非日記
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2006年11月26日(日) またサボリ。

がしゃこんがしゃこんとコピーをしてましたら、同じ方角に戻る同僚が「タイムリミットは残り十分ですよ。十分後に電車が来ますから。私はそれで帰るんです」などとおっしゃいます。
今やってる事を始めてから、帰宅時間が同じになり、同じ方角で、そして私に帰りの電車が無いために、結構頻繁に送っていただいている方でございます。申し訳ない気持ちとともに、小心な私は「こんなに頻繁に毎度毎度ツラをつき合わせていては、顔も見たくないほど嫌われちゃう確率がグーンとアップ!平穏な日常を維持する為にはなんとか回数を減らさなければ」とナチュラルに思うので、これは普通に考えたら同じ電車で帰る事になるシチュエーションだと判断すると同時に、自分にはまだ用事が残っている事を思い出して「いやいや今回は一緒には帰れないな」と、ほっとしました。

そういうわけで、密かにほっとした私ですが、
私「あと十分ではちょっと厳しいかもしれんですよ。まあ私の事は気にせず出来たところまで持って帰っちゃってください(注:その人の分もコピーしていた)。どのみち私はその電車では帰りませんから」
人「え、なんでですか?」
私「定期買って帰ろうと思ってるんで、どうせ間に合わないんで」
人「え、日曜でも買えましたっけ?」
私「買えますよ…て、日曜?日曜?今日は日曜ですか?」
人「日曜ですよ、今日」
私「あー、あー、日曜は無理だわ。日曜は買えませんでした。てっきり今日は土曜日だとばかり…」
人「フ、幸せな人ですね」

幸せな人でしたよ。日曜だったんだ、今日。ふふふ。


2006年11月24日(金) 頭がぐわんぐわん。

寝すぎだっつうの。
嗚呼寝てる暇なんか無いのに。寝てねまくり、そして日記なんか書いている。だってたまには日記書かないと、「あれ?私って誰だったっけ?」気分になるんだよ。

天野月子さんのベストが出たようで、どうしようかなー、とりあえず借りて聞こうかなーと思っていたのが第二の敗因だと思う。天野さん好き。曲調とか。
第一の敗因は誰もいないと思うと覚えてる歌を片っ端から、または作詞作曲で自動的に歌いだす(プラス踊りだす)という癖よな。一番目の敗因は取り除くのが難しいので、重要なのは第二の敗因なんだ。

しかも歌ってたのがたぶん♪鮫♪で、あげくサビの部分だったのがいかん。
♪惜しみなく〜愛して〜惜しみなく〜憎んであげる〜♪
歌いながら機嫌よくガチャコンとコーヒーを買って、自販機の後ろに喫煙所があるので水平移動して裏側へくるりと回ったら、おっさんが二人いた。笑顔。
何故笑顔。
自分としてはありえないぐらいの高速で頭が回転し、はじき出した答えは「こいつ聞いてやがったんだ!」ですよ。せめて蛍の光とか!赤とんぼとか!せめてもうちょっと明るく可愛い感じの曲調と歌詞を歌ってれば良かったのに!せめてお店でよく掛かってるような流行の誰でもよく聞く曲だったなら!
もうどうしようもありません。ここで逃げたら恥の上塗りどころか恥の厚塗りだ。てゆうか退路がありません。高速の脳が弾き出した対応策は「何事も無かったかのように、突撃!」

こんな時に言える言葉は「ちゃお!」ぐらいしかありませんね。
脳内気分はね。口に出しては言わんけどね。
あたくしの駄目な高速の脳は臨機応変な文句など考える能力をもたないので(要するに高速時はいつもより空回ってるんだ)、素直に一番近くの引き出しに入っていた「お疲れ様でーす」装備で突撃しました。
ああああああああ!もおおおおおう!(悶絶)

これまでに同じ喫煙所で何度か見かけた事のあるおっちゃんズで、しかし自分から話した事も話しかけられた事もこれまで一度も無かったにも関わらず、ものすごくフレンドリーに当然のように話しかけられ、彼らが立ち去るまでそのまま五分ぐらい和やかに世間話をしてしまったが、それもこれもきっと妙な鼻歌を聴かれた所為だと思う。苦悶。




健康診断があったが、ちょっと今無理かもと検尿を最後に回していたら、待ち時間が長くて順調に溜まってくる。よしよし。しかし思わぬところに伏兵がいた。触診で膀胱をぎゅむぎゅむ押さえられる。

ちょっとあんた!何すんじゃ!そこには今大事なものが入ってるんだよ!大切に溜めてるんだよ!

と、怒鳴りたいのを我慢する。そんな人生。


2006年11月09日(木) 寒くなってきた。

リンク先サイト様が閉鎖されたので、リンクを解除しました(11.06)。
おつかれさまでした!


人様は京都に紅葉狩りに行くといってましたね。羨ましいことです。
私も旅行に行きたいですが、人と日程を合わせようとすると難しいよな。一人で行けば良いんだろうが(今は無理だけど)、以前年配の独身女性に聞いた話だと、以前の職場をやめた時にやっと時間がとれたから旅行でもしようと思いたったら女一人の旅行者は嫌がられて断られまくったとか。
えー、マジですか。
古い、古いですよ。
そんな怖がってばかりでひなびた観光地がやっていけるのか心配します。
どうも職場の皆様は旅行好きが多く、年齢も結構行ってる人ばかり。高給取りの資格持ちか、さもなくば給料安くても共働きで余裕のある人が多くて、何故か皆やたら旅行に行っている。
私は親戚が言うほど主婦業が楽だとは思わないけれど、ただ確かに時間は取りやすいだろうとは思うのよな。

特に北海道が大人気。
「北海道、いいですよねー」と皆で盛り上がっている。何故そんなに在住県から遠いところに皆が皆(しかも頻繁に。「何回目?」はデフォっぽい)行ってるのか?
「北海道の何が魅力的なんですか?」
「やっぱ風景かなー。明らかにこっちと全然違うところ」
そういうもんか。ミニ海外旅行みたいな気持ち?
私としては一泊二日ぐらいで遠地に行くのはしんどいなと思ってしまうんだけど、皆様は働き者です。

それで直ぐ人に影響される私はブツブツ言いました。
「北海道行ってみたいわー」
「あなた、北海道行けないんじゃなかったの?」
おう、そういえばそうでした。
諸般の事情で北海道にだけは行きたくない、あの土地は踏めぬと学生時代にぶつぶつ言っていたんだっけ。でもね、よくよく冷静に考えてみたら、時効じゃないんかって気分になってきたわけよ。
北海道に行ってきた人間が揃って「とっても良い所☆」と推奨するので、行っても良い理由を探索し始めたわけだ。関東より北にはまだ行ったことが無い。


2006年11月05日(日) やっぱりそうだったんだ。

苦節ン年、ついに確信を得る事ができました。今日が誕生日だという。
「五日が誕生日なんじゃなかったかと思うけど」
「五日あたり誕生日じゃないかと思うんだが」
ETC.
この婉曲的な質問に(質問だったんですよ)、「確かに五日が誕生日である」の一言を本人も友人も誰も言ってくれなかったからだ。しかし今度という今度は、本人が「明日が誕生日」だと四日にはっきり言ってるんだから確実だ。ああすっきりした。
もう五日も終ろうとしているが、気分だけでも空中に向かって言っておこう。長生きおめでとう!

ちゃんと先月末から思い出していたんだが、それというのも、毎年できなかったとぶつぶつ言っている事が、今年の場合は夏の終わりには既にとうていできないだろうとわかっていたからだ。「今年も無理である。絶対に」と一日ぐらいに書いて諦めの気持ちを受け入れようかと思ったんだが、「今年こそ」なんて思っているのは世に私ぐらいなので、大人しくする事にしました。いつもそんな事構わず我がの思いだけを語ってるじゃないかとも思うが、それはそれ、これはこれ。この「それは私の中でだけのケジメのようなもので、他人の目に触れさせるものではない」という躊躇が、まだ誕生日記念物のはずであった脳内残り香の部分だ。
私の中では、既に「誕生日のお祝い」なんてものでは無くなっているんだな…という事がわかった瞬間でもある。私の中でナニになっているかというと、毎年十一月五日は「神林系のコンテンツをつくろうとしたものの、あえなく翌年の十一月五日までに延期する日」だ。
そういうわけで、今年も何もしない。鬼が笑いつつ、来年こそ頑張ろう。

それにしても、今年は調子が良かった。
日記には書かなかったが、ちゃんと十月の某誕生日にもきっちりメールが送れた。去年は忘れてて悔しい思いをしたからな。今年は私の誕生日を相手が忘れてくれていたので、それで相手の誕生日を私が忘れなければ一勝一敗で持ちこたえられると、指折り数えて待っていたし。「誕生日おめでとう」と送って「忘れてた」と返ってきたときには、「私はまだ現役で頑張れる」ととっても安心した。ただ相手は割りにぼんやりさんなので、ぬか喜びはすべきでないと改めて気を引き締めた。


今日は休みだったが、真面目にもお勉強をしていた。勉強になってるのかはわからないが、とりあえず数をこなしてみる。
遊びたい気持ちを抑えられないので、テレビをつけっぱなして誘惑を誤魔化していたところ(結局真面目にやってない)、全国消防操法大会とエアロビの大会をやっていた。

消防隊員ってかっこいいわね。
消防操法大会では、現場にたどり着いてから放水するまでのタイムを計っていた。それと手順がいかに正確かのようだ。芸術点は無いようだ。
家族や職場の皆だろうけど、応援に来ていて、ほのぼのする。実際に火事場に仕事に行くときには危なく、有毒ガスが出てたりするし心配するものなのだろうし、ついで医者やなんやらと同じで自分の存在意義をいきいきと感じて「活躍できる」のは他人に不幸(?)」があった時なのだが、こういう「大会」でなら、能力の高さを無邪気に喜べる感じがする。
方向が違うけど、何を撃つために訓練しているのかを考えずに、単に狙撃能力の高さに「凄いねえ」と感嘆するようなものだ。
何かを巧みにできる、満足できるだけ上手くできるってのは、なんだかんだ言って、それが何であっても自分の中では嬉しいものだと私は思うし。なんつか、仮に目的が達せられないとしても、手段を磨く部分での、目標を設置してそこに向かって努力する喜びというか。

特に後ろに映っている消防車が良い。なんとなく消防車が好きで、マンホールに消防車のイラストが描いてあるのを見るとなんとなしに嬉しい。職場の窓から赤い自販機と青い自販機が並んで立っているのを見ると、胸が高鳴って頑張ろう気分になれ、嫌な事があると並んだ自販機を見に行って「あはん、なんてステキな光景なのかしら」と自らをたばかりに行くのと同じ原因かもしれないが、いや、私は消防車はもともと好きなんだ。四角く、なんだか色々とゴテゴテついてるところが良い。見目が良いんだ。
消防署や消防隊員を扱った映画はあれど(恋愛映画じゃなくて)、思い返しても毎度消防隊員が火をつけているような気がする。おかげで物語中で消防隊員が放火犯でも驚かなくなってしまった。どうかと思う。他にドラマチックにする手段は無いのだろうか。それにああいう映画では、火の中に入っていく人をカメラが追いかけるので消防車の付近にいる人があまり映らない。結果的に消防車の活躍が注目されなくて悲しい。物凄く活躍しているはずなのに。
水を吹く車なのよ?すごいじゃないの。
私が思うには、火を噴く車の戦車などよりも後に開発されたのではないかと思うんだがどうだろうか。

そして初めてエアロビの大会を見た。
あんなに凄いものとは思わなかった。私の乏しい知識では、ラインダンスみたいに並んで足をあげたり手をあげたりする動作を音楽にあわせて延々と繰り返していたんだ。エアロビというと、「ダイエットの為にやる」ようなどこか滑稽なイメージだったんだが、本当はカッコイイものだったのね。
ちょうど太極拳のイメージに対する誤解に似ている。
老人が公園でえらくゆっくり動いているイメージしかもたなくて、拳法とは名ばかりで体操の一種だと思っていたんだが、テレビで太極拳の先生がやっていた演舞を見てビックリした。「本当はちゃんと実用的な拳法なんですよ?」とにっこり笑って言って、その通り、すごく早い。いくつか剣舞を見せてくれたんだけど、あんな勢いで切りかかられて、どうやって避けたんだろうと、人事ながら昔の中国人を心配した。今生きている中国人の何割か何パーセントかは、あの斬撃を避けた人達か、避け切れなかった人達の末裔なのだなと感慨深かった。

そして、何故日本の剣道は舞わないのだろうとちょっと不思議に思った。
そういえば、昔中国の学生さんが舞を舞って見せてくれたが、体操選手のようだった。動きに躍動感を与える華やかでヒラヒラした衣装を着て、くるくる回ったり飛んだり跳ねたりしていた。
比べて日本の舞踊は衣装も地味で、揺れる部分は袖ぐらい。それもヒラヒラと躍動感溢れるというより、ゆらゆら程度。比較して酷くのろのろと動いていて、このよく言えばゆったり、悪く言えば鈍い動きに頬を染めてトキメキを覚えた古来よりの日本人は凄いというか妙なんじゃないかと思った。
私なら日本の殿様や偉い人になって宴会をして舞ってもらうより(そういうところで遊ぶより)、中国の偉い人になって宴会をして舞ってもらったり雑技団みたいな人に芸をしてもらった方が断然ときめく。楽しい。
なんの知識も無くても、凄いという気持ちになる。日本舞踊を味わって楽しむには修練と訓練がいり、それ用の回路(美意識)をわざわざつくる必要があるように思う。そういう物に頻繁に触れられる身でなければ楽しめるようにならないんじゃないか、とか。そういう意味では、特権階級的で、ある意味洗練されている(されすぎた)とも思ったりするけど。
私は歌舞伎よりも能の方が好きなのよな。全然見ないし、わかんないけど、あの「場」をつくる雰囲気が。たぶん歌舞伎の方が面白いと思うけど、能の方が美しいとは思う。無垢な眼差しで見ると滑稽な気がするんだが、あのぎゅうっと空気を作る、場を構築する、引き伸ばされた緊張感というかが美しい感じだ。奉納の能なんか神社でやってたりするけど、そういうものだったんだろうと納得する空気がある。

で、エアロビ。
すごく飛ぶ。回る。体操選手のよう。いや、体操選手なんだろうか。フィギュアや新体操のフリーの演技を見ているようだった。
ストリートダンスだったかもそうだけど、ちゃんと全部、技に名前と難易度があって技術点と芸術点がつき、減点がある。長い名前ばかりだ。解説者はよく舌を噛まないな。


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