sasakiの日記
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2002年01月28日(月) 雨風景・パート2

     
  雨風景

 窓打つ雨はモールス 信号みたいに聞こえる
 暗号解読に大童  水たまりに落ちる雨は
 さながらアヴァンギャルドで 刻一刻変わる 絵模様

 とりとめのない雨の日を とりとめなく暮らすのも
 フランス映画みたいで 1人で悦に入ってる
 これで誰か ナレーションでもつけてくれれば
 決まるはずなのに 


 まだ大学がロックアウトされたままで、いつ授業が始まるか解らなかった頃、毎日掲示板の前で授業の休講を確認することだけが日課だった。
 ヒマを持て余す生活が続いていた。
 今着ているその服装のまま、ほとんど変わることなく、先生になるんだろうなと思われる人で学内は溢れている。古い建物に澱んだ若い幽霊達。
 やめるのなら早い方がいいに決まっている。問題は勇気だ。
 筒井康隆とドストェフスキーにどっぷりはまっていた。
 スラップスティックと生意気のど真ん中で僕は学生生活を送っていて、まわりの人間が無神経に見えて適度に苛つき、どうにも生ぬるく感じる空気を何とか撹拌しようとゆったりと増長していく。
 生協のブックカバーの裏に「白痴」や「カラマーゾフの兄弟」を隠し持ち、あたかも武器を隠し持つ雰囲気で僕は本にすがっていた。
 大学の間中ドストェフスキーを追いかけ、文庫本を全て読み終わり、個人の全集を揃えてようやくサモワールにさよならを告げた。
 それ以降一度も開いていない。涙を流すほど感激したのにもう何も覚えていない。多分、読んでいる自分に感激していたのだろう。
 いきなり文学からミステリーでは変節の度が過ぎると思ったで、ゴシック小説を止まり木替わりにしてみた。
 フルートを吹いていた伴寅夫が教養を身に付けるにはルパンを読むに限ると突然開眼し、練習の合い間や少年サンデー、マガジン、キングの間に読んでいた。
 苗穂の稲村さんの家に行くバスの中、エレキギターとサックスを担いだ僕と伴はシャーロックホームずとルパンで玉葱畑をやり過ごす。
 問題はシャーロックホームズだ。困ったことに神経病みのロシア人が書いた本よりも覚えていない。ものの見事に欠落している。
 シャーロックホームズはジャンキーだったんだという事だけが異常に増幅されて脳味噌に残ってしまった。僕の興味は本の中身よりも、主人公が阿片中毒患者だったんだと言うことのほうに重心がかかりすぎ、彼の日常生活には全く見向きもしなかった、それとモロモロの事情にも全く関心がなかったらしい。
 何冊ものホームズを読み、僕のノートに残った風景は「雨が信号のように窓を叩く」だけだった。
 もう何処にその一節があるかも解らないけど今、もし、ホームズを読んでいる人が居たら是非教えてください。
 もう20何年前の記憶だ。幻かもしれない。

 この歌を作ったときにはもうバンドはやめていた。
 僕はまだ静内にいて、隣のヤクザが僕たちの家の前の通路を一晩のうちに大根畑に変えた頃かもしれない。
 聡と僕、そして不二男さんは仕方なく収穫時期まで、窓を玄関替わりに使わなければならなかった。

 

 みなみさん。誕生日おめでとう。こんな寒い日に生まれたんだね。蝋燭がわりにストーブガンガン焚いて暖かい誕生日にしようね。
 はい皆さんも一緒にお祝いしてあげましょう。
 ハッピーバースデー みなみさん。
 金曜日はみちこさんだね。
 忘れないうちにハッピーバースデー みちこさん。

  


2002年01月26日(土) 眠い!

 今朝、目が覚めたのが5時。
 早く起きたのに特に理由はなく、ただ無駄な早起き。
 こういう起き方が一番からだにこたえる。
 もう一度寝ればいいように思うかもしれないが、事はそう簡単なことではない。
 普段体力というものをほとんど消費していないから、寝る理由が思い浮かばない。朝の5時からぼーっとしていると人生がとても無駄に思えてきてしようがない。世の中には朝のこの1時間、この30分、この10分、5分と、寝ることをこの上ない喜びとしている人ばかりなのに、僕は寝ることを逃してしまい間抜け丸出しで炬燵の中に顔を沈み込ませて天気予報を見ている。なんだか10分おきに天気予報をやっているような気がする。テレビ局の余程の手抜きか、それとも社会の人は一日の天気が気になってしょうがないのかもしれない。
 
 ニュースは特に今日ヒドイものばかりだった。
 一体どうしてしまったんだろう?車が子供に群に突っ込むし、人が焼かれてしまうし、大臣はどうでもいいことで涙目になっているし。僕は不眠で朝の5時から起きて文句をたれてるし。予想通りこの国は壊れている。
 
 早起きのおかげで腹が空きインスタントラーメン2個も食ってしまった。何という貧しい食事だろう?などと言うと思うだろうがあながちそうではない。インスタントラーメンプレーン2個食いは時々好きなメニューである。野菜や他のものを入れると一層美味しくなるという表示があるが一概に正しいとは言えない。手を加えて貧乏くさくなる食べ物の典型がインスタントラーメンなのだ。余計なことをしない方がいいのだ
 今日は少し日本語が堅いのかもしれないが、気にしないで欲しい。

 昼前にヴィデオを2本、「1969」「ナイトオンプラネット」を見た。僕のロマンティックウィークはとっくの昔に終わっていた。それにしても「初恋が来た道」はよかったなあ。DVD買っちゃったぜ。
 「1969」確かにあの頃はみんな革命だ、革命だと真面目な顔をして叫んでいた。今より馬鹿な奴が沢山居た。革命なんか起こるわけねーっつうの。まったく、もー。
 それにやっぱりロックは確かにあった。かっこういいなあ。

 昼からリハーサル。2時から7時半まで。やりすぎだ。少し耳が聞こえなくなった気がする。唄ってて耳が遠くなるなんて事が果たしてあることなんだろろうか?
 あまり話としては聞いたことがない。歯も少し浮いている。生え変わるのか?
そんなわけはないよな?初老か?んな訳はない。へへ。

 そうだ、明日は三角山だった。話す練習しないと。
 アメンボ赤いなあいうえお。隣の客は良く柿食う客だ。
 はーい、みなさん。いつも元気な佐々木だよ。
 今日は人生について話して見ようね。なんてね。
 飽きた。

 寝る。
 
  


2002年01月21日(月) 1月21日、なんと外は、雨風景

 外は雨、ベランダにたまった雨が冬の氷の上を滑ってザブザブ下に落ちて行く。
 1月21日、本当は今日はまだ冬真っ最中。
 氷の世界まっ最中でなければならないのに。
 今回は雨風景だったんだけど、間がいいというか何というか。
 僕はこの雨にはまったまま何もしないことにした。
 
 今日も練習。

 雨の重みと氷の重みで各家のベランダおっこちるということはないだろうか?
 時々ミシミシいっているような気がするが、多分気のせいだろう。
 札幌は今日amedesu。
 今度またね。


2002年01月18日(金) あなたのお名前なんてーの?チャカチャン

 先週の今頃、教育大札幌分校フォークインの皆様による30年ぶりの同窓会があった。前の日は太鼓の阿部君の送別会で、二日続けての飲み会。阿部君の送別会にはベーカーの吉田はじめも居て、はじめは高校一年の時の同級生で、30年以上も音楽やっている同級生というのは考えてみたらこれってかなりレアなことだよね?
 不思議なことに最初の時に話したことは良く覚えている。「ねえ?ビートルズ好き?クロージョーアイー♪、キャントバイミラーブ♪ミスターーーームーーーンライトーー♪」唄いながら去っていった。
 あのころのはじめにはビートルズが降りていたようだ。尤も多かれ少なかれたいていの人にその傾向があった。 
 僕もその頃ミスター・ムーンライトはよく練習していた。
 高い声が出せるというのはとってもカッコイイ事で、それによく目立つと言ったような事もぼんやりと考えていた。そんなわけで僕は今の音楽の風潮について文句を言えた義理じゃないことをここに声高らかに反省します。若者よ!唄うときには脳震盪起こしそうな高いところで勝負をしよう。
 あの頃は上のC迄挑戦していたんだけど、そこまではむりだった。

 同窓会はというと非常に感じのいい奴らばかりの会と言った趣でそれは楽しかった。40何人は集まったという。同窓会だからいろいろな年代の人たちが居て、4年の枠から外れるともうほとんど名前も何もかも解らなくなる。それでも和気藹々と酒を飲み、時々昔の話をし、気が向いたらステージにヨタヨタと上がっていき、昔取った杵柄をふりまわす。昔取った杵柄だからもう立ち枯れているんだけど、これがいい。もうアマチュアの原点。そういうことなんだ、音楽は先ず、楽しいと言うところからいつも出発するのだ。メーーーン?
 それにつくずく思った。なるんだったら絶対先輩だ。最近、先輩後輩といったヒエラルキーを感じることが少なくなったと思っていたら、ところがどっこいあった。音楽サークルなのに僕らは実に初期設立の大先輩なのだ。ふんぞり返り放題、威張り放題、、無理難題。大体みんな教頭になんなんとしている世代で、それぞれ長だっつうのに。ただ年を取っているだけなのに、少し先に学校に入っただけなのに、もうそこで先輩後輩が決まってしまう。面白いもんだ。
 こういう解りやすい人間関係ももしかするといいのかもしれないなあ、等と思ってしまうものがある、この同窓会という奴には。
 でもこうやって書いていて思ったのは、稲村さんと僕との関係は完全に先輩後輩の関係の何物でもないんだなあ。
 色んな人が唄い、僕も唄い、そして最後に設立メンバー御大、稲村一志を僕はステージに呼び込んだ。もう一番最後だから稲村さんはすっかりできあがっていて、それでも何とか昔のメンバーと一緒に”眠くなるまで”っをヨタヨタと唄い終わりで、最後の挨拶、「うーーっ。幸男もまだ音楽をやっている、俺もそうだ。何がなんでもみんなで応援するように。俺はこの間ロンドンでクマ原田という男と一緒に、ウーィ、レコーディングした。そしてそれをCDにした。今日はそれで人数分持ってきた。みんなあ、金持ってこの前にならびなさい。この素晴らしいものを買わない奴は帰さない!」
 その時僕が思ったこと。しまったああーーーーーーーーーーーー!その手があったーーーーーー。ずるいぞーーーーーー、稲村さーーーん!んーん、まだあまいなあ、俺は。
 色んな事を感じた日だった。
 
 2次会にめいじの店に行ったら何気なくCDをくれようとする、「これ息子のCDなんですけど聞いてください。もう沢山買ってしまったので。」、前々からウィンズという3人組のユニットに入っているというのは人づてに聞いていたので、ありがたく貰っておくことにした。一瞬サイン入りのをと言おうとしたがやめておいた。どうもだんだんやくみつるが入ってきているような気がして仕様がない。
 めいじとは昔デビューした頃北海道を回ったときにギターを弾いて貰ったころからのつきあいだ。あの頃チャックベリーの民雄ちゃんにも太鼓を無理矢理頼んで叩いて貰った。しばらくあっていないけど元気かなあ?
 そしてその子供達が活躍する時代になっちまった。すごいことだ。まあ、驚きはしないけれど年取るはずだよ。

 話は変わるけど、家の空振り猫は益々空振りに拍車がかかってきている。この間も寝起きにクビの後を掻こううとしていた。でもどうみても首には届いていない、かといって空振りしていることに気づいているようにも見えず、それなりに目をつむってイッテル気配はあった。気の毒なので側に行って、そうっと指で一緒に掻いてやると流石に実感があるらしくそこはかとなく喜んで首を持ち上げる。そしてふと掻いている足を見ているとこっちの指に動きがシンクロしているようなので、試しにと、高速で指を動かしてやると明らかに高速で空振りしている。ゆっくりにもどると空振りのスピードも落ちる。ぼけているようには金輪際見えないので安心はしているが。せめて気づけよな。後で忍んで笑ってる奴が居ることぐらいは。
 一度色んな人に見せたいなあ。



 


2002年01月14日(月) 風待ち

 意味のない毎日が 僕の横を通り過ぎ
 悲しみに満ちた 僕の一日

 季節の変わり目に ふともらい泣きをする
 風待ちの中に 風待ちの中に 愛は 愛は
 ふと燃えていく 僕の中で
 ふと消えていく おもいとなる
 奴でもないし 君でもないし
 風当たりは 僕さ 僕さ 僕さ

 1970年の真ん中あたり、僕は静内にいた。
 毎日毎日、釣り竿を持って海に出かけ、魚を釣ることが目的じゃない釣りに忙殺されていた。いつも聡が一緒だった。
 釣り竿を海に投げ込むとあとはもうどうでもよく、持ってきたグローブで仕事のようにキャッチボールをする。
 僕たちはまだそんなに真剣に人生を考える年じゃないだろうと高をくくって日高の端っこで遊んでいた。
 後にも先にも僕、聡、富士雄さん、男同士で生活を共にしたのはこれが最初で最後だった。
 
 「今度、静内で唄う店を作ろうと思ってるんだけど、おたく、どうだい?やってみる気無いかな?部屋と飯はこっちで用意するから。からだ一つで来て貰えばいいから?」
 徳光さんの話は、大体こんな話だったような気がする。
 そのころはもう”第一巻第百章”というバンドを抜けて1人になり、ソロという自覚もないまま弾き語りを始めた頃だった。
 昨日までバンドの後の方で慎ましいリードギターに時々のコーラス、このギターでいいんだろうか?と不安がらみのステージにいい加減自分でキレていた。
 そろそろ真面目に仕事を探さないと、普通の人が乗る列車はもう随分先まで行っていて、自分が乗れる電車を自力で探さないと。
 この頃の不安はいつも薄い膜が張られていて、まだまだその実態が顔を出さない。

 ギターケースと2,3日分の衣服を詰め込んで静内の駅を降りた。
 苫小牧からずっと海を見続けてきた気分と、駅に降り立ったときの気分には果てしない差があった。
 「佐々木先生ですか?」、富士雄さん登場。
 黒のスーツにノーネクタイ、ズボンの丈が短く、歩くたびに靴下の模様が見えるあの富士雄さん。新宿のキャバレーで支配人をしていたという富士雄さん。
 「先生じゃないだけど。」僕。
 「いえ、あの。唄われる方は概ね先生と呼ばせて貰うことになっているんで。私どもの世界では」何処の世界でダヨ。
 「人に知られたらかっこわるいからその呼び方だけは堪忍してくださいよ」
 「そういうわけにはいきません、先生。」富士雄さんは新宿のどっかでそういう世界を習ってきたらしい。
 「ところで、富士雄さんは幾つなの?」
 「23ですけど。」
 「そっか。」

 僕はライブハウスみたいな所で唄うだけなのに先生と呼ばれることになってしまった。ライブハウスといったって一日5ステージ以上ある。歌い手は僕1人だ。

 その時、僕が持ってた自作の歌は「コカコーラ・ジェネレーション」というラグタイム風の歌と「タイムマシン」というバンド用に作った歌で、この2曲しかなかった。店にしてみればこれはある意味ラッキーなことだったろう。変なオリジナルを酔客の前で唄われるよりは、ある程度みんなが知っている、流行りのフォークソングみたいなものを唄わざるを得ないわけだから。
 僕にしたって「氷雨月のスケッチ」や「機関車」、ハッピーエンドの曲がここで受けるとは思っていなかったから沢山歌を覚えた。「爪」や「サントワマミー」、「影を慕いて」、そしてかぐや姫にまで手を伸ばした。もう町中の人が物珍しさに集まってくるものだからレパートリーはほぼオールコート。そして町中の人が集まってくるものだからいつも満員。オーナーは笑いが止まらなかったと何年か経ってからよく言っていた。

 支配人は富士雄さん、歌手は僕、バーテンダーは聡。ここから約1年僕は静内で暮らすことになる。
 


2002年01月11日(金) 魔法使いの吸う煙草の匂いがここまでくる

 ”次の朝、遅い朝食をすますと魔法使いは、書斎の開いた窓辺に座って、フロドに向かい合いました。暖炉が赤々と燃えていますが、日の光は暖かく、南風がふいていました。万物が新鮮で、野にも木の梢にも、新しい春の緑がつやめいたいました。・・・・
 彼は煙草をぷかぷか吸いながら、あの時と変わらぬ元気さで、愉快そうに、煙の輪を吐いていました。”
 
 指輪物語という本の中で、ガンダルフという魔法使いがフロドの家で煙草を吸ってる場面だけど。
 ああいいなあ。なんだかとっても煙草が旨そうな風景だなあ、と感じ入ったわけですよ。それも南風が吹き、春がもうすぐそこまで来ている暖炉が焚かれた遅い朝。吸ってみたいなあ。
 青い煙の味。鼻の穴に残るニコチンの匂い。日の光の中でゆったりと撹拌される墨絵のような煙の群。ガンダルフは幸せ者だなあ。もう爺さんだから先のこともあまり心配せず心おきなく吸えるんだなあ。
 僕はやっぱりいまだ命が惜しいんだ。
 もう2年。忘れたはずなのにまだあの人の香りに悩まされる私。本当にしつこい性格だねえ。粘着体質というヤツか?
 この間も煙草について書いたばかりのような気がするが、文章だけで劣情を催している自分を見ると気分はポルノだ。どっちが健康なんだろう?ポルノを読んでムラムラするのと、指輪物語を読んでむらむらするのとでは。
 
 ガンダルフはどんな煙草を吸ってるんだろう?魔法使いだから紙巻きということはないだろうし、パイプという線も考えにくい、かといってギャングじゃないんだから葉巻もねえべ。となると煙管か?もう少し吸ってる銘柄、形状などを具体的に書いて貰えれば、より想像力、イマジネーションなどが飛躍できるんだろうけどなあ。かといってあまり事細かに書かれても困るか。

 指輪物語が春先公開されるらしい、というニュースを知り、読み直している最中のこと。この煙草事件は。前は何も引っかからず、するっと、気にもとめずに過ぎ去っていったであろうページ。なるほどな、本は読み返すべきか?
 大雑把なことしか覚えていないもんだ。旅をして怪物にあって、途中何か黒い騎士団ともめて、ヤモリのような男が出てきて、何か指輪が大きな意志を持っていて。・・・
 どうやら何も頭には入っていないらしい。不思議だ。記憶の中には面白い本だという情報は入っているんだけど、その中身となると怪しい。
 図書館警察も結局読み返した。1回めよりも面白かったのは何でだべ?1980年のカンザスシティ・ロイヤルズの似顔絵付き選手のサインボールではいかにもと思いつつも泣けた。家のバカ猫と同じで急所を責められると腹を丸出しで喜んでしまう。いや、いや、こういった意地の悪い言い方は止めよう。兎にも角にも涙腺は益々緩くなっている、ダダ漏れ。
 そして読み終わったヤツは鞄に詰め、会う人ごとに押しつけてやろう。若しくは隣に売りに行く。でなかったら、地下鉄のエルム文庫に人目のない朝早く行って寄贈という奇襲攻撃も視野に入れている。
 
 隣の店にこの間、岩波文庫の西遊記を持っていったら古いからと断られた。古くないって!確かに話は思いっきり古いけど、待てよ、奥付をみたら1977年となっていた。表紙は新しく装っているけど、おまえはそんな年だったのか?
 その他モロモロを持っていったけど大体がダメだった。あのねえ、何でも引き取りますと言った看板は下ろすようにね。近所の住人が迷惑するから。それも勇気出して持っていったのに。くやしいなあ。西遊記はちょっと古いか?あのゴダイゴも昔唄っていた西遊記だよ?中国の昔話だよ?ダメ?そうかだめか?

 あれま!長くなりそうだから、もうやめよう。私はこれから唄の練習じゃ。何事も訓練。コンサドーレもそろそろ訓練にはいるらしい。私はまだコメントを控える。今日ガンバから小島が1年間のレンタルで引っ越してきた。小倉も来るらしい、怪我の多い選手をとってどうすると言うんだろう?今年はまだ何も言わない。 まだチームの全体像が見えてこない。監督も新しいし、フォワードも全とっかえ状態、真ん中も見てこない。これから一月。まだ見てるだけ。

 ♪ぅおぅおー  ぃえー ぅおぅおー やー
 道に転んで 骨折って あくび殺して 歯が折れたー さいさー さいさい♪
 どう?新曲。そうなんだよ、変な歌なんだよこれが。

 そして夜。酒飲みに行く。さいさー さいさい。
  


2002年01月07日(月) まずは小吉

 白石神社で小吉を引いてきた。

 別に神様にものを頼むために行くのではなく、正月なんだなあと確認するために行ってるてなもんで欲深い思いはない。
 この前は概ね北海道神宮に行っていたんだけど、寅さんファンとしてはもう少しドメスティックな神社の方が我が町の正月といった気持ちになれるのではと思い4,5年前から白石平和通13丁目の白石神社に参拝に行くことにした。白石平和通13丁目の白石神社と表記すると益々そのドメスティック度が増す。
 知らない人は多分思いっきり地味な神社を想像するだろうけど一度話の種に行ってみな、良くもまあこんなに立派になって、昔はさぞ目立たない田舎の神社然としていたんだろうなあと感じさせる成り上がり度満点の神社だ。矢沢か白石神社かと言うぐらいイカスから。
 色んな神様の社が狭い敷地の中に道なりに設置してあり、手を合わせるたびに賽銭を放り込みたくなる仕組みになっている。別に悪口を言っているわけじゃない、最初は少し戸惑ったけど何度か通ううち、手を合わせるという行為が快感になってくるから不思議なのだ。普段もう、拝んだりする行為自体が皆無になってきてるのでそういって事が楽しくなってくるのだ。北海道神宮だとあのでかい賽銭箱の前で1回パンパン手を叩いてしまいだけど、ここではあっちの神様、こっちの神様と優しい気持ちになれば叩き放題だ。今時こんなに拝みでのある神様も居ない。
 基本的には頼み事はしない。掻き入れ時で神様も手を抜くだろうから、ファンの皆様の健康や世界平和、人類の存続、両親を大切にといったまあ笹川さんが居なくなった今その役割を担う人が居なくなったのでこっそりトラでやっておく。
 
 それにしても小吉はどうも納得がいかない、どうしても中途半端な気持ちが残り、もう一度引き倒してみようかという気分になる。いっそのこと大吉か大凶、この2種類に決めうちして欲しい。決意ややる気が鮮明になって好ましいと思われるのだが。そういうわけには行かないか?世の中僕よりもっと中庸な所で生活している人が圧倒的に多いわけだから丁か半は少し乱暴か?
 持病に注意らしい。人を脅かすなっつうの。気が小さいんだから、まったく。

 今年は”割れ目でポン”が無いのかと思っていたら土曜日の深夜あった。
 ヨカッタ。
 ただそれだけ。
 
 前は7,8時間やっていたんだけどついに3時間ちょっとに縮小されていた。あの番組のファンなんだけどなあ、もっと長くしてくんないかなあ。テレビはもうつまんないんだからああいったマニア相手の狭い番組が増えると嬉しいんだけど。
 もともと自分がやらないで人がプレイしているのを見るのが好きな人間なモンで麻雀やパチンコの番組はほぼスポーツ中継と同じ目線で見られるからいい。
 しばらく麻雀をしていないなあ。藤田君や山木君、細坪君に松山君、鵜飼君に工藤君、小島君に北川君、太川君に世良君、石田君に天野君、大地君に太田君。ヒマさえあればやってたね。大負けして泣いて帰った奴もいた。生活賭けてやってるやつもいた。なんだかスゴイね。一番集中力があった頃の話だ。最近はフォースがとみに弱ってきていて必要な牌を引いてくることはない。もう一度タトゥーン星に行ってオビワンに修行を頼まなければ。フォースだって結局の所若い奴の専売特許で、オビワンだってルークにトラを頼んだと言うこと。ダースベーダーやるのにさある。注・トラというのは我々業界でエキストラのことをさし、代役みたいな人のことを言う。以上。
 誤解されそうであまり人に言ってなかったんだけど、この頃は空中浮揚やテレポーテーションが使えた。本当だって。マジスパの下村氏やハードトゥファ印度の扇柳氏も経験済みだと言っていた。
 出さない方が信憑性があったかもしれない、この二人は。

 2002年、2月2日のライブに向けてそろそろリハーサル日程を組まなければ。
 久しぶりに長々と書いてしまった。毛根嬢が切れた。もう根性がきれた、と綴りたかったのにイヤラシイ機械だ。
 もう少し待っていろ、パワーアップの機械を購入してきたから。どこかに差し込み口があるからそこに挿入するように言われてきたから、まあなんとかなるだろう。聞き覚えだからはっきりとは認識していない。まさかデータが飛ぶと言うことはないと思うけど。繋がらなくなったら思い出してねこの言葉。

 今年はいよいよ全曲のライナーノーツをこの場でやろうと思っているので期待しないで待って手ね。んーん、疲れた。
 改めて今年も宜しく。そしてテレビ塔に集合!!  
 


2002年01月04日(金) 賀正!

 新年あけましておめでとう!
 今年も宜しくお願いします。
 どうぞ厚い応援お頼み申し上げます。
 
 皆さんにおかれましてもこの一年が程々にいい年でありますことを願っています。そのほどほどが末永く続くことを切に願っています。
 
 あの、私ちょっと先を急ぎますので今日は挨拶だけで。
 
 来週から竈に火を入れ、布団をあげ、水回りを整頓し、髭を剃り、斎戒沐浴をし、パソコンの埃を払い、発声練習などをして日常生活に戻ります。
 
 さてまた寝ようっと。
 御免。


sasaki