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父の死 - 2010年04月12日(月)

天気:晴れ

今日はお客さんが
わざわざ装置3台分の図面を持って
納期の打ち合わせと現場見学の為に会社に来られた。

窓口担当のNさんと海外支援担当部署の課長の二人。

駅へ迎えに出向き、軽く挨拶をさせていただいた。
また、会社へ向かう車の中で
一つ謝罪をした。

社長が体調不良で休んでいるのだ。
先週の金曜日に話をして、挨拶をしてもらう段取りになっていたのだが
今日は朝から来ていなかった。
この何ヶ月かの間、遅刻・早退が結構あった。
持病の糖尿病の薬が変わったのだが、
それが身体に合わず好不調の波が激しかった。
いや、正直なところ持病だけが原因ではないのだ。
期末を向かえ、会社経営が行き詰まっていたせいもあるのだ。
昨年はリーマンショック・サブプライムローンの余波を
世界中がもろに受け、あらゆる産業が停滞してしまった。
うちの会社も当然のことながら不況の波を受けて
仕事は激減した。
月の受注額が600万しかない月もあった。
目標額2400万に対してだ。
そのつど銀行・信金に融資のお願いにあがり
色々な資料を提出してようやく融資してもらうと言う事を
幾度と無く繰り返し、期末での長期・短期借入金は
3億近くに膨れ上がっていたのだ。
社長も疲れ切っていたのだと思う。
また、月末の資金繰りに行き詰っていたときに
社長に「どうするのか?」と自分自身何度も詰めよって
文句を言ったりもしたものだから
精神的にも追い込まれていたのだと思う。
事実、私は月末の資金繰りが逼迫したときに
自分の預金を崩し支払いに当てた事が数回あったし
それ以前にも200万ほどのお金を
買い掛け金や約束手形の支払いに充てていた。
私自身、もう無一文に近い状態になっていて
今度資金繰りが悪化したときの事を思うと
背筋が凍る思いをしていたのだ。
いや、厳密にはまだ多少の預金は残っていたが
それすらも拠出しなくてはいけない状態が嫌で仕方なかったのだ。
嫌というのは、語弊があるかもしれない。
最終的に預金通帳がゼロ円なっても会社の存続の為に
出しても構わないと思っていた。


社長も当然その事が分かっていたにも拘わらず
何か手立てを打つでもなく
こちらから詰め寄るまでは動こうともしていなかったものだから
余計にいらいらしていたのだ。

納期の打ち合わせは、社長の代わりに工場長に同席をしてもらい
予定通り終了した。
お昼を一緒に取り
午後はまた業界の話や加工についての話をして
帰りの電車の時間が来るのを待った。

お客さんが帰り、預かった図面の仕分けと
材料手配を進めていた夕方頃に
携帯に母親から連絡が入った。
「お父さん、首吊ったわっ。直ぐ来てっ。救急車も呼んだし。」と
事務の女性に、自宅へ行って来るとだけ伝え
直ぐに家に向かった。








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