NORI-☆
My追加
一学期の成果
7月19日で一学期が終了し、 サトシが小学校生活初の「夏休み」に入った。 一学期終了というと、良くも悪くも話題にされるのが「初めての通信簿」なのだけれど、実は個人的にはそれに対する期待も心配もあまりなくて、普段の学校からの配布物の一つを見るような気分で何気なく手にとって「ふうん…」という感じだった。 …というと、なんだか虚勢を張っているようだけれど、どういうわけか、あまり重要なことに思えなかったのである。 勉強なんかできなくても別にいい、とは全然思っていない。 教わることはちゃんと理解して身に付けてほしいし、できれば成績だって良い方であってほしい。 また、我が子の学校における評価というものに関心がないわけではない。 いや、むしろそれこそ大ありである。 にもかかわらず「ふうん」となってしまうのはなぜだろう。 一つには、1年生の1学期は学校という場と勉強するということに対して「慣れる」ための期間だと思うので、この時期に現れる個人差は、能力の違いというよりは、それ以前の環境の差でしかなく、できる子=すんなり先生の期待する態度を取れる子 は、単にそういう行動にすでに慣れているだけのことだと思うからである。 ちょっと登校拒否気味になったり、友達がなかなかできない様子だったり、 給食を食べるのが遅くて先生を困らせていたりしたサトシは、当然「慣れていない」部類に入るわけで、そこから出てくる「成果」がそれほど高い評価を得られるものではないだろうということは想像に難くない。 さらに言えば、夏休み前の保護者会で、『(新学習指導要領に基づいた)(絶対評価による)通知表について』という説明において、 「A(よくできる)/B(できる)/C(できない)の3段階評価では、 学習目標のレベルに達していると認められるのがBであり、 まだそのレベルではない場合Cとされる」 「学年を通じてすべての項目がB(目標レベル達成)となる ように指導していくものなので、1学期で到達できなくても かまわない」 というような説明がなされた上、 「A/B/Cの数だけ見たり、兄弟やお友達と比較したりせず、 そのお子さんなりの“できるようになった”“がんばった” を認めて褒めてあげてください」 というお話があったので、ああ、これは一学期は「C」がいっぱいつきますから覚悟してね、ということなんだな〜と悟っていたのである。 …そんなわけで、サトシの初めての通知表は決して優等生といえるものではなかったのだけれど、それは私的には折込済みの結果であり、別にどうということはないである。 まあ親の欲目からすると、 「ええ〜この項目はできてると思うけどなぁ…」 「図工はAでもいいじゃん!あんなに上手なのに〜」 などと小さな不満はあるけれども、結局のところ、まだ付き合って3ヶ月そこそこの30人もの子供たち一人一人の個性や能力を見極めて、きっちり評価をつけるなんてことは、先生だって難しかろう、アピール上手でないサトシは、見落とされちゃったんだな、くらいに思って落ち着くのであった。 どこまでも幸せな親ばかである。 …とはいえ、多分、これは1年生の1学期に限った感想であって、また学年が上がっていけば、それなりに通知表に一喜一憂し、なんとか成績を上げたいと熱望したり奔走したりするのだろうとも思う。 でも。 この3ヶ月間、ずっとハラハラしながら見守っていた親としては、二つ折りの厚紙に書かれた記号なんかより、元気一杯の明るい笑顔で毎日楽しそうに 学校に出かけていくようになった7月の日々が何より「一学期の成果」だと思っている。 「プール楽しかったよッ! 目を開けてもぐれたよっ!」 「パパ、日曜日に学校のプール開放行こうよ!」 「今日は○○くんと鬼ごっこして遊んだんだよ」 「今日は給食おかわりしたよ!カレーライスおいしいね(^^)」 「公園で水遊びするんだから、△△くんに負けないように 大きな水鉄砲買ってよ!」 「夏休みがたのしみ〜〜♪」 なんていう元気な台詞を毎日のように聞き、夏の太陽みたいにピカピカしたサトシの笑顔を見ると、長いトンネルを、どうやら自分の力で抜け出した息子に、特大の花丸をあげたいと思うのである。 せっかく上り調子で楽しく学校に通うようになったところで、夏休みに入ってしまうのがもったいないなぁと思うくらい、絶好調のうちに終わったサトシの一学期。 長い夏休みでこの勢いがそがれてしまったら…? という母の心配をよそに、学童館で過ごす夏休み第一日目、お弁当とドリルとプールバックを持ったサトシは元気に家を飛び出していった。 「あ、もう9時じゃん! いってきまーーす!」 ……あれ? 一人で行っちゃったよ。。。 一学期中、一度も一人で玄関を出たことがなかった子が、もっと先までついてきて、と母の手をぎゅっと握っていた子が、一人でドアを開けて駆け出していった。
2002年07月27日(土)
/
地上の星
午後5時15分。 しかかりの仕事が定時内に片付くかどうか目算して、ちょっと急がなくちゃ…なんて思っている頃合である。 携帯が鳴る。 「HOME」…息子が学童館から帰ってきたらしい。 「もしもし、ママ?」 「サト?おかえり。今日も暑かったね」 「ママ、今日『プロジェクトX』借りてきてね!」 「…あ、うん。大丈夫。借りてあげるから…」 「青函トンネルのやつだよ」 「わかってるって(笑)」 「忘れないでね!」 「はいはい…(^^;)」 「じゃあねっ!」 …ま、便りがないのは無事のしるし、なので、言いたいことだけ言ってさっさと切るというのは、いやなことがあったり落ち込んでいたりしていない証拠ではあるのだけれど…(笑) 5分後。また携帯。 「HOME」…今度はなんだ? 「ママ、あのペン見つけたよ!」 「ペン??ああ、ホワイトボードのペン?あったの? (そんな報告は帰ってからでいいって…(^^;))」 「あったよ〜サト、見つけたよ!」 「ほんと〜それはありがとう。」 「うん。じゃあね」 「じゃあ留守番よろしくね(切るからね。仕事しなくちゃ…)」 「…ママ?」 「なに?(あと30分で仕上げなきゃいけないんだけど…)」 「青函トンネルのビデオ借りてね!」 「ん、わかってるって(さっきも約束したじゃないか〜(--#))」 「…ママ?」 「なに?(こんどはなんだ?!)」 「…何度も電話して悪いね」 「(プッ…)どういたしまして」 最後の台詞がおかしくて、電話を切ってなお笑っていると、「何?お子さんから?」と同僚に聞かれた。 今のやり取りを話すと、大人な会話だね〜と大受けした。 「しかし『プロジェクトX』のビデオとは渋いですねぇ」 …確かに。。。 しかし、事実今サトシが一番楽しみにしているのは、プロジェクトX第一期ビデオ10巻を、毎週水曜のTSUTAYAのレディースディ(半額)に1巻ずつ借りて見ることなのであった。 ちょっと前に、ビデオの販促のためか、このシリーズの再放送があった。 夜9時台という放映時間は、わが家ではもっともドタバタしている時間帯なので、これまで私も子供たちも観たことがなかったのだが、たまたま「執念が生んだ新幹線」という回の再放送のとき、夫が気付いて録画してサトシに見せたのがきっかけだった。 テーマが鉄道・飛行機であれば、バラエティだろうがドキュメンタリーだろうが何でも夢中になって観るサトシのことである。 新幹線のできるまで、と聞いて大喜びして観始めた。 世の中高年サラリーマンを感動させ奮起させたというこのシリーズの内容を、一年生の頭脳と感性がどのように受け止めているのかはよくわからないし、必ずしも集中して観ているとも思えない態度なのだが、それでも飽きもせず何度も見たがり、ときどき細かい内容について質問してきたり、思いがけないところで番組で聞き覚えた技術的な話題を引き合いに出してきたりして驚かされる。 彼なりに自分の経験や知識と結びつけながらかなり直感的に理解して身に付けているのだろうか。 次回予告がたまたま「黒部ダム」のテーマで、以前“立山・黒部アルペンルートとトロッコ列車の旅”で行ったことがあったので、興味を持って続けて録画した。 サトシの祖父は土木技師で、技術者としての賞賛はもちろん、建設に関わった人々を直接知っていたりもするので、黒部ダムにはいろいろな思い入れがある。 わが家の黒部行きの際にも、サトシに色々と壮大な物語を語り聞かせてくれており、そのおかげで、乗り物とは直接関係ないテーマでも、サトシはすんなりシンクロすることができたようである。 こうして、サトシは小学生一年生にして、「プロジェクトX」のファンになった。 レンタルビデオが出ていると聞くや、「TSUTAYA行こう、行こう!」のコールがすさまじい。 「あの〜、プロジェクトXのビデオはどこでしょう?」 とレンタル店慣れしていない母におずおずと聞かれた店員は、よもや手をつないで立っている6歳の子供が、そのビデオの借り手であるとは思わなかっただろう。(あれは普通、オジサンが借りるもんだよねぇ?) 初回レンタルが「翼はよみがえった−国産旅客機YS−11 (1)」。 次が「同 (2)」。 飛行機好きとしては当然のことながら、 何度も繰り返して観ては、すっかりYS-11ファンになった。 そして3回目が今日である。 ビデオの巻末に盛り込まれた全十巻の宣伝を観て、次に何を見たいかしっかり決めているのである。 乗り物テーマではなく「青函トンネル」がいいという。 彼なりに、困難を乗り越えて大きな目標に挑戦する人々、というこの番組のメッセージをちゃんと受け止めているのかも知れない。 朝から何度も念押しされ、夕方2回も電話で確認され、駅についたら更に駄目押しの電話が入った。(わかったっちゅーにっ!) そんなに観たがってもらって、制作者も本望だろう。 そんなわけで、台風が首都圏を通過した日、母は大きな保育園バッグを肩にかけ、雨に濡れながら、弟の手を引いてビデオ店に駆け込んだ。 希望どおり「友の死を越えて−青函トンネル24年の大事業」を手にして、レジに向かおうとすると、ヨシキが母のすそを引っ張った。 「ヨシくんもかりる〜。ヨシくん、これにする!」 ヨシキの小さな手には、 「海底ロマン!深海6500Mへの挑戦−潜水調査船・世界記録までの25年」 がしっかりと握られていた(^^;) ニイニの影響力はすごい。。。
2002年07月10日(水)
/