とか可愛い所を無駄に見つけて、「ああダメ!やめて!」と思いながらもついホワワンと和んでしまうのだった。ある意味虐め抜かれている気分だ。
ちなみに年賀状だが、買ってはある。 今牛について考えている。「丑」って漢字を書いて終ろうかと思ったんだが、そんな事したら呪いの手紙っぽい。丑の刻参りとかを連想するよ。
あたくしは罪を犯してしまったかもしれません。犯罪を見逃してしまったのかも。しかしあたくしは警察官では無いので、目の前で…、というか目の横で犯罪が行われたときにどうしたらよいかとか言われても良くわかりません。うっかりまた携帯を持っていなかったので(あんなに県警に携帯はちゃんと携帯しろ!電源切るなって怒られたのに!)、通報しようもなかったしさ!
何やったかと言うと、あたくしを轢いた交通事故の犯人を見逃した?
確か免許取った時に、「たとえ相手が大丈夫だ構わないと言っても、そのままにすんな!相手も動揺してるので、後になったら被害が発覚したりして余計面倒になる」と教官が言ってたのよ。昔、チャリで走っててこけた時、車道の車が皆止まって、「オレか!?」「オレが引っ掛けたのか!?」「本当の事を言ってくれ!」とバタバタとドアが開いて出てきた事があるね。その時の私は思いっきり一人で転んでたので、「違います!私が自分でここでこのようにしてですね(略)」と羞恥プレイの如く恥ずかしかったのだが、あの時は「よかった!あたしは一人で転んでた!」と自信を持って安心したものよ。あの時はよかった。 だが今回は違う。 何か事あらんとすれば、反射神経ですかさず自分の責められそうな過失点を高速点検して対抗策と言い訳を練ってしまう悪い子脳なので、急いで一生懸命考えてみたのだが、完全に青信号でチャリでのろのろ横断歩道を渡ってて、左折してきた車にドンとやられて自転車から飛ばされて「ああーん」と地面に倒れた場合、やっぱり私は自動車に轢かれた事になるのではなかろうか?そりゃ本で読んだりとかテレビで見たりとかした事はあるけどさ!自動車に引かれた経験なんて無くて!「も、もしかして轢かれた?轢かれた?」と動揺してみた。 自動車に轢かれた事が無いので、「どどど、どうしたらいいのかしら?」とスーパー動揺しながら、とりあえず飛ばされた自転車と荷物を拾って歩いてみる。 「じ、事故現場って保存しなきゃいけないのかしら?アタシったら犯罪の隠蔽中?でもだってここは車道なのよ!?通行の邪魔になるじゃないの!」 己のやる事でさらにパニックに。これで相手が超悪い人でいきなり脅されたりとかしたら幾ら私だって「私ったら、悪い事をされたんだわ!これは敵なのね!?」とわかるのだが、とりあえず何したらいいかわからなくてのろのろ動いてるところに車からひょこひょこ出てきたのは私と同じくらい動揺してるヨボヨボの爺さん(ざっと七十代ぐらい)だったのだ。
なぜか爺さんはエヘエヘ笑っていた。
ああ、爺さんったら反省も後悔も自己弁護もままならないほど超動揺してるわ!あたし達一緒ね!いや、私は既に自己を弁護しきって己に過失の薄い証明に成功したけどね!(でもちょっと「運転手の顔を見てなかったので心が読めなかった」という前方不注意ならぬ、人方不注意というミスが無きにしもあらずのような気がしないでもないというか。なんかおサツに行ったら「相手が爺さんだと確認して、己の方で先に止まって先に行かせてやるべきだった」と言われてしまいそうな…。ああどうして私は轢かれてしまったりなどしたんだ!どうしてかわせなかったのかしら!)どうしましょう!誰か助けて!爺さんと私は十秒ほど仲良くおろおろした。 私の理性は「これは十中八九ぐらいは交通事故だろう。大怪我をしたわけではない気がするが、一応通報とかせにゃならんのではないか?」と言い、しかし私の本能が「せっかくの休日なのに?えー、超最悪!おサツ嫌いやねん。色々五月蝿いんだもん。アタイ、家に帰って好きなだけゴロゴロ寝たいんだけど?」と言い、しかし私の理性が「だが咄嗟の判断をミスり、横断歩道前で通行人がいるのに気づかず一時停止をしないほど、爺さんの運転技術と判断能力は既に危険域だと証明してしまったのだぞ。ここでほったらかしたら爺さんは次は人を殺すかもしれんではないか!おまえはジジイを殺人者にする気か!?」と言い、ところが私の感情が「やめて!もう爺さんを責めないで!もう超動揺してて、彼はすごいショックなのよ!今の彼には安心が必要なの!超ドキドキしてるんだから、自分はもう運転したらヤバイんじゃないかって自分で思って心配と恐怖のあまり免許返上するわよ!」と言うし、だが理性が「おまえは人の心がわかっとらん!恐怖のあまり『いや大した事は無かった。全然なんの問題も無い。わしは全くもって大丈夫だ』と自分をだましてしまうかもしれないだろうが!」
外部監視塔「あなた達争いはお止めなさい!爺さんは車に乗り込んで、とりあえず立ち去るつもりよ!?どうするの!指示を!」 A「長い目で見て考えろ!今ほっといたって、爺さんは落ち着いてきたら後から思い出してどうしようどうしようと一人思い悩むかもしれんだろ!なら今さっさとケリをつけるべきなんだ!ちゃんと謝罪した、きちんと事故処理をしたという事実が彼の心を支えるのだ!」 B「そんな事言ったって!じゃあなんて言うのよ!?あのすみませんが、今あなた私を轢きませんでしたか、なんて言うわけ?それでどうするのよ!爺さんの車はボンネットもへこんでないし、ぱっと見、大丈夫よ!わかりゃしないわよ!」 外部監視塔「ちょっと!行っちゃうわよ!?」 A「チィ、しょうがねえ!おまえと争っても時間の無駄だ!とりあえず車のナンバーを控えて判断は後に」 B「てめー!ジジイに何する気だぁ!今逃げ帰って家でドキドキ反省してるところに、警察の者ですが…とか来てみろ!ジジイは心臓発作で死んじまうわ!見逃すなら潔く見逃せ!ナンバーを見たら殺す!」 A「このやろう邪魔するな!俺は正義を執行する!二度と事故を起こさないように、社会と爺さんのためだ!」 B「私一人説得できず、えらそうな口を叩くんじゃないわよ!おまえなんぞにジジイの何がわかる!今咎めることができないなら、ナンバーを控えるのだけはやめろ。それは爺さんのためではない。私のためだ」 A「神様…爺さんが交通事故を起こしませんように……!その時は私の責任よ」 B「わかってるわ。その時は付き合うわ……」
で、うっかり後ろも見ずに自転車をずりずり引き摺って行ったのだが、どうした事か自転車がひん曲がって車輪が回らない。自転車に乗れない。おい、このまま引き摺って帰るのか?修理に幾らかかるんだ?買った方が安かったりするのだろうか?そこで金が絡んだ途端、内戦復活。
B「……せめて自転車の修理代ぐらい貰ってもよかったかもしれないわね」 A「だから言っただろう!自転車の修理代ぐらい年金でどうとでもなったのだ!」 B「ええい、五月蝿いわね!我が心にこんな事もあろうかと、ナンバーは控えてないのよ!さすが私!惚れ惚れするわ!」 A「なんの解決にもならんわ!チャリどうすんだ!打撲であちこち痛いのに引き摺って帰るのかよ!?」 B「脳は打ってないんだから、オオゴトにはならないわよ!チャリなんて…いや、そりゃ勿体無いけど、物凄く金が惜しいが、しかしだって勇気が無かった上に、怒りが全然足りなかったんだから、仕方ないじゃないの!」 A「勇気が湧き出なかったのは、爺さんがハートに火をつけてくれなかった所為だ。怒りさえできれば、こんな延々とガタガタ話し合った上に調停役が出てこないなんて事は無かったんだ。あんなしょぼしょぼした相手では私が弱い者イジメしてるみたいじゃないか?ジジイがもっと油ギッシュに偉そうに血管切れそうな、めっちゃ感じの悪い相手でさえあれば…」 B「爺さんの所為にしない約束よ!ケチの根性で悪かったわね!チャリが動きさえすればいいのよ!」 A「だが車にボコっとやられたんだぞ?もう駄目じゃないのか、これ。前輪が全然回らん。どこがどう歪んだのかわからんが、…ここのところで車輪が当たってる。どこから曲がってるかはわからんが、擦れて引っかかって、それで回転できないようだ」 B「ジジイは物凄いスピードで突っ込んできたわけじゃないわ。それならこんな見逃すか見逃さざるか…なんてハムレットみたいに悩んでないわ。今頃気持ちよく、なんの悩みも苦しみもない世界に旅立ってたわよ。ちゃんと減速してたし、皮膚感覚だが止まろうとしてた。判断の遅れと、踏み込む運動に達する神経がノロマになってるのよ」 A「なあ、やっぱり爺さんにはそろそろ運転はやめた方がって…」 B「もう遅いわよ。逃げちゃったもん。こんなもの……、こうしたらどうかしら?」 A「あら、ちょっとそんな事するの?酷い目にあったチャーリーに酷い事はちょっと。死体を鞭打つようなまねは…」 B「いいのよ。チャーリーは人間じゃない上に人型じゃないの。ならオッケーよ。生きてる人間をバラすんじゃないもの。死んでる人間をバラすようなものよ」 A「それも犯罪だ。それに私的には死んでる人間だって超絶痛そうだわ。痛そうなのに痛いって言えないなんて、もっと痛そう!」 B「アンタは認知が歪んでるんじゃないの。ご主人様の言う事を聞くの!さあ目覚めるのよ!」 A「や、優しくしてあげて…!きゃ!」 B「おらよっ!」
地面に寝かせてガツンと蹴ってみた。
A「お?おお、回る!回るわ!やった直った!息を吹き返したわ!」 B「どうよ!これで全て問題ないわね!私は天才だ!後は一週間ほどの打撲痛を乗り越えるだけよ。何もなくともよく転んだりぶつかったりする私には、ままある事だわ。事故は無かった」 A「もはや共犯者の域だわ…。世の中では惨い交通事故がいっぱいあってるというのに、私のやる事ときたら、隠蔽工作に加担しまくってる。もう駄目だ、世間様に顔向けできないわ」 B「そうとも。だからグダグダ言うな。人事を尽くして天命を待つ。我等にできる事は、もはや天に祈る事のみだ。爺さんが交通事故を起こして業務上過失致死罪とかに問われぬ事を!」 A「その使い方おかしい。人事を尽くすんだったら、やっぱ通報したほうが…」 B「さあさあ、終わり終わり!はやく家帰って寝ようぜー。今日はちょっと交通事故されるというショックな事があったから、アタシ美味しいものが食べたいナー」 A「自分だけよければいいってのはどうなんだろうか…、そうした考え方は世の中にとって…、ひいては結局己にとって…」 B「から揚げよくね?」 A「から揚げは店と日によってあたりはずれがある…、なあ、こんな事してさ、例えばもし自分が同じような事をやった時に、でも何考えてんだとか何処見てんだとかものすごーく責められて、その時にはこんな時の事を思い出すのよ。それで、ああ私はきっと間違っていたんだ、ちゃんとこんな風にしなきゃいけなかったんだ、だからこんな目にあってるんだわと二十倍ぐらいへこんで思うか、どうしてなのかしら、私には責められないのにどうしてこの人はこう平気の平左で一方的に罵れるのかしらって、きっとえも言われぬ理不尽な気持ちになって、うっかりすると逆恨みするのよ。繁華街を刃物を持って練り歩いてしまうかもしれない。キの字の所業じゃないの。ああ憂鬱だわ…」 B「まあそう気を落とすなよ。チョコレートも買ってあげるわ!」 A「おまえの真剣みの足りなさが問題だ。しかも私の金だ」 B「アタシの金だわよ。何言ってるの」 A「規則を尊重して責任感を持って業務を行っているわ。私が稼いだ金だ」 B「感情労働とチームワークを重視し、妙な感じのよさだけを売りに人間性を買ってもらってるのよ。八割、アタシが稼いだ金だわね」 A「あんたのいい加減さは絶対に間違っているわ。異なる人と人とが共に生きる上では、規則や決まりを守る事はどうしても必要なのよ。ルールはルールのためにあるのではない。心のためにあるの!だからこそ尊重し遵守しなければならないし、重要なのよ!」 B「人の心がわからぬやつがどう言っても同じよ。己を弁護するために理屈を捏造したとしか思えないわ。あなたには人の心がわかっていないのよ。人間らしい温かい心が無いから、そういう事を言えるのよ」 A「それはおまえの言葉ではない。世間と社会と家族と外部の圧力に負けて、言われるがまま鵜呑みにし、己を規定し、自ら考える事もせず逃げて従属し隷属しただけじゃないの!俺は一人だって戦えたんだ!」 B「私は負けたんじゃないの。わかっただけよ。あなたは正しかったかもしれない。だがそれだけだった。他人に隷属?それはあなたの話でしょう?端から他人の作ったルールを重視して自分で考えもしないじゃないの。アタシは違うわ。アタシには人の言う心があるもの!あなたには無いけどね!」 A「私は人間だ!真の心がある!言われるがままあるようなフリを演じるおまえと一緒にするな!私にはある!あるがゆえに、あるが如く演じる必要など無い!おまえは演じるしかないがな!」 B「なぁんですって!?チョコレート買わないわよ!?」 A「買うわよ!」
一つの人格として複雑に責任転嫁しあい、いがみ合いながら絡み合う二人は、近親憎悪かどうしても仲良くなれないのだった。とりあえず社会に土下座する。
もうすぐ正月だな! 今年こそは年賀状をと思い、秋から売り出されたばかりの店頭に並んだ年賀状や郵便局の広告を見ては、元旦に私の年賀状が人様のところに届いてる幻覚を見て「すばらしいわ、私!どうよ!バカにしてるんじゃないわ、やればできるじゃないのよ、私にだって!元旦に届くなんて完璧じゃないの!なんたって投函したのは十月ですからね!」的を夢を見てアハーンと勝利に酔っているのだが、どうした事か白昼夢だけ見ててまだ買ってもいないのが現実だ。マズイ匂いがするね。
大体丑年というのがイマイチなのかも。萌えないねん。私は戌年とか鼠年とかかわいい系の年が好きなのよ。牛もカワイイのかも知れんけど、蟹をスタイリッシュにかっこよく描けといわれるぐらいの困難さを感じる。ハムとか書いて終ろうかしらと今思った。 しかし今日、路上で牛柄のパーカーを羽織った少女がチャリに乗っていたが、その牛柄パーカーはちょっと可愛かった。その昔、の話になるが、学校で自己紹介があった時に大都会(その頃の私の脳内イメージでは関東の全地域が大都会で関西の全地域が歴史保護区だった)からの女学生が、化粧をバッチリしてなんか垢抜けた格好でヒールをカツカツ鳴らしながら壇上に立った時、極自然に「都会スゲー」と思ったのだが、寮内を闊歩する着ぐるみっぽい牛柄がどうやら同じ人間だと気がついた時、「…あれはどういう女なんだろう?」という気持ちになった事を思い出した。私はダルメシアン柄はあまり好きじゃないのだが、牛柄は結構かわいいと思う。豹柄もそうだが斑点が小さいとエグイよね。そのエグさがえげつなくていいんだが。でもああいうの着てカッコイイ人ってなかなかいない気がするね。
パジャマの事で思い出したが、とうとう最低気温がマイナスになり始めた。風呂が壊れたのが早くてよかった。今頃壊れられていては、数日水風呂で乗り切ろうなんて気力は湧かなかったかもしれない。湧かなくてもやったかもしれないが、「ウヒャー!さみー!アハハハー」という楽しさはなかったかもしれないな。それもこれも石油の値上がりで銭湯が全滅したからだとブリブリ腹を立てていたかもしれない。銭湯のオヤジが「もう限界です」と泣き言を言ってるのを職場のテレビでみたからな。この地方地域の銭湯が全滅したのはたぶん石油の値上がりの前からなんだけど。私が学生の頃からポツポツなくなりよった。原油は、先頃なんか急落してたよな。で、減産するとかなんとか。私は新聞を毎日読まず、時々読み(しかも新聞社バラバラとか)、しかも日付が前後してバラバラだったりするので、情報は常にあやしいものなんだけど。 価格の調整はできても、永遠の採掘は無理だから、どのみちいい機会だと思って色々真面目に考えた方がいいんじゃないのって感じもしたけど。それこそ今の時勢では、激烈貧乏人が爆発的に増え、今現在は団塊世代の親になんとか援助してもらってやっていけてるのが親が介護状態になり資産を食い潰してどうにもならなくなった末とか、その子供達とかが貧乏すぎる状態になった時に、普通に働いていたら暮らせません状態で日雇い労働レベルの賃金生活になった時、その集団がある程度まとまってできあがって、尚且つ地域格差ができて貧乏人は貧乏地域で暮らすように追い込まれた時、上下水道共有風呂無しの激安アパートとかバンバンできて、その為に大量の人間に銭湯が必要になったりしたら、薄利多売的銭湯は復活するかもしれないなと思ったりする。
そういえば私はこのトシになって、生まれて初めて己で予約して歯医者に行ってみた。虫歯になった記憶が無くて、「もしかして虫歯?」とときめいてみた。しかし、そうでなければいいのだが、そうもいかないだろうな…と思ったやはり知覚過敏だった。「おぬしはやがて物を噛めなくなるであろ〜う☆美味しいものは食べられなくなるであろ〜う☆」という呪いを受けていたのだ。呪いというより予言?……いや、あれは呪詛に違いないよ。 「なんでそんな事になるの!××さんの所為じゃないの!」 とママンは言ったが、そういう昔の話を掘り起こすな。今更だろう。私は過ぎた事をぐだぐだ言いたくない。まあ色々あって「人生の最後の最期まで残る喜び、どん底まで行っても残る喜びは睡眠と飯と排泄だ!この三つは最重要だ!この三つを疎かにして人類に幸福などありえない!」という確信を持って、「じきに砕けるぞ」等と言われていた私は歯の事は割りと気にしてたのだ。 …実のところ毎食磨いたりしてなくて(職場では磨く。対人職なので気にする)、時々うっかり丸一日ぐらい歯磨きを忘れてたりするので(主に外出時に歯磨きする習性のため。どっちかというと、食べる前に磨く方が多い。定期的にするというより、たまに物凄く歯磨きしたい衝動にかられてする。鏡を見ながらハブラシを駆使して、普通に十分ぐらいやってたりする)、いつ虫歯になってもおかしくない気持ちでいた。 しかし虫歯になった事が無い。そこで虫歯の自覚症状ってどんな感じかわからない。すごーく痛いらしい。腫れたりするらしい。私の虫歯の自覚症状の知識は漫画とみんなの歌のそれだけだ。職場で人に聞きまくって、実際に虫歯の部分はマンガの如く本当に黒くなるらしいという知識を得てみた。しかし禁煙しなくても健康オタクの○型をなめちゃいけない(○型関係ない)。歯周病は不治の病なのであまりなりたくないのだが、虫歯ならなってみたい、皆もなるのに仲間はずれヤダとかいう間違った好奇心があった。間違った好奇心はちょっとあったが、「おまえは食べ物が噛めなくなーるー」の呪いのため、つい「あなた(歯)がいなくなったら、アタシ耐えられない!」一生懸命歯を磨いてしまったのだ。
知覚過敏、かみ合わせに問題ありと言われ、ごまかしごまかし来てたのだが「あー…ついに来てしまったか、この時が」って感じ。「あなたの場合、将来歯周病になって歯が欠損した場合(←老人になっても全くならない人はいないらしい。どう頑張っても少しはなるらしい)、義歯を入れるのは不可能でしょう。歯茎に掛かる負荷が大きすぎます。もう一つの手段もあなたの場合は難しい。残された手段はただ一つ、最終的に全ての歯をインプラントに入れ替える事になる。しかしそれには、かなりの費用がかかるでしょう」と予言され、告知されてみた。その予定高齢でその気力とその費用は無いかもしれないな。技術の進歩とか物価上昇率とか社会情勢とか考えても、格段に安くなってる事は期待できない気がする。 私は半ば、もう高齢者まで間違って生きちゃったら毎日流動食だよ、飴を舐めるのだけが楽しみの毎日だという投げやりな気分だったのだが、処置法を幾つか提示され金額を提示され色々考えてみた。時々もう首取り外してーとか思う、全身の骨格の軋みも原因があらかた顎にある事は推測していたのだ。費用と方法、治療方針を幾つか提示してもらって、銀行残高預金とか定期の満期年とか年収とか親の年齢(←親も結構トシ食ってきたので、突然大病を患うとか突然死ぬとか突然実家に戻らねばならなくなる確率は年々あがっていくのだ)とか考えてみた。……やってる最中に交通事故とか大震災で死ぬかもしれないが、だがなんか、うっかり生き残ってしまうような気もする。だって冷静に考えたらよ、今治療せずに金を抱え込んで使わずに死ぬのと、治療中に使って死ぬのとあまり変わらん気がするだろう。やるか。生きる為の戦いを!なんか盛り上がってきた!
私、ちょっぴり大事を一人勝手に決断して一人こっそりやるのとか昔からなんか大好きやねん。ウキウキする。誰にも言わずに一人旅行して帰ってくるとか、ある日突然引っ越してるとか、ある日突然離職とか、ある日突然就職してるとか、いかに内密に事を運ぶかに燃え、全てが終ってから「実は此間さ」と告白して「えー」ってビックリさせるのが無性に楽しい。好きなのよ。昔から知らんふりして悪い事するのが好きだったろ。「帰ったら作ってやるから危ない事すんな」と言われて「ハイ!」って言っておいて、親が戻ってきそうに無いのをスナイパーのように窓から確認し、速攻で湯を沸かして読める字を拾って内容を推理しながらゼリエ○スを作った五歳の記憶とか楽しくて忘れられん。「制作に○時間、固まるのに約○時間らしい。帰宅までの予想時間は×時間だ。作って、食べて、器具を洗浄し、証拠を隠滅…、×時間もあれば充分に可能だ!」って燃え上がった。「ガキにすらできる事をやっていかないオカンが悪い。おまえがやらないならオレがやるまでよ」とナチュラルに責任転嫁。「絶対に事故や火災を起こすわけにはいかない、それは最大の証拠になる。落ち着いて、冷静に、着実にやるのだ。私は見ていた。全て覚えている。できる。私はやれる!」というあの緊張感と興奮。いつも内緒だ。なんでも内緒でやって、「誰がこんな事したのかしら?」に「さあ…、知らないわ」って『殺人よ、こんにちは』最終回風に締めるのが凄い好きだったんだよ。 それで親の言う事聞けって言われたって子供が聞くわけねえだろ感がある。ボコボコに叱られたって嘘をつくのがさらに巧みになっていくだけだ。 で、日常の決断のスリル。 ちょっと楽しかった。
こう明瞭な正解がある時は、間違っちゃいけないと思うから緊張してダメなんだけど、主に自分にだけ関わる事で、どうしてもいい、どれやってもいい、しなくてもいい、どうすべきかはなんとも言えないという時に、やるかやらざるかみたいなので「私はこの馬に一点掛けだ!やーッ!」って決める時は楽しい。
定期健診にも憧れていて、せっかくなので、歯科衛生士さんにも診てもらった。気になってた事も色々聞いてみる。 「歯磨きは完璧です。後は時々歯科医で歯石をとるようにしたらいいと思います。知識も、とてもよく知ってらっしゃるので特に注意もありません」 えへん無駄知識ー☆ こう暫く歯磨きしないでちょっと時間経ってきたり、歯磨きを丁寧にしなかったりすると、歯の隙間とかなんかフワフワ白いものがつくでしょ。私はあれはなんとなく食べかすのような気分でいて、気持ち悪いから一生懸命磨いていたんだが、衛生士さんが顕微鏡?で見せてくれて、あれは虫歯菌とか歯周病菌とかのコロニーだったのね!虫歯菌って本当にいたんだと実感。あの、みんなの歌とかでガガガ…って工事して歯を破壊してる、昔は比喩だと思ってたよ。形は違うがホントにいたんだな。感動した。あれを現に見ただけで、治療説明が欲しいと要求して医学管理料払った価値がある。いい一日だった。
ところで私は相変わらずです。 いまだにちょこちょこ書いています。楽しいんだもん。一人でこっそりやってるから余計楽しいのかもしれん。こんなん面白いんだろうかとか人の心を気にしないでしょ。私だけが楽しければ充分だからな。原作と微妙な齟齬が出たり、原作に勝手な解釈を盛り込んでも、自分で「これは作者の意図とは絶対違うと思われるが、まあいいか。私が楽しければ!私の心の中だけで展開してるの!原作とは関係ありませんパラレルワールドですから!」とか全然気にしないでスルーでやっていけるしな。人の目に触れると思うと、どうしても原作のあるキャラを拝借してるっていう引け目があるのよな。でもドリームワールドだから!しかも原作でちょびちょびっとしか出てこないもんだから、どうしても話を膨らませるために色々微妙に捏造しなきゃいけなくなる。が、その辺の齟齬も「まあいいか。この人はこの世界ではこういう人なの!他所は他所、うちはうち!」感で突き放せる。 例えばよ、 好きな相手の前に座るのが好きか、横に座るのが好きかとかだって、きっと原作にはちゃんとした設定があるんだろうケド(無いよ、きっと)、でも原作には現れてくれないので勝手に「たぶんこう」とか「こうだったら都合がいい」でやるしか仕方ないじゃない。何が一番好きか、二番は何か、三番目は何か、その幅はどれくらいか、どこまでなら我慢でき、何は我慢できないかとか、事細かくはわからないじゃないの。私はファン白書を睨みつけて考えたんだけど、単にホニャララが好きとか言ったって、それ以外は食べたくないのか、それとも一番好きなだけなのか、たまに食べるのを楽しみにしてるレベルなのかとか色々考えられるんだ。そんな事もわからないのよ。捏造するしかない。インターネットと図書館を駆使して、己が食ったことも無いものに対して熱く語らせる感じ。でもそういう事してるときが一番楽しい。
ちなみに記憶喪失ネタは素晴らしいと思った。だって別れさせたりとかさ、また告白させたりとかできるんだよ?あの時、流れ上やれなかった事、やり残した事を今こそ!と燃える。内省でこうしたらよかったと考えさせたりしてたんだよ。あれを伏線にして展開できる。書いたら書いた分だけ引っ張れる。既に書いた分が全て過去となって、何故こう言うのか、何故こうするのかという伏線になっていく快感がたまらない。さらに、話を進めたいがために書き飛ばしてた分を後から足せるので、何故あの時ああだったのかとか後から辻褄があっていくのが楽しくてたまらない。今書いてるジャンルのは、何故か書けば書くほど面白いほど辻褄があっていくので楽しい。展開のために思考や内省を捻じ曲げる必要が無いのが。いつもはちょっと無理するんだよ。一方からだけの視点ではかけても、もう一方からの視点にした時に自分で納得できる説明にならなくて、今一歩理由が弱いと思わされたんだけど、これはいいね。明らかに誤解させているんだが、逆視点から書いたらそうなるしかないのがナチュラルで。私の中で納得できてるので、説明的なセリフを吐かせる必要が無い。お互いに誤解をして間違った納得をしたまま、どんどん仲良く展開していき、時々ボロが出て大騒ぎになり常に事件が起こる。ああ私はそうなの、人間の付き合いはこうだと思ってるねん。これが楽しいと思ってるのよ。毎回もめて喧嘩させて仲直りさせて、でも内実は理解したつもりで勘違いしあったままの仲直りで、しかし二人とも幸せ。完成度の高いバカップルだ。楽しい。 視点を別にして同じ話を書いたりするじゃろ。すると一方は物凄く悲劇的でシリアスで、もう一方は楽観的でコメディ調だったりするわけよ。全く同じセリフ書いてて全く同じ行動を書いてるんだけど、視点が逆になると受け取りと解釈が違うの。そう、こういう風に私は書きたかった。誤解させるつもりはなくて誤解させていく。すれ違わないように努力するほどすれ違っていく。理由だけがガッチリ噛みあっているのに結果がすれ違う。理由はてんで逆の方向を向いてるのに結果だけ偶然に噛みあう。言葉を尽くして語り合っても、重点的に聞いてる部分が違う。同じ言葉を聞いて、聞き落とす部分がある。言われて思い出せない事がある。でも正面切って対決しなければだめなの。自分の要求を表現しなければならない。理解を求めなければならない。自分の理解を求めるだけじゃなくて、相手の心情を汲み、理解しようと努めなければならない。「わかった!相手はこう思ったんだ!」という喜びがあるの。でもそれも間違ってたりするの。 妙味だ。楽しい。
くっついていって、喧嘩になって、仲直りして、えろす。 あの手この手のバカバカしい理由で毎度同じ事を繰り返す。すれ違いに事欠かない。えろの最中も毎回言い合いになってしょっちゅう中断。どんだけ我慢強くなっていくのか。官能小説というより落語の艶話でも書いてる気になる。私は基本的にギャーギャー騒いでる笑えるえろしーんが好きなんだよ。男でも「今日は生理なんで」と断らせて「あんた男やないの!」とツッコミ入れさせたりするのが好きなんだよ。 えろを翳り無く笑うのは古来より良き伝統だ!という情熱がある。乃木○典が初夜で「子孫のためである。許せ」と臨んだなんてのは、ある意味凄いギャグ。こんな笑える話は無い。下ネタ大好き。今年一番のヒットは、高齢で病気で寝たきりっぽくなった明治○皇だったかが、寝所で便器をあてて排便するのは嫌だ、朕は便所ですると言い張って、頼むから寝ててくださいと何とか止めようとしたどこぞの子爵と揉み合いになり、ついに寝所で粗相しました…という伝説の行状録。さすが陛下、かっこよすぎる。いとやんごとなき陛下ですら率先してそうであっては、高齢者がトイレを失敗するのも何ら恥ずかしいことではなく、一人でトイレに行けない体になってもなんとかトイレでしたい、どうしても人の世話になりたくない気持ちも至極当然のものという気がするだろ。一番笑ったのは、「子爵と揉み合い」のところ。日本の貴族、何やってんだ?いや、「身分が違いすぎて私どもでは止められません」って傍に仕えて世話してた人に応援を求められたのかもしれんなーと思ったけど、それもまたおかしい。這ってでも便所に行こうとする○皇にパニックになる宮中。これ本当かどうか知らんけど、実にいい話だ。 花とか飛ぶの萌えないねん。
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