独り言をつらつらと
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出逢いと別れ 泣くも笑うも 好きも嫌いも 告別式→→→2002年08月29日(木)

明け方6時まで話し込んで、
気がつくと私はキッチンの足拭きマットの上で
トイレの足拭きマットを枕にして
バスタオルをお腹にかけて眠っていた。

10時過ぎに目が覚めた時には既に皆式の準備をしていてばたばたしていた。
炊き出しの煮物の匂いや、お吸い物の匂い、
おにぎりを握っているおばさんたちの足元で私は寝ていた。

喪服を着たまま、メガネなしの裸眼0.01の視力でうろうろしていた。



なにをすればいいんだろう。

手伝いすればいいのかな。

親族は何もしなくていいのかな。

こういう時ってどうすればいいんだろう?

ねぇ父ちゃん、どうすればいいんだろう?
相変わらず私はバカだから、わかんねぇよ。


ロビーに行けば弔問客や親戚がソファに座ってお茶を飲んだりしていた。
私は昨日も見た式場のドアの前に立てられた看板をまた眺めていた。


『お世話になった 一人ひとりに 感謝を込めて ありがとう』


父ちゃんからの言葉として見られるように置いてくれた
葬儀屋の計らいだとは思うんだが。


とにかく4時間しか寝ていなくて、しかも台所で寝心地最悪だったので
気分が悪かった。
それでも今日の式まではしっかりしなきゃと
リポビタンを飲んだら余計胃が痛くなってきた。
お昼の炊き出しのご飯を少しもらって横になった。
じわじわと時間が過ぎて、妹に式場に呼ばれた。



お経、幼稚園のときに習ったお経はまだ覚えていた。
少し口ずさんでみたら父ちゃんに届くと思った。

喪主長女二女の焼香、母ちゃんの次に呼ばれた名前は私だった。
親戚陣はこのときまで私が麻子だなんて気づいてなかっただろう。

親戚の焼香、小さないとこの子まで何も解らず焼香する。
それをする理由はいつ理解するようになるんだろう。

弔問者の焼香、来る人皆が、父ちゃんを思い出す人ばかりで
一人一人の顔を極力見て、頭を下げた。

友人代表の弔辞、『義を貫くこと』父ちゃんは皆にそれを教えてくれた。
弔辞をこの人に頼んで本当に良かったと思った。

親族代表の挨拶、母ちゃんのじっちゃーが挨拶をした。
じっちゃーの横に立つ母ちゃんは娘で、父ちゃんは娘の旦那さんだった。


私にしては上出来と言えるほど気力が途切れず続き
そして絶対に凛とした姿勢で父ちゃんを送ろうとしていた。
涙が不思議とこぼれなかった。




最後の別れ。
お棺のふたが一日ぶりに開けられ、お客さんが花を入れて別れを偲んでくれた。
私は父ちゃんの姿が見えてから、左隣に立ったまま動けなかった。

大人なのに。皆が皆泣いて泣いて、私の所へ来て励ましてくれたり、
母ちゃんを励ましたりしている。

父ちゃんの顔を2日ぶりに見て私の中でピンと張っていたものが切れた気がする。

ふたを閉められる寸前にはっと我に返り、ユリの花を持ってきて父ちゃんの胸元へ添えた。


『父ちゃん、あたしは泣かんからね。父ちゃんの子だから絶対に泣かんよ!
 また会うが。また、父ちゃんの娘として会おうがねぇ!
 じゃあね。またね・・・。』

棺の中の父ちゃんは、いつも店で見ていたあの父ちゃんだった。




出棺のときに父ちゃんの骨壷を持って横に寄り添って出た。
『どれ、父ちゃん行こか。』
弔問客は式場の中には入りきらず、300人は来ていたと後から聞いたが
私の目の前には、父ちゃんとの最後の別れに来てくれた人たちが
300人以上溢れていた。
なんだか本当に嬉しくなって、そしてそれがすごく誇りに思えた。
涙はもうでなかった。
その代わり胸を張って父ちゃんを送り出す力が溢れて、私は笑顔になっていた。
他人が見たら不謹慎なと思われるかもしれない。
でも心底から笑顔になる力が湧いてきたのだ。

何故かはわからない。
でもバスに乗るまで、出棺でバスが動き出すまで、私は笑顔だった。




その時父ちゃんとは、また逢える気がした。
その日が待ち遠しくて、楽しみなんだ。






後日、家族から私だけが冷たいと言われた。


父ちゃんは今頃お浄土で、じいちゃんやばあちゃんと会ってると思う。

『話したいことがまだたくさんあったんだ』
ばあちゃんが亡くなった時に父ちゃんは言った。

私も父ちゃんと話したいことはまだまだたくさんある。
でもこっちの世界で父ちゃんの影を淋しがりながら生きると
父ちゃんはこの世に引きずられて、お浄土へ行けなくなってしまう。
と私なりの理論で考えていた。

母ちゃんが父ちゃんのものを見るたびに泣き出し、
父ちゃんに会いたいと嘆きだす。
それを見るのが辛くて思わず冷ややかな態度をとってしまう。
そういうところが父ちゃんと私の似てるとこだ。

冷えたことを言うようだけど
父ちゃんは次の世界へ行く準備をしているとこだろう。
父ちゃんも絶対私達と話をしたいはずだ。それはわかってる。
でも今、次の世界へ行かせてあげようと、私達もしているところで
やっぱりこっちで引っ張って行かないように引き止めたら父ちゃんがかわいそうだ。

別に宗教めいたことを言ってる訳じゃない。
理解されようとも思っていない。
でも、逝った人間と残された人間、それぞれがまた違う人生をおくると私は思う。
思い出を話して過去を懐かしむのはいいことだと思う。
でもそれに誇示しすぎて、
これからの時間そればかりに費やそうとするのはどうだろう。

だからといってきっぱり忘れろと言ってるんじゃない。
ねちねち後を引きずって生きていけとも言っていない。


その答えは、それぞれが思う念にあると私は思う。






家族から見た私は冷たかろうが構わない。
それでも私の中には、あの父ちゃんの血が流れている。






いつかは会いに行くよ。その時まで僕なりに頑張ってみる。
そしたらもう一度抱きしめてよ。
(ポルノグラフィティ デッサン#2〜春光〜)


こんな時にも、私はポルノの力を少し借りる。
私の原動力に変わりはない。




そして今日も朝が来て一日が始まり、空は晴れて人は動き出す。

出逢いと別れ 泣くも笑うも 好きも嫌いも 本通夜。→→→2002年08月28日(水)



葬式に慣れてしまうのは、本当に悲しい。


5月のばあちゃんの葬式をまだ覚えていたから
父ちゃんの葬式への準備もなんだか皆すらすらと手際よく事が進んでいった。


ばあちゃんの葬式は家でやったが、父ちゃんの葬式は斎場を借りてやることになった。
父ちゃんと一緒に斎場へ向かう途中、店に寄ってもらうことになった。
店で車を停めてもらって、父ちゃんが使っていたうちわを持ってきた。
その後、市内を一周して斎場に到着した。

斎場に入ってすぐに母ちゃんと父ちゃんの2ショットの写真が飾られて、
『いままでほんとうにありがとう』の言葉が書かれていた。

出来上がっていた父ちゃんの祭壇は考えられないほど豪華で、
棺の横に父ちゃんの着ていたベストとウェスタンブーツ、テンガロンハット、
いつも使っていたバッグとうちわを飾った。

遺族の控え室はこれまた考えられないほど豪華で、
綺麗な広い風呂に洗面台、冷蔵庫冷暖房金庫つきの2LDK。
父ちゃんがくれた滅多にないことだから、思う存分この控え室も使おうと母ちゃんは言った。

昼にはお坊さんが来て本通夜のお経を唱えて貰った。
夜になれば来てくれる人が多くなる。その前にとすぐ近くのスーパーまで買い物に出かけた。
出た後に気づいたが、今の今まで私はポルノグラフィティの白いツアーTシャツを着ていた。
大急ぎで東京から帰ってきた荷物のなかに、服は下着とそれしかなかった。

お客さんへの仕出しの材料、お茶菓子、
喪服用の黒いストッキング、
記録用のカメラフィルム3本、
今日はみんな眠れないのでリポビタン6本。

その日の夜はひっきりなしにお客さんが来た。
普通21時前には客足が止み、ゆっくりできるはず。が、
24時過ぎまで弔問客は止まなかった。

深夜1時ごろにようやく夜ご飯を食べた気がする。
既に妹と母ちゃんは寝ていた。
コンタクトつけっぱなし、涙流しっぱなしの私の目は限界だった。
コンタクトの洗浄液を持ってきていなかったので
知り合いのお兄ちゃんにうちの店に行くついでについてタクシーで向かった。

私が撮った最後の父ちゃんの写真には母ちゃんとそのお兄ちゃんも写っていた。
兄ちゃんにその写真を見せると何も言わずに、でも覚えててくれてたようだった。

店にあるお札に神封じをしないととそのお兄ちゃんが言い、
している間に私は誰もいない焼き鳥屋の中を見渡した。

平成元年12月1日から13年半、この店にはたくさんのお客さんが来てくれた。
私にはお兄ちゃんやお姉ちゃんがいなかったけど
ここで出会ったお兄ちゃんやお姉ちゃんが可愛がってくれて
今も家族ぐるみで仲良くしてくれる人がたくさんいる。
それは父ちゃんと母ちゃんの人柄を好きでいてくれて、うちの焼き鳥を愛してくれてたからだと思っている。

連れてきてくれたお兄ちゃんも元はいちお客さんだった。
いつしか仲良くなって、お兄ちゃんの結婚式の仲人を父ちゃんと母ちゃんがしたり
子供達連れて家に遊びに来てくれたり、
父ちゃんちっちゃい子供達好きだったから可愛がるのに、顔が怖いから逃げられてたり。
お店から貰ったものはたくさんある。たくさんの思い出を時間が過ぎるのを忘れてずっと兄ちゃんと話し込んでいた。
斎場に帰りたくなかった。ずっと店にいたいと思った。

『店で葬式したかったな・・・』って言ったら、笑ってどつかれた。

団扇は持っていったけど他にももっていきたいものはたくさんあって
店の暖簾と、地元の大綱引きで押大将やったときの
飾ってあった鉢巻きと太鼓のバチを外して持ってきた。

斎場に帰ってきて、ようやくコンタクトを洗浄した後も眠らずに兄ちゃんと長々と話していた。
眠ってしまうとすぐ朝が来て、式が来る。
そう思うと眠れず、
あと、リポビタン2本飲んでたから眠れず。
結局明け方6時過ぎまで起きていた。



出逢いと別れ 泣くも笑うも 好きも嫌いも 仮通夜。→→→2002年08月27日(火)
独り言にはさらさら書けない、絶対に書くまいと思っていたことを、
今から公の場で披露します。


27という数字に縁があるのかと私は思う。

昨日、近所の88箇所のお遍路を回ってみた。
だんだん周りが暗くなってきたので帰ろうと思って進むのを止めたのが
27番目のおじぞうさん。

私の誕生日、10月27日。

私の敬愛する白玉雅己の誕生日、4月27日。

そして
私の父ちゃんがこの世から姿を消した日、8月27日。




実家は私が小学校1年生のときに焼き鳥屋をはじめた。
脱サラした父ちゃんが始めた焼き鳥屋。
私の父ちゃんに関連する思い出で一番最初に浮かぶのはその店だ。


私と父ちゃんはとても似ている。
すぐキレるところも、没頭して周りが見えなくなるところも、
人に頼まれると断りきれないところも、突拍子もないところも。


最期には間に合わず、私が鹿児島へ帰ってきたときには
実家の大広間に父ちゃんが寝かされていた。
考えられないが、父ちゃんが死んでいた。


丸坊主で、髭が生えてて、背が高くて、でかい父ちゃんが
焼き鳥屋のはっぴをかけられ、そこに寝ていた。

親戚のおばさんに引っ張られて離されるまで、私は父ちゃんに叫びつづけた。
私の大きな声を聞けば、起き上がってくるんじゃないかと思って。
起き上がってくると思っていた。
『おう、何ね?帰ってきたんね?』って笑ってくれると思って。


遺影には、私の撮った写真を使ってもらうことにした。
既に斎場に出来上がった写真があったのだけど
10年前の太っていた頃にスーツが着せられていて、お世辞にもその姿は父ちゃんではなかった。
おまけにその写真の撮影者は私も父ちゃんも好かん人だった。
遺影には私がこの夏休み中に撮った写真をと懇願し、
大急ぎで斎場に持っていき、『最高に男前に加工してくれ』と言って預けてきた。


生きている父ちゃんを最後に見たのは夏休みに東京に帰る空港で。
空港のレストランに入って私はコーヒーだけ頼んだ。
離陸の時間が近づいていたから足早に家族と別れて私一人だけ東京に向かった。
父ちゃんとの会話はなかったけど
バックに入れてた狼のzippoを『本当に貰っていいの?』と聞くと
父ちゃんは何も言わずにうなづいた。

あんなに気に入っていた狼のzippoを父ちゃんは私にくれた。
ひょっとしたら、その時点でもう長くはないと自覚してたんだろうか。



zippoやジーンズや時計が好きで、思わず買ってきては母ちゃんに問いただされて
『(値段)本当はもっとしたんだけど言うなよ。』ってこっそり笑って言ったり。


夜中3時過ぎまで起きてネットしてると父ちゃんが起きてきて
『まだ起きてんのか?!いいかげん寝ろよ!』ってこの年になってもやっぱり怒られて。

今の時刻は午前3時30分。
もう、怒ってくれる人がいない。


帰ってきた日は仮通夜。
予想していなかったくらいの人が家にやってきた。
父ちゃんの枕もとでずっと泣いている知り合いのお姉ちゃん。
私のことを心配して気遣ってくれるお兄ちゃん。
東京から父ちゃんの為に駆けつけてきてくれた人もいる父ちゃんの同級生達。
連絡を入れていなかったのに来てくれた私の高校の同級生や先生。
店のバイトをしてくれてたお兄ちゃんやお姉ちゃん達。
明日からの式の心配をしてくれている店の通りの人達。

明日はどうなるんだ。それより
まだ父ちゃんは生きていると思っている私。
でももうこの時点で父ちゃんはこの世には存在しなかった。


家の祭壇のろうそくは次の日、本通夜の日の朝まで灯っていた。







なんだったんだ?19DAYS →→→2002年08月16日(金)

あと7時間後に私は飛行機の中にいる。

はぁ。バービーの名前を借りて題名もつけさせていただいた。
なんだったんだ。この鹿児島の生活は。
総括として
なんともダメダメ学生の正しい夏休みの過ごし方をしてしまった。
パソコンして〜焼き鳥屋の看板娘して〜家でダラダラして〜ネットして〜怒られて〜
いいとも終わるころに起きて〜パソコンして〜焼き鳥屋の看板して〜・・・看板。


ダメだ。あまりにローテンションだ。
だいたいほとんど街へ繰り出していない。
街という街ではないけど。
どうしても去年の帰省と比べてしまう。
そりゃあ2回目の夏休みだから?まだまだ帰省っちゅうもんの初心者だから?

もう何回も出てくる言葉だけど
大好きなシマムラにも1回しか行ってない。
なんかぁ〜フリフリで1カップくらいおっきく見えるブラとぉ〜♪
おそろいのパンチュとぉ〜♪青のタイダイのタンクとぉ〜♪
白の無地のタンクにはぁ〜アイロンプリントでロンリロンリーの英語の印刷ちゅけるのぉ〜♪
わーいわーい

ああそれだけ。


まぁ髪は、成人式のために伸ばしとくから切りには行かなかったとして、
いったい何が足りなかったんだろうこの夏は。この鹿児島には。この街には。


そうこう言ってるうちにあと6時間半で
この部屋一面に散らかっている大荷物をまとめて、仮眠を取って。


指輪をなくして、フロッピーをなくして、学校の仕事もせず、
よく食べ、あまり眠らず、いつもぐーたらやっていた。
しまりのないこの夏は、それでも私の思い出にはなってるんだろうな。

嗚呼。学校が始まってしまうのが本当に怖い。凹みモードだ。

そんな状態でポルノのライヴまであと4日。え、あと4日?!

東京帰ったらライヴの身支度もしなきゃ。
ご飯自分で作らなきゃ。
電気代考えて生活しなきゃ。

やばい。

涙出てきた。

焼き鳥屋でがんばった給料で少しだけ自分を元気付けるアイテムを手に入れよう。
そうだ。自転車買おう。
1年半ずっと徒歩が交通手段だったけど
少し行動範囲を広げるために。
一眼レフも手に入れたし
何か楽しいことを思いつづけていないと
このままだと自分の人生リタイヤしてしまう。
リタイヤは簡単だ。泣き言言って鹿児島に戻ればいい。
帰る場所があるから東京に出てきたのに。
そんなにあっさり帰るのは嫌だ。


妹の部屋に行けば、見たい漫画がたくさんある。
永遠の野原が全巻そろっている。
私の部屋にある本は全て読み尽くした。
大事な本しか買わない私は内容を覚えるまで読み尽くした。
いいな。実家は。新しい発見が次々と出てくる。

いや、まてよ。

東京に出てからはじめて地元の暖かさや、良さがわかってきた。
だから東京に帰るのが億劫になってるだけだ。
これは一時的なものだ。
きっと私のことだから東京帰れば、あの部屋に戻ればきっと落ち着くはず。
帰省する前に模様替えしたんだよね。
どんな風にしたか全く覚えてないから少し楽しみ。
ポストにはいったいどれだけの家賃催促状やデリヘルチラシが入ってるんだろう。
北海道のポルノのライヴに、来週の土日にはあもやサヤが家に来る。
その次の週には又バイトに復活する。

冷たい街だけど、ささやかな暖かさを感じる毎日じゃないか、私よ。
泣き言もきっと言っていいと思うよ。そんな泣き言皆にぶつけてしまえ。
1年半やってこれたんだから、あと1年半はやっていけるはず。
そして又躓いたらもう一度本気出して考えてみりゃあいいさ。



たまには凹んでみた私。

あと6時間後に私は飛行機の中にいる。

やってみるもんだ。→→→2002年08月15日(木)
いやぁ。人生うまくいくこともあるんだわーね。


実家に新しい車がきまして。
さよなら昔のエルグランド。
こんちわ新型エルグランド。



そのエルグランドは偉いっ!偉すぎる!
テレビが2台着いてて〜♪ナビゲーションもついてて〜♪
ま、まだついてないんだけどMDもつくし〜♪

しかし、いろいろ削っていただきました。
カーテンいらないんではずして、
DVDもはずした・・・はずだったんです。




がっ!





asaco『なぁなぁ、ここの下にDVD入れるとこあんだけどさぁ』

妹ちゃん『ん??あぁ〜あるね。』
asaco『DVD見れないって言ってたけどさぁ』

妹ちゃん『言ってたねぇ。』
asaco『入れる所あるんだから入れるだけ入れてみない??』

妹ちゃん『どうせ見れないでしょうが〜。無理無理。』

asaco『いやいや、もし見られたら儲けもんじゃんか。』

妹ちゃん『まぁそうね。やってみるか。』



ということでポルノのPV集のDVDを持ってきてもらって
入れてみた。










入らない。






asaco『あ〜やっぱり入らないようになってるんかなぁ・・・』
と、ふとそこにあった取り出しボタンを押してみる私。


うにょ〜んと出てきたのはナビゲーション用のディスク。




asaco『はっ!もしや、もしかして、ひょっとすりゃ、ひょっとするかも・・・』



さぁポルノのDVD『OpeningLap』を入れてみたさ。









『ぼっくら〜の〜うーまれてーくーる〜・・・』







asacoと妹ちゃん『うはぁっ!見れたやんけ!(゜▽゜)/』





そうなんです。
見れるはずのないDVDが見れたんです。車の中で。
これは心霊現象??幽霊さんありがとう。
文明開花の音がしました。アポロという音が。



そのあとの買い物中での車内はご想像するとおり。



「わっかいなぁ〜〜〜〜晴さま。」
「この肩組んでる写真マジほっしぃ〜の〜ぅ・・・」
「あのまゆげはもう二度と見れんわ。」
「あ〜タマちゃんおいしいおいしい」
「あ、白玉伯爵登場」
「あ、じいちゃん二人に、タマおばあちゃん登場」
「晴さまの髪がっ!あるよっ!」
「エセ福山雅治じゃ。」
「アキヒト殿。その顔はないぜ。」




PS2を起動させるのがめんどくさくて、長い間見てなかったDVDを
じぃっくりと鑑賞させて頂きました。
ごちそうさまでした。
ありがとう神様、仏様、NISSAN様。ちょうどお盆の時期だからご先祖様。


小ネタ(今日のポルノ入)→→→2002年08月14日(水)

たぁぁまぁぁちゃぁーーーーーん!!!!

体調悪いんだね。ラジオ休みなんだね。少し心配。
久々にラジオ聞いたのに。ネットひいてまで聞いたのに。(T□T)
タマちゃんのいないポルノなんて・・・タマちゃんのいないポルノなんて・・・

ワサビの無い寿司じゃっ!豆の入ってない豆大福じゃっ!

ざるのないざるそばじゃっ!圏外の最新式ケータイじゃっ!

えーとえーとあと何があるかな・・・
き、今日のラジオは、う・・・うだうだで、終わるはずじゃッ!
カッパのことをアンブレラとか言うやつがいる限り。
あそこをhere(ここ)とか言うサルがいる限り。


私の心の中にもいるわよ。まぶたを閉じればその裏にいるわよ。タマちゅわん・・・。
神奈川までには元気になってね。北海道までには完璧にしといてね。
私が飛び込んでいくから。覚悟しとけよ。

あーあ。ラジオで荘口さんの『N1〜』って聞けないのね。
あーあ。乙葉に、私までかすかに反応。

あたしそんなことしない!壁に『東京なんか怖くない!』なんて書かない!
地方出身者だけど書かない!うちの壁に貼ってあるのはヌードデッサンだけ!

はっ!!!森広隆!!!私『ゼロ地点』めちゃめちゃ好き!!!ギター確かにうまい!!!
歌もすばらしくうまい!!!そして何よりこの人鹿児島県民!!!VIVA!!!
目のつけどこ素晴らしくよろしいぜアキヒト君。シカオちゃんも大注目って言ってたしね。

以上、タマちゃんのことを胸に思いつつannSUPER!聞いてました。
は〜びっくりした。最後の最っ後に
アキヒト君ラジオで一番言ったらイケナイコトバ言うんかと思った。
ぽろっと言いそうだわこの人はほんとに。

+++++

いつもながら人類の進歩は目まぐるしい。
ネットをしていれば知らなかった情報がぽんぽん入ってくる。

アポロとサウダージの演奏者はポルノのほかに嘉門達夫がいたり
ヒトリノ夜が入ってるオムニバス版のCDはハルイチが歌ってることになってたり。

+++++

実家の近くのホームセンターで折りたたみ自転車が7980円で売ってた。
でもここで自転車買ったら『東京まで乗って帰れ』って言われるんだろうな。
うちから東京まで1300キロあるのに。真っ黒になっちゃうわ。私も自転車も。

+++++

ついに今週土曜日、とうとう東京へ帰る。
・・・鹿児島帰るときに、バルサンたいて来れば良かった。

+++++

+++++

多摩川タマちゃんとポルノのタマちゃん白いタマちゃん(早口で5回)→→→2002年08月09日(金)
いつだったか忘れたけど
店でお手伝いしてるときのテレビの6時のニュースでいつもやってた。


『多摩川に紛れ込んだタマちゃん。』


おいおい。
ネーミングそのまんま。
ちゅうか多摩川って、タマちゃんって事で真っ先にポルノのタマちゃん登場。
金髪でサングラスとかしてるアザラシの絵とか描いちゃったよ。
タマちゃん中継とか写っても気にしなさそう。

そんなタマちゃん、今日のニュースで(8.15)

『アザラシ日光浴。全身初披露』

やっぱりサングラスしてるでしょ。当然でしょ。
初披露ってそんな大それたものかしら?
アザラシだけど肌蹴てるんかしら?
チョッパーでぐわんぐわんベース弾いてるんかしら??



やっぱり私は多摩市に引っ越すべきだと思った。タマ市に。

無邪気で真剣→→→2002年08月08日(木)
北村一輝さんもポルノグラフィティの岡野昭仁さんも新藤晴一さんも、もちろん白玉雅己さんも
そして私の好きなタイプも、共通することは無邪気で真剣だということ。

『頭のいい人は馬鹿のマネはできても
馬鹿は頭のいい人の真似はできない。』

昔からこの言葉を聞かされていた私は、頭脳がどうにもならんとしても(笑)
頭の回転のいい人になりたいと常日頃思っていた。
勉強のために使う脳は、私の頭の中ではあまり活発な活動はしていないだろうと思う。
でも、そのほかでの脳内活動はとても順調にしていると思っていた。



どうやら、違っていたみたいだ。








遊ぶのに忙しい。→→→2002年08月05日(月)
実家に帰ってきてやらなきゃいけないことのリストを作っては見たものの
やっぱりほとんどこなせていなかったりする。
知らない間に私は黒のマニキュア買って塗って、マイクとお・揃・い♪とか
言っていたりする。金が飛ぶわとぶわ。

前述の通り、マニキュア買ってたりCD買ってたり、しまいには
『そういえば買ってなかった』からと、ヒトリノ夜のシングル買ったり。
これは完全なる衝動買いです・・・ね。
なぜに、わざわざ地元でポルノのシングル買っちまったんだ?
ま、CD屋さんのラックからぴょこんと頭ひとつ飛び出て
ヒトリノ夜のジャケが見えてたんだもん。
仕方ないとは思うんだけど。ポルノ熱引き気味だったからまたこれで復活。
爽快にポルノは私の元へ帰ってまいりました。

だからやらないといけない仕事があるのにも関わらず、
『今まで見に行ったことなかったポルノファンサイト巡りヒトリノツアー』とか
決行しちゃって、学校の課題は済んでないわ〜店の手伝いはしなきゃいけないわ〜・・・

忙しいのよっ。遊びが。ええ悪キャラですよ。雅己君に負けず劣らず。
こんな朝早くからネットとかやっちまうぜ。夜中にラーメンとか作って食べちゃうぜ。
ラーメン食べたら眠気吹っ飛んじゃってずーっと起きてるぜ。
多分一番後悔するのはこの私なんですけど。絶対お昼寝するぜ。




夏休み→→→2002年08月04日(日)
っていうのは普段学校に行ってる人たちが休むためにあるものでしょ。
私が通ってるのは週4の学校だし、おまけに夜中だし、
活動時間帯が夜なので学校はほっとんど疲れてないんだけど
その代わりバイトはきついので、バイトの夏休みだと思っております。
わーいわーい夏休みー。実家に帰ってまいりました。南国鹿児島へ。
世の中は国民番号制で盛り上がっておりますが、
この際私は引っ越したときに、ほんとに本籍を東京に移しちゃったんだかどうなんだか
はっきりさせるために、私の本籍を調べてほしいです。

あー印鑑忘れてきちゃったよ。持って帰ってくりゃよかった。


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