非日記
DiaryINDEX|past|will
| 2006年12月31日(日) |
お世話になりました。 |
ぎりぎりまで執念深く何か(INDEXだけでも)更新しようとしていたら、もう直ぐ着きますと、もうはや電話が来ましたよ。 待て、まだなんの準備もしてないんだって。 荷物も(とは言っても着替えぐらいだが)つめてなければ、携帯の充電すらしてない。 明日仕事だし、なんかこー、イマイチ年末(正月)気分になれない。 「え、いま31日なん?へえ、そうだったんだ」 「明日お正月なんだってさあ。テレビで言ってたよ」 だめじゃん、人として。
あ!レンタル、返してこなくっちゃ!
というわけでタイムリミットなのでした。 私は旅立ちます。 よいおとしをお過ごしくださいませ。
| 2006年12月27日(水) |
年末が終ろうとしています。 |
年末が終るって言い方は変だな。 もう27日じゃん!大掃除は!?
今年は実家帰りませんが、ホテルに行ってしまうので年明け数日は家にいないのでした。何故ホテルに行ってしまうのかというと、うちは狭いからでございます。数日休みとって帰ろうとしたら「たったそんだけしか休めんのか」等と言われてキレた私が、「じゃあテメェらが来いよ!」と言ってしまったからでございます。
フ、元日はホテルから初日の出前に出勤だよ…。 初日の出がまぶしいわね、きっと。
なんでそこまでして親と過ごさねばならんのかとふと思い、そう思ってみれば昔から時々思うんだが、私ってのは、「粗末に扱われている箱入り娘」よな。粗末だけど箱入りなのよ。なんたってダンボール入り(真実)。しかしダンボール箱だろうと箱入りには違いない。 箱入りなのに何故粗末に扱われたかというと(粗末というとアレだな。大雑把に?)、それこそ大切に育てねばならないひ弱なのが上にいたからだ。この歳にしてこう頻繁に親に連絡していると恥ずかしくて言えやしないのだが、私にも精神的に引け目があるのです。 「若くして息子を亡くされた可哀相なご両親の元に帰ってやらんのか。親不孝な」 とか 「若くして息子さんを亡くされた可哀相なご両親に孫をつくってやらんのか。親不孝な」 とか 人生の責務の如く言われ、どんな鬼子かと咎められるのを「他人の家の事に口を出してんじゃないよ」と厚顔で弾いて生きているのです。他人の家どころか親本人にも「可哀相な息子の為にこの地でこの土地の男を娶って子々孫々まで墓を守ってくれ」等と言われたのを、「お前達はかわいそうな息子だけでは満足できず、可哀相な娘もつくりたいんだな?」とあの手この手で脅迫して黙らせたのだった。
さてもう後数日で本年も終ろうとしています。 後一日日記が書けるかどうかといったところ。
そんな師走に風邪を引いたりしています。よく、気を張っていたことが終ると体調を崩したりするんで一応気をつけてはいたんだが、やっぱ駄目だったっぽい。この十日間というものは、なんだかんだ忘年会やら打ち上げやらで慌しく過ぎ。 ベテラン主婦に聞くところでは、大掃除というものは本来、末広がりでおめでたいから年末の八のつく日、すなわち二十八にするものなのだそうだ。そうはいっても、もう30日までガッツリ仕事です。そして31日には迎えに出なければならん。結局壁に穴があいたまま年を越してしまうようだ。
今年も大した事があったわけではなく、何の代わり映えも無くいつの間にか過ぎ去っていきました。 主に前半から中盤にかけては例の事でヨレヨレしており、ちょうどニュースでもしょっちゅう自殺が話題になっていたので、改めて色々物を考えたりもしました。ちなみに、仕事中に「今から死にます。今自殺の準備をしています」なメールも着たりしていましたが、まだ生きているようです。もうここは山のように言いたいことがあるんだけどね。まだ続行中だしな。
もう本当にメディアには「どうにもできないこともあります」と熱く言ってくれと拝み倒したい気持ちでした。「助けになってあげてください」なんてアンタ、アタシをどれだけ追い詰めれば気が済むんだという気持ちで胸がいっぱいでした。 ン年前人が包丁を持ち出した時分、「あなたはとても冷静だった」と言われたことがありますが、それは違います。誰にわからんくても自分にはわかります。その時私は冷静だったのではなく、冷淡だったのです。冷酷と言ってもいい。私は二十年前からずっと怒っているんですよ。それこそ指の先まで震え、感情がスコーンと抜け落ちるほど怒っているんです。怒りっぱなしです。 愛そうと努力し、許そうと努力し、理解しようと努力して関連書物を濫読し続けたわけで、けして気持ちがわかるわけでも共感したわけでもありませんとも。同情なんてもってのほかです。
大体私は二次創作でも一次創作でも死ネタで生き返るのが苦手なんだが(「実は死んでなかった」は大好き)、次に苦手なのが「精神的に病を患っているヒロイン及びヒーローが物語の中で回復する」パターンです。もう一つ苦手なパターンに苛められっ子が皆に愛されるってのもあるけどね。「そんな短期間で簡単に完治するか!」とか、「こんな可愛らしいもんじゃねえ!」とどうにも飲み込みがたいものがあるからです。飲み込みがたくとも、希望はあるし、「だったらいいな」な感じで別に嫌じゃないんだが(人の書くことだからアアだこうだ文句を言う事じゃないだろう)、「こんなの知らない。他所の世界のコトだ」とつい顔を背けてしまう。なんか読んだ後にすっきりしないのだった。 元からそうだったのが、ますますその傾向が強まる感じです。 フフフ、ハハハ。
「あなた本当にアタリが良いわね」と言われるが、本当に何故だろう。ここは凄く反省したい。私の何かがいけないんだよ。 同僚に言わせれば、「優しいから」らしいが、それは違います。優しい人間なら心配するんじゃないの。ヤバイメールが入ってて「とりあえず見なかった事にするか。死んでたら『気づきませんでした』と言おう」にはならんだろう。強いて言えば「弱いから」だろうと思います。「もし今こう言ったらどうなる」とか先先考えてしまう。だから人の弱さに漬け込んで卑劣なと余計腹が立つんだ。 「あんまり考えずに適当に返信すればいいですよ。死ぬなら勝手に死なせればいいんですよ」と人が言うので、「じゃあ『まだ生きていたんですか』と返信しますか」と尋ねると、「それはヤバイ!それは止めろ!」と答える。 ♪優しいのは〜あなた〜あなたーですー♪ 私だってちょっとは心配してます。主に自分の心配だが。 「まだ生きていたんですか(=良かった)」 だ。 全部計算して結果と相手に与える効果を予測しながらしゃべらないかんのがシンドイねん。あるがままに生きて生きたい。いや、ある意味あるがままなんだけど(顔で笑って心は般若)。涅槃は遠い。もう通信教育で僧侶の資格を取ろうかと新聞広告をじっと見つめて真剣に考えた、今日この頃です。
そして後半は主に試験関連でバタバタしていて、何してたか思い出せません。いえー。
あ、そういえば今年の自分的ビッグニュース。見合い話が来た(笑) 思わずバカウケして笑って即座に断ってしまったが、職業も手堅く(その年で既に自分の病院を持っていた。つまりサラブレッド)年収も素晴らしい相手だったので、また私は人生の過ちをバシッと踏み出したのではないかと感じる。いまだに、小学校高学年時を思い出し「あの時、結婚してくださいに『いいよ』と言ってさえれいれば…!生涯あのときの球根を断ったのを悔いるかもしれん。あれが最初で最後の血痕のチャンスだったのかも!い、いいえ!だって絶対あの人はヤバイ人だったんだもん!」と思っていたが、生涯悔いるかもしれん第二段ですよ。 だってさー、なんか昔懐かし三高(学歴と収入と背が高い)らしいし、そんなサラブレッドとの見合い話が、スッチーでもナースでもホテルマンでもない年収が二百万行かない自分に来るなんて何かの罠としか思えんだろう。聞いた瞬間、一体どんな汚点のある男なのかと勘ぐった。 いや、人の事を悪く考えるべきではないな。彼にとっての罠だったのかも。私ったら見知らぬ人の人生の恩人じゃないの。 今年もいい事をした!(爽)
そんな事があって、何故そんな話がコッチへ来るのか、不思議な事もあるものだと思っていたが、よくよく考えてみたら「私ってば実は箱入り娘なんじゃん!?嫁き遅れまくりだけど!私自身を除いて親の肩書きが他所の人からどう見えるかって事を真面目に考えてみたらさ、ひょっとしてもしかしてお嬢様!」です。 驚きー 落ちぶれたお嬢様って感じ?じゃあ実家帰れよって感じだ。いやだ、落ちぶれても良い。たくましく生きていきたい。 いや元々衣服は近所のお下がりを着て、割れた茶碗で遊び、兄にいたっては幼稚園で栄養失調で倒れ、箱はダンボールだったのだから、今更落ちぶれたわけではないんだけど。 「私がどんな子供だったか、もう誰にもわからないだろう」という自分の中では落ちぶれたどころか成り上がった気分でいるのが間違いなのかも。
しかし気分的に、「この世に私は一人。私の前に道は無く、私の後ろにも道は無い」って感じでいたので全然気づかなかった。親に対する尊敬度が足りんのかもしれん。 尊敬はしてますとも。「私を育てるなんて凄い!私なら途中で殺してる」と尊敬しているんだ。 ただ、職業とか収入とかはねえ、「職業に貴賎無し」がポリシーなんですよ。それに私、サラリーマンを尊敬してて、自営業に憧れ、第一次産業を尊敬してるねん(自分がやりたいのではなく、そういう家に)。
ただ職業に貴賎なしとは言っても、子供の頃に、学校の子等やテレビなんかが、まあ子供は親が色々言うのを聞いてたんだろうけれど、「公務員は税金泥棒」と蔑んでいたので、公務員は恥ずかしい仕事だと心に食い込んでる。 理性では公務員がいなかったらどうすんのよと思うが、しかし心に刻み込まれているねん。同和問題のように、公務員は蔑まれる職業で人には言わん方がいい汚れ仕事という感じが心の底に残ってる。 子供心に、いつも微妙に悔しかった。「公務員は云々」と文句を言うけれど、誰も「じゃあ自分が公務員になってキチンとした立派な仕事をする」とは言わないのよ。他所の畑だから無責任に好き勝手に言えるといった感じで。 それで自営業になると税金逃れをしてたりするねん。儲けてるわけではないけれど、普通に控除があるからってしてるのよ。だけどそういう風にズルをする理由がまた「ちゃんと税金を払ったってどうせ公務員は云々。皆やってることだ」やねん。 それが悔しくてねえ(苦笑)。もー。 大体公務員は税金天引きだからなあ。
だから心の底に友達と自分は違うって感じがどこかある。自分は賎民やねん。税金で飯を食って胸をはっては生きて行けないの。人はサラリーマンとか農家の娘として生まれ、光の中を鮮やかに駆けていくんだけど、私どもは汚れた金でおまんまを貪り食って生きてきた日陰の民やねん。言ってみれば、「人の生き血を啜り…」といった具合。 「また公務員がさー」 と人が言うと、ドキッ! 「アタシは公務員じゃない。アタシは公務員なんかじゃないわ!」と自分に言い聞かせるんだが、この血も肉も骨も税金でできている事は事実の薄汚れた人間やねんな。
しかし私がどれほど恥ずかしく思っても、親戚の半数は公務員だからな。それでこう友達と家族の間で揺れ動くのだ。 そしたらこの間、職場の奥様が何気なく「公務員は大変だよね。入ったときにはキラキラしていた目が死んだようになって疲れきっていくのがわかる。感謝もされず、何かしてやりたくてもどうにもできないことばかりで、大変な仕事だ」とおっしゃったので、思わず恋をしそうになりました。 そんな事言ってくれたの、あなたが初めて…! 私だって自分の親や親戚の仕事をちゃんとした仕事だと思って生きていきたかったのよ。あたしは臆病者です。できれば公務員になりたくなかった。「どうしてもっとちゃんとできないの。目の前にいる(窓口に来る)困っている人を助けられないの」と責め咎められるのが嫌で。そして公務員にならずに暮らしてきて、でも視点や観点が、ホントのただの庶民にもなれずにいる。
あ、いかん。熱があがってきた気がする。
気がしないッ!
でも終るは終ったよ。よれよれ。 もう駄目(笑)。 「あ!これ違う!」と慌てて書き直そうとした瞬間に「はい。そこまでです」で、挙句にやってはいけないと知りながら、終った途端に答え合わせして一人違うことをやっちまった事を知るし。うふふ。
やはり最後の最後に諦めきれない駄目な私。皆爽やかに寝てるのに(行きがけのバスで)、しつこく諦めきれない私。 いや、いいの。この小さな積み重ねが明日に繋がるねん。 私「…あの酸素の事は、一生忘れません…(暗い声で)」 人「一生ですか!」 一生忘れんよ、きっと。しつこいから。わたしゃ、センター試験で終った瞬間に間違えたと気がついた問題は、いまだに覚えてるもん。他の全てを忘れたがそれだけ覚えてるもん。
人「でもとりあえず終ったじゃん!」 私「そうですか?長い長い旅が始まったばかりの気がするんですけど?(暗い)」 気分の切り替えができない駄目な私。
人様「来年は大阪で受けようよ!そんで帰りにUSJで遊んで帰ろう!」 人様「それ良いわね!」 人様「そうしましょう!じゃ、来年は大阪で!」 私「大阪行きのバスなら○時発と○時発あたりですよ…帰りは○時あたりのやつが…(暗い)」 人様「もう見てるんですか!」 気分の切り替えはできないまま、先走る私。
ま、とりあえず、明日から出勤の行き帰りに本が読めるわー。 一抹の暗さを引きずったままでハレバレと! なんていうのかしら、罪は消えないけど、裁判では無罪になった感じ。
| 2006年12月16日(土) |
し〜っぽのーなーがいー。 |
明日試験でーす。イエー。 いやもう絶対無理、絶対無理だから。ほろほろ(擬音)。八割で合格って、六割しかあわねえよ!ジャンッ!(効果音) 一緒に受ける人様達と「結果には何も言わず、名物食ってきましょうねえ」と慰めあっている。そう、まだチャンスはあるんだもの(まだ終ってもいないのに来年の相談)。
長いようで短い、短いようで長い三ヶ月?であった。なんかもうコレに関してしか記憶が無い。てゆうかコレに関しても記憶が無い。 「一生懸命に頑張ったら充実感が」とか世の中では良く聞くが、嘘だと思う。確信している。「本当に一生懸命頑張ったら、人生には何も残らない」というのが真髄だと思う。「私」というものは、その間無いからだ。(ある意味では)快感だというのには賛同するけれど。
なんだかんだ言って、結構よそ見して、現実逃避で隙を見て数ジャンル渡り歩いたりしていたのに、その楽しさよりも「罪の意識」の方を覚えている。 「こんなん絶対無理だよね。アタシらよくやったよ、本当に。なんでココでこうなるのとか今は言ってるんだよ?そんな事、三ヶ月前なら何を言ってるの?何の話?だよ。思えば遠くに来たモンだ」 「本当だー。そんな事いえるようになったんですよね。そうですよ、よくやりましたよ本当に。本当は一回で受かりたかったけど、ちょっと今回は無理ですね。試験受けるは受けますけど」 「でもねえ、私、今回は諦めなきゃと思ってるんだけど、諦めきれないでいるんですよ。この期に及んで」 「私もですよ」 「あーあー、奇跡が起きないかなー」
奇跡を起こしに行って来ます。でもたぶん無理だろう。 私だって自信はあるんですよ。後百年ぐらいこればっかりやってれば完璧に大丈夫という自信がある。私は大学受験のときも自信満々だった。「後百年ぐらい受験勉強やってれば、東大だって早大だって軽いわよ。フン」と思っていた。ただ百年もやってられないだけだ。 私はいつも無駄な自信に満ちているが、現実もわかっているので、諦めも早いんだ。いや、現実がわかっているにもかかわらず自信に満ちているというべきか。いつも早々に諦めるのだが(今度だって何しろ始めた当初は十二月の試験はスルーするつもりだった)、「今こそ真に諦める時」という時に突然諦めきれなくなるんだよ。学生時代だって、早々に諦めて勉強してないくせに、試験の日の早朝や、試験真っ最中に諦めきれなくなるんだよ。夏休みの友だって、夏休みの最後の三日になると猛烈に諦め悪くなるんだよ。それで泣きながら必死にやって、「そんなになるんなら、どうして最初からちゃんとやらないんだ!」と怒られていた。馬鹿な、そんな事ができるなら、最初から諦めたりしない。それができるのがおまえ、できないのが俺だ。 毎度最初からずーっと諦めていたんだ。いよいよ諦める段になったら突然生きる活力が湧いてくるだけだ。
今まさに諦めているだろ?これがね、さあそろそろ寝るぞという三時間前とかになったらいきなり真剣に過去問を解きだしたりして、もう諦めろよと自分でも思うの。 私にはわかる。
なんでこうなるのかというと、私は常に現実に負けてるねん。現実を真っ直ぐに見据えて常に諦めてるんだ。このときは逃避してるんじゃない。このときは逃避してるように見えるが、実は逃避してるのではなく、逆で、単に現実を受け入れているんだ。ところが、土壇場になると、突然夢の世界に逃避する。その夢の世界は「頑張ればなんとかなる」世界なんだ。「きっと上手く行くわ。こんな風に上手く行くわ。だから諦めちゃ駄目」という妄想が頭から離れなくなり、翻弄され、そこで突然頑張り始める。現実に帰ったからではない。もう本当に駄目なんだという厳しい現実の前に、ストレスや厳しさに弱い私は妄想の世界に向かってダッシュで脱走するからだ。大事なところで現実を受け入れられなくなっているのだ。
それで思ったように上手く行かないと(例えば試験に落ちるとか)、「ほら、だから無理だって言っただろ。私なんかには無理なのよ。できっこなかったんだわ」と爽やかに現実に戻ってくる。そこで精神的ダメージがやたら少ない。ダメージが少ないので、結果として全然懲りずにまた挑戦する事になるのだ。また挑戦するのは、ヤル気があるからではない。「成功する私」とかいう妄想の世界に片足入っているからだ。
これを繰りかえすと、いい年をしてぽやぽやしており、痛い目にあった事が一度も無いような顔をして、失敗や敗走にまみれた人生が誕生するのだ。普段「現実を見ろ」と幾ら言っても無駄である。人がそう諭す時にはシビアな現実を常に見ているのだ。「なに寝トボけた事を言ってるのかしら?頑張れば報われるなんてよほど幸せな人生を生きてきたのね。そんなに上手くいくもんじゃないのよ、人生は。いいかげん学習したらどうなのかしら?」等と思っているので、どんなに厳しいことや希望のある事を言って発破をかけようとしても糠に釘だ。 人が「やっと現実を直視した」と思っている時に、妄想にかられて夢の世界を爆走しているのが実情だ。だからこのときに正しく「現実を見ろ。もう無理なんだ」と諭してもやっぱり無駄である。まさに「上手くいきっこない。成功などしない。それがどうした。そんな事はどうでもいい」等と思っている。もう耳にタコだ。耳にタコになるほど誰に言われたかというと、朝から晩まで毎日飽きずに自分に言われていた。「頑張ったって無駄だ。努力したって報われない。上手くいったって何の意味があるの?」という精神状態を日常にずうぅーっと生きて、それをベースにしたまま突然に希望が不死鳥のように蘇ったのだ。羽ばたく妄想。燃え上がる不条理。努力すればした分だけは報われる。そこはパラダイス。幻の黄金郷エルドラード。 そんな時に四角四面で冷たい現実なんてお呼びでないのである。
やがて現実に戻ってくる。
昔、家庭教師先の女子高生に藤○紀香に似てるといわれたことがあるといったら、似てないという。確かに私も似てないと思う。代わりに堀○真希に似てると言い張り、誰だそれはと尋ねたら見ろというので見たが似て無いと思う。某嬢の近所のお姉さんが○雪に似てると言ったらしいので、そう言ったら確かに似てるという。私もCMで見たが、似てないと思う。あの薄ら笑いの雰囲気が似てるんかな(失礼な)。 しかししつこく似てるというので、必殺の奥の手を出す事にした。
「アイアイに似てると言われたことがあります」 「アアッ!似てるっ!」
…あなたはアイアイを知っているのですか? その不気味な容貌から悪霊の化身と忌み嫌われ、見つけ次第殺された幻の猿を見たことがあると? 私はアイアイを見て、「なるほどね。これが例えばニホンザルの群れの中に混じっていたら皆に石を投げられても仕方ないかも。明らかに異様だ。おさーるさーんだよーと言い聞かせられても猿だと思えない。しかも主に顔が気持ち悪い」と思わず納得しかけた事がある。誰が言ったかも覚えてないのに、言われたことだけ覚えてるぐらいだ。
藤原○香と掘北○希と小○に似てて、アイアイにそっくり。 それだけ並べたらいったいどんな人間だろうと想像を絶する。
| 2006年12月09日(土) |
食べ過ぎたのはあなたのせいよ。 |
こんなような歌があったよな。弱い女の強がりが。私は下戸だからどう頑張っても飲み過ぎれないんだ。飲みすぎた時は救急病院行きに違いないだ。本読んでたら人間には下戸遺伝子と酒乱遺伝子があり、下戸遺伝子を持たずに酒乱遺伝子を持つ人間が酒乱になるとあった。
言っておくが最近読んだんじゃないよ。 最近は本なんか読んでる場合じゃないだろと自分を戒めて、この数ヶ月というもの週刊誌しか読まないようにしていた。週刊誌を読んだらテレビに出てくる人の名前がわかるようになるような気がするんだ。 昨日ついに禁を破って、コレぐらいいいだろうと昔読んだのを数冊数時間パラ見したけど。でも我慢。もうちょとだから我慢。これが終ったら本読んでゲームして絵を描くんだ。落ちてもいいんだ。終れば。
私は下戸遺伝子を持つので、たとえ酒乱遺伝子を持っていても、酒乱に及ぶほど飲酒することは不可能なのだ。 腹が苦しい。
ところでバイトの若い女の子が髪の毛を切っていましたよ。ボブカットに。お人形のようで可愛らしかった。 私も言いたかないが、いい加減にそろそろいい(按配の)歳になってきたので、こういつまでもチャラチャラと髪を伸ばしていてはいけないのではないか?と徒然に思ってみる。 「何それ?」と人は思うかもしれない。これはオカンの言う事であって、今まさに理性がナヨナヨして「もしかして世の中はそういうものなのかしら?」と傾いてみたりしているのだ。いつもかつて洗脳されかけた怪しげな常識と理性との戦いですよ。でも怪しげな常識は理性のようなツラをしています。それでアタシはいつも思うんですよ。理性って、あらそれは何の事かしら?
しかし髪を切ってしまうと、手入れが大変じゃないか。伸ばしていれば、たとえ寝癖がついていても結んでしまえば分からない。私は寝癖の明らかにわかるボブやショートカットで人前に出るぐらいならば、だらしなく伸ばしていたいとそう思うだろう。 ところで私は自分はちょっと酔っているんじゃないかと思うんだ。それで酔っ払いは「私は酔って無い」と言うと相場が決まっているらしいものだから、私は酔ってないんじゃないかと思うんだ。それで私はやっぱり酔ってるんじゃないかと思うんだけど、そしたら私は酔ってない事になるんじゃないかしら。 …どっちがいいかな。
そういうわけで私は少し早いが忘年会に行った。 そこで来週の試験だが、こういう具合で、とても受からないからそのことは気にしなくていいぞ。 食いすぎて腹が苦しいので二次会は遠慮して帰ってきたが、呑み助が相変わらずブーブー文句垂れていた。 しかしヤツはさんざ人に飲め飲めと絡んだあげく、その飲み会に私がいたことを覚えていなかったようなヤツなので、どのみち明日には忘れているであろうと思われるのだ。
髪の話だった。眠くなってきたな。
そこで私は髪を切った若者に 「でもそんな風に切ってしまったら手入れが大変じゃないですか?」 と言ってみた。 しかし彼女はストレートらしいんだ。
人「いいえ。そうでもありませんよ。」 私「毛先が跳ねたりしませんか?」 人「何もしなくてもこんなもんですよ」
まあ、それは羨ましいことです。私だってシャンプーもより楽になりそうだし髪を切るのはやぶさかでないんだが、結果好き勝手にハネまくることが明らかなので、それを思うと切りたく無いんだ。
私「私はハネるんで、面倒だから駄目なんですよ。ちょっとクセ毛なんで」 人「その毛先がチュルンと巻いてるのは、パーマじゃなかったんですか?」 私「なんにもしてないですよ。伸ばしていくとウネウネしだすのを途中で切ってあるから勝手にこうなるのです」 人「あら良いじゃないですか。自然なウェーブで」
…お姉ちゃん、あんた今「パーマじゃなかったんですか?」って言うたやろ?「自然な」ウェーブが人工のパーマと間違われては、「自然な」とは言えないんやなかろうか。
それが今日のおちー。
言われて気がついたんだけど、鬢の先がクリッって上側を向いて巻き上がるのはクセ気だったんだ。人は巻かないんだ!言われてみれば巻いてないね。そうか、これ、パーマがかかってるように見えるんだ。知らなかったよ、この歳まで。 これがクセ毛なんだ! 愚かにも髪がハネる事だと思っていたよ。
そういえば昔、「漫画みたいな髪ね」って言われた。こういうのの事か。
|