非日記
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「猫にメロメロ」で済ませてしまったが、ちゃんと某嬢は自他とも認めるメロメロ態度とメロメロ言動とをしていたのだ。そこらへんを「面白おかしく日記に書いたんだと思ったわ」と言われ、私としては「簡単に言ってくれるね(苦笑)私は玄人じゃないぞ」という気持ちだ。 確かに、「あんまりオカシイから日記に書いたろうかしら?」と言ったが、よく覚えていた。姐さんも地獄耳だ。
親しき仲にも礼儀あり、遠慮無ければ近憂ありって言うだろう。それで偶には遠慮してみたのだ。「プーだからって、パーとかプーとか言わないの!」と心優しく進言してくれたように、「どんな惨めな姿になろうとも彼女は友人だ。イカレ狂乱ぶりを世間には秘密にしておいてやろう。ただ我が胸にしまっておけばそれで済む事だ…」という友情の為せる技だ。 もしかしたら、ゴンタから引き離された苦しみと淋しさを切々と綴ったヤクチュウ日記を自ら書きあらわすかもしれんと思ったしな。
確かに、某さんの愛猫へのメロメロ加減は「ラブラブ新婚家庭に突如降って湧いた単身赴任」のようで面白かったが、その黙ってみてて面白いものを人に聞かせてもなおかつ面白く話すというのは難しいのだ。百聞は一見に如かずじゃないか?
溜息をつきつき、「嗚呼ゴンター嗚呼ゴンター」と夜鳴き朝鳴き昼喚き、本屋では猫コーナーに直行して実録猫漫画を買いあさり、同じ猫漫画を何度も読みかえしてケコケコ笑い、同じ本を読んでる私に「もっと笑っている事が明らかにわかるように笑ってちょうだい」と意図不明の愚痴を言い、人の愛猫写真を見ては「可愛いわね。でもゴンタだって負けてないわよ!」等とバカぶりを発揮し、そして締めは決まって「嗚呼、ゴンたー」なのだ。
「ゴンタはこうなの」「ゴンタったらこんな事したの」「ゴンタはいつもね〜」「ゴンタは此間…」「ゴンタは最近」「ゴンタに触ると」「ゴンタの肉球は」「ゴンタが鳩とってきた」「ゴンタは今頃」と留まるところなし。 そして何やら愛猫に触りたいらしく、時々「嗚呼、ゴンタがいないー」とクネクネ悶絶していた。 ゴンタの手触りを思い出しては、微妙に細かく震えていた。 ゴンタが面白くて柔らかくて可愛くて美人で楽しいらしいが、ゴンタを誉めたたえる姐サンも面白いよ。
ちなみに無事に家に帰りついた事を連絡してきた携帯メールは、当然の如く 「無事に帰りました。今ゴンタを膝に乗せています。し・あ・わ・せ☆」 だった。
恋は阿片という話もあるが、麻薬の中毒者を彷彿とさせる。 「無事に取り引きを終えました。今一本打ったところです。し・あ・わ・せ☆」 な?そっくり。
これをどう面白おかしく書けというのか?どう書いてもそのままじゃないか? それに某さんの愛猫への態度の何がそれほど面白いのかといえば、普段の淡白さと比較してこそ余計にだ。 前から犬より猫の方が好きと言っていたが、それでも他所の猫にはそうでもなかったのだ。 だいたい「可愛いわね」で、ジ・エンドだった。
野良猫を追いまわす事もしないし、捨て猫に憐憫の情を表す事も特には無く、だからといって勿論私のように野良猫を威嚇して人に止められる事も無かった。 それがゴンタを貰って来てから、えらい違いだ。忘れもしない。
最初に私が「わりと美人ね」と言ったが最後だった。 我が意を得たりと「そうでしょッ!!!」といきなり発憤し、「母はゴンタの顔は普通だなんて言う!いいや、そんな事は無い!ゴンタはとても美人だッ!」と何やらエキサイトし、もってまわって「万物は見た目に終始する」という情熱的な確信と信念をとかれたのだ。 私は例によって「人間はね」とチャチャを入れてみたのだが、あの外柔で淡白な人が一体どうしたのか「いいえ!全てよッ!」といきりたった。 そこで繊細にしてか弱い私は結局、「特に、人間はね」とさりげなく譲歩することになったのだが、しかして論旨と結論は一貫して「そしてゴンタは美人なのよ!」なのだった。
「君が美人と思うんだから、誰が不細工と言っても構わんのじゃないか?」とはチョッピリ思ったのだが、そんな事を言うと「どこの誰がゴンタをブス等と言うたのか!?その者を我が前に引ったてぃッ!決闘じゃぁー!」等という騒ぎになるような勢いに押され、「まあ私は美人だと思うよ」程度にとどめておいた。
実録猫漫画を見てると、どうやらこれが正しい愛猫家らしい。 猫の餌も奪って食うはめになりそうな私は猫を飼う気は全然無いのだが、万が一飼うような事になったら、私もアアなってしまうのだろうか? なんだか不安になる。
「貴女はあんまり態度に出さないきがする」と言われたが、某さんだってアレほど赤裸々に態度に出すようには見えなかったものよ。 しかしまあ、幸せそうなので良いか。
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