ラスベク変換
DiaryINDEXpastwill


2003年07月31日(木) 偉大なクリエーター

 前日の後書き日記の続き。

 葉祥明さんの美術館が北鎌倉にあるのですが、去年の3月に妻と一緒に行ってきました。
 朝の7時にこちらを出て、町田の駅前でとんでもない渋滞に巻き込まれて美術館に着いたのは3時半。
 実に8時間半のドライブ。
 でもね、葉さんの絵を見たら疲れなんてどこかに行ってしまいました。
 ちょうどその日は展示画の架け替えをやっていて、帝国ホテルでお会いした堀内重見さん(葉さんの秘書兼息子)も居り、なつかしい再会をしてきました。
 また行かなきゃいけないところです。

 この時は前職を辞めて次のステップへの充電として行ったのですが、美術館以外に箱根の星の王子様ミュージアムにも行きました。
 ここには前職の時にクッキーを納品する仕事をやっていたので、この機会に行ってみようと思っての訪問でした。
 なかなかいいところでした。
 厚木に住んでいる友達にも同行してもらって、ささやかな癒しを体験したわけです。
 ここはもしも行く機会があったら行ってもいいかな、くらいの感想でしたが。笑

 著作権については目をつぶってください。
 葉さんの詩を紹介させて。


 「我が親しき友」

 あるかなきかの儚い幸福を徒に追い求め、さまようより、むしろ、苦悩を親しみ深い友とするほうが、私にとっては間違いがない人生を送れるような気がする。


 「自分に恋しなさい」

 自分を嫌ってはいけません。
 自分を敬いなさい。
 自分に恋しなさい!
 そして、自分自身に
 最高の人生を
 プレゼントしなさい。
 あなたはそれだけの
 価値ある存在です。


 これらは心の中にいつも持っていたい
 宝物のような言葉です。

 幸せ、希望、安らぎ、
 喜び、楽しさ、
 優しさ、思い遣り、
 助け合い、慰め、
 励まし、声援、勇気、
 信頼、安心、
 感謝…







↑エンピツ投票ボタンです ポチッと押すと、特別なことはないけど

My追加


2003年07月30日(水) 偉大な変人画家

 現代日本を代表する変人画家(私が言ったんじゃありませんよ)おふたりに私はこれまでにお会いしました。
 これは、どうだいいだろうといった気持ちを込めた自慢話です。笑

 ひとりは、「葉祥明」さん。
 上の変人画家と称したのは葉さんです。
 皆さんこのお名前に聞き覚えはなくとも、絵を見れば誰でも知っている方。
 ひろーい海や草原が画面いっぱいに描かれていて、その中に小さく人間や動物や家が表現された絵。
 よく見る絵です。
 葉さんとは前職時代に帝国ホテルでお会いしました。
 と書くとさも大仰な話に聞こえますが、全くかしこまった感じでの対面ではなくて、ちょっとした仕事の打ち合わせとしてたまたま帝国ホテルのラウンジが都合よく使えたというだけの話なんですけどね。
 人生をよく楽しんでいるということがストレートに伝わってくる元気な人でした。

 もうひとりは、「星野富弘」さん。
 そうです、口で絵と字を書くあの星野さんです。
 星野さんとは、私の住む街で展覧会があって、その前夜祭の席でお会いしました。
 葉さんとは個人的な話をメインに出来ましたが、星野さんの時は外野も少しいたのでそこまでのお近づきにはなれませんでした。でも、しっかり記念写真を撮って大事にしています。

 二人の共通項はいくつかあります。
 まず、二人ともキリスト教徒です。
 そして、詩人です。
 男です。「でも」、なのか、「だから」、なのか繊細です。
 そして一番の共通項は、二人の中には神がいます。
 もちろんそれは具現化されたものではありませんし、二人が神なのでもありません。
 彼らの中には確かに神がいたのです。そう感じたのです。
 超人という形容詞が合うような。
 当然、絵という表現方法の上では技術や計算が必要です。でも、そこに付加された超人性があの私たちに迫ってくる絵となることが実感できたおふたりとの対面でした。

 せっかくこんなすごい人達とお知り合いになれたのに、わたしは頑張りが足りないんだよなぁと思う今日この頃です。
 反省。






↑エンピツ投票ボタンです ポチッと押すと、特別なことはないけど

My追加


2003年07月29日(火) ベートーベンの第九

 仕事の途中でトイレを借りに大学病院へ行った。
 ロビーでプロの演奏家がギターと民族楽器(見たことのない楽器だった)を奏でていた。
 大勢の患者さんと病院職員が鑑賞していた。
 いい音色だった。
 私も混ぜてもらって演奏をBGMに本を読んだ。

 えへっ。
 トイレを借りに行ったのに何故に本なんてあるの?
 えー最初から読むつもりでズボンのポケットに忍ばせてました。
 本のタイトルは、「手術室の中へ」
 麻酔について書かれた本なので、ボランティア活動の参考にするために読んでます。
 こんな本が出るのを待っていたので嬉しい1冊です。

 演奏も終わり、本もちょうど区切りがいいところだったので車に戻りNHK-FMをかけました。
 すると何ということでしょう。
 ベートーベンの第九が流れ出しました。
 あーもー仕事どころではありません。
 私の第九への思い入れは強い。聞かなきゃ仕事にならない。でも聞いていたら仕事にならない。
 もちろん聞き入りました。どっぷりと。

 高校時代、唄ったんですよ、第九。
 オケも高校生、合唱も高校生。
 私の県は合唱王国なのですが、オケだって負けてはいなかった。
 演奏が終わって客席から、「ブラボー!」の声が飛んだ時は、もうウルウルでした。
 あんな演奏、またしたいなぁ。
 あの時タクトを振ってくれた先生は天国に逝ってしまったけど、あの場であの時間を表有したみんなの気持ちの中では生きているだろうなぁ。
 音楽はいいものですよ。






↑エンピツ投票ボタンです ポチッと押すと、特別なことはないけど

My追加


2003年07月28日(月) 地球に爪あとを残す

 別におちょくるつもりで前日分の日記を書いたわけではありません。笑
 味噌ラーメンを食べたくなったから書きました。
 文は昔自分で作ったものです。

 何となく今日は(も)気乗りしないのでまだ現場に出ず、こうして家にいます。
 昨日頂いたご契約を1件今日の分に回したので、最悪でも今日の日当は確保したし。苦笑

 いま、小柴昌俊さんが書かれた、「心に夢のタマゴを持とう」(講談社文庫)を読んでいます。
 エンピツ作家さんの日記で紹介されていて、すごく読んでみたくなったもので。
 大きな字で書かれています。読み仮名も振られています。小学生でも読めるように。
 内容は3つの講演でお話されたことのダイジェスト版的な構成で、ひとつは小学生を対象にした講演です。
 いい本です。

 小柴さんは言います。
 「あなた方ね、自分のこれからの一生の間に、これをやりたい、やり遂げたい、あるいはこれを理解したい、なんかそういう目標になるタマゴを三つか四つ、いつも大事に持っていなさい」
 するとどんないい事があるか。
 「今の世界には色んな情報がたくさんあふれている。そうすると、一体どの情報を取り入れたらいいのかということが分からないわけだ。だけれども、自分がいつかはやりたいと思っている目標を三つとか四つ、いつも持っているとね、ある情報を見たときに、『あ、この情報、これを使えば私のこのタマゴは鳥に孵すことができるかもしれない』あるいは、『あ、こういうことがやられちゃったらこのタマゴを孵す可能性はないな。じゃほかのタマゴと取り替えよう』こういうふうに、自分の必要な情報というのをちゃんと選び出すことができるわけ。これは大事なことだと思うんですよ。

 小柴さんは最後に小学生にこう語ります。
 「地球に爪あとを残すような仕事を残せるように、どうぞがんばってください。」

 この文章のあとに、小学生から小柴さんに宛てた感想文が載っているのですが、やはり小学生の感性は豊かです。難しい話なのに(それを分かり易くお話している小柴さんはすごい。幅のある学者さんですね)きちんと受け止めているのが分かります。

 3月25日に書いた私の日記に、小学生の詩が書いてありますが、この感性を失うことなくいたいなぁと思います。

 私は今日も、自分の居場所探しをしています。たぶん、死ぬまで分かることはない自分の居場所。
 現に居た場所。
 居ようとした場所。
 残せるだろうか、自分の居た証としての爪あと。






↑エンピツ投票ボタンです ポチッと押すと、特別なことはないけど

My追加


2003年07月27日(日) 味噌ラーメン

 何種類かの検索エンジンから、「お煮しめ」でこの日記にたどり着いている方がおります。
 …。笑
 思うでしょうねぇ。
 え?なんだ?なに?

 たまには料理の話でも書きます?

 “味噌ラーメン”

 無性に旨いものが食いたくなったのでさて何を食うかなと考えたら味噌ラーメンしか思いうかばなくて材料を買いにスーパーまで行ったら出来合いの旨そうなものが沢山並んでいてひとつ手に取って見たらとても高くてそっと元の場所に戻した。

 男の俺が買い物をしていると不思議そうな顔で見るご婦人がいるけどそんなことはもう気にならなくて本日のサービス品を見ては微笑みこれならラッキョウ漬けの一袋も余計に買ってしまおうとさっきのご婦人と同じようなことを考えたりする。

 母の障害者年金から買い物をするからではなく俺にとって味噌ラーメンはやっぱり旨いものでにんにくとニラを入れて食う味噌ラーメンはいま負けたらおしまいだと言っているもうひとりの自分が泣いて喜ぶこの上ないご馳走なのだ。

 味噌ラーメンはのびると旨くないので少し硬めにゆでて食い終わる頃ほど良い硬さになるのがベストでかくありたいと願いながら開き直ったすえ現れたこの世界で生きている俺は箱庭を作るような気分でにんにくの入った味噌ラーメンを作るのだ。

 俺は元気だ。
 味噌ラーメンが旨い。

             1990.11.06作






↑エンピツ投票ボタンです ポチッと押すと、特別なことはないけど

My追加


2003年07月26日(土) 宮城県沖地震

 地震です。

 20年前の宮城県沖地震以来、次に来る地震への警鐘は出ています。

 ここ10年内に88%、第二の宮城県沖地震が発生すると言われています。
 ここ30年内に99%、第二の宮城県沖地震が発生すると言われています。

 12%来ないのではありません。
 1%来ないのでもありません。
 必ず来るのです。

 今日の地震はこれとは関係ないようですが、関係ないというだけで、宮城県沖地震の発生が先延ばしになったわけではありません。
 いま、来るかもしれない。

 怖いです。






↑エンピツ投票ボタンです ポチッと押すと、特別なことはないけど

My追加


2003年07月23日(水) 冬の花火

 冬の花火

 花火を見るのが好き
 浴衣に突っ掛けで町の花火を観に行く
 見物人は皆笑顔で僕の心も弾む

 夏の花火は威勢がいい
 短い命を完全燃焼している
 でもそれは
 花火の持つ一面でしかないようだ
 ふと僕は思う

 年末に花火をやった事がある
 冬支度をしていたら出てきた
 夏にやり残した花火だった

 冬の花火はもの哀しい
 夏に登場させられなかった恨みが
 閃光として宙に舞う
 その光には夏では見られない
 花火の深さがあった

 みんなが注目している時には
 努めて明るく振舞ってくれる
 そんな花火にも哀しさはあるのだろう

 僕も花火の様な
 優しく力強い生き方をしたい
 求められれば与えられる
 そんな深い心の人になりたい
 冬の花火を見てそう思った

         1993.9.30作
         2003.7.23改作

 10年前に、こんなポエムを作っていたのですね。
 少し手を入れてのご紹介です。

 そんな簡単な話ではありません。
 それは分かりつつも、10年前と今でその考えに違いがないことを確認しています。
 ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために。
 そんな世の中であったなら…。






↑エンピツ投票ボタンです ポチッと押すと、特別なことはないけど

My追加


2003年07月21日(月) NSP

 昨日は移動の日でした。

 まず、結婚式にお呼ばれだったので、家から80キロ南に新幹線で移動。
 式を終え、今度はそこから180キロ北へ新幹線で移動。
 NSPのコンサートを観てきました。

 NSP?この日記を読んで下さっている方には馴染みのない名前でしょうね。
 実は私もよくは知らないのです。
 70年代を代表するフォークグループです。
 友達が(私のお友達の年齢層は幅が広くて、どちらかというと上の方が多いもので)観にいくから付き合えというので行ってきました。
 まぁ、結婚式にかこつけて仕事も休みにしてもらったので、いい息抜きだぁと楽しみにしていました。

 聞いたことがある曲は3曲しかありませんでした。
 でも、良かったですよ。
 尻切れトンボ的な歌い方も、ファラセット(裏声)の効果的な使い方も、ギターテクも、飾らない喋りも、優しい気持ちになれるものでした。
 16年のブランクの末に昨年再結成して、これからもがんがん活動していくそうです。
 元気な40代です。

 でね、本当はそこからまた100キロ南に新幹線で移動して戻ってくるはずだったんです。家にね。
 ところが、コンサート会場を出て安い寿司屋で一杯やっていたら時間が押していることに気が付いて、急いで駅に行って切符を買って改札になだれ込んだら、「あー今日は休日だからいつもの最終列車ないんですよ」だとっ。
 仕方なく駅前のビジネスホテルに泊まって今朝早く帰ってきました。
 私と、妻と、友達のお馬鹿な3人組でした。

 おかげで今日の仕事の準備が不完全だったもので、とほほな結果でしたが、明日頑張ろう。






↑エンピツ投票ボタンです ポチッと押すと、特別なことはないけど

My追加


2003年07月19日(土) オリンピック作家

 ●人は生きるために生まれてきたのだから

 私の友達が5年ぶりに本を出しました。
 上がそのタイトルです。
 講談社刊で1600円。
 17日に出たばかりなのに、在庫あとわずかって何?

 いま出版は厳しい状況ゆえ、売れる自信がないものは本当に少なく発行するそうで、今回もその弊害のようです。
 売れるんだからしっかり印刷しろ!講談社!
 おかげで私もまだ読めないんだぞ!

 著者は大石邦子さん。年齢は女性なので伏せますが、私より20くらい上です。
 車椅子の作家です。
 これまでに8冊やはり講談社から出版していて、今回が9冊目です。(だったよなぁ?)
 とても優しい文体で、泣く人がたくさんいます。
 身近な人の死に遭いすぎて涙の枯れている私も何度か泣きました。

 この大石邦子さん。文章もそうですが、喋りも聞く者に深い感動を与えます。
 だから、こんなのもありなんですが…。
 大石さんは下半身が動かないのでお風呂に入るのも大変です。と同時にお風呂を洗うのも大変です。
 なものですから、その日は湯船に浸かりながら明日のお風呂掃除を考えお湯を抜いておこうと考えました。
 しかし。
 お湯を抜いてみて大石さんはハッ!としました。
 そうです。お湯の浮力があるから湯船から出られる大石さん。お湯を抜いたらもう動けません。
 しばし唖然。そのまま呆然。どうしようとパニック。あーあーあー困った。出られない…。
 でもこれって、お湯をもう一度入れてやればいいだけの話。何も難しいことはない。
 あーなのに、大石さんが、「私は本当にその時困ったのでした」と喋ると、聞いている方はなるほどぉと考えるのです。
 私たちがこの話を披露したところで、「ははは、ドジだねぇ」と鼻で笑われておしまいなのに。大石さんにかかるとこれが一つの講演ネタとして成立してしまうのです。
 ズルイと思いません?






↑エンピツ投票ボタンです ポチッと押すと、特別なことはないけど

My追加


2003年07月18日(金) 機関銃な夜

 行ってきました、研修会。
 そこそこためになる話も聞け、同じく日々黙々と活動している同志の話も聞け実りはあったかと。

 それはさておき、結局行きました、夜の街。
 崩れていた体調も、夜までビッシリ聞かされ続けた講師(局のとても偉い人たち)の話でもっと崩れるかと思いきや、なぜだか反作用。
 毒をもって毒を…。? 笑

 お邪魔したのは、行き付けの飲み屋。
 凄いと思いません。他県の飲み屋に「行き付け」があるんですよ、私。
 過去に2度しか行ったことないんですけど。笑
 そこの店22時閉店なのに、私が行ったのはその10分前。
 だって電話を掛けて、「行きたいんだけど」と告げたら、「待ってるから来て」って言うから。
 ぐふふ。
 これだけだと読者の皆さんは、あー女の子のいる店に鼻の下長くして行ったのね、とお思いのことでしょう。
 でも違うんだなぁ。
 待ってるから来てと言ったのは親方。確かに奥さんも店に出ているから女の子がいたことに違いはないけど。

 いやぁ、機関銃のように喋りまくりました。
 私は営業を生業にしていながら、実は喋りは苦手です。(いや、さすがに今は苦手だったと言い直してもいいかなぁ。ボランティアで講師なんかをやらされて、意識的に苦手意識を克服したから)
 でも、アルコールが入ると途端に滑らか〜になるんです、私のタラコ唇。
 大げさに言うと久方の人生哲学をお喋りしてきたのですが、向こうもそれを聞きたくて閉店時間を延長した節があって、とても喜んでもらえました。
 講演料としてビール1本頂きました。笑
 で、お勘定は深夜割り増し込みで1000円ポッキリ。10000円じゃないですよ、千円です。
 感謝感謝ですね。
 私の身勝手な哲学を、私が喋りたくて喋って、夜中の1時過ぎまで親方に無理矢理聞かせて、挙句にただ同然のお勘定で。

 妻が過去に私をこう評しました。
 「この人は噛めば噛むほど味が出るスルメみたいな人」と。
 知れば知るほど、こいつの考えていることは「一般」とか「常識」とかでは測れないところにあるから、もっと知りたくなるようです。
 そうですね、私自分のことを小出しに話してますね。
 ってことは、あと2回くらいは1000円ポッキリで飲めるかな、親方の店で。爆

 全8回コース。
 久方堕世のなんちゃって人生哲学。
 聞きたい人、います?爆






↑エンピツ投票ボタンです ポチッと押すと、特別なことはないけど

My追加


2003年07月16日(水) 思いがけないオーラ

 7月8日の日記に書きましたが、明日は地区ブロックの新人研修に参加です。
 35歳(すぐに出てこないんですよ、この年齢が。ちょっと考えないと。マジで。)にして新人。
 ふふふ、なんか複雑。

 少ない休日、貴重な半休を潰しての参加。
 体調も良くないので本当ならゆっくり休みたいところですが、そうも言っていられないわけで、行くからには何でもいいから吸収してきてやる。
 ついでにもしも高慢ちきで高飛車な参加者や職員がいたら、この具合の悪さをうつしてきてやる。
 って、私が一番の高慢ちき野郎だったらどうしよう…。

 明日は泊まりだから夜の繁華街に繰り出す時間があるのかなぁ?
 でも、この体調で無理するのは自殺行為か。
 おとなしくお部屋で大人のビデオでも鑑賞するか。
 でも、大人のビデオも大して興味ないしなぁ。
 大体においてどんなホテルで、タイムスケジュールはどうなっているのかも私は知らないのです。というより、知らされていないのです。
 変でしょ!
 夜まで座談会したりしないだろうなぁ。

 私の体調が良くないことを察知して、局の主任が電話をよこしました。
 私の体調を純粋に心配しているのか、私の出す数字を結局心配しているのか分かりませんが、まぁどちらもでしょうけど、今日の私は野生の勘が冴えていて12人としかお会いできなかったのに7件の取次ぎでした。
 あり得ないことです。通常なら20人お会いしてやっと2件くらいですから。
 人間、自分を過信できない状況にあるとき、思いもよらないオーラが出ることがあるのかもしれませんね。






↑エンピツ投票ボタンです ポチッと押すと、特別なことはないけど

My追加


2003年07月12日(土) 宗教について

 エンピツ作家さんの日記を拾い読みしたら、ってひとつだけなんですけど、同じようなシチュエーションで「宗教の勧誘」に遭っていたと書いてあったので私も。

 母が長期にわたって入院生活をしていたので、どこから匂いをかぎつけるのか宗教関係の方と、胡散臭い健康食品押し売りの方がよく訪ねてきました。
 結局、いつも決まって私の怒声を浴びて退散するだけなんですけど。
 私は、宗教を否定はしません。というか、新興宗教でも、訪ねてきてくれたからには聞く耳は持っていました。
 しかし!どの訪問者もいい加減にしろよこの野郎と思うくらいにしつこい。そして、必ずいくら(金)出してくれの話になる。
 世の中金です。奇麗事ではなく、先立つものが必要なのは確かです。
 でも、その拠出した金額によって病気が治ったり、幸せが手に入ったりはしない。
 また、その金と宗教を抱き合わせのセットで語るのは私の思考回路では理解できない。
 だから怒鳴り散らしてお帰り頂くのが常でした。

 病人は手垢の付いた表現ですが本当に藁にもすがる思いで闘病生活を強いられている方が多いです。
 だから、新手の宗教に入信している方も周りにいました。
 これを否定する気は毛頭ありません。
 その信じることが生きる希望となり、実際に病気が好転した方もいました。

 でも、私も母もそれとは距離を置いた宗教観を持っていました。
 何か自分が矢面に立って闘わなければならない場面では、自分の外に頼るのではなく、自分の内なるものと協調し反発し合いながら前に進むしかないわけです。たとえ入信していても、最後には。
 つまり、自分が教祖で自分が宗教。その自分教を揺るぎないものに育てるために、これまで誕生した宗教の教えを参考にしたり、自分流にアレンジしたりするだけで充分。
 どんな優れた宗教でも、そこに無心で存在できない限り本当の信者にはなれません。つまり自分の中に宗教をすっぽり取り込めない限り、自分の答えは出せないわけです。自分と宗教が同化し一体化しないと。
 だから、自分を捨てきれない私や母にはある特定の宗教を信仰するなんてことは出来ませんでした。 

 私の宗教は「なんちゃって宗教」で充分なのです。笑






↑エンピツ投票ボタンです ポチッと押すと、特別なことはないけど

My追加


2003年07月10日(木) カリアゲ

前日の日記はさっきアップしました。

 続けて今日の日記。

 今日は半日休暇を利用して髪の毛を切ってきました。
 やはり視力がかなり悪くなっていますね。
 私は髪の毛を切ってもらいながら読書をするのが楽しみなのですが、当然断髪作業中はメガネを外しています。
 今までも見えは悪かったけれど、今日は「ええっ?」と困惑してしまいました。
 医者に行ってもどうなるものでもないだろうし。
 げげっ、的心境です。

 私は床屋さんに行きません。
 高校時代から同じビューティーサロンに行っています。笑
 なぜ床屋に行かないか。
 それは、私のカリアゲ好きにあります。
 ありますよね、床屋独特のカリアゲ。オジサン然としたカット。アレが嫌なんです。

 私の髪の毛は筋金針金形状記憶合金入りの天然パーマなので、伸びてくるとくるくるくるくるとカールします。
 特に襟足なんかは顕著で、このくるくるも私の顔の造作がイケテいればオシャレなんでしょうけど、どうも濃い顔をしているので暑苦しくなるのです。見た目が。
 なもので、カリアゲるのです。
 私のここ6年のカリアゲはこうです。
 頭を後ろから見て横幅を10とすると、右2.5が五厘刈り、真ん中5が五部刈り、左2.5が五厘刈り。
 頭を真横から見ると、この五厘刈りの部分がくっきりとカリアゲだぁと主張しています。耳の上3センチくらいまでシャキイーンとカリアガっています。
 見様によってはモヒカン?でもありますが、床屋然カリアゲに対抗した私独自のカリアゲです。

 このビューティーサロン、腕は中の下なので、私の注文は毎度、「いつもの形で」なのに、その都度違う仕上がりになります。
 またその意外性もこのカリアゲをやめられない理由だったりします。






↑エンピツ投票ボタンです ポチッと押すと、特別なことはないけど

My追加


 マンガみたいな顔、だと。笑

 このご時世ですから集金が絡む場合、本当にコイツは信用していいのか?と不安になるお客様もいます。
 ですから、その場合は局に電話で確認を入れてもらうことを勧めるのです。
 それを受けてお客様が言ったわけです。
 「じゃぁ、電話して聞けばいいのね。ポチャッとした顔で、マンガみたいで、かわいくてきれいな顔をした久方さんて方居ますかって」
 ・・・・・。
 ねぇ、この年で「かわいい」と言われてどうするの?
 まぁ60代のお客様からすればそうなのかもしれないけど、ねぇ、んー、実はそう言われるの嫌いじゃないんですけど。爆
 昔からよく言われてたんです。マンガみたいな顔っては。
 この時も、自分で似顔絵を書いて見せたら大うけでした。


2003年07月09日(水) 新 テントの建て方

 仕事で歩き回っているのでとにかく色々な家(お宅)を見ます。
 大邸宅もあります。どんな悪いことをやるとこんな家が建つの?と思う家。笑
 ボロボロの小屋、もとい、家もあります。でも、衛星用の中華なべがバシッと取り付けられていたりします。
 古い家もあります。でも、外がすごく片付いていたり、花いっぱい運動会だったり、玄関がとても綺麗だったりします。
 ほんと、色々です。

 そんな中、今日は私の遊び心をすこぶるくすぐる家を発見しました。
 その家、外見はもの凄いボロ家です。
 ちなみに私の育った家もボロボロの家でした。ネズミと一緒に暮らしていました。苦笑
 それはさておき、今日の家。
 外見はかなりのボロで、普段は誰も住んでいない様子。
 でも、なぜか私を呼ぶ波動を感じ奥の間に目をやると、テントが張ってある、家の中に。笑
 で、その外には廃材を適当に集めて打ち付けただけのテラスがあり、キャンプ用のリビングセットが置かれていた。
 おおおぉぉぉ!これは私の趣味にぴったり。
 ついでによくこの家の外観を見てみたら、私が結婚前まで暮らしていた家より立派なことが判明。だって、家自体は真っ直ぐ建っていたもの。笑
 いいですよ、憧れますよ、こんな家で生活してみたい。
 でも、妻がこんな家では90%生活できないから無理ですけど。

 そうか、男の隠れ家としてどこか物色しようかな。






↑エンピツ投票ボタンです ポチッと押すと、特別なことはないけど

My追加


2003年07月08日(火) 合格理由判明

 7月17日に地区ブロックの新人研修があり、私の住む県からは2名が参加するそうです。
 どんなツワモノが参加するんでしょうねぇ。
 ま、で、その参加を前に私の担当職員が「久方堕世のプロフィール」を提出するそうで、「久方さんの生活信条は何ですか?」と聞いてきた。
 そんなのないんだなぁ…改まって人に伝えるような信条はない。
 でもそれじゃ困るだろうから、「自分にやれることがあったら率先してやる自分でいたい」と答えました。
 ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために、です。
 情けは人のためならず。私がアクションを起こし誰かの役に立ったとしても、その何倍も私には返ってくることが殆どなので、止まることなく私は何か行動を起こし続けていなければならないのです。
 生かされている自分を常に確認しているってことはあるかもしれませんね。

******

 昨日の夜、今日の仕事場の地図作りをやっていたら、あれ?これは先輩の家じゃない?というものを発見。未契約です。
 当然行きました、お宅に。
 やはり高校時代の先輩の家でした。
 でも、この先輩が未契約ということは、「何かある!」わけです。
 元気良く、「こんばんはぁ、久方でーす」と声をかけたら、「おーひさしぶりー」との返事。玄関を開けてくれ、まぁ入れと促され中へ。
 どうしたー?と聞くので、仕事の身分証明書を見せ、招かざる客として来ましたと訪問の意図を説明。
 すると、「おー知ってたよ、その仕事に就いたってこと」と言われ、私も、「えー分かってましたよ、先輩が知っていること」と返しました。
 実はこの仕事に採用されるに当たり、当然試験の中には健康診断もありまして、その健康診断を依頼している会社でこの先輩は働いているのです。
 「なんでもっと早く報告してくれなかったのよー仕事始めたことー。俺は勝手にだけど心配してたんだぜー」と言われました。
 で、です。
 前にもこの日記に書きましたが、検診時の私の肝機能は標準値の範囲外でした。歩いて頑張ってその改善に努めてはいましたが、まだ範囲を超えていたのです。
 なのに合格した。不思議だなぁとは思っていたのです。
 そうしたら、その理由が今日判明しました。
 先輩、協会の担当者との窓口をやっていたのです。
 そしてなんと先輩が職場の上司に、「この人、実は知り合いなんです。ここで異常の判定を出すと不合格になるから、経過観察として処理してください」と頼んでくれたらしいのです。
 おーなんということでしょう。笑
 先輩のおかげで私はこの仕事をさせてもらえるわけです。感謝しなくてはですね。

 あ、で、訪問意図の方は、上の事情に関係なくご契約を頂き、ませんでした。先輩は契約するよとは言ってくれたのですが。
 やはり先輩が拒否するからには正当な理由があって、ようは勘違いしている地域スタッフ(私と同じ仕事)が強引な契約勧奨(半分脅し)を以前に奥さんにやったらしく、そんなところと契約なんてする必要ない!となったようです。
 契約は受像機設置者の義務で、きちんとした法律もあります。だから契約するのは当然なんです。
 でも、だからと言って、強引に脅して契約を取っていいわけはないのです。
 インフォームドコンセントです。説明と同意。
 そんな基本すら出来ない人間がこの仕事をやっているのもまた事実なんです。
 私も日に何件も、そんな強引さに閉口して契約を拒否されているお客様と会います。
 はぁ、またかぁとその都度落胆しますが…。

 先輩からのアドバイス。
 その仕事、アルバイト感覚でやった方がいいぞ。
 なるほど、そう考えるともう少し楽な気分で仕事が出来そうですね。
 変に期待されているからプレッシャーも多いのです。
 ずーーーーーとやる仕事ではないし、アルバイト感覚に徹します。






↑エンピツ投票ボタンです ポチッと押すと、特別なことはないけど

My追加


2003年07月07日(月) こんな七夕

 7月7日は父の命日です。
 私は父の死を新聞で知りました。
 その日私はボランティアで東京に行かなければならず、出掛けにざっと目を通した新聞のお悔やみ欄に父の死は載っていました。
 急死だったようです。

 ほんと、東京に行く新幹線の中では、まぁ、あー、んーそうなんだぁ、という気分もありました。
 でもやはり最期の顔は見ておかなきゃだよなぁと思いだして、東京の会議を途中で退席して帰りの新幹線に乗りました。
 この辺のことは以前にこの日記に書いたことなので(今は残ってませんが)割愛するとして、結局私は父の最期の顔を見ることが出来ませんでした。
 向こうの奥さんの猛反対絶拒絶に遭って。

 未だにどこのお墓に眠っているのかも分からないので、線香すら上げていません。
 どこのお寺さんなのかは分かっていたので、そこの住職に聞いたりもしたのですが、分からずじまいでした。

 ただ。
 この七夕の時に亡くなったのは、おりひめとひこぼしよろしく、先に黄泉の世界に行った母とずっと一緒にいたくなったんだろうなぁ、だから生き急いで昇天したんだろうなぁと思っています。

 たまたま母と父は、タイミングがずれて出会った。
 そして、私が生まれた。
 不倫とか、私生児とか、なんか低俗な表現をされるけど、愛する気持ちが純であればその結果もまた純でしょう。
 そうでも思わなきゃ私は自分の存在を肯定できなかった面も過去にはありましたが、今はふたりの永久の愛を喜んでいます。
 そんな七夕です。






↑エンピツ投票ボタンです ポチッと押すと、特別なことはないけど

My追加


2003年07月01日(火) 視力 脱力

 視力が急激に低下しています。
 現在、私の視力は両眼とも0.04ですから、ここから更に低下するって何?
 乱視が進んだのかもしれませんね。
 地図作りでかなり細かい文字を見て、現場で夜遅くまで活動し、その際にも細かい字で書かれた地図を暗い灯りの下で見ているからですね。
 ヤバイですねぇ。

 私は中学校2年の時に斜視の手術をして、それまで1.5あった視力が0.3に落ちました。
 その後も落ち続け、高校卒業時には今と同じ0.04になりました。
 でも、そこで止まってたんですよ。
 あー…。
 私の視力は落ちる可能性があるとは言われていました。斜視の手術を担当した医者から。
 でもそれは詐欺というか嘘つきなんですよ。
 手術をする前には、絶対に視力が落ちることはないからと説明していたんですから。
 なのに、ねぇ、失明の可能性もあるなんて言い出すんだから、ざけんなよー!です。

 もう少し色んなものを見たいですよ。
 考えなきゃだぁ。仕事。






↑エンピツ投票ボタンです ポチッと押すと、特別なことはないけど

My追加


久方 堕世 |HomePage

My追加