非日記
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今日も腐女子。明日も腐女子。 色々惑い迷ってるが気にしない。日記なのだ。試行錯誤中だ。
はりぽた> なんとか真面目に感想を…と思うのだが、どうも不真面目になってしまう。 「真面目に、真面目にね」パラパラ捲ってみても、つい 「さ、シリスネ設定を捏造するか」 になっている。 でも読み直せば読み直すほど、スネ先生は「世界で一番最初にホモになる男」で、シリウスは「世界で一番最後にホモになる男」なきがしてきて、いまいち難しい。
何故「世界で一番最後にホモになる男」のような気がするのかというと、 P488の十行目と十一行目だよ。頭に来る男だ。あんた、ピーターの矮小さに助けられてるよ。おまえなあ!言って良い事と悪い事があるだろうがよ!ピーターに謝りなさい! …いや、いかんいかん。せっかくコレを旦那さんにしようと企んでいるというのに、怒ってムカついててどうする、私(苦笑)だいたい何故に私がピーターを弁護しようとしているのよ?わざわざピーターを弁護しなくても世界の誰も私を責めないよ。 ともかく、ここだ。その昔、美術の先生は(注:女)「恋愛か友情かは、セックスをするかしないか程度の違いだ」だと言っていたが、私の勘によれば、シリウスの定義は絶対に違うわよ。指一本触れなくても肉体関係を結ぼうとも、そんな事とは関係なく、友愛と恋愛の間には深く抉れたグランドキャニオンがあるに違いないよ。そんなキガスル。 ま、だから友情が欠片もないスネ先生となら何とかなるかもしれない…とも思うわよな(なんとかするんか)
それにしても、シリウスも阿呆だが、ピーターはもっと阿呆だってきがするわ。 よりによっての奴を裏切ったものよ。そう思うと、確かにピーターは勇気が美徳の勇猛果敢なグリフィンドールなんだなあって思う。 一巻のネビルを思い出して。 ハリもピーターとネビルを重ねていたが(ピーター悪くないと思ってたころ。でも基本骨子としては、わかってからの方が重ならんでもない)
だって、ピーターを「誰にも言わずに一人で」追っただろう。ピーターが友人だったから、そしてピーターを選んだのは自分だから、ピーターがやった事の責任を一人でとるつもりだったと思われるね。逆手にとられたが。 そう思うと、ピーターはシリウスをよくわかってたんだな。シリウスさえ黙らせれば良い。シリウスは絶対に「他の誰一人にも言ってない」という確信がなければ、アアは思い切れない。それだのに、やっぱりわかってなかったのよ。 シリウスは一度はピーターを許してるように思える。責任がピーターを見誤った自分にもあるからだ。 ああ、ピーター、あんた、シリウスを殺しておくべきだったのよ。シリウスが最初にやってきた時になら殺せたかもしれない。事実、仕掛けるのが遅れてるもの。それだのに、奴を殺さずに嵌めて、二度裏切るなんてな。なんて恐ろしい事を。一度だって許し難いだろう奴が一度は許していたのに、二度も裏切るなんて、あなた自殺行為よ。
ピーター、きっと賭ける方を間違えたわよ。シリウスが誰にも何も言わずにたった一人でやってきて、「裏切ったな」と有無を言わせず殺そう等とはせず、まずは「どういうことか」と自分に話を聞こうとするだろう事はわかっていながら(苦笑)「シリウスが自分を殺す事を、それでもまだ躊躇うかもしれない」方に賭けて、奴を殺す気で最初の一撃に命運をかけるべきだったのよ。ええ、そうだったのよ。余計な事は考えずにね。 それだのにピーターったら、見誤ったか。
だって、仁王立ちで笑ってたらしい(三巻 P270) そこで笑う気持ちわからんでもないよな。膝を折らない為にはもう笑うしかないって感じ。
ちょっと関係ないが、セドリックに対する「僕が言ったんだ」なハリーのところは、妙にシリウスにかぶるね。ただ、シリウスはそこで泣かなかったんだな。なんだか十二年泣いてなさそうな感じよ。そこが「この人ってなんだかなあ、なんと申せばよろしいか」だよ。
ともかく、 ピーターの叫びだけ聞こえたということは、シリウスは「何がおこったのか」わりと冷静にピーターに尋ねていたのだと思われる。だからその笑いは「これが、問いに対する答えか」と言ったところだろう。「自分は友人だと思っていた。だがピーターの方はそうではなかった」と知ったわけだ。道化の自分を笑っていたのだと思われないでもないよ。 そこがスネたんと違う思う。スネたんはそゆとき笑わない思う。 だから黙っていたのだと思われんでもないよ。実際的に意味が薄い事と、自分のミスで死なせたジェームズ達のせいと、ついでにピーターの為だったかもしれないよ。十二年(三巻時点)何一つしようとせず黙って獄に繋がれていた自分が「二度も」裏切られたのだと知るまでは、まだなんとか血管繋がっていたもようだもの。
それだのに、ピーターのお・ば・か・さ・ん☆
雲隠れして隠遁していれば、シリウスは脱獄してきてまで必死に追ったりしなかったかもしれないわよ。例えば、シリウスがシリウスを裏切った自分の為にも黙っているのかもしれないとは、カスも思わなかったのか。思わなかったんだろうなあ。 私も今試しに考えてみたぐらいだ。 三人も秘密を共有するような友達がいて、ジェームズが「他の誰よりも信用した」理由はそれかもしれないよ。十二年も経って何故に今更?とか思わんか普通。十二年憎んでいても、その十二年何もシナカッタのよ?何もしなかったのは、「できなかったから」それだけか?あのカッとしたらプツッっと切れる男が?血管切れて飛び出してきたなんて、つまり十二年前から十二年間は切れてなかったという事になるんじゃないか? それだのに、十二年前にするべきだった釈明と命請いをよりによっての十二年後にするなんて、だから「死ぬべきだった!」なんて頭から怒鳴られるのよ。はあん。
ふう、なんとかシリウスをちょっとは弁護できたかしらん(アホ)無理?無理かこやつは。筋が通りそうなように考えてみようとしたんだけど。 しかしさもなくばスネ先生を嫁にやれないわ。だってヘタレなんだもんな。 どっちかというと、やってる事は、シリウスがスリザリン寄りで、スネイプ先生がグリフィンドール寄りだって方がわかりやすいだよ。 ・・・そうでもないか。 異端者として似た者同士で、お似合いなのだって気もする。いびつさが。似ていて違うから、お互い余計に腹がたちそうなんだが。
気をとりなおして、 「最初のスネたんへの発言は何だったかしら?」 三巻、461ページ 「・・・・・・」 ここで私がガッカリしたなどとは、よもや思わないでしょうね?受信アンテナをもつ私には星の囁きが聞こえるのです。
「ああ!また口が勝手に!?(焦)」
と。さすが私の脳。便利な脳だ。伊達に国語のテストで、小説や詩の自分解釈をするのを徹底的にやめ、出題者の心理解釈をするよう方向転換した途端、平均点が十五点簡単に上がったわけではないのだ。
「説明しないと」と常識的にのたまうルーピン先生に 「後で説明すれば良い」 などと発言している人で、どうやらハリ父の時にもダンブルドア校長だとか誰か第三者に事情を説明して行けば良いものを、一足飛びに 「後で説明すれば良い」 で、ピーター君のところへ突っ走り、後で説明できない状態になってそのままダンマリ十ン年に突入したウッカリさんで、しかもどうやら一度も弁明しようとした形跡が無い人だ。 やはりこの人は常に自己完結しているのよ。これは頭の善し悪しとか性格の善し悪しではなくて、思考の癖かしら。
頭がよかったらしいが、よく計算できても、よく要点や前提を間違うと思われるわ(苦笑) 「たいへんよくできていますが、宿題に出したページが違います」とか「三番の解答欄に四番の答えをかいてから順番に一つずつ最後まで全部ズレています。提出の前に解答欄を必ず確認する癖をつけましょう」とか、そういうタイプで。 「答えはあってるんでしょ」と慰められても、職員室で「間違いは間違いだ」と言われたら、「でも間違いは間違いなんだ」とか言ってテストの点数十五点で「これが実力なんだ」と頑固に言い張る奴だよ、きっと(笑) で、しかし心中は「でも答えはあっていた」と思うから、慰められなくても完全な自信喪失まではいかないのよ、きっと。ただ同じ失敗を繰り返すので、年経る事にどんどん心配性になっていき、幾ら「もう充分だ」と言われても、「いや、まだ充分じゃない」と提出前に五回は確認して、まだしきりに不安がっているような。
ま、ともかく、そんな具合で星の囁きは聞こえるのだが。これをどうやってシリスネにするかの問題が。 スネちゃまがキーキーを止めてくれるといいんだが。 てゆうか、スネ先生が死にそうな気もまだせんでもないが、シリウスが死にそうな心配もあるわよな。 私だってそんなに素直でもないので、完結するまでは、色々迷いがあるのよな。 他にもっと良い人も出てくるかもしれないし!
ああ、私のオススメかっぷるが。歯が黄ばんでる同士でお似合いだのに!(要らん所をお似合いにしない)
…てゆうか、私、タイトルにネタバレと書いた時には、セドリック、君の為に泣いたりショックを受けてやれなくてすまないと追悼気分だったはずだのに。それでセドリックについて何か考えるつもりだった…気がするんだが。どうやら気の所為だったようだ。 気がついたら徹頭徹尾、暑苦しいシリスネの捏造(というかピーターの弁護?シリウスの弁護?)で概ね終っていて、しかも結構な量だよ(苦笑) すまん、セドリック。別に君が好きとか嫌いとかどうでも良いとか、そういうんじゃなくて。単に死んだ人間について考えるのは可能な限り避けたいんじゃなかろうかというキガスルよ(だから死なれたら結構困るので、死なないで欲しいわけだ) けれど、だからってシリスネに逃げなくても(苦笑) もちょっとマトモなものに逃げた方が…。
今日ふと思ったんだが、スガシカオの♪アシンメトリー♪はシリスネかもしれないね。 さらに、私的に大問題だが、ヤイダヒトミの♪HOW?♪はピーシリのようだね。ああ、大問題だ。頑張ってシリスネに聞こう。暴れ柳事件あたりとか。それだのに、スネシリに聞こえるね。大問題だ。だって内容がもとから犬ソングなんだもの。 私はどうすれば良いんだ。人のを呷るように読んで見て自分の脳を洗濯したいんだが、対象が少ないのが問題だ。
よくわからないが、今日見た夢>
私は戦闘機をつくる班にいて、作業の途中で躓いたひょうしに怖いお兄ちゃんの頭にバケツを落としてしまい、落成式?で「完成に賞をもらうより、自分の頭にバケツを落としやがった奴が知りたい。犯人がわかるまでメダルは受け取れません」等といわれ、偉い人にしょうがないから名乗り出よと言われ、 「じ、自分です!ひースイマセン!」 と叫んで「おまえか!?」と言われているうちに(兄ちゃん心狭いよ!と思ってるうちに)目が覚めた。
これは、雪風ビデオの二巻を借りよという事なのか。天啓かもしれないが、とりあえず無視することにする。
タブラトゥーラのCD「蟹」を買う>
蟹だったので気になった(あまりに単純な理由なので躊躇うこと二ヶ月)
自分が蟹座ってのが昔からタイソウ気に要らないのだが、蟹座なのは事実なので、蟹と聞くと「…ともだち?」と親近感が湧いて気になるのだ。一般に十三星座という区切りが日の目を見た時、「これでついに十ン年の蟹座人生にもおさらばネ!何になるのかしら!?何かしら?」とドキドキ見たら、なんとまたギリギリ蟹座だった。滑り込んでまで蟹座だった。やってられん。短い夢だったよ。 その昔、好かない人間が誕生日一日違いでやはり蟹座だったというのもあるのかもしれないが、単に蟹だってのも気に入らないのだ。だって形が変なのよ。可愛くないのよ。しかも雑誌の占いで蟹の項目を見ると、添えられているイラストがまた私の好みじゃないのよ。だいたい、あの、蟹座のろくじゅうきゅうマークはなんだ?十八禁か? 居を移した実家先は、水辺の近くで(汽水域なのだが)蟹が山のように居るのだ。階段を降りていくと優雅に戯れていた蟹集団が慌てふためき逃げ惑う。慌てふためき過ぎて、降ってくる足の真下に頑張って駆け込む始末。「…我が友」と落涙を禁じ得ない。さらに親近感が湧いた。鍋底に泡がつき始めるぐらいは沸いた。 加えて、ここ数年、親父さんは蝿から主旨変えして蟹に走ったのだ。ベランダに生ゴミを並べて蝿を集めていたように、休みともなれば蟹狩りに出掛けていく次第。彼の水槽には蟹が蠢いている。 「餌が足りないらしくって、共食いを始めちゃって屍骸の山ができちゃってさあ。ハハハ。とりあえずちょぴっとはまだ生きてるよ!足が足りないのとかも多いけど!数がどんどん減るんだよ!足が足りないのも毎日どんどん増えるんだよ!屍骸が匂って来てさあ」 「…はやく川に返せ」 くらり。憐憫が極まって親近感が?親近感が募って憐憫か。 私が帰らんので、偶にはと蟹狩り用地をこちらにする予定があるらしい。この地の蟹の平穏もこれまでか。もうすぐ鬼が来るのだ。
ともかく、そういうわけで、蟹が気になるので。中古で安かったのもあって、買ってしまった。 ライナーノーツによれば、 「都会的でモダンなスタイルの曲でありながら古楽器の響きがどこか懐かしく、ファンキーでドライな感じがありながらウェットで悲しい」 …先生、アタイ、ちょっと意味がよくわかりませんようよ(惑)気になったのは、それもある。わからんからには、実地、聴くしかない。 しかし音楽の解説、ライナーノーツや宣伝文句etc.いつもよく(正直に言うと、ゼンゼン、全く、ちっとも、サッパリ)わからないのだ。
買う。入れる。聴く。・・・
好きかも知れん。てゆうか好き。ひよよよよよ〜…って感じが。こういうの好きだ。元から、民族音楽とか古楽器とか、どこか古っぽいの好きなのだ。
うん、これが都会的でモダンでありながらどこか懐かしい響きをもっていて、ファンキーでドライでありながらウェットで悲しいものなのか。勉強になったよ。今度から「どんな曲が好き?」と問われたら、こう答えれば良いのか? 「そうねえ、例えば、都会的でモダンでありながらどこか郷愁を誘いつつ、ファンキーでドライなんだけどウェットで悲しい奴…なんかも好きよ」 えーと、…ちょっと長すぎないかしら?
いや、私は構わないけどね。聴けば、言いたい事がなんとなくわかったし。感じた通りに言うとこうなるんだなと。 ああいやいや、「都会的でモダン」のところはちょっとわからないかな。後、ファンキーという単語の意味がよくわかりません(オバカ)。特に片仮名は苦手なのだ。サイケデリックとアルカイックとエスプリと、ウィットだとか…そんなようなのもイマイチ明瞭にわからない。辞書を引いても良くわからない。雰囲気で読み流してる。
まだ、お脳の中に「えすぷり?」とか「さいけでりっく?」とか「うぃっと?」とか書いた箱を設置し、「ここに入れるんだってよ」と言われるがままポコポコ放り込んで、時々覗いてみて、チョッピリ溜まってるのを取り出して並べては(喩えるなら、例えば、あるコンニャクとある油絵とある人間Aとある本を並べて)「これのどこに一体どんな共通点が?似てる…気もせんでもないが」と激しく困惑している状態だ。 喩えるなら、「うぃっと?」箱を「ジョーク?」箱の隣に設置してみるのだが、点検時に時々間違えて入れていたらしい事に気づいたりもする。あげくに両方に入るものがあって(だから近くに置いたのだが)、どうやって入れれば良いのかわからない。箱をくっつけて並べ、その縁にのせてみたりするのだが安定が悪く、どっちかにコロっと落ちたりしてムカついて「この箱がイカンのか!?形が違うのか!サイズが違うのか?ウィット箱の中にジョーク箱を入れねばナランのか!?だがそうすると、ウィットに入らないらしいジョークはどこに入れるんだ!?」と箱を蹴とばしたり。半分ずつに千切って両方に入れてみては、レッドアラートが鳴り響き、「頭が散らかった!」と。仕方が無いので取り出してくっつけ、そのへんに放置。「片付かない」と苛々したり。 さらに辞書を引いて相当する「機知」だとか「冗談」とかいう日本語の和っかで、わかりやすく箱を整理しようと試みたりもするのだが、どう紐をかければスッキリするのかがわからなくて、また腹が立つ。
群雄割拠、乱立する謎の箱(や、袋や、籠やN次元空間。入物が悪いのかと色々手作りしたり新製品を導入してみた痕跡)と、周辺は未整理のゴミに囲まれ、自分の頭の悪さにブスブスとムカつく日々だ。
カテゴライズしてきた実像というか実物というか実例の量が全然足りず、総括ができないで定義しかね、基準となる要素を取り出してある構成をし、自分でその典型例を作成して「つまりこういうのだ」と解説できるどころか、「ほぼ正確に既製品を分類できる」段階にすら到底辿り着いてない2X歳なのよ。恥ずかしいわね(苦笑) でも言語能力の一部は、青年期で臨界期を向え頭打ちになり後は下がる一方の数学的能力や運動能力などと違い、経験値と作業時間に比例して生涯延び続ける…という事に今はなっているらしいからな。
| 2003年05月28日(水) |
ハリネタバレの上、腐女子専用回路。 |
今日はハリの四巻までネタバレの上、腐女子専用でしかもシリスネ? 日記を書いていたらそうなった。
>> 思い出して。 仮にジェー○ズ×ス○イプにしたら、スネ先生が「可哀想」なきがするからイマイチなんじゃないようだ。
恋愛結婚の後、離婚した女性が、もと亭主の後妻の葬式に来ていて、葬儀をきりもりしており。ある人は「別れた男の為に泣いてやってえらいね」と言い、また別のある人は「早くに亡くなった後妻の為に泣いてやってえらいね」と言い。 しかし本人に聞けば、 「違うんですよ。そんなつもりもなく、ひそひそと噂されるような場所にヒョコヒョコと出て来ていて、衆人の目を集め、自分はまるで道化師だと思うと泣けました」 といったような事を薄ら笑っていう。 そういう話を思い出したんだ。「花のある人 花になる人」
で、 スネ先生がそんなような感じだ。しかしそこで、自分的に自分が道化者だとは意地でも認めまいとするきがする。それはしんどかろうと思うと…なんつーか噛み締めるのは、ひたすらに惨めさになってしまうよなと思って。その惨めさがイマイチなんだ。 …惨めさというのとも、ちょっと違うかもししれないが。感情を表現する言葉を捜して当てはめるのは面倒くさくなる。 ともかくそういう感じが、あまりにもピッタリくるので嫌かもしれない…(苦笑)
シリウスとジェームズだと、シリウスはジェームズに期待をしていなかったように思えるんだ。良い意味でも悪い意味でも、シリウスは果てしなく自己中心的で、それゆえに感情が自分の中だけで完結してしまっていて、それに対する報いを期待していないように思える。
そうだなあ、シリウスを仇だと思ってるハリーへの応対のあたりで、かな。 だって、ハリーが自分の話を聞こうともしないだろう事はわかりきっていたはずだ。考えなくたってわかるだろう。もしもハリーが父親の事は記憶も無いし自分には関係ないとか言って、アッサリとシリウスを無視したら、それはそれでシリウスは何故自分を憎まないのかと怒ったか、そうかいと冷淡に無視したきもしないでもないね。 あそこでハリーが憎悪むき出しだったので、「ハリー気になる」だったのが「ハリー大好き」になったと思われるよ。ネズミで食いつなぐぐらい(笑)
勘だが、 シリウスに好かれるには、シリウスが好きな対象をわかりやすく(←注:単純だから)尽く赤裸々に褒め称え死ぬ気で守ってやって、それがシリウスの為ではなかったら良いんじゃないかな?(笑) きっとあっという間に大親友になれる上、なあなあで婚姻届までいけ、しかも我が身を省みず仇をとる事に残された人生を費やしてくれて恨み言無しどころか良い事ばっかり覚えてて「あいつは良い奴だった」としか言わない、そんなきがするよ。 原理は判明していて超簡単だが、ある意味実行は非常に困難かもしれん。普通にシリスウを好きな奴にはできなかった。よってハンサムと表記されながらバリバリの独身で構うところ無しだ。ハリーを養子にする事を考える前に就職や結婚する事を考えろと思うが。英国には、平均程度以上の家庭でなければ養子とれない等というような司法的問題はないんかい。…いや、養子にはできなくても、いっしょに暮らせればそれで良いわけか。自己完結してるから。 さもなくても、きっとOKをとりつけてから、いそいそと「ハリーが養子でオッケー!アタイ、ハリー大好きよ!アンタより好き!」な相手を探すだろう。
ジェームズかリリーが絶対、犬にこれをやったんだよ。ははん。 私の気の所為かな(笑)もー絶対そうだ、まず間違い無いんじゃないかと思うけど。
ハリーに限らず、ピーターに嵌められた時にはわかったはずだ。自分にとっての現実が人の真実とは袂を分かち、誰も自分の言葉を信じはしないだろう。もしも信じてもらう事ができたとしても、その為にさく手間と時間と気力が惜しい。というか、もはやその必要が無い。 それが、自分の現実に即した自分行動を妨げられない為に、急遽必要が生じたので事実関係を説明しようとしている感じがするよ。 必要になったから説明をしはじめ理解を求めたのであって、必要が無かったらそれほど積極的に釈明せず、ピーターをさくっと殺害してそのまま雲隠れしたきがする。
だから、どんな人間をどれだけ愛し、その為にどうなろうとも、けして愛情や信頼が惨めさにだけはならない御得な思考回路のきがする。 …途中を飛ばしたきがする。きっと意味不明だ。まあいいか。これは日記なのだ(便利な言葉だよ)
関係ないが、三巻のルーピン先生とシリウスは、そのまま「走れメロス」だ。 そして私は、腐女子のくせに、走れメロスが腐女子的にはピンとこないのだった。メロス×王様なら萌えるかな?(それだから王道にのらないのか)
ともかく、スネイプ先生の前では大嫌い態度なのに、スネイプ先生が欠片も目の前にいないと、そんなでもないでしょ?そんなでもないきがするねんよ。微妙に言葉を濁すねん。ここがツボなのよ。 奴はスネイプ先生を言葉や態度ほど嫌いじゃ無いとみたね。スネイプ先生が大嫌い態度だから、素直に大嫌い態度になるのだと思われる。阿ときたら吽だよ。スネちゃまの態度が丸くなったら、ほいほい仲良くなるきがするだよ。 それで前述の、「シリウスが好意をもっているんだが、シリウスが好きだからになってはいけない対象(…説明が難しい)」をスネたんにすると、ゴッツ良いね。 とても良いよ(しみじみ) 私の中ではこれで理路整然としているんだ。よって王道なんだ。 ただシリウスの仲良し感覚はスネちゃまの仲良し感覚とズレているきがするので、仲良くなっても喧嘩が絶えないに相違ないが、世の中には良い言葉があって、俗に痴話喧嘩というのだ。
ああ、楽しい! 愛はかすがい!なんでもくっつく瞬間接着剤!(意味不明)
四巻まで読了した某嬢は、例によって「(自由に)お幸せに」で、楽しい私に淡白な応対だが、良いんだ。アタイは幸せだ。
私「で?俺様、どうだった?」 某「しゃべりすぎ」 指定が細かいな。 私「ハグリッド、大活躍だったでしょ?」 某「あんまり活躍してなかったわ」 全く、指定が細かい。 シリスネで大活躍してくれない私の気持ちも鑑みておくれよ(他に誰がそれを期待しているのか。いや、いなくもないみたいよ)いいえ、良いの。まるで飛び猿とお銀のようなシリウスとスネたんで、私は充分しあわせよ。 三巻の、助さんと格さんのよううなスネたまとマクゴナガル先生も楽しかったが。 スネイプ先生は一人で、助さんとお銀と八兵衛を兼任な感じで大活躍だよ。 一体何をどうやって、あの直情激情型のぷっつんスネたんが、スパイなんて冷静さと冷酷さが売りの小器用な事をやれたというのだろうか。それは以下続刊で解き明かされるのかもしれないし、ますます不明になるのかもしれない。
クラムとハーマイオニーのところでのロンが可愛いらしいが、さすがあのハグリッドが好きなだけあり、毎度カップリングが違って私が淋しいだけあるよ。 私はああいうパターンに遭遇したら、いいかげんにしろ!とロンにキレたあげく、クラムにも当たり散らす方だもの(最低だあよ、あなた)。
| 2003年05月23日(金) |
やっと映画を見たらしい。 |
ツェッペリンの♪移民の歌♪、初めて聞いた時は出だしの♪Ah ah ah〜♪のところで「何事?」とのけぞった覚えがあるんだが、割りと好き。石川さ○りに通じるものがあるのよね…(そうか?) いや、だから波打つahに。
某さんはやっと二つの塔を見に行ったのだそうです。
「私にはガンダルフが女子高生に見えた!」 意気込んで語ってくれたのだが、私には「あそこのこと?」と思い返してみても、…どう思い返してみても、(その線で見るなら)女学生だったと思う。 「赤いリボンが似合う感じ!」 それは女子高生ではなくて女学生じゃないかしら? 弓道技とかナギナタする時のようなハカマを来て、赤いリボンで、お荷物は風呂敷包みで、憧れの上級生で「イスタリのお姉さま」と皆に慕われてる副会長?そんでサルマンが生徒会長で、グリマが書記で、セオデンが校長先生で! そんで、エオメルが体育教師で、ゴンドールは教育委員会で! さらにエオウィンは気の強いお嬢様で、グリマはレズで純愛か!
そしてサムとフロドは退学届を焼却炉で燃やす旅に出るのであった。 第一部は教室を出るまで、第二部は職員室まで。 焼却炉へ行くには校庭を横切らねばらないのだ(意味不明)
…いける?(いくな)
はやく、ハリポタ四巻まで読んでくれないかな? 一生懸命煽ってる。
ヴォルデモート氏が「俺様」と言った瞬間に、某姐さんは誰もが認める「俺様スキー(一人称が「俺様」である人が好きなひとのこと)」なのでヴォルデモートをハグリッドの次には好きになるのではないかと閃いたのだ。 そうなのかな?どうなのかな? 気になる。
「顔はどうなの?」と一人称の次に顔を気にするらしいがゆえに問われたが、顔はどうであろうか。文章なので好きに創造すればよろしと思うが、強いて言えば 「赤ん坊少女タマミちゃん…かな?」 「わかんないわよ!」 何故わかんないのだ。ネットの深海にダイブすれば、どこかに好みの顔のがいるわよ、きっと。 私はスネイプ先生は(もっと細かい見せ場が欲しいだけで)ビジュアル映画版でもオッケーだけど。 彼女、映画版で好きなのはロンの顔なのだそうだ。 はて、トム・リドルはどうであったのだろうか?聞き損った。
| 2003年05月21日(水) |
うのはなくたしに暴れる私 |
ここ数ヶ月、私が楽しみに見ているアニメが攻殻機動隊ともういっちょあります。テレビ放映はとっくに終ったようだが、レンタルビデオで見るしかない私には今がリアルタイムなのだ。 んで、ウキウキと借りて来て見たら、予告編が乙女心にまっすぐヒットした。
ラブいッ! (↑乙女心にヒットした様子)
そう!その、後二センチで口と口がくっつくわよッ!って、その二センチに燃えるのよッ! ガンッ!痛いッ! (↑はしゃいで暴れたのでPC机に足をぶつけた様子)
…フ、いつかラブストーリーになるに違いないと獲物を狙うハゲタカのようにレンタル屋に通ってきた甲斐があったわ。私は未来を見た!(プロモーションだったのだが、見てないシーン満載だったので予告編と同じ扱い)
なんでそんなにラブが好きなのかといわれても、「殺人よ、こんにちは」と「あおいちゃんパニック」を読んでいらい、私には乙女回路が芽生え成長を始めたのだ(なんでそれで?) 「突入せよ!」と一緒に「ユーガットメール」を借りる、「小説家にであったら」と一緒に「恋愛小説ができるまで」を借りる、「ナインスゲート」と一緒に「あなたが寝てる間に…」を借りるぐらいまでに立派になったのだ。乙女心用と乙女心外用だ。こうしないと、「乙女心の肩ばかりもつな!」とか「アタシの分(乙女心用)はないの?」と、それぞれ不満を感じるのだ。
そんな嗜好なので、これまでは乙女心外はほどほど満足していたのだが、乙女心が「約束のラブは?まだなの?食わせてくれるって言った」と全開に不満をつのらせていたのだ。そして私をレンタル屋へ引き摺って行っていたのである。 乙女心の方が、「ラブだッ!」と、パン食い競争のパンに飛びつくような形振りかまわぬ瞬発力があるのだ。 乙女心はジェットエンジン付だ。装備は総じてジェラルミンで、特に機動力と防衛力にすぐれている。高機動腐女子戦隊が良く無許可で乗り回しているようだ(意味不明) 「痛いのイヤ!もう駄目死んじゃう」とか「なんでアタイが」とか「アタイの食べ物は?ラブを食わせろ。お腹すいて動けない」とか「労働者に正当な権利を!」等とごねるのが玉に傷だ。
ナインデイズ> を我慢できずに見てしまった…。 ホプキンスがめちゃめちゃキュートです。 彼の顔ばかり注目してしまい、みずからの顔が笑っておさまりません。 OPの「良いコートだな」で、「何すんのッ!?アタイのアンソニーにやらしい手つきで触るなー!」などと思ってしまっており、間違いイッパイです。こんな調子でまともに映画が見れるわけないね。 タイヘン! 私ジジコンがなおってないッ!?(ズエンズエン、ね)トラウマから発して完全に嗜好に落ち着いてしまったのか。じるおーるで「主人公×ゾフォル」なぞに熱く夢見てるのは私だけなのか。愛を込めてゾフォルをラブく描くまではメイン・コンテンツ止められないとまで思いつめているのは。しかし顔がアアなのでむつかしいのだ。
ホプキンスの誰か出演作の一覧もってないかしら?足で捜すのはタイヘンなのだよ。でも良いんだ。それも楽しみというものよ。地道に行こう。
はりぽった> ナインデイズを我慢できなかったのは、はりぽったを四巻まで読み終わってしまったのが遠因だ。もう読むものがない!(嘘。山積みだろ?)
「だってパパが相手だとさ、それだと、それじゃあんまり先生が、か…か、かわ、かわいそー?でしょ?」 「ぶひょひょひょ」 「だってそうでしょ?」 「まあね」 ヘンな風に笑われたわ、私。 そんなに似合わんか、スネイプ先生には。 くう。そりゃ私だって使い慣れない単語を発音した覚えはあるが(何しろ詰まった)、そんなに笑わなくても…。私だって使いたくはなかったが、他に上手い言葉が見つからないのでしょうがないのよ。歯を食いしばって、こういうのなんて言うんだったかしら?と一生懸命思い出したんだ。 真面目に使ったの、十四年ぶりぐらいなきがするよ。やれやれ。 薬学先生が死ぬんじゃないかって、一巻から心配してるのよ。しかしそういうと、 「死なないわよ。死ぬようなタマじゃないわよ」 と呆れられるが、ふんだ。心配は保険より効率が良いのよ。心配しないで後悔するより、心配して馬鹿を見る方が断然良いんだ。
ええそれで、アタクシは愛する土気色の先生に良い人を見つけましたのよ。 ええ、誰とは言いませんけどね、今日は本屋で「いぬと幸せに暮らす方法」という本を見て危なく買うところでしたわ。勿論 「今私ったら何を買おうと…ッ?しかも隣に「ねこと幸せに暮らす方法」があるというのに、そっちが目にも入らず、いぬが目に入るなんて?そんな事ってありうるのかしら?!」 とブルブル我に返りましたけどね! それにしちゃ、どうしてツェッペリンのブラックドッグなんか聞いているんかしら?何か脳でマズイ事がおこったようよ。
二人は険悪♪二人は険悪♪ 「すごく?(合いの手)」 「とっても!(合いの手)」 ラララ、水にも流せぬ仲〜♪ <険悪ラブソング、鼻歌編>
ふ、アタシ幸せだわ…(夢見る眼差し) でもどうやら王道じゃないみたい…?少ない? ふ、アタシ不幸せだわ…(地面に落とす眼差し) きゃ!きゃ!(←しかし無駄にはしゃいでる様子)
私は今までロンのパパとドラコの父上で食いつないできたのよ(腹壊すなよ) しかしここへ来て私の王道が見えた!後はこの道を行くのみ!ゴーアヘッド!
先日誕生花占いというのがあって見てみたら、花言葉は「希少価値」だった事を突如思い出した。それから昔見たのには、こうもあったな。 「隠された愛があなたの人生に生涯暗い影を落とし続けます」 私は隠さないもん。隠さないもん。 シリウスとスネイプ先生が仲良くなったら良いナと思うもん。シリウスがパパで、スネイプ先生がママで、ハリーが息子☆二人は息子の教育方針を巡って夫婦喧嘩が絶えないのよ!アイタッ!誰かがアタイをハリセンでぶった!
「私はただ世界平和を夢見ているだけよ」 「ホホホ、そういうコトにしておきましょうか」 おやさしいことよ。
今週の私は随分働き者でした。気づかなかったが、エライことに連チャンで日記を書いていたよう。 それ以前に、先月から先週にかけて、二十日間近くも日記すら書いていなかった良心の呵責(?)が私にそうさせたのかもしれないが、とにかくろくに読みかえさないまま日記を書いていたよう。 昨日読み返して私は感動した。あまりに多くの打ち間違いに(苦笑)目を覆わんばかりだ。
ちなみに自分でウケたのは「ポンポイント」 なんのこっちゃわからんが、なにやら可愛い。タヌキみたいだ。脱力した。 さらに 曲名♪beauty is within us♪に至っては、ジャケット見て確認してから打ったのに何故か「is」が抜けて♪beauty within us♪になっている?しかも一回打った後、ジャケットでのタイトル確認はせずに自分が打ったのを見て打ったので間違いをバッチリ増殖させている。 綴りを間違えそうだったので、「綴りに気をつけようっと☆そうしようっと☆」と考えた記憶はあるのだが、それ以前を間違えていた。これでも読めるような気がしたんだろう。 詰め寄っていき畳み掛けるように、繰り返し罵りあげる(?)盛り上がりの部分であり、何度もリピートで出てくるのだ。 だのにサクっと間違えたね(苦笑) けれども、タイトルでは、日本語で言うなら♪内なる美♪等と名詞になってる気分でいて、見直した際に間違ってる事に気づかなかったかもしれない。
で、 こういう時、「よかった…」と思う。 俗に言う「初めに」で、「日本語間違ってます」と宣言しておいて(苦笑) 阿呆丸出しだよ。我ながらよく義務教育を卒業したね。
ただでさえ、特に、こうやってキーボードを打っていると、屡ちゃんと打っているつもりで、途中がボッコリと抜け落ちているのだ。 一応ブラインドタッチなので画面しか見てないのだが(椅子に座るべきところを床に座って打ってて、キーボードが視線より上にあり、見えないのだ。腕がつかれる)、たぶん、実は見てないんだよ画面を(笑) 本を読んでいる時に、実は文字を追ってないのと同じだ。追ってるのは流れなんだよ、きっと。 夢のようだ。 目を開いて、ふと顔をあげたら、もう何も見えないのよ。ただ、記憶が残っている。
人は人の顔をどれぐらい覚えているのだろうな。 私は覚えてないよ。覚えているような気がしているだけだ。 見れば誰かわかる。けれど脳裡に詳細に描いてみせろといわれたら無理だ。たとえ二十年近く同じ屋根の下に暮らした家族であろうとも、「最後に見た時、顔のどこに、幾つ、どんな大きさの黒子があったか?」と問われたら、そんな答えやすい事すらも答えられないよ。思い描いているはずなのに。一体、脳裡には何を思い描いているんだろうな。 私はそれを見たはずだ。そしてその顔を思い出して、思い出しているもんを見ているはずだ。だけど、見えないんだよ(苦笑)
人間の記憶は不思議だ。よくわからない。 私なぞ、これだけメンクイなのに、おかしなものだ。必ず最初に顔を忘れる。 …それで正しいのかな?
外は大雨だ。ン年前の大雨を思い出す。 雷がどこぞへドーンと落ちるたびに、家がビリビリ震えるのはなんとかならないものか。何も無くてもミシミシ鳴って怖いってのに。なにしろ数ヶ月前には柱に縦にヒビが入って、微妙にズレているのに気づいたのだ。こりゃあギシギシバキバキ鳴るはずだよ。撫でてはみたけれど、生きてないのでそれで治るわけがない。 痛い時に痛い個所を手で触ったり押さえるのは何故だろうな。
私は雨が好きだけど。傘をさしていて、そこに滝のように雨が降っていると、シェルターの中に入ってるような気になる。世界から隔離されているような気になる。
雨の日に出掛けるのも実は好き、かもしれない。濡れるのが好きってわけじゃないが、たぶん、キライって程でもないんだろう。 確かに半ずぶ濡れになりながら職場に辿り着き、半濡れのまま動き回るのは面白くはないけれど(昨年それで風邪をひいたしな)濡れたら面倒な時に、濡れるのが嫌なだけだ。「ああ、こんなに濡れたら」と先の事を心配して濡れてるはしから嫌になるんだ。
けれど本当は濡れるのは嫌じゃない。 高校の時とか、暑い盛夏に学校から家に帰ったら、そのまま風呂場に直行して着衣のまま頭からホースで水をかぶるのが日課になっていたぐらいだ。ママンにはキ○ガイみたいな真似はやめなさいと言われたが。大学の時にそれをやっていたら目撃者に何ごとかを思われたきがする。 だけど気持ちいいんだよ。 濡れても構わない気持ちで濡れたら案外サッパリするのよ。 汗で服がベトベトして気持ち悪いとおもったら、服を着たまま水をかぶって濡れてみたら良い。服はベッタリ、スウェットスーツより肌に密着して、汗で張りついたのどうのってどころじゃないが、それ自体は別に思ったほど不快じゃない事がわかるんだ。
てゆうか、今ドドーン!と雷が落ちた衝撃でカレンダーが壁から落ちたよ! こんな日記なんか書いてる場合じゃない。よいよい御高齢のパソ子が傷む。 雷は電気なので、電線で繋がってるものは、皆尽く大なり小なり影響されるのだ。 枕元の電灯なんか点いたり消えたりするので、以前大雨の日にはコンセント抜いたぐらいだ。
ハリポは少しずつ進んでる。これから四巻。 楽しいなあ! すぐ気が散るので、まとめてじっくり読めないのがなんだが。職場でよく注意されて、延々心構えて訓練してる弊害もありだ。「集中するな」とな。 「集中せよ」なら楽なのに、集中してはならんとは、これは私には生まれて初めての試みだ。いや、今迄にも何度も言われて来てるのだが、腰を据えて本格的に試みた事が殆ど無いんだ。 だってムツカシイんだよ。集中しないようにと神経を集中し続けるのは。自棄に疲弊するんだよ。だいたい、ちょっと考えればわかるだろうが。言葉からして矛盾してる事が。 不可能への挑戦!燃えるねえ!(自棄)
だが人は平気でこれをやるのだ。 某嬢など、電話しながらテレビ見て、しかも「ちょっと待って」と中断して家人の問い掛けに返事をするって具合で、しかも電話の途中で居眠りまでできるのだ。ゲームをしながらコントローラー握ったまま寝こけたり、「よくする」らしいのよ。オソルベシ。 「流石だ姐さん、凄いよ姐さん」と真面目に感心するが、「私、負けている!」って感じがして面白くない事も確かね。
調べ物のついでに、ヤフで試しに「ハリーポッター」と打ち込んで検索してみる。 色々サイトがあって、楽しそうだった。語源とか。そういうの面白がる方だ。 で。 占いがあったので、やってみる(懲りてない) まだ全然知らん人になったらどうしよう?と思ったが、その時はその時だ。ボガートとか人間じゃ無いワケワカランのが良いなとは思ったが、儚い望みだったようだ。 誰になったでしょう?
ネビル・ロングボトムだって(笑) メソメソしてビクビクしてる赤裸々な臆病者っぷりで、学校の成績が芳しくないうえに、性格も明るく楽しく利発等とはとうてい言い難く、取り得らしいところが考えてみても見当たらないなんてところは、チョット似てるかもしれないが、占いで「チョット似てる」ところを探すのは苦労しないもんだ。 目を皿のようにして考えれば、どこかしらそういうところはあるもんだからな。
けれど、ちょっと嬉しいかも知れん。普通っぽいところ!
と思ったら、しかし解説は「悪趣味」? ちょっと!異議あり!(挙手) 先生、ネビルのどこが悪趣味なんですか? 「ひょっとして、ネビルが悪趣味だとサッパリわからんところが悪趣味の証明なのか?」と、やおらうろたえる。 ……考えてみたんだが、カエルがペットのところ?そりゃ個人の趣味だろう。 私だってハリーのペットが白梟で、「白梟なんてちょっと素敵ネ☆カッコイイわ。まるでヒーローみたいだ。さすが主人公だな」と思ったわよ!
それともあれか?
私「私が今楽しく注目してるのはね、○○と××!いがみ合ってるのよ!(喜色)」 某「お姉さん、ホントに好きよねー(呆)一見、いがみ合ってる二人」 私「あら、一見じゃなくて、真にいがみ合ってても良くってよ?ノー・プロブレムよ!いっそそれでいこう!(ウキウキ)」
ってところがか? (そんなチョッピリ嬉しかったからって、一生懸命占いの結果に自分を照らし合わせなくても…と自分でも思う。しかし、不満な時にも一生懸命自分を投影してバンバン嬉々として文句言ってるので。こういう事は平等にしないと、バランスが悪いだろう) 違うわ。私は素直よ。そんな常識という色のついた目で人間関係を見ては駄目!!濁りを浄化しなければ!(「お姉さん頑張ってね。私はせんちゃよか」って言われそうだな)驚きのパワーで真っ白に漂泊した眼差しで見ると、二人は熱烈にラブラブなのよ!まいったか!?(意味不明)
試しに、出身地を先祖の地に変えてみたら、「普通のマグル」になった。 それはそれで嬉しいが(なにしろ「普通って何よ?」と疑問を呈されるほど、「普通」「フツー」「ふつう」「不通」と連呼する私だ)、イマイチ面白味に欠けるのも確かだな。 占いで、努力もせずに希望に促した結果を示されると、もどかしい不満…というかモヤモヤが残るのは確かなところだって事が今回わかった。
それに、「何か得意なものをつくるように」だったか、それって何事?「普通のマグル」には得意なことがないかのようだ。ハリポタを読んでるのは全員「普通のマグル」ではないんか?それとも皆、魔法使いだったのか? そりゃ私には胸張れる特技等ないが、「普通のマグル=特技が無い」とは失敬だな! ぷりぷり(憤) (↑調子が出てきたらしい)
ところで、スタンドアローン攻殻機動隊の♪beauty within us♪という曲が、私のハリポタ原作イメージだ。歌詞の内容は置いといて、曲調と雰囲気が。 なんで暗いんだろう?(笑) やっぱ嗜好として、先生達に心が密着してるからか?それに、私の子供達の注目株はドラコの動向だからな。 「輝ける子」だか言う本を読んでたら(何故そんなに教育書が好きなのか?自分に呆れる。読みやすいんだよ。一冊、一時間ぐらいで読めるの)、「この子なりにこうならざるを得ない生きざまが絶対にあったのだと、考えてみましょう」とあって、 「ふむふむ。そうか、ドラコ!今捏造してやるぞ!どうしてくれようか」 等と遊んでる場合じゃありません(転) (どっちも)普通に読みましょう。
スタンドアローンコンプレックス攻殻機動隊のサントラは、♪inner universe♪が欲しくて、それだけを求めて買ったんだが。♪beauty within us♪他もちょっと色々好きかも。 ♪beauty within us♪
金子みすずの詩集を少しだけ読む。 図書館で立ち読んだら「つゆ」という詩に心引かれてしまい。 本来はもっとガチガチに硬い方が好きで(内容でなくて言葉遣いが。漢詩が好きなぐらいだ。韻を踏むのも攻撃的なぐらいが好きなんだ)、こうゆう柔らかいのは背筋がふにゃふにゃしてむず痒くて「ああん!ハッキリしてよ!」と苦手なんだが。偶には良いだろう。 これでもっと感性がまろやかに豊かになってくれれば良いんだが、そう簡単には問屋はおろさないだろうな。私は最近、問屋との交渉の難しさを身近に、「そうは問屋がおろさない」という言葉の意味を現実的にリアリティをもって感じているのだ。自動的に背後を慮って、「そうか…。問屋がおろさないか…」とシミジミ思うようになったのだ。
私、絶対にボケるよ。「感受性使ってねえ!」って感じがするものよ。 誰だか女流詩人も「自分の感受性ぐらい自分で守れ、馬鹿者」と詩っていた。あれを読むとゴッツ叱られてる気になるのだ。偶には感動に打ち震えないと!と、無茶で無謀な気にもなるよ(苦笑)別にそれだからって、金子みすずを借りてきたわけじゃないが。 けれど、としを経るほどに、映画を見たり本など読んでオイオイ号泣するなんてことは、いっそう少なくなったきがする。それより、悲喜こもごもに胸にわだかまる感じで、ジワジワする。これは感動してるのだろうか。よくわからない。 喜ばしく感動すると、偶には♪愛燦燦♪調だ。
こうしてるうちに、雨がやんでいた。
ロドリーゴのアランフェス協奏曲を借りてきて、ちんまり色塗りしながら聞く。 ビクターの、演奏者は村治香織。
良い感じかも。前に借りて聞いたのは、私的にイマイチだった。 誰のを購入して手元に置こうか、ずっと迷ってる。
アランフェス協奏曲を最初に「好きだ」と思い、「このCD欲しい」と思ったのは映画「ブラス!」で聞いた時だ。その、「この曲、好きだ」感覚を求めて、幾つか借りて聞いてたのだが、同じ感覚になれなくてまだ買ってないのだ。 同じ曲で演奏者によって得る感覚が違う違和感に気づいたのは、この曲が初めてだったかもしれない。気づかなければ拘らずにすんだものを。音痴のくせにー。 そういう事ってままあるよな。 何が違うのかわからないが、「何かが違う」事だけわかるってのが。何が違うんだ?と問われても、私は先祖伝来の音痴だし、わからないよ。歌など聞いてても、「(音が)今ハズれた…きがした?」ってぐらいの感じだが。 でもしかし、好きな曲には耳敏いのだ。なにぶんにも音痴なので、ちゃんと聴いててなのかはアヤシイが、ちょっと聴いてると脳裡に閃くように、瞬間的に「違う!」と来る。「これじゃない。私にはわかるんだ!」と教祖のように思う(笑) 「これにしよう!」と思うのを待ってるんだ。 「これにしよう!」と決めても良いんだが、それだと、「好き」が無くなるだろう。せっかく好きなのに、それはあまりに勿体無い。
先日、「シッピングニュース」を見てて、「どっかで見た人がいる。どっかで見た人が。誰だこれ?どこで見た?」と思っていたら、「ブラス!」で見た人だった。ブラスバンド命で指揮者をやってたパパだ!…と思う。 途中で思い出してスッキリした。 御名前は不明。なんだか妙に気になる顔だ。
それで「ブラス!」を思い出し、アランフェス協奏曲が聞きたくなったわけだ。
寒かったり暑かったりで、お脳は疲れ果てているもよう。 仕事場では真冬の服装をしている私。だって寒い。冷房が寒い! 体の方は体内時計で夏仕様になってきてるのに、冷されては溜まらん。心の準備…もとい、体の準備ができてないわよ。 夏場に台風で葉を全部落とされ、「ワテの葉っぱがなくなった!何!?冬!?冬なのかッ!?」と勘違いして「じゃ、そろそろ春?」と真秋に花咲いてしまった某桜のような事になったらどうする(昔目撃した。奴等暦をもってないからショウガナイのだ) 某桜は、おかげさまで、本番の春には体力?が足りず、超ショボイ、お情け程度の満開加減だった(一応、「え?また春?」と気づいたらしい)私は「脳の無いものでも騙されたり間違えたり勘違いするんだなー」とおかしくてたまらず、通りがかる度に噎び笑い(失礼な)、指差して「ほらコイツ勘違いしてるの!」と人に教えて回りつつ(余計な事するな)、「気にするな。誰でも間違いはある。生えてさえいれば、来年があるさ!」と親しみを感じた覚えがある。
何故か突然ハリーポッターを読みたくなったので頑張って読んでいる。 しかし読みたい気持ちが先走って進まない。 いや、もうじき五巻の発売だから、それまでに四巻までとは思ってるんだが。
それに、古本屋で私の大好きだった児童文学を95円で発見したのだ。読んだ事はないが大好きだ。よってハリポタを読んでから、それを読もうと気持ちが急いている。急いているので進まない。 何故読んだ事が無いのに大好きかといえば、大好きなエピソードがあるのだ。それは私が小学生の時の、確か五年だ、国語の教科書に載っていたのだ。 購入して一読バカウケし、「今年の教科書最高!」と大喜びし、何度も読み返し、その授業を楽しみにしてたのに、授業では物凄くサラっと終って、テストにも出ず、「こんな面白いのに!」と私は密かにふてくされた。 授業中も、真面目に授業を聞いているフリをしながら、授業がなされているのとは全然別の、そこを読んで楽しく過ごした覚えがある。いつも授業中に隠れて本を読んでいて叱られていたが、こればかりは同じ教科書だったので誤魔化せた。 私と国語の先生達は、どうも趣味が合わなかった。
私は図書館でその元の本を見つけられず、勝手に「エミール」と同じ作者かと思ってたのだが、どうも違った。 ノーソフの「ヴィーチャと学校友だち」だ。 これの、「ひとりで解いた問題(岩波少年文庫版 福井研介訳)」という章が教科書に載っていたわけだが、当時の私にはこれが最高に面白かった。バカウケ。 十五頁ぐらいなのだが、バカウケ。
算数の苦手なヴィーチャ少年なのだ。妹に「宿題を手伝って」と言われ、とうにやったのだから解けるに決まってると思って問題をチラっと見たところが「マズイ…わからんかもしれん」と青くなり、「わからない」となれば、妹に激烈馬鹿にされ「いつも威張ってるのに兄の沽券に関わる」と自身の想像で恐れ戦き追いつめられ、「兄ちゃんは今忙しいから後で教えてやらんでもない」等と偉そうに言訳をして妹を追い出した後、ひとり必死にたった一つの問題に延々取り組むのだ。 で、 「そうか、なんだ簡単じゃん!こうだろ?」と答えを出し、答えあわせをしたところが、…間違い。「何故だ!?僕の何が間違っている!?」と七転八倒四苦八苦する苦闘の物語だ。
彼の赤裸々な心の動きがシリアスだのにコミカルで、問題の意味を理解し順を追って解いていく様子が推理小説みたいなノリで物凄く面白かったのだ。何しろ、当時私は特に探偵小説と推理小説に特に夢中で(しかしこの頃読んだ「黄色い部屋」なんかの古典のトリックは殆ど忘れた)、愛読書は落語であり(「目黒のサンマ」が特に好きだった気がする)、そろそろ「あしながおじさん」やらの淡々とした面白さに目覚め始めていた頃だった(小学一年生の頃は面白くなかった)ので、ポンポイント・ヒットだったのだ。
ちなみに、この頃以前から大好きで、この好みに影響していて、今も大好きで、しかし今本屋で見つけられないのは、今江祥智の、ノートルダムという名前の猫が出てくる「どしゃぶり猫」という話だ。 目がノートルダム寺院のステンドグラスのように美しいので、そんな名前をつけられた…のだったと思う。そんな優美な名前にもかかわらず、拾われた時に雨だった事を覚えているのか、他所の猫と違い、雨が降り出すと浮かれ出し、外へ飛び出して泥だらけになって跳ね回る…そんなノートルダムのおかしな癖を飼い主の視線から見た短編なのだが、 これがめちゃめちゃオカシイの!私、泣くほど笑ってヒーヒー言わされたわ。 言いまわしとか、文の運びとか、物凄くおかしかった覚えがある。 ノートルダムが外に出してくれと騒ぎ出す時の窓ガラスを叩く音は「タムタムタム…」なのだったよ、たぶん。そんで窓を開けてやった途端「バーン!飛び出す弾丸」等と書いてあったように思うよ、確か。そういう比喩の使い方だとか、おかしくてたまらなかった。
「どしゃぶり猫」は猫好きには特にたまらん一作。同じ本に、自分を人間だと思ってる(らしい)猫の、やはり飼い主視点からの短編もあった。これは、これも可笑しいんだけど、ちょっと最後が切ないのよな。 最近書店の本屋見ても、今江祥智の短編童話、あんま無い。残念だ。あんなに楽しいのがあるのに。
「どしゃぶりになると奇怪にも狂ったように外へ飛び出し泥だらけになる飼い猫の様子」と、まとめてしまえば簡単至極なんだが、「なんでこんなに可笑しく書けるんだろう?これをこんな風に書ける人はいない」と文章というものに夢中になった。起伏があり色々な事件がある、ストーリーという「物語」の魅力とは別に、文章というものが、それ自身にもつ能力というか。 落語みたいなのもそうなんだが、人を笑わせるってのは凄い事だと今でも思う。 それも文字で! 白い紙に淡々と同じ大きさで並んでるだけの文字で! その組み合わせが、なんで人を噎ぶほど笑わせるのか。わからん。 私は呼吸困難になるほど笑ったんだ。しかも気持ち良く。それで、泣くほど笑ってゼイゼイいいながら、「文章には、こんな事ができるのか」とえらく感動した。
それまでは、もちょっとこう、色々な事件があってそれが面白かったり、人を泣かせるようなのとか、途中途中に面白味のある滑稽なエピソードはあっても、疲れ果てるほど笑うようなのは読んだ事が無かったから。 私はただでさえ殆ど笑わなかったしな。だから余計に、そんな顔面硬直してる自分を悶えるほど笑わせたものに驚嘆して感嘆して感心して感動した覚えがある。
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