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1998年10月29日(木) Apple Day

秋も深まったある日曜日、ケンブリッジの植物園でApple Dayという催し物があるというので行ってみることにした。当日は林檎の展示の他、林檎や林檎酒(apple cider)などの試食、即売会があるという。副題はA Celebration of Apples。皆で林檎の収穫を喜び合い、林檎を褒め称えようというのであろう。
英国では林檎の木が多い。ちょうど日本の柿や桜のようなものだろうか。夏の終わりと共に、民家の庭先、公園、野原などでたわわに実をつけている林檎の木を見ることができる。「林檎の木(Apple Tree)」というと、桂冠詩人(poet laureate)ワーズワースの作品を連想するが、林檎が文化としても人々の生活に密着しているのがよくわかる。

英国の林檎はたいてい小ぶりで、ちょっと小腹が空いたときに食べるにはもってこいである。手軽な食べ物としてバナナも人気だが、持ち歩くのには林檎が丈夫でいい。道を歩きながら、本を読みながら、おしゃべりをしながら、授業の合間に、かばんやポケットから林檎を取り出して、がりがりと齧る。かばんを開けるとペーパーバックと林檎が一つごろりと入っていたりする。
そこら辺になっている林檎の実は、袋をかけたりせずに勝手に育っているので、当然ご面相は悪い。赤くなるのは日の当たるところだけで、影になった部分は黄色いままである。魔女が白雪姫に毒林檎を食べさせるときに、「赤くなっているところをお食べ」と勧めたのもうなずける。枝に阻まれたものはいびつに育ち、燦燦と日の当たる所になったものは鳥についばまれている。
店先で売っている林檎もご面相は悪い。日本の富士や陸奥のような蜜入りの大きな林檎などお目にかかったことがない。調理用と銘打ったものもある。最近日本では甘い林檎が人気で、酸っぱい紅玉などは不人気で手に入りにい。こちらの林檎の酸味は健在で、焼き林檎などおいしく出来上がる。

ところでケンブリッジの町外れにグランチェスターというピクニックに最適な広大な草っぱらがあって、知る人ぞ知るといった感じのティールームがある。
そこは敷地内に林檎の木がたくさん植わっていて、それぞれの木の下に適当に置いてあるテーブルと椅子でくつろいで、自家製のおいしいジュースを飲むというのが売りである。林檎園の裏手はケム川に面していて、通り抜ける人々もいる。学生風の若者が本を片手に木の下を抜けていく。ふと、枝に手を伸ばして林檎の実をなんの躊躇もなくすっともぎ取り、そのまま齧りながら歩いていった。おお、カッコイイ!しかし林檎園の木から失敬するなど、とてもできるものではない。
その光景が目に焼き付いていたので、ついこの間田舎道の端になっている林檎の木を発見して、早速もいで食べてみた。…渋い。こんなに秋が深まるまで収穫もされずに残っている林檎はおいしくないに決まっている。

さて、Apple Dayである。
朝起きると快晴。早速でかけることにする。植物園の開園は午前10時からである。少し出遅れて11時少し前に到着すると、入り口に10人ほどの人が待っている。入りきれないほど行列しているのだろうか?近づいていってみると、まだ門が開いていないようだ。日曜日は開園が遅いのだろうか?
時計が11時を示す頃に門が開き、人々に紛れて中に入っていく。Apple Dayに参加するには、1£余計に払う。通常の入場券にApple Dayと文字の入ったスタンプを押してもらって中に入る。Celebrationといっても静かなものである。即売会を目当てに袋やダンボール箱を持参している人もいる。

案内を頼りに進むと、行き着いた先はテニスコートほどの広さのテントである。そこで即売会をやっている。すでに林檎が入っているらしいスーパーの袋をぶら下げた男性が、中身を見せながら入り口の人に何か聞いている。男性は指差された方向にある隣の建物に消えていった。
チケットを見せて中に入る。林檎ジュース、林檎酒の試飲と即売が2個所。木で作った林檎の置物の実演販売。カードの展示即売、林檎を使ったケーキやパイの即売、そして幾種類もの林檎の試食即売である。
試食の林檎は皮をむいていない。レモンを輪切りにしたような形状の金属の型があって、それを林檎の上からえいっ!と力任せに押しあてておろすと、あら不思議、林檎の芯が取り除かれて8つに割れた試食用林檎の出来上がりである。係りの人ももしゃもしゃと食べながら、林檎をガンガン8つに割っては紙皿の上において行く。
英国の林檎というとコックス(COX)という種類がポピュラーなようだが、他にもいろいろあるものである。料理用と生食(?)用とそれぞれ10種類ほど出ていたが、生食用を片っ端から食べ、そのうちの2種類を選んで買うことにする。一袋50p(約120円)ぐらいである。安い。それから林檎のお菓子を数種類買うことにする。これも安い。ちょっと大き目のケーキでも1£ちょっとである。ペニーさんにもお土産に小さいアップルパイを買う。

隣の建物では林檎の展示をやっているらしい。中に入っておどろいた。
テーブルの上に色とりどりの林檎が並んでいる。1つの種類につき2個ずつ展示してあって、それぞれに説明がついている。林檎といっても赤いものだけでなく、青いもの、黄色いもの、色の濃いもの薄いもの、大きさも形も色も様々である。さっきの男性はこれを持ち込んでいたのか。おそらく自分の家で獲れた林檎を持ちよったものなのだ。実に壮観である。
コの字型に並んだテーブルの内側には係りの人たち(おそらく植物園の会員)が図鑑を片手に説明したり質問に答えたりしている。説明するほうもされる側も熱心に楽しそうである。さらに林檎を持参してくる人もいて、林檎を手にとりながら「ほうほう!」と感心したり、自慢げにニコニコしたり、これは好きな人にはたまらなく胸踊る行事なのだ。
なるほどなるほどと思いながら、壁にかけてある時計をふと見やると11時ちょっと過ぎである。1時間ずれている。…はっ!。そういえば夏時間が終わって冬時間に戻るのはこの日だったのだ。眠っている間に時間が戻っていたのだ。道理で時間を過ぎても門が開かなかったはずである。

さて、林檎をすっかり堪能して、屋外に出る。手には先ほど買った林檎が2袋、林檎ジュース、林檎のケーキが幾つか入った袋をぶら下げて、園内をブラブラと歩く。小腹が空いてくるがこれ以上林檎関係のものを食べる気はしない。


1998年10月23日(金) フランスの食卓

ケンブリッジにいた頃、デルフィンが毎日「ああ、おなかが空いた」「フランスの料理が恋しい」「私はお料理が大好きなのに、ここのホストファミリーは…(以下デルフィン心の叫び)」とぼやいていたので、彼女の家での食事は楽しみの一つだった。何しろおフランスである。フランス料理である。いったいどんな食事をしているのだろうか。

夕食の時間が近づくと、お母さんがリビングルームにあるダイニングテーブルのクロスを少しシックなものに取り替えた。おおっ、これだけで本格的である。それからスープ皿が並ぶ。ううむ、まずスープからか、さすがおフランスだと思いながらスープを飲む。ん?シンプルな野菜スープである。おいしいが味付けは薄い。
さて、次はデルフィンがオムレツを焼くという。プレーンとチーズ入りとどっちがいい?と聞くのでプレーンと答える。しばらくして出てきたものは人数分を大きなフライパンで焼いた平たいものである。それを切り分けてもらって食べる。その間にパンがごろりと出てきて好きなだけ切って食べろという。それからエヴィアンのボトルがドンッと出てきて、飲み物はそれである。
オムレツを食べ終わると、「じゃあ、フロマージュ(fromage:チーズ)ね」といって幾種類かのチーズを籠に盛って出してくる。さすがにカマンベール、ブリーチーズ、山羊のチーズなど種類が豊富である。
食事はそれで終わりらしい。なんという簡単さだろう。フランスでは昼ご飯をたくさん食べて夜は軽い目にするといっていたが、朝ご飯のような軽さである。

チーズはをいろいろ選んでいると、仕事で遅くなるといっていたお父さんが帰ってきた。
デルフィンは「さ、英語を話さなくっちゃね、パパ」などといってニヤニヤしている。お父さんは英語が苦手らしい。デルフィンが席を外したときに、「私が英語を話すと娘が笑うんですよ。」と英語でぼやいた。覚えたてのフランス語で「構いませんよ」と答えてみる。
食卓に並んだチーズを見て、お父さんがワインを出してきた。お父さんは出されたスープをおとなしくすすり、あとはチーズとパンでおなかを満たすらしい。色々な種類のチーズを試すのは楽しい。格式ばったフランス料理店に行くと「食後にチーズとデザートワインなどはいかがでしょう」などと勧められることがあって、とんでもないと思っていたのだが、この食事の軽さならうなずける。食後にチーズは必須である。
デルフィンと弟のギヨムはヨーグルトを食べている。この弟のギヨムというのは日本でいう小学校6年生なのだが、デルフィンと歳が離れているせいか、てんでコドモあつかいである。食事時はナプキンを首からさげ、コドモ用のフルーツ味のヨーグルトを食べ(さすがに量が足りないらしく二つ食べる)、夜9時にはベッドに入る毎日である。
ギヨムがお休みなさいをいって2階にあがるとお父さんはキッチンでごそごそし始める。お皿を洗っているらしい。会社から帰って出されたスープを飲み、チーズとパンを自分できって食べ、家族の分の食器を黙々と食器洗い機にセットする一家の主である。いずこもオトーサンは大変である。

翌朝、お父さんとお母さんはさっさと仕事に出かけ、その後にわれわれの食事である。
朝食はさらに軽い。パンやジャムが食卓においてあってそれをごそごそと食べる。コンチネンタルブレックファストといえば聞こえはいいが、なんという簡便さか。ハム、卵の類無しである。
昼は外で郷土料理。ほとんど一週間分に相当する量のソーセージとジャガイモを食べ、さて夕食である。
その日の夕食は、生ハムと小さなマカロニを茹でて好みで各自バターを落としたもの。生ハムはおいしい。食後にチーズとパン。デルフィンはヨーグルト、終わり。
翌日の朝はいつも通り。
デルフィンは午前中自動車教習所に行ったので、その間にお母さんとスーパーに買い物に行く。10年前にできたというそのスーパーで、スーパーマーケットの買い物の仕方を熱心に教えてくれる。何度も言ってますが、日本には20年以上前からスーパーマーケットはあるんですよ、お母さん。
昼ご飯はスーパーで買ってきた丸ごとのチキンに塩胡椒をしてオーブンで焼いたもの。おいしい。付け合わせに茹でたポワロー葱と生クリームを少々加えたマッシュポテト。食後にチーズとパン。デルフィンはヨーグルト、終わり。
夜はスーパーの中の魚屋で開いてもらった白身魚に小麦粉をつけてフライパンで焼いたもの。おいしい。付け合わせは、きゅうりに似た野菜を乱切りにして茹でたもの。食後にチーズとパン。デルフィンはヨーグルト、終わり。
翌朝は、デルフィンがこんな物は日本にないだろうから、と作ってみせてくれたマドレーヌ。
昼は冷凍の白身魚を焼いたものと昨日のチキンの残り。おいしい。食後にチーズとパン。デルフィンはヨーグルト、終わり。
夜ははるばるドイツから私の友人たかこ嬢が訪ねて来たので、お母さんが腕を振るうという。で、クレープ。お砂糖か、ジャムで食べてね、といって木苺と苺のジャムが並ぶ。お母さんが焼く、私たちが食べる。デルフィンが焼く、私たちが食べる。おいしい。塩気無し。さすがに飽きる。食後は昨日作ったマドレーヌ。お父さんが帰ってくる。お母さんがクレープを焼き始める。お父さんのクレープもジャムとお砂糖らしい。
翌朝はいつも通り。たかこ嬢驚く。デルフィンの家の人々はほとんど牛乳を飲まない、これだけチーズとヨーグルトを食べていれば必要ない。
昼はデルフィンが作ったフルーツサラダと、ジャガイモときゅうりとをそれぞれ火を通したもの。好みでおろしたチーズを加える。おいしい。さらに朝デルフィンが買ってきてくれたクグロフ(Kugelhof)というこの地方独特のパンを食べる。

いずれも実に簡単なものである。作っているところを見ても、特に台所用具が揃っているわけではないようだ。よく研いだ包丁でタンタンタンと切る、なんていうことは鼻から頭にないようで、切れ味の悪いナイフでガタンガタンと切っている。菜箸を使わないのは当然だが、適当にそこらへんのスプーンでかき混ぜたりしている。
しかし、明記しておくが、これらはどれもおいしい。どうかするとイギリスの料理の方が凝っていると思われるのに、味の方はさすがフランスというか、納得の味なのである。しかし、献立として栄養バランスなどは絶対に考えていないに違いない。お腹がいっぱいにならなければパンを余計に食べ、物足りなければチーズを食べ、野菜類は果物を間食して各自調節、という感じである。
この食生活なら欧米人が中年以降ガタっと体型が崩れるのもうなずける。

そこへ行くと日本の主婦はエライ。高水準である。私たちはもっと威張っていい。


1998年10月13日(火) Strasbourg

Strasbourg(ストラスブール)に行ってきた。
語学学校で知り合ったデルフィンの住んでいるところで、フランスに来ることがあったら是非寄って欲しいといわれていたのである。デルフィンはパリからそう遠くないというが、急行でおよそ4時間。時間の倹約のため飛行機に乗ることにする。
予定時間よりずいぶん早目に空港に着くが、時間になってチェックインに行くと、飛行機が大幅に遅れるという。案内があるまでお茶でも飲んでいて頂戴といって、係員が空港内の喫茶店のチケットをさっと出した。飛行機が遅れるのは日常茶飯事らしい。結局2時間遅れての出発となった。飛行時間はおよそ1時間だからこれなら初めから電車に乗ればよかったという気もする。

ストラスブールの街が近づいてきた。美しい田園地帯である。白い壁に煉瓦色の切り妻屋根家が多い。ストラスブールは、ドーデの「最後の授業」の舞台になったアルザス地方の首都にあたり、昔からドイツとフランスの間で領土が争われてきた所である。
ここに住んでいた人々は常にフランスに心を寄せていたというが、それとは裏腹に地名や建物にドイツの影響が色濃く残っている。ここStrasbourgが本来「ストラスブルグ」であったことも容易に想像できる。

ストラスブールの空港からタクシーでデルフィンの家へ。
デルフィンの住所を書いた紙を見せるが、通りの名がぴんとこないらしい。何か聞いてくるので、英語で聞き返すと運転手は英語を話さないという。ドイツ語は話せるか、と聞いてくるので今度はこちらが首を振る番である。挙げ句にこの辺らしいが見てくれ、と運転席の方から地図を寄越すが、この辺の地名はフランス語とドイツ語が混ざったようなスペルで、見てもさっぱりわからない。かろうじて知っているフランス語で「分からない(Je ne compren pas.)」を繰り返す。

途中何度も地図を見てやっとデルフィン宅に到着。
タクシーから荷物を降ろすのもそこそこに呼び鈴を押すと、すぐにデルフィンとお母さんが出てきた。デルフィンのお母さんは若い頃ロンドンにいたので英語が堪能である。笑顔が素敵なご婦人で、とても若々しい。青いマスカラがお似合いである。
デルフィンは運転手に何やら話し掛けている。あとから聞くところによると、彼女の住んでいる一角は新興住宅地なので、大変ではなかったかと尋ねていたそうだ。問題は大有りである。

デルフィンが用意してくれた昼食(米料理!)を食べて、すぐにお母さんに送ってもらって市街地に観光に出かける。道すがら標識を見るとやはりドイツ語のような綴りが多い。デルフィンの住んでいる街もHoenheimと綴り、つい「ホーエンハイム」と読みたくなるが、フランス語はHを発音しないので、「ウーンナム」となるという。無理がある。
デルフィンはドイツに対して手厳しい。あまりドイツに似ているというと、あまりいい顔をしないのだがやはり似ている。ドイツ的な建物にドイツ風の飾り文字でフランス語が書いてあったりするのは不思議な感じである。

デルフィンの案内で街の中心部や大聖堂などを見る。ケンブリッジをもっとカラフルにしたようなこじんまりとしたいい街である。ここがドイツ領だった頃、グーテンベルグ(Gutenberg)が印刷術を発明したといわれ、広場に彼の銅像が建っているらしい。行ってみたいというと、デルフィンにそれは対して重要じゃないから、と一蹴される。ちなみにフランス語ではグートンベーと発音するそうである。むー。

焼き栗を買った食べる。天津甘栗とは違ってただ焼いただけ。ほくほくしておいしい。(続く)


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