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2004年11月30日(火) 「すぱにや」

朝刊に昨日のスポーツ新聞の見出しを思い出させる記事。天皇家の「次男坊」の誕生日会見である。先だっての「長男坊」の一連の発言に対してやや批判的な意見。その中で「公務とは受身的なもので、自分がしたいことをやるというものではない」というような主旨の発言があった。一見控えめで協力的な発言であるが、裏を返せば「言われたからやる」「(改革も含めて)自ら積極的に取り組まない」という無責任な姿勢ともいえる。さすが気楽な立場の「次男坊」。この人は一時期皇籍離脱したいと騒いだことがあったが、それはやめて今は生活のために皇族をやっているかもしれない。それにつけても痛ましいのは「長男坊」夫妻である。

昨夜作ったシチューのできは最高。実は昨夜遅く帰ってきた夫にも見せて、しばし悶絶していた。朝食にする。うちのシチューは祖母の代から伝わる秘伝の味で、市販のルーは使わない。明治生まれの祖母はハイカラな人で、祖父が勤務していた秋田の病院のコックさんから洋食を習っていたのである。このコックさんはもとをたどれば、東京の一流の洋食屋さんで腕を振るっていたのが、関東大震災の時に包丁一本だったか鍋を片手にだったかをもって命からがら秋田まで逃げてきた人だった。思えば遠くへきたものである。
すね肉を長時間煮込み、小麦粉とヘッドをいためて「すぱにや」をつくり、それを肉の煮汁で溶いてとろみをつける。作り方からするとブラウンルーである。「すぱにや」というのは、ソース・エスパニョル(sauce à l'espagnole)のことらしい。味付けはほぼ塩コショウだけ。シチューといえば、作り出してから口に入るまで超長時間煮込むものと思っていたので、よその家に呼ばれてその場で「今日はシチューにしよう」といって市販のルーで作り出すのを見て「ほー。」と驚いた記憶がある。
祖母がいくつか習ったという洋食のうち、牛タンシチューは、亡き伯父がタンの正体を知って泣いてから作らなくなったので母には伝わらず、カレーとオムレツ(卵を薄く焼いていためたたまねぎのみじん切りとひき肉を包む)は、特に私が必要としなかったので私には伝わらず、残っているのはコーンスープとこのシチューだけ。シチューは結婚してから作り方を教えてもらったものだ。すべて目分量。

塩コショウした牛すね肉の周りを強火で焼く。炒めたたまねぎとローリエやセロリなどの香味野菜と肉を、水からあくを取りながら煮る。途中で煮汁を1カップほど別に取りおいて冷ましておく。ヘッドと小麦粉(ヘッドがなければバター)を焦がし気味に炒めて「すぱにや」を作り、荒熱を取る。肉が柔らかくなったら、一口大に切ったジャガイモ、にんじん、たまねぎ、などを加えて野菜が柔らかくなるまで煮る。冷ましておいた煮汁で「すぱにや」をのばしてソース(ソース・エスパニョル)にし、牛乳とともに加える。塩コショウで味を調える。さらに煮込む。うちは保温調理鍋を使うので、加熱したら放っておけば出来上がり。塩コショウだけとは思えない深い味わいなのだ。えらいぞ牛肉。えらいぞ野菜。


2004年11月29日(月) クリスマス一歩前

朝、通勤途中の電車で目の前の席が空いたのでありがたく座り、ポータブルプレイヤーに耳を傾けていたら、一駅乗り過ごした。都内の地下鉄は駅の間隔が短いが、あいにく下車駅とその次は珍しく長くて3分。幸い反対方向の電車にはすぐ乗れたが、往復で7分以上のロス+精神的打撃。最近ポカ続きなので余裕を持って家を出たのに、まるまるその分を浪費してしまった。そういえば、日曜日はリビングで丸めたティッシュをくずかごに捨てようとして、はるばる洗面所まで行って洗濯機の中に放り込んでしまったのだった。稼働中でなかったのが幸い。授業初めの枕代わりに金曜日の靴取り違えから続く一連のポカ話を披露するが、学生さんそれどころではないらしく誰も反応してくれない。さびしい。授業はさくさくと終わらせて、今日はためた雑用を片付けるべく都心へ。キャンパス内のATMで通帳記入をしたら最終頁まで使い切ったらしく、ATM様より営業窓口へいけとのご指示が。合併による店舗統合で、もともとの取引があるほうの最寄の支店が閉鎖してしまったので駅前の支店まで。こちらは相手行の通帳では自動記帳機が使えないのでわざわざロビーに行き、案内係の人に通帳を託す。内部で処理するらしい。ロビーで週刊誌をほぼ1冊読み終わっても音沙汰なし。案内係に催促して確認に走ってもらい、ようやく名前が呼ばれる。たった7行印字するのに20分待ち。銀行の都合優先で顧客の利便を無視した運営に腹立たしい思いをする。態度ばかり慇懃でぜんぜん使えない案内係も通帳記入担当者も、こんな末端の人に意見したり当り散らしても意味がない。そのまま通帳を受け取って店を出て、急におなかがすいてきたので駅前のベーカリーのイートインでパンとコーヒーで昼食。ここの店員さんのきびきびとさわやかな接客に心和む。
電車に乗ってデパートのはしご。1軒目は収穫なし。木曜日の夜にちょっとした集まりがあるので、2軒目にややフォーマルな服を探しに行った。買う店は決めてあったので、選択の幅は狭い。マネキンが着ていたワンピースを脱がせてもらい、試着して即決(中国製)。それから家電量販店に行って、テ●ファールの湯沸しポット購入。以前ティファ●ルの湯沸しポットをあげたのだが、昨夜夜半に母が電話してきて、お湯を沸かそうと水を入れてそのままガスコンロの火にかけてしまったので、代わりのポットを買ってきてほしいという。母娘そろって危ない。売れ筋の小さいほうは取り寄せだというので、大きいほうを買う。大きければ火にかけることもないだろう。こういうことがあるのでますます電気式の調理器具のポイントは高い。それからDVD-Rをちょっとまとめ買い。
また別のデパートに行って、去年の夏から出来心で1年間積み立てた友の会の満期(毎月定額を積み立てると、満期に13か月分の金券がくる)を受け取る。手続きには会員券が必要なのだがこれをなくしてしまって再発行料200円支払う。普段から整理が悪いのでこういう無駄な出費になるのだ。私のバカ。今度の歯の治療の日は歯医者さんのお誕生日だというので(というかそれにあわせて予約を取ったのだが)、プレゼントを物色しにおもちゃ売り場へ(笑)。2〜3日前にこのデパートから届いた広告にちょうどいいのがあったのだが、広告の品は売れてしまったらしい。歯医者さんは乗り物好きなので、機関車の形をしたオーナメントを探すが、あまりぴんとくるものがない。その辺にあるものは、聞けばみんな中国製なのだという。だからだめということでは決してないのだが、ただ、細かい細工とか雰囲気とか、やはり少し違う。無理して今日買うこともないのであきらめて家に帰る。久々ににぎわった場所に行ったのでちょっと興奮状態。
帰りのバスの中で隣の人が広げているスポーツ新聞を見ると、松坂二世と目される野球選手の紹介記事。「建具屋の長男坊」と書いてある。「●●坊」って言うのは、次男以下につける呼称だと思っていた。封建時代に総領である長男と、それ以下の立場の違いと明確に表している言葉だと思っていたのだが、今は長男も坊をつけるのか。

夜、シチューを作る。


2004年11月28日(日) 非情(勤)のメール。

非常勤講師の人事が動く時期である。たいてい10月までに人事が内定し、11月に教授会があってそこでどっちかの事情でドタキャンが発生したり、いろいろとひっくり返るらしい。1つドタキャンが出ればその分周りが影響を受け、非常勤先が多ければその分、余波に接する機会が多くなる。おかげでいろいろと身の周りが揺れている。つい一昨日も、すでに来年の授業運営について打ち合わせを始めていた同僚が、非情のメール1本で来年度継続なしの通知を受け取ったばかりで、かなりどんよりしている。
ところで、朝一番で新規非常勤先からメールを受信する。その人は私に直接頼んできた人A氏で、その人の部下である専任教員B氏からのメールが複数とどいているはずなので、至急返答して欲しいというものである。B氏から複数来たメールというのは、タイムスタンプが木曜日の23:43:21、もう1通が金曜日の18:22:49。それに対する返答が遅いというA氏からの催促のメールが日曜日の08:22:37。これってどうよ。中1日じゃないの。確かに普段メールの返答が早い私としては溜め込んだほうだが、例の非情のメールや他の非常勤関係の雑事に時間を取られていたし、正直なところ、内容から週明けの返答で十分と判断していた。そもそもこのメールは私が以前にAB両氏宛てに送ったメールへの返答でもあり、それは1週間ぶりなのだ。それに対して中1日あいただけで日曜の朝に督促されるのか、さっぱりわからん。おそらくたとえば1週間の猶予があった事務処理のうち、先方が6日間使っちゃったとか、そういう話だろう。そのしわ寄せがこちらに来ているとしか思えない。それならそれで、それほど急ぎなら一言書き添えてくれれば済む話だ。
08:22:37に受信したメールには、もちろん超特急で返事を書いて、謝罪と緊急性があるとは思えなかった旨書き添えて、先方が求めていた情報を添えて08:42:24に返答した(それだけ早く出来るなら、とっととやっとけよ、という説もあるが、中1日置いたおかげでその間に考えをまとめておいたともいえる)。現在21:19:00。先方からその情報を受け取ったという返答は、まだない。
けっ(-"-)

追記:B氏より2004 23:08:18返答(&陳謝)あり。届いてないと失礼だと思ってA氏を通じて確認しようとしたとのこと。なんだかなー。


2004年11月27日(土) 「男の子は青、女の子は赤。」

靴の色違い騒ぎですっかり書くのを忘れていたが、昨日の話。
バスに乗っていたら、なにやらわさわさと警官が集まっているところを通る。車窓から見ていたら、白バイが集合していた。白いズボンに青い上着。交通安全か何かの式典があるらしい。女性の白バイ隊員も何人かいて、こちらは白いズボンに赤い上着。これが正装なんだろうか、こんな感じ⇒http://www.police.pref.niigata.jp/syoukai/w.sirobai.html
はっきり言って、変。女性だから赤って、女性だから華やかにって、おかしいじゃろ。だったら、婦人警官の制服も赤にしろよ、っていうかその前に"婦人"はいらんじゃろ。"女性"もいらん。いらん、いらん。
画像を紹介しようとして、「女性白バイ隊」で調べたら、また暴走族のレディースじゃないんだから、というようなネーミングがわさわさ。

長野  ホワイトフェアリーズ
神奈川 ホワイトエンジェルス
千葉  ホワイトレディース
福島  スノーラビッツ
大阪  セイフティー・ウインズ

センス疑うよな(-"-)。

2chのこんなページもありますた。やはりマニアはいるのね。http://mentai.peko.2ch.net/police/kako/990/990101669.html

おまわりさん なりきり体験:
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kouhoushi/no3/welcome/narikiri.htm


2004年11月26日(金) The Black & Brown Club

靴はここ10年ほど決まったメーカーで買っていて、何足かを交代で修理に出しつつ長く履いている。デザインは少しずつ流行に左右されるが、ヒールの高さは3cmから3.5cmの中ぐらいのものが多い。
ところで、昨夜は二人ともコンサートに行って帰りがやや遅く、そのせいか今朝は全体的に段取りが悪かった。今日は私のほうが先に出かけるので、夫に見送られつつ帰宅時間を聞いたりしながら、あわただしく家を後にする。歩き始めてからなんとなく違和感に気づく。足がむくんでいるのか、足が床に着地するときの感触が左右で違う感じがするのだ。マンションの内廊下は、パンチカーペットが敷き詰めてあって当たりはやわらかいのだが、廊下を抜け、管理人さんに「いってまいります」の挨拶をして、道路に出るとやっぱり変。靴底のゴムが取れたのか、左靴のかかとの高さが右靴よりも数mm低いような…。振り返るようにして左靴の底を見てみるが、取れてもいないしそれほど磨り減ってもいない。横断歩道の信号もタイミングよく青になり、バス停へ向かう。バス停には数人待っていて、この分ならそれほど待たなくても乗れそうである。列の最後に並んで、もう一度足元に目を落とす。いったい何がおきているのだろう…




うひ!





…そこには、目を疑う現実が。つま先の、右が茶色、左が黒色だ。
あわてて横断歩道に戻り、どきどきしながら信号を待ち、足元を見られないように(どうやって?)祈りながらマンションまでの道を引き返す。管理人さんに照れ笑いしながら「ただいま」といい、自宅着。キーを差し込んで回すと回らない。夫は私を見送った後、鍵をかけ忘れていたようだ。内側に「ただいま」と声をかけると、さっきシャワーを浴びてまだ下着姿の夫が「あれ?」とか言いながら、のんきに出てきた。普段だったら鍵のかけわすれを散々なじるところだが、それどころでないのでおとなしく片方の靴を履き替える。昨日遅く帰って靴を脱ぎ捨てて、一昨日同じように脱ぎ捨てていた靴と半々に履いてしまっていたらしい(←出かけるときの記憶すでになし←だから靴はしまいなさいって。)
それにしても、バスに乗る前でよかった。信号が変わるタイミングでバスが来ていたら、きっと猛ダッシュして、ヒールの高さなど気にせず乗り込んでいただろう。

以前、非常勤先の教授@単身が黒と茶色の靴を半足ずつ履いて学校に来てしまったことがあって、かなり長いこと語り草になっていたのだが、まさか自分がやってしまうとは。男性の靴ならまだしも、私が履いていた靴の先は片方が四角、片方はとがっていたのに。件の教授(英文学)にこの一件をメールで告白する。返答は以下の通り。メンバー審査には合格したらしい。

"You are already a member of my club!! "


2004年11月25日(木) インターネットラジオ

非常勤先などではネットに接続したPCが使えるので、授業の準備作業などのときはイヤホンをPCにずっと聞いている。ケース入りのイヤホンは、USBフラッシュメモリや評価印とともに、ペンケース内の三種の神器である。たいていBBCのClassicFMを聞く。一応おじさんのDJが入って、解説したり感想を述べたりするのだが、ほれぼれするような曲のときは、ため息混じりに一言"Lovely!"便利な言葉だ。ニュースも入るので、イギリス独特の発音や、ニュース担当者との英語での掛け合いも勉強になる。時差があるので、こちらの夕方ぐらいにはあちらは朝。その時間帯は"Very Good Morning!"が連発され、さわやかな音楽番組の様子を呈していて、通勤による交通渋滞の情報にも詳しくなれる(←不要)。
じゃあ家でもPCでClassicFMを家でも聞いているかというと、そうでもない。何を隠そう(隠してないけど)、うちにはインターネットラジオ専用機がある。5つのお気に入りボタンにそれぞれ番組を登録でき、ワンタッチで切り替えることができる。が、使い勝手がいまいち。インターネットラジオであるからして、URLを登録するのだが、直接文字を入れられないんですよ、奥さん。仕方ないので予め登録されている番組のリストから選ぶか、製造元のサイトにアクセスして、そこに自分のIDパスワードを入力してお気に入りを登録するとかしなくちゃいけない。そこまでするなら、せめてコードでラジオと携帯電話をつないで、携帯電話をキー入力装置代わりにしてURLをぽちぽち打てるようにして欲しい。というわけで大好きなClassicFMも未登録。
使い勝手の悪さのせいで最近ずっと触っていなかったが、この間、久々に聞いてみた。お気に入りに登録されている番組を聞こうとしたら、2つもDNSエラーになる!仕方ないので新しい番組を探す。フランス語の番組を2つ見つけたが、どちらもいまひとつデータ転送がよろしくなく、ぶちぶちと切れる。新たに1つクラシック音楽をやっている日本の番組をみつけて登録する。新しいクラシック番組はレコード会社がやっているらしく、なかなか好みの曲がかかるのだが、1時間に1度ぐらい「こちらは○○がお送りする××です」のように、まるで防災センターのアナウンスのような日本語が流れるので、びくっとする。急に言葉が飛び込んでくるというか、現実に引き戻されるというか、聞き流せない。
それを考えると、ClassicFMの英語はかなり聞き流していて、特に耳に残った響きだけを言葉に変換して脳内で理解しているようだ。フランス語はよほどのことがないと、耳に残らない。それに比べると日本語はせき髄で理解している感じだ。まだまだ道は遠い。

Classic FM(BBC) http://www.classicfm.com/
Listen and Surf http://audio.musicradio.com/
Classical Live Online Radio http://classicalwebcast.com/index.html


2004年11月24日(水) 犬も歩けば。

朝、クレームの電話。相手側企業に落ち度があるのはわかっているので、あとはこの機を生かしていかにこちらに有利な条件に持ち込むか。むー。

非常勤先Lに行き、昼食に外へ出ると見覚えのある人とすれ違って思わず後姿を呼び止める。私が大学卒業後、新卒で入った職場の課内No2だった人だ。近くの会社で第二(第三?)の会社人生を送っているらしい。名刺をもらって、近々職場に遊びに行く約束をして別れる。今度はまさか就職することはないだろう(笑)。珍しい人と再会したことを同じ職場の人にメールをすると、早速懐かしがるメールが返ってきた。そちらの人は、子会社に出向していたのが、子会社ごと別の会社に転籍になったという。私がもといた会社は合併につぐ合併でかなり立場が弱くなっていて、これからじわじわと主だったポストを合併相手で固められていくという噂もあるらしい。ふーむ。ずっと昔に辞めた身としては所詮他人事なのだが、子供にお金がかかって老後年金も当てにならない年代の人たちは本当に大変だ。

この間夫が展示会の景品でもらってきた、保温機能付マグカップをもっていってみた。☆バックスなどで買うマグがステンレス製の二重構造になっていて、フタに空気穴と飲み口の穴が開いている感じ。以前買った虎印のマグ型ポットもいいのだが、これはねじ式のフタを開け閉めするときにいちいちきゅっきゅきゅっと音がしてわずらわしいのと、中身が入っていなくても重いのが難点だと思っていたのだ。バッグに入れて持ち歩いたりはできないが、大学なら給茶機があるので、そこでお湯をもらってその場でティーバッグで淹れればいいわけだ。というわけで、1日使ってみた感想はGOOD!いちいちフタを開け閉めしないので、保温力もキープ。飲み口の部分の構造が賢くて、傾斜をつけて飲み口から自分の口に届くまで距離が稼げるようになっている。おかげでいきなり熱い液体が飛び込んでこないのだ。しかも底の部分にゴムが張ってあって、デスクに置いたときコツンと当たらない。ただでもらったものがこんなに便利だなんて、複雑な気分だ。


2004年11月23日(火) キンコンカン♪

お昼に、両親の金婚式のお祝いを実家近くの中華料理店でやる。ここは老舗のチェーンなので、昔からの味わいというか普段ごちそう慣れしていない両親にの舌にもあいそう。幼稚園に通う姪と2才の甥がいるので、子供優遇の七五三コースを選択する。大正解。子供用ははじめに彩り鮮やかなお重にセッティングされて出てきて、勝手気ままなペースで食べる。姪はともかく甥がほとんど平らげていたのは驚き。両親も年齢を感じさせない健啖ぶりで喜んでいた。日ごろ決して仲が良いとはいえない二人だが、こうして一応健康でこの年を迎えられたのはめでたい。両親はともに二十代半ばで結婚しているので金婚式が迎えられたが、われわれの世代は兄もうちも(兄嫁以外は)みんな三十路すぎでの結婚なので、金婚式は傘寿以降である。最近世の中不穏だし、それまで生きられるか。
孫たちから手作りのメダルとメッセージを贈り(このあたりで、昔懐かしい減点パパのように両親感涙するかと思ったがさすがにそれはなかった)、子供(兄と私)でお祝いに金一封。花より団子。楽しかったけど気を使って疲れた。実家に寄らずに帰る。舞い上がった母より2回ほど電話あり。2回目はあまりに向うのテンションが高く、こちらの状態お構いなしで話すので、ちょっと堪忍袋の尾が八割がた切れる。あー、またやっちゃった。


2004年11月22日(月) 根。

今日は仕事が休み。ひゃほー。
何しろ土曜日・日曜日と休んでいて3日めなので、さすがに元気がある。というわけで、朝からさくさくそこらへんを片付けてみる。で、片付け物は一種の現実逃避だったのだが、ここ数日来の円高で私の虎の子が危機に瀕しているので、その対処の電話などで午前中からお昼過ぎまでつぶれる。円高もその商品の行く末も心配だが、なによりその会社の対応がすごく不安。いざとなったら消費者センターに駆け込むぞーおらー!みたいな勢いでやらなきゃいけないらしい。この件についてはいろいろとしがらみがあって、その関係の人がコーチ役になって、「おらーっいい加減にしてほしいざます!」なせりふを練習してみたり。クレーマのアドレナリン噴出す。
午後からやっとの思いで書道。母が所属している書道会ではお手本と進級者リストが載った月刊誌を出していて(会員=購読者)、お手本をもとに「競書」というのを書いて本部に送るシステムなのだが、明日母に会うのでソレを持っていくとか言っちゃったのだ。競書というのは進級するまでにある程度期間があくので、毎月出しても進級しない代わりに、半年にいっぺんぐらいしか書かなくても進級しちゃったりする。今のところ習いに行く暇がないのでほぼ独学。何ヶ月かに1度、いきなり書いていきなり出してそこそこ進級し続けている。こんなのでも昔よりは上手くなってるので、まあないよりはまし。
夜ご飯は根菜中心。昨日のBBQでわれわれが食べ残した鮭のカマ部分をこっそり持ち帰ったので、それを使って石狩鍋風。一人おわん一杯分弱なので、おままごとみたい。あとレンコンのきんぴら、肉豆腐。


2004年11月21日(日) ぐわっし。

午前中上野でマティス展。
窓口ではそれほど混雑していなかったが、中に入ると相当な人。マティスについては、先々週NHKで立て続けに特集を放映していたので、その影響もあるのかも。テレビで取り上げていたように作品が出来上がるまでにいろいろと手を加えたり、同じモティーフで何枚も作品を描いたりという様子が良くわかる。
切り紙絵は、よく見るとあちこち貼り足した跡がある。ポスターなどではつるんとした質感になってよくわからないが、なまなましい画家の試行錯誤の様子が伝わってくる。今生きていたらまだ変更が続いていたかもというぐらい次々と変わっている。空をイメージした青地の紙の上に白い鳩が飛んでいる様子を表現した「ポリネシア、空」という作品は、新日曜美術館で放映されたとき番組ゲストであるユーミンの歌が流れていたので、なんだか余計なBGMがよみがえる。この作品を見ていた老夫婦の会話が耳に飛び込んできてちょっと笑ってしまった。
妻:「お父さん、これなんだかわかる?」
夫:「鳩かな?」
妻:「空よ」
うーん。どういう文脈だったんだろう。ポリネシアの空に思い入れのある奥さんだったのだろうか。
ミュージアムショップに入る。そういえば、11月に入るや否やイギリスの英会話の先生からクリスマスカード(サインだけの)が来るのだが、今年はまだ来ていない。体調でも悪いのだろうかと思いつつ、ユニセフのクリスマスカードを買う。夫は画集を買った模様。ぱらぱらと見て、グワッシュ画って何だろう?と聞いてくる。え?ぐわっし?といってまことちゃん風に手を出してみたが、通じなかった。今調べたらグワッシュというのは、不透明水彩絵の具のことでこれを使って書いたのがグワッシュ画らしい。
そのまま京成電鉄に乗って、千葉方面へ。毎年恒例のBBQである。大学のサークルOB/OGが集まっているのだが、年々二世である子供たちが大きくなっているので誰がどこの子か良くわからないが、大いに騒ぎ食欲も旺盛。子供たち同士けんかもせず譲り合って遊んでいた。汗ばむような陽気でお酒がおいしい。つぎつぎと振舞われるワインをおいしくいただいて、現在ちょっと頭痛。

マティス展:http://event.yomiuri.co.jp/matisse/
「ポリネシア、空」http://event.yomiuri.co.jp/matisse/art/art23.html


2004年11月20日(土) のんびり。

学祭で非常勤先が休みになり、ついでに次回のフランス語教室も祝日で休みなので、あわせてなんと4連休。ほっほー。
昨日の、歯石除去のせいか歯茎が全体的に腫れていたい。むー。検診のたびにこの痛みに耐えるか、日ごろもっと気をつけて磨くか、考えどころだ(←考えるまでもなく後者に決まっています)。夫は仕事に出かけてしまったので、気ままに過ごしていたらおなかがすいてきた。豚とキャベツと卵と粉があるので、お昼はお好み焼きにする。粉は生協で買ったお好み焼きミックス粉。一応関西風のつもりで粉少なめキャベツ多めでふっくらじっくり焼く(少しこげる)。巷ではキャベツが高値だというのに、いや高値で貴重だと思うと食べたくなるのか。おたふくソースをかけて食べている間に口さびしくなって、昨日の残りのボージョレを一杯飲む。7-11で買ったのは、例のジョルジュ デュブッフの花柄ボトル。改めてボトルを見てみると、輸入元はサン○リー。裏にステッカーを貼ったものではなくボトルにそのまま印刷してある。つまり瓶詰めの段階からすでにこの分はサントリーが買っていたということで、うーむ。今年の輸入量は85万ケースだという。1箱1ダースとすると10,200,000。成人国民一人一本ぐらいいきわたってしまうのだろうか(追記:1千20万本だから、さすがにそれはない)。
非常勤先Tから封書が届く。夏ごろ頼まれて年報に見開き2ページぐらいの文章を書いたので、年報の最新号が送られてきたのだ。おっ謝礼に図書券を同封と書いてある。数えてみると500円券が6枚も!わーい。現金より図書券のほうがとしみじみとうれしいのは、子供のころからのすりこみだろうか。
仕事のほうはあまり前進せず、っていうかほとんど後処理に費やすが、今日は夜の仕事がなくてまとめて時間がとれたので、普段おざなりになっていることなどを調べたりして、一応まあまあ充電した感じ。
夕方スポーツクラブ。
googleの無料blogサービスが中国語・韓国語・日本語などのアジア言語に対応したというので、ちょっと見てみる。日本語が使えるといっても雰囲気は丸々英語なのでなんか変な感じ。

ボージョレの輸入量:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041104-00000015-san-bus_all
googleの無料blogサービス:http://www.blogger.com/


2004年11月19日(金) 血。

午前中非常勤先B。
来年度新規の非常勤を引き受けた先から、シラバスと業績書の加筆分を、電子ファイルで送るように言ってきたのだが、電子的に提出ってあなたフロッピーディスク同封ですよ。すでに我が家ではフロッピードライブつきのPCは滅んでしまったので、この非常勤先で書類を開けさせていただく。これをUSBメモリにコピーしてきたので、週末家のPCで直して来週これまた別の非常勤先でコピーして投函するつもり。あんだかなー(-"-)。
ぱぱぱっとしまって学食でラーメン食べて、ケーキ買って実家近くの歯科医へ。半期に一度の歯科検診である。なんとなく気が向いて歯医者さんにもスイートポテトを買っていく。特に悪いところはないと思っていたが、残念!下顎の犬歯脇に虫歯が見つかる(ぽちっとな)。歯を磨くときにちょうどここで歯ブラシをターンするので磨き残っていたらしい。ということは、今後この癖が続く限りまた虫歯になる可能性があるということだ。気をつけないと。歯石を取ってもらって流血の大惨事。
検診が終わってから実家へ行き、ケーキなど食べながら2時間半ほど滞在。母は指導している書道サークルが展覧会をやったとかで、いれかわりたちかわり人がきてあわただしい。卵やちくわをもらって帰る。帰り際に祖母の没後自費出版されたという句集をパラりと見る。祖母が亡くなったのは私が生まれるより5年前なので、私にとってはずっと過去の人というイメージで、時折祖母の話をする母を大昔の話をしているかのように聞いていたが、今になってみると身近な人の死後の5年というのは短いものである。母は実母をなくした喪失感の中で私を生み育てたのかなとふと思った。句集には、ちょうど今の私と同じ年頃の伯母が短文を寄せていて、なんとなく私の書く文章に似ているような気がしておかしい。伯母が書いているところによると、祖母が俳句を始めてからは家族全員を巻き込み、家族総動員して苦吟してやがて祖母一人が俳句の世界にずっと入り込んでいった、ということである。自分が新規に始めたことには早速他人を巻き込んで、さらに自分ひとりずっと深くその世界に入り込むあたり、母とそっくりである。やはり血は争えない。
帰りに7-11に寄ってボージョレ・ヌーボーを衝動買い。あと数ヶ月もすれば船便でもっと安く買えるのにと思いつつ。田崎○也プロデュースのワイングラスがおまけでついていた。コンビニすごいなー。でも、こんなの要らないからもっと安くして欲しいと思ったり。所詮私の血は赤ワインで出来ているわけではない。


2004年11月18日(木) 11月第三木曜日、きっぱりと冬。

CGIの草稿と投稿ボタンを手違いで連続してクリックしたら、いつの間にか勝手に今日の日付の日記が更新されてました。その間みてくださった方失礼しました。

先週まで小春日和が続いていると思ったら、週末に木枯らしが吹いて急に寒くなった。今日は特に冷え込んだ感じ。街路樹もかなり葉っぱが落ちてかさかさ風に吹かれているし、んー。このまま一気に冬だな。

フランス語のクラスは、次に何をとるかでみんなわいわいやっている。もうそんなことを考える時期ですよ、奥さん。ということは進級テストも近いということなのだ。私のクラスはみんなすごくまじめにやっていて、一人ちゃらんぽらんとやっている私は肩身が狭いのだが、ようやく授業の進行にはついてきたという感じ。自分が進歩したというよりは、細かいところでついていけなくても割り切るようになったのが精神衛生上いいみたいだ。すっぱりあきらめついでに今日は私一人、提出する宿題を忘れていた。はぁ。来週は祝日で授業が一回休み。学祭のシーズンで非常勤先も2つ休み。気を抜かないようにしなければと思うが、すでに私の脳みそは今週末からがんばらなくてもいいことを知っている。

家に帰ってテレビを見てたら、ボージョレ・ヌーボー解禁のニュース。フランス語教室では誰もそんな話題してなかったじょ。去年、7-11の広告戦略で大々的に名前が出たジョルジュ・デュブッフ(George Duboeuf)氏を招いてのカウントダウンセレモニーの様子を放映していた。金にあかしてそんな人まで呼んじゃう日本って相変わらずなのね。カウントダウンの時に、スクリーンにデュブッフ氏の顔と数字が出てきてたが、あのしょぼさはパワーポイントの自動プレゼンテーション?

ジョルジュ・デュブッフのワインのサイト(重い) http://www.duboeuf.com/


2004年11月17日(水) 臨機応変

日記を書きあげて、登録ボタンを押したらエラーで落ちてしまいました。しくしく。

書き直す気力がないので、骨子だけ。

デンマーク女王夫妻来日。二人ともおっきーなー。北欧の人はみんなあんなに大きいのだろうか、だったら北欧家具を買うのも考え物だななどと考えていたら、夫君はフランス人らしい。それにしても大きい。デンマークは先王が娘しか授からなかったので、女性も王位継承権を持つように憲法を改正したそうだ。

夜、中華街へ。突発的に横浜で泊まることになったため。都心での仕事が終わってから出発。品川で東海道線に乗り換えるが、人身事故の影響でダイヤが大幅に乱れていて、思ったより時間がかかった。電車は込んでいてつかまれないし、東海道線はスピードが出るのでゆれがすごいし、大消耗。でも他の乗客は立ったまま器用に本を読んだり、談笑したり思い思いに過ごしている。たいしたもんだ。
横浜でみなとみらい線に乗り換え、ちょっと迷子になったりしながらやっとホテルにたどり着く。クラシックな雰囲気が自慢の老舗のホテルだが、インターネットの平日料金は格安。天井も高く、部屋も広々しているが、アメニティグッズなどは特にすばらしくもない。レディスプランもあるらしいが、このあたり気を使うともう少し女性客の人気は上がるのでは。
中華街は、ちょっとわき道にそれたところにある家庭的な店に入る。上海蟹が安かったが、やめておく。全体的に安くて、二人で数千円。ホテルに戻ってバーに行こうかと思ったが、紫煙が立ち込めているのでやめて部屋のミニバーで軽く飲んでおしまい。


2004年11月16日(火) メディアの変化で失われるもの。

最近、デジタルアーカイブなるものが脚光を浴びていて、貴重書や古文書や絵本とかさまざまなものがデジタル化されている。その技術もここ数年で目を見張るほど進化していて、そういう意味ではまだまだ発展途上であるともいえる。この間仲間内のMLで、デジタル化するとどんなに高精細な画像であっても、その手触りとか匂いとか空間の雰囲気とか、失われるものはあるよね、という話をしたのだが、電子媒体に限らず、口伝から文書、石から紙、手書きから印刷とメディアが変わるたびに、今までもそれは起きてきたのだろうと思う。一方で、万年筆じゃないと真に心のこもった文章はかけないとか、論文は原稿用紙に縦書きじゃないと学究の徒とはいえないとか言う人がいるが、これは一見ばかばかしいようだが何かそれでないと失われてしまう微妙なエッセンスというものがあるのかもしれない(しかし、PCではだめでワープロでないとダメだという作家の人には賛同できない)。いずれにしてもメディアが変遷していくにつれて、何かの情報表現は後世に引き継がれないまま廃れていき、その分新しいメディアに適した表現方法が発達してきたはずではある。
世の中にはオンラインで小説を読めるサイトがいくつかあって、先日学生さんにこれの一つである「青空文庫」を使って課題をしてもらった。課題そのものはこちらの指示通りに作業すれば出来てしまうのだが、それではこちらがつまらないので、こうしたオンラインサイトに関する考察を書いてもらった。「やはり文芸作品は本の装丁から活字の組み方まで作者のこだわりがあるので、紙の本でないといけない」とか「デジタル文書は持ち運べないし、しおりが挟めないので不便だ」というような保守的な意見が多かった。彼らの中には紙媒体が電子媒体に落ちたとという考えもあるらしい。日々携帯メールにまみれ、携帯で俳句をひねったり小説を投稿したりしている世代である彼らにしては、意外な反応だった。
一方この人たちが2chをどのくらい利用しているかと思って聞いてみると「フツーに使ってます」という話で(^^;、いったいそのフツーがどのくらいフツーなのかはよくわからないが、「嗜む程度に」利用しているらしい。嗜まないという人は必要がない、なんだか怖い、便所の落書きである、という理由から利用していないらしいが、「電車男」の話ぐらいは知っているという話だった。ところで、この「電車男」がついに書籍として出版された(しかも天下の新○社である。タカモク本といい、電車男といい、こんなんでいいのか○潮社)。ブラウザで縦にスクロールして読むものがそのまんま紙媒体になってしまったのだ。アスキーアートや2ch用語満載のページを横方向に指でページをめくりながら追っていくのだ。確かに自由持ち運んで、しおりを挟みこめるように「進化」したが、電子媒体で発達した2ch特有の表現を紙上に再現することには違和感が大きい。
紙媒体の文芸作品が電子媒体になることによって、なんらか情報表現が落ちていったように、電子情報が紙媒体になることによって落ちるものもあるということだ(考えてみれば当たり前)。このあたり学生さんはどう考えているのだろう。何も考えていないかも。


青空文庫 http://www.aozora.gr.jp
電車男(ログ)  http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Aquarius/7075/trainman.html
電車男(書籍)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4104715018/250-9252051-8137054


2004年11月15日(月) 三度目の正直

非常勤先L。
前回モニタの調子が悪いと改善を申し入れていた件。実は学生のPC画面をこちらからモニタリングする機能がおかしかったのだが、今日いったら直っていた。やれやれ安心と思って授業を始めたら学生さんの反応が変。今度は学生側から教卓のデモ画面が見られないのだという。これでは話にならないので、授業中だが即刻技術員の人に来てもらう。わさわさしていてやりにくいが仕方がない。なんだかんだ15分ほどいじってなんとか直ったが、前回の不具合を改善した時に配線を間違えたらしい。三度目の正直というか、仏の顔も三度というか、この機能を使っているのは1週間で私だけなのか?しかし画面が見えないのに受講生が誰一人としてそれを指摘してこないっていうのもなんだかなー。
新しく作成した課題はおおむね好評。「こんなことができるなんて!」という驚きの声多数。ええ、実は私もつい最近まで知りませんでした。
さて、これから早めにお昼を食べよう。


2004年11月14日(日) 夜昼転換

朝寝して昼寝をたくさんしたので、夜になっても目がさえている。今日はいい天気だったらしいな(ぼそ)。
午後から授業の準備。夫もずっとPCに向かっていて行楽にもでかけず、外食もせず、安上がりな二人である。新しい課題を1つ作る(それ以外は前年度の使いまわし)。面白いものができたと思うのでうれしい。課題を作ったり授業の展開を考えたりするのは、めんどくさいけどあまり苦にならない。献立を考えるのと似た部分があって、調べ物をしたり移動したり合間合間にちょっとずつ構想していって形になっていくのは楽しい。だが、さあ研究を、といわれるととたんに及び腰になる。研究はいいけど授業のアイディアがさっぱり思い浮かばないという人もいるし、多分使う脳みその部分が違うのだろう。
夕方スポーツクラブ、20時から新日曜美術館でマティス、10時からBSで新選組!。新選組!は、前回近藤勇が撃たれて、また一人仲間が死んで、賊軍となり将軍にも見捨てられて坂道を転がるように堕ちていく。一人ひとりの心模様の描き方とか史実とは違う解釈などはおもしろいと思うのだが、ドラマそのものは一歩引いた感じで見てしまう。一緒になってはらはらどきどきしないのは、脚本のせいか、演出のせいか、はたまた私の年のせいだろうか。


2004年11月13日(土) 変わる30年と変わらぬ30年

ケンブリッジ在住の須田矢野さん(仮名)が来日中で、夫の職場に遊びに来た。そしてお土産に剣橋の昔の写真集を持ってきてくれたのを夫が持ち帰ってきた。Memory Lane Cambridgeというその本をめくると、1960年代から70年代を中心とした町並みや小道の様子などが次々と現れる。が、「うわー、こんなだったんだー」という感慨はない。人々の服装や、二階建てバスなどは年代を感じさせるのだが、それ以外は拍子抜けするぐらい今と変わらないのである。各戸の前においてあるゴミ箱も、個人商店の店構えも、草地にたむろする牛も、着飾った大学関係者のガウン姿も、見知らぬ通りも、どれも最近見たことがあるような気がしてしまう。まあ、数百年前の町並みが残るような街だから、ここ30年ぐらいの移り変わりは誤差の範囲なのだろうか。
まだ手にとっていないが、森山大道の「新宿」などは、たった数年で様変わりするこの街をとらえた、変化する街の代表のような写真集だろうと想像する。4年ぐらい前にボストンに行った時で夫が学会に出ている間、一人でハーバード大の構内をぶらついていた時に、たまたま森山大道の個展を見た。それがこの写真家を知った最初だったが、この写真家によって切り取られた懐かしさと猥雑さが同居する昭和の数々に圧倒された記憶がある。作品のイメージからなんとなくひげボーボーの男性を想像していたのだが、先日丸の内のOazO内のギャラリーでサイン会をしていて実物を見た。こざっぱりとしたインテリ風の人だった。
表面上もっとも変化がなさそうな街と、もっとも変化が激しい街の同じ30年。今後30年でもっと変わるだろうか。


2004年11月12日(金) 「お詫びいたします」アナウンス

Slashさんのダイヤが乱れたJRの「お詫びいたします」アナウンス。まったく同感ですわ。自らの落ち度とそうでない場合と同じ謝り方をしていてはいかんです。
地下鉄サリン事件の翌日、当時の営団は、ご迷惑おかけして申し訳ありませんというお詫びの張り紙を各駅にしていました。営団はあくまで被害者であって、お詫びする立場じゃないとそのとき感じました。

ちなみに「違和感を感じる」っていう表現を使う人、最近増えましたね。違和感は抱いたり持ったりするものだと思ってたんですが。

晴ときどき鬼瓦。
http://www.okoshi.org/tadashi/bbs2/archives/2004/11/13/jr.html


2004年11月09日(火) 一方通行

とあるサイトのBBSで私の書き込みに対して完全に文脈を取り違えて解釈されて、その反撃に遭った。かいつまんで言うと、都会に住む人間がある地方都市を田舎呼ばわりしてそこに住む人たちを見下したような発言をしたと思われたらしい。もちろん本意は違うのだが、そういう風にも読めるような不備な書き込みをしてしまった自分のうかつさについて反省している。
反省はするのだが、こういう批判が許されるかどうかは一方通行だなあと常々思っている。たとえば地方に住んでいる人が東京を「ごみごみしていてとても人の住むようなところでない」とか「思いやりがない冷たい街だ」とか、かなりひどいことを言っても許される風潮がある。私は父方も母方も祖父母の代から東京に住み始めたので、田舎というものを持たない。東京が生まれ故郷なので故郷をそのように悪く言われると、あまりいい気分ではない。確かにごみごみしているところも多いが、東京は案外緑が多いし、代々住む人がいる地域などは近所同士の交流も非常に密なので、お互い助けあったりすることももちろんある。実際その土地に住んでみないと、いろいろな事情はわからないものだが、地方の人が東京の人に対して「(地方に)住んだこともないくせに」と言ってもいいのだが、東京の人間が地方の人に「(東京に)住んだこともないくせに」といったら総すかんである。でも、地方の人が都会を「人の住むところじゃない」というのは許される。人の住むところじゃないところに住んでいる私って何なんでしょう。
父方の系統は埼玉と群馬の県境あたりの出なのだが、戦争中にまだ少年だった父が、曽祖父(父にとっては祖父)の元に遊びに行った夜、東京で空襲があったのだという。東京方面の空が真っ赤になっているのを見て自宅を心配する父の前で、曽祖父は「なあに、東京者(モン)はばちが当たったんだ」と言ったという。自分の息子や、今目の前にいる孫が東京に住んでいる東京者だという意識はおそらくそのときの曽祖父にはなかったのだろうが、東京者ばかりがいい思いをしているというのは共通認識だったのだろう。戦争中娘だった母も農家への買出しなどでずいぶんいやな思いをしたらしい。ここぞとばかり仕返しをするほど、その当時の不公平は大きかったのだ。今でも地方格差は深刻な問題だが、それは東京に住んでいる人間が悪いのか?東京対地方みたいな図式になると、いつも東京は分が悪い。


2004年11月08日(月) 反面教師

非常勤先L。
先週、教卓のPCモニタの不具合があったので授業が終わってから窓口にそれを言いに行くと、応対に出た係の女性が私の説明をすべて聞く前に、即座に「ああ、わかりました。見ときます。」といった。この人、仮にA子さんとしよう。年の頃は50過ぎぐらいだろうか、見るからにおばちゃん然としている。私が5年前にここに着任したときにもいたと思うのだが、この人に用を頼んで一度で足りたためしがない。窓口には若い女性の係であるB子さんがいて、彼女は私の顔も名前もどの教室を使っているか把握している。できればB子さんに頼みたいのだが、B子さんに話しかけてもいつもA子さんが途中からしゃしゃり出てくるのである。そして、1週間後、やはりモニタは直っていなかった。もう一度言いに行くとまたA子さんが出てくる。「やっぱり先週と同じ状態なんですが…」とやや口調を強めて言うと、「電源はいってます?」と聞いてきた。重ねて「本体の電源が入っていないとこういうことになるんですけどねぇ」などと言いだして何を寝ぼけているのかとあきれてしまう。こちらが着任したてで機器の扱いに不慣れならそういうこともあるかも知れないが、もう5年も同じ教室で毎週授業をしているのだ(A子さんは多分覚えていないだろう)。この人は、何か不具合を申し入れるといつも「電源入ってます?」と言ってくる。前回「見ときます」と言ったきり、何も処置していないのだろう。様子を見に行ってもいないに違いない。誰に向かって言ってるんだと思いつつ、現象を丁寧に説明するのだが、A子さんは現状を見ていないので全然理解できない様子。理解できないまま技術員の男性に「こうこうこうらしいのよねー」などと状況を説明している。すみません、わからないならあなた引っ込んで直接技術員と話させてください、とのどまででかかったところで、技術員の一人が「ぼく、教室を見てきます」と立ち上がったので「埒が明かないので私も行きます」と言って私も同行する。百聞は一見にしかずで技術員が理解したので、おそらく来週は何らかのアクションがあるだろう。まったく、その場で直して欲しいわけではなく、状況を正しく把握して欲しいだけなのになんでこんなに手間と時間がかかってしまうのだ(涙)。
アシスタントの学生に「あのおばちゃん、いつも出てくるんだけど、一度で用が足りたことがないのよ」とこぼすと、彼女は「ああ、あの人いつも出てきますよねー、そういえば」といってからちょっと声を潜めて、「この間、事務室で技術員の人と大喧嘩してるの見ちゃいました。」と教えてくれた。窓口がある職場で大喧嘩というのもすごい話だ。二言目には状況も見ずに「電源入ってます?」というぐらいだから、新しい技術動向なども全然キャッチしていないだろう。当然、A子さんの担当できる仕事も少なくて、でも窓口でB子さんが受けている話も勝手に返事をしたりしているに違いない。彼女が出てくると通る話も通らなくなるので、こちらとしては迷惑な話なのだ。みんな彼女のことをもてあましているんだろうと思う。もう、なんとかして。

私にとってはこういう風に年を重ねてはいけない、という見本のような人だ。


2004年11月07日(日) 家族サービス

母のお供で、母の書道の集まりで都内小遠足。
鶯谷の書道博物館に行って、上野の中国書画展に行き、昼食をはさんで旧岩崎邸庭園を見学するというコース。趣味やテンポが合わない見知らぬ人たちと行動をともにするのも億劫だし、母が親バカ丸出しになるのも見苦しいので、
正直なところ気乗りしなかった。が、断るとなんだかんだと哀願してくるし、母も高齢になって足腰丈夫に出歩くのもこの先10年ぐらいだし、と思って親孝行と割り切って1日付き合う。予想通りの一日。そこそこ見聞も広まったし、母も喜んでいたし、まあいいか。何からなにまで楽しいということはない。

旧岩崎邸庭園は旧三菱財閥三代目当主の館。財閥解体後に国有化されて周囲を旧司法研修所など無粋なコンクリートの建物に切り取られてしまったが、当時の岩崎家の威光を存分に感じさせる別世界だった。鶯谷の書道博物館は、鶯谷駅前のラ○ホテル街の1角にある。お向かいは正岡子規の旧居だったという子規庵。日中と夜間の人種がこれほど違うところも珍しいだろう。日曜午前中の明るい日差しの下の○ブホテルというのは、またこれが明るく輝いているのであった。

書道博物館 http://www.taitocity.net/taito/shodou/
子規庵 http://www.shikian.or.jp/
旧岩崎邸庭園 http://www.tokyo-park.or.jp/kouen/park.cgi?id=77


2004年11月06日(土) 心傷つきやすい生き物

それは「おじさん」だ。「おじさん」は傷つきやすい。

変なメールがきっかけで知り合ったFeliceさんとは、やりとりするようになって一ヶ月以上が過ぎ、最近ようやく「変なメールで」という枕詞がお互い取れてきたところである。で、英会話スクールに通っているFeliceさんは、以前のクラスメートで苦手な初老男性がいたのだが、今になって考えてみると彼も彼女のことが苦手だったのではないか、ということに思い至ったという話が11月5日の日記に出ていた。
これは私も思い当たる節がある。まあ偏見も入っているが語学のクラスで一緒になる初老男性というのは、自分はあんまり出来ないのに、人の間違いはすぐに指摘したり、教えたがりだったり、頑固だったり、とかく優位に立ちたがったりすることが多く、できればグループワークで一緒には組みたくないと思っている。夕方の早い時間や、昼間の主婦の多い時間帯には、リタイア後の余暇のために語学を勉強しようという人が多く、こういう傾向がより顕著な気がする。
多分一人ひとりは、常識をわきまえた正しい社会人であり、よき家庭人であるのだろうが、これはあくまで「男社会においては」という注釈つきである。「男の子だから泣いちゃいけない」とか「男なら負けるな」とか幼少の頃から理不尽に他方の異性(つまり女だわね)との差別化を強いられ、「男は黙って○○ビール」とか、「男は度胸、女は愛嬌」とかいう戯言を真に受けて成長し、長じては男社会の年功序列で守られて、女性社員を「女の子」と呼んで名前も覚えずにきた世代が、突然それらの枠組みが通じない環境に放り出されたらどうなるか。目の前に座っている女性が、恋愛対象でもなく「会社の女の子」でも「近所の奥さん」でもなく、軽くあしらえる相手でもなく、年下なのに(という尺度がそもそも「残念!」だが)明らかに能力が勝っていて、優位に立てないと感じた場合、彼らはどうなるか。おそらく今まで経験してきた範疇にない存在の出現に彼らは大いに混乱するのではないか。そして、自分が傷つかないように無意識のうちにさまざまな防衛(無視するとか)や攻撃(いやみをいうとか)をしてしまうのではないだろうか。
幸いにして、私の今の仕事の関係にはそういうタイプの人はいないので、どうしてもそういう人と付き合わなければいけないという憂き目にはあっていないのだけれど、OLをしていた頃はたびたびそういうことに出くわしたし、「若い女の子」ではなくなったとき、それは顕著になった。具体例を挙げると話があらぬ方向に行って収集がつかなくなりそうなので、詳細は省くが、男の女に対する嫉妬は陰湿で執念深いと思う。そして嫉妬心をもった能力のあまり高くない男性たちが徒党を組んだとき、これはもう感嘆するほど団結力を発揮する。けっ。でも、そうでないと多分、彼らは壊れてしまうのだ。おおげさでなくアイデンティティの危機なのだ。だからといって彼らの気に入るように振舞うことももはや(もはや?)無理なので、触らぬ神に祟りなしで、そういうタイプの男性とできるだけお近づきにはなりたくないと願うのみである。


2004年11月05日(金) 昼下がりちょっと心豊か

非常勤先B。
ここは先週学祭だったのだが、気が抜けたのか体調を崩して2人ほど欠席。はじめはどうなることかと思ったが、みんなまじめに授業を受けてくれる。私語も居眠りもない。
最近は午前中に仕事が終わってから、そのままお昼を食べて午後は図書館やPCルームで過ごすことが多かったが、あまりに天気がいいのでさくさく帰ることにする。途中でいつものケーキ屋さんによる。お昼に行くとさすがに品数が多くて目移りするが、いつもどおりショートケーキとモンブランを買う。いつも夕方になると売切れてしまう名物のお菓子も買ってうれしい。それからいつもの無人野菜スタンドに行って物色。ここはさらに最近PC使いの腕を上げたのか、野菜が入った袋に可愛いラベルが張ってある。水菜を買う。料金箱にお金を入れようとしていると門のおくから「ありがとうございます」という声が。この人たちが売ってる人たちかー。無人スタンドなので当たり前だが、初めて会っちゃったな。この人たちが売ってるなら安心という気になった。そろそろ紅葉が始まっていて、街路樹がはっとするような黄色に染まっている。景色は秋だが汗ばむように暑い。
家に帰って買ったばかりの水菜をサラダにしてバリバリ食べる。


2004年11月04日(木) 「そんなとき あの人の声が聞こえた」

フランス語。
暗誦は暗礁に乗り上げず。先生の話を聞き流していいところと、ちゃんと聞くべきところをを割り切れるようになってきた。発音練習をたくさんする。発音は専門クラスを取っていたので、発音練習になると、他の人たちよりちょっと余裕がある。身体が慣れてきたのか、掲示板でみんなで励ましあったのが良かったのか、クラスが終わってもぐったりしなくなってきた。そろそろ来期のクラスを考える時期になってきたが、どうしようかな。
みんなでお昼。食堂のカーテンを全部閉めてある。秋になって太陽が斜めに入り込むようになったのに、日差しが強くて暑い。こういう日を小春日和というのかという話をしていたらジャパネットた○たの電子辞書のCMの話になった。 「『小春日和』は春の天気ではありません」 「若干を『わかせん』と読みましたね。母は恥をかきました」というアレ。何のコマーシャルだっけ?面白いよね、わははははとひとしきり笑って話題は次へ。長いこと海外生活をしているというマダム(初対面)が立て板に水でぺらぺらとしゃべっている。他の人が言うには、日本語の発音がすこし甘いところがあるらしく、長い生活のせいでちょっと日本語が…?といわれて「私、前から日本語変なんです」といいながらとどまるところなく話をしていた。これからどのクラスに進むかという話になって彼女曰く、「ええ、ゴジョウがある方はいいと思うんですけどね、そうでない方はなかなか難しいと思うんですよ」「やっぱりね、ゴジョウが…」
あいまいにうなずきながら、ゴジョウって何だろうとずっと考える。彼女の話し方は揺るぎがなく、確信を持ってゴジョウといっている。えーと、文脈から判断して、たぶんこれはボキャブラリーだ。ボキャブラリーは日本語で語彙だ。ゴは語だろう。彙をジョウと読んでいるらしい。ジョウと読む漢字は、畳か襄か。多分畳だろう。似てなくもない。一度も発話したことが無かったのか、いつもこの揺るぎの無い話し方で誰もつっこまなかったのか、いずれにしても私も何もいえなかった。

そんなとき あの人の声が聞こえた
「ジャパネットた○たがお薦めする電子辞書」

買いなさい 必ず買いなさい
それから 河童の川流れは 楽しそうに遊ぶ様子のことではありません


2004年11月03日(水) learn by heart

朝ゆっくり起きて、お昼近くに朝ごはんを食べ、夕方夜ご飯を食べる。
夫は書類つくりのために、一日中PCに向かっている。外はこんなにいい天気なのにねぇ。仕方がないので私もPCに向かう。

フランス語の動詞活用を今までサボっていた分きっちりつけが回ってきたので、まとめてぎゅうぎゅう覚えることにする。とりあえず市販の単語活用表の冊子にポストイットを貼ったり色を塗り分けたり。単語帳をきちんと作る人もいるが、ああいうのはどうも時間の無駄に思えてしまう。手を動かす分覚えるというのも真実だと思うけれど。

ノートや本を見るだけで全部覚えてしまうという人がいる。私はそういう人を2人知っている。一人は高校の同級生で、もう一人は非常勤先Lにいる教授。当然すごく頭がいい。試験前に自分のノートをじっくり見て、まるでスキャンしたように覚えてしまうというのだ。そして試験のときは頭の中のノートをぱらぱらとめくってそこに書いてあることをただ書き写すだけなのだという。頭の中にノート持込可なのである。もともと頭がいいので、ノートの取り方も要点をついているのだろう。
高校の同級生のほうは席が隣同士だったので、実際にその*勉強*の様子を見ていた。ドイツからの帰国子女で、入試もドイツ語で受けるんだといって、英語の時間に内職でドイツ語を勉強したりしていた。すごくリラックスした様子で頬杖をついてノートを眺めている。それだけで覚えてしまうといっていた。さっさと推薦で一流私大に進んだが、塾に通ったりもせず、スポーツ系の運動部に入ってバリバリやっていたし、がり勉をしている風でもなく本当に頭がいいんだと思った。
聞いた話では間接的な知り合いの人もそうらしい。都合三人だが、三人とも女性だ。女性は空間認知が得意だというが、ノートを丸ごと覚えてしまうのもそうだろうか。たまたま私が同性の話を聞く機会があったせいかもしれない。自分はどうかというと、これに近いことだと「教科書の右下の脚注にあった…」ぐらいのことは出来たが、肝心の中身を思い出せないことが多かったし、しかもノートの取り方が下手なので多分同じ勉強法は出来なかっただろう。結局ぶつぶついったり手を動かしたりして身体で覚えるしかない。

書類をやっつけた夫は19時半にクラッカーをつまみに、ワインを飲み始め、20時に寝てしまった。いいのかそれで。


2004年11月02日(火) 馬脚を露す。

週末は心を入れ替えてフランス語との宿題と予復習にかなり時間を割いた。
で、今日はその成果を試すべくフランス語教室。はじめにみんなで暗誦をして、当てられても取り乱さず。それから宿題の答え合わせ。順番に答えていくのだが、辞書と活用表と首っ引きでやったので、問題なし(でもどうしてこの答えを書いたのかすでに忘却の彼方の部分多々あり)。人称を間違えるとか、書いてある単語が抜けてるとかところどころお粗末なミスがあるものの、間違えたところは当たらなかったのも良かった。先生大満足。クラスで一番よくできる若い子は、教室に入るなり「宿題あったっけ?」とか言ってみんなぶっ飛んでいたが、彼女は当然すらすらと答え、他の人の間違いまで指摘していた。ぱちぱち。
新しい構文を習う。先生が文章を読み上げてそれを言い換えるのだが、聞き取りが出来なくて、答えられずに石になる。固まっていると先生が文章を板書してくれた。こうすればするする答えられるのになぁ。聞き取りができないっていうか、聞くだけでは文章が頭に残らないので、構文解析できないのだ。ま、結局そんなものよ。付け焼刃の馬脚を露す。

昼食は、いつものメンバーは大半が直帰したらしく、大学生の子と二人で食べる。ちょっと進路の話に水を向けたら、やぶへびだったらしくヘビーに話し込んでしまう。彼女は院試浪人が決定して、来年はとりあえずがんばってそれでもダメなら就職を考えているというのだが、どうしてもやりたい研究があるから院に進むというのでもないらしい。将来出産や子育てで仕事を中断してもまた再開できるような専門性の高い職につきたいのだという。親の価値観をそのまま押し付けられたような感じで、周囲とのしがらみもあってその進路を選んでいるらしい。二言目には30歳までになんとかしたい、というのも親の影響で思い描いている設計図のような印象を受ける。すでに彼女自身その無理な設定に気づいて壁に当たっているのだろう。専門性も結構だけど、中断している間に業界の動きや進歩についていけなくなる可能性もあって諸刃の剣だし、まったく同じ仕事をし続ける必要もなくて、結婚や出産や転居をきっかけに、職種や働き方を柔軟に変えている人もたくさんいる。いずれにしても、世に出るためには常にアンテナを張っておかないといけないなどど、ちょっと人生訓を垂れてみた。こちらは馬脚を露す前に話を切り上げる。

帰りのバスは、いったい誰に席を譲ればいいんだ!?というほど老人だらけ。あと10年もしたら、団塊の世代が70代になって日常がこんな風景になるだろう。


2004年11月01日(月) タイミングがいいんだかなんだか。

非常勤先L。
自分としては内容が薄いなーと思いながら話をしているのだが、くどくどいって時間を引き伸ばしている分、わかりやすいらしい。感想メールを読むと好評で複雑な気分。
荷物を部屋において、お昼前に待ち合わせて他の非常勤の人と食事⇒お茶。ついでに授業の相談にのってFTPのやり方とか教えてあげたりして2時間コースになるorz(←使ってみたかった)。教員用のPCルームに行こうとして事務の人に呼び止められる。「あの、これ」といわれて差し出された手の中にあったものは!!

なんとUSBメモリ。

これがないとれいこな死んじゃう、というぐらい大事なものを教卓のPCに差したまま忘れてきたらしい。あー助かった。正直PCルームまでいくと時間がとられちゃうなぁなどと思っていたところが、一転していやー来てよかった!ということになる。その後、午後の時間は図書館でフランス語の復習でもするかと思い、とりあえずトイレがキレイな研究棟へ連れ立っていこうとすると、入り口のところで久しぶりの知り合いに会う。うわーっどうしたの!?などといいながら彼女たちの用事に付き合ってその後お茶を飲む。なんかすごいタイミングで会っちゃったなぁ。

で、結局11時半に食事に出てから戻ってくるまで4時間コースになり、荷物を取って今日は家に帰ることにする。学校でやろうと思っていたことはほとんどできず。なんだかなぁ。5時前に家に着くようにすると電車ってすいてるのね。


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