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2001年06月30日(土) 過去・現在・未来

今日は私が卒業した学科の創設50周年を祝う会があった。実行委員として1年以上前から準備をしてきたので、まずは盛会で何より。私が担当していたのは主に式典関係だったので展示については当日まで内容を知らなかったのだが、なかなか精力的に集めたらしく、昔の写真など興味深いものがたくさんあった。展示品の中には、各年の名簿などがおいてあったが、黒電話と音響カプラ(acoustic coupler)とキーボードがセットで展示されていたのには思わず声を上げてしまった。

私が学生の頃はインターネットなどはなく、オンライン検索といえば海外のデータベース会社に国際電話をかけて接続ていたのだ。音響カプラにはマイクとスピーカーが備わっており、受話器を密着させ音響的に接続して使用するようになっている。電話がつながると受話器にかぷっとこの音響カプラーをはめて通信をしていた。モデム以前の話である。そういうものを使っていた自分がすごく昔の人間のような気がしてきた。

配られた文集を読むと、一期生が寄せた文章が載っていてそれはまた隔世の感のある描写がされている。なにしろ50年前なので、終戦で世のなかがひっくり返った中で勉強を始めた人々である。しかもアメリカ主導の新しい学問分野で、そこで勉強した人たちの戸惑いと興奮が伝わってくる。初めてコーラを飲んだとか、女性の軍人にジープで送迎されたとか、授業がすべて英語だったとか、のんきな学生時代を過ごした身からすると、うらやましいような、とてもかなわないような思いになった。


2001年06月29日(金) 誕生日

どうも最近ニュース株主総会の話題を見たり聞いたりする度に、株主総会って期の途中にもやるんだなぁ、なんて思っていたのだが、頭の中のカレンダーが1ヶ月ぐらい遅れていたらしい。株主総会は例年どおりの日程で行われているのである。そして今日6月29日は私の誕生日で、今朝の日経新聞なんて、玄関脇の新聞差しに入りきらないほど厚くて床に置いてあったぐらいである。いや、べつに私の誕生日特集が組まれていたわけじゃなくて決算公告特集ですけどね。英語学校の春学期で今日で終わり。
そんなこんなで今年ももう半分で終わりである。よその庭に咲いているアジサイを見て、今年は例年より早いなぁとか、梅雨空を見上げて今年は入梅が早かったなぁ、なんて何をすらっとぼけたことを考えていたんだか。ともかく無事にまた一つ年を取りました。子供の頃はノストラダムスの大予言を信じていたので、本来ならばもう2年ぐらい前に恐怖の大魔王が空から降ってきて跡形もなくなっていたかと思うと、まさに生きてるだけでまるもうけな気分である。


2001年06月27日(水) 5000

さっき、日記を書こうと思ってページを開いたら4999だった。
もう今ごろは5000になっているかもしれない。ここ数日のテンションの低い日記を読んでくださっていたかと思うとなんか申し訳ない気分もする。

昨日のNEOさんの日記を読んで意を強くする。最近彼女はおじょうさんたちに『おかあさんは大きくなったら何になりたいと思っていたの?』と聞かれるのだが、彼女は「小さい頃から殆ど、大きくなったら何になりたい、と思ったことがない」というのである。
というのも、この間英語学校の仲間と先生とで新宿で飲み会をしたのだが、さすがに検定試験受験クラスだけあってなにか目的を持ってそのために英語を勉強している、という人が多い。2〜3人の「野望」をふんふんと聞いたあと、「で、あなたの夢はなに?」と聞かれて絶句した。
夢なんてない。そう書くと身も蓋もないのだが、とりあえず今の自分のあり方に大方のところ不満はなく、その中でもう少しだけ前に進もうとか向上しようとかは思いこそすれ、何かを目的にしてがんばるぞー!というのは今の私にはない。でもそういうのって一般受けしないのだな。他人へのリップサービスとして何か「野望」なり「夢」なりを用意しておけばいいのだが、それにしてもせいぜい七夕の短冊に書くぐらいのささやかな希望しかないのである。神社仏閣にお参りしてもお願いするのは「何事もなく健やかに過ごせますように」ぐらいのものである。
NEOさんは前にも「いつでも今の自分が好き」と書いていて、それもまたまったくそのとおりと思ったのであった。

目下のところ挑戦すべきものがある人はそれを高々と掲げればよいでしょう。でもそれがかなったあと、さてあなたはどうするんですか?と聞いてみたい気もする。だって現実は「夢がかなっていつまでもシアワセに暮らしましたとさ」では終わらないはずだから。


2001年06月26日(火) ぬおぉ〜

夏風邪私の身体を蹂躙中。ああ、いやいや、やめて。
睡眠時間は足りてるからそうそう眠れないしなぁ。薬飲んでないし。ベランダのバジルがにょきにょきにょき〜と葉を繁らせていたのでオリーブオイルに漬けときました。4〜5日漬けとくとオイルに香りが移るらしい。水やりをこまめにやったせいで香りは弱いのであった。
アブラムシは、水に重曹と食用油を入れたものをスプレーで吹き付けるといいと二ッケーに出ていたので早速試してみる。農薬じゃないから即効性はないらしいけど、こまめに様子を見るという点でもいのかもしれない。
晩御飯は、鶏肉とトマトをローズマリー風味でソテーしたものと、バジルスパゲティーとにんにく(笑)。しかしバジルは水やりをこまめにやったせいで香りは弱いのであった。
てなわけでおやすみなさい。


2001年06月25日(月) やられた

ついに風邪ひいてしまいました。
風邪のひき始めは予防できると誰しもいうのですが、私の場合、喉が痛いなぁと思ってそのままずいずずいずいと気管支に入ってしまうパターンで、抗えない。いくらビタミンCを摂取しても安静にしていても蹂躙されてしまうのね(泣)、気の済むようにしてって感じですわ。


2001年06月24日(日) うーむ

た、確かにテンションが低い。このままではやっぱりぱぴちゃんが言ったとおり、「れいこなさんてば夫@れいこなさんがいないとテンション低いですね(はぁと♪)」になってしまう…。いやそういうわけではないのだ。忙しすぎなのだ(私にしては)しかもなんか昨日の夜から風邪ひいたみたいだし。

今日は都議会選挙を棄権して実家へ。母を某所へ送り迎えして合間に庭仕事。雑草や少し伸びすぎた枝を少し刈って、インパチェンスとキャットテールを新しく加えた。おおっ見違えたぞ。ちょっとの工夫でずいぶん印象がよくなるものである。コンセプトは「秘密の花園風」っていうか、雑然としているだけか。

家に帰ってきたら、義母から留守電が入っていて、義弟のところに男の子が生まれたそう。兄のとこも妊娠中だし、みなさん、ちゃくちゃくですなぁ。とりあえず夫も私も兄弟のところに子供がいることになったので、うちにいなくてもまぁいいかな、という気分にはなる。


2001年06月23日(土) 頭痛

普段頭痛もちではないのだが、午前中届いた花をプランターにセットして、なにやかやと片付けものをしていたら、だんだん具合が悪くなってきた。ペン字と毛筆の清書を書いて母のところに持っていくつもりだったのが、ペン字を書き始めてほどなく、猛烈に頭と目の奥がずきずきしてきた。一行書いては休むような感じでやっと3枚書き上げて、「夕方行くから」と電話をして少し昼寝。ぐっすり眠って母からの電話の音で目が醒める。もう出かける時間になっていたので身支度をして実家へ。夕食後、寝転がって母と話していたらだんだん喉が痛くなってきた。風邪かぁ。風邪ひくような気候じゃないんだけどなぁ。とりあえずやられた。


2001年06月22日(金) 鼻輪男と冷やし中華女

今日、地下鉄に乗ったら隣の隣に食事中の若い男女がいた。
年の頃は二十歳前後、職業フリーター、ゲージツ系って感じ。男は派手な柄のTシャツ、女は赤と黒の大柄のグレンチェックの帽子(昔水森亜土が被ってたみたいなの)で、全体的に70年代のサイケデリックを意識した雰囲気である。

始発駅だったので出発までの短い時間に、コンビニで調達した食料で食事を済まそうとしたらしい。鼻の中央にリング状のピアスをした男は、菓子パンをむしゃむしゃ食べている。女の方はおもむろに、割り箸をパキンと割った。え?パキン…?電車の中でパキン?あ、あんた何食べるつもりじゃ〜。
女は割り箸を持ったまま、コンビニ袋の中に手をいれて蓋を外した。姿をあらわしたのは、仕切りのついた中蓋に盛り付けられた千切りのきゅうり、ハム、錦糸玉子。ひ、冷やし中華ですか〜!?
袋の中に入っているであろう容器にその具をざらざらとあけていく。電車の中で冷やし中華?考えただけで、ごま油臭くなりそう。考えただけでごま油飛んできそう。考えただけで…。

席には余裕があったので、おもむろに反対側の座席に移り観察モードに入る。冷やし中華女(仮名)のすぐ隣に座っていたご婦人も席を移動する。彼女が冷やし中華の「調理」を終えるのを待たず、電車は発車した。さすがに冷やし中華は食べられまい。さあどうする冷やし中華女(仮名)!?

鼻輪男(仮名)は相変わらずもりもりと菓子パンを平らげていく。冷やし中華女(仮名)は、ちょっと男と言葉を交わし、手に持った割り箸を袋の中にしまった。さすがに揺れる車内で冷やし中華は食べられないと判断したらしい。代わりに彼女が取り出したものは、巨大なアイスキャンディ。いきなりデザートにはいってしまったらしい。電車の中でゆうゆうと巨大なアイスキャンディをなめる元冷やし中華女(仮名)。それ、冷やし中華食べたあと食べるつもりだったのか〜(愕然)。

乗換駅につくと、アイスキャンディをなめながら、元冷やし中華女(仮名)は鼻輪男とともに片手に冷やし中華の入ったコンビニ袋をぶらぶらさせて、電車を降りていった。冷やし中華、いつ食べるんだろ。


2001年06月21日(木) IT講習会アシスタント

今日は私が住んでいる区のIT講習会のアシスタントボランティア本番。
講師の男性は、前回見学したときと同じで相変わらず手馴れた感じ。飛ばすギャグもオヤジっぽくて同じ。

なんだか知らないけどアシスタントの人たちが見学も含めて10人前後いたので、ボランティアとしては楽チン楽チンなのだが、むなしい…。
でも講師の人は同じことを朝昼晩と毎月毎週やってんだよなぁ。
うーん私にはちょっと耐えられない。


2001年06月20日(水) タイムシェアリングシステム的多忙

んーーーー。
なんとも疲れているのである。

私はこれといった本業を持たずアルバイトを掛け持ちしたりする、いわばフリーター主婦(笑)なのだが、4月頃から内職だの土曜日ごとのバイトだのお呼ばれだの試験だの実家だのとなんか土日に休みがない状態である。土日がない分平日にしわ寄せがくるし、6月からはまた別件のバイト始めちゃったしなぁ。普段手抜きばかりしている家事にもさすがに支障が出始めている。
フルタイムで働いているわけでも子供がいるわけでもないのでヒマと思われているが(いや実際ヒマなのだが)、そうなるとそれはそれで「どうせヒマしてるんだから」といろいろと「やってくれ」と声をかけられ、自分でも「どうせヒマしてるんだから」とついうっかり手を出してしまうので、結果として同じような比率で複数のタスクが私を順繰りに占領してしまうのである。これをタイムシェアリングという(本当か)。


2001年06月19日(火) 失敗に学ぶ

失敗するのは嫌いだけど、あとから考えると失敗したからよくわかるようになることってある。回り道したからその周辺がよくわかるようになったとか、いつもと違う視点から新発見があったとか。失敗のない道をずっと歩いているといつか取り返しのつかないような失敗をするかもしれない。
そんな風に思うのは最近失敗続きだからだったりする…(涙)。


2001年06月18日(月) しあわせの大道芸

日曜日に晴海のトリトンスクエアに行ったときに大道芸を見た。いわゆるジャグリングである。広場を通ったときに人だかりがしていたので何気なく輪の外からのぞいて見て、面白そうなのでそのまま足を止めて最後まで見てしまった。

芸人は金髪の西洋人で、明るい青のだぶだぶのスーツに派手なネクタイ、太い黒ぶちのメガネをしている。私たちが見始めたときはテニスボールを6個ぐらい使ってお手玉をしていた。観客の一人の少年が横に立って、もしテニスボールが落ちてきたら手にもったシルクハットで受けとめる係りをおおせつかっている。リズミカルにお手玉は続き、係りが不要かと思われた頃、ぽん、ぽんと少年が持つシルクハットのほうにボールがこぼれていく。少年がシルクハットを張り切って持ち上げるたびに、観客の拍手喝采。少年がますます張り切って3度目のボールを受け止めようとすると、落ちてくるかに思われたボールはひょぃと芸人の手の中に収まってしまう。

続いて天井の高さほどもある一輪車。さっきの少年を支えにして一輪車によじ登ろうとするが当然助けにはならず、観客の中の屈強な男性を頼りに車上の人へ。わざとコントロールできない振りをしてコミカルによろめいて見せる。興奮する子供たち。ちょっと心配な大人たち。さらにバトンを3つ観客の少年に手渡してもらい、火をつけてジャグリング。その芸人はほとんど日本語を話さないので、意志の疎通が今ひとつとれないのだが、その彼のもどかしいようすがまた観客の笑いを誘う。

一輪車に乗りながら、火のついたバトンのジャグリングをしながら、今度はあたまにかぶったヘルメットを回し始める。ヘルメットには支柱がついていて、その先にくくりつけられた紐の先端には模型の飛行機があり、大道芸人の頭が回るにつれて、その周りを飛ぶ飛行機からはシャボン玉がいくつもいくつもふきだしてくる。あたり一面、無数のシャボン玉に包まれて、おもわず「うわぁ〜(^o^)♪」という幸せな歓声があがる。シャボン玉を追いかけて「きゃあきゃあ」と走り回る子供たち。

一連のショーが終わって芸人が「ミナサマノ オキモチヲ ココニイレテクダサイ」とシルクハットを中央に置くと、舞い上がるシャボン玉のように子供たちが手に手に小銭を握り締めて集まってくる。子供たちはもちろん大人もニコニコしている。口々に楽しかった、面白かったといいながら三々五々散っていった。

日本人は大道芸に対して渋ちんであると思っていたが、本当によいものにはおのずと賞賛と対価が集まるものである。ヨーロッパではよく大道芸を見ることがあるが、イタリア人の須田さん(仮名)もあんなにエクセレントなものは見たことがない、と感心していたのであった。


2001年06月17日(日) 備忘録

6がつ15にち

アルバイト→英語学校。翌日の試験にあわせて口頭試問の練習とか。帰宅後、電話がかかってきたり、長文のメールを打ったりして消耗して就寝。

6がつ16にち

朝から英語の試験。分野はreading,writing,listening,use of English,interviewとあり、合計6時間の長丁場。interviewの前に2時間ほど待ち時間があったので、クラスメイトと紀の善で抹茶ババロア初体験。たしかに美味しいけど一回食べれば十分な感じ。大消耗。
夜は月島の高層マンションに住む夫の幼馴染の家へ。別世界。我が家からは東京の中央部を挟んで反対側である。23時過ぎまで飲み食いして零時過ぎ帰宅。

6がつ17にち

朝から再び月島へ。日本に滞在しているイタリア人の須田さん(仮名)という男性に、夫が以前から「Japanese pizzaを教えてやる!」と誘っていたので11時に月島で待ち合わせてもんじゃ焼きやへ。2つは私が焼いて3つめはゲストである須田さん(仮名)が焼く。ゆっくりながらも初めてとは思えない手つきに、須田さん(仮名)の観察の鋭さがうかがえる。丁寧に焼いた分美味しく仕上がって、デザートにあんこ巻きとあんず巻き。須田さん(仮名)が自分で焼きたいといってもう一枚オーダー。チョコレート巻き。
天気がいいので隅田川沿いをぶらぶらと歩いて勝鬨橋まで出るつもりが水路に阻まれる。何回かうろうろとバックトラックを繰り返た挙句、晴海のトリトンスクエアへ。

5時半ごろ帰宅。シャワー浴びてワイン飲んで夕寝。うむ。


2001年06月14日(木) まだこんなことやってるのか

バレエの稽古場の片隅でパタンとノートパソコンを閉じた熊○哲也が、やおらお得意の回転ジャンプを見せつけるコマーシャルといえば、この春合併したとある都市銀行のものである。ぞんざいにノートパソコンを放り出すしぐさに、フットワークの軽さに感じ入るよりも「おいおい、そんな風にしたら壊れるぞ…」と他人事ながら心配してしまう私である。OSは何を使っているのか知らないが、壊れないまでも次に起動したとき何らかのエラーメッセージが出てきそうな扱い方である。

私は今のところこの都市銀行のコマーシャルを3種類見ている。もう一つは、この前「刃物男」に押し入られて怪我をされた「じんないさま」が、マネープランをシミュレーションしてもらって、「え!」とオドロキの声を上げる巻。さらに休日の公園で、子供の面倒は夫(と思しき男性)に任せて携帯電話で「私も投資始めちゃったのよ〜」と話し込んでいる主婦の巻。一体相手は誰なんだ〜!?わざわざ休日の公園で子供をほったらかして興じる話かぁ〜?メールにしなさい、メールに。

これらのコマーシャルはいずれもモノクロで、新銀行のイメージカラーが引き立つように作られているようだが、どうもバブルのころを髣髴とさせるイメージ先行型である。このダサさは某証券会社のワソストップチャネルといい勝負である。ご祝儀相場なのか旧財閥系の太っ腹ぶりなのか、やたらとお金を掛けているようにみえる。こんなところにお金かけてないで利息に反映してほしいよな。
それにしても都市銀行が13もあった頃は、銀行独自のコマーシャルは禁止されていて、健全でお堅い「銀行協会」のコマーシャルがたまーに流れていたことを考えると隔世の感がある。


2001年06月13日(水) お出かけとタバコ

火曜日はほとんど家にいるので、日記に書くことといえば、ベランダの植物の育ち具合とかやたら内省的なこととかぐらいで、ひどいときには日記を書かなかったりするのだが、出かける日である水曜日は私にしては移動距離が長いのでその分書くこともたくさんある。普段利用する交通機関は地下鉄かバスなのだが、水曜日はJRにも乗る。地下鉄って車内のつり広告ぐらいしか見るものがないけど(しかも何度乗り換えてもIDC○塚家具の広告の前に立ってしまうとかってありませんか?)、地上を走るとそれだけ見えるものもたくさんあるので、受け取る情報量も増える。

今日はJRに乗って浜松町付近を通り過ぎるとき、海側を向いていたら垂れ幕を見つけた。「全国の皆様ご支援ありがとうございます。三宅島民一同」と書いてある。浜松町は羽田空港への向かうモノレールの発着地であるが、竹芝桟橋や日の出桟橋に近く、東京島しょへの玄関口でもある。JRからもモノレールからも、そして桟橋に向かう人にも見えるビルに下がっている垂れ幕を見て、思わず涙がにじみそうになる。私自身は三宅島の人々に何一つ援助も支援もしていない。ただ心の中で大変だなぁ、と思っているだけである。同じ都民でありながらいかんなぁ、と思った。

秋葉原で総武線に乗り換え。御茶ノ水で席が二人分席が空いたので一つに座ったら、私の隣に二人連れのうち一人が座った。二人とも中年の小柄な男性で「私は少し楽になりました」とか「苦しかったら無理しないで途中でどうぞ」とか「おなかが張ったのは少しよくなってきました」とか、今現在の状態をお互いに報告しあっている。ぬぉ〜この人たち二人とも具合悪いのか?しかも会話の合間につくため息のヤニ臭いこと。中央線との待ち合わせで停車時間が長いのを利用して、降りる振りして隣の車両に移った私。とても「席を譲る」コミュニケーションなんてできなかったス。

所用を済ませて地下鉄へ。ホームがタバコ臭いので見渡すと、相撲部の皆さんだろうか、内○君とか○村君とか伊○院君みたいな人々が10人ぐらい。うち2〜3人が談笑しながらタバコを吸っている。もちろん誰も注意しない。だって怖いもんね。下手に注意されて押しつぶされたらやだし。でもそもそも地下鉄が禁煙だって知らないのだろうか、彼らは。地下鉄のない地方から出てきたのかもしれない。

それはさておき、殆どの人は地下鉄が禁煙であることを認識しているので、地下鉄駅の周辺はちょっとしたタバコラッシュである。今生の別れとばかり地下に潜る前に最後のタバコを吸ったり、地上に出るや生き返ったとばかりタバコに火をつけたりするし、道端はポイ捨てされた吸殻がそこらじゅうに落ちている。朝の通勤時間帯は歩きタバコの人も多く、マナーの悪さが目立つ。
とはいうものの、マナーがいい人がいないわけではない。今日見かけた人は歩きタバコではあるが、手は円くすぼめて火の部分を内側に囲みこむようにしていたし、駅の入り口では、階段を下りる前にちょっと離れた灰皿までタバコを捨てにいっている人もいた。先日階段を下りながらタバコに火をつけた茶パツの青年は、階段を折りきったところにある「最後の」灰皿にきちんと吸殻を捨てていた。そういう姿は見た目のポーズとしては決してカッコよくない。しかし、そうかと思えば立派な身なりの常識も知識もありそうな紳士がぽいっとカッコよく吸殻を投げ捨てたりするのを見ると、ひゃー、カッコわるーいと思う。



2001年06月12日(火) オートロックの穴と刃物男

火曜日は御用聞き(古いね)が重なる日なので、雑用をこなしつつ在宅するようにしている。訪ねてきたのはダスキン、生協の宅配、クリーニング屋でいずれも男性。玄関先までとはいえ、業者が訪ねてくるのはあまりいい気分ではない。オートロックかつ内廊下なので外部で遮断されている分、もしもこの人が豹変して押し入られたら逃げ場がない、というかすかな恐怖がある。何かあっても発見も遅れるだろうし。それがいやなら宅配など頼まず自分で外に出ればいいのだが、なにしろ出不精なのでつい。

この手の業者は同一マンション内に用件が複数があるときは、一軒の用事が済むとマンション外に出ずにそのまま次の家に回っていく。いきなり玄関口に宅配業者がきていて驚くこともある。もちろんこっちのほうが合理的だが、厳密には安全な方法ではない。利用規定からするとルール違反でもある。それでなくても危機感なく共同玄関のロックをはずす人が住民の中に一人でもいたら、わけのわからない人間が館内をうろうろすることになる。オートロックだからと安心して玄関のかぎをかけていない家だってあるだろうし、子供があけてしまうこともあるだろう。オートロックって実はセキュリティホールかもしれない。

なんてことを考えていたら陣内貴美子さんの自宅に刃物男が入り込んで、金品の被害はなかったものの彼女が怪我をしたのだそうだ。しかも犯人は以前マンションの内装を頼んだ業者で、そのとき合鍵を作ってそれを使ったのだとか。こうなると世も末である。家の間取りを知り尽くしている内装業者が合鍵を持っていたらひとたまりもない。いったい何を信じればいいのかと思う。

それはそうと、いつも思うのだが「刃物男」とか「爆弾男」とかいうネーミングってすごい。「男with刃物」って感じか。この場合、「レッサーパンダ男」の例に見るようにかならずしも凶器をあらわさないところが面白い。いや、面白がっている場合ではないんだけど。


2001年06月11日(月) いたりあ〜んな夜に思ふ

引き続きいたり〜んな夜。安い白ワイン、第一の皿ホタテのカルパッチョ、第二の皿ガスパッチョ、第三の皿(笑)タコとトマトのマリネ、んでもってメインが牛肉の野菜まき。野菜はセロリ、にんじん、うちでとれたパセリ。ほーーーー。これで冷たいドルチェでもあれば完璧だが、締めがごはんとザーサイのスープだったのでなんとなくインスタントコーヒーと冷蔵庫に残っていたチョコレートを食べて終わり。

それにしても、と全然関係なく検索エンジンてすごいなぁと改めて思う。手元に常時接続のパソコンがあればどんどん仕事がはかどるって言うのは隔世の感である。ディスカッションをしながら、世間話をしながら、思いついたキーワードでつぎつぎと情報が取り出せる。しかも取り出した情報によって連想がひろがり、さらに新しい発想がうまれていく。つい十年ちょっと前、大学生でいたころは、情報は図書館の本棚にあった。調べものがあれば図書館のレファレンスコーナーにいてどっこらしょ、と重いレファレンスブックを持ち出してメモをとりながら一つ一つ絞り込んでいった。レファレンスブック自体に使い方なり得意分野があって、それを習得することが大事だった。図書館員と相談したり、たまには電話で直接問い合わせたりと、ある程度の手続きと時間が必要だったのだが、いまやそんな人との介在が一切なしに短時間でそれなりの情報が手に入ってしまう。いやはやすごい世の中になったものである。


2001年06月10日(日) いたりあ〜んな夏野菜

夏野菜が店頭に充実してきた。なす、トマト、きゅうり、そら豆、などなど。いまや一年中食べられるけれど、やっぱり旬の野菜という感じ。なす、トマト、とくるとなぜかイタリアンなごはんにしたくなる。ちょうどベランダのバジルやローズマリーもよく育ってきたし、ナスの煮浸しよりは、トマトソース煮込みだわ。そら豆も案外イタリアンと相性がいいんですな。パスタに入れたり、サラダに入れたり。色も鮮やかだし、調理時間は少ないし、まだ外が明るい夕方にぽきぽきと外皮をむくのも楽しい。今日はたまたま赤ピーマン黄ピーマンを安売りしていたので焼いてからマリネ。色とりどりの野菜を食べるとそれだけで元気になりそう。
去年の夏は冷奴アレンジに凝ってたけど、今年の夏はいたりあ〜んで攻めてみるか。


2001年06月09日(土) 食べてしゃべって

ようこさんを含めて学生時代の同級生4人で新宿でランチ。先だって私がやった内職を斡旋してくれた友人に、仕事で使ったフロッピーを返すという名目のランチに、あとの二人が乗ったと言う形。ようこさんとはこことのところ毎週のように会っているが、他の二人は1年ちょっとぶり。

日頃子育てと仕事に追われている彼女達が「ゆっくり食事がしたい」というので、穴場的なレストランへいって、せっかくだからとドンとフルコース。学生時代、図書館でおしゃべりばかりしていたトホホな私たちだが、その頃にタイムスリップしたかのようにしゃべるしゃべるしゃべるしゃべる…×∞
でもさすがに言うことや考えは大人になっていて、やはりみんなそれぞれ経験をつんだんだなぁ、と思う。

レストランにいたのは2時間半。若干こんでいてお料理が出てくるのも遅めだったので、あまり粘ったと言う感じはしない。うち一人が時間切れになったのでお開きにする。今日のもともとの予定としては、新宿で軽くランチをしてから拙宅でお茶でもという話だったのが、彼女達が多忙ということで昨日の段階でランチだけであとはパスという話になった。が、結局話し始めたらとまらなくなってしまい、一人先に帰ったあとどこかでお茶でもということになる。しかし私は彼女達がこないならばと母を夕食に呼んでいたので、家にそろそろ帰り着いていなければならない。私はお先に失礼するわ、などといいながらぐずぐず立ち話状態になる3人。

「じゃ、やっぱりうちにきなよ」ということで、急遽我が家へ。2時間ぐらいお茶を飲みながら散々おしゃべりして、母が来たのと入れ違いに彼女達は帰っていった。母は夕食を挟んで3時間ぐらい滞在。ご機嫌で帰途へ。


2001年06月08日(金) 抹茶ババロア

神楽坂は五○番の中華まん、不ニ家のペコちゃん焼きなどがちょっとした名物である。その並びに隣に紀△善という甘味処があって、母がここの蜜豆の豆が大好きなので私もたまに買って帰るのだが、ここ最近すごい混雑なのである。もともと名の知れた人気店だったのだが、夜8時すぎなのに喫茶部門もお持ち帰り部門も連日行列なのだ。気候のせいでみんながいっせいにあんみつを食べたくなったのかと思ったら、そうではないらしい。

喫茶に入ると抹茶ババロアを食べている人がやたら多い。お持ち帰り部門で買っている人は口々に「抹茶ババロア○個下さい」という。抹茶ババロアがないと、他のあんみつやくずもちには目もくれずがっくりと肩を落として帰っていく。外を歩いている人は、店の行列を見ながら「…抹茶ババロアが云々…」と目引き袖引き。なんかヘン。この前覗いたら、抹茶ババロアだけが他の商品の倍以上用意されていた。量産体制にはいっているらしい。抹茶ババロアが脚光を浴びているのはわかったが、別に前からある商品だし、去年も一昨年もこんなことはなかったのに、急に美味しくなったのか?抹茶ババロア。

いぶかしく思っていたら謎が解けた。今トヨ工ツがドラマで作家の役を演じていて、その作家が△の善の抹茶ババロアが好きという設定なんだそうな。それでかー。なんと単純。英語のクラスで一緒の人は会社の後輩が食べたがっているというので、買っていってあげたのだが、その後輩は「トヨエツがこうやって食べているから」とババロアと上にのっているクリームと小豆をスプーンでぐるぐるぐるとかき混ぜて食べたそうだ。ひょえー。あたらしいスタンダードか。げにおそろしきドラマの影響。


2001年06月07日(木) フツーに○○

「プチ家出」とか「プチ留学」とか「プチ散財」とか、プチは最近かなり広範囲に市民権を得てきたように思う。私達の世代にはなじみのある「ミニ」が世に出てきた時もこんな感じだったのだろうか。「プチ」という言葉は「ちょっとした」という日本語に置き換えるとワタシ的にはしっくりくる。

某所で学生さんに課題とは別に任意で「ちょっとしたモノ」を出してもらった。必須でないので「課題」という言葉を使わなかったのだがカレラ的には十分「課題」で、しきりと「課題、課題」というのだった。いや、課題っていうほど大げさじゃないんだけど…、とやや困惑していたら「プチ課題だしまーす」というメールがきた。なるほどねぇ、「プチ課題」。面白いので「プチ課題のネーミング採用」といったらそれっきりその「ちょっとしたモノ」は公称「プチ課題」として収まってしまった。この勢いで小テストはプチテスト、小論文もプチ論文になるか?

プチで思い出したが、最近若いコたちが「フツーに○○だよね」などと「フツーに」という言葉をよく使うようだ。しかしその使われ方が普通ではない。初めて聞いたときは耳を疑った。私が採集した数少ない例だと「フツーにすごくない?(当然単語の平板化+語尾上げ)」「フツーに熱いんだけど」「フツーに濡れるよね」など。
この「フツーに」の意味するところはなんだろうか?採集例の前者2つは、テレビでコギャルさんたちがいっていたのだが、最後の「フツーに濡れるよね」というのは、20歳前の浮いたところのないお嬢さんが会話の中で言ったのをその場に居合わせて聞いたもの。状況としては雨降りの中傘を差しかけられて、
「相合傘ってさー、意味無くない?」
「うん、どっちもフツーに濡れるよね」
うーむ。「フツーに」というのは「当然」という意味か?あるいは「なにげに」という言葉に近いか?そもそも「なにげに」もすごいよな。もともとは「何気なく」だったんだろうに、なにげに定着してしまった。フツーにわかんないんですけど。


2001年06月06日(水) 空中庭園

空中庭園というほど立派なものではないが、ベランダに置いてある植物がだいぶ育ってきて、緑豊富な雰囲気になってきた。南むきで日当たりがいいので強い日差しが必要なハーブなどには最適かもしれない。ただ、マンション下の植え込みにあるラベンダーやローズマリーを観察すると、南面より建物の東面に植わっているものの方が発育がいい。やはり日照時間も大きく関係しているようだ。特にこの時期は太陽の軌道が高いので、南中の前後に上方から照りつける感じである。いろんな角度から光を浴びるという点では、我が家のベランダは少し弱い。とはいえ、前住んでいた家のように日照時間が5時間、なんていうのよりはずっといいので、毎日上機嫌である。

今植えてあるのは、日比谷花壇の頒布品であるコンテナプランツが二つ。他に近所の園芸店で買ったハーブ類がスイートバジル、ローズマリー。セージ。赤のゼラニウムと斑入りのピンクのゼラニウムが2株ずつ。実家から掘り起こしてきたオオバと三つ葉。スイートバジルはその字のごとく本当に甘い香りがする。夏場は水を多めにやったほうがやわらかくなるというので、どぼどぼ水やりをしているが、果たしてやわらかくて甘い香りのする葉が育ってきた。
ゼラニウムはマンションのベランダのように、吹きさらしの乾燥しがちな厳しい環境が大得意らしい。そういえばヨーロッパでは窓辺に飾っている家も多い。ゼラニウムは何回も冬を越し、やがて大きく伸びて茎が樹化してくる。うちのゼラニウムもそういう風になってほしい。無造作に植わって冬の間に忘れ去られて、時期が来ると花をこんもりとつけるような、そういう貫禄のあるゼラニウムに憧れる。


2001年06月05日(火) 言語感覚

今日は一日家にいると決めた日。いるといったらいるのだ。朝から「さて!懸案の書道でもするか」と張り切って書道具を出し、さて手本と思ったらどこにもない。この前実家に行ったときに「ここの袋にいれといたからね」といわれて、ありがたく袋ごともらい、そのまま袋ごと置いてきてしまったらしい。実家に電話して「これから取りに行こうかと思うけど」というと「別に急がなくてもいいんじゃない?」と母。なんですと!?
今から来てもらっても散らかってるし、忙しくて一緒に遊べないし、…それに私もお習字書きたいし(本音はそれか!)というわけで…週末に延期。

昨日の夜朦朧としながら書いた英作文のチェック。課題は自分の思い入れのあるもの(場所、人、物…etc)について語彙も豊富に描写せよ、というもの。外見、手触り、思い出、におい、ありとあらゆる感覚を総動員しなくてはならない。いわゆるrichなlanguageを使ってしかも180語以内。「いい」の次が「すごくいい」で最上級が「めちゃくちゃいい」というような世界に住んでいる人間にとっては骨の折れることである。

それにしても(…と、その前にヨイショっと<自分を棚に上げる音)現代日本人の語彙の貧困さよ。どうも安易な形容に流れていっている。かといって美味しんぼのように「んぬぅ!まったりとしていながら、それでいてこのあっさりとした、口の中に広がるえもいわれぬ…」なんていうのもまどろっこしくて嫌。暗喩や代名詞がオンパレードのいかにもレトリックに凝ってみました、という文章は鼻につく。

もっとも言葉のプロが書いているはずの新聞記事ですら、最近は「??」という表現を目にすることがあるので仕方が無いのかな、とも思う。「目には光るものがあった」と書いてあれば「ああ、涙かな」と思うが、調子にのって「こみ上げるものがあった」って曖昧すぎである。なにがこみ上げてくるんじゃー。「なかなかすごいモノがありますねぇ」ってなんじゃー。なにがすごいんじゃー。モノってなんじゃー。
「わー甘くなくておいしー♪」とか言ってる人をみると「だったら砂糖抜きでいいのかよっ!」と心のなかで毒づいてしまう。なんとかの一つ覚えのように、やたらと「絶品!」とか「最高!」とか連呼している文章を見ると、よほど今までよいものに出会うチャンスがなかったのだろうか、と勘ぐってしまう。そもそも「絶品」にしろ「最高」にしろ、他に比べるものも無いほど優れていることを言うのだ。「どれも絶品!」など言語道断、そんなものがいくつもあってたまるかー!

はあはあはあ…。というわけで今日は一日家にいて、パソコンと向き合っております。英作文はとりあえず終了。

いずれにしても褒め言葉にこそ豊かな語彙を身につけたいものである。最上級ばかり並び立てればよいというものではない。褒め方がワンパターンだとせっかくの効果も半減しようというものである。


2001年06月04日(月) In my 30's

都心は意外と緑が多い。特に寺社やお屋敷のある辺りは大木がうっそうと生い茂り、古い建造物とよく調和していて、自然のまっ只中にいるのとはまた違った趣がある。今は人工的な街路樹も年月を経れば、ちょっとした林のように柔らかな木漏れ日をアスファルトの上に落とすようになるだろう。

私が出た大学の周辺も大使館などが多いので、緑豊かであるという認識は学生時代から持っていたが、よくよく見るとキャンパスの中も緑が多い。学生が待ち合わせ場所に使う大銀杏以外にも、大きな木は案外植わっているものである。校舎の3階まで優に届く大きな木が風に揺れる様に、心も一緒に揺らしてみたりする。
私が卒業して十数年の間に急に木々がこの大きさに育ったわけもないので、学生だった頃も、今とあまり変わらない大きさでこれらの場所にあったのだろう。ただ学生時代は、授業やサークル、学外での遊びに忙しくて緑なんかのんびり眺めてはいなかったのだ。暇がなかったというよりは興味がなかったのだろうと思う。

こんな風にしみじみと緑がいいなぁとか、梢を揺らす風が気持ちいいなぁとか、そんな風に思うようになったのは、やはり30を過ぎてからのことである。


2001年06月03日(日) 錦糸町体験

とある国内最大の電話会社の関係者によって結成されているところのオーケストラの定期演奏会チケットをいただいたので、夫とともにJR錦糸町駅近くのコンサートホールまで行ってきた。錦糸町に降り立ったのははじめてである。会場までは徒歩5分、閉店したそ○うと、外資系の大型ホテルと並んでいて、話に聞いていた錦糸町のイメージとはずいぶん違う。

会場には開演時間5分前に滑り込む。正面の舞台上方にはパイプオルガン、周囲の壁にはホルンをイメージしたような間接照明のペンダントが並ぶ。イスは座りごこちがよく、トイレは広くて明るくバリアフリーもばっちりの立派なホールである。聞くところによるとこのホール設備や立地条件の割に使用料が安いそうで、実際この時期はアマチュアオーケストラの定期演奏会が目白押しである。
演奏曲はメインがブラームス4番。かつてなんちゃってクラリネット吹きとして大学オケの一員だったときに演奏したことがある。壇上には同じ大学オケ出身者の顔もちらほら。あっさり楽器をやめてしまった身としてはとしては猛烈にうらやましくなる。

コンサートの後は「未知の街・錦糸町」を散策。駅の反対側に出ると突然そこは話に聞いていた錦糸町である。立ち並ぶビルには極彩色の看板に刺激的な文字がならび、電柱や標識にはべたべたとチラシが貼ってある。夫は一瞬私と離れて歩いた隙に、呼び込みに「おにーさん、○千円でいいよ」とかなんとか声をかけられる。
ガード下にパトカーが集まっているので何事かと思って見ると、殆ど地面をこすりそうなほど車高の低い金色の車が止まっていて、その周囲を警察官が取り囲んでいる。なにやら説得している様子。日本の警察官はやっぱり優しい。銃をちらつかせたりしないもんね。
例によってセルフコーヒーショップを見つけて入る。軒先に席を取って外の景色を眺めていると、オープンカーが前部をバウンドさせながら目の前の公道を過ぎていった。
おそるべし、錦糸町。



2001年06月02日(土) 食材を慈しむ

料理の手際のよさというと、とかくぱっぱと手を動かして早く仕上げることのように思いがちである。しかし限られた時間内に急いで作ろうとすると、どうしても乱雑になるし、台所も散らかったり汚れたりする。

先日、永平寺に関するテレビ番組で調理場の様子がでてきた。曹洞宗の本山である永平寺はまた、精進料理の根源でもある。祖である道元は「食」というものを重要視し,そのため永平寺では毎日の食事も修行の一環であり決められた作法がある。食事が修行ならば調理もまた修行である。調理担当の僧たちは簡素な台所に立ち、粛々と食事の支度をすすめる。その動作は決して早くはないが無駄もない。皮をむくものは形にそって皮をむき、静かに包丁を入れて、静かに炊いていく。その姿からは、食材を敬い慈しんでいる様子が伝わってくる。

さてわが身と比べてみるとまったくなっとらん、ということになる。がちゃがちゃやっているので食材を無駄にすることも多い。食材の命をいただいている、ということにもっと感謝の念をもたなければならないと思った。そうすればおのずともう少し丁寧に食材を扱うようになるだろう。


2001年06月01日(金) いまどきの若者

,今日電車で移動中、前の席が空いたので座った。ふと目をやると斜め前に、素足にミュール、金髪、ガン黒の今風のオネーチャンが立っていた。シースルーのバッグからは二つ折りの携帯電話が見えていて、ヤマンバメイクこそしていないがまーさーに、ギャルでございという出で立ちである。

次の駅で私の左隣の席が空いた。ガン黒ネーチャンはリーマン(注:サラリーマン)のちょっとナンパなニーチャンの連れがいて、一つ空いた席の前でお互い「いいよ、すわんなよォ」と譲り合っている。結局ガン黒が座ることになったのだが、リーマンがぶら下げている新品のノートパソコンが入っているらしい箱を、ガン黒ネーチャンは強引に引き取って自分のひざに置いた。

そうこうしているうちに私の右隣が空いたので、二人が並んで座れるように私は一つ隣の席に移った。すると「ありがとうございます!」とガン黒ネーチャンがはっきりとした声で私に向かって言った。リーマンも軽く頭を下げて座る。
その時点で私が座っている席は端から4人目、シート中ほどだった。ドアの方に目をやるとおばあさんが手すりにつかまって立っている。通路にも何人か立っていたので、ここからだと席を譲りにいくのは大変である。あれあれと思っていたら、ガン黒ネーチャンがすくっと席を立ち、おばあさんに近づいて「どおぞ、すわってくださぁい」といった。「いーんですぅ、あたしすぐ降りまあ〜す」と明るく宣言するガン黒。

「どうもすみません、ありがとうございます」といいながら席に座ったのは初老の男性。え?と思ったら続いておばあさんが私の隣に座った。どうも男性はおばあさんの連れらしい。ガン黒が男性に、リーマンがおばあさんに席を譲ったことになる。結局ガン黒とリーマンは一駅分も座らないまま、次の次の駅でたるたると電車を降りていったのであった。




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