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2003年11月30日(日) 野菜もりもり。

もりもり食べ野菜。
というベタなふりかけのキャッチコピーを言った(言わされていた)のは、知的でまっすぐが売りの鈴木杏樹さんだったか。そういえば2夜連続放映の「流転の王妃」のヒロインは、本当はこの人がよかったように思う。常盤貴子さん顔立ちは上品だが、滑舌および発声が今ひとつ華族のおひめさまらしくない。といっても本物の華族の話し方を聞いたことはないが、なんとなく。
で、野菜もりもりである。先週ぐらいまで野菜摂取不足を感じていたのか、生協の宅配とは別にきのこや野菜類をまとめ買いしたところに、野菜摂取不足を危惧した先々週の私が注文していたきのこや野菜もどっさり届いたため、週の後半からずっとこれでもかと野菜をたっぷり食べている。柿を生協で注文したら実家からも柿をもらったので、柿も食べている。加えて夫が立て続けによそからお菓子をいただいて帰り、私も昨日の法要でもらったお菓子がある。今週は夫がほとんど家で夕食いらないと言うし、消費期限の日付がぐるぐると回る。
夕方、スポーツクラブ。スポーツクラブの前の角にあった、今にもつぶれそうな駄菓子屋兼パン屋兼タバコ屋兼贈答用品屋兼公衆電話取扱の昔ながらの店が、本当につぶれていた。スイミングスクール帰りの子供がアイスを買い食いしたりしているのかとも思っていたのだが、店仕舞いするらしい。おばちゃん二人が片付けをしていた。自転車で通りかかった中年の男性が「おれが子供の頃からあったんだから、もう50年ぐらいやってたんだろう」と、店の中のおばちゃんと話していた。


2003年11月29日(土) Family tree

伯父の十三回忌。雨男だった伯父のせいか土砂降りの中、都心のホテルまで出かける。
ごく親しい身内が集まって会食するだけで法要はなし。会食前に別室でテーブルに飾られた写真に白いカーネーションを供えて、あとは伯父夫妻に縁の深いコックさんが調理したという料理を堪能しつつ、伯父の弟妹および息子達が個人の思い出話などをいくつか披露して伯母が〆て2時間ほどで終わり。
伯父は母の長兄で結婚が早く、年の離れた妹である私の母は比較的晩婚で私を産んだのも遅かったので、私はむしろ従兄弟との子世代と年が近い。上の世代の衰えが気になるが、久しぶりに一堂に会しておしゃべりをして楽かった。いつまでもこうして元気に仲良く集まれるといいと思う。


2003年11月28日(金) ちょっと自分をほめてみた。

長年「調子に乗って落っこちる」を繰り返しているうちに、だんだん自分を褒めなくなってきた。
でも今日はちょっと自分を褒めたくなった。
1.小包を作って郵便局へ出しに行き、ついでにインクジェット用年賀状を買った。
2.頼まれていた住民票を忘れずに取りに行った。
3.時間の余裕をみて仕事場に行った。
4.正午に昼ごはんを食べた。
5.控え室でいつも一緒になる何人かに自己紹介をして、世間話をした。
6・クリスマスケーキを買う予定のお店で予約用のカタログをもらってきた。
7.前から欲しかったピンクのポインセチアを買った。持ち帰り用の袋を断って、今日はかばんに忍ばせているメッシュの袋に入れてもらった。いざと言うときいつも出しそびれてしまうのに。
8.夕方ネットにつないだら本国に帰ってしまったフランス人の友達がオンラインになっていたので、フランス語で話しかけてみた。そのままずっと頑張ってフランス語で通してみた。過去形と未来形を習った後だったので、ずいぶん話が通じた。
9.夜はすき焼き(関西風)にした。味付けが前よりよくなった。
10.褒める理由の10個目が見つかった。

えっへん。


2003年11月26日(水) 「みんなが便利」を広める社会

国立国語研究所の外来語の言い換え提案(http://www.kokken.go.jp/public/gairaigo/Teian2_tyuukan/Words/normalization.gen.html)によると、「ノーマライゼーション(normalization)」の言い換え語として、「等生化」と「等しく生きる社会の実現」を提案したということである。意味は「障害のある人も,一般社会で等しく普通に生活できるようにすること」だという。今まで訳語として使われていた「共生化」では「他民族間」や「人間と動物」というように使われる分野が広くなりすぎたので「等生化」という言葉を提案したそうだ。「等しく生きる」という言葉をあえて使わなければならないほど、今の日本において障害のある人とない人は等しく生きていないということをあらわしている。

ところでこの間、都営バスに乗っていたら一つ前の座席にろう(聾)の若いカップルが並んで座っていて、さかんに手でおしゃべりをしていた。ある停留所が近づいてくると、風景と前方の車内電光表示板で停留所名を確認して二人で頷きあった後、ブザーを押して軽やかに降りていった。都営バスに限らず東京の路線バスの多くは電光掲示板を備えていて、停留所の案内が音声と文字とで行われる。これはろう者および所属団体の要望によるものだという話を、以前手話を勉強していた頃に聞いたことがある。
もし、電光表示板がなければ、先ほどのカップルはおしゃべりに興じることもできず、車窓からの風景に目を凝らすか、あるいは運転手や周囲の乗客にあらかじめメモを渡すなりして、目的の停留所が近づいてきたら教えてくれるように頼んでおかなければならない。電光掲示板があるおかげで、ろうの人々は車内でリラックスして過ごすことができる。そして(そう希望するかどうかは個人差があるが)耳が聞こえないということを不必要に周囲に知らしめずに済む。しかし、ろうの人々の要望で装備されるようになった電光掲示板のメリットを享受しているのは、必ずしもろうの人々だけではない。耳の遠いお年寄りはもちろん健聴者にとっても、今どこら辺を走っているのか一目でわかる電光掲示板は便利である。ローマ字も表示されるので日本語ができない人にも役立つ。私は時計を持ち歩かないので、電光掲示板に時間が表示されるのもありがたい。そして電光表示板をつけるように運動してくれたろうの人々に感謝している。

一般的に、障害のある人々が使う特殊な機器類は福祉機器に類別されて、生産ロットが少ないために非常に高額になりがちである。しかし障害がある人のための便宜を図ったら、障害がない人にも意外と便利で、そのためにそれがより広まって、ロットが増えたおかげで生産コストが安くなって、それと同時にもっと工夫がされ、そのためもっと便利になっちゃった、というこの話を、ノーマライゼーション(あるいはバリアフリー)の一例として、私はとても気に入っている。
逆に、別に福祉機器として開発したわけではないが、障害のある人達の日常生活を大いに助けるものもある。例えばEメール。特に携帯メールは、ろうの人にとっては、これほど便利なものはないだろう。それからマナーモードでも使うバイブレーション機能。例えば電車に乗ったときに、あらかじめ所要時間を見計らってセットしておけば、途中で読書に耽っていても舟を漕いでいてもアナウンスが聞こえないために乗り過ごす、ということを避けることができる。

歩道の段差解消しかり、階段の手すりしかり、字幕放送しかり。車椅子の人も、足腰が弱ってきた人も、ベビーカーを押す人も、そのときだけ松葉杖の人も。いろんな立場の人達が共に生きていて、ちょっとした「配慮」が「みんなが便利」に発展して個々の幸せにつながっていく。そういう社会は小気味がいい。


2003年11月25日(火) ばったり。

某所ではマルコさんとさるとるさんがばったり出会っていたようだが、私も実は都内某所でばったりと知り合いに会った。
火曜日というと雨が降る。気のせいか?
夕方から都下へ行く用事があった。午前中フランス語があって都心部へ行き、お昼を食べると次の用事まで家に帰るほどの時間もない。3時間近く空いてしまうが直接そちらの方向へ行くことにする。今考えればその時間を利用して映画でも見ればいいのにとも思うが、雨も降っていることだし、どこぞでお茶でも飲みながら内職でもするか、と線路沿いの道をかさを指しながらとぼとぼ歩いていると、脇の路地から人が出てきた。
なんだか見覚えのある顔だなぁ、似た人なのかなぁ、と思っていると向こうも私と認めたらしく表情を緩ませて近づいてきた。本人だった。なんという偶然があることか。そういえばこっちの方に異動になったという話をして以来、3年近くすっかり疎遠になっていた。相手はもともとネットで知り合った人で、以前は何回か会ったり本を借りたりしたことがある。純粋にネットで知り合った人としては、かなり初期の頃の一人である。ネットで知り合って面識があるほど親しくなるということ自体、一握の砂をつかむような確率だが、さらにネットの知り合いと街角でばったり会うというのは一つまみの砂のような確率だと思う。
近況とか最近考えていることなどを話しながら30分ほどお茶を飲んだ。

夜はデパートのお弁当を買ってみた。いろいろなおかずが入っていて楽しい。


2003年11月24日(月) 子守唄を聴く

午前中スポーツクラブ。
駅前でラーメン食べてから出かける予定が、ラーメン屋が準備中で果たせず。そのまま新ルート開発強化週間運動の一環として、バスで違う私鉄沿線まで出て、そこから某ターミナル駅へ。
tenkoさんが参加している合唱団が出演する演奏会に行く。空腹をいなすために途中で菓子パンを買い食い。今日はオーケストラとの共演で、合唱団が出るのは1曲目と3曲目。
なんか合唱団の人数が多くて舞台上の誰がtenkoさんがわからないまま、1曲目のフォーレ「レクイエム」始まる。なんか出だしからきれいだなーと思っていると、そのままうとうとしてしまう。適度な肉体疲労、適度な満腹感、そして外気で冷えた体が適度に温まり、途中でいかんいかんと目を覚ますのだが、なんとも心地よく最後までうつらうつらしながら聞いてしまった。後からtenkoさんにお聞きすると指揮者からは「子守唄のように澄んだ声で歌うように」と指示されていたとか。ということは寝た私は正解か!(違)
3曲目のダフニスとクロエ(第2組曲)はさすが大人数の合唱だけあって迫力があって大変よかった。ばっちり目も覚めた。私は前から2列目ど真ん中で指揮者のお尻を見ながら聴いていたのだが、合間から見える合唱団の一人が唄い終わったとたんに会心の笑みを浮かべたのがほほえましかった。
tenkoさんは終演後、袖に引っ込む姿を発見。お互い笑顔で手を振り合う。その後空腹を解決すべく、街に出る。近場で空いているのがラーメン屋と焼肉屋だったので、焼肉を食べる。勢いに乗ってがんがん頼んだらちょっと多すぎた。ぐ、ぐるぢい…。


2003年11月23日(日) ごぞうろっぷおねがいします。

13時前に外出。やや利用頻度の低いターミナル駅までバスで出て、そこから徒歩か地下鉄で一駅のところにある場所に14時までにつくつもりで家を出た。が、途中で渋滞に巻き込まれてスタックし、このままでは間に合わない事態に。丁度そっち方面へ地下鉄が乗り入れている私鉄駅の近くだったので、思いきってそこでバスを降りて私鉄に乗り換え。しかし地下鉄に乗り入れているような雰囲気は見えず、つらつら考えるに乗り入れの地下鉄は一駅手前から分岐するらしい。泣く泣く一駅分反対方向に乗り、始発の電車に乗る。結局3分ぐらい遅れる。家に帰ってから地図を見ると、さっき乗り換えた駅から商店街をもう少し進むと、分岐したほうの地下鉄の駅があることが判明。ここから乗るとターミナル駅をスキップして5分で目的地に着くことがわかった。力が抜ける。へにょ。なんか5分以上ロスした上に精神的ダメージも大きかったので、損した気分だが、まあ、これで一つおりこうさんになったということで。
天気がよく暖かいので、所用を済ませてから少し街をぶらつく。以前は住宅街だったあたりもずいぶんしゃれたお店が増えている。自宅近辺の寂れようとは裏腹である。日本は本当に不況なのかと思うが、これも地価が下がって開発が進んだと考えると、やはりデフレの影響もあるのだろう。ターミナル駅まで歩いてきて、そうだボジョレーヌーヴォーを買おう、と思い立つ。なんか今年のはフランスの猛暑のせいで例年にないよい出来らしい。"ボジョレーの帝王"が、150年に1度だと言ったとかいうサントリ一の電車の中吊り広告を読んだのだが、なんで150年という数字が出るんだろう。この人は150年前にボジョレーの新酒を飲んだのか?しかも同じくサントリーの広告によると、地味な地酒を世界的に名だたる品質に押し上げたのはこの"ボジョレーの帝王"らしいが、だったらボジョレーの味がよくなったのは、少なくともこの人が生まれて以来なのだから、なおさら150年に1度というのは…。あれは幻だったのだろうか。サントリ一のページを見てもそんなことは書いてないし。https://e-wine.suntory.co.jp/kaikin/index.html
ま、そんなことはともかく、ボジョレーヌーヴォーである。この間slashさんがはじめてのボジョレーヌーヴォー体験の話を書いていて、「へぇ、slashさん飲んだことなかったんだー(^^)」と思っていたのだが、考えてみたら私も飲んだことがなかった。初物をありがたがるたちではないし、数ヶ月待てば船便のヌーヴォーがもっと安く買える、などという風聞により手を出したことがなかったらしい。というわけで今夜は初体験なのである。1軒目は売り切れ、2軒目は"ボジョレーの帝王"ではないメーカーのものが置いてあったのでハーフボトルを買う。ラベルの絵はジミ一大西が描いたそうだ。ワインを買って、ついでにクリスマスカードを数枚購入。なんか西洋かぶれな年中行事にはまっている。
ターミナル駅からバスに乗ろうとするが、渋滞しているらしく全然来ない。長蛇の列の中、おとなしくじっと待っていると「五臓六腑おねがいしまーす。」というスピーカーの音声が耳に飛び込んできた。何事?と思ってよく聞くとそれは献血ルーム方面からで、「けんっけつにーぃ、ごきょうりょっくーっ、おねがい、しまーっす」という連呼だった。


2003年11月22日(土) being behind

土曜日だと言うのに夫は出勤なので、今日は丸々あたしの時間♪である。
もうすぐフランス語の進級テストがあるので、ばりばり勉強しちゃうぞー!と張り切っていたのだが、夫を送り出してとりあえずまったり。いやいやこれじゃいけないと思いつつ、机の上に勉強道具をならべてみるが、なぜ勉強を始めようと思えば思うほど、どんどん部屋が片付いていってしまうのでせう…(涙)。
しかし、なんでここで現実逃避してしまうのか。大体フランス語なんて誰に頼まれて勉強しているわけでもないのに、おかしなことである。今度こそ机に向かうと空腹に気付く。虫養いに少し食べると眠くなってくる。昼寝して、コーヒーを飲みながらテレビをつけると、今度やる「流転の王妃」の番組宣伝特別番組をやっていた。夫妻の生い立ちから幾多の苦難や悲劇などを、現存する友人や知人へのインタビューも交えて、ドキュメンタリータッチにしてある。ティッシュで涙をぬぐいつつ見いってしまう。でも本放送は見ない気がする。
夜、丁BSで、「やせの大食い」はなぜ食べられるのか、なぜ太らないのかという謎に迫った番組を見る。数年前テレビの大食い競争の常連だった男女計三人が出てきて実験を行う。「普通にお腹が一杯になるまでカレーを食べてください」といわれて食べ始めるのだが、途中、腹八分目になったあたりからカレーに大量の唐辛子を足したり、砂糖を摂取したりしながらさらに食べ進める。どうも「普通にお腹がいっぱいなる」の食事の量では足りないらしい。食事後体重が5キロ前後も増えるほど食べる。その時点でレントゲンを撮ると胴体部分がほとんど胃に見えるほど、胃が膨らんでいる。太っている人は脂肪が邪魔をしてそれほど広がらないらしい。これがやせの大食いたるゆえんである。しかも3人とも、食事が終わって1時間以内にトイレに行き、その後ほとんど食べた分と同じ重さだけ減っている。代謝がいいというレベルではない。食べたものがそのまま出てしまうに近く、食べた分がほとんど身にならないのだ。
もっと驚くことに、彼らが腹八分目以降に摂取した唐辛子や砂糖は胃腸の蠕動運動を活発にしたり、血糖値を上げてどんどん食べ物を小腸に送り出したりする働きがあるという。彼らは自分の"嗜好"としてそれらを摂取しているのつもりなのだが、実は身体がそれらを欲しているらしい。誰に教えてもらったのでもなく、本能の働きによるものなのだろう。うむー脳の神秘である。


2003年11月21日(金) 復活の日。

しゃーーーっ!復活だわ。快食快便、わっはっは。
朝から掃除や洗濯がはかどる。めきめき回復してきた感じである。ちゃっちゃとしたくしていつもより早いバスに乗って非常勤先Bへ。それにしても暑い日である。日差しも強いし湿度も高いぞ。空気は明らかに秋なのに、不思議な天気である。
控え室に入って資料の準備。今日は印刷機も元気なのでなんの問題もなく片付き、駅前で買ったパンをパクつく。ちょっと離れたところに女性が二人向かい合わせに座っていて、確か先週もそこにいたことを思い出す。先週は「こんなもの差し上げてお使いになりますか〜余計なお世話でしょうか〜」「ええ〜ありがとうございます〜助かります〜」と延々同じようなことを繰り返し話していたのだが、今週は「こんなもの差し上げてよかったでしょうか〜要らなかったら捨ててください〜」「いぃえぇ〜ありがとうございます〜助かります〜」と延々繰り返していた。めでたく物品の授受が行われたらしい。
終了後少し残って作業など。うーむ段々ネタ切れになってきたな。ああ〜よからぬ考えが頭をよぎる…(-"-)。すっかり日が短くなって暗くなってきたので、きりのよいところでやめることにする。控え室に戻ると、「雨ですよ」と言われる。「は…」とあいまいに応じている間に、心の中で『いや、私今外とって来ましたけど降っていませんでした…』と訴えていると、「雨だったんです、さっき」と言われる。いつの間に降ったんだろう。確かに地面がぬれていた。帰りにいつものケーキやさんでお土産にケーキを買う。クリスマスのケーキは12月に入ったら見本が出て予約を受け付けるらしい。楽しみ。夫がいないので途中で晩御飯代わりに明石焼きを食べて帰る。


2003年11月20日(木) 座右の銘

朝、フランス語教室へ。クラスメートにワインの輸入などを扱っている人がいて、ボジョレーヌーボーも話題に上る。時差の関係で地球上で一番早く日付が変わる日本では、バブル華やかなりし頃は初物好きの国民性ともあいまってずいぶんメディアで騒がれたものだが、しかしフランス人はどのくらい新酒をありがたがるのだろうか。まさか女房を質に入れてものみたいとまでは思わないだろう。食欲が出てきたので、学食でサンドイッチを食べて帰ることにする。全部おいしく食べ終わる。ありがたやありがたや。
午後は歯医者さん。この間の検診で発見された虫歯の治療である。以前かぶせたところの内側が虫歯になっているらしい。はずしてみると隣接する歯もちょっと怪しかったらしく合わせて2本治療になる。なんかすごく磨きやすいところが虫歯になっていてがっかり。実家に寄ってお茶。麻酔が効いているのであまり食べられないと言うのに次から次へとおやつが出てくる。頬肉の内側をかまないように気をつけて食べる。おやつとはいえずいぶん食欲がでてきたものだと思う。
母の道具を借りて泥縄で書道をほんの2〜3枚書く。ええ、やらないよりマシですから。この間ようこさんの日記で「『ないよりまし』というのはれいこなさんの座右の銘はでしたっけ」というような記述があった。ええ、その通りです。あと「果報な寝て待て」とか「待てば回路の日和あり」とかいう言葉も好きです。


2003年11月19日(水) 兆し

非常勤先Lへ。今日も不調。しゃべっていても口が回らない感じで、内容もはらひれほろである。学生さんの出席率も悪い。彼らもそろそろ疲れが溜まっている頃だろうか。お昼にうどんやさんに行くが食指動かず。一緒に食べていた人に「辛そうですね」と言われる。むー。午後は来客があったりして、少し人としゃべる。今ひとつ元気が出ないが、それなりに楽しく話したのもよかったのだろうか、夕方に向けてよくなって来た気がする。
仕事先近くに夫が別件で来ていたので帰りに待ち合わせて帰ることにする。駅前で待ち合わせて「バリスタが淹れる」のが売りのシアトル系コーヒー店でお茶を飲んで、輸入食材を扱っているスーパーを冷やかす。丸ごと冷凍した七面鳥とか、巨大なスープストックとか、アドベントカレンダーの食玩とか、見ているだけで楽しい。チーズを数種類と乾燥パセリの大壜を買う。ワインも買うつもりだったが、決めかねる。レジの脇に、ワインが入っているらしい段ボール箱が山と積まれている。英語で「1月20日午前0時まで売ってはいけない」と書いてあるのが読める。1月?と思ってふと気付いた。多分1が一つ消えてるのだろう。そういえば明日は第三木曜日、箱の中身はボジョレーヌーボーらしい。
夜がふけてくるとさかんにおならがでる。ということは下痢はうちどめか。盲腸の術後の人みたいに喜ぶ。


2003年11月18日(火) だめだ…。

昨日小康状態に見えたかのお腹であるが、ぶり返したのか本調子でないのか結局相変わらず下している。下痢もさることながら全然おなかがすかない。昨夜はオペラ観劇に行ったのだが、3時間休憩なしという長丁場で、もしことがおこったらマジでどうしようかと思ってひやひやした。
昨夜の食事が消化されないまま朝、申し訳程度にお腹に物をいれてフランス語教室へ。なにしろここ数日ろくに食べていないので、頭に血がめぐらない気がする。まっすぐ帰宅しておじやを作って早寝。早く直って〜。


2003年11月17日(月) poco a poco

所用があって以前住んでいた辺りに行った。
結婚以来4年ぶりに東京に戻ってくることになり、今のマンションが建つまでの1年と2ヶ月ここに住んだ。期間限定だから面白い街に住もう、といって選んだ1LDKの賃貸で、夏の暑い盛りに引っ越してきて秋を2回すごした。大きな荷物は実家に預けたままの仮住まいで、終の棲家にはたどり着かない、旅の途中のような軽い緊張感がいつも付きまとっていた。ほんの3年ほど前のことなので街も大きく変わったわけでもないが、通りの反対側から住んでいた部屋を眺めると、それなりにさまざまな感慨が湧き上がってくる。
二人とも東京の生まれで、生まれ育った地に戻ってきたといってもまた一からやり直しで、ここに居を構えて、少しずつ今の生活基盤を再構築していった。私はフルタイムの仕事をやめて、結婚して、東京から離れていったのだから、昔の生活に戻るわけではなかった。孤独ではないが、心もとなかった。非常勤の仕事を得たが、始めは半期にたった一コマで、前途は見えなかった。暇をもてあまして焦ってもいた。焦るあまり派遣社員でデータ入力のバイトをしたりした。夫も今よりたくさん余暇の時間があった。テクテクあるいて街の探検もした。ネットでの交流にもずいぶん癒された。実際今ネットで親しくしている人達との関係はこの頃に培われたものが多い。派遣先で知り合った人とは、後に一時フルタイムで就職したときに同じ会社に入ってもらって、今も彼女はその会社にいる。
実世界ではろくに知り合いもできなかったこの街で、少しずつ少しずつ積み重ねていったことが今につながっている。


2003年11月16日(日) ひねもすのたりのたりかな。

夫は休日出勤。ひさしぶりにのんびりしようと思っていたのに、結局一日だらだら半分眠って過ごす。夕方起き出して少し部屋の片付けなど。こんなちゃらい生活をしていても疲れて体調を崩してしまうんだから、子供がいてフルタイムで働いている人は本当に尊敬する。図書館で借りていた本を少しぱらぱらとめくってみると、非常によい内容でしかもこの短期間では目を通しきれないことがわかったので購入を決意。それにしても家の荷物はだんだん増えてきている。片付けるとは、要はもとにある場所に戻せばいいのだが、それに追いつかず雑多なものが増えていないか。むー。すっきりしたい。
久しぶりに家族全員食卓に揃うので、夕飯は少し品数を増やしてみる。


2003年11月15日(土) おなかにきました。

未明に下腹部に違和感。
ま、要は夜明け前にトイレにいったら下してたってことですわね。今年の風邪はおなかに来るらしい。で、どうもその風邪を引いたらしい。日中は横になって何度となくトイレを往復。
今夜は夏の集中講義の打ち上げ&反省会があるのだ。魚がうまい店だと言うので楽しみにしていたのに、くー。熱があるかもしれないが、あるとわかるととたんに元気がなくなりそうなので、あえて測らず。夕方ふらふらと身支度をして出かける。確かにお料理はおいしかった。料理を堪能しつつその間も何度かトイレへ。2時間半ばかり飲み食いして、その後雨の中帰ってきた。電車接続の按配がわからず思ったより時間がかかり、さらにバスの接続が悪く、やっと家に帰り着いて非常に悲しくなる。世の中にはもっと運の悪い人がいるんだから、とは夫の弁。明日1日で直るかな。


2003年11月14日(金) きっぱりと冬が来るぞい。

さむいー。もう晩秋、木枯らしぴゅーぴゅーである。
非常勤先Bへ。前回やった演習を2回にわけてやるつもりが、1回でほとんど終わってしまったので、急遽課題をリサイクル。新たに作った資料を印刷するために少し早めに家を出たつもりが、例によってバスが来ず、結局普段とあまり違わない時間になってしまう。しかも2台あるうち1台の印刷機が壊れていて待ち行列ができているし。仕方ないので掟破りのコピーで済ます。
前回作成した既存のデータを使って、関係データベースの検索の発想を学んでもらおうという趣旨で、頭の体操のような部分もある。操作の演習ではいつも取り残されてしまう学生が、あっさり概念をつかんでさくさく検索式を立てていたり、授業態度も熱心でいつも誰よりも操作を早く飲み込めている学生がかなり初歩の部分で躓いていたり、思いがけない面を発見して面白かった。今日提出の課題をチェックしたら、課題の件名は決めてあるのに守っていない学生が3名ほどいて、みたら全員女子。4人いるうちきちんとできているのはたった1人。でも彼女は授業中おしゃべりがひどくて注意したりした子。だめじゃん>女。
お昼を食べる時間がなかったので、やや空腹。長居は無用と仕事場を出て、いつものケーキ屋さんによっておやつを食べて帰ることにした。喫茶の部はほぼ満席。私は2人席に一人で座る。座ったところに店員さんが来て、椅子をもってもにょもにょ言っているので、聞き返すと「あの…、この椅子お使いしても…いいですか」と言っていた。後からきたグループ客の椅子が足りないらしい。「ええ、どうぞお使いください」と答えるとほっとしたようにもって行った。この店は従業員の礼儀が行き届いていて、いつも「大変お待たせいたしました。」とか「お気をつけてお持ち帰りくださいませ」とか、よい言葉遣いで接待されるのだが、マニュアルにない台詞は自分で考え出さなければならず、かように大変なことになってしまうらしい。
一目散に家に帰って、身体が冷えていたので布団にもぐりこんだらそのまま寝てしまった。夫帰宅。私が不在だと思っていたらしく電気をつけて「わぁ!いた!」と驚いていた。


2003年11月13日(木) ヒガシヘ。

新しく買ったショートブーツを下ろした。とたんに両くるぶしが靴擦れになった。
午前中フランス語教室。この間同い年と発覚したマダムの好奇心を、ふとしたことで刺激してしまい、休み時間のたびに私的なことを質問される。どうも彼女は自身の路線と近く、かつ自分が思っている路線から外れている人には異常に興味を示すらしい。ただ、それを聞いて「へぇ、こんな人もいるんだ」と楽しむというよりは、自分の常識が覆されるような気がするのか、納得できるまで根掘り葉掘り聞くというパターンである。今まで何人か質問攻めにあっているのだが、今度は私がターゲットだった。クラスにいる「あたしは、あたしは」という自己アピールマダムとセットになってくれれば平和になると思うのだが、そうもいかないらしい。
クラスが終わってから一目散に千葉へ。ここ2週間で千葉方面に行くのは3度目である。今日は千葉市美術館で天津市芸術博物館展を見る。千葉駅に降り立つと、妙に旅情を感じるのはなぜ。美術館までは徒歩で15分ぐらい。駅前ロータリーからバスでもいけるらしいので、ちょっと案内板を見てみるがよくわからない。結局停車中のバスに首を突っ込んで聞き、「○○じ」で降りれば行きますよ、と言われる。バスは東京と違って後ろ乗りの前降り後払い。それだけで旅情が増す。「○○じ」が聞き取れなかったので、乗り込んでから路線図を見るがよくわからない。きょろきょろしながら座ると、隣のおばさんが「美術館は2つめですよ」と教えてくれる。「『○○じ』っていわれたんですけど」というと「なんだったかしらねぇ…」としばらく考えて「ああーそうだ、『広小路』だ!」と思い出してくれた。そうか「広小路」か、「○○寺」じゃないのか。バスは近場だと100円らしい。安いので感心しているとまたもおばさんが「でも現金だけですよ」と教えてくれた。なるほど100円なら気軽に乗れるし、現金なら面倒な設定も不要だし、いい方法である。バスは無事に広小路に着き、この辺りかと見回すと後ろの方の席のおばさんが「あっちよ、あっち」と指差して教えてくれ、隣の席のおばさんが「ここで降りて右」と教えてくれて、最後にバスの運転手が「ここ渡って右側です」と教えてくれた。ええ人や>千葉市民。
中に入るとまず、翡翠の彫り物など。ついで陶器。陶器は英語でchinaというぐらいである。日本の焼き物のような「侘びさび」よりは、左右対称あるいは円形に整っている物が多い気がする。大人で一抱えもあるような大きい花瓶もある。金属製にみえるように彩色を施した一輪挿しとか、青銅器を模した翡翠の彫り物とか「こんなこともできちゃうんだもんね〜」というような技巧を見せ付けるような作品もあり、中国の不思議な価値観が浮かび上がってくる。少なくとも「羽織の裏に凝る」というようなメンタリティではないらしい。
次に文房具(主に書道具)。目にも鮮やかな色墨セット、さまざまな彫り物を施した硯、印、軸が陶器製の装飾品らしい大筆などが並び、写実的な泥人形を見て、書画類。先日雅印を物色したせいか、作品そのものよりもどうも雅印に目が行く。皇帝が画を見ると、「見たよ〜ん」という印を作品中に押してよかったそうで、画面のどまんなかにべったりと皇帝印を押して作品もある。せっかく白い空間に夕日のように印が押されているのだが、印自体も古いので不思議と作品を損なっている雰囲気はしない。が、作者の気持ちはどうなのよ。掛け軸は、日本のように床の間にかけるという制約がなく、壁にいきなりかけるのでやたら大きく、幅も長さも自由なようである。そして正確に数えたわけではないが細かく写実的な人物が2000人ぐらいは描かれているという巻物や、広げると何十メートルにもなるという巻物などもあり、とにかくスケールの違いに驚く。
そのまま書のコーナーに移ると、これまた大きな作品が並ぶ。ソファと図録画があったので腰掛けてゆっくり鑑賞する。中国の書なので当然漢詩がならんでいるのだが、ずいぶんとバラエティに富むものである。端正なものあり、奔放なものあり、一つ一つの字はばらばらに見えるが全体がなんともいえない調和をかもし出している。ここまで見たところで集中力がとぎれるが、もう一部屋、十二支などの絵を見て終わり。
フロアを移って地元の人・もの・自然をテーマした企画展を見る。天津市と千葉市は友好都市だそうだが、天津はラストエンペラー溥儀、稲毛は皇弟溥傑ゆかりの土地でもあるらしい。こんどテレビで放映されるドラマのポスターなども貼ってあった。
美術館を出るとすでに暗い。バスをしばらく待ってみるが当分こなさそうなので、靴擦れの足を引きずってとぼとぼ歩き始める。バス停一つ分歩いたところで駅前の通りでバスが来たので乗る。この一つ分が意外と長い。駅の通路には地方の物産を売る店がずらりと並んでいる。茨城の露天で乾燥納豆を買い、地元の新豆落花生を買って帰る。夫は今日は横浜に行っていて中華街で肉まんを買って帰ってきた。なんだか近県のお土産が並ぶ夜。


2003年11月12日(水) クリスマス前月。

街なかからハロウィンのかぼちゃが姿を消したなぁと思ったら、先週末あたりから、急にクリスマスの飾り付けが増えてきた。花屋さんの店先にもポインセチアが大量に入荷している。キリスト教国でもこんなに熱心ではあるまい。と思っていたら、今日今年初めてのクリスマスカードが届く。こんなに早くクリスマスカードが来るなんてH先生しかいない、といっていたら案の定そうだった。それそろカードを買いに行くかの。
昨日はバスにのりあわせた若い女性の二人連れが、クリスマスの飾り付けを見て「ああ〜せつないなぁ」と言っていた。クリスマスがせつないなんて感覚、もうすっかり忘れているなぁと思う。昨日会った墺太利女性は、クリスマスの準備に思いを馳せてわくわくしているようで、忘年会でもやろうかという話が出たら、これからクリスマスに向けて忙しくなるから、多分新年会ねなどと言っていた。
そうか、クリスマスか。寒くなるな。


2003年11月11日(火) 旧交を温める週間

ここのところプライベートで人に会う機会が多い。
今日は、年上の墺太利女性とランチ。彼女は日本人男性と結婚して二十数年前に来日、多言語環境で子供を二人育て上げている。彼女と会うのは1年ぶり。フランス語教室が終わってから駅で待ち合わせてデパートのレストラン街で食事したのだが、フランス語教室の余韻さめやらず、しかも目の前のゲルマン風の西洋人相手に英語がなかなかでないもどかしさを感じる。それでも1時半に会って2時間、最近の生活とか旅行の様子とか休みなくしゃべって、脳が軽く疲労した感じ。彼女も夫が研究者で自身が非常勤講師という共通点があるので、その辺りのメリットデメリットについても話が弾む。
彼女は「日本人男性を夫に持つ在日外国人妻の集まり」というグループに属している。どんな活動をしているのか聞いてみたら、たまに夫の愚痴をこぼしあうこともあるけれど、どちらかというと、もろもろの問題に知恵を出し合ったり、どうやって子供を日本でバイリンガリーに(と言う風にバイリンガルを副詞的にも活用できるのね)育てるかとか、集まってはそういう話をするのだという。実際、彼女のところは夫婦の会話が英語、母親と子供達はドイツ語、父親と子供達は日本語、という3言語家族で、子供は3言語を自由に操っているらしい。「そういえばどうしてそんなにうまくできたのか」と聞くと、私は単にドイツ語で話しかけてドイツ語で答えてただけという。じゃあ英語はどうやって?というと私達が英語で話しているのを聞いて覚えたんでしょう、あとは(公立)中学校かしらねぇ、というあまり参考にならない答えだった。
もともとの才能もあるのだろう。二人の子供のうち一人は長じてフランス語を習得し、さらに今は中国語も勉強しているそうだ。ふぅ。英語はドイツ語と似ているから簡単だし、多言語を勉強した人は、他の言語を習得するのも大変じゃないのよ、という。ま、確かに。外国語の習得にもコツがあるのはわかる。はそれと手話も一種外国語のようなところがあるので、私自身は言語によらない意思伝達(Non-Verval Communication)の術を知っていることが、外国語話者との意思疎通にずいぶん役立っている実感はあるのだが、純粋に言葉による多言語の壁をすいすい越えてしまう人々がいる、というのはため息の出るようなうらやましい話である。


2003年11月10日(月) 肉を喰らう。

こんなに肉ばかり喰らっていていいのだろうか。
今日は、青山でブラジルのシュラスコ料理。その前に実家に寄る。五十日と雨とで、バスがなかなか来ない。部屋の中は温かいが夕方から雨がひどくなるというので、今秋初めての皮ジャケットを出す。バス停でおとなしく待つが来るのは(私的に)スカばかり。皮ジャケット着てても寒いよ〜。実家には2時間ばかり滞在して、買ってきたものを渡したり、おやつを食べたり、おすそ分けをもらったり。待ち合わせ時間に合わせて実家を出る。実家からは港区方面は楽勝で、相次ぐ地下鉄の延伸、増加でぐんぐん北東部へ便利になる。
表参道で降りるのは久しぶり。今回の店は初めてだが地図を見ると大体知っている場所なので、何も迷わず時間前につく。地形的には変わっていないが、店の構えがずいぶん違う。このあたりもずいぶんちゃらちゃらした町並みになったものである。席について程なくして、本日の幹事と、将来有望な若者またの名を遅れてきた青年が時間通りに来た。彼は弟さんの結婚式で金曜の晩から一時帰国している。そしてフランス人と日本人男性。要はいつものカラオケの面子である。つぎつぎとテーブルを回ってくる各種串焼きの固まり肉を次々とスライスしてもらい、がんがん食べる。1時間ほどでかなり満腹になり、さらに30分待ったりすごして店を出る。
雨のなかテンション高く歩き回ってカラオケの店を見つけて1時間半。いつも唄う歌をいつもどおりに歌い、いつもどおり騒いで1時間半で切り上げ、ばたばたと別れる。遅れてきた青年は、眠いのかしんみりしているのか反応がやや怪しい。すぐにまた会うさ、ねえ。


2003年11月09日(日) 実りの秋。

朝一番で宅配便が届いた。北陸でお世話になったT口さんから取れたてのしいたけとゆずである。前からきのこが出たら送ると言われていたのだが、今年はきのこの出が遅く、やっととれたらしい。さっそく箱を開けると、すべすべした皮膚を持った肉厚のしいたけが現れた。手のひらほどもある大きなもののある。しいたけ菌を植えて一番に取れたしいたけは特大になる。早速お礼の電話をすると、こんなに早くつくならなめこも送ればよかった、と驚かれる。昨日の夕方の集荷で朝9時に配送されるとは、宅配便恐るべしである。30分ほど四方山話。私達が住んでいた宿舎は、夫と比較的親しくしていた学生さんが教員となって新婚さんとして住んでいたのだが、彼が他に移ったあと、今度は私の掲示板に以前よく出入りしていた女性研究者が住むことになったのだという。大小合わせて100戸以上ある宿舎内で、2度もこういうことがあるとは不思議な縁である。
今日は知人宅での恒例のBBQに呼ばれていたので、特に姿のいいしいたけをいくつか選んで持っていくことにする。JRを乗り継いで1時間強。広い敷地の中に二世帯住宅と、もう一つ子世帯がある三世代同居のお宅。例年庭先で親の母校サークルつながりと、子供の保育園つながりの大人子供総勢50名がBBQをする。今年は諸般の事情で子世帯を処分したそうで、庭も区切られて手狭になったというが、それでもまだまだ広い。途中雨が心配されたが、13時ごろから17時までひたすら肉を焼き、喰らう。今までは子供にはソーセージを何本か食べさせて、最後に焼きそばでも食べておけば済んだのだが、去年に比べて当社比120%ぐらいの子供達が十何人いて、数を争って無理して食べる子供たちもいるので、今年はとても焼くペースが追いつかない。来年からはバーベキューが始まる前にこんにゃくでも食べさせておくか、という話になる。ジャンボしいたけは案の定みんなを驚かせ、肉厚のみずみずしいしいたけにみんなで舌鼓。北海道在住の人が、本場の子持シシャモとするめを持ち寄って、こちらもまた大満足。普段食べているシシャモが偽者だと言うことがよくわかった。
日暮れと同時に屋内にはいり、しばし歓談。コアなメンバーはまだまだこれからという雰囲気だったが、6時を回ったので「投票がありますので」と一足先に失礼する。夫は一泊出張から帰っていて、ぎりぎりに投票所へ。私が住んでいるところは、現職がやたら強くて無所属も新人も出馬せず、全然盛り上がっていない。日本の政治ってなんでこんなつまんないんだろう、と思いながら消去法で選ぶ。そういえばBBQで「選挙は行かないんですか」という問いに「あんまりそういうの興味ないんで…」と答えていた地元園児のお母さんもいたしな。「そういうの」の一言で片付けられてしまう国政参加者の温度差は広がるばかりである。


2003年11月08日(土) 学問の秋に一人揺れる心。

非常勤先Lで研究大会。そうかー。これが1年経ったということか。この間業界展でも会った人に、「今度は何か発表したらどうですか?事例研究でも」といわれ、そうですよね…と言葉を濁す。そうだよなぁ、ネットで毎日何百字も費やしているなら、本名で形に残る物を生産したほうがいいよな。ひょっとして私、期限切れになるのを無意識のうちに待っていたりするのだろうか…。
学会といってもほとんど内輪の集まりなので、昼食をはさんで懐かしい面々に会ったり、自分のTAがいたり、まあ同窓会のようなものである。去年は後で飲みにいってその場で新しい非常勤職が決まっちゃったりして、結構変化があったのだが、今年は終わり次第すぐに会場を出て、ついでにちょっと打ち合わせなどもして、発表内容にもなんとなく釈然しないものを感じながら誰とも約束せずさくさく帰る。
帰りに図書館に寄ってフランス語の文法の本を探してみる。ここの図書館は去年から土日夜間も開館となった。夜間の時間帯にもかかわらず結構利用者がいた。業務外部委託化のなせる業である。図書館員の、ひいてはサービスの質が落ちるのではないかという議論もあるが、利用者からすると便利になったように思える。いくら質が高いサービスでも開いていなければないのと同じという面もある。初心者向けのものはやはりこっちには置いていないらしいが、イラスト入りの大判の本を見つけて借りることにする。帰りの電車の中でぱらぱらめくってみると、広告などに出てくる実際のキャッチコピーなどを文法的に解説してあり、バラエティに富んだ文例が出ていて楽しい。日付票を見ると私の前に借りた人はいないらしい。もったいない話である。


2003年11月07日(金) タクシー^2

だるーい。
ぼーっと朝過ごしていて、出るのが遅れてしまう。今日は学生時代のゼミ仲間の一人とランチの約束をしている。彼女は非常勤先Bの近くに住んでいて、春からずっと一緒にお昼を食べましょうといっていたのだが、前期は私の余裕がなく実現できず、やっと今日。いつもは家の前のバス停から最寄の1つである駅まで出るのだが、ぎりぎり間に合うかどうかという時間に家を出て、横断歩道で信号待ちをしている間に目の前を通り過ぎていってしまう。時刻表によるとさっきのバスは時間通りきたようなので、6分後である次を待つが、10分経っても来ない。このままでは完全に遅刻してしまうので、やむを得ずタクシーにのって同じ路線の一番近い駅まで。740円也。1040円差し出すと、おつりが400円来た。いや、これは多すぎるでしょう。余分なおつりを返して、正直者にはいいことがあるかなと思いつつ駆け足でホームへ。ちょうど電車は行ってしまったところで、次は7分後。なんだよ〜。やっと来た電車も途中駅で後続電車の待ち合わせなどで結局遅刻。すまんこってす。
お昼は商店街の近くにある中華料理店で。11時半開店だが実働は12時かららしく、料理が出てくるまで結構待たされる。お互いの近況報告やら仲間内の噂話など。ついでに愚痴などもこぼしあっという間に1時間が経つ。そのまま仕事場に直行。いつものように2コマ。1コマの始めに暴言を吐く学生がいて、非常に不愉快。私が良かれと思ってしたことに落ち度があったのでまあ、お互い様なのだがあまりに感情をもろにだすので驚く。やや八つ当たりぎみにピリピリと開始したら他の学生も神妙にしていた。その後は問題なく進み、私の機嫌も直る。2コマめもいつもどおり順調。
なんだか大消耗したので、いつもは駅まで歩くところをバスに乗り、さっさと帰宅する。シャワーを浴びて着替えて、一服してから再び家を出て、新国立劇場で公演中の現代舞踊を見に。http://www.nntt.jac.go.jp/season/s207/s207.html
フランスのバレエ団のせいか観客の1割ぐらいはフランス人らしき西洋人の姿が。フランス語やフランス風のジェスチャーが飛び交っている。日本人の観客も舞踊関係者が多いらしく、服装とか立ち居振る舞いがちょっと違う。
演目は「ヘリコプター」と「春の祭典」。両方とも音楽は録音だったが、ライブでないということはあまり気にならない。
前者は演奏家が実際に4機のヘリコプターに分乗して録音したという四重奏曲に合わせて、6人の男女が舞台の板上に投影された幾条もの光の流れの中で緩やかにときに激しく踊る。光は水面を模していて、ダンサーの動きに合わせて水面が乱れるように見える。実際ダンサーにあわせているのか、ダンサーがあわせているのかは解説を読んでもよくわからなかった。後者はなじみのあるバレエ「春の祭典」にバレンボイムの委嘱でまったく新しい解釈を加えたというもので、録音もバレンボイム指揮。最初から最後までかなり生々しくエロティックである。冒頭に登場した現代風のミニスカートの女性ダンサー達が、次々にはいていたパンティを両足首まで下げてみせ、そのままの体勢で挑発的に踊り始めると眺めていた男性ダンサー達が衝動的に反応してペアとなり、それぞれ性の営みを表現していく。最後に一人の女性が衆人環視の中で全裸に剥かれ、生贄としてささげられる。蠢く性、性の衝動、時に暴力的ながら下品にならないのは、これがさすがフランスということなのか。全裸の女性ダンサー、筋肉の動きが美しい。局所を隠すものを貼っていたのは、日本らしい無粋な配慮か。
終演後、前から気になっていたイタリアンレストランへ。商店街のど真ん中にあり、店内の雰囲気は下界とまったく違っておしゃれ。料理もワインもおいしく、かつ値段も高くない。帰りはタクシーと初めから決めてあったので、時間も酔いも気にせずコースをしっかり食べる。私達が入ったのが最後のテーブルで、直後に2〜3組断っていたので、運がよかった。タクシーもすぐつかまり、ゆったり座ってすいた道をすいすいと帰ってきた。終わりよければ全てよしの夜。


2003年11月06日(木) しゅわしゅわ〜っ。

フランス語教室の後、今日も業界展へ。
今日は最終日で撤収作業もある。来場者もかなり減ってきて、周囲を見回す余裕も出てきた。せっかくの機会なので他のブースを回ったりもする。相変わらず目新しいものはあまりない業界なのだが、去年に比べて自分の興味(必要とするものが)が若干変わっているので、また違う面がある。
我々のブースではいくつかの展示と、プロジェクトが開発したある装置のデモンストレーションを行っている。デモの時間が近づくと、ブースでチラシを配ったり、集まってきた客にデモへ誘導したりする。ふと見ると他の説明員の様子が目に留まった。大きな声で誰かと向き合って話している。「デモを是非見てください」という彼に、相手は聞こえないという身振りをしながら搾り出すような声で「き・こ・え・な・い。ダメ」と言った。そういえば補聴器をあてている。「見るだけでいいですから」となおも見学を勧める彼の脇から、手話で「こんにちわ。私が手話で通訳しますから大丈夫です」と言った。当然相手もびっくりしていたが、そうしながら私も「あら〜私ってば手話ができたんだ、そういえば」と思っていた。
手話を勉強したのは結婚前後の3年間で、週一ペースでかなりきちんと講習会に通ったのだが、まともに手話を使うのは何年ぶりかである。出てこない表現やずいぶん怪しい表現もあるが、案外覚えているものである。すっかり記憶にないような表現がすっと出てきたりして自分でも驚く。デモは昨日も何回か聞いていたので、実際はデモの進度に合わせて自分なりに意訳して伝えているのだが、端から見ると同時通訳しているように見えただろう。これが昨日だったらかなり苦しいところだった。時々表現を直してもらいながら、デモの通訳と展示の説明をして、おかげさまでとても喜んでもらえた。
メンバーは私が手話をすることは知らないのでかなり驚かれ、どうして手話を習得ししようと思ったのかなどと聞かれたのだが、正直なところ「やってみたかったから」とか「手話がわかる人達がうらやましかったから」とか、あまりたいした理由ではなく、今ひとつ納得してもらえない。そういえば偶然今日、フランス語教室のクラスメートに「どうしてフランス語を?」と聞かれたのだが、その答えもまったく手話の場合と同じものだった。ただの興味本位なのである。
そんなこんなしているうちに業界展も終わりになり、撤収作業に入る。撤収作業は予想より少し手間取り、撤収して差し入れを食べて解散が10時ぐらい。身も心も気の抜けたサイダーである。


2003年11月05日(水) 右往左往東奔西走。

日付が変わったと同時に、兄に誕生日おめでとうメールを出したのだが、今朝になって、ずいぶん気が早いね、という返事がきていた。出張でアメリカにいるらしい。向こうはまだ4日が始まったばかりだと言う。いる場所によって誕生日が変わるわけでもあるまいに、日本起算ベースでお願いしますよ。
非常勤先Lで仕事をした後、業界展へ。今日と明日は説明要員としてブースに詰めることになっている。といってもこちらは企業ではないので、物をセールスする必要はなく、この辺はかなり気楽。去年はようこさんが出展者としていたなぁ、なんてことを思い出したり。業界はやや狭いので誰かしら知り合いに会うだろう。
ところで、業界展に持っていくはずの資料が整わずなかなか出られない。直接関係する書類ではなく、平行して進めている別件の書類なのだが、「話が通ってるから」という話が全然伝わっておらず、私の不手際ではないのに巻き込まれて右往左往する。私にそれを頼んでいるほうもかなりテンパっているので、文句を言っても仕方がない。とりあえず完遂しなければ始まらないのだ。「なんで私がこんなことやらなきゃいけないの!」という言葉をぐっとこらえて、狭い範囲ながら文字通り東奔西走してなんとか間に合わせる。それ以外にも急に当日必要になったものを運んだりして、なんかもう腹も立たない。ぐったり。
ブースに立って説明をしていると、私を見知っている学生とか結構来る。感心感心。それから知り合いの同業者が来て、ちょっと抜けてお茶を飲んだりも。何回か説明しているとだんだん要領はわかってくるが、立ちっぱなしで足がだるくなってくる。隣のブースは某大手メーカーで、専門のナレーターコンパニオンを雇って説明させている。いまどきこんなの流行らないよなぁ、と思いながらよどみない説明を眺める。この人足のむくみをどう解消しているんだろう。
夫は今日の夕方帰国。ケーキとお惣菜を買って帰宅。


2003年11月04日(火) 過去を明かす。

朝、のっぺりと起きる。
時差はないので、それほど辛くない。昨夜はお風呂に入って髪を洗わずに寝たので、朝風呂に入り髪を洗う。軽く乾かしてからホットカーラーを巻いたらぐるぐるになる。
フランス語教室。先週からやっと過去形に入って、過去の話もできるようになってきた。今日あたりきっと来るだろうと思っていたトピックス、いきなり山があたる。つまり「この週末(連休)はどう過ごしたか」かをグループに分かれてお互い質問しあって説明するのだ。聞いて驚くなよ、と日本語で前置きして私の週末を話す。さすがにみんな驚いていた。先生もみんなの前で私に質問するので、ずいぶん関連する語彙や言い回しなどを知ってしまった。これは宿題として紙にまとめるときに便利なのでラッキー。
連休だけあって、紅葉狩りに箱根にドライブに行ったら、渋滞にはまってついたら日が暮れていたとか、仙台に行って牛タンを食べずにもっぱらお寿司を食べてきた人とか、急に車の制御が効かなくなって事故ってしまい、ずっと寝込んでいた人とか、他の人達の過ごし方もバラエティに富んでいた。
午後は、業界展へ。私の関係しているプロジェクトの講演があるので聴衆として参加。その後ブースに顔を出してからお使いをちょっとする。夕飯は一人で近所のとんかつやへ。少食用ロースかつ定食を頼むが、ご飯のおかわりとキャベツのお代わりは相変わらず強く勧められ、キャベツを半分だけお代わりをする。満腹感はそれほどでもなかったが、夜になってもなかなか消化しない。げふー。


2003年11月03日(月) 帰国。

朝、会議に出かける夫に別れを告げてさっさと身支度してホテルを出る。ホテルから空港までタクシーに乗って渋滞もなく10分程度。チェックインすると窓側がいいかと聞かれて通路際と答える。出発時間の2時間以上前に空港についてしまったので、時間はたっぷりある。さっさと出国してしまって空港の土産物などを見るが、これといって食指が動くものもなく、休憩スペースにおいてあるゴロ寝シートでしばし休む。足を高くして横になれるようになっていて、なかなかいい。ネットにつながっている無料のPCも何台かあり、空いたのを見計らって覗いてみる。
時間になったので、ゲートへ進む。パスポートを見せてゲートロビーに入るのだが、係員が私の赤いパスポートを見て「日本人か。君は日本人には見えない。中国人みたいだ」という。ふむー。夫婦揃って大陸的な顔なのか。機内に乗り込むと、なんかがらがらである。夜日本着ということで昼間の時間帯を丸々潰してしまうわけだから、人気のない便なのかもしれない。3列3列3列で、機内もゆったりしている。私の後ろは日本人の3人連れだったが、私の列は私だけが占有。通路際も窓際も実は関係なかった。他の席の乗客も空いている席に次々と移り、広く浅く席が埋まっていく。
程なくして飲み物のサービス。いざとなれば横になれるので気が大きくなり、普段はあまり機内では飲まない食前酒を頼む。食事も適度な量で、赤ワインを飲みつつどれも軽く平らげた。男性の客室乗務員が食後のコーヒーのサービスに来る。ついでに赤ワインのお代わりも注ごうとするので思わず手で制すると、「Just a bit」とかいって結局注いで行った。客室乗務員に酒を勧められるのは初めての経験である。さすがに酔いが回ったので横になることにする。1列に身長160cmの私がぴったり収まるサイズである。ぐっすり眠って目が覚めると着陸1時間前になっていた。
徐々に覚醒しながら喉が乾いていることに気付いて、乗務員を呼び「水を一杯いただけますか」と頼む。それにしても、この航空会社の乗務員、話をするときには客の目をじっと見て、了解すると礼儀正しくすっと腰をかがめる。礼儀正しく遇されるとこちらも自然と礼儀正しく物を頼むようになるし、覗き込むようなエキゾチックな顔立ちがたまらない。しかしこの航空会社はどこよりもこのエスニックな感じを売り物にしているが、この国自体は複合民族である。何を基準にこのエスニック調を選んだのだろう。
成田着は定刻やや遅れ。意外と空港は混んでいて思ったような電車がなく、上野まで京成で出てから帰ることにする。これだと空港から2時間コースである。家に着いたのが午後10時。時差を入れるとホテルから家まで丁度12時間だった。道程は短かったが疲れた。


2003年11月02日(日) 遅れてきた青年

朝、枕もとの電話が鳴る。まだ7時前だぜ、べいべー。
ツインベッド(シングルユース)の反対側まで歩いていって、電話に出ると果たして夫。彼の部屋の時計は進んでいるらしい。というわけで、程なくして夫が私の部屋に下りてきて、一緒に朝食に出る。昨夜は11時過ぎにホテルに入り12時には寝ていたのだという。丁度私が将来有望な若者を送り出して、トイレに行っている間のことだったらしい。がっくり。夫の部屋は格安料金の私と違って、もっと上階の景色のいいところで、そっちに行ってみると魚尾獅像も見える。
午前中は夫と二人で中華街方面へ出かけ、カラフルなヒンズー寺院、道教寺院などを見る。日曜日で熱心に参拝する人々の姿が見られる。それにしても暑い。普段汗をかかない私でも顔に汗が垂れる。そうこうしているうちに雲行きが怪しくなり土砂降りの雨が降ってきて一挙に涼しくなる。
午後は将来有望な若者と待ち合わせて昼食。彼は非常に気立てのいい青年なのだが、時間にルーズなのが難点である。絶対に遅刻しませんからという彼に「君は13時に来たまえ、私達は13時半のつもりでいるから」と言っておいたのだが、13時半を過ぎても来ず。やっぱり遅刻した。しかも彼は13時の待ち合わせのつもりでいたらしい。ムリムリ、絶対に不可能。
上海蟹が入ったコースを食べ、タクシーでアラブ人街へ。大きなモスクを見て、町を散策する。それからリトルインディアへ、と標準的な観光ルートを辿る。途中でアメ横のようなところを抜けたり、西友ストアで買い物したり。お土産の魚尾獅型チョコやプラウンロールなどもここで割安に調達。街中の屋台でサンドイッチアイスなるものを売っている。四角いアイスを二つ折りにした薄切りの食パンではさんだもので、食パンは黄色や緑、ピンクなどの毒々しい色のマーブル模様がついている。スイートコーン味のアイスとか案外いける。他にもドリアン味とかヤム芋味とか、小腹がすいたときに丁度いいらしい。将来有望な若者またの名を遅れてきた青年は、食事の前はどれがお勧めなのかをはっきり言わなかったくせに、昼食が終わって満腹になってから、コレがお勧めです、アレもおいしいです、と次々に土地の名物料理を繰り出してくる。もう少し早めに思い出してもらいたいものだが、このあたりが普段住んでいるところを人に案内する難しさなのだろう。自分自身も思い当たる節がある。
ところで、リトルインディアは人々でごった返していた。ヒンズー寺院にもその周辺にも、男性、特に若い男性ばかりが集まりっている。縁石の上にずらりと腰掛け、商店の店先で立ち話をし、何かを待っているようでもあるし、ただ時間を潰しているだけのようでもある。聞くところによると毎日曜日はこういう光景が繰り広げられているらしい。よそ者にとってはなんとなく異様に写る。
中国人、インド人、マレー人、そして日本人、同じアジア人でも、人種も文化もこれほど違う。一口にアジアの連合といっても、実現はなかなか難しい、というか結局できないような気がする。夜は屋台でマレー料理などを食し、あっという間に新嘉坡滞在が終わる。


2003年11月01日(土) 長い1日目始まる。

飛行機の中では映画なども楽しむ。時々居眠りも。食事もおいしい〜。兄はアメリカ出張が多いのだが、いつでも新嘉坡航空を使っている。なるほどこれはいいや。飛行機はさすがに満席である。結婚してからは海外旅行はほとんど夫が隣に座っているので、よその人が至近距離に長時間座っていると落ち着かない。
右隣に座っているのはちょっとピントのずれた中年男性、左に座っているのは「がんばれワカゾー」みたいな大学生である。これから1〜2週間ぐらい旅行をするらしく、ノートの切れ端に、旅程を書き込んでいる。大学生の方はちょっとしたきっかけで彼の反対側の20代半ばの女性と言葉を交わすようになり、妙に盛り上がっている。おお、がんばれがんばれ。しかしながら彼はなぜか間が悪く、食事や入国管理票が配られるタイミングでいつも席をはずしてもらい損ねてしまう。そのたびに乗務員のアイキャッチするために、きょろきょろして、あせっている。乗務員呼び出しボタンを押せば済む話だと思うのだが、旅行なれしている風を装っている彼にはちょっと言い出せない。
飛行機は定刻よりやや遅れて到着。将来有望な若者はちゃんと迎えに来てくれていた。私の来訪に間に合うようにここ数日がんばって納品を済ませてきたといい、ちょっとへろへろ。タクシーで直接ホテルに向かい、とって食うわけじゃないから部屋にお入り、といって部屋に招きいれ、持参の寿司などを渡す。とりあえずお茶を入れたら、いきなりその場で食べ始め、あっという間に寿司を平らげる。思考力が鈍っているらしくそのまままったりしてしまうのだが、なんとなく追い立てて3時半に彼は帰っていった。
6時間後の9時半に迎えに来てもらい、まずは中華街へ。中華街といっても人口の何割かが中華系なので、あまり中華中華したものは置いていない。母が中国系の書にも手を伸ばしていて、中国風の雅印をいくつか買ってきて欲しいと頼まれていたのだ。結局、まず母親の買い物をしてしまう私って。
雅印を探して、中華街をうろうろ。何気なく入ったみやげ物やの店主が実は篆刻をする人ですっかり盛り上がり、2つばかり彫ってもらうことにする。そのほかにも途中で1つ彫ってもらったものがあるので、出来上がりを待つ間中国茶のティールームに入りしばしまったり。本格的な中国茶というのは初めて楽しんだ。初め1〜2杯はいいが、そのうち大きな器でごくごく飲みたくなってくる。お茶を飲んでいる間に日差しが強烈になっていて、よろよろしながら店に戻る。出来上がりを見てみると妙に大きい。これじゃ大きすぎるといって彫りなおしてもらい、しばらく待つ。それから飲茶へ。ここは地元の人がたくさんくるところらしく、大繁盛している。4時過ぎまで飲み食いしておなか一杯である。そのうちに何を思ったか、彼が「ぼく、気が利かないらしいんですよ」と言い出す。「うん、知ってるよ」と答えると「何で知ってんですかーーーーっ!?」とびっくりしていた。そういうところが気が利かないゆえんだな。
店を出てから動きはじめるが、観光するにもお茶を飲むにもおなかが一杯で苦しい。タクシーに乗ってショッピング街に行くがもうホテルに帰って一休みしたい気分である。彼はせっかくの週末なのでもう少し遊びたいらしいが、彼は飲めないし、かといってビリヤードするでもないし、とりあえずホテルに戻ることにする。途中で日系のデパートに入っている大型の日系書店の前を通る。どうも彼はそこに寄りたいらしい。「れいこなさん、疲れましたか」と聞いてくるので、「うん、たくさん歩いたし、荷物も持ってくれないしさ。」と答えると、「ああああ〜持ちます持ちます。」といって持ってくれた。もって一言「何でこんなに重いんですか〜!?」と驚く彼。感情の起伏が激しい人である。だって、雅印が4つも入ってるし、土産物屋でちゃちな民族衣装も買ったし、ガイドブックも入ってるし…と説明し始めると、「もういいです(涙)。」とうなだれる。
彼は本を2冊ばかり買い、ホテルに戻ってお茶にする。なんの躊躇もなく部屋に入る将来有望な若者。お茶を入れてくれたり、一生懸命気を使ってくれて、結局9時ぐらいまでうだうだと部屋にいた。彼を送り出した後即行着替えてベッドにもぐりこむ。電話の音で目が覚めると、"奴"だった。時間を見ると10時。部屋を出てからホテルのロビーを通ったらジャズの弾き語りをやっていたのでラウンジで飲んでいるらしい。まだ寝てなかったら来ませんか、というので、5分後に行く、といってまた着替えて下へ。少し飲んでいるうちにこちらは元気になってくるが、アルコールに弱い彼はだんだんへろへろになっていく。11時過ぎにお開き。ホテル入り口で彼と別れ、そういえば夫がそろそろ着く時間だと思って、ロビーで待ってみる。が、飛行機到着時間を1時間以上経っても現れないので、あきらめて部屋に戻る。どうせ部屋番号はメールしてあるので翌朝連絡が来るだろう。ああー長い1日だった。


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