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2001年07月31日(火)  幸せと管理された言葉の関係

 それなりに幸せなのだ。
 中途半端に満たされているのだ。
 だから、溢れるようには言葉が出てこない。

 そこで、妙に満たされているこの状況を憂うことにした。

 そう。言葉がそれこそ溢れるように、流れるように出てくるときというのは、何かに感じ入っていたり憤っていたりするときなのだ。自分の内面をいつも通りにコントロールすることが、難しいとき。だから、だらだらと消費されていく時の中では、「まともに」何かを想うことができない。ラクといえばラクだけど、そんな自分はちょっともったいない、気がするような。しないような。
 穏やかすぎる流れの中では、何かが足りないと感じている。まぁ、物足りなさに気付ける自分が居るうちはまだまだ若いぞ、くらいに・・・。
 何が自分にとっての幸せなのか、最近やっとわかりはじめているのかもしれない。幸せなんていうのはいつでも個人的で、だからこそその辺には転がっていないと信じたい。簡単に手に入る幸せはいらないなんて強気な発言ができるほど若くはないが、あっけなく転がり込んできた「幸せ」がやはり「それなり」でしかないことには、4週間で気付いてしまった。気付かずにいられたら、当社比1.5倍くらいの幸せを味わえただろうに。それでも、この状況はどう見ても幸せの枠からはみ出さないところにある。だからこそ捨てられない。捨てられなくて困ってしまう、とか思っているが、本当に困っているのかどうかさえ怪しいものだ。
 と、いうわけで。多分、今取り出されてくる言葉はみんな管理されていて、みんなどことなく幸せの雰囲気を漂わせているのではないだろうか。

 なんて贅沢な文章・・・。


2001年07月26日(木)  ザ・ベリィ・ベスト・オブ・軽はずみ。

言葉なんて・・・基、私の言葉なんて、軽はずみなものだ。

言葉が軽はずみで何が悪い。
言葉が不用意で何が悪い。

いつだって、言葉には後悔が付き物だ。
0.3秒後に後悔することもあり、
3年後に後悔することもあり。
きっと、30年後に後悔することもあるんじゃないかと思う。

・・・それは、
口を突いて出てしまった言葉に限ったことではなく、
前の晩から考え続けてやっと放った言葉にも、同じように言えることで。

それでも、まさに「その瞬間」、
言葉は生きていたのだから仕方がない。
その言葉は、どんな理由にせよ、どんな状況にせよ、
「その瞬間」に発される必要があったのだから、仕方がない。

少なくとも言葉に関しては、こういう風に考えたりする。

今日のまとめ。(あくまでも自分へ贈る言葉。)
「言いたいことは、言ってみましょう。」


2001年07月15日(日)  改めて。

親友は天才かもしれない。

私にはできそうにないことを、次々とやってのける。
(・・・負け惜しみ?)

ただ羨んでいるだけの自分が居る。

=嫉妬?
=尊敬?
=崇拝?
=友情。

* * *
実のところ言葉なんて本当にどうでもいいのかもしれないし、
それともやはり、言葉があるからこそこうなのかもしれない。
* * *

K2Cのアルバムを軒並み聴きながら、
彼女の存在を誇りに想う。

必要不可欠。
それは、呆れるほど感じ慣れた、
未だ出逢うことのない奇蹟だ。
「必然」とかいうヤツだ。
「運命」よりももっと近くだ。


世界の終わりの無人島に1人だけ誰かを連れて行けるとしたら、
私としては、目下、彼女が第1候補なのだが。

彼女には捨てられないものが多すぎるし、

それは私も同様だ。

いやいや。
・・・世界はまだまだ終わらない。

* * * * *
逃げ出したいのは、ここからじゃない。
変わらなければならないのは他でもない自分だし、
そんな自分を簡単に切り捨てるわけにはいかない。

そんなことはだいぶ前からよくわかっているのだ。
だが。

変わることは、今でも少し怖い。
それに、やはり何より、ちょっと面倒臭い。
* * * * *

数式のようには満たされない。
かと言って、答えは完全に自由なわけでもない。

選ぶ権利が、動く力が、確かにここにある筈なのに。
この中に秘めている力は、現れて初めて、力になるんだろう。
表して初めて、力になるんだろう。
そうするためのチカラが、自分の中にあるのは、わかる。
なんとなくだけど、信じている。

* * * * *
望まれる人間に、なりたいんだろうか。
自分が望む人間になりたいんだろうか。
幸せに、なれるのだろうか。
幸せになっていいのだろうか。
* * * * *


そうして今日もオチがない;


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