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2003年10月30日(木) 骨髄ドナーにめぐり逢えぬまま

 昨日の正午、一緒にボランティアをやっている仲間の息子さんが亡くなった。
 白血病と10年以上闘った末、力尽きた。享年23歳。
 2年前までは病状も安定していて、自分の白血球の型と一致するドナーが現れるのを待ち続けていた。
 しかしそれはなかなか現れず、アメリカで劇的な効果が報告されているグリベックという薬を投与し一時は病状も安定したが、悪化したため骨髄移植をあきらめ臍帯血移植を去年行った。
 順調にその血液細胞は彼の体の中で増殖し続けた。これなら予後はいいはずと誰もが信じた。
 けれど、再発してしまった。
 もう後はなかった。
 賭けとして母子間寛容骨髄移植を行った。
 骨髄移植の場合、ドナーとレシピエントの白血球の型を一致させるが、この母子間移植は完全一致ではない。一致ではないが、かつては母のお腹の中で共生していたことから推し量るに、母子間には一致せずとも互いを受容できる何かがあるのではないか?という考えから行われる移植だ。
 結果云々ではない、後がない場合の願いを込めた賭けだ。
 しかし、結果は残念なものだった。

 今も、全国で1000人の患者さんが自分の白血球の型(HLA)と一致するドナーの出現を待っている。





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2003年10月27日(月) ここにあらず

 疲れたなぁ。
 苦しいなぁ。
 逃げたいよ。
 色んなものに。色んなものから。
 情けないけど、全てが空回りしているようで、自分がここに居ません。
 まじめくさった縛りを解いて、いっそもうダッシュで逃げてしまおうか。苦笑

 いや、違う。
 俺はもう既に完璧に「逃げ」の体制に入ってしまっているんだ。
 なのに、逃げの体制であることを悟られまいとして、隠すことに疲れ果てているんだ。
 「逃げさせて頂きます」とスッキリきっぱり宣言すればいいんだな。





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2003年10月19日(日) 慣らし運転

 2日間みっちり休養を取りました。
 とはいっても、デスクワークはやれるところまで詰めましたが。
 おかげで、歩けるようになりました。
 痛いのは痛いんですが、寝るときも、起き上がるときも、座っていても、立っていても、歩いていてもね。
 でも、苦になる痛みではなくなりました。
 まだまだ自然治癒力があるはずと信じる気持ちのおかげか、なんとかなるでしょうという暢気な性格の成せる業か、とにかく予想より早く復活できました。
 そして、ご心配頂いた方々の念力、これがなければまだ「うーうーうー」状態だったことでしょう。
 この場を借りて、ありがとうございました。心から。 





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 で。
 今日は慣らし運転として現場に行ったわけですが、ねぇ、そういう時って結果が良かったりするんですよね。
 気持ち的には可もなく不可もなく位のスタンスでお客様を訪問しているわけで、いつものように「モチベーションがどーのこーの」なんてことは考えていない。考えるつもりもない。
 なのに、結果はいつもよりいい。
 不思議ですね。
 だからって、明日からそのスタンスで仕事をしたとしても、結果が良くなるわけでもないし。

 そういえばこれまでも、例えば小学生の時習っていたお習字。
 納得いくまでひたすら書きまくる子、として俺は有名でした。
 先生だって帰りの(帰ってからの)予定があるのに、俺が書き終わらないから帰られない。
 でも俺はそれを知りつつも、出来れば書かせてほしいってガキでした。
 先生も、あなたが納得するまで書きなさいと言ってくれる人で。
 でも、だからって、そこまで入れ込んで書いたものが評価されるかっていうとそうでもなくて、『どう頑張っても書けない、けど提出しないわけにはいかない、うーぐーぐわぁ妥協もひとつの道』なんて感じで提出したものが評価されたりして。
 でも次からもそれが有効かっていうとそれは違くて。

 何はともあれ、慣らし運転、まずまずでした。


2003年10月16日(木) 休火山活動す

 連日悩まされておりました腰痛。
 とうとう今朝、わたくし歩けなくなりました。苦笑
 でも今日は午前中が来局日(放送局の営業部に取り次いだ契約書と報告書を提出する日)だったので、コルセットで腰をがっちりと固め、無理矢理脚を引きずって行ってきました。
 健康管理も仕事のうち!と言われまひひひひた。そうならないようにするのも仕事、なんだとか。
 なりたくてなったんじゃねぇってんだ!このボゲェ!笑

 一度家に戻って、それから病院に行きました。この病院の院長はゴッドハンドを持っています。骨大工職人です。笑
 あまりに痛いので、ズブッと筋肉注射を打ってもらいました。
 効きました。3時間くらい。少し楽になりました。でも、3時間でした。短っ…
 今はとりあえず痛み止めの薬を飲んで様子を窺ってます。コレで駄目ならボルタレン座薬を使おうかと。最悪2連続の使用までは許すと言われたので。

 軽い椎間板ヘルニアなんでしょうけど、この背骨は湾曲もしているそうです。逆Cの字に。
 もし痛みがひかない様ならMRIを撮って精検するそうです。
 結果イカンでは、ザクッと切られるのでしょう。
 潔くそれもいいかなぁ、なんて。





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2003年10月14日(火) 痛い…

 痛い。
 腰が、背中が、腕が、脚が、そして頭が。
 一昨日、脱輪した車をなんとか復旧させようと踏ん張ったのがこの痛みの原因。
 余程全精力を傾けたようだ。
 昨日よりはこの痛みも和らいだけれど、腰の痛みは余計に酷くなっている。
 笑えないくらい、痛い。苦笑

 しかし仕事を休むわけにもいかず、今日は出がけにミサ曲(声楽)を聴いて、自分の内面に安らぎを与え、何とか現場でのモチベーションを維持した。
 だからか。また痛みがぶり返したかもしれない。
 オゲゲ、だ。





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 ありがとう!


2003年10月11日(土) 過去がなけりゃ未来はない

 エンピツ作家さんの日記より。

 >将来、「私は誰なのか」が自分でちゃんと理解でき、自分の居場所ができたら、それが私の「ふるさと」だ。私のこれまでの30年の人生は「自分の居場所を作る」ためにあったといっても過言ではない。きっとこれからもそうだろう。私のふるさとは未来にしかないのだ。

 本来なら引用の許可が必要なのかもしれないけど、今回は無断借用で。

 この文章の作者は、懐古趣味は皆無なのだという。
 中学校、高校の同窓会に全く興味はなく、幼少の頃に流行った歌なども、懐かしいとは思うが当時に思いを馳せることはないという。
 現在が全てであり、昔は良かったなどと思い懐かしむことは愚の骨頂と考えているらしい。

 作者は幼少の頃、劣等感と孤独感と絶望感に苛まれていて、だから勉強と部活とピアノに全精力を傾けていたのだという。
 よくあるパターンである。
 俺もそうだった。いや。俺は部活と部活と部活だったけど。笑

 さて。
 俺はこの作者の考えには反対である。
 
 作者はこうも言う。
 最近やっと自分は仕事が出来ると客観的に思え、それは周りも評価してくれ、だから自分を肯定でき自信も持てるようになった。と。
 この事実はとても大きく、こう思えることは大事で、ここまで自分を持っていくことが出来た作者は掛け値なしに偉いと俺は思う。よくやった!と言ってあげたい。
 でもね、それは自分だけが偉いんじゃないのよ。
 思い出したくもない過去かもしれないけど、その時代があったから今の自分があることを、常に気持ちのどこかに持っていないと足元は簡単に掬われるのです。
 「いま、ここ」の自分を冷静に見ることと、思い上がることは完全に別物。
 過去を封印しての今なんて、あるわきゃねーだろーが。
 人間はけっしてひとりで生きてはいません。生きてもいけません。
 もちろん、そんな浅い考えで作者はこの文章を書いてはいないと思う。思うけれど、自分ひとりで突っ走り頑張ることが美徳だと思い込んでいる節があることは否めない。
 だから、俺はこの作者の言っていることには反対だ。

 ある程度生きていれば、触れたくも触れられたくもない過去なんて誰でもある。
 だからって、未来にしかふるさとはないなんて自虐的な思想はよした方がいい。
 なぜなら、その思想は、自分の居場所を探し必死に生きるこの今を、未来に完全否定することでしかないのだから。
 そして、その思想に安息の地はないのだから。未来永劫。

 と、他人の文章にイチャモンをつけてみました。
 でもだからって、マイ登録を削除したりはしませんよ。
 そんな考えの人がいるんだなって気付かせてもらえたし、だから(ん〜俺はどう考えてる?)と自問する機会を与えてもらったんだから。





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 何があったのかというと、車が脱輪して何とか自力で復帰させようと車を持ち上げたのでした。
 でも、駄目でした。
 入会12年。3度目のJAF出動を依頼しました。


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