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2021年04月25日(日) 緊急事態宣言という名の「魔女狩り」

25日より例によって馬鹿の一つ覚えの緊急事態宣言が出されたという。
コロナ文革原理主義者が机上の空論を捏ね回した挙句、「禁酒法」の如きに至るとはドリフのコントか?
酒の提供をやめればコロナ禍が収まると本気で考えるのはB29を竹槍で撃墜出来ると信じ込む以上の迷信。
緊急事態宣言は迷信が現実にとって変わる「魔女狩り」と同じ構造。
やがて迷信に駆り立てられた狂信者の徒党がマスコミ紅衛兵に煽られ、社会を破壊し始めるだろう。
もはや感染防止ではなく、ただコロナ文革に背く者たちを炙り出して生贄にすることが緊急事態宣言の目的と化した。
この世に人身御供が蘇ったのである。

今、感染源のトレンドは職場と家庭だそうだ。
なら飲食街より全世帯の家庭と全国の職場に火を放って根絶やしにしたらどうだ?
そうすればコロナ撲滅も近いぞ。
コロナ文革原理主義者はコロナ以外の一切の事象は存在しないことになっている。
だからコロナ以外で人が死のうが、経済、文化、芸術が崩壊しようが知ったことではないのだ。
そんなコロナ文革原理主義者のプロパガンダを妄信し、挙句、盲が盲を引いて夜の高速を逆走しているかのごとき様相は笑うしかない。

このブログでは昨年よりずっと、この出鱈目なコロナ禍を糾弾してきた。
今頃にになって理不尽な休業要請に疑念を持ったところで遅すぎる。
無邪気にコロナ禍を真に受けた愚かさに罰が下ったのだ。
もはやコロナ変異種がコーヒーにクリープを溶かし込むのごとく浸透する状況において感染ゼロに固執している様は「頭の病気」である。
コロナ禍とは狂人の戯曲だ。
それがコロナ文革原理主義の正体。

コロナウイルスが変異し続け、人類と「仲良くしよう」と努力を惜しまない今、我々が成すべきことはコロナウイルスとの融合以外に道はない。
人もコロナウイルスに礼を尽くし、速やかに感染して抗体つくりに精を出し、コロナウイルスを取り入れて更なる強靭な抵抗力を獲得するのが地球生物として当然の必須通過儀礼だ。
人為的なワクチンは欺瞞に過ぎない。
変異とは進化であり成長である。
人間もその変化に合わせて「大人」にならねば地球に住めない。
取るに足らない寿命全う寸前の命に固執すればやがてその種は滅びる。

これまでの近代人間文明社会は当然の如く、それを実践し、多少の犠牲を乗り越えて成長してきた。
数多の感染症は甘んじて受け入れてきたのだ。
そしてその先に未来を築いてきた。

しかし、今日、地球生物総体を司るこの普遍的ルーチンを無視した「コロナ文革」原理主義が全てを破壊した。
狂った机上の「人間のみが潔癖であるべき」という選民思想を全人類社会に押し付けた挙句がこの有様だ。

この新緑のシーズンに石の下の虫のごとく闇に篭ってもコロナは消えない。
消えていくのは人間社会。
自ら墓穴を掘る様に天の神は嘲笑していることだろう。

このコロナ文革原理主義者の演出した「狂人の戯曲」に盲従し続ければどうなるかは容易に予想出来る。
ゴールデンウイーク後も結局感染者は減らず、緊急事態宣言は全国に拡大して延長。
コロナ文革原理主義者は「この程度の規制は生温い!ロックダウンで締め付けろ!」とマスコミ紅衛兵を焚きつけて市民に更なる行動規制を強要する。
6月にはオリンピックも正式中止。
これまで緩和されていたプロ野球や数多のスポーツ、イベントも完全閉鎖。
学校、公共交通機関、病院、スーパーすらも閉鎖命令。
人々は必要最小限の生活用品すら手に入らなくなり、困窮をきたしたままひたすら閉じ籠るしかなくなる。
更に日本医師会の命令によりコロナ狂信者からクメールルージュのごときコロナ自粛督戦隊を編成し、街に出歩く民を片っ端からこん棒で殴打する運動を開始。
街はゴーストタウン化。
そこに「8割おじさん」が分科会総裁に就任。
「これも手緩い!コロナを撲滅するためにはクラスターが発生しそうな地域に生きている人間ごと火をつけて焼却せよ。それが私のコロナ収束シュミレーションには必須要綱だ!」と宣言。
コロナ文革の犬である各知事、行政当事者は盲目的にその通達を実践。
コロナ督戦隊を使って鳥インフルエンザの家畜の如く、数万人を一気に焼き殺す「超法規的緊急コロナ感染対策」が実践されるだろう。
それでもコロナ感染者がゼロにならない。
怒りを増した「8割おじさん」は「サボタージュする勢力がこの社会に隠れているのだ!反コロナ文革勢力を炙り出せ!」と命令。
マスコミ紅衛兵は連日「反コロナ勢力摘発キャンペーン」プロパガンダ放送を繰り返す。
人々はコロナ文革に疑念を抱く発言も許されなくなり、お互いを監視しあう。
密告が奨励され、コロナ文革に批判的な発言、書き込みをしたものは即刻、コロナ感染防止法によって逮捕拘束される。
8月、オリンピック中止で空いた国立競技場には反コロナ文革政治犯が何万人と収容されて、猛暑の中バタバタと死んでいく。
一方、欧米からのワクチン輸入も結局大半がキャンセル。
僅かに残ったワクチンはコロナ文革指導者や日本医師会に独占され、一般市民には永遠に行き渡らない。
それでも感染者は減らないとなると、コロナ文革原理主義者は、身内にスパイがいると疑い始め、内部で権力闘争がはじまる。
もはや感染対策そっちのけでカルト感染学者派閥と利権医師会派閥が血で血を洗う抗争を展開するだろう。
インフラは崩壊し、コロナ以外で人々はバタバタと死んでいく。
9月には街に餓死者も出る。治安は悪化。
社会は混乱の極みに達し、自衛隊のクーデターや外国軍隊介入も始まり、もはや尋常な社会は永遠に失われることとなろう。
これがコロナ文革原理主義に盲従したなれの果てだ。

この期に及んで緊急事態宣言に従うことは、狂ったコロナ文革原理主義者の人身御供として命を投げ出すことに他ならない。
そんなカルトイデオロギーにすべてを捧げるために人生があるのではない。
全ての正しき者は緊急事態宣言に対して徹底抗戦し、日常生活を実践することが、唯一「コロナ禍」を終わらせる原動力となる。
すでに多くの民は昨年のように盲目的に籠ることは拒絶し始めている。
もはやコロナウイルスよりこのカルトイデオロギーのほうに殺されてしまうと直感的に悟るようになったのだ。
全てを解放せよ。
あらゆる規制を撤廃し、むしろ活性化させればオリンピックすら開催出来る。
コロナ文革原理主義者との闘争。
緊急事態宣言には徹底不服従し、レジスタンスとして遊撃せよ。
それが唯一生き残る術だ。

緊急事態宣言で「禁酒法」並みの規制がかかり、世はアルカポネのごとく山高帽を被ってトミーガンを構えるのがトレンドだそうだ。
さればその銃口は誰に向けられる?
自ら混乱を招いた勢力はもう枕を高くしては寝られない。


2021年04月10日(土) 今年のGWは「コロナ自粛不服従宣言」

先日、以下のようなニュースが流れた。

「新型コロナウイルスに関連する死亡者が見逃されていないかを調べるため、厚生労働省の研究班が去年9月までの全国の死亡者数の推移を統計学的に分析した結果、死亡者が著しく増えるなどの影響はみられなかったと発表しました。」
(4月7日付NHKニュース)
つまり、そういうことである。
仮にコロナが未曽有の感染症で著しい致死率で人を死に至らしめる重大なパンデミックであったなら、少なくとも「超過死亡率」は著明に増えるはずだ。 
しかし、統計上そのような著しい数値が現れていないとするならば、この「コロナ禍」は、少なくとも日本では取るに足らない事象であった事が証明されている。
推定するにこの冬もインフルエンザの代わりにコロナが卓越しただけで、それも普段のインフルエンザ流行より穏やかだったと。
もはや恐れるに足る病ではなかったということ。
結局のところ、「コロナ禍」なるものは、机上の理想論で世界を支配したい疫学偏狂アカデミズムが守旧的既得権者を唆して、政治思想運動化し、それに乗じた国際的製薬、ITコンツェルンが利益拡大の梃子として利用するための、まさにフォンデミックそのものであった。
こうしてコロナの恐怖を煽り、市民を扇動、洗脳し、あらゆる文化、芸術、表現、行動の自由を委縮させ、コロナという「一神教」に染める、いわいるコロナ文革が2020年より野火の如く、全世界に広まったのである。
これはかつての共産主義や、毛沢東思想と同じく、「人民の恒久平和、平等、利益配分」を謳っていながら、実態は人民の抑圧、弾圧、計画経済の挙句、何千万の餓死者を出した過ちと同じ道をたどっている。
ほんの一握りの狂信的疫学マッドサイエンティストがスターリンや毛沢東、ポルポトに成り代わって、人民を疫学思想によって計画支配しようとした挙句のカタストロフと言えよう。
もはやコロナ文革は失敗している。
「人間だけが潔癖で如何なるウイルスにも侵されざる事なかれ」等という狂信的潔癖経典で全世界を洗脳し、遍くワクチンという「焼き鏝」で服従の証とする行いに科学的正当性は微塵もない。
一刻も早くこの忌まわしいコロナ文革というイデオロギーカルト宗教の過ちを認めることが喫緊の課題となっている。
にも拘らず、未だにコロナ文革に扇動されたマスコミ紅衛兵は、もはや無意味となった毎日の感染者数と変異株の恐怖を煽り続け、市井の民を騙し続けている。
一年前、最も屋外で過ごしやすいGWを非科学的妄言による緊急事態宣言よって台無しにしたあの「悪夢」をコロナ文革下手人は今年も再現するつもりらしい。
だが、一般市民の反応は昨年と様相が一変し始めた。
2020年は知識不足で簡単に騙され、自粛扇動に従わざるを得ない者が多かったが、今年はもうコロナ文革の犬である都知事や医師会、マスコミ紅衛兵のデマゴギーに公然と逆らう様子が覗える。
そう。このままでは身体が持たないことに皆気づき始めた。
人生は「コロナ自粛」のためにあるのではない。
新型コロナが本当に恐ろしい感染症であれば、それこそ誰に促されることもなく、人々は家に籠るだろう。
しかしこの一年、そんな恐るべき事象は何も起こらなかった。
ただただメディアが煽っていただけではないか?
にも拘らず、何のための自粛なのだ?
海外ではロックダウンしたとて感染拡大は防げなかった。その何十分の1しか重篤、死者数しかない日本で何故「医療崩壊」やら「外出自粛」が1年経っても強要されねばならないのか?
いったい誰のための「自粛」なのか?
どこぞの既得権保身のための「自粛」なのか?
そんな疑念がもう市民の中でどんどん膨らんでいるのだ。
もはやコロナ禍自体が疑わしい、怪しげな存在として漂い始めた。
昨年に引き続き、自粛と在宅を強要され続けたとて、いったい何になるのだと?
我慢したとて感染者数など減るはずもないのに。
このブログで昨年より耳のタコが出来る如く、繰り返しているが、2009年の新型インフルエンザ時には累計900万人程が感染したのである(2009年11月20日に国立感染症研究所発表)。
だからこのコロナだってその程度の感染者数になってもおかしくない。
それで何か起こるか?
否。何も起こらない。
何か起こるようだったら2009年に日本は新型インフルエンザで壊滅的打撃を受けていただろう。
では2009年のニュースを振り返ればよい。
そんな恐ろしいことが起こった記録など残っているのか?
いや、いかなるカタストロフは微塵も、ない。
そう、だからそういう事なのだ。
今次のマスコミが流す感染者数など、もはや何の意味もない。例え数が100万単位になったとて何も起こらない。
4波来ようが100波来ようが何も起こらない。
おかしいのは医療体制のほうで指定感染症2類に留めておくことが異常であって、5類にすれば「医療崩壊」など起こりえない。
5類相当の感染症をコロナ文革思想バイアスで2類に留めておくことが諸悪の根源であることは火を見るより明らかなのだ。
変異株も同様で、ウイルスは常に変異するのがスタンダード。
変異しないウイルスなど存在しない。
変異株が恰も異常で危険な状況と煽るのもコロナ文革の非科学的デマゴギーたる所以である。
これら数多の扇動デマゴギーに人々はうんざりしているのだ。
コロナ恐怖を煽り続けることがコロナ文革の生命線であるならば、連中は新たな感染者数と変異種を未来永劫恐怖を煽る材料として世界が終わるまでひたすら永遠に流し続けるだろう。
コロナは存在し続ける限り変異し続けるから感染者はゼロになることもない。
この未来永劫終わりのないデマゴギーをひたすら繰り返すつもりなのだ。
これを信じ続けるならば来年、再来年、10年、100年経っても、いや宇宙終焉を迎える何十億年後もこの「コロナ禍」は続いていく。
ゴールデンウイークも永遠に「自粛」だ。
だがもはやこの欺瞞は崩壊しつつある。
プロ野球等も昨年とは違い、観客を入れ開催しているし、その他スポーツも完全中止にはならない。
この期に及んで再び緊急事態宣言を発布したとてもはや実効力は薄い。
強行したとてこれまでのようにはいかない。
もはやコロナの恐怖を煽ることで成立する机上の空論たる疫学偏狂アカデミズムによるフォンデミックは袋小路に差し掛かっている。
やがてこのコロナ文革に盲従した者たちの間で内紛が始まるだろう。
コロナ文革をあくまで遂行貫徹したい先鋭派と、コロナ文革に逆恨みする分派との「内ゲバ」みたいな状況が醸し出され、ますます一般市民からコロナ文革は見放されていくだろう。
中国文化大革命や民主カンプチア同様の末路を辿ることは想像に難くない。
しかし、その終焉はまだまだ先だろう。
このままでは今年のGWもコロナ文革の扇動によって悲劇は続く。
せっかくの名勝地の見事に咲いた花々を自ら薙ぎ倒したり、人々の心を癒す楽園を敢えて破壊したりと「一家心中」的な惨劇が昨年に続いて繰り広げられる。
まるで前大戦時のサイパン島万歳クリフや沖縄玉砕をみるがごとし悲劇である。
だがコロナ文革に洗脳されるとそれが「正しい行い」と錯覚するのである。
「人々に感染させてなならない」という良心が自虐的行為に走らせるのである。
しかし、それは全て不毛で無意味な行為だ。
もはや「コロナ禍」そのものが異様なマッドサイエンティストによるカルトイデオロギーに過ぎないことは次第に無垢な人々にも理解されつつある。
コロナ文革にこれ以上、帰依することは悲劇以外の何ものでもない。
もはやこんな狂ったGWを長引かせてはならない。
今、為すべきことは「コロナ自粛不服従宣言」を掲げ、一刻も早くこの「悪夢」から自由を取り戻す努力をすることに尽きる。
まともな日々を取り戻そう。


絶望皇太子