sasakiの日記
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2002年05月31日(金) ロンドンで心配している人がいた

 朝一番でロンドンからメールが届いた。
 しばらく僕の方から音信が不通状態になってしまい、それでどうにかなってしまっているんじゃないかという心配のメールだった。
 そうなんだよなあ、音信は一応、ある期間の間に定期的に通じさせておかないと、こうやって相手に不安な気持ちにさせてしまうんだよなあ。
 今日出そう、明日出そうと思っているウチに返信しなければならない用ホルダーにどっさり溜まってしまい、そのうちあまりの量の多さにげんなりしてしまい益々無精をかこってしまう。
 僕はこの日記を比較的マメに書いているから、書くのが好きだと思っている人がいるかもしれないが何度でも言う。 
 文章書くのは大嫌いだ!
 だいきらいなのだーーーーーーーーーーーっ!!!!!。
 たいていの人の常で、貰うのは好きだし、嬉しいし、ありがたいとさえ思う。ところが書くのはやっぱり骨が折れる。でもやっぱりもらいっぱなしというのは問題あるよなあ。
 そんなこんなで心配までかけてしまう。
 
 音信が不通になると僕はどんな状態のことを想像されてるんだろうかって思うよ。
 部屋の中でひっそりと息絶えている姿でも想像されるのかなあ?
 
 不憫だなあ。もしそうだったら、かわそうじゃねえか、俺が?まったく。
 
 別れた女の人はみんな親切だ。
 もう別れて何年も経つのに手紙や電話をくれる。
 結構人生は相も変わらずいい加減なもんで、そのいい加減なところがハッピーに繋がったりするから面白いと言えば面白い。
 シリアスに別れた記憶はあるんだけど、その上に上積みされた時間がこの間見たメメント状態にしてくれるんだろうな?記憶が薄れるって?
 
 色んな人に不義理をしている。奮闘努力で返信を早いウチに流しますのでヒラに容赦してください。

 家の中でははかどらないのでスタジオを借りて練習や作曲をやる。
 やはり家の中というのはくつろぎ空間で仕事場にはならないとお言うことがはっきりとわかった。これからはしばらくスタジオでやることにする。
 前の曲は完全にボツ。今作っている2曲は今んところかなりいい線行ってる。
 特にアップテンポのはゴキゲンかもしれない。イイェイ!
 ガッtyゥー!そしてヒャッホーーー!9点。
 思わず「ヒット曲を作ってしまったかもしれない。」と呟いてしまった。
 才能あるかもしんないまだ。
 キーは一応Dなんだけど進むにつれて何のキーかわからなくなるといったマジックみたいな曲。なんだろう?
 もう一つの方はひ・み・ちゅ・

 帰りに地下街の沖縄店で沖縄そば(インスタント)とドラゴンペッパー、それと沖縄ホットソースを購入する。前に新札幌のダイエーで沖縄そば5個入り870円で売っていた、この沖縄店は1個120円。これだ妥当な線だと思う。
 何だったんだろう?あのダイエーの沖縄祭りは。クッソー。
 その足でロビンソンの地下迄足を延ばして豆腐(ここの一丁300円の豆腐が旨い、様な気がする。)と唐辛子入りオリーブオイル、海軍カレーパンを買う。
 その足で(オイオイお前は主婦か?)本屋に行き隔週刊ジョーと飛雄馬、「ミスターX(上・下)」というダサイタイトルが付いたピーター=ストラウブの文庫を購入。この人はタイトルがいつもC調だ。
 今、各国のスパイスを集めている。
 ついに佐々木はスープカレーに手を出したか?ヘヘ。 

「個人教授」ようやく見つけた。
 ヴィデオも捜してたんだけど全然なく、今日初めて対面した。よしある!、別の日に買おうと思い店を出たんだけど、何度もこの感覚にやられ、次行ったときにはもう無いということを思いだし、店に戻ってそのDVDを購入した。

ナタリー=ドロンとルノー=ベルレー。二十歳の時好きだった映画。音楽がよかったフランシス=レイ。後年スクーターを買ったのはこの映画の影響だった。
 
 昨日ヴィデオ屋ではじめてヤラしいヴィデオを借りた。
 なんかもう見たいものがなくなりフラフラとカーテンの向こう側に行ってしまった。
 なんか呼ばれてるような気がしたもので。へへ。
 エライ世界だった。
 
 僕は永いこと見栄を張っていた。やせ我慢までしていた。
 ワーン、でも、ゴメンナサイ。もう2度としませんから許してください。
 「マイルーム」という、まあ、そンノー、身も蓋もないらちのないものだった。
 オイオイ!何を偉そうにふんぞり返ってもの喋ってんだ?エッ?お前は、そのヴィデオ借りたくせに?
 スミマセン、本当にゴミンナサイ。出来心です。もう借りません。 
 しばらくは・・・。
 
 今度は返却が待っている。カウンターにヴィデオテープをバシッと置き、ビューンと逃げ帰ってこようっと。
 なんだオイ、だらしねーじゃねえか?
 もともと根性無しなもんで。 
 
 
 今日はこれからイヨイヨお祭りが始まる。
 もしかするとこのお祭りにまるまる乗っかかり、この日記一月休むかもしれないので、悪しからず。もしかしたらね

 コンサドーレはミッドフィルダーをとってきたらしい。鹿島にいたレオナルドみたいな選手だという。
 ドリブル突破で一直線、ゴーーーーーール。ホントか?
 それにしてもドメスティックなこと。
 

 歩道橋  神は居るかと  フーリガン  6・5点
   
  家の近所で二人組の外人に話しかけられた。
 「一寸いいですか?英語話せますか?神様信じますか?」
 うるせっつうの。時が時だからフーリガンかと思ったじゃないか。それもイギリス人の。まったく。おっかねえなあ。 
 
 


2002年05月28日(火) だんだん


 何も言う言葉が  みつからなくなり
 黙ってることと  抱きしめること

   だんだんと  季節がうつり
   だんだんと  時がゆく  

 それぞれの人生は  それぞれに  
悲しいほどに  退屈です 

   だんだんと  季節がうつり
   だんだんと  時がゆく

     こんなことは  なかったよ  前までは   
     こんな事は  なかったよ  前までは


「G6,Am,G6,Am,2小節ずつ、10小節目のCM7,ここは食いませんので気をつけてください。イントロから間奏に抜けて、それが済んだら休憩しよう。」ディレクターの星川がバッキングメンバーにに声をかける。
 スタジオの中には照明のチーフの宇田川、音響の亀山、マネージャーの石原がリハーサルの進行に合わせてコンサートのプランを検討している。
 僕はその時焦っていた。
 レコードが発売され、その間を縫ってコンサートが組み込まれ、リハーサルが終わると全国へと出なければいけない。
 リハーサルはほぼレコードのアレンジそのままで行われ、今までやって来た音楽とは全く形態が違い最初から最後まで決められたレールの中で唄わなければいけなかった。取り決めがあまりないいい加減な音楽が懐かしかった。
 札幌の音楽と東京の音楽の決定的な違いは、僕の周りにいる連中はみんなプロだということだった。スタジオでもリハーサルでも兎に角スピードが違っていた。
 理解度。譜面があればもう何もすることがない。
 後は好きか嫌いかだけしか残らない。

 今まで使ったことのないコード、様々な決め、経ち位置の確認、どのタイミングでピンが当てられるか、きっかけの言葉、覚えなければいけないことが多くあり正直イヤになっていた。
 慣れただろう、とよく言われるが1年経とうが2年経とうがコンサートが始まる時期は何時だって憂鬱だった。
 ライブが楽しくって仕方がないなどというコメントを読んだり見たりすると信じられなかった。
 行ったこともない街で、見たこともない人の前に立ち唄を唄う。
 もう悪夢以外の何物でもなかった。
 まだ始まってもいないのに喉がからからだった。
 「石原さん、コーヒーもらえない?」石原は途中から顔を出したレコード会社の小川と話し中だった。
 「オーケー、一寸待ってな。」
 石原はほんの少し訛りが残っている。本人は消えていると思っているらしいが微妙なアクセントが言葉の端々にある。
 
 キーボードのキクちゃんがにやにやして近づいて来る。
 前髪がまっすぐに切りそろえられており髪型だけ見るとクレオパトラみたいにも見える。クレオパトラと決定的に違うのは目がいつも眠そうに腫れていることだ。
 「ササ、あのなあ、コーヒーってなあ、コにアクセントおくと北海道弁になってなあ、田舎モン丸出しになるぞ。東京の人はコにもヒにもアクセントないのな?コーヒー。いい?言ってみな?」
 「コーヒー・・・・」
 「そう。いい。北海道弁のコーヒーもカワイクっていいけどなあ。それと、イチゴもおんなじな。イにアクセント置くと出身地がバレるぞ。」
 「了解。
  注意するよ。
  ところで、キクちゃんてまだ学生なんだって?」
 「そう、女子大の音楽科。横浜にある学校。
  フェリスというところ。ササ、田舎モンだから知らないよな?」 
「うん、知らない。」
 「横浜来ることあったらその時は案内してあげるよ。
  ゆくゆくはアレンジャーになろうと思ってるんだ。」
 
 東京の友達第一号。
  




2002年05月27日(月) この曜日はどうも無理みたい。引っ越しします


 どうもこの曜日は無理みたいなので今度は火曜日に引っ越しします。
 そんなわけで荷物梱包のためお休みです。
 月曜日と変わらずご愛顧の程を。 
 
 みなさん、良い夢を。
 
 おいおい、そんなに早く寝るんなら書けよ。
 
 まあまあ、穏便に穏便に。

 スランプに おぼろ月夜か オフサイド  1点

 なんだかなあ。

 

 
 



 
 


2002年05月24日(金) ようやく晴れた


 今日は一日中雷day。
 伏見小学校に落ちたらしい。
 朝からゴロゴロ、ダッダーン。
 グルグル、ズダダーン。
 雨を連れていない雷だったので、どことなく感動の薄い、サビのないサンダーね。長島か?
 昼少し前から雨を伴い、ようやく好みの雷模様になった。
 久しぶりの雷祭り。イェィ!

 それにしても最近はひっきりなしに腹が空く。
 粗食が続くと腹は満腹感を覚えないらしい。

  一時期、あんかけ焼きそばにドハマリしたことがあった。寝ても醒めてもあんかけ焼きそばのことばかり考えていた。酢をダブダブにかけ、その酢にせき込みながら食べている人を見て瞬間的に「あっ!あれは旨そう。僕もあんな風に酢にむせながら食べたい。」と思ったのがハマリ始め。
 半年はあまねくあんかけ焼きそばを制覇するという行脚に出た。
 酢もかけないであんかけ焼きそばを食べている人を見ると、側に行って注意したくなる。
 麻婆豆腐にもかける。チンジャォロースーにもかける。肉団子にもかける。酢豚にもどっさりかける。出来ることならば出てくるものみんなにかけたい。
 インスタントラーメンなんか家で作るともうかけ放題。
 酸っぱいラーメン。瓶のまま飲んだ方が早いかも?
 妊娠したか?

 その後、流石にあんかけ焼きそばの日々はやめたけど、次が待ちかまえていた。
 カレー南蛮。これはよかった。
 外でも食べられるけど、なんといっても家で作ることが出来るというのが最大のハマリ場だった。
 日に日にカレー粉の量がエスカレートしていく。唇がボワンボワンといわないと満足いかなくなる。

 いけない。私はここで食い物の話をダラダラ書くつもりではなかった。

 7月13日の五十嵐君のクラップスホールのゲストガセじゃなかった。
 決定です。詳細はまだわからないけど初めての相手ではないのでゆっくりと楽しめると思う。
 7月28日ベッシーホール、スター食堂、星空食堂の白幡君主催ライブに協力出演することが取りあえず決定。白幡は百章のギタリストの座を虎視眈々と狙っていた男で、私がやめた後、2代目のギタリストとして入った人である。このライブは百章とは関係ないけどゲストとして私と稲村さんが別々に唄う。「真っ赤なロールスロイス」と「ホーボー」を白幡のバンドでやる。スティールギターの山田君もいるという。

 百章の件、稲村さんから連絡がない。さてはやめたか?なんちゃって。
 西岡君の所にもまだ打診がないという。
 そういえば西岡君にカメラのプラモデルを貰った。出来上がるときちんと写るらしい。ひまになったらやろう。
 そういえば西岡君の所にいる橋本さん、「メメント」見たよ。
 10分経つと記憶がなくなるというのはかなり気持ち悪い話だけど、不思議な構成の映画でとってもヨカッタです。
 そういえばこの間Aメロ出来たと書いて、この間全部出来たんだけど、つなげてみたら今ひとつだったので発表しない。
 作り直し。いざとなったら自分の方に入れちゃおうっと。

 田仲君の兄ちゃん、今度飲みましょう。

 明日は三角山の日。
 カツゼツが良くなるように発声練習でもしようっと。
 アメンボ赤いなアイウエオ。エヘン!


2002年05月20日(月) 1人コンサート

 
 今夜の月は満月  枯れ葉が舞っています
 坂のある街の古ぼけた
 ジャズの喫茶店

 汚れたテーブルに  ルンペンストーブ
 誰かが吹き始めたクラリネット
 リズムを打つワイヤブラシ

 客は僕だけの  1人コンサート

 
 
 行灯の消えた店に入っていくと、
 「済みません、もう閉めちゃったんですけど。」
 マスターとおぼしき男がテナーサックスを片手に入り口に向かってくる。
 「俺だよ。」
 「あっ、前田さん!しばらくぶりです。
 こんな遅くどうしたんですか?
 もう店閉めちゃったんですけど。」
 「洞爺の帰り。仕事だよ。
 通りすがりに横目で見たらまだ灯りがついていたから。
 コーヒー飲ませてくれないか?」
 僕らは洞爺でサマーキャンプという音楽のクリニックをするキャンプのゲストで昼間演奏して、その帰りだった。
 前田の運転にすっかりメンバー全員やられていた。
 目の前の車は何でも抜く。山道に入って追い禁があろうが、前方が確認できなくても、左側の山の斜面を斜めになって走り抜く。普通じゃなかった。
 小樽に入って時にはもう誰も話す気力は失せていた。
 
 「ちょうど練習してたところなんです。
 余ったコーヒーがありますから、それで良ければ?
 いいですか?」、マスターは指でマウスピースをあおりながら言う。
 「それでいい。サンキュゥ。」
 
 その店は国道5号線、小樽駅から少し離れた札幌寄りにあった。表から見ると普通の喫茶店然としていて、別にどうといった特徴らしいものもなく、ありきたりの店だった。んなかに入って初めてどういう店かがわかる。
 「ブラジル」。店の名前。ジャズの店。
 
 時々表を夜の車が走って行く。国道というのは昼間の間だけだ。
 中はピアノとサックスの音。知らない曲だ。
 夜中の演奏。
 僕らの音楽よりは遙かに高尚だった。
 その時の正直な感想だった。
 
 ジャズは何時だって僕らを差別していた。
 
 時々モードの話が僕らの間で出ることがあったが、誰1人その実態なんか知らなかったはずだ。

 
 スタジオを出るともううっすらと空が白み始めていた。
 ディレクターの星川がバッグをたすき掛けにして地下の駐車場から出てくる。
 「今日は午後出だな。どうする?送っていこうか?途中だから。」
 「いや、いい。歩いていくわ。近いし、それにクールダウンしないと寝られそうもないから。それに、腹も少し空いてるし。」
 スタジオにはいるといつも不眠症になる。
 「お先ぃー。おやすみぃー。」、エンジニアーの宮の車がウィンドウに出された手と一緒に坂道を降りて行く。
 「明日、入れられたら、唄、入れたいから体の調子完璧にしておいて。
 それとさあ、1人コンサートの頭さあ?、SE入れない?
 ジッポの音をきっかけにイントロに入るのどう?」
 
 鳥が起きた。

 坂を下りて少し歩くともう渋谷の東口に出る。
 「じゃ、僕はここで車拾うから。」、星川はいきなり手をあげ、三鷹目指して帰って行った。
 
 
 まだ開いていない売店の脇に今日の新聞が束になって積まれている。
 段ボールをリヤカーに積んだ老人が信号を渡る。
 空車マークをつけたまま眠り込む客待ちのタクシー。
 駅の壁に座り込んでいるカップル。
 ゲームセンターからは電子音が溢れてくる。
 空が蒼からピンクに変わる時間。

 ラブホテルから朝の光におびき出されたカップルが三々五々駅に向かう。
 札幌はそろそろ寒くなってくる頃だ。
 ホテルに着いたら電話をしよう。
 

 

 
  


2002年05月17日(金) ただ今、工事中につき徐行願います。


 なんちゃって、さぼりちゅうである。

 ZZZZZZZーーー

 ZZZZZZZ−−−

 僕は律儀に言い訳をする。

 いい奴だ。

 パチパチパチ! 
 
 
 


2002年05月13日(月) ONE ON ONE

A面
   1 1人コンサート
   2 だんだん
   3 鬱り気
   4 セプテンバー・バレンタィン
   5 心から

B面 
   1 雨の日の想いで
   2 夢でも恋でも望みでも
   3 便りにかえて
   4 アンニュイ
   5 尽きぬ想い


 このジャケットの場所は確か講談社の社屋だったと思う。古い建物でカメラマンのタムジンが前からロケハンをして決めていたものだった。
 僕はいつもジャケットの写真撮影が嫌いで、何をどうしていいかわからず、ほとんど途方に暮れていて、その、途方の暮れ方を写真に収めるというのを旨としていたような気がする。
 カメラマンとすればなかなか気合いの入らない相手だったと思う。
 終わった後六本木の定食屋に連れていってもらった。
 何たって六本木だ。
 
 最初のホーボーは目黒にあるヤマハの事務所の2階。
 どっちにしてもロケ地にはあまり熱が入っていなかったと思われる。
 
 この2枚目を作ったときはまだ札幌と東京を行ったり来たりしていた時期で、もうすっかり有頂天だった頃だ。
 宿は渋谷の東武ホテルという所で公園通りを登ったところにあり、当時東京では一番ヒップな所だった。半月は東京、残りを札幌、全体的に見ると東京の方が多くなり始めていた頃で、休みの日は窓から一日中通りを歩く人を眺めていた。暗い。
 どうだ、僕は東京で一番流行っている所を根城に仕事をしてるんだぜ?暗い。 
 もう百パーセント、天然の田舎もんで、陶然としていた。暗い。2点。
 この間友達とたまたまこの頃の話をしていたら、「あの頃のお前って結構感じ悪かったな?突っ張ってるって訳じゃないんだけど、妙に自信満々で。まあ、仕様がなかったと今だからぼんやりとわかるけど、どっちにしてもろくなもんじゃなかった。」、
 そう、多分ろくなモンじゃなかったかもしれない。
 でもねえ、楽しくないと言うよりはムッチャクチャ楽しかったと言えた方がヨカッタと思う。なんたってサーファーにまでなってたんだから。

 このアルバムの頃からソロのコンサートもボチボチ始められるようになり、友達が言ったようにほんのりと自信みたいなものも沸き始め、幾分調子ぶっこき野郎へと変身を始めていく。
 バッキングメンバーもそろそろピアノ、八千代、パーカッション、アンディ檜山。ウッドベース伝法、の停電バンドが結成される。たぶん。
 停電バンドの名の由来は、電気楽器を使わないバンドなのでたとえ会館やコンサートホールが停電になっても真っ暗な舞台からはピアノ、ベース、パーカッション、そして唄が聞こえて来るという夢のような希望を託して付けた名前だった。が、一度も停電にあったことはなかったので真っ暗闇のなか、演奏が実現することはなかった。
 
 「1人コンサート」、ジッポのライター音を録るのにエンジニアーが凝りまくっていた。サルーンの雰囲気を出すために僕らはコップやティーカップを持ちスタジオ中練り歩いた。BGMの君は風までスタジオミュージシャンまで雇って作った。そこまでやるか?
 
 「だんだん」、この時期ケニー=ランキンやスティーヴン=ヴィショップ、アート=ガーファンクルが僕らの間ではよく聞かれていて、特にスティーヴン=ヴィショップの爛吋▲譽広瓩和腓里気に入りで、あの雰囲気を意識してオケを作った。
 
 「セプテンバー・バレンタイン」、おり有るたびに言ったことだけど、最初のこの曲との出会いは悲惨なものだった。どうしてこの唄をディレクターは僕に唄わせようとするんだろう?って。僕にはこの歌詞がどうしても自分の体に入らなかった。ディレクターが僕の知らないところでオケを作っていて、用事があるといってスタジオに呼ばれ、一度聞かされ、練習用のカセットを貰い、次の日にレコーディングが待っていて、テイクワン一発でOKが出され、良いも悪いもなくこのアルバムに入った。
 後にも先にもテイクワン一発OKを唄入れでもらったことなどない。
 でもその後、聞いてみると本当にテイクワン一発の唄だった。僕は本当にこのときは人の唄を上手く歌っていた。
 もしかしたら僕はシンガーか?
 
 「心から」、本当に心から唄って肺が破れてしまった魂の唄だ。多くを語ればこの欄では語り尽くせないからまた今度にする。せつない恋の歌進行形。ワォッ!

 「便りにかえて」、今日、思いがけないところで久しぶりの人の名前を聞いた。久しぶりの素みたいな人で、この歌の主人公だ。もうすっかり悠々自適の暮らしを送っていて僕のことを心配していたという。この通り僕は元気に暮らしていますから安心してください。今度その豪邸でも見せてもらいにいきますので体だけは大事に健康に暮らしていてください。

 「尽きぬ想い」、大正時代のような詩が書きたいと思ったのがこの歌を作った動機で、そこはかとない気分は出たと思う。僕はこの歌詞は好きだ。誰が何と言っても好きだ。以上! 





2002年05月12日(日) 号外2号、さてさて

 ヨタヨタしながらも、カップ戦とはいえホーム初勝利。  
 1−0
 ご声援、ありがとうございます。
 フロントに成り代わり御礼申し上げます。
 
 チームはこれからどうなるか?

 7月13日、の再開まで立て直しが出来ていることを願い見守ろう!
 7月20,浦和、国立競技場、7月24、マリノス、札幌ドーム
 7月28日、FC東京、国立。
 8月3日、エスパルス、札幌ドーム。8月7日、ジェフ市原、市原。
 8月10日、ガンバ大阪、厚別。ここまで厚別がない。
 タフな試合が続きそうだけど根性を入れて応援しよう。


2002年05月10日(金) そうだったのか

 長い間、意味が分からないまま接してきたものというのが結構ある。
 普段の生活に何ら影響がないからそのままほったらかしにしておく。
 そのほったらかしにしたものの意味がある日突然つまびらかになるとやたらめったら嬉しい。
 会う人ごとに教えたくなる。
 そんなわけで皆さんにも教えることにする。
 何がなんでも聞いて欲しい。
 一口情報。一口蘊蓄。一口豆知識。一口豆辞典。一口情報。一口知ったかぶり。
 ああ!せいからしか!!

 スティーヴン=キングの新作、「アトランティスのこころ」
 1960年から1970年を少年時代から大学生にかけて何人かの主人公が何編かに分けて書き込まれている。
 70年オタクの身としてはこたえられない。
 ただこの時代を同時に生きてこなかった人たちが読んで面白いかと言われるとちょっと、何とも言えないなあ。
 僕はとっても楽しかった。
 学生の頃のことを思い出した。

 ピースサイン。
 丸の中に鳥の足みたいなものが描かれているマークを見たことがあると思う。
 長い間ピースマークと言っていたからてっきり鳩の足だと思っていた。
 下巻の141ページから143ページに書けてこのマークの由縁が書かれてあった。
 あれは鳩の足でも雀の足でもなかった。あまつさえどの鳥の足でもなかった。
 イギリス海軍の手旗信号の二つの文字を組み合わせたものだという。
 左右の足をそろえ、左腕をまっすぐ天井に、右手を床にむける。これはN、もう一つは両腕を共に45度の角度で下に向ける。D。
 N・D(NUCLEAR DISARMAMENT),核軍縮の略だという。
 それもあのバートランド=ラッセル卿が提唱者だと書いてあった。
 
 久しぶりになんだか得意の絶頂になった。
 へー、そんな意味があったんだあ!面白いなあ。 
 
 連休の海外便、飛行機の中でこの映画を見たという人がたまたま側にいた。やっぱりいるもんだなあ、連休を海外で過ごすのんきもんが。
 胸がせつなくなるような映画だったらしい。
 
 本の帯にもそんなことが書かれてあった。

 しばらく胸が切なくなっていないから、しばらくぶりに切なくなりに行ってこようと思っている。
 
 最近ケーキ屋の姉さん見てないけど元気だろうか?
 ここしばらく甘いものを控えている。別に深い意味があるわけではない。
 永いこと甘いものばかりを食い続けたせいで、皮膚から砂糖が漏れそうなのでしばらく休むことにしただけだ。
 家庭医学にいい年をしたらむやみに糖分はとらないようにと書いてあった。あれはほとんど脅しだな?いい年をしたらしちゃいけない事が増えてくる。うっせぇなもう。
 この間ロイヤルホストで老夫婦がパフェを仲良く食っていた。何かかっこよかった。僕ももう少し年とったらパフェを頼んでみよう。

 7月13日、五十嵐のゲストでクラップスに出る。らしい。
 9月14日、クラップスでCD発表会をやる。らしい。
 東京は青山の曼陀羅をねらっている。らしい。
 横浜もやる。らしい。
 らしい、というのはさっき留守番電話にこういったことが目黒君から入っていたので今の段階ではガセ、ということもあるかもしれない。らしい。
 この業界きちんとしなければいけないんだけど。
 どっちにしても詳細はこれから出てくるのでその都度知らせることにする。

 百章用の曲Aメロ出来た。出だしは順調。乞う期待。
 そうか、百章のライブもあった。
 占いはあたりそう。今年は忙しい。 

 伝法の奥さんから電話をもらう。
 


2002年05月06日(月) ONE ON ONE


 次は「ONE ON ONE」をターンテーブルにのせます。
 今レコードを換えるので少々お待ちください。
 そんなに長くはかかりませんので1万円のお茶でも飲んで待っていてください。
 
 2002年のゴールデンウイークも終わりましたね?
 どんな休みでしたでしょうか?

 また明日から元気に働きましょう。
 僕はとてもカッコイイ詩が一つ出来ました。
 明日からまた働きます。

 美智子さん、お疲れさまでした。そして今年の作、ありがたくみんなで頂きました。何事もみんなが喜んでくれると言うことは、それは何よりのことだと思います。来年もまた頑張ってください。

 公子さん、感動ものでした。

 


2002年05月04日(土) 今日は休むつもりだった

 A面
   ミッドナイト グライダー
   おしくらまんじゅう
   タイム マシン
   僕さ
   紙風船

 B面
   75日
   夏の終わり
   泣きたい気持ち
   マーマレイド

 1973年NHK−FMに出た時の百章のラインナップ。この中の何曲かを今度のCDにしょうという思いで昔のテープを聞いていたら、留守番電話にしたまんまの電話に久しぶりに山平からメッセージが入ってきた。
 「伝法さんが亡くなったらしいです。心不全らしいです。まだ詳しいことが解らないのですけど連絡入れておきます。携帯の番号は。あっ、自宅の電話でいいですから何かあったら電話ください。」
 僕はテープを聴きながらこのメッセージを受け取った。
僕はようやく見つけた昔のテープを早く聞きたくてじたばたしていたところだった。

 すぐに稲村さんに電話を入れた。
 開口一番、「何で俺達より先に死ぬわけ?」。
 それも意見。
 
 前にあったとき伝法は、
 「新しい、いいウッドを買ったからなあ、一度セッションやるべ?」
 それ以来会っていなかった。
 
 伝法のメッセージはこの夜受け取った。
 
 生きているウチにやりたいことを全部やれ。
 
 やり残すな。
 
 静かに、そして安らかに眠れ。
 
 いつかベースをまた弾いて貰うから。

  

  


sasaki