sasakiの日記
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2006年10月31日(火) 穴掘り機械

 空は愈々高くなり、ときどき雪になりそうな雲が向こうの山を通り過ぎてゆきました。朝から長坂さんは山を削り、斜面を平たくし、畑を作ったり、森林道路が出来たりで重機が大活躍です。
 ものすごい大型ユンボで見る見るはかどってゆきます。
 稲村さんの小屋や伴の小屋を見下ろすところに僕の予定地があります。
 本当のことを言うと小屋が出来るかどうかは全然わかっちゃいないんだけど、穴さえ掘れば何とかなるかも知れないという気持ちの前倒しみたいになっています。
 2時過ぎから穴掘りが始まりました。この穴は基礎の柱を立てるための穴掘りで、前回までは手掘りだったそうでとても辛かったみたいです。この間スポ太郎の穴を掘ったのでその辛さは身にしみて分かっていましたので、今回のこの機械の登場は果てしなくありがたく思いました。それでも穴はサクサク掘れてしまいましたが、その木材を穴に埋めるのが大変でした。要らなくなった電信柱を調達したためまず半分に切ってそれをできたての穴まで運ぶ作業はまるでゴルゴタのイエスです。肩にその丸材を担ぎギシギシと穴まで運び上げていくのです。フラフラとかでは行かなくても15本分の丸太は手伝いがあるとはいえ結構きました。それから水平をとり、それが済んだら本格的に垂直に立て埋める作業がこれまた身体に来ます。
 本当のことを言うとこれでもう十二分に満足しています。地面から15本の材木が長さ不同でにょきにょきと12畳分建っている姿はもはや完成といっても過言じゃないだろうか?とさえ思えてきます。
 後の作業はもう来年です。雪が解けたらまた始めます。
 それまでは生めた材木が地面になじんで磐石とした土台になってくれさえすればいうことはありません。
 この冬どんな建物にするかを考えます。
 基本的にはテラスのあるアルプスの少女ハイジ的牧歌的建造物を兼ねたウェスターンスタイルカーボーイハウス、若しくは東橋の端の下に昭和30年ごろ建っていたオールドちょっと豪華なホームレスの家を目指しています。
 終わって稲村さん、伴、長坂さんとでストーブに当たりながら世間話並びに新築小屋の将来的展望を話してみました。みんなはキットを買って土台に乗せろということだったのですがそうは行きません、みんながそんなに立派なものを立てていないのに新参者である僕がそんなこと出来るわけがありません。何が何でも黒板五郎方式を踏襲します。ここはそんな風に建っていくところなのです。
 テラスには大きな虫除け網を立てるつもりです。なんといってもあそこは春夏秋と虫がとても多く油断も隙もないほど虫が走り回り飛びまわりのた打ち回っています。蜂も随分います。ゆっくりと空気を吸うためにはこのアミが必要なのです。

 帰りは月が出ていました。まだ8時なのに村はもうひっそりとしています。どうも田舎から逃れられない宿命かもしれません。

 ジョニーから丸駒温泉温泉の件でプロフィールを欲しいといわれたので一応渡す。12月はもう一つきだ。
 月が開けたら小樽と釧路のリハーサル。
 今日もこつこつとギターと歌の練習。
 どうりで上手くなるはずだ。
 あたらしい弾きかたを開発中。
 もしかしたら物になるかもしれない。頑張ってみよう。

 のりこさん、本当にびっくりしたよね。まさかあんなにたくさん人がいるドームでばったり遭遇するなんてちょっとすごいですね?それとおっしゃる通りあんなゲーム、あんな幕切れに立ち会えて本当によかったです。僕の知り合いではドームに行った人はほぼ皆悪性の風邪に罹ってしまいました。外と内の温度差じゃないかと大体の人が言っていますが大丈夫でしたか?
 ヒルマンも小笠原も来年はいないよね。みんなプロだもんな。そういう意味ではサッカーを見てきた人たちはことFAに関してはまったく情緒を絡めてみてはいない。いい条件を出されると間違いなくみんな移籍をする。また、そういう世界なので出て行ったら応援しないとかいうんじゃなく、ソットしておきましょう。

 昨日から神経痛が騒いでいたので今日はてっきり大雨か寒くなるだろうと思ったらそうでもなかった。大体が当たるんだけど。
 そうそう、腰が痛い。
 


2006年10月27日(金) 今週はちょっと無理じゃ

 これから日曜日まで家を空けなければならない。だからといって空き巣などに入らないようにしてください。飼い猫がいなくなると時間はこんなにループしていたのだ。
 それにしても日本シリーズは最高だった。
 新庄の最終打席鳥肌が立った。
 あおれにしてもラッイーだった。
 みんな飛び跳ねないようにね。やっぱり床抜けると思う。
 一応みんなに合わせて飛んだけどこわい。
 それに球場全体で飛んでるのを見るととても目が回る。
 今朝のトークで北海道に出ていた前市長の桂さんがそんなに強い工事はしていないので来年は何とかしたほうが言いといってたので、繰り返すけど床落ちるよ。稼動かわかんないけどそれはそれでおもしろいかもしれない。

 んなわけで、今日は朝早くからこれを書いて出かける。
 明後日までは帰ってこないのでくれぐれも泥棒さん堪忍してね。
 三角山には一時帰還するので、よろしくお願いします。
 うーーん、目が見えない、老眼の度数がまた進んだかもしれない。
 これを打ってても大よそ感なのだ。ボンヤリと見える範囲では大体あっているような子がする。
 家の父親は本当に根性で老眼を治したので何とか頑張っているのだが、なかなかうまく行かない。
 1.6あった時は何も苦労がいらなかった。そのことは永遠に続くとすら思っていたふしがあるんだけど、分からないことは多いもんだ。


2006年10月20日(金) 22日だから

 23日にライブと書いたみたいなのでここに訂正します。23日じゃなく22日です。いろんな人から日にちが違うという指摘がありました。あまり僕のいうことを信用しないで下さい。ましてこれは告知のコーナーじゃなく、日記なので本人が好きなように間違えたり、与太を飛ばしたり、時には誤った情報、勝手な思い込み、早とちり、過渡の思い込み、ありもしないことをひたすら妄想するなどいろいろなガチャガチャが入っていますので注意してください。悪質な開き直りですが。

 22日(日曜日)です。また間違ったことを書くかもしれないのでSRのホームページを覗いてください。もっともあそこもときどき間抜けな情報を流すので要注意ですが、それでも僕よりはたぶんまともだと思います。

 この間発寒の線路脇のところでネズミ捕りに引っかかった。それもものの見事につかまった。夕方、踏切が混み始めたので別のルートを取ろうと思って左にカーブを切り、やれやれ、ようやく空いたわい、と思った瞬間、「ピッピーーーー!」、何か瞬間移動のように出てきた。本当に降って湧いた。
 よく見るとお回り(悔しいから敬称省略)、旗を振っている。長いことゴールドカード所持者だったため、とっさに何が起きたのか理解不能に陥った。小癪にも左に曲がれ、という合図を送ってよこす。ようやく理解した。ネズミ捕りだ!その瞬間頭に血が上った。昭和50年、かりき街道で覆面パトカーにつけられてることにも気づかず調子に乗ってスピード違反で使って以来一度たりとも捕まったことのないこの超有料ドライバーがよりによって発寒のあんな辺鄙なところでやっているネズミ捕りにまんまと引っかかった。誘導されながら車のハンドルを左に切った時後輪が縁石を乗り上げた。くっそー、動揺してるじゃないか!
 「急いでるんですか?」どうも必ず聞くようだ。
 「別にいい。」もう完全に不貞腐れてる。
 「17キロオーバーです。一点減点、それと1万2千円になっています。」、
 「ねえ、こんなところでやってるわけいつも?」かなり感じ悪い男に変身中、わしゃ。
 「いつもここの道を通るんですか?」
 「いつも通っていたらもっと注意するでしょうが?まったく。」
 後ろを振り向いたら若い明らかに大学生か見事なフリーターと思しき男の子が神妙に使っていた。こっちはもう結論も出たようなので、それとなく様子を伺うと50キロ以上オーバーしていたみたいで裁判所に出頭したり、10何万円の罰金を払わせられたりでとても気の毒な状態になっていた。それでも男の子は一切不平ももらさず、嫌味を言うこともなく素直すぎるくらい素直に反省していた。わたしはすっかり年をとってしまい、警官に素直に口を聞くこともしないばかりか文句や嫌味を並べ立てているのだが向こうは一向に参った様子はない。まあ、あたりまえだろう、黙って張っていれば間抜けな奴がスピードを楽しげに上げて近づいてくるんだから少々の嫌味くらい別のどうということもないようだ。それにしてもネズミ捕りに引っかかると不思議と反省するという気持ちが一切湧いてこないのはなぜなんだろう。理由は簡単。向こうがやってることが阿漕だからで、さらに隠れてやるという姑息さが加わるものだから一向に反省の気持ちが湧き上がらない、どっちかというと山の中で山賊に会い身包みはがされたというような心持。僕はまだ軽症で済んだからよかったんだけど(良かったんだけどというのは幾分不謹慎なんだろうけど、世間的にはこういう感じではないだろうか?)、まあ、衣服や旅館代くらいは残してもらったというところだけど、その若者はもうふんどしすら取られたという感じだ。たとえが古い。
 とにかく、僕はもう56になっていて、警官とは親子みたいに年の差がある。昔捕まったときはあの男の子みたいだったんだろうなあ。ああ。
 それでもおじさんは往生際悪く、最後まで感じの悪い奴ですみません野一言はなかった。くっそー。
 帰りがけにランクルが止めてあり、そうかこれがあの裁判所行きになった車か、と思って助手席を見てみると今時の女の子が乗っていて何事もなかったように携帯でメールを打っている。本当に事件の当事者には絶対見えない様子で無表情にメールを打っている。むやみに何かを思うことは益々おじさんに拍車がかかるからよすけどさあ、あんな若くして10何万も金を払はなきゃんないんだぜ。その関心のない状態はないべ。

 新村君のリサイタル。とにかく頑張っていた。ドラマーは若い時の楽器なので?と思わせるくらいのパワーフルなプレィだった。逆に僕くらいの歳になった新村君を見てみたいという興味がわきあがる。知り合いのライブはいろんなバックボーンが見えて楽しいこともあり、同情することもあり、比較的考えていることがよく見えてくるという意味では普通のライブよりも圧倒的に興味深いけど、それはそれで疲れる瞬間もある。10年前の新村君がここに来るとは誰も思っていなったと思う、それは実に偉大なことで素直に札幌のミュージシャンは賞賛するべきだと思う。
 ビブラフォンやグロッケン、マリンバが何故ラテンパーカッションなのかよくわかった。

 自転車はもう店じまいかもしれない。山もそろそろ寒い。
 冬は何をしようか?
 思い切ってスキーを35年ぶりにやるか?骨折。
 僕はすぐに何かにはまるらしい。
 うすうす気づいていたが人に言われるとショックだ。
 思いのほか腹筋や腕立て伏せではあまり筋肉がつかないということがわかった。

 天気。曇りのち晴れ。とても寒い、東京は25度あったらしい。いい。
 


2006年10月17日(火) だんだら雲が流れて

 朝、雷が鳴り、街はライトを点灯した車でまるで夕方の景色。
 雪虫も飛び始めた。
 子供の頃からずーっと見てきた虫なのに驚くほど何も知らない。
 どこにでも居るのかと思ったらそうでもないようだ。
 自転車に乗っていると良く目に飛び込んでくる。
 今年は後半戦、自転車に乗るよりも山に登ることが多くなってきていて、水平方向から垂直方向に景色が変わってきた。天気のいい日を選んで登っているせいか何かしら山登りはとても気持ちがいいと思い始めていて、もう少し早くやっていればなあと思う。
 ときどき駆け下りている人がいて随分元気のいい人なんだなあ、と思っていたら様子はそんなことじゃなく、自分でもやってみてわかった。
 くだりはある意味とても大変で、スピードがつかないようにするのがとても難しく、ともすると勢いがついてしまう。走っているのではなく、スピードが止まらないみたいでときどき悲鳴みたいなのが聞こえてくる。というのは嘘だけど、普通のスニーカーでは親指のところに穴が開きそうなほど負荷がかかるのが分かる。
 目に見えて高度が上がる。
 転げ落ちるとどこまでも落ちて行きそうなところもある。
 必ず転げ落ちてゆく自分を想像する。基本的にはネガテブ体質だということが良く分かる。熊よけに大きな声で歌を歌う。本人は声だしの練習のつもりと熊防止。特に今年の北海道は熊が例年よりも多いみたいであっちこっちで人が熊に齧られている。何人かはそれではすまないみたいで大事になっているので、いくら札幌の山とはいえ一応山なのだ。とにかく歌を歌うことにする。時々人が通り過ぎる時は一応やめる。今、街中だろうが山の中だろうが、海辺だろうがあまり唄を大きな声で歌うという人は見かけない。昔は結構居たような気がする。別に酔っていなくても人はおおらかに歌っていて、世間もおおらかな目でそのことを容認するという姿勢があった。むしろ好感を持ってみていたきらいすらあったように思われるが、今はもう完全にアウト!どう弁解しても大きな声で歌うということは許されない。危ない人に思われる100パーセント。
 どっちにしてもすれ違う人は遠くのほうから歌っている奴がいるという事は聞こえてるわけだからいくら通りすがりに口をつぐんでも出来るだけ目をあわせないでおこうというオーラが内々感じられる。
 僕はどうせただむやみに山を登るよりは何がしかの身のあることをしたほうがいいと思ってるだけだから勘弁してもらいたい。
 雨上がり後のだんだら雲が流れてその上に夕焼けが覆いかぶさっている。
 藻岩山はもう暗くなっている。
 明日は晴れるみたいだ。

 新村君の厚生年金リサイタルが明日ある。
 みんなで応援に行こう。
 それにしても厚生年金会館なのだ。
 ジョニーもでるし遠音も出る。打楽器のリサイタルというのは珍しいのでみなさん是非足を運んでください。
 詳細をここに書くから
  18時30分会場、19時30分開演 ¥2,000(全席自由)
      ゲスト  SOFT OPEN 遠音
   となっているのです。当日新村君もレコーディングに参加しているということでわたしの「一途な月」も即売するという話です。買い忘れた方も是非厚生年金に出かけ僕のCDを買ってみよう。
 新村よろしく。

 携帯の画面が前衛の絵のようになってしまいメールも開けないし電話も出来ない。呼び出し音が鳴っても誰から来たのかがわからなくって出られない。気がついたらもう4年経ったか?兎に角最近は何でもすぐに壊れる。すぐ壊れるものを作って売るのを筋にしているのだろうけど、ちょっと阿漕だ。別に新しい携帯になんか興味もないし、積極的にメールをやるわけでもないし、インターネットにつなぐわけでもないし、写真取るわけでもないし、今ではもう音楽も聴かないし、電話もあまりしない。本当はこのままで良いんだ。このまま壊れていればそれを口実にメールも出さなくて済むし、どちらかというと便利かもしれない。はて?携帯は必要なんだろうか?と思うんだけど一旦持つとそう簡単に離れるなんていう芸当が僕に出来るわけはない。どうしよう?このまま使い続けるべきか?新機種にするか?はたまた思い切って原始生活に戻るか?

 久しぶりに厚別に行ったら後半40分過ぎまでリードしていたのにあっさり同点にされていた。客、思い切り引く。だんだらぐもが流れて秋の空。
 帰り道、バカボンと来年の話をする。バカボンは今年は、残り8試合、けなげに応援を続ける、皆勤賞をとると決意新た。バカボンは鏡だ。
 日本シリーズのチケットはさて?
 
 だんだら雲が流れて冬が来る。


2006年10月13日(金) いやはや、いい物を見せてもらった

 いつかドームの床は落ちるはずだ。
 まるでサッカーのサポーターみたいに札幌の野球ファンは跳ねる。
 飛び跳ねている人たちは芝生の出し入れするところの移動席に陣取っているのでね、どうみても一番補強が弱いところのような気がするんだけど、いいんだろうか?大きなお世話なんだろうか?テレビでは「カメラがぐらぐら揺れるほどの応援団の熱気です!」かなんか言ってるけど、カメラがぐらぐら揺れるということはやっぱり床が波打ってるわけで、波打ってるということはどう考えても下は磐石とはいえないと思うんだけどなあ?誰も何にも言わないけど心配だなあ。外野方面には行かないようにしようっと。
 それにしても、昨日の試合は重たい試合だった。投手戦といえばそうなんだけど前の試合はピッチャーが頑張る試合だったので今日はそんなことはなく、結構打ち合いになるんじゃないかと思って球場に行ったらなんのことはない立派な投手戦で、テレビを見てるはぶんにはいいんだけど、いざ目の前で展開されるとやっぱり打ってもらったほうがありがたみが出る。本当に席には恵まれてて、本当に目の前で試合が展開される席だった。さらにいいことに日本ハムの守備が終わり外野フライや内野ゴロになるとそのボールをこっちに向かって抛ってくれる席なのだ。どうしても小笠原からのボールが多い。いつかとってやろうと思ってるんだけどなかなかうまこっちのほうに来ない。
 というようなことで今日のニュースの通り日ハムは日本シリーズに行く。
 なんとしてもチケットを手に入れなければいけない。
 みんななかなか苦労しているみたいだ。電話も繋がらない、ネットにもアクセスできないみたいで、苦労はさらに続く。のほほんとしているようなのだが本当は違う。兎に角いろんなところに手は打ってある。これを読んでチケットが手に入ったんだけどどうしても行きたくないという人がいたら譲ってもらっても全然かまわないです。(そんな奴は居ない!と思うけど。)
 ビール一杯飲んで、烏龍茶一杯飲んで、お稲荷さん食べて、ポップコーンを食べて、フライドポテト食べて、チョコ食べてまるで遠足だった。
 明らかにサッカー観戦の時とはスタンスが違うみたいだ。サッカーの時はストイックにお茶一本(厚別は比較的ペットボトルには鷹揚で別段きついチェックはない。)を持ち試合終了まで時々舌打ちやため息などを織り交ぜながら陰湿に観戦するんだけど、野球はもうどうでもいい感じがする。みんなビール飲む、私語はする、酔っ払う、子供は早く家に帰りたがるで、基本的には居酒屋に家族同伴的のりで充満している。たぶんこれはこれで日本の野球のスタンスなのだろうと思われる。とてもいい。
 やっぱりおらがチームだ。福岡ソフトバンクには気の毒な事をした。あんなにえこひいきしちゃ駄目だぞ!なんちゃって。福岡に行ったら同じようなことをやられるわけだから、もう気の毒がっちゃいけないわけなんですよ。でも、斉藤はかわいそうだった、というか一番記憶に残った。マウンドにくづれ落ち、動けなくなっていた。同僚に抱えられながらダッグアウトに戻る姿は残酷なんだけど何を思っていたのかを正直聞いてみたかった。どんな恨みつらみがあるのか。そんな風に見えた。
 あとはもう優勝風景だけに集まっていた人の群れ。まさか札幌で見られるとは思っていなかったけど。
 どうか切符が手に入りますように。神様、仏様、いい人様。なんまいだー。かんまいだー。

 もう、立派なアルピニストだ。
 藻岩山45分で登れるようになった。
 本当にはまりやすい奴だ。
 惜しいことに寒くなってきてしまい、あとそんなには登れないかもしれない。冬の藻岩山というのも考えたけど低くても冬山遭難は十二分に考えられるのでやめておく。
 これからはリュックを持つことにする。というのも今日途中で雨に降られただのTシャツに気持ち厚いシャツでは身体が冷えた時に困ると当たり前のことを学習したため。それとタオルはこの季節背中に入れておいたほうがいいという事も学習した。汗をかくと気持ちが悪い。
 後はトレッキングシューズも必要なのだ。岩や石を踏む時にくじきそうになるし下り坂の時に負荷がかかりスニーカーには耐性がない。
 愈々山登りに突入か?
 
 それと小屋の基礎作り。

 私は一体何になるのだろう?
 一体どこに向かって進もうとしているのだろう?
 続く。

 今声の調子が最高だ。
 自由自在にどこにでもいける。
 基礎工事は必要なのだ。
 足もつるし、腕も攣る。それでも調子がいいと思ってるのは気のせいか?
 自分のことも分からなくなったのか?おい!
 


2006年10月10日(火) 真面目に考えてみたら

 10月10日は体育の日とホンの少し前までは言っていたんだけど、日にちの前倒し休日のためにいろんな休みが数字と関係なくなってしまって、それでなくとも理解、記憶などの中枢が融通利かなくなっていて厄介この上ない。長いセンテンスに文章を書くと論旨がぼやけて、何を言いたいのか分からないなどというクレームが時々来るけど、それはさておき、周りを見渡してみると、別に見渡さなくても発見に事欠かないんだけど、みんな身体ががたがたの人ばかりで、どう考えてても人に寿命50年説が正しいとしか思えないくらい傷んできている。何が困るって、身体と精神のバランスが上手く保てなくなってくるみたいで、どうやらこれから先はこのことをテーマに考えなければいけないみたいだ。
 ある程度の予知として大雑把な準備はしてきているんだけど、もっとハードに精進しなければいけないみたいだ。
 ということでスクワット、腹筋、背筋、腕立て伏せ。さらに山登りを追加しなければいけなくなった。もうミュージシャンというよりアルピニストと呼ばれるほうが筋なのかもしれない。
 登って5分ぐらいすると幼稚園の一団に遭遇。たぶん近所の幼稚園による登山遠足らしい。5,6歳児にこんな山登らせても大丈夫なのかと心配していたら一番後方のところで子供の泣き声がする。先生と思しき人が2,3人携帯で園長と連絡を取っているようだ。「これから下山したほうがいいですよね?」といってる側で子供がワアワア泣き続ける。どっちかというとすぐ降りたほうが良いんじゃないかと思ったんだけど僕はその幼稚園の先生でも園長でもないので通り過ぎようとしたら、男の先生が(それにしても先生達が異常に若い。そうかこんなに若くないと元気のいい子供たちの世話が出来ないんだ、ということがよくわかった。5,6人いたと思うんだけどどうみても25よりうえは言っていないと思うんだけど。)園児は87人(数えたわけじゃないけど、習慣的、職業的ににどのくらいの人数かはわかる。)で、事件があったのでめいめいが勝手に登っていく。一本道とはいえ山道。小さな子供とはいえちゃんと勾配のあり山道を登っていく。ペースメーカーとしては初心者アルピニストには最適で思いのほか楽に登っていける。これがひとりで登るとなると間違いなくオーバーペースになりヒイヒイいって登頂をすぐに断念したことは充分請合える。ほぼ8合目までは幼稚園の先生を装ってその中にまぎれて引率される。引率するのじゃなくされるのだ。降りてくる人は子供たちが通るのでみんな道をあけて待っててくれる。時々「大変ですね?」と声もかけられる。「家々仕事ですから。」と引率の先生に聞こえないように答えてみる。どうみても園長だと思ってるんだろうなあ?黒と黄緑の長袖とジーパン穿いた人。普通に考えれば胡乱なことこの上ない。山道じゃなく普通の道路だったら警察も微妙に関与してくるかもしれないけど。
 一緒に登っていて一番感心したのはどの子供も必ず挨拶をするということで87人全員に声をかけられたと思われる。こっちも丁寧に答えるんだけど、非常に忙しい。降りてくる人にも挨拶しなければいけないし。僕は自分の人生でこんなに愛想のいい一日というのはなかったのではないだろうか?
 山登りをする人は皆一様にきちんと挨拶をして通り過ぎる。日本で一番挨拶が行われている場所かもしれない。世のなか、人に無愛想、気に入らない日々を送っている、挨拶なんかしたことないという青少年は皆山に登らせることを勧める。二人ずれの高校生くらいの男の子(オイオイ、君たち今日は学校じゃないの?と思いはしたんだけど。)も嬉しそうに挨拶をして降りていくのを見ると真面目に登山を国家的行事にしたらと、思うわけはないんだけど、一度登ってみることを本当に勧める。それも矢張り距離は長い、高さのある山のほうがいいのかもしれない。この間は円山を制覇。今日は藻岩山。
 途中園児に色々話しかけられる。水も弁当も持って居ないことを集中的に聞かれる。水も弁当も頂上の食堂で買うといったら、先生に頂上には食堂も売店もないといわれているらしく、同情された。悔しいから大人専門の食堂があるんだと教えてやる。それと、骨折した隆君は前にも一度骨折しているらしく、なんでもカルシュームが足りないそうだ。子供なりに鋭い意見も持ってる。後ろの子供は「体力が、体力が・・」とぶつぶつ辛そうに登っている。子供なりに体力のことを心配することもあるのだろう。
 8合目あたりで第4の休憩になるということなので、僕は単独の登頂に挑まなければいけなくなり、このあたりから俄然勾配が級になり、愈々頂上の臭いがしてくる。うしろから30歳の女の人(女の年も習慣的、職業的に当てることが出来る。)が僕をペースメーカーにするみたいに、若しくはストーカーのようについてくる。常連なのか普通の道を歩ていくようにに登るのがとても悔しく、すぐにオーバーペースで犬のように喘ぐ。園児と一緒に休憩をとって最後まで一緒に登ればよかったと後悔。
 あんまり悔しいので、道を譲って先に出す。兎に角ペースが変わらず飄々と登っていく。例によって「もうここまできたら登ったも同然なので帰っちゃおうか?」囁く声がする。今回はそれでも頂上の臭いが濃いので頑張って登っていくとさっきの女の人が見晴らしのいいところでストレッチをしていて、それが済んだらさっさと降りていった。僕のように誰かに囁かれたような形跡もなく、別に頂上を目指していたというのでもなく本当にクールに今日の分はおしまいといった感じで降りていった。次の目標が見つかった。僕もあれをやることにする。頂上に上るのは野暮なのだ。
 ほんの少し登ると頂上だった。明らかに円山とは違う。札幌の全景が見渡せる。約一時間。記念に少年よ大志を抱けキティを買おうかと思う、というようなこともなく穏やかに頂上でドリンクを一本とお茶一本。
 天気がいい日には本当に家に居られない男だ。
 麓に降り、自転車で家まで帰り歌の練習をする。

 今月の23日、白石の「ありがとう」でライブ。

 今年中に基礎を作る。柱9本を地面に埋める。穴は長坂さんがゆんぼで掘ってくれることになっているので穴掘りをしなくて済むのは本当に大助かりなのだ。

 明日は日本ハム。ドームじゃ。なぜかチケットを持っているのだ。それもかなりいい場所を。うんと早くから行ってようっと。ここまで来たら是非日本シリーズを見たい。札幌で。だからといって野球に身を任せたというわけではない。と言って一体僕は何に操を立てているんだろうか?
 昔、巨人、西武の日本シリーズを所沢で見たのを今でも憶えている。チケットを買うのに並んで2日間手に入れた。テリーと田淵、太田のホームランをみた。そのころも巨人が嫌いだった。東京に居た頃の話。今度は札幌だ。隔世の感があるっていうんだろうなあ、こういうのを。

 最近、身体の調子の悪い人に多々遭遇する。みんな!身体の耐久年数は50年なのだ。きちんとメンテナンスして頑張ろう!身体が心を引っ張るので兎に角まず身体を大事にしよう。それにしても目はまだまだ悪くなっていく。ブルーベリーや鮭を食べなくちゃいかん。ということななんだけどそういう情報に右往左往するのはやめれ。


2006年10月03日(火) あっ

 久しぶりに銀河の彼方。

 呼べど帰らぬ今日の日記。

 嘘じゃないって、本当に押し間違えたんだって。
 登録ボタンじゃなく環境設定とか修正とかひょんな拍子に完成後押してしまうと、「あっ!」というまにブラックホール。
 何年も書いてるのに間違えるということなんかあるはずもないと思っている人もいるかもしれないけど、もうろくするといろんなボタンを見境なく押すのだ。

 腕が痒い、蕎麦アレルギーで店を閉める蕎麦屋のことや、何か忘れていることがあるんだけどそれはなんだろうということや、縄梯子のことなどを書いたんだけどもういい。

 さようなら。

 あぶねえ、」また違うキーを押すところだった。なっ? 
 


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