sasakiの日記
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2004年05月28日(金) 漢字の読み方教室

 首都高がギットギトの渋滞だった時、高木町あたりで当時の僕のマネージャーだったとある人(本当に匿名にしておいてあげる。)がぽつりと「あー、きついシブタイだなあ!飛行機間に合うかな?」。
 最初、何を言ってるのかよくわからなくってしばらくしてから、もしかしたら渋滞のことか?と思ったら、もうその話題は終わっていて、それってギャグか?もしかしたら冗談か?聞く機会を逃してしまったことが昔、昔あった。その後、そういう状態でそのマネージャー氏と遭遇する音がなかったのでいまだに本気か冗談かはっきりしないのだ。
 
 でも、あの会話はシリアスだったと信じている。
 当時32歳くらいだったと思う。彼は。
 
 何かの折に渋滞という単語を使うことは東京人としてはままあったと思うんだけど、誰もそのことについて「ねえ?それはね?シブタイって言うんじゃなくってじゅうたいというんだよ。」言わなかったというということがすごい。彼は32年間、自分の人生では道路が混んでいる状態は、じゅうたいじゃなくってシブタイだったんだと思ったら、これはこれで面白い。
 32の男に漢字の読み方を訂正するということは出来そうでなかなか出来ないものなんだ。実際、僕だってそのタクシーの中で「さっきのシブタイの件なんだけど、本当はじゅうたいって言うんだよ。」とは言い切れなかった。みんなそっとしておいたんだと思う。
 今度あったらこのことについては絶対聞いてみようと思う。
 
 似たようなことがあった。

 このところ天気がいいんで札幌の街をハワイアン聞きながら自転車転がしている。しばらく西岡君と番長の顔を見ていないので大通りの裏にある事務所に行ってみた。西岡君は最近猫を飼い始めたみたいで、さりげなくパソコンに取り込んだ猫の写真を見せようとする。当然僕はよその猫なんか可愛くないと思っているから、できるだけ触れないようにするんだけど、ほぼ押し売りのようにノートを僕の前に広げる。な?やっぱり可愛くないべ?よその猫は?と思ったんだけど、角が立つといけないので無理して見る。
 西岡君のところの猫(この言い方が最早角があるような気がする。)はまだ子猫なのによる西岡君が帰ってきても出迎えに来ないという。一度きちんと話し合ったほうがいいと思う。僕のところのスポ太郎は今でこそ年取って玄関先に迎えに出てくるということはないけど、それでも10歳くらいまではそれこそいそいそと、今までどこへ行ってたにゃンといって足元にまとわり着いてきたものだけど。
 
 はて?僕は何に悔しがってるんだろう?
 
 猫好きはとにかく写真を撮る。猫にいろんなことをさせる。
 「カメ」という字を切り抜いた紙をスポ太郎の背中に貼った写真があるんだけど、意味が分からない。
 どうも猫好きのほうが犬好きの人たちよりも屈折率が違うような気がする。

 西岡君のところの若い人(本当に匿名にしておいてあげる。)が暑いからといってアイスとお茶を買ってきてくれた。
 「白熊アイス」というコマワリ君に出てきそうな名前のアイスに今ハマッテいるので、僕にも食えという。
 普段はあんまりアイスは食わないんだけど、勧められ、遠慮するとここの事務所はすぐに引っ込めるので(前にシュークリームをすすめられてほんの一瞬躊躇したら、2度勧めはなかったというのを教訓にして)あわててもらった。
 隣で番長が若い子に「ねえ、その白熊アイスって何が入っているの?」と聞いているのが耳に入る。
 「ええとですねえ、パイナップルとみかんとですね、それとコマメです。」と言ってる。
 すかさず、番長「何さ?コマメって?」
 「コマメですよ、小さい豆。」
 「小豆のこといってるの?ひょっとして?」
 ひょっとして小豆のことを言ってたのだ。
 彼は27まで小豆をずーっとコマメだと思っていた。
 小豆と言う単語が日常的に使われる単語かと言われれば、まあ、そんなには使用頻度の高い単語ではないだろうけど、それにしても2004年の5月26日まで何の検閲も受けずに彼の人生で生き延びてきたことを思えば、ある意味奇跡みたいなもんじゃないかと思われる。
 もう少し希望を言えば昔のマネージャーみたいに30過ぎてまで持ち越して欲しかった。そして誰も注意できず、死ぬまで小豆をコマメだと思って人生を全うしてもらいたかった。

 ハード・トゥ・ファイン度の扇柳徹がCD出して三角山でキャンペーンやると言うので今日自転車で行ってきた。まじめに喋っているようなんだけど、僕の耳にはどうもなんかギャグを考え考え喋っているようにしか聞こえない。タバコをやめたということで、どうみても5キロは太っていた。フッキーも7キロは太ってしまったみたいだ。あのねえ、君たち!目に見えて太るのはやめようね。同じ太るにしても地味に、人に気づかれないように太ろうね!それにタバコ吸ったほうがいいと思うんだけど。

 なお、徹のアルバムタイトルは「はなのあめ」
 僕も一曲歌手として参加している。
 全国のタワーレコードやコーチャンフォーなどで発売中。

 僕はこれから東京、横浜用の練習に励む。そろそろ腕が攣り始めてきた。Bフラットやフラット9スなどを押さえると手の平が攣る。
 もう、難しいコードは押さえないようにする。
 10日、横浜関内ホール 18時30分会場、19時 開演
  晴日、三浦君とのジョイント
 11日、バックインタウン 東京
     18時、会場 19時30分、開演
  となっている。是非おいでを!
 


2004年05月21日(金) 雨降りだからミステリーでも PART2

 というのは植草甚一という爺さんの本のタイトル。
 大学の頃だったと思う。植草さんが流行ったの。
 ミステリーの評論やら趣味のことなどをでれでれと書いた人で、爺さんになるんだったらあんなふうになりたいと思わせる、スタイリッシュな爺さんだった。
 
 僕は今どんなおっさんに見えているんだろう?
 
 昨日友人の母さんの通夜に行ってきた。
 はるみちゃんに帰る間際に「ゆきおさん!髪の毛はちゃんととかしてくるようにね?上のほうなんかぴょンぴょンに立ってるよ。」と注意されてしまった。この間、人前に出てくる時は隙を見せないようにと注意してもらったばかりだったのに。風呂から上がって指櫛だけで世間に登場してしまった。
 
 母さん、享年82歳。
 あと、28年かあ、と思った。
 全然短いじゃん!
 やっぱり人生は短いなあ。
 
 百章の頃♪人生は短い、そんなに長くない ああ!疲れたらお休み♪と唄っていたんだけど、当時はまったくその言葉、その詩に何の実体もなかった。若い頃、年上の人にそんなことを言われた記憶がある。そんもんかなあ?とも思っていなかった。
 僕は今その年上の人をやる役回りになっていて、とても面倒くさい。
 今の仕事やめて音楽やりたいんだけどという相談を立て続けに受けてしまった。答えは「やめなさい!」なんだけど、どうしても自分の二十歳のころのことを思うとそうも強気に答えられない。「あのねえ?どうしても音楽やりたいんだったらまず、自分の足場を科固めなさい。どういうことかというとだねえ、今いる家を出て自活すること!大人っつうのは一人で生きていけるということ。」なんだけど、とてもそんなことは言えない。僕は二十歳でまだ家にいて、親元で生活させてもらっていた。「あのなあ、お前、才能ないから、やっぱりあきらめたほうがいいよ。」なんだけど、自分の当時を振り返ると、とても才能溢れた、自信満々というふうには思えなかったし。「音楽で生きていくの大変だよ、将来の保証もないし。」なんだけど、あまりにも見も蓋もない話で自分の口からは金輪際言いたくないせりふだし。
 
 ええい!!俺に相談するなあああああ!!!
 
 自分のことでも優柔不断なのに、人のことなんかかまっていられない。なんだけどとても、とてもそんな理不尽なことはかわいそうで言えない。
 こういった優しい気持ちを持つということがそもそも年齢的堕落の始まりじゃないんだろうかって思えてくるよ、実際。
 人の葬式に出てあと28年たったら82かあなどと考えることがもう年の陥穽にはまってしまってるんだ。

 二十歳の女の子に綿谷りさの「蹴りたい背中」どう思うって聞かれた。
 「あなたにこの間借りた少女コミックみたいだった。おもしろかったよ。」と答えたら、「やっぱり、私もそう思ったんですよお!そのまんま漫画ですよねえ。」
 話はこれ以上広がらなかった。
 彼女は漫画家になりたい、ミュージシャンになりたい、男が欲しいといって去っていった。なんなんんだ?
 でも今時の子はとても面白い。みんなそれぞれに卑怯でとても潔い。
 卑怯の中身を知らないから全然晴れ晴れと卑怯だ。僕らがどうのこうのいえるところにはもいういない。言ってもどうにもならない。
 「蹴りたい背中」そのもの。

 んなわけで、これから雨降りなのでミステリーを読む。
 気がついたらミステリーをすっかり読まなくなってしまった。面倒くさいものや、荒唐無稽なものに感動しなくなっている。これはよくないし、かっこ悪い。

 明日は三角山。あーーっ。あーーーっ。
 


2004年05月18日(火) メールが流れていかないし、来ない。

 うーん、静かだ。
 
 御礼のメールやら挨拶のメールやら、謝罪のメールなどを流そうとすれどまったく詰まったまま、どうしようもない。
 
 この間の工事からだ。
 
 知ってる振りして上の空で聞いていた罰が当たった。
 いろいろいじってみたが益々混乱の度を深め訳が分からなくなってしまった。こういう風にならないために結構親切そうな設計のパソコンを買ったんだけど、「そういう風にいじっちゃいけない!」「余計なことをするな!」とか「そのボタンを押せ!」「今、一から指導するからその通りに操作するように!」とは言ってくれない。
 そんなわけで昨日からあまりそばによらないようにしている。
 そして、そんなわけで日記の連続試合出場も(土曜日休んでしまっていたか?)今日で終わることになるだろう。
 やれやれだ。
 
 話を続ける。
 日記の書き込みは問題がない。と思う。
 メール流したんだけど?という電話をもらった。ミスのマークが右隅に出たまま到着の合図は何も表示されない。
 静かなもんだ。
 僕のパソコンは只今田園状態。
 心なしかひばりの声までする。
 
 このままでもいいか?
 さしあたってあまり支障も今のところないし。
 
 でも、そうもいかないので、もう一度工事に来ていたお姉さん呼んできてもらわないといけない。迷惑でとんまなユーザーというのはたくさんいるんだと思う。

 今、風呂から上がってこれを打っている。
 小原庄助と近いところで生活している。
 怨嗟の声が聞こえる。

 これからレッスンにはいる。
 左指の訓練、ストレッチ、右指のタイプうち訓練、握力増強テニスボールつかみ100回、右左、鏡に向かって口の開け閉め50音繰り返し5本、背骨矯正運動(マシンによる)、腕立て伏せ20回を3セット、腹筋30回を2セット、スクワット50回を4セット。
 それを済ませてからギターと歌の練習に入る。
 と書いて、これを信じる人っているんだろうか?
 マシンによる、じゃねえよ、まったく。
 練習をすることだけは確かなこと。これホント!!

 それでは、さいなら。

 


2004年05月17日(月) 今日はくもりぞら

 只今トイレの最中。
 猫トイレに入りきらないので体半分を外に出し、左足を入り口の段にあて、今にも空に飛び出しそうな体勢でおしっこをする。
 何か遠くを見つめている。
 一番利口そうに見える瞬間だが格好が馬鹿っぽい。よその猫はちゃんとあのトイレに入りきっちゃうんだろうなあ。
 水を飲む量も以前の半分かに下がり、おしっこも一日2回、うんこ二日に1回のローテーションを正確に繰り返す。
 体重も油断すると増えそうな傾向にあり、持ち上げてみると心なしか昔のぎっくり腰を起こしそうなズッシリ感がよみがえってきた。8キロから前後2,300グラムをめどにしている。
 毎日朝8時に注射しなければいけない。
 一度起きると次がなかなか寝られないので、毎日になると結構きついものがある。時々少し寝過ごしたいなと思っても、大体6時半ごろから朝飯催促のアカペラが始まる。よく朝からあんな声が出るモンだと感心するほど大きな声で鳴く。もう、情け容赦がない。向こうは夜、こっちより先に寝ているから睡眠時間は十分、おしっこも済ませ、あとはご飯が出るのを待つだけ。
 猫だから忍耐とか我慢するとか、思いやるとか、優しさとか、斟酌するとか、遠慮とか、とにかく自分のストレスになることは一切しないことにしているみたいで。最初はそれでも発声練習なのか遠くの風呂場辺りで一鳴き、二鳴きする。次は居間戻ってきて一応得意な歌を完唱する。それでも自分のやってることを誰も聞いていないことがわかると布団を乗り越え耳元でワアワア唄い始める。子供の頃はそれはそれはきれいな鈴を振るような声だったんだけど、いつの間にか父親の野良だった本性が丸出しになって、幾分声が割れてきた。さらに年が加わり少しずつ痰もからむ。
 猫を飼っている人なら絶対に分かってくれると思うけど、飼い猫は「ご飯」と言う言葉だけは話せる。
 「ごはん」ときちんとは言えないけど概ね「ごはん」になっている。
 正しくは「ゴ・ワーーーン」と、アクセントは「ご」に力強いアクセントがあり、その「ご」ですこしためる、それから「ワーーン」とクレッシェンドすると雰囲気が出るのでみんなでやってみよう。
 冬が去り、春が着て一番喜んでいるのはうちの猫。
 今の家は堂々とベランダに出せる。朝起きるとまずベランダの戸をお開けスポ太郎を出す。隠れてみていると寝転がって像の砂浴び状態になる。背中を、腹を床にこすりつける。マタタビヲやったときによく似ている。隠れてこっそり見ているとたぶんこの世の春なんだろう、いっちゃってる。
 カラスが嫌いらしい。2,3羽そばの木に止まり、ガーガー鳴くと勢いをつけて逃げてくる。戦うと言う気概は持ち合わせていないみたいだ。
 スポ太郎は僕に似ているらしい。うちに来た人は大体言う。どこがときいても具体的には答えてもらえないけど。でも、それは多分あっていると思う。なんたってスポ太郎はうちの死んだバーさんそっくりなんだから。顔が。
 生前よくバーさん言ってた「ゆっきー、ばっちゃが守ってやるからな?ずっと。」
 たぶんそういうことってあるんだろうなあ。

 さっき山木に電話したらもう東京に戻っていた。
 なんだよ、せっかく返そうと思ったのに。
 先週、土曜日ジョニーも入れて白幡のところで4人、死に笑いした。
 このところ酒がなくてももつようになってきた。帰ったのが2時過ぎだったので、もう早帰りの佐々木という呼び名も返上しよう。

 
 LONDON RECORDING FIRST 日記 

 29日

 昨日途中で終わった”jealousy”を採る。Robertの電池が切れでややしばらく休憩。MaxのBluesが聞こえてくる。昨日の緊張のせいか首が寝違えたように廻らずまいる。
 4:30分”jealousy”オケ終了。
 6:00分”cry for the moon”の採譜終了。RobertとMaxの二人で採譜。
 9;00分終了

 今日はあと2曲とるという。鬼のスケジュール。
 遅い晩飯を取る。昨日は焼きそばだった。今日はPORK CURRY。
 胃にもたれる。目がしょぼい。
 ”MIss Elgyの悲劇”に突入。何かカントリーになりそう。どうしょう?カントリーのイメージはないのに。
 突然予定変更になり、R&Bに。
 驚異的な状態になり、”Shadow Lady”まで始める。それぞれ体力の限界に入り始めているようでなかなかはまらない。
 Maxの冗談も枯れてきた。

  ※ デモテープからコードをあらためて起こし、そのなかで大体のアレンジをMaxとRobertがヘッドアレンジを進めていく。最初の頃は可也むちゃくちゃな進行をしていた。
 いつも何を食ったかを書き留めるのはほとんど癖だと思われる。
 こうして、僕はロンドンの中華とカレーのテイクアウトの詳しい人になっていく。とにかくスタジオの飯はこの頃はほとんど出前。
 2枚目「AFTER DARK」から賄い付きに変わる。
 宿もまだホテル住まい。フラットを借りてスーパーマーケット三昧の生活もまだまだ先。

 

 
  
 


2004年05月16日(日) 完成!

 今日はだめだっつうのにヴィデオ鑑賞会並びに打ち上げホームパーティーをやるから夕方からあけといてといわれてもなあ。なんと言っても先約があり、そっちのほうを優先せねば。何事にも順番があるのだ。
 そんなわけで定山渓めざして車を走らせていて、もう少しで目的地と言うところで三浦さんから携帯。
 「もう、皆さんお待ちで、幸男さんが来ないとヴィデオ鑑賞会が開けないので、いつごろこられますか?」
 「あのねえ、私はこれから定山渓に行って風呂入ってそれから宴会をするという擬似観光客特に温泉宿体験ツアーを執り行おうとしている最中で、昨日も言ったとうり今日はことは前から予定が入っていて、そう簡単には動かせないわけなのよ。分かった?」というような高飛車な態度で通告する。
 僕は普段は当日でもブッキングオーケーという非常にフレキシブルな日常を送っているので、比較的無理は利く。
 だからといってこういうのはちょっと困るかもしれない。
 結局はもう一押しされて件のホームパーティ会場に向かうことにした。擬似観光客温泉宿体験ツアーはまた天気のいいときにと言うことで路線変更。今度は双子山方面に移動。

 夜は行ったことがなかったので大丈夫かなと思ったら、何のことはない、玄関の木に電飾が施され、クリスマスのイルミネーション状態になっていてすぐ分かった。ふむ、おしゃれといえばおしゃれかもしれないし、これ以上の目印はないのでとてもいいアイデア。
 人に家を場所伝える時、
 「近所まできたらすぐ分かる。木にイルミネーションがともっている家だから。」といえば済む。
 
 今度うちでもやってみよう。玄関の前に年がら年中クリスマスツリーでピカピカ照らそう。

 盛大な量の食べ物が食い散らかされていて、今回参加してくれた写真の岡本さん、デザインの益田さん、コーディネイトの三浦さん、同じく小崎さん、ヴィデオ監督の早川さん、スタイリストの晴美ちゃん、それとネクサス型ロボット小島さんがものの見事に出来上がっていて天上界の住人になっていた。
 シャンペンをほんの一口乾杯として、なんといっても禁酒がまた続いているので。餃子と白菜の豚肉重ね蒸しポンズがけ、中華点心、サラダ、筑前煮、なんかいろいろあったけど忘れた、を少しずついただいてヴィデオ鑑賞の時間となった。
 まずは本編。
 色々な人がアップでユラユラ揺れながら「BAR FLY」を唄う。
 そして、本人登場。
 三浦笑う。
 あのねえ、そこは笑うところじゃないのね?いい?
 終わってそれぞれが拍手。
 酒が入っているから、もう一度素面の時に確認しなければ。
 続いてメイキング。
 岡本さんが僕も映りたかったと言っていた。
 どんな顔をして写真撮ってるのか見たいからということで、それはよくわかる。普段自分たちはどんな顔をして仕事をしてるんだろうか?
 そういった意味でもなかなか楽しいヴィデオではある。
 
 自分の顔が移っているものを人様に売ってもいいのだろうか?という基本的な恐れが少しずつわきあがる。
 やめようというのは今ならまだ言える。
 今ならまだ間に合う!
 なんちゃってね。
 僕はそんなにデリケートじゃないんだ。残念なことに。

 6年後に大パーティーを開こうということになり企画するということになった。晴美ちゃんが。
 なんでも、参加する人は必ずどこかに赤いものをつけくるということである。何のことはない還暦パーティーのことだった。
 なんかまり嬉しくないパーティだなあ。

 帰り、タクシーから振りかえるとイルミネーションはまだ瞬いていた。なんかクリスマスみたいだった。

 


2004年05月14日(金) バレーを見てから

 これを書こうと思ったら三浦君と打ち合わせだと言うことなので行ってくる。三浦君といっても昨日登場した三浦君ではない。ちょうど札幌の着ているということなので。♪愛はかげーーろーー♪の三浦君。
 横浜の打ち合わせ。
 次の日は東京でやるので。6月に。
 
 どうやらこれからちゃんこ鍋のようだ。このところ鍋、鍋、なべ。
 
 ここには帰っては来ないだろうと思われるので。
 もう酒は飲まん。 
 また、酔っ払ってここに帰ってきたらやばいので。
 それでは。
 さよなら。


2004年05月13日(木) 体力の限界!

 ぼへがにずひたょ ょじがにずひたよ
 ょぼららゃにかこ ょぼららもなのほ
 ねざっぶぬがぷぜ ばざぼけかだびに
 よぎげず     がぎげお

 90年の最初の頃の作詞用ノート並びに雑感帳に上の呪文のようなものが多数書かれている。ドラクエのセーブ用呪文の写しだと思う。ゲームをやめる時これを写し取らないと次回が開けなくなってしまう。それも毎回違うものが上の分量だけ出てくる。ひらがな1個でも写し間違うとたとえ最終章だろうが金輪際戻ってきてくれず、また最初からやろうねと宣告される恐ろしいものだったのだ。
 隔世の感がある。
 今はセーブ場に行ってハイ!セーブでおしまい。
 あの呪文はいったいどんな意味があったんだろうか?嫌がらせだとしたらかなりたちが悪い。このころ僕はもう40は越していた。いい年をしてこんなものを書き写していたとはとても恥ずかしい。
 いったいゲームに何時間使ったんだろう?と考えると、それはそれはとても後ろめたく、さらに充実した人生などといった厄介なことを考えるきっかけにもなりかねないので、これはなかったことに、そして土の中深くに埋めてそ知らぬ顔をすることにしている。

 書きたかったことはこういった後悔の念じゃない。

 その前のページにロンドンのホテルの自分の部屋のスケッチや公園の人の顔のスケッチ、旅の道具などを描いた絵がある。
 きっと、とても寂しかったんだろうなあ。一人ぼっちでイギリスのわけのわかんないところの放り込まれて。
 NORTH TOWER 501
 ホテルの名前か?変な間取りの部屋だ。部屋がひし形になっている。
 SEPT 25だと。

 さらにその前のページにスタジオの作業工程のチャートが書かれている。このときはまだ、クマをきちんと段取りどおりに仕事をする男だと思っていたらしい。今にして思えばそんなことは絶対にないのに。

 もう少し前までたどると録音当時の日記が2ページに書かれている。
 LONDO 3RD アルバム記念なので2ページ丸々書き写す。
 ただ残念なことに「JEALOUSY」の時のもので、この3枚目のことは何処にも触れていない。
 多分3枚目の頃にはロンドン生活にすっかり慣れ親しみ、マネージャーだった三浦氏とロンドン塔だピカデリーだ、はたまたカムデンタウンだハイドパークだと観光を満喫していたため日記など書こうという気にすらなっていなかったものと思われる。その証拠が2時間のヴィデオに余すことなく入っている。最後に5秒間ほどスタジオにいるクマと梅罰氏がサブリミナル効果のように入っているだけというものだ。普通はスタジオ風景を映すべ?えっ?三浦君。そこんところどうなの?
 まあ、何か機会があったら見せてあげる。
 

 さて、日記だ。

 28日  PM 1:00 
 RHYTHM(英国にいる気負いか横文字が多々見られる。スペルの間違いなど気にしないように。当時本人が表記したまま。)採り始まる。”Banan Moonの片思い”。Max、Melodyに合わせCordを乗せていく。Rhythm TrackはSimpleにSimpleに。(ねえ?読みづらくない?すみませんねえ、馬鹿たれで。ホント)冗談交じりのスタジオ風景、体調がついて行かずNurvus(ナーバスと書こうとしたんだけど読める?すみませんねえ、本当にくどい男で。)

 宿に戻って聞きなおす。

  ※ 冗談交じりのスタジオと書いてあるが最初はこの冗談が分からず、というよりもひっきりなしの英語の嵐にやられ、気分はかなりバッドだった。
 1度吐く。
 英語を聞いて吐く男は世の中でもよほど珍しい部類に入ると思う。弁解を言わせてもらえるなら、彼らは演奏している時間よりも喋っている時間のほうが圧倒的に長いのだ。日本的感覚からいえば仕事してから喋れ、このー。と言う感じか?私は日本人だった。当時。なんだ?当時って?
 今は何人なんだお前は?
 ひとり突っ込み早めようね?いい加減。

 29日  開始PM2:00
 昨日途中で終わった”JEALOUSY”を採る。Robertの電池切れでややしばらく休憩


 ここでJCOMの工事の人が来たので中断。このあとは明日になると思う。

 体力の限界と言うタイトルはスポーツ新聞ののりです。人目を引く。

 


2004年05月12日(水) さあ、山登りだ。

 おねげえだ!
 かんにんしてくれ!!
 毎日はやっぱりきつい。

 逃げよう・・・・・


2004年05月11日(火) なんか昨日夜中に

 一日中、なんか昨日、夜中にここに寄って、日記書いたような気がして仕方がなかった。今週毎日これを書くといった強迫観念から夢を見たのかと思い続けていた。
 ぼくはA型なんだけど、その辺のところがずぼらに出来ているようで、あまり血液型の意向には沿わないみたいで、気になったままほうっておくことが出来る。パソコンを開いてそのひっかかりを解消すればいいんだけど、絶対そんなことをしない。どういう風に出来ているのかわからないけど。そういう風に出来ている。
 
 さっき、開いてびっくりした。
 なんと!夜中の2時9分に僕はここに座り、日記を書いていた。
 

 禁酒を破って飲んでしまったのは仕方がないとしても、まさかこんなことをする奴だったとは。なんか他に趣味がないみたいじゃないか。それも2時過ぎに。
 あんまりびっくりしたのですぐ削除してしまった。
 深酒には気をつけよう!
 また、酒やめようっと。

 一日中、家にいる。
 借りてあったヴィデオを見る。
 「座頭市(本家のほう)」「ティアーズ・オブ・ザ・サン」「サイン・オブ・ゴッド」「サムソンとデリラ」「霊幻道士4(フィルムじゃなくヴィデオだった)」
 サイン・オブ・ゴッドはタイムマシンものでキリストを撮ったヴィデオがあるという文に惹かれて借りた。テレビドラマか?最近この手のものが結構多い。「パッション」を先週見たのでキリストものに手が伸びた。キリストはやっぱり復活しちゃ駄目だね。突然緊張感が切れる。
 霊幻道士もテレビドラマだった。道理で見た記憶がないと思った。それも続き物でこれだけ見てもなんだかなあ。
 座頭市はやっぱりギャグが秀逸だった。
 オリジナルはやっぱり強い。
 まじめな時代劇はいいなあ。
何だかんだいってもブルース・ウィルス好きなのかも知れない。ただ、ピストルの撃ち方が兵隊だろうが警官だろうがギャングだろうがみんな一緒に見えるんだけどナア。前も書いた気がする、このことは。

 ナンシー関「超コラム」、「イグ・ノーベル賞」

 反省と自堕落の日だった。まる。


2004年05月10日(月) BAR FLY

 9月に徳之島に行った。
 人がほとんどいなかったのでシーズンから外れていたんだと思う。
 牛と一緒に写っている写真が一枚、水中眼鏡を頭に載せて空を指差している写真、海に向かうまでの連続写真、空と雲と風を写したもの数点、風の強い岩場でズボンを引っ張られている、ひざを痛める前に写した卓球をやってる場面。
 その中でもサトウキビ畑に雲が流れている写真が一番のお気に入りで、しばらく額に入れてテレビの横に飾っていた。
 ぼんやりとテレビを見ている日などはその写真の雲がひっそりと流れていることがある。
 その時に思ったこと。
 彼女と別れると言うことは、そのまわりの友達まで疎遠になっていくということなんだ、そしてこれはこれで結構難儀なことで、僕は迂闊なことにその時まではあまりそのことをきちんと認識していなかった。

 暑い夏の日の夜の歌。
 
 僕にとって新しいコードフォームをみつけ、そのコードで曲を作ろうとして出来たのがこの曲だった。このパターンで曲が上がると言うのはそんなに泣く、曲作りとしては珍しい部類に入る。最近では「何処にもいない僕」がこれ。 

 歌詞の中にレディ・サルサとドライ・ブーガールというカクテルが出てくるが架空のカクテルで、ダンスに関係ある語呂が欲しかったので作ってしまった。サルサは今も現役のあのサルサで、ブーガール、もしくはブガルーはスイムが流行った頃忽然と沸いたリズムでそれ以上うまく説明は出来ない。 意味不明の言葉を歌の歌詞にするというのは本来であれば反則技かもしれないが、この4人の関係を地上からもう少し上に浮かべたかったのであえてやってしまった。
 僕の夢はこのカクテルを誰か作ってくれて、いつか飲める日がきたらいいなあというところに落ち着いている。

 このテイクはとてもいいです。
 

 ヴィデオのラフミックス(音楽の方面では録音テイクうを大まかに編集したものをこう言う)をカーニヴァルでみる。現場で見たときよりもさらにノイジーになっている。何のことか分からんでしょうけど実物見るまでは耐えるのだよ。これからメイキングに入ると言うことだ。

 あのね、今年はどんな風になってもとは言ったけど、いくらなんでもすごくない?監督にアマチュアって言われちゃったよ。えっ、どうするの?
 負けが込んでくると去年と同じパターンになってしまうらしい。今年の初めみたいにもう一回リセットボタン押したさあ、がんばんなよ。応援するからさ。なんか、本当に映画「スラップショット」みたいになってきちゃったよ。ね?

 腹減った。9時か?
 さてこれから食ったほうがいいのか、それともこのまま明日にまでなだれ込むほうがいいのか。
 それにしても今日はあまりいいもん食ってないなあ。
 朝、蜂屋のラーメンとご飯とねぎ入り玉子焼きとふきの煮物とかれいの煮付けと北上のとろろ昆布とお茶。
 15時、ソース焼きそば。以上。
 おやつ、餡入り紫蘇塩釜三切れとぽっぽ饅頭とお茶。
 ここんところ食欲がありすぎかもしれない。
 白菜鍋でもしようかなあ?
 昆布をなべ底に敷き、その上に白菜の千切りを底が見えなくなり、水面から顔を出すくらい投入して豆腐、長ネギ、沖縄麩、餃子、根性あるときには鳥団子も投入する。白菜がシナシナになったら出来上がり。それを大根おろしと唐辛子、ポン酢で召し上がるのだ。たまんねええど。
 旭ポンズ。ポンズはこれに止めを刺す。まなみさんに教えてもらった。これに出会えた喜びは並々ならぬものがある。色々試してみたがこれに勝るポンズはないという究極のポンズだ。うそじゃないって。「喰べてびっくり旭ポンズ」とラベルに書いてあるんだから。ほんとだって。
 だからといって売ってる場所を教えてはやらない。こういうものは自分の足で苦労して探すのがいいのだ。私も苦労した。世の中、なんでも欲しい情報が入る時代だけれど、情報に対しても人はもう少し禁欲的になるべきだと思う。なんでもすぐ手に入るということはよくない。
 僕は鍋のことでこんなに長くスペースを割いてしまった。無念。

 やっぱりなんか喰おう。
 冷蔵庫にはものが溢れかえっている。うちの冷蔵庫はそれほどストイックには出来ていない。さらに禁欲的ですらない。

 それではまた明日。
 今週、7月7日発売のCD「LONDON 3RD」のプロモーション活動になっているので毎日送ります。ちくしょう、たいへんだなあ、えらいこと言っちゃった。あいつのせいだ。あいつは自分でやらないから大変さがわかっていないんだ、ばがやろだ!


2004年05月07日(金) 快調にV制作は進む

 PVディレクターの久保さんから12時頃電話あり。
 予想外に順調に進んでいるのでこのままいくと3時には終わりそうなので早めに来てくれとのこと。急いで環状通りまで出てタクシー拾おうとしていたらシンちゃんから携帯に連絡が入る。ラジオバージョンの「BAR FLY」と「ママ AMERICA」がロンドンから届いているので取りに来いとのこと。「BAR FLY」は通常なら6分以上あるのでON AIRを考え4分半ぐらいまで縮めた物が出来ないか、という無理難題をクマさん、がんばって成し遂げたと言うこと。拍手してあげてください。
 ちょっと無理っぽい部分もあるんだけど、本編はアルバムで堪能してもらえればノープロブレムか?

 ペニーレーンに到着。
 フロアーに天井からドレープのような薄い布が3列、3枚ずつ並んで床まで垂れている。後ろにプロジェクター3台それぞれの布を狙ってスタンバイしている。 監督の早川さんは相変わらずあまり世間話得意じゃないみたいで必要なこと以外は喋らない。冬になったら映画撮ると言う事です。内容はホラーみたい。
なんか趣味の点では合いそう。今度ゆっくり話す機会があったらそこんところ是非攻めてみたいもんだ。

 この間撮った15人分の老若男女、「BAR FLY」を唄う、の図がきちんと編集され、それぞれのプロジェクターから布に照射される。
 イントロの不思議なシンコペーションとシンクロして花の開いていく様子から、イントロにかぶって月が真ん中に映り、左右に札幌の遠景、歌になり色々な人が入れ替わりその布に紛れ込む。その布の中に入り込みカメラが回る。私もその中に映っている。なんだかとても眉間に皺が寄って一生懸命唄っている。
 モニターを覗き込むとめちゃいい感じ。若い奴と付き合いが多いので軽薄な言葉がこのところ頻繁に出るが気にしないでください。ただ、チョーというのが出た時は是非注意してください。
 僕は結構53だ。そのことに何の抵抗もこだわりもない。全然気にしちゃいない。何も問題ない。どうということはない。なんだよ?
 
 まっとうな音楽を信じているおっさんたちがまだたくさんいるんだということを今回のこのプロジェクトやってみて感じた。まっとうな音楽なのか、まっとうなおっさん道なのか本当は判然とはしないんだけど、とにかくなんかゆとりみたいなものを感じた。
 
 5日の日、厚別に行ってきた。ホーム側に陣取っているドエー君から電話もらったんだけどこのところあまり携帯持ち歩かないから失礼しちゃった。今シーズンも応援がんばろう!!

 今のところあまり見る所はなかった。スター選手が出てくることが一番なんだろうけど、それもまだいい。監督が言ってたけど、どこまでサポーターがついてきてくれるか?との心配は結構深刻かもしれない。当たられても弾き返すようにでもなればもう少しよくなるんだろうけど。今まだ弾き飛ばされすぎ。もっと体鍛えてね。でもね、がんばるしかないのよ。選手は。まだまだ見てるからさ。
 しばらくぶりにキースと話をした。キースもアウェー側で観戦することに落ち着いたみたいだ。前はホームのほうで力込めて応援していたみたいだけど、細々と地味に応援することに宗旨替えしたみたいだ。
 サッカー場で話したことで今回のアルバムの助っ人になってくれることになった。どんどん横に広がる感じがしてとても心強い。

 琴似の玉光堂でDVDを買ってたら目黒君から電話が入る。
 5月の末に金持ちになるらしい。円山の駅にいるから連絡してくれと言うことだった。どうも家まで送ってくれるらしい。
 目黒君はよく見ると辰吉に似ている。そのことを言うとあまり嬉しそうではなかった。そのあと東京と横浜のライブの件について軽く確認する。

 来週あたりからちょっと毎日書いてくんないかというオファーがあったので、できるだけやってみる。地味なプロモーション活動。

 
 


sasaki