きっと どこかで
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2004年10月31日(日) ランドセル忘れ

夏休み開けの頃だったので、9月の話になるんだけど。

軽度発達障害の一つの診断を受けている子供の方が、ランドセルを学校に置いたまま帰ってきた。
理由はわからない。

夏休みの終わりくらいから、私は、実母にしてもらっていた、夕食を作り始めるようになり、以前のように、その子供にかまってやることは出来なくなった。

前は、帰ったらすぐ、宿題を見てやったりしていたのが、まず、夕食作り、それから、子供の宿題の確認、という風になり、宿題も、以前は、私と一緒にやれていたのが、「夕食を作らないといけないから、その間に宿題をしておきなさい」という風に変わった。

そして、夕食を作っている間に宿題をさせて、その後、宿題が出来ているかどうか確認することもなく、食事を済ませ、風呂に入れて、寝かせるという日がしばらく続いて、連絡帳を見たら、どうも、宿題をしていないらしい、ということが分かった。

それから、宿題が済まないと、夕食は食べられない、とその子供に告げた。そのくらいしないと、その気にならないのだから。でも、宿題を見てやる時間は、取れなかった。こちらも、久々に、平日の夕食作りを始めたこともあり、また、他の家事も、しなければいけないことも増えたので。

そんな日々が続いた日、「宿題をしなさい」と言って、夕食作りを始めた私。その子供は、とりあえず、勉強部屋へ行った。宿題をしにいったのだとばかり思っていたが・・。夕食作りが済んで、宿題が出来たのか聞いたが、出来ていない様子。こちらも、他の用事もあるので、先に食べ始める。私の食事も済んで、もう一回声をかける。まだ、終わっていないとの返事。どうも様子がおかしい・・。もう一人の子供に確認してもらったところ・・「どうもランドセル持って帰ってないみたいだ」とのこと。

それから、本人に確認。やはり持って帰っていないと言う。夜遅い時間帯ではあったが、とりあえず、学校に電話。教頭先生が電話口に出られた。今から行ってもいいというので、車を飛ばして、子供も一緒に学校へ。

ランドセルは、教室の、後ろのロッカーにそのまま、置いてあった。

ランドセルを持って帰らないと宿題をしないで済むとでも思ったのかもしれない。

帰ってから、急いで宿題をさせた。その気になれば、すぐ出来るのだ。わからない、というわけではない。

それからは、宿題をやらない、というのは、絶対ゆるされないことなのだ、と言うことが本人も理解できたらしく、宿題は必ずやるようになっている。

しかし、私が夕食を作り終えてから、やり始めるのだ。

私は、帰ったらまず、この子供に、宿題済んだのか、と声をかけ、済んでないなら、すぐやりなさい、と勉強部屋へ向かわせている。また、夕食を作る前にも、宿題が済まないと食事はできないと話をしている。毎日である。

でも、いつも同じ。

宿題をさせるには、とりあえず、この方法しかないのだが、おかげで、この子供が夕食を食べるのは、遅くなってしまっており、後片付けにも影響している、ほんとは早く食べて欲しいのだ、その方が片付けも早くできるのに。

今日も、私ともう一人の子供が食事を食べ終えた頃、宿題が出来た、と言って食べに来た。時間がかかる、というのではない、他のことばかりしているのだ。

毎日がこの繰り返し・・。


2004年10月26日(火) 職場20周年記念行事

私の勤めている職場が設立されて20周年を迎えるということで、それに合わせて、記念式典、関連団体等への感謝状の贈呈、現職員や元職員の表彰が行われた。

私も、今回、職員表彰をしていただいた。いろいろあったけど、回りのみんなに助けられ、ここまで来られた。この表彰は、私の回りのみんなのものだ。だけど、職場には(部署)、表彰を共に喜んでくれるような人はなく、ちょっとさびしく感じた。(他の人は、該当なしだったので)

やはり、表彰は、共に喜び合える人々がいてこそ、価値があるように思う。私は、表彰をもらったんだぞ、なんて、自慢するような、傲慢な人間にはなりたくないし。

一番喜んでくれたのは、やはり、実母だった。私が、ずっと働く事を応援してくれ、何かと助けてくれ、しんどい時も理解を示してくれたのは、母だったから。

また、日頃、お世話になっているところに、感謝状を出した。この通知は、私も電話でしたが、どことも、大変喜んだような反応を示してくれた。私達の職場の仕事がスムーズに行くよう、助けてもらっているところだ。まあ、仕事の一つとしてやってくれている、と言えばそうだが、でも、お世話になっている事は確か。

記念式典には、仕事が忙しいということで、出席できず、残念だった。忙しいというより、人数が少ない職場なので、事務所を式典出席の為休みにして出て行くわけにもいかず、残るメンバーでは、電話や窓口対応に不安があったため、上司が式典出席をやめてもらいたい旨の話が早くからあったので、しかたなかった。

こんなこと、10年に1回しかないことなのに、出られないなんて、ちょっとさびしく感じたが・・他の人は、表彰を受けたことを、ちょっとうらやましくというか、そんな感じで思っているようで、特に私に気の毒とは思っていないようだった。そういう人達なのかな、と思った。私が逆の立場ならやはり同じように思ったのだろうか?

でも、表彰してもらえたことで、今まで頑張ってきて、ちょっとは報われたような気がした。(ささやかな幸せを感じた出来事だった。)


2004年10月21日(木) 学期末個人懇談会

小学校が2学期制になり、10月の中旬に、終業式と始業式がある。で、また、今回も、学期の終わりに、「学びのたより」(通知表)を渡すのを兼ねて(だと私は思うが)個人懇談会が行われた。

私の職場は、忙しい時期のようだったので、最初は行けそうにないなと思っていたのだけど、何とか都合がついたので、私が行って来た。一応、仕事の中抜け(時間休)という扱いで。

仕事をしていても、子供のことは、大切に考えているんだそー。でも、上司や回りもあるので、休みがとりづらい時もあるのだ。

子供は二人、どちらの先生とも、一度はお話したことはあるし、話したいことがあれば、電話をしたり、連絡帳に書いたりしているので、あまり、お互いに話すこともなかった。まあ、いつもと同じ事、また言われてるなあという感じだった。

まあ、本人の性格や特性もあるだろうしね、急によくもならないし、悪くもならない。どちらの子供も、親が考えているよりは、成績はよかった。えーうちの子、がんばっているのねー、と私が受けた印象。

発達障害のある方の子は、「お勉強の方は、普通ですから、心配することはないですよ」と先生は言われたが・・。「えー、これで普通なのか?」とびっくり。まあ、1教科〇が2つくらい。

もう一人の子は、ほとんどの項目が◎で間に〇が少しあるくらい・・。素晴らしい・・。この子は大人しくて目立たないけど、先生はちゃんと見てくれているんだなあと思った。

改めて、二人の先生に感謝したことだった。


2004年10月05日(火) 運動会

だいぶ前になるんだけど、子供の小学校の運動会があった。日にちは土曜日。旦那は仕事で今年も行けず。

1年生、2年生の時は、真面目に子供の後ろの学校指定の保護者席で見学していたけど、今年は、ちょっと離れたところから見ていた。(3年生の時は雨のため、子供は校舎内からの見学)

1〜2年生の時は、ウロウロする、我が子のお守りをしていたんだもんね、私。今年は、そんな元気なかった。実母の入院・退院以来、急に増えた連日の家事で少々疲れ気味。学校は先生もいるし、子供は先生にお任せしてしまおう、と、わざと離れた場所からの見学。

徒競走は、二人とも、あまり、競争心強くないみたいで、ニコニコしながら、楽しそうに走っていた。1番になりたいと、ムキになって走っている子供とは違うんだよなあ。あまり、1番になりたくないんだって。2番くらいが気楽でいいんだって。私もそうずっと思ってるから、子供もそうなのかな。1番とかいい成績をとってしまうと、後が大変だなと思っているから。

集団での演技、去年は、直前まで先生に心配されたんだけど、今年は、練習にも参加していた様子。運動会前にも、「運動会の練習に参加してるの?」と聞いたら、「うん、やってるよ」という返事だった。それでも、ちょっと心配だったんだけど、演技も、きちんとこなしていた。ヘンに目立つこともなく、一安心。

運動会もそろそろほとんど終わりになってきた頃、まあ、子供がどうやって過ごしているか、見ておいたほうがいいなと思い立って、子供の近くの席(保護者席)へ移動。子供は、と見ると、まあ、おとなしく座ってみている。すごくびっくりした。ホント。これって、子供も成長したってこと?

運動会の後はバザーのうどんやすしなどを食べた。今年は子供に自分の分の食券を渡して、自分で取りにいかせた。もちろん、後片付けもね。こうやって、出来る事少しづつ増やしていかなくちゃね。

運動会の日は、ちょっと曇りだったけど、晴れのいい天気。まだまだ残暑厳しい時で、暑かった。暑いところ半日外にいるとそれだけで疲れてしまった、いや、それだけではないかな、私の場合は、いつも、心配、という気苦労も疲れの原因の一つかも。


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