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2021年09月09日(木) コロナ文革原理主義者が仕掛けた幻の「コロナ戦争」という幻覚と洗脳を解くべし!

2021年も7月が終わろうとしている。
例年ならば各地で花火大会も開かれ、半月後のお盆に向けて様々な旅行の計画や祭りの準備も行われる季節。
が、今年も狂気吹き荒れるコロナ文革原理主義の嵐によって全てがご破産状態。
2年連続の「コロナ監獄」状態が続く。

コロナウイルスは順調に変異を続け、人間の体内に順応するよう急速に進化し続けている。
デルタ株なるもので加速度的に人間との生態融合率を上げ、以前より容易く共棲状態に至るまで完成度を上げてきた。
更にイプシロン株、ゼータ株、シータ株、イータ株においてはもはや如何なる障壁もなく、人体との融合が可能となろう。
コロナウイルスを使った地球規模の生命OSアップデートとパッチは間もなく何もしなくとも「自動更新」という形で人体に取り込まれるステージに入った。
これは地球生命体がその発生より営々と受け継がれた不可逆的システムの一環としての通過儀礼に過ぎない。
この悠久の通過儀礼をこれまで人類は当然のように無意識的に受け入れてきたのだ。
とるに足らない病原性の犠牲者はグローバルな視野からすればワクチンの事後反応と同じレベル。

ところがこの21世紀になって「人類だけが特別清潔な存在であるべき!一人の犠牲者すら看過するな。数多の役に立たない雑菌ウイルスどもを薙ぎ払え!」の如き選民思想的潔癖原理主義が独善的欺瞞マッドサイエンティストによって台頭。
それがコロナ文化大革命原理主義の始まりだ。
挙句の果てに「コロナが人類に戦争を仕掛けた!」なる狂気のプロパガンダで人々を扇動し始めた。
悠久なる生命OSのアップロードに過ぎないコロナウイルスとの生体融合を「穢れた邪教ウイルスの侵略」と曲解宣布したその結果がこの有様である。

新規感染者数が都内で3000人を超えた等とコロナ文革紅衛兵たるマスコミは狂気のボルテージを更に上げる。
が、コロナウイルスが進化し、ヒトとの共棲を最終目的としている以上、当然の成り行きだ。
それをいつまでも「感染」なる言葉で欺瞞を続けていれば、もはや救いはない。
これは「感染」ではなく「共棲」なのだ。
そしてその流れはもう止めることなど出来ない。
コーヒーにクリープを流し込む如く、元に戻すことは不可能。
ましてや「ゼロコロナ」など世迷言の極み。
にも拘らず、この期に及んでもコロナ文革原理主義者が「感染絶対阻止!」を叫ぶのは狂気以外の何ものでもない。
コロナウイルスはこれからも進化し、何の抵抗もなく人体に取り込まれる。
デルタ株の次はイプシロン株が来るぞ。
さあ、どうする?
もう、マスクなど利かないよ。
10m離れても容易に「生体融合」してくるぞ。
更にゼータ株は強力な融合能力を持って100m離れてもいとも簡単に体内に取り込まれよう。
通勤電車など一瞬で全員「感染」だ。
もはやワクチンなど意味を為さない。
究極のコロナウイルス最終進化体系はオメガ株だぞ。
もはや「自動更新」に近い。
如何なる防壁もワクチンも通用しないだろう。
瞬時にして広域レベルで「感染」してくる。
そしてそれは何ら病原性を持たない。
ヒトとウイルスは完全共棲し、生命OSのアップデートはこれで自動更新完了となる。

もはや「抵抗」は何の意味もなさない。
コロナには「無条件降伏」が相当である。
この期に及んで「感染」を止めることは絵空事の類。
もっともコロナは人間に「戦争」など仕掛けてはいない。
「戦争」と思い込んでいるのは人間のほうだけ。
ただの生命OSアップデートをパンデミックという「戦争状態」に捏造し、人々を不安と絶望に駆りたて、その財産と生命を搾取するため計画されたものが「コロナ禍」であり、その首謀者こそコロナ文革原理主義者なのだ。
勝手にウイルスとの戦争状態を偽装し、人々を不安と混乱に陥れているこの状況を打破しない限り、人々の不幸は永遠に続くだろう。
コロナ文革原理主義者はいずれ「緊急事態宣言」なるものを更にバージョンアップさせて、ロックダウンを実践し、人の流れを強制的に抑制し始める。
そんなことをしても変異進化し続けるコロナには「無駄な抵抗」なのに、「ゼロコロナ」がコロナ文革原理主義の最終目的である以上、人々がコロナ以外で困窮したところで「知ったことではない」のだ。
そのうち「呼吸制限」すら勧告されよう。
かつての総力戦で「本土決戦」を叫ぶのと同じである。
勝てる見込みなど全くないのに、ただひたすら「コロナ戦争」に人々を支離滅裂に駆りたて続けるのがコロナ文化大革命の完遂には絶対条件なのである。
人がコロナ以外で死のうとその「革命」には関係ない。
コロナに「感染」させないことが至上主義であるから、コロナ以外の死は眼中にない。
だから、コロナに感染する位なら、自決するほうがましだと。
サイパンのバンザイクリフのように、コロナ感染が不可避なら自ら推んで断崖から飛び降り命を絶てとコロナ文革原理主義者は強要してくるだろう。
いずれコロナ文革最右翼の西浦マッドサイエンティスト等は「コロナに罹る位なら一億総玉砕だ!この命令に逆らう者は異端者だ!即刻処刑せよ!」とコロナ紅衛兵たるマスコミを通じて集団自殺と同胞同志の殺し合いを呼び掛け始めるだろう。
これが狂気なくして何か?
いくら籠ろうとも、もはやコロナとの生体融合は避けられない通過儀礼となった。
変異種の急速な進化は人類に対するコロナからの「ポツダム宣言」である。
コロナ文革原理主義者と心中する位なら、コロナと融合したほうが余程マシだ。
何が「危機感が足りない」だ!
狂っているのはそっちのほうだろう?
もはや緊急事態宣言の規制も、来るべきロックダウンもただただ人々の生活を苦しめるだけで、何の効果も為さない。
コロナ変異株はすでに普通の水疱瘡並みの「感染力」で、更なる変異種はそれよりも「感染力」を高めてくる。
しかし病原性はそれに比例して低下していく。
もはやコロナを「感染」と認識するステージは終わった。
これからはコロナとの「生体融合」として看過していく段階に入った。
即刻全ての規制を解除し、指定感染症5類に格下げすれば「医療崩壊」等という馬鹿げた状況は一日にして終わる。
コロナは「敵」ではない。
一刻も早くコロナ文革原理主義者が仕掛けた幻の「コロナ戦争」という幻覚と洗脳を解かねばならない。
それ以外にこの狂気から逃れる術はないのだ。

にも拘らず、コロナ文革原理主義者に扇動された無能馬鹿の首長、老害世襲与党、役立たずゴミ野党、利権に縋る医師会、漁夫の利を漁る医療関係者はこの期に及んでも「コロナとの本土決戦」を叫び、人々に「玉砕」を呼び掛けるごとく「緊急事態宣言」発布に狂奔している。
気違いが無能を扇動し、愚衆をコロナ脳化させてこの国を奈落の底に堕とそうとしている有様は滑稽でもある。
もうこの国の舵取りをこんな狂った痴呆に任せては未来はない。
志ある真っ当な市民一人一人が「緊急事態宣言」に対し、敢然と抵抗無視し、レジスタンス活動を展開していく以外、この禍から逃れることは出来ない。
さあ!この夏は徹底的に外出し、コロナとの「生体融合」を果たし、この欺瞞なコロナ文革との闘いに挑もうではないか。
オリンピック会場にも集合し、お台場の聖火に集い、宴を催し、祝典を盛り上げよう!
コロナ文革狂信者たる西浦が破壊しようと画策するパラリンピックを成功させよう!
「サマーウォーズ」の始まりだ!
闘うべき「敵」はコロナではなく、コロナを出汁にして人々の生活、財産、生命を搾取するコロナ文革原理主義者である。
この闘争に勝利して再び祭りと歓声に溢れる「夏」を取り戻そう!


2021年09月08日(水) コロナ文革原理主義覇権野望者にとっての「マイベイビー」COVID19

相変わらずコロナ文革紅衛兵たるマスコミはコロナ恐怖洗脳デマゴギーに狂奔している。
変異種によって重症者が増えているとか、インフルエンザよりも患者数は多いとか盛んに宣伝している。
しかし、いったいその重症者とは何なのだ?
本当にコロナウイルスが原因だというエビデンスには程遠い。
単に検査で陽性反応が出たというだけで片っ端からコロナと決めつけている気配が濃厚だ。
むしろ自粛を強要され、外出を控え過ぎ、免疫抵抗力が弱り、従来なら問題にならないウイルスや病原菌などによって体調悪化に至った者を片っ端からコロナ認定しているだけなのだろう。
コロナだけを特別視して抽出すれば自ずと「コロナ」患者数は増える。
一方で過去インフルエンザ重篤者を「インフルエンザ」患者としていちいちカウントするとは思えず、従来の基礎疾患名として処理するはずだ。
だからインフルエンザ重篤者のほうがコロナよりも少ない等という理屈の信憑性は低い。
自宅療養者が激増なんて騒ぐが、そもそも季節性インフルエンザ患者の大半は自宅療養が普通ではないのか?
こんな極端なバイアスをかけてコロナを特別視する報道に「真実」など到底存在するはずがない。

新国立競技場の色分けされた観客座席。
恰も客がいるかの如く錯覚するよう配置されているらしい。
オリンピック中継を観ていた高齢者が「客がずいぶん入っているではないか」と呟いていたのを目撃した。
なるほど。
「コロナ禍」も同じ仕掛けなのだろうと。
恰も恐怖の病が蔓延していると「錯覚」させる巧妙な技はこの色分け座席配置と同じなんだと。
高齢者は簡単に引っかかるわけだ。


BSで「水爆の父」であるテラーのエピソードドキュメントを観る。
科学者にとって国家からの研究予算は死活問題である。
お金がなければどんな「発明」も「絵に描いた餅」でしかない。
予算獲得こそ、科学者の野望現実には必須条件となる。
テラーも水爆開発のためには何としても国家から膨大な研究開発予算を分捕らねばならなかった。
そのために手段は厭わない。
1950年代の冷戦下、このままではソ連が先に水爆を作ってしまうと政府に危機感を嗾け、ライバルの科学者には共産主義者のレッテルを張り付けてその地位を奪い、己の覇権現実に邁進した。
こうしてテラーは膨大な予算と発言力を獲得して水爆を現実のものとした。
テラーは初の水爆実験成功を知ってその爆弾を「マイベイビー」と称した。
これが科学者の実態である。

今日のコロナ文革原理主義世界覇権に狂奔する感染学者もまた、テラーと同じ。
己の感染防疫理論を使ってこの世界を支配しようと企むマッドサイエンティストはコロナウイルスの病原性を殊更誇張し、マスコミを使って恐怖と不安をまき散らせば、狼狽した政府がその対策費として自分ら達に膨大な研究予算を投入することを知っていた。
早速、己の野望に飢えたマッドサイエンティストは人脈を駆使し他の感染学者、IT企業、製薬会社、医師団体、マスコミに「凄い金儲けの話」があるからと持ちかけ、懐柔し、この情況を作り出したと考えても不思議はない。
こうして連中は「偽装されたパンデミック」で莫大な研究開発費を手にいれた。

彼らにとってコロナウイルスは己の野望を現実化させてくれる可愛い「マイベイビー」である。
その「マイベイビー」が暴れれば暴れるほど暴利を貪ることが可能になり、人々の上に君臨することが出来る。
だから「マイベイビー」たるコロナウイルスは永遠に「恐怖ウイルス」でなくてはならないのだ。
次々に「恐ろしい変異種」を出現させ、マスコミを使って恐怖を煽り続ければ続けるほどコロナ文革原理主義は強力な支配制度として盤石な錬金システムとして稼働するのだ。
マスク強要もワクチン強要も彼らの支配欲を満たすために作られたシステムだ。
ワクチンが効かないのは当たり前である。
効果が出てしまったらコロナ文革原理主義はその時点でご破算だ。
彼らの覇権の野望もそこで終わってしまう。
だから出来るだけこの「コロナ禍」を長引かせるために「効かないワクチン」を製薬会社に作らせているのだと考えれば解りやすい。
哀れなコロナ脳国民はその後、次々に3回、4回、5回、いや10回、100回と「効かないワクチン」を打たれ続けるだろう。
4回目からワクチン接種は実費である。
コロナ脳庶民はとにかく「コロナが怖い」と洗脳されているから、大枚叩いても接種後の高熱に苦しんででも「効かないワクチン」を打ち続けることを希望する。
これがコロナ文革原理主義首謀者が計画した己の手を汚さずして哀れなコロナ脳から無限に財産を搾取出来る「人類ワクチン補完計画」システムである。彼らにとっては濡れ手に泡だ。
笑いが止まらないだろう。
ほっといてもコロナ脳庶民はお金を貢いで無条件で帰依してくるのだからね。
こんな楽しい人生はあるまい。
騙されやすい高齢者の懐柔は上手くいった。
次は若者をターゲットにと、紅衛兵マスコミをして市中に「効かないワクチン」接種所を設けてどんどん「次のカモ」を懐柔していく。
コロナ文革原理主義者にとって「可愛いマイベイビー」コロナウイルスはこれからも恐怖の対象としてどんどん暴れてもらわねばならない。
そしてコロナウイルスを「恐怖の病」と信じて疑わない哀れなコロナ脳国民は死ぬまで搾取され続けるのだ。


2021年09月06日(月) 儚きぞ2020オリパラの悲哀

9月5日、東京オリンピック、パラリンピック全日程が終了した。

1964年の東京オリンピック時はまだ5歳で、オリンピックがまだ何たるかも解らず、白黒テレビに映っていた水泳競技を朧げに記憶していただけ。
1972年は札幌冬季オリンピック。
多感な13〜14歳の自分には最も印象深い自国開催のオリンピックとなった。
70m級ジャンプ競技でメダル独占。笠谷、今野、青地という選手名を今でも覚えている。
「日の丸飛行隊」というキャッチフレーズもこのオリンピックが発祥だ。
フィギュアスケートのアメリカ選手ジャネットリンも印象深い。
そしてトア・エ・モアが唄った『雪と虹のバラード』が思春期の琴線に触れた。
当時のオリンピック記事の新聞切り抜きは今でも大切に保管している。
1998年は長野冬季オリンピック。
自国開催で初めて現地まで足を運んだ大会。
東京から長野新幹線を使った。
長野駅前では盛んにピンズ交換され、グッズもいくつか購入した。
マスコットは確かスノーレッツだったか?
一方で競技に関してはあまり興味は湧かなかった。誰がメダルを獲ったか殆ど思い出すことが出来ない。
自国開催オリンピックは競技そのものより、国際的祝典に自ら参加出来る喜びこそ意義があることを悟るようになった。

そして、2021年東京オリンピック。
57年ぶりの地元オリンピックであったが、コロナ文革原理主義者の破壊活動によってすべて台無しにされてしまった。
ほとんどが無観客試合。更にオリンピックに付帯するイベントは完全に中止。
祭りとしての存在意義はまったくなくなった。
テレビ中継だけが辛うじて維持されたが、殆ど視聴するに値せず。
観客のいない競技場の画像には熱気の欠片すら感じられず、悍ましいコロナ文革原理主義という不気味なカルト宗教イデオロギーによって、重苦しい空気が支配していただけ。
そもそもテレビ観戦だけだったら世界中どこでも同じ。
肌でオリンピックの雰囲気を感じられる事が自国開催の大きな意義なのである。
結局、長野オリンピック時に存在した世界各国の観衆との交流もピンズ交換も一切なく、コロナ文革紅衛兵たるマスコミの「反オリンピック扇動」でゾンビと化したコロナ脳愚衆のネガティブ世情が祭りとしての体裁を破壊尽くし、砂を噛むような時間が過ぎただけで終わってしまった。
恰も1970年代中国文化大革命のごとし。

1964年の東京オリンピックから1998年の長野オリンピックまでは紆余曲折ありながらも高度経済成長の余力に助けられ、少なくとも「祝典」としての体裁は維持されていた。
ところがこの2021年の東京オリンピックは「祝典」どころか、超少子高齢化で経済的地位を失い、既得権にしがみ付く老害世襲に搾取された日本国民が更なる狂ったカルトコロナ文革原理主義者によって食い物にされる茶番の場と化してしまった。
もはやこのオリンピックは国民を一体化させる歓喜の祝典ではなく、日本人同士を反目、対立、憎悪、差別に駆りたてる梃子でしかなかった。
東京オリンピックは完全にコロナ文革原理主義者の玩具と果てた。
今の若い人達は自分が1972年の札幌オリンピックで受けたような感銘をこの東京オリンピックで享受することはなかったろう。
悍ましいコロナ文革原理主義によってコロナ一色に真っ黒く塗りつぶされた無味乾燥で息苦しく不自由な時間だけが記憶に残る。
何と哀れな青春だろう。
そこまでして若者の未来を台無しにしたにもかかわらず、コロナ文革原理主義者と愚かなコロナ脳にとってはコロナの恐怖を煽ることが全てであって、若者からオリンピック観戦の機会を奪ったことには「そんなこと知ったことか」なのである。

もはや尋常ではない。
そう、まさしく「貧すれば鈍す」である。
これまでの自国で開催されたオリンピックの中で今回のは最もさもしく、貧相で、愚劣な大会となった。
経済力を失い、少子高齢化で若い創造力を失った国が如何に惨めかを象徴している。
「振り込め詐欺」に騙され、慌てふためきながらコロナ文革原理主義という詐欺集団の口座に有り金を突っ込む哀れな痴呆老人如きの今日のコロナ脳日本人にそもそもオリンピックを開く資格などなかったのだ。
騙されているのに気付きもせず、ワクチン接種自慢に終始する馬鹿なコロナ脳愚衆によって数多のイベント、祭りはコロナ文革原理主義者の意のままに破壊され、いずれ気が付けば身包み剥がされて彼らの奴隷、下男に成り果てるのも時間の問題だろう。
今回のオリンピックはその始まりに過ぎない。

この国はもう本当に終わってしまっているのだろう。
次の宰相候補に、このコロナ文革原理主義からの支配脱却を強力に実践出来る者は見当たらない。
ましてや「ゼロコロナ」を喚く無能野党は最初から論外である。存在価値すらない。
冬に向かい、この悍ましいコロナ文革の嵐はますます荒れ狂う。
コロナ脳に侵された国民は自ら墓穴を掘って喜んでその中に飛び込んでいくのが手に取るように解る。
「馬鹿は死んでも治らない」とはこのことだ。

もう、自分の生涯で次の東京オリンピックはないだろう。
いや、遅かれ早かれこの日本という国すら存在し得ないかもしれぬ。
最後の東京オリンピックがこんな陳腐で茶番に満ちたみっともないモノとは想像もしていなかった。
哀れの極みである。


絶望皇太子