非日記
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| 2006年09月25日(月) |
週末には服を着た人にしよう。 |
なんとかして。
自分等の会社のだけでなく、提携業種さんでもシフト表に大体は私らの名前を打ち込んでるようなんだが、苗字はともかく名前の方は呼ばないだけあってろくに覚えていないらしい。大体は苗字にサン付けで誤魔化してあるんだが、時々頑張って下の名前まで入力して、しかしそれが間違ってて面白いです。 大体シフト表に私どもの名前も打ち込むってのは、たぶん初期の頃の「ちょっとおばさんとか呼ぶの止めてくださーい。私達には個人名があります。国家資格持ちだからって上から見下すなよー」という文句が通ったのかもしれないな。
いや私はオバサンでも何でも良かったんですけど。「あんた」とか「おたく」とか「君」って言われると嫌だけど、おばさんとかおねえさんなら良い。接客商売も微妙に長いかもしれないけど、同業者でなくて、お客さんでもそう呼びかけられるのは結構好きじゃない。黙ってるけど好きじゃないです。「おまえ何様?」と思うのよな。いや「お客様」なんだけど。わかってますけどね。死ねとか思ってるけどがんばります。 まあいつも私が常に腰が引け気味なんかもしれないけど。しかし自分が店に客として出かけても「こっちは客なんだから」とは思えない。客だけど、客である前に同じ庶民だろ!うん、腰は引け気味の小心者だけど、心の奥は猛ってるわよ。
個人名で呼べなんてやったら、こっちの方でも向こうの名前を覚えて、職種や担当名でなく名前を呼ばなきゃいけないっぽいじゃないか。無理言うな。でも皆様は頑張ってるもようです。 例えばビルの清掃業者のおばさまやおじさまからイキナリ苗字で呼ばれてみ。「確かに私はそういう名前だが、名乗った覚えは無いのに何で知ってんねん」ってビビるで。そして「私はあなたの名前など知らないのに。しかも相手は既に知ってるらしいのにこっちが今更『ところでアンタ誰?』なんて聞けないだろうがよ」と良心がみしみし痛む。「名札(業者の人がよく首が下げてるやつ)がチラッと見えないか?」と頑張るんだけど、アレはくるくる回ってよく見えない。大体チラっと見えた程度で一二回で覚えられるぐらいなら誰も苦労しない。五六回は名乗ってもらわないと。 「この人面白いよなー」とエピソードとかは覚えてるんだよ?
例えば某業者さんの名前はまだ知らないお嬢さんだが、最初に来た頃に、どうやらゴッツイ機械を壁にぶつけたらしく、それを責任者にちゃんと自供したらしかった。もし建物が損壊していたら会社で弁償なんだろうから、責任者のお兄ちゃんも慌てて来たわけよ。「どこだそれは!?」とビビッてやってきたのに、そのいつもクールないまどきの若者風お姉さんは 「(ここが)事件現場です」 と、とてもクールに指差して言いました。「事件現場?」と横で聞いてて笑っちゃいました。大仰な言い方の割には何にもなってない。ちょっと何かの粉が落ちてる?程度。 責任者「この粉?何の粉?」 娘さん「壁はわからないんですが、でもこの粉はたぶん機械を近づけすぎて壁を削った痕じゃないかと」 責任者「えー?これ?これだけなの?」 娘さん「これぐらいなら大丈夫ですか?」 責任者「うーん…ふー!ふー!(呼気で吹き飛ばした)よし!」 娘さん「消しちゃうんですか証拠を」 おーわからんわからん 責任者「壁に近づけすぎないように気をつけよう!」 娘さん「はい、すみませんでした」
私は一人でウケてました。同じ職種のおばさんも「若い子だからこんなおばさんとはあんま喋りたくないみたなのよ」と苦笑ってるほど無口だが、このお姉さんはたぶん面白いよ、頭ん中が。あのお姉さんは友人連中の中で喋ってたら結構面白い人だろうと思うわ。もう半年以上顔を合わせていながら業務連絡を一回したぐらいの相手でいまだに名前も知らないが、さりげに好印象が持続中。 こういうのを見てるのが好きなんだよ。
私は「働かずに一生殆どごろごろ寝て過ごせるのよ?ポチちゃん寝てるの好きでしょ」というオススメ理由で親戚から見合い話が来たほどに自他とも認める怠け者で(なんで親戚がそんな私情を知ってんだ)、人付き合いもあんま好きじゃなくて、責任とか義務とか嫌いだし、能力とか無いし、家でゴロゴロしてても生きるのが嫌になったりしない事は既に証明済みだし色々なんだが、しかし日常に人間が生きてるの…てか暮らしてるのを見るのは結構好きなんだ。 それで働くのちょっと好きーかも。ちょっとだけな。ちょびっとだけど。個人的にはゴロゴロ寝ながらそのまま永眠したいんだけど。
親父さんはインターネットとか嫌いで、何故嫌いかというと、セキュリティ上一般人は本名を伏せるので、何処の誰だかわからない状態で何言ったっていいだろう、何やったっていいだろうという雰囲気がなんか嫌ならしい。そこまでじゃないだろうと思うんだが、現実の実際の自分と切り離してやれるってのが、潜在的に嫌らしい。 私は切り離せないんで、言われるほどそう簡単じゃないよと思うんだが。うん、ただ私もちょっとは自分の良心が心配だったから(てゆうかフェアじゃない気がしたというか)サイトの立ち上げの時にリアル知人を引き込んだんだけど。実際に見てるかは別にして、見てるかもしれないという緊張感というか責任感が欲しくて。私は確固とした良心があまり無く、筋の通らないタイプで、一人になるのが好きではないけど平気なところがあるから良心を呼び起こす存在が必要なのよ。もし私がネット上でろくでもない事をやったら、そういう事をやる人間なんだって咎めだとか軽蔑だとか呆れだとかお叱りが、リアルの自分にちゃんと跳ね返ってくるように。そういうマイナスの負債を背負わずに行くのは怖い。 …ただ私の友達は私が思っていたより遥かに心が広かったんでちょっと計算違いだった。私が要らん事を口走ってもサラと流してしまうというか。私は其の頃はまだ、周り中敵だらけでいつ後ろから刺されてもおかしくない一瞬の気の緩みも許されない痺れるような戦場の緊張感を求めていたのよ。今日の友は明日の敵という。それは私が社会で生きるために私の為にどうしても必要なものだと思ってたんだ。
でも今和んじゃったよね、すごく。うっかりしても許されるって凄い威力だよ。人間としての欠陥ではなく、人間であるからこそのヒューマンエラーにされるのが、凄い和みっぷり。もはや「ゆるんだ」という感じ。「でもあなたそういう人間じゃないからね」て、違うと思うんだけど、そう言われると「自分はもっと際限無く悪い子だと思ってたんだけど、そうなのかな?」とか「そうだったら良いなとは思ってた事もあったんだけどね」と、段々その気になっちゃうわけよ。何かの罠かもしれん。 もし私が兄ちゃんみたいに「そういう人間じゃない」事にしがみついて死んだらどう責任とってくれるんだとか、ぶりぶり思う。
職場に凄く真面目な人がいて、仕事もバリバリできて色々考えててめっちゃ立派な人なんだけど、他人にもかなり厳しいんだよ。そんで私もその批難してる相手は好きじゃないんだが、あんまり厳しい物言いで、私はどきどきする。私は他人をそこまでビシビシ批難できるような立派な正義の人じゃないので、他人がそう批難される事をあっさり許容してると、良心が「私は本来がこちら側の人間じゃないのに仲間を売って身を立てるのか」の如くビシビシ痛むわけだ。 言ってる事はわかるのよ。それは理想だと思う。たぶん少なくとも狭い意味では大変正しいだろうと思う。でも私は自分が駄目人間だから考えちゃうんだよね。それでも才能が足りなくても能力が足りなくても与えられた職分を背負って生きていかなきゃいけないし、これだけガンガン文句言われながらへこたれずにのうのうと居座ってやっていけるってのは、ある意味で好印象だと思っちゃったりする私は間違っているのか。 とにかく私はそこ(色んな事を全部完璧にできない)を全部肯定しても「だけどそれが何だというんだ!」と思ったから生きてきちゃったわけで。だからそこを強烈に問題視する事を肯定すると自分も危険な立場に立つんだよ。 「フン?アナタ様がどんなに素晴らしい人間かは存じませんが、私はアナタ様のように後ろ暗いところや思い出すと死にたくなるような過去の一つもない立派な正しい真っ当な人間じゃないんでな!悪いけど!箸にも棒にもかからない役立たずだけど生きてるんでーす!すいませーんでしたー!」と心密かにぴりっと反抗的になるわけで。いや、ここまでナメきった挑発的な反抗的思考じゃないけど、この人嫌いじゃないしな。しかし心の太陽で閃くフレアは概ねそんな感じで。 そこで、「でもあの人はこうこうこういうところがあって、そこを考えるととことん最低の悪い人間じゃないと思う。そういうところはあの人の良いところだと思う」と言ったら発奮された。「矢口さん、それは違いますよ!それは人として当然でしょう!それは良いところとかじゃない!」と叱られてしまった。「確かに当然の事かもしれません。でもそうじゃない人だっているじゃないですか。当然の事が当然にできているのは大事な事ですよ」と、さらに頑張ってしまったんだが、「えー!それは違う!関係ありませんよ!」とやっぱり叱られてしまった。 そうなのかな。そうかもしれないけど、でも大事な事だと思うんだもん。 わかってますよ、そういう話じゃないってのは。でもだから、そこは別に肯定できてもいいんじゃないかとも思ってしまうし。
なんの話だっけ。そう、呼び方の話。 ハンドルって固体名だけど本名じゃないんで、なんか思考がそっちに揺れた。 基本的には呼び方は人が呼ぶ呼び方であって、こっちに分かれば何でもいいんだ。一応名前を問われたら答えるけど、結局なんて呼ぶかは相手の勝手だろうと思う。それでこっちは相手が自分をなんて呼ぶかで、相手が誰かを認識したりするし。こういう風に呼ばれるのは嫌だってのはあるかもしれない。それは良い。しかし「こう呼べ」と強制するのはどうなんだ。
で、人が職業名で呼ばれたくないってのなら別にそれはそれで良いんだけど、私はあんま個人名で呼ばれたくないんだがそれはどうなる。 なんていうか、要らん事絶対しそうな自信のせいかもしれないけど、私はあんま自分の事を覚えていて欲しくないんだよな。通り過ぎて行きたい。私は相手の事をちゃんと覚えていられないし、何もしないし、できないし、する気もないし。名前覚えちゃったら思い出せるだろう。だから嫌。
人が「一回喋ったら友達です」とか恐ろしいことを言ってて、私は断固反対だが、一理ぐらいはある。一回喋った相手と一度も喋ったことのない相手だったら確かに違う。しかし違うからといって友達じゃないだろう。だから名前を覚えるぐらいなら別に構わないだろうといえば構わない。でもさーだってさー一度覚えてから忘れたら文句言うでしょー。 覚えて無い事を咎められるとすんごい傷つくんだから!「覚えてないんだ…」って馬鹿野郎!私の方が瑕ついとるわい!なんで知らない人間に冷たい人みたいに言われなきゃいけないんですか。私が何をした。覚えてないだけじゃないか!それともなんですか、忘れてはいけないような酷い事を私がしたにもかかわらずだのに忘れたのでお怒りなのですか。「忘れるな」とも「覚えていろ」とも言わなかっただろうに。もし言われていたなら、私は覚えているんだよ。そういう人間なんで。
「さっき○×の横断歩道で道を譲ってくれた人ですよね」 知 ら ね え よ ッ !なんだその顔は!なんで責められてんだよ私は!知らない知らないそんな事してないんで勘弁してください。仮にそんな事があったとしてだ、普通に考えて覚えてるわけねえだろ。あんた自分が頭おかしいこと言ってるってわかってる!?すごくおかしいよ!?異様だよ!?異様じゃないんですかこれは。人様だったら交差点で右折したくても待ってた時に、止まって譲ってくれた対向車線の車の運転手に駐車して下車した後に道端で遭遇したら「おまえさっきのヤツだろ」って絡んだりするんですか?「人違いです」って言ってるのに、「いいや俺はその顔を覚えてる」としぶといんですか。
んで、この話を友達に愚痴ったらウケて、「あなたってさー…」で笑ったまま、その後何も言わないの。すげー気になるのに「いや別に大した事じゃないの」で何も言わないの。どうよこれ。いまだに気になる。高校の卒業式の時に「話があるんだって」と呼び出されて、「話って何?」に「さよなら」と言われて去っていかれたのと同じくらい気になる。なんだおまえ何が言いたいんだ。いや、さよならだよね。分かったけど。なんかすごく納得いかない。納得いってない私は間違って無いと思う。たぶんナンか言いたいことがあったと思うんだが、よく考えると言うほどの事でなかったので、ああなったんだろうと思うんだけど、でも放置された側としてはそこまで言いかけたらいっそ言ってほしい。私は死ねって言われても素直に死なないへそ曲がりだから大丈夫よ? たぶん「あなたって自分では大した事無いと思ってやる事が、いつもろくでもない事なのね」とかそういう続きだったんだろうと思われるんだけどどうかしらね。
また無駄に長くなってしまった。 何が言いたかったかというと、そのよそ様が作ったシフト表を見たら私の下の名前が例によって間違っていたわけよ。考えようによって鋭い勘と推理によっては本名が察せられるかもしれないので無駄に長く書いて文章の波の狭間にうずもれさせようとしてたら本当に長くなった。なんてなってたかというと 検知 …なんか男らしい。険しいに似てて、厳しげな名前に見えるせいか。いやもとの名前も怖い名前とよく言われて、男みたいに思えるのか契約者名なんかで勝手に旦那だと思われてる事もあるけど。私の下の名前をきれいな名前だと褒めてくれたのは、なんとか萌さんというバレンタインのチョコレートに相手の名前を入れる事を思いついたらしい京都に住んでる元デザイナーのイラストレーターさんだけだ(注:子供の頃にサインを貰った時)。 しかもよくよく見たら、れっきとした熟語になっているではないか。どうしてこんな間違いをしたのかは想像するまでも無くわかるんだけど(深く考えると意味はあんま変わってないし)、うん、実はその熟語じゃないんだろ打った熟語は。職業柄を感じた。でもパッと見でなんかが派手に違わなくないか。私は一瞥で「誰!?(笑)」と笑ったのに、なんとついに誰一人気がつかなかった。あなた達、私の名前をいつもそんな風に見ていたのか。花の名前だっつってんのに。言い張ってるとも言うかもしれんが、名付け親が鬼籍に入っていて確かめようが無いんだ。でも女の子の名前として考案されてたんだから絶対そうだと思うの。普通そうだろう。あ、でも叔父さん女の名前がついとったな。いやそれは関係ないだろう。男に女の名前をつけるのはよくある事で、そういう意味ではあれは結構男の子にも付けられるから男の名前でもある。
すげー自分の名前が好きーになった瞬間。笑いが取れる。
| 2006年09月10日(日) |
かまいたちの夜2をやってみました。 |
三連休で来週から無駄に忙しいラシイので、何かしておきたかったんだけど(インデックスの更新とか。暑かったので脱がしたら寒くなってきたじゃないか)、三連休の一日目は結局休日出勤しているし(午後四時前に出て、帰ったのは九時)、なんかあんま連休っぽくなかったな。気持ち的に。
大体、帰宅して一時間で寝なければ六時間睡眠がとれないってどうよ。 来週からそんな風に「何それ?」って感じに忙しいっぽいんだが。
家族のある人は「独身だから帰ってから時間はたっぷりあるじゃない」と気安く言いますが、しかし一人分だろうが炊事も洗濯も掃除も全部自分でやるわけで、「家にいたら暇だから仕事に就いた」みたいな方と一緒にしないでいただきたい。 私は忙しいんだ。家にいて暇な事なんてありません。永遠に家から一歩も出なくても退屈しないだろうぐらいだ。 てゆうか、私は暇なのが好きなの。「あー暇だー退屈だー何しようかなー」と思ってるのが好きなの。「やりがいや生きがいの無い人生をどう生きるのか」、「誰かを納得させられるやりがいや生きがいなんかがなければ、人は幸せに生きられないのか?」、「やりがいや生きがいの無い人間は死んでもOKなのか?はやめに死ぬべきなのか?」ってのが生涯をかけて取り組んでいる大テーマなのよ。刑務所で俳人になった某死刑囚の句「蟲になりても生きたしと思う」を手に、暇にあかせて考えてるねんよ。邪魔しなさんな。
とにかく来週から下手すると数ヶ月ほど、二三日に一回そういう六時間睡眠が危険な日があり、それも出勤日も休日もあんま関係ないらしいので(日曜は休みらしいが)、この最後の心安らかな連休に更新しておきたかったんだが、別の事をして遊んでいるうち、あっという間に過ぎ去ってしまいました。 あー、そんな気がしてたんだよ。一日二十四時間って短いよね。
なんで私はあんな眠くなるまで「なんとなく」でソリティアやってんだ!後は「なんとなく」でギャオやヤフで映画や動画見たりとか! 今日はまあ日曜なんで、あははうふふと特撮見てたわけですが。 しあわせ。 トイレで変身、しあわせ。 なんて馬鹿なのかしら、しあわせ。
かまいたちの夜2>> 昨日はン年前に借りた「かまいたちの夜2」に手をつけてみました。 ちなみに、かまいたちの夜はやった事が無い。 とりあえず、わらべ唄編が一回ED。一度途中で後ろから首絞められて死んだけど。 しかしこのEDの多さは何だ。全部普通にクリアするとトータル三十ン時間って。ギャァ。私の大切な暇を侵略しようという野心に満ちているわ。いいえ、私は戦います。けして一生懸命クリアしたりしない。ちんたらちんたら付き合います。
サウンドノベルという事だったので、何も考えずにホイホイ読み進めていたところ、突然主人公が「犯人はあなたです」と言い出して選択式になったので、ふいをつかれて驚いた。 オープニングの雰囲気の所為で、まず私はこれをミステリーだなどとは全然これっぽっちも思っていなかった。かなり途中までホラーなんだと信じ込んでいた。超常現象なんか普通の人はなかなか信じないので、最初は生きた人間の犯人がいると皆が思うけど実はホラー、とかよくあるじゃないの。 だってあのオープニングぅ! 血まみれのバンドのメンバーみたいなお姉さんが包帯を振り乱しながら謎の空間をフワフワ飛んでるの!
主人公の見る悪夢とか。語りかけてくる写真なんかホラーの手口だろ。どんだけ感受性豊かで想像力豊かな主人公なんだ。
そういうわけで考えて読まなきゃいけないとか全然思っていなかったので、犯人指摘画面に至るまで、登場人物もろくに覚えていなければ、ヒントと思われる画面でも、「よく見てなかったにゃぁ。まあいいや、主人公はわかってるんだろうから後で説明してくれるさ」とアッサリ通り過ぎていた。 困りきってしまい、とりあえず現状を打破する為に適当に選択してみたら、皆に超馬鹿にされ、それは覚悟の上だったのだが、だのに主人公はプレイヤーの気持ちも知らず「犯人はわかってる」とまだ言い張って、しつこく選択画面に引き戻される。どうやら正しい犯人を主人公(つまりプレイヤー)が指摘しなければならないらしいという現実に、遅まきながらやっと気づいた。 どういうこっちゃと慌てて、初めて説明書を開く。
〜犯人は誰なのか。そして密室殺人のトリックは?この事件の謎が解明できるかどうかは、あなたの推理にかかっています。〜
…馬鹿!バカバカ! ここを読んでなきゃいけなかったんだわ、アタシ! そうと知っていれば登場人物も覚えようと努力したし、いつどのシーンでどこに誰がいたのか読み飛ばさずに真面目にチェックしたのに! どうするよ、ここまで来て!?もういっそ端のキャラから順番に押していってみるか!? とりあえず最初は主人公!(自棄)
「あなた、自分が何を言ってるかわかってるの?」
わかってる!勝手に犯人とトリックがわかったと言い張って、プレイヤーを困らせている犯人はアビコタケマル(シナリオ監修)!その正体はコイツだ!間違いない! …また犯人指摘の選択画面に引き戻されてしまう。 くそう。
サウンドノベルならさ、途中の選択肢で後に起こる事件が変わったり(主人公が死ぬだけじゃなくて)、ここで指摘する犯人によって推理(事件の全貌)が変わるとかしちゃうものなんじゃないの?なんでココで正解を引き当てるまで動けなくなってるわけ?よくわからん。 ○○編というシナリオタイトルがいくつかあるようなので、どっかでそっちに切り変わったりするんだろうか。
しょうがないので、とりあえず今になって見れるヒントから犯人を絞ろうと試みてみる事に方向転換する。…ヒント、欠けてるみたいだけどな!
…よっしゃ、アタイもわかったよ!事件の事はよくわからんけど、どれを犯人だと言い張ればいいのかはたぶんわかった!と思う! 「皆呆れた顔をした」 え、まさかアタシ、説明までしなきゃいけない?いや、聞かれたら微妙なの。ほらアタシ、どんな殺人事件だったかとか誰が死んだかとかよく覚えてないじゃん?「たぶんこのへんを使ってどうにかこうにか何とかしたんじゃないの?具体的には知らんけど」で、ポイントをつなげてみただけで。説明しろって言われてもちょっと難しいよ? …て、 主人公が勝手に説明を始めてくれて助かった。と思ったが 「じゃあアレはどういう事なんだ」 「それは…」 ギャ!また選択肢!?また私に聞くのかよ!?知らんつってるだろ!このプレイヤーの心が主人公にわからんのか!?てゆうか、今何て聞かれたの?何について尋ねられたの?もう解決編だ〜と安心して、またどさくさに紛れて読み飛ばしちゃった!何を答えればいいのかわからんよ! こ、これか!? ひいひいはあはあ… 「しかし一人ではできなかった部分があります」 は?そうなの?へーそうなんだ。あー、ヤな気配… 「それは…」 また私に聞くわけね、おまえは。今共犯者がいることを知ったばかりの私に。 …当った☆しかし嫌な予感が… 「その共犯者とは…」 また選択肢だよ。もうどうでもいいわ。存在がいかがわしいからオマエ(言いがかり) 「あなたですね。あなたにしかできませんでした」 当ったよ……?へえ、この人にしかできなかったんだ。
「おまえの正体は一体誰なんだ?」 「あなたは…」 なんでそんな事までわかってるんですか、主人公は?今、私は「正体」がある事を知ったばっかりですよ。 もう!わかってるんなら、勝手にペラペラ喋ればいいじゃないの!なんでいちいちアタシに聞くわけ!?うざいんだよ、おまえ!自分の意見ぐらい一人で喋れないのかよ!?(苛苛) しかも選択式じゃないのかよ!?名前を打ち込めってや!?なんて卑劣なの?!××さんの××だよ!そんな遥か昔に会話の中で一瞬出てきた人の名前なんか覚えてるわけないだろうが!殺された人の名前すらおぼえていないのに!いつの話だよバーカ!(逆ギレ)
ヒントの中にありました。そうだよ、アナタ。そうじゃなきゃいけませんよ。パーのプレイヤーでもクリアできる出来でなければ、一般にはウケませんよ? 「あなただったんですね。○○さん」
…やった。やったよ。終ったよ。酷い目にあったよ。結婚式場で突然友人からの祝辞を述べろと要求されたような。忘年会で突然一人ずつ何か余興をやれと言われたような。でもなんとか第一回は終ったようです。
それであの夢はなんだったの?あの夢をね、凄く楽しみにしてたのよ、ワタシ。奇麗だからもっとバンバン出てきて欲しかったし、話に絡んで欲しかったのね。
動機と後の言動がめちゃくちゃでさっぱり納得いかないが、そういう支離滅裂な性格という事で納得しなければいけないんだろうな。その性格の破綻ぶりを納得させるためのホラー設定(雰囲気)に違いない。 うん、 私、確かずっと昔に一冊だけ監修の作家のミステリー小説を読んだことがあるんだが(デビューして直ぐの頃だったと思う)、その時にキャラの性格にすごく納得いかなくて肌に合わなかったので、この作家さんの本はよほど興味を惹かれない限りもう読まないことにしようと思った覚えがあるのよな。トリックはもう覚えてないんだけど、登場人物に端からムカついていって嫌いだった事だけ覚えているという。 今思ったけど、ミステリーの作家なんだから、最初にアビコから招待状が来て、「名前貸してるだけなわけないから、制作関係者なんだー」と思った時点で、これがホラーでなくてミステリー仕立てだという事に気づくべきだったのよな。よく考えたら。あんぽんたん。
そういえば天井を直した>> トンカチと釘を借りて、とんとんやりました。実際はとんとんなんて可愛いもんじゃない。「バンッ!バンッ!バンッ!バシンッ!」と、けたたましい。だろうと思って、真昼間を選んだんだが。これは絶対に家が揺れている。 真っ黒いホコリが雨のように降り注ぐ。なんか天井も一部降り注いでいるような…?(木っ端が降ってくる)大丈夫なのか?しかし私は始めるまではああだこうだとグズグズ煩いが、アタシも車も急に止まれない。一度始めてしまったら意地になるみたい。
ねぇ、なんかやっぱヤバイ?本職の大工じゃないずぶの素人が勝手に適当に釘なんか打って大丈夫なのかしら?家に呪われないかしら?家の神様が怒ったりしたらどうしようとか、既にそういう精神的な問題じゃないっぽいよ?もっと物理的…今、目の前にある危機ってやつが。もう止めておく?はぁ、アンタ今更何言ってるの。弱気になるな。ここまで来て、このままおめおめと引き下がれるもんですか。こんな忌々しい天井、このアタクシが一撃の下に叩き割ってくれるわ。ちょっと、直そうとしてるのに天井壊してどうするのよ?うるさいっ!それがどうした!打つべし!打つべし!頼む、持ちこたえてくれ。もうやりきるしかないの。
しかし凄いですね。黙って座ってれば割りに涼しいのに、椅子の上に立ってガンガンやってると一本打つ間に吹き出るよ、汗が。玉を結んで滝のように。頭を振ると汗がバタバタって床に散るんですけど。木埃ってんですか、煙のように木片が舞うし。めがねかけてるのに目に入って、「ぎゃあ!アタシのガラス体がぁ!」「駄目!激痛でも反射で擦るな!はやく水道に!」「これ流れた!?流れたの!?もう流れた?!押さえて良いの?!」「わからんよ、痛くて!」に、しょっちゅうなるし。 まあ下から打ってるからってのもあるけどな。下から打ったのかな、建てた時。かなり辛いんじゃけど。
凄いね、大工さんって。こんな事を一日やってるなんて、大変な仕事だよ、これは。工事現場でしょっちゅう座って休んでなんか食ってたり飲んだりして「あなた達いつ仕事するの?」って時もあるけど、こんなん本当に何時間もぶっ通しで連続してなんて絶対できない。休み休みだよ。当然だよ。 あれはサボってるんじゃなかったんだよ。動き出すためのエネルギーと気力のチャージの時間やねん。燃焼しすぎた体を冷まして立て直す時間というか。「そのうち働くぞ!」という意気込みに満ち溢れたヤル気ある姿だったのよ、あのダラダラしてる姿は。けして無駄にサボって遊んでるわけじゃないのよ。大切な時間やねん、あれは。 有酸素運動でダイエットに最適と思われるよ、大工仕事。黙って座っていれば全然暑くないのに、岩盤浴より遥かに速やかに大量の汗が流れます。「なにこれ?これが汗なの?これが?なんで出るの」と、別のイキモノになったかのような異様な気分になった。
| 2006年09月09日(土) |
なんでわかったんだろ。 |
…なんでわかったんでしょうね。しかも即日反応してるよ。 いやいや、世の中は広いわけですよ。私はあんまり「日記の為」には通わないんだけど(だから世にフィーバーしてるブログもあまり通わない。よく一見さん)、好きなジャンルのサイトさんに通ってて、そこの更新が滞って、私の心に余裕が生まれると日記を覗き始めるんです。読めば結構面白いんだ。目当てのジャンルの話をされててもわくわくするけど、自分の全然知らないジャンルの話をしてたり、自分の知らない世界の話をしていたりして、直ぐ目移りする私は「え、それなに?そんなに面白いの?(わくわく)」と、そこからイキナリ全然違う世界へ飛んだりします。そんで目当てに通ってたジャンルに心が戻ってくるのが二ヵ月後とかになるんだよ。
本や映画やドラマやアニメでも、同人関係者の感想って普通の人より妙なところが局所的に集中的に深くて面白いと思う。 本当に映画ファンとかめっちゃ読書家の方だとかコアなファンのだと、そこまで通(つう)でない、勉強不足の人間には濃すぎて難しすぎる。ちんぷんかんぷんです。 で、感想が一言二言で終ってしまったりしても、それはそれでつまらない。「すごく面白かった!」を三回言われても、その凄さが全然伝わりません。
同人屋さんはなんだかんだ言って、やっぱり表現者であるところがあるので、自分がどういうところを見て面白いと思ったのか、どういうところが気になったのか、何が印象に残ったのか、何について何をどう考えたのかとか、そういう事を他人に説明する、表現する、アウトプットに比較的こ慣れてる人が多いのかもしれない。
上手いんですよ。そう思います。感想で、感情の高揚なんかを表現するのが。学校で書かされるような「感想文」とか「評論」とは言えない類のものかもしれないけど。 同人屋さんというのは実はパンピーなのよな。感情を誰かと分かち合おう、共有しようという積極的な情熱を秘めたパンピー。 だから業界に対する基本知識のレベルなんかでそれほど大差無い状態から、どう楽しめるのか、どう楽しんだのかみたいなのがわかって興味が引かれる。 スポーツなんかそうでしょう。ルールを知らないと正当な楽しみ方ではないかもしれないが、ルールとか戦略を専門家ばりに詳しく知らなくても面白いと思えるところってあるでしょう。野球だってサッカーだって、ルールなんか知らなくても「凄い」と思うシーンはあるし、競馬だってよくわかってなくても、後から追い上げてスパーっと気持ちよく抜いていく馬なんかは(こっちは金掛けてないけど)観衆がギャアギャア騒いで、ゴールした瞬間にクズ馬券?がぶわっと花吹雪のように舞う気持ちがわかる。あのテンション。 「こんなに面白いものなんだよ」って教えてくれる。
で、その見知らぬ人の(見知ってる人でもいいんだが、とりあえずネット感想を巡ってる上で)自分の気持ちが「なんだかウキウキ」方向に強引に引っ張られたり、揺さぶられたりするのが気持ちよい。
レビューなんて感じのものより、日記なんかで出てくるネタバレ感想で「読んでみようかな」と思うことの方が私は多いですよ。小心者だから「これからどうなるのかしら?」なんてハラハラドキドキは全然求めてないんで、ネタバレどんとこいです。
言ってみたら、ハラハラドキドキしてるときって、自分の感情が無いだろ。私、無いんだけど?自転車に乗ってて、隅っこを走りすぎて溝に落ちかけた時なんか、すごくハラハラしてると思われるんだけど、どうにかしよう、どうにかして通常の車輪位置に戻りたいって事ばっかりで「今の気持ち」なんかどうでもいいよ。 あの超絶リアルなハラハラドキドキに比べれば、仮想の物語で誰が何をするかとか次に何が起こるかなんて実にささいな事です。想像を絶していようが、真冬に凍りついた路面で自転車の車輪が今にも路面電車のレールの間に落ちこんでグラグラ転びそうで、しかしブレーキをかければスリップする「あ、もうだめ!もうだめ!」という、この先どうなるかわからない、一秒も油断できない瞬間に比べれば、一体何をドキドキする事があるでしょう。
とにかく、つまり何が言いたいかというと、要するに私は色々なところの色々な人の日記で、色々なものの感想や評を適当に楽しく閲覧しているので、誰の日記でだと断言したり、対象の名前さえ言わなければ、それがひょっとして自分の書いたアレについてかしらと思ったりせず、さらりとスルーするだろうと信じていたとか、そういう事を言いたいわけです。 要するに、「なんでわかったんだろう???」と言いたい。
いや、待て。冷静になろう。
ツッコミを入れられたのは私じゃないかもしれないよな。私は自意識過剰だからな。人に言われていることを自分のことだと深読みしているのかもしれない。 たまたま他の友達が、たまたま同じ時期に、たまたま同じ日記を読んで、たまたま似たような気持ちになって、それをたまたま日記に書いたら、たまたま読まれてしまい、たまたまツッコミを入れられ、それがたまたま、まるで我が事か、私に言っているのか?と疑うような話だったとか、そういう凄い偶然が宇宙の奇跡の如く重なりまくったのかもしれないよ。 うん。 そうだよ、よく考えたら反応が早すぎるものな。「…は?」と思って、いや待てそんな馬鹿なチャットじゃないんだから、こんな十日にいっぺんぐらいしか書いてない日記に時を移さず反応があるわけがないんだと思い、何の話なのかしらと思ったら「四日の日記のことか」とかあったので、四日の日記ってなんだ?と思ってさかのぼってみたら、まさにその日記だったので「私に言ってんのか!?」と驚いて、すっかり信じ込んでしまったよ。あービックリした。世の中には色んなことがあるんだな。 だいたい私は別に戦線離脱なんかしてないもんな。「してないぞ。戦線離脱なんか!戦線が硬直状態なだけだ!」と思ったが、勝手に咄嗟に自分のことだと思ってしまったわけで、よく考えたら私ではないんだ。なーんだ。いやね、私ったら、自意識過剰なんだから恥ずかしいわ。
まあね、そりゃ読むよ。たぶん最後まで。一応。 ただ私も読みかけ部分を開いてみたら、なんかコーヒー飲んでて、「ああ…そうだった、なんか怪しい人に取り囲まれて怪しい翻訳機械が云々、内緒の会話が云々とかそんなシーンだったんだっけ…?」という事は漠然と思い出せても、そこにいたるまですら全然思い出せなくて、既に全体の三分の一まで読み進んでるのに話の全体像が全くわからず、どうしたもんか私がアホすぎるからわからんのかと困ってしまい、とりあえず放置していたが、だからといってここから読み進めても「今まではプロローグみたいなもので、これからどんどんぐいぐい面白くなるので、それまでは無視して、そこから読んでも全然構わない。むしろそこから読め」というわけではない事を知ってしまい、結局もう一度最初から読み直して通読せねばならないらしいとわかったわけだ。 心頭滅却して一から読みます。
いや例のあのアニメは、面白くないとかそういう問題じゃないんだよ。あれを引き合いに出してどうする。たぶん全然別のものだと思えばよかったのに、「原作のアニメ化」だと思ってたから「アアン?」と胡乱な眼差しになったわけで。 原作のファンからすると、「ライトジーンの遺産」の解説にあった、「かっこいいとは、こういうことだ。」が、根こそぎ引き抜かれていた…というか。「ファンはだから読む神林節」がどこにも見当たらないというか。 他の人の感想は知らないが、私の印象としては、そういう感じだったと思います。
確かに、例えばハードボイルドキャラの典型として、チャンドラー作品のフィリップマーロウに見られるように、クールでタフに見えてそのように振る舞うキャラが実際にはかなり繊細で細やかな神経をしていて、ささいな事を気にしてないフリをして酷く気にしていたりとかはよくあることで、零はまさしくそんな感じの「実はナイーブ(たぶんだからアアなった)」キャラだが、それを画面でああやって目に見えるように表情豊かにやられると駄目だって事がわかります。アニメの零には物凄く言いたいことがいっぱいあった気がするけど、それは置いておいて。 感情の表現を限界まで刈り込んでるというか、思考と感情が入れ替わっているというか、思考が感情の代わりをしているような空気の渇いた感じ、文章の、冷たいわけじゃないけど醒めた感じが、アニメになるとベッチョリベチョベチョでビックリしたというわけです。 てっきり肌に爽やかな麻か木綿の衣類だと思って受け取ったら、脱いだばっかりのスクール水着だった、、、みたいな、そういうショック。スクール水着が悪いなんて言ってんじゃないんです。スクール水着は人によっては大変萌えるだろう。勿論です。ただ自分が求めていた物と違ったというだけです。
ところで雪風原作ファンは「戦/闘/妖/精/少/女/た/す/け/て/!/メ/イ/ヴ/ち/ゃ/ん」についてはどうなんでしょうか?(なんとなく検索避け。気持ち伏字。公の場で口に出してはいけない恥ずかしい単語気分。そんな気持ちの揺れに正直に、スラッシュで挟んでみました) 私はそれを発見した時に、アニメ版雪風をどういった姿勢で受け入れるべきなのかについて、天上の神々から「このように納得せよ」と啓示を受けた気がしました。思わず凄く納得しました。
そうか、あれはこういう精神性を内に秘めたもんだったんだ! 納得ザコザコ。
バッタモンなんて生易しい感じではなく、しかし正々堂々と「原作:神林長平(OVA「戦闘妖精雪風」より)」(←ココ、ぺかーっと光り輝いて見えました。「バ、バーン!」って感じ)になっており、けれど 「戦闘妖精雪風(本編)とは何の互換性もありません(笑)」 と、密かに注意書きがありんす。それを見て、「アア、こうされとったら、何をどうされようが何も思わなかった…。今、そうであるように」としみじみ思いましたよ。 アニメ化の時にあれだけ顔で怒って心で号泣していたようだったので、メイヴちゃんはもう見なかった、世に存在しない事にしているのかしらと思います。いやひょっとすると、「は?!てゆうか、何ソレ?」かもしれません。
私はメイヴちゃんは見てないんだが(でもレンタル屋で雪風OVAの横に並んでいるんだよ。目に入るんだよ。なんか可愛い女の子が)、主人公の名前も一応「レイ」らしいし(カタカナだけど)、OVAでもなんでもとりあえず原作を知ってたら「あれをああパロってんか」と色々発見することがあるのかもしれない。思うところとか。あるのかもしれん。
これ、初めて見つけたときは「絶対メールしてやる!ちゅうか電話しちゃろうかしら!?」と思ったんだけど、すっかり忘れとった☆ アニメ版なんか引き合いに出されたので思い出したわ。
いつの間にか、さらに足を踏み外して超絶マイナーらしい特撮に走っていた私ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。主な熱中ポイントを簡潔に伝達したところ、 「そりゃあお姉さんのストライクゾーンだね」 と返事がきましたが、あなたストライクゾーンだなんて、そのような幅広いものではありません。直球ど真ん中でしょう。武器が喋るなんてさ。
個人的にはそこが一番心引かれて頭から突入を決意したところですが、ほかも全体的に大変好みだったので、あたしゃ幸せです。基本的にはシリアスも好きは好きだけど、バカっぽいの大好き。なんていうか、火浦何とかのとか(たぶん角川の文庫)、東京忍者?(たぶん富士見書房の文庫)とかのコメディ小説(いや、東京忍者はギャグだろ)が大好きだった心が凄い勢いで盛り上がりました。
この系統は亡き兄も大好きだったので、見てて「うわぁコレ面白いわぁ」と感動するほどに、「兄者が生きていたら大ウケして喜んだだろうに。草葉の陰では見れないのだろうか、やっぱり」と、ちょっぴり無駄な切なさを感じるほどです。そういうの結構あるけどね(笑)映画とかゲームとかアニメとか新作を見ると、「私的にはイマイチだけど、あいつはこういうのがツボで物凄く好きだったんだよねぇ。もうちょっと長生きしていれば見れたのにさぁ」というのが。 これはもう兄妹共にオタクで、相手の趣味や好みを熟知していたからしょうがない。しかもオタクのまま死んだので、私は一生新作ポスターなどを見るたびに、「こういうのがメッチャ好きだったんだよ。生きていれば見たがったろう。見せてやりたかったよ」と、つい思いながら生きていくのであろう気がするよ。あの世で報告することがメッチャ沢山ありますね。 「おまえが死んでから傑作が出てよ。すごいんだよ展開が!うわ見れてねえなんて可哀相過ぎる!あの傑作を!最高だったのに!」
なんか微妙でどうも感動に欠けるが、オタクにはオタクの懐古の仕方があります。感動的に変換すると、「兄さん、この村についに学校ができたんだよ…!兄さんが夢見ていた学校が!この子供達の笑顔を見せてやりたかった…」みたいな。 オカンは美しい風景などに向かって遺影を掲げ「見せてやりたかった…!」とかほざいてましたが、やつがそんなものに素直に心を動かす人間では無かった事を爽やかに忘れています。死んだからって夢見すぎです。彼女の中ではどんな爽やか青年に修正されてしまっているのでしょう。タイムボカンシリーズのDVD BOXでも掲げて「見せてやりたかった…!」と嘆く方がまちがいなく正解だと思う。アタイにはわかります。 ファンだった作品を見ることは、亡くなった人間の写真を見るようなもんだ。このなんだか非常に悔しい感覚。 割と若く死んだから可哀相とか不幸とか、本人は早めに突然死んで悔しがってるだろうとか悲しんでいるだろうとか全然素直に思わなかったし、今も思ってないんだが、でもしかしこの特撮番組なんか楽しく見ていると「兄、可哀相な!悔しかろう!」気分がわいて出る。
病室でも翻訳していた翻訳者さんが、後一歩のところで亡くなり、原稿の最後が「彼」の偏である行人偏で終っていた…なんてのは、その原稿を実際に見た親しい人、編集者や翻訳を引き継いだ人なんか、出版された後でそのページのその「彼」という一字を見るたびに本人を思い出すだろうと思うよ。書こうとして力尽き、行人偏まで書いて、ただ「皮」を書ききれなかった、その最後の一字が。
そんな個人的に傑作特撮は置いといて。
人様の日記で、80ページまで読んで頓挫して、枕もとの上から六冊目に積んである某小説にオチも解決も無いらしきことを知り、さらに暫く放置する事を決定しました。嗚呼ナンテ事を知ってしまったんだ。辛い、結構辛いと思っていたが(わけがわからんまま淡々と進んでいき、物語として動きがあっているのか無いでいるのかわからないのでいるので辛い)、この辛さになんの報いも無いらしき事を先に知ってしまうなんて。 推理小説の犯人を漏らすより残酷だと思います。いや知っておいて良かったのかも。微妙だわ。しかしまるで読みたかった名作推理小説を図書館で借りてきて、やったタダで読める、早速読もうと思って開いたら、最初の五十ページが破れて紛失していた…というのに似ており、それは見たかった古いドラマ作品をレンタルで発見して一瞬喜んだけど、よく見ると一巻と最終巻が無い上に古い作品なので再入荷予定も無い、どうせ置いておくなら揃えて置けよ!…というような悲しみを感じます。
で、最近は水滸伝のとりあえず持ってる部分までは読了しようと試みて読んでいたのだが、読みやすいけど辛いです。合間合間に漢文の書き下し文みたいな文章になり(大体風景や建物や人の服飾や容姿の説明みたいなところが)、意味不明の単語が山ほど出てきて辛いというのはあるんだが、全体的に話が流れる部分は講釈っぽいからかさくさく進む。 ただ何が辛いかって、
ら、乱暴者め…!
そりゃ武侠もの?だからそういうもんなのかもしれないが。古事記でスサノオなんかがどうも気に入らなかった社会性にあふるる常識人としては、「やりすぎ!」とか「謝ってすむと思うな!」とか「沢山殴ったら死んじゃったので逃げてきましたとか胸を張って言うことか!」とか、十ページに一回ぐらいは「なんて無責任でいい加減な人間なの!」だの「筋を通せバカ!」だの「なんでもかんでも暴力で解決するな!」だの自分の事は棚に上げてムッとしてばかりです。全然スッキリしないまま進んでいきます。 水滸伝は前半は活劇で、後半は官軍に攻められて百八星がばったばったと死んでいく悲劇的な結末らしいのだが、今の気分としては悲劇的になってきたら悲劇的だと思わず、いい気味だと思ってしまいそう。いや、百八人も出てくればそのうち好きな人も出てくるのかもしれないけど。あるいは、長々と何度も出てくるのを読んでるうちに「嫌だ嫌だ」と思いながら慣れで愛着が湧いて、死んだら悪友をなくしたようにほろっとするのかもしれないけど。
物語の流れとしては、まあ常にドラマチックなのでダレて飽きるということは無いんだが、会社勤めの常識人としては「この百八の魔星め…!少しは大人しくしろよ!人の迷惑を考えろ!」ですよ。たまに困窮してる一般人を助けたりもするのだが、その百倍は一般人に迷惑をかけていると思う。一の善行のために十の悪行を見逃すとすれば、確かにそれが人間の真実かもしれないが、なんですか悟りを目指す修行僧の気分。 善事を行おうとして悪事を行い、悪事を行うつもりで善事を行ったりするのが人間だという鬼平の言葉には頷くところですが、しかしこれは…!
どういう状態かといえば、オレオレ詐欺で借金してまで振り込んで借金に苦しんでいる人を見て、まかせておけと夜逃げさせ、自分は借金取りのところに殴りこんで勢いあまって借金取りを殴り殺した後、しまったと国外逃亡を試みる感じ。こうとなれば私は借金取りに同情します。駄々こねて介護施設に入れてもらったはいいものの、特上握り寿司を毎食出せとか可愛い姉ちゃんがいないとか文句を言ったり駄々をこねたりし、気に入らないことがあれば職員を殴り、職員にセクハラしたあげく、うちでは預かりかねますと言われれば、「老人を虐待するのか!」と切れる。いつもそんな感じ。 時々ブルブルします。やはり魔王だ。
こういう人間が人間らしいのを見てムカつくようでは、自分は自分が人間であることが許しがたいほど心底人間が大嫌いだったという事を思い出して、幼児や老人の世話など到底できっこない心の狭さを持ち、人間としてまだまだだなとしみじみ思います。嗚私はまだ故郷に帰れない。 しかしそれだけ、社会人として大切な何かを持っているような気にもなり、私は人として駄目かもしれないが、社会人としてはまだ最低ラインを守りきっているような気が気のせいかもしれないがしきりにするぞという勇気も出ます。 この、人間を手前勝手に心で裁く心の境界線を捨てるべきか守るべきか。愛するのか、憎むのか。 そんな揺れ動く心に相対させられる深い物語だな、水滸伝。
いや、たぶん捨てられんのだけど。「愛することは許すこと。愛は全てを許す」とか言われたら、「俺は人を愛したことなど、生まれてこの方一度も無いわ!それがどうした!」と殴りかかること請け合いの超心狭い私。 そこに境界など無いと知っていて、だのに目に見えるもののように守らずにはいられないのです。国境のように。
この巻まで読み終わったら、絶対また中断すると思われるんだが、こういうのはマラソンのつもりで一思いに最後まで揃えて読んだほうが良いのかもしれない。登場人物をさくさく忘れそうだし。
そういえば、近年見かけないなと思っていた漫画家さんの名前で小説が出ているのを出しているのを発見して「あれ?同姓同名?」とあとがきを読んだらば、目を悪くして漫画が書けなくなったらしい本人だった。台詞回しとか話の雰囲気も好きだったんだけど、特に絵柄や画面が好きな作家さんだったので、知らぬまにそんな事になっていたとはと、かなり残念だった。
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