sasakiの日記
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2003年10月31日(金) 第1球、振りかぶって

  投げません!

  


  ピッチャー交代!!

  

  枯葉っぱ  踏みしめ転ぶ  印度人  3点

  

  Clarkesvill.
      the half chapter


本当はここで終わりのはずだったんだけど。
  落書きみたいになっちゃったぜ。これから下は。


  午後からGIBSONを弾いていた。
  
  音楽と数学の関係、そして記憶について研究してみる。
  戦車の砲塔を少しずらすと,そこに布団を敷いて寝られる空間が出来るらしい。山の中、戦車の上に毛布を敷いて星を見た三郎に会った。
  ヤンキーやってた頃の服はもう外では着ていないらしい。
  ダサイそうだ。
  
  いいところに気がついたね。
  
  でも、ヤンキーやってたころのおっかない顔も好きだったんだけどなあ。
  
  少しずつ大人になっていくんだなあ。
  つまんねえ。

  新しい歌は二股の道に遭遇してしまった。この先まだ枝分かれしていそうである。
  さて、どっちに行こうか?

  ねえ!三浦君(雅夢の三浦君でも、あの三浦君でもない三浦君)僕はそのことにはあまりかかわりたくないんだけど。
  用心深いにもほどがある。
  どっちみち僕はまだ飛行機には乗らないからさあ。
  飛行機解禁は23日からだから。
  そっちで適当にやっておいてよ。

  この間聞いた夢の判断は多分、僕の夢とよく似ていると思う。
  最近壷の島の夢を見ない。島全部が壷で出来ているんだ。大きいのもあれば小さいのも。とても歩きにくく、生活がしにくい島なのだ。でも、僕はなんだかお金を拾ったごとく狂喜している。
  僕は壷を売って暮らしていく決心しているらしい。その夢の中では。
  
  なんかの宗教的暗示なんだろうか?
  断っておくけど、僕は壷なんか売っていないから
  買いに来ないでね。 

  2000円札を使ってみたいなあ。
  2回使ったきりで、あとはどこか地下深く潜ってしまった。
  国が流通させているのに姿も見えない。
  こういうのってありなんだろうか?
  ねえ、どう考えても変だよ。
  使い勝手が悪いからしまっておけ。ってことらしいけど。

  

  やれやれ、今日は箇条書き的一日だった。
  

  明日は11時からはじまり。ミーティング。面倒くさいなあ。
  1時リハーサル。
  1時半から馬鹿っぱなし。

  障子1枚完成。
  残すところ40センチ四方1枚だけ。
  見せびらかせないのが残念だ。
  これに電球を入れればパーフェクト。
  ラブホテルのようにならないかという一抹の不安はあるが、そうなったら、そうなったで回転式ウォーターベッドをこしらえよう。
  「戦艦大和の砲塔はこうやって回った」という本を参考にしよう。
   

  

  
  

  
 
 


2003年10月28日(火) りふれいん

 突然 開いた季節の扉は
 恋する天使達を
 街中に運び誘う

 話が途切れた 寂しい人たちへ
 うれしい 知らせだよ
 愛してると  言っておやりよ

 春雪  まわれ踊れよ
 僕の心  しどろもどろ
 春風  光る揺れるよ
 甘い香り  まきちらし
 それは 時の 時の芽生え 




 はじめにつけたタイトルは「ぷろぽーず」だった。
 スタジオに持っていくまでこのプロポーズのままだった。
 ノートにもそう書いてある。

 80年、4月31日
 ”ひとりごと”完成

 80年、5月2日
 ”年老いた少年たち”出来た。
 
 その3ページ前にりふれいんの最終原稿があった。タイトルはやはりぷろぽーずになっている。
 そして10ページ前後にりふれいんの途中、模索詩が書いてある。
 ”ひとりごと”は1ページの粗原稿の後、完成稿ガ出来ていて、”年老いた少年たち”にいたっては、いきなり完成されたものしか残っていない。どうも一気に出来たらしい。
 今だとちょっと考えられない。
 
 りふれいの最初のもの。

 舞い散る 雪も   いつしか 消えてゆく
 それは うたかたの  めぐり合いに似てる

 粉雪  まわる踊るよ  僕の心 しどろもどろ
 少しだけ  春風  光る揺れるよ
 誰も触れない 風を つかもう

 寒さが  言わせる  言葉じゃないけど
 うれしい  しらせだよ  
 さあ  僕と一緒に  暮らそう

 次のページには”男たち”というタイトルの詩がきちんと書いてある。
 幾分、薔薇族じみた歌詞で、なんだ?、なんだ?どうしたんだ?という感じ。
 ソの♯とファの♯と脇に書いてあるんだけど、何なんだろう?
 そしてその隣に斜字英語でMENと綴られていて、大きな医学の雄マークが添えてある。こわい!
 なんか自分のノートなんだけど、あまり深く考えたくない気分だ。
 全体的には応援歌を書こうとしていたみたいなんだけど。
 おーい!佐々木君ーーー!
 なに考えていたんだーーーーー?
 分けわかんないぞーーーーーーーーーー。

 さらに隣のページ。
 SLOW BALLADA(バラードのことか?)と書かれ、詩が始まる。

 Am/D7 Bm7/E7 Bm7/Em7 Em7/C 
 C/Cm  D7

 イントロは出来ていたみたいだ。でも、今とは少し違う。

 舞い散る  雪も  いつしか消えてく
 これが  今年終わりの(最後の) 開きかけた  季節の扉
 寒さが  言わせる  言葉じゃないけれど
 うれしい  知らせだよ  僕と一緒に暮らそう
 (寂しい  人たちへ)

 粉雪(春雪) まわれ踊れよ 僕の心 しどろもどろ
 春風  光る揺れるよ(溶かす流れるよ) 
 甘い香り  まき散らし  それは
 時の  芽生え


 枯葉よ  おのが死にゆく身を 嘆くというか
 この僕に  哀れを誘えと命ずるか

 なんだか2行、突然ニヒリスティックになってしまったみたいで、とても情緒不安定な男だったようだ。
 分けわかんない。続いて

 詞の一篇も残さず死んで行く人がいる
 それを読む人もいない

 「Tの青春」の最初の一行だと思う。
 きっかけがリフレインだったとは!

 その下に

 春の雪が降る

 とぽつんと書いてある。
 まだりふれいんの中にいる。
 次のページ。

 彩を失くした  いつもの冬は
 こともなく  ゆきすぎる

 突然開いた  季節の扉は
 恋する天使たちを  街中へ運び誘う

 耳元で  囁け  お気に入りの恋のリフレイン
 うれしい知らせだよ  君と僕には

 春雪  まわれ踊れよ  僕の心しどろもどろ
 春風  光る揺れるよ  あつい 心解き放て
 それはいつしか  恋模様

 ありがとう  その笑顔  好きだよその癖
 うまく言えないけど  僕と一緒に暮らそう


 やっぱりプロポーズという曲を作ろうとしていたみたいで、プロポーズじゃなくてよかったといまさらながら思う。
 このあともう少し修正が続くのだが。もう、おしまい。
 

 短いこの春を  短い人生を
 うまくは言えないけれど
 僕と一緒に暮らそう
 

 


2003年10月24日(金) 74戦車

 「なんか用か?」
 「あのな?俺、今度の日曜日旭川に11月のライブのプロモーションしに来ないかと誘われてんだけど。」
 「それで?」 
 「それで?じゃないだろうが?俺一人だけで二人分の宣伝に行こうとしてるわけよ?」
 「そうか、大変だな?それで?」
 「あのなあ、それでじゃねえべ?まだ何やるか具体的に決まってないべ?。それはとても喋りづらいわけよ。どうする?何かアイデアあるか?」
 「そうだなあ、今んところ何もないなあ。まだ何も考えられない。」
 「何も考えられないんじゃなく、考えていないんだべ?」
 「そういうことかもしれない。あのさあ、PPMや日本の歌とか、昔の唄とかいろいろ唄うといえば?いいんじゃないのか?」
 「・・・・・・」
 「そうだ、あのよ、横浜みたいにやりますといっとけ。」
 「横浜みたいにって誰も見てないと思うぞ?
  あのよ、レノンのジェラス・ガイやってくんないかって言われてるんだけど、それとダニー・ハザウウェーのユーブ・ガッタ・ア・フレンドも」
 「・・・・、あんまり英語の唄露骨にやるとなあ、日本人だからなあ、俺ら。you’ve got a friendはジェームス・テーラーだな?やるんだったら。」
 「マーク・ノップラーのsailing to philadelphiaやりたいんだけど、どう思う?」
 「発音上難解なものはどうだ?」
 「難解かもしれない。」
 「やめよう。」
 「まあ、とにかく、リストの作成をしよう。」
 「OK。わかった。」
 「東京、天気はどう?」
 「うん、まあまあ。」
 「東京では今何がはやってる。」
 「なにもはやってない。」
 「今度、札幌にはいつ来るんだっけ?」
 「11月に入ってからだ。」
 「もう切ろうとしてるべ?」
 「出来れば。」

 山木との11月のライブの打ち合わせは大体こういう風に終わった。
 中野に16年も住んでるくせに時々引越ししなければいかんよ見たいなことを言われた。そういえば最近あの中野の事務所行ってない。何時以来だろう?16年経つはずだ。
 
 日曜日と月曜日にかけて旭川に宣伝に行く。
 夜は武田君と飲むことになりそうだけど、また早帰りするんだろうなあ?
 悪いなあ。朝帰りというのはよく聞くけど、早帰りする酒飲みというのはあまり聞いたことがない。よっぽど変わった人種なんだろうなあ?俺って。

 今日も酒飲む練習しないとみんなに迷惑をかけっぱなしになってしまう。
 
 心配なのは沖縄だ。
 沖縄の人は酒を飲まない、もしくは酒づきあいの出来ない男とは友好関係を持たないとうわさで聞いているから、万が一例によって10時半くらいに眠くなって帰るなどといった軟弱な姿勢でも見せようものなら、いったいどういったことになるのか?
 なんでもライブの前の日、つまり、着いたその日に、親睦会というものを開くらしいのだが。いったい誰と親睦するんだろう?俺らは何時の間にか何かの親睦団体になったんだろうか?
 白幡教えてくれ。
 お前、まさか何かの旗をこっそり作ってんじゃないだろうね?
 俺はこれ以上あまり友達要らないからね?
 
 そういった派手なことは一切行わず、みんな各人ひっそりと沖縄第一日を過ごせばいいのにと思うのだが、なかなか言い出せないままでいる。

 74戦車

 三郎からファックスが流れてきた。
 自衛隊員なんだから国を守るという歌を作れといったら、ネガティブではあるけど一応守るというようなことが書かれてあった。
 えらい、えらい。
 力強い、なかなか面白い詩で、ここに書きたいんだけど、もしかしていろいろ差しさわりがあると後々困るのでやめる。

 なんだか、今日はさびしんだ さびしんだ   10点

 というフレーズがほのぼのとしたさびしさですごくいい。

 明日は三角山で二月ぶりに話す。
 上がらないといいな。なんてね。
 てっしゅうはいないみたいだ。
 さびしんだ。なあ。

 エリオット・スミスが自殺したらしい。
 好きなアーティストだったのに。34歳。若い。
 情報量の少ない死だった。
 何も情報がない、ただのニュースというのもなんだかとっても無機質で何も感想がもてなくて困る。
 感想なんか別にいらないんだけど。
 
 
 
 


 


2003年10月23日(木) 年老いた少年たち

 ある日街の すき間から
 青い空がのぞいてた
 それに気づかない  僕らの背中
 季節が音も立てずに
 そっと移りゆく  そっと逃げてゆく
 人を置き去り

 赤い信号  白い雲を
 ほんのひと時  止めている
 それを見てしまった 僕は
 なんだか淋しくなり
 風を見ることも 空を見ることも
 僕らはやめた

  傷つくことばかり  妙に上手くなり
  嘘で塗り固めることにあくせく
  いいことって あまりないけど
  いつか見たあの空覚えておこう


 つかこうへいにはまっていた頃で、好きになったきっかけは映画の蒲田行進曲だった。階段落ちでヤスが這い上がってくるシーンと小夏がヤスに切々と心情を訴える場面は今でも泣ける。

 
 僕はもう東京生活も板につき、渋谷のバイク屋でスクーターを買い(住民票は移していなかったのでマネージャー名義だった。)、まだヘルメットの規制も緩くノーヘルで都内走りまわっていた。はっきり言おう、本当はノーヘルが一番スクーターでは気持ちがいい。
 あれ?スクーターの名前忘れてしまった。
 青い色で少しふかし気味で発信するといきなりウィリーするやつ。
 一度家の駐車場で頭を打った。なんていう名前だったっけ?

 寅さん映画が好きになったのもこの頃だった。
 前にも書いたが、きっかけは渋谷松竹でつかこうへいを見たことだった。
 それまで寅さん映画を一度も見たことがなくて、一度くらいは見てみようかと思い映画館の階段を下りたところで前の上映が終わり階段を上ってくる人がつかこうへいだった。
 「イェイ!つかこうへいじゃん!寅さん見るんだ?」
 と思ったのをおぼえている。あとで何かのエッセーを読んだときに寅さんが好きだというようなことを書いていた。

 家が山手通りの松見坂、行動範囲は渋谷、原宿、青山、目黒、下北、三軒茶屋、少し足を伸ばして自由が丘、西武の応援に所沢。
 スクーター買ったのだって「個人教授」のルノー・ベルレーがずっと頭のとある場所にあったせいで、僕の行動原理は基本的にはミーハー。これに尽きているような気がする。含羞というのをそろそろ学習しないといけないのかもしれない。
 僕はバイク便のお兄さんも負けるくらい東京を走り回った。
 別に用事があったわけじゃない。ひたすら観光だった。

 東京が一番好きなときに東京で暮らした。

 ひとつの街で生活をしているのにそれでも日夜観光に時間を費やす奴というのはかなり珍しい部類に入ると今なら思えるが、当時はもう上機嫌だったのでそういった分別など何もない。ノーヘルに規制が緩いとはいえ官憲にみつかるとたちどころに止められ、いろいろ嫌味も言われる。一度彼女を後ろに乗せ、それこそ個人教授のように裏道をコソコソ走っていたら裏道にまでお回りは待ち伏せていてこっぴどく怒られた。あの時はさすがにかっとなった。が、まあ、二人乗りはいかんわな。堀江みたいになるかもしれないモンな。
 
 
「傷つくことばかり上手になって」というつかこうへいのエッセーのタイトルが気になって、この歌を作った頃は自分の気持ちのスイートスポットにドンピシャリにはまってしまい、誘惑に負けた。

 景色は札幌、4丁目の交差点。大倉山のジャンプ場が見えていた。
 札幌ももう都会の準備を始めていて、少しずつビルの高さが増すにつれ空や見えていた風景がふさがり始めていた。
 昔に戻れといったって何も意味を持たない。
 本当に昔がよかったんだったらみんなでデモやって街の増殖を止めてしまえばいいんだけど、誰もそこまでは切迫していない。
 歴史というのは大体がナアナアなんだろうな?
 ただ、このころはガキどもはまだまともだった。
 ナアナアも度が過ぎるといろんなものが壊れていくみたいだ。
 
 映画館もなくなり、喫茶店も姿を消し、路面電車も消える。
 
 今朝、起きがけに富貴堂という昔4丁目にあった本屋の夢を見た。
 
 1階は細々と本屋をやっていて、2階に上がるとがらんと何もなく、背の高い小さなテーブルが2個あるだけであとは子供の託児所みたいになっている。人の気配はない。3階まであるらしいのだが階段のところで通行止めになっている。ところどころ4角い穴が壁にあいていて子供たちが出入りしている。僕は子供じゃないからここにいちゃいけないんだと思い1階に戻ろうとするんだけど1階に通じるドアが壁にあいてる4角な穴と同じになっていて、僕の体では通り抜けられない。足から入って抜けようとするのだけれど、向こうに何か引っかかっていてどうしても出られない。やばい!久しぶりに金縛られそうと思い無理やり目覚めたら、その足元でスポ太郎がいびきをかいていた。
 落とし噺を書くつもりはなかった。
  

 神経過敏な この都会
 アンテナもがれた  少年たちは
 生きずらい  世の中の中で
 老け込むことに  拍車をかける
 風を見ることも  空を見ることも
 子供たちはやめた
 


2003年10月19日(日) 日曜日だってまじめに

 たった今
 詩を書き上げた。
 テーマは
 もしも僕が生まれていなったら
 もしもあなたが生まれていなかったら。
 
 これはラブソングじゃないよ。
 恋の唄のように見えるけど
 そうじゃない。
 でも、とどのつまり
 この間からの続きではあるんだけど。

 日曜日だってまじめに
 歌を作ってるんだ。

 せっかく出来た言葉だから
 みんなにも読んで聞かせてあげたいんだけど

 残念なことに

 あんまり嬉しくって
 酒飲んじゃった

 もうじき
 日曜日も終わる

 みんな

 また

 明日から

 がんばれ!

 
 


2003年10月17日(金) へへ

 飲んじゃって
 それどころじゃない、
 へへ
 寝る。
 10時44分


2003年10月14日(火) ひとり言


 声ひとつ   たてないで
 後姿  見てる
 愛してると 気づいたよ
 こんなところで
 恋の唄ひとつ  あなたにあげる
 それで  さよなら
 そう  ひとりさ

 
 昔ほどノートに雑感を書き込むということがなくなった。
 作詞ノートか日記かよくわからないというのが僕のノートだった。
 今は机に向かい、パソコンを立ち上げ、その中の作詞のノートを広げぼんやり座る、というのが作詞作法みたいになっていて、落書きみたいなものまで溜めておくということがなくなってきている。
 間違いなく怠惰になってきている。
 その反動か、酒飲んで酔っ払ってくると何かアイディアが沸くらしく、手元にある紙、新聞紙の横や、本の表紙、伝票の裏など手短にあるものに書き込みをする。
 朝起きてテーブルの上を見ると昨日の殴り書きがある。
 夕べほどは感激しない。その盛り上がって書いたことの感激ポイントがよく見えなくて困る。書き留めるくらいだからよほど盛り上がっていたに違いないんだけど。
 酔っ払いの考えていることなんかたかが知れているはずなんだけど。

 例えば。
 エス・アールの封筒の裏に書いてあった。

 今度は僕の番だ。
 神様は毎日本を書く。
 それもつまらないペーパーバック。
 多分僕の行く先は決まっている。
 抵抗しても仕様がないくらい決まっている。
 それに従うしかないのか?
 ジタバタしてもどうしようもないのか?
 いくら決まっていてもそれには抵抗してみたい。
 でも、TVで見たものが答えだった。
 青海ガメは必ず卵を産みに陸に戻る。
 僕はどこに戻るのか今は決まっていない。

 僕は何がしかのストレスを日々感じているようだし、僕の知らないところで僕は何かにプレッシャーを受けているようだ。
 なんだろう?
 TVで何を見たんだろう?謎だ。
 何で海がめが突然出て来たんだろう?

 こうやって意味のわからないことを紙に書いて、朝起きた自分に謎解きを強いる。
 全部が全部ひどいわけじゃなく、最後の2行はなかなかいい。
 形而上的ですらある。
 もしかするとノートに書く独り言よりも高尚なことを僕は酔っ払いながら考えているのかもしれないが、惜しいことにおぼえていない。そしてこの走り書きの大体が使い物にならない。

 さっきボブ・ディランのヴィデオを見ていて思ったことがある。
 何を?といわれても答えることが出来ない。
 これは企業秘密に属することだから。
 この間のラブソングに関係あることなのだ。
 ディランはジョンに、お前の唄にはポリシーがないといったらしい。
 それを聞いたジョンはショックを受けたとアナウンサーは言ってたが、信憑性はどうなんだろう。
 そしてジョンはまじめに詩を書くことに没頭したという。
 なんだかおとぎ話めいた話だが、ジョンが裁判を起こしたという話を聞いたことがないから多分本当なんだろう。
 
 
 
 
 この「ひとり言」は言ってみれば今、上に書いた落書きそのもの。
 落書きみたいに意味があまりなく、ただ、目には入るんだけど何が書かれているのかがよく考えるとわからないといった感じで、そしてメロディはあまり動かなく、サビもなく、ひたすら平坦に過ぎていくものが出来たらいいなあという気持ちで作った唄。
 アレンジャーは結構いろいろいじっているんだけどきれいにまとまっていて好きなテイクだ。

 僕は3枚目を作っていてもまだ、サビのある歌に幾分の抵抗感を持っているようだ。


 声の続く限り
 闇の中を叫ぶ
 見つかりそう  捜し物
 君のそばで
 近づくほどに  遠ざかるものを
 優しくなれ
 まちがいかな


2003年10月11日(土) 爽爽(さわさわ)と風が吹く

 夏みたいに暖かく、眩しい日差しの中、チームは4対1で勝った。
 最下位のチーム相手とはいえとにかく勝った。
 
 厚別、残り1試合。次は11月。こういう恵まれた天候は今年もうありそうにないのでS席に変更。B自由とどれほどの差があるのかはよくわからないけど、選手の顔がよく見えるのがいい。ただ自由度がない。指定席だから当然なんだけど。窮屈ではある。眩しい。暑い。蕎麦屋に遠い。
 
 やっぱりサボっている選手がいる。
 来年はいなくなる選手が多そう。
 もう、なにも守るものなんかないんだから、ひたすら攻めに攻め、押しに押すノーガードみたいな試合を見せて貰いたい。
 
 バカボンは仕事で呼び出され不服そう。苫小牧に帰る。

 久しぶりに地下鉄の中でダメ親父を発見。元気そうでうれしい。
 しばらく試合場で見かけなかったので心配してたんだ。よかった、よかった。向こうは僕のことを知らないけど、僕はひそかにファンなんだ。
 菅原さん、もう、ものすごく返事出すの遅れてしまったけど必ず書くから。
 相変わらず高い席に座って応援しているのですか?時々こっちに来ませんか?楽しいよ。
 今年は駄目なシーズンだったね?
 

 今日の殊勲敢闘賞、森下。
 来年もいてね。

 今日はサッカー三昧。
 これから全日本。7時から。

 それが終わったら作詞の時間。
 まだどこに進んでいくのか読めん。
 恋の歌になるのか?よくわからん。引越しの歌になりそう。けっ。
 昨日からの癖が抜けない。

 いい天気だった。さわさわと風が吹いてさ。
 幸せであるための必要条件かもしれない。


2003年10月10日(金) 和はどうなった?

 腹減った。
 これから飯を作ることにする。
 とても忙しい。
 というか今もう最中。もなかじゃない、さいちゅう。

 たまねぎ2個、にんじん1本半、セロリ1本、ジャガイモ2個半、キャベツ半個、ホーレンソウ、ブイヨン3個、ウィンナーソーセージ、脂身の多いベーコン、ワイン、こしょー、塩。

 あとは煮るだけ。
 ほうれん草は余ってたから入れたんだけど入れるんじゃなかった。
 
 これは汁とみなす。

 主食はマーボー丼。

 変な組み合わせだ。

 今日の食いたいものをアレンジしたらこういうことになる。
 このポトフもどきに種入りマスタードをドバッとかけて食う。

 いつのころからこのマスタードがすごく好きになっていた。
 今日はマスタードの日。
 マーボー丼はどこから来たかというとちょっと説明が要る。
 だが、しかし、面倒くさいからしない。

 僕は10時過ぎにこんなものを食う。
 寒くなってきた夜長には結構身体が温まっていいかもしれないが、目的は暖房ではない。
 鼻の奥のほうの刺激を最優先させたいがための料理なのだ。
 基本的にはわさびも、からしも好きじゃないんだけど、このマスタードだけは別物。
 鼻が弱いのか刺激のあるものを摂取するとめちゃくちゃ鼻水が出る。
 
 僕は夜の10時過ぎに鼻汁まみれになって飯を食う。それも金曜日にだ。
 ほかにすることあるべ?
 
 なんかだんだん殺伐とした気持ちになってきた。
 このあと飯が終わったら三ツ星のハスカップミストを食うつもりなんだけど。

 もうこの日記書くのも面倒になってきたから今日はもうやめる。

 人に何か話を聞かせてあげようといった優しい気持ちは今の私にはもうない。

 和はどうなったって?どうにもなってません。
 もう飽きました。
 障子が一枚、大きな棚の下の段に中途半端に取り付けられただけで無残です。どうせなら何もないほうがましでした。今日やろう明日やろうで日にちが経ってこんなになってしまいました。貧乏長屋の開けっ放しの戸みたいな状態です。けっ!

 今、リポビタン11を飲み終わったところだ。
 いいか、何も言うんじゃにぞ!
 人が夜中に何を食おうが、どんな栄養剤を飲もうが、そしてその栄養剤を夜遅くに飲む動機などはあなたたちの埒外のことなのだ。けっ。

 なんか荒れてるね?

 けっ!

 


2003年10月07日(火) 凝りもせずラブソング

  
 惚れたとは女の
 やぶれかぶれだって
 言った人がいるけど
 確かに今の君 激しく昂ぶる
 はしゃぎすぎた
 あとにふと黙り込む
 言い出せない
 フラストレィション
 想い思われ
 振り振られることに
 揺れる

 「女とか男という名詞は歌の詩にはあまり使わないほうがいいよ。」
 レコーディングディレクターから言われたことがあった。
 理由は?
 「歌が重たくなるから。」
 
 正しい。

 苦しくなるとつい使ってしまう。
 
 女と書くとき、何か抵抗がある。
 
 男の反対語は女なのか?

 女いう言葉を不用意に使うとどこかしか差別感が伴うと思うのは僕だけなんだろうか?

 <46字削除>

 この日記を書いているとき一番気になる言葉が女という言葉で、どことなく使い勝手が悪い。


 だからといって、女性というのは丁寧語なんだろうか?といつも思ってしまう。
 でも、どことなくそんな空気はある。

 だからといって男性が丁寧語みたいに聞こえるかというとそんなことはなく、男の本質を隠してしまう奇矯な言葉に様変わりしてしまう感じがある。
 奇妙と打った筈なのに奇矯と表記されてしまう。
 これでもいいのかもしれない。

 僕はまたぞろラブソングを書こうと思っている。
 多分、女という言葉を使うことはないような気がする。
  
 ここしばらく意識的に恋の歌や向こう岸にいる人たちのことを唄うことを避けていた節がある。というよりも確信的に避けていた。
 体力の問題でも精神の問題でもロマンの問題でもない。
 力技という言葉があるんだけど、必要なのはこの力。
 パワーとも言う。
 

 知り合いから聞いた話。
 60歳の妻子もちの男と58歳の夫もちの女が恋に走っているという。
 見苦しいからリストラしちまおうということになったらしい。
 
 いいじゃんと思うんだけど世間は許さないらしい。
 見苦しいからだめだという。若いやつの恋だって十分見苦しいと思うけど。これはよくてあっちは駄目というのもよくわからん。
 リセットボタンに手をかけながら恋を成就させようというつもりはないらしいんだから、もっと温かい目で見てやればいいのにと思うんだけど。
 
 ただ身も蓋もない話に終わりそうなことはこれからだいぶ増えてくるような予感はある。
 そんな中で僕は恋の歌、ラブソングを書こうと宣言してる。
 身も蓋もない恋にならないような恋が、果たしてあとどのくらい残されているんだろう?

 今一度、瞳に星を飛ばさなければ?

 凝りもせずラブソングは最初”懲りもせず”と表記するつもりだったんだけど、この当時はこうだったんだろう。

 そして次の歌のタイトルが決まった。
 
 「懲りもせずラブソング」
 
 グッド!isn’t it?

 途中から読み始めた人への注釈。お前はいったい何を書いているのかという疑問に対する答え。今のところ誰も疑問の投書などはないのだけれど。
 これは昔のレコードの僕個人のライナーノーツみたいなものです。
 今回は「Tの青春」の中の「凝りもせずラブソング」
 
 次回火曜日は「ひとり言」

 なんかパソコンがゴーゴー木枯らしが吹いているみたいでうるさい。
 そういう季節になってきた。
 風邪がはやってるから十分注意してください。


 少し詩を書いたらDVDを見よう。
 今日は「スペース ヴァンパイアー」BY トビ・フーパー
 この映画では誰も電動ノコは振り回さない。

 「神々の食」今日届きました。
 文春の書籍紹介でこの本は知っていました。多分この中の食い物とは相性は悪いと思います。
 読んでみます。

 天気がいいのでここ旭ヶ丘下(この辺りの住民はここをガ丘下と呼んでるらしい。)から白石の歯医者まで自転車を転がす。
 背中にマーク・ノッポラーを積んで。もう最高。
 明日もいい天気らしいので。どこ行こうか?
 そうだ!西岡君に頼みたいことがあったんだ。

 
  


2003年10月03日(金) 朝っぱらから女捜索隊に遭遇

 9月1日、ファックスのインクフィルム買いに地下街のNTTに行く。
 その足で11時50分からシアターキノで「デブラ・ウインガーをさがして」を見に狸小路6丁目に向かう。階段で2階まで上がると、入り口あたりでもう人がたむろしている様子が目に入る。小さい小屋だし、映画も地味そうだから、それに朝一の映画だから大丈夫だろうと思ってチケットを買おうとロビーのようなところに入ってみると、これがびっくり。
 もう混雑。4,50人の女の塊。ものの見事に女だらけ。なんで?と思っても女のかたまり。男は独りもいない。あわてて今日は女だけの日とか、今日はレディースデーとか言う張り紙を探したのだがどこにもそんなことは書いても、貼ってもいなかった。男の気配まるでなし。
 一斉に見られたような気がした。が、気のせいだとは思うんだけど、その中に入って一緒に映画鑑賞とはいけなかった。
 確率的にはどうなんだろう?朝、映画を見に行って、それも満員に近い状態の中で男は自分ひとりだけということが。女性誌か何かで特集でもしてたんだろうか?映画の日というのがなにか関係してたんだろうか?
 もしかしたらこの映画はもう見に行くことはないかもしれない。
 それにしてもそんなに女性に吸引力のある映画だとは思わなかった。
 
 こんな経験は東京の映画館で、11人(だったとおもうけど)全員禿頭(とくとうと読む。読んで字の如し)の人で何かそういった人のサービスデーかと思ったくらいもの珍しい偶然だった。

 洋一に電話。ベスト盤の受け渡し、時間がなかなか合わないので、もう少し待ってもらうことにする。
 LET IT BE NAKEDと娘の引越しの話をする。洋一は1t半のトラックを持っていて、それで荷物と家族を積んで函館まで走ったといってた。
 昔二人で電車に乗って仙台まで行ったことがあるらしい。青函連絡船でチャールズ・ブロンソンに似ている男に会っただろう?と聞かれたが34年も昔のそんなことおぼえているほうがどうかしてる。
 やっぱり人の記憶は怪しい。洋一にとってそのチャールズ・ブロンソンに似ている男と青函連絡船であったという記憶は死ぬまで持っていくんだろうなあ?
 「記憶の選択基準」という本があったら僕はすぐ買う。
 それと、僕に自動車の運転を教えたとも言っていた。記憶にない。新川の、もう使っていない教習所跡まで行って、S字やクランクを教授したという。
 一度、洋一にきちんと会って昔の自分を確認しなければいかんかもしれない。
 中学から高校にかけて、洋一の家に毎週土曜日行って、毎回花札を飽きもせずやってたのはおぼえている。それと高校生になってオナニーの仕方を聞きに行ったことも覚えている。僕らは家も近所で学校も同じ、クラブもテニスクラブで仲良しだったのだ。
 それもきっちりウソを教えられて1年間間違ったオナニーをしていた記憶だってちゃんとおあるから。一概にぼけているというわけでもない。このことをもっと詳しく書きたいんだけど、まあ、多分、顰蹙モンだろうなあ?いつかきっちりと書き残すことにする。

 何度も言うんだけど。
 お宝じゃないないんだって!
 引越しプレゼントのことだよ。
 メールやはがき読ませてもらったよ。いろんな人がお宝がほしいですと書いてきてんだけど。何度も言うよ、一本の線があって左端にはお宝、右の端にはゴミ、と書いてある。このプレゼントはどこにおかれるかというと真ん中から少し右あたりに位置しているわけよ。ね?わかる?確かに気に入った本だって入ってるし、コンサドーレのものだって地味に入っているし、若いときの写真だって入ってるし、お手紙だって入ってるし。
 んっ???いいんじゃない?
 とにかく応募ありがとうございました。
 南から北まで。
 でも不思議に当たった人は北海道の人二人になってしまった。佐々木と攻めて北海道の人一人、本州のひと一人にしようかといった当選者捻じ曲げ案というのも出たんだけど、僕が引いてしまったんだからこのままでいこうということになりました。本州の方、どうもすみません。
 当たった人は安岡さんと赤木さんです。真ん中から少し右よりの物を送りますのですぐ次の日、ゴミの回収に出してください。
 ね?なんか全然ありがたみがないでしょう?
 僕は人に物をあげるのがとても下手なんだ。


sasaki