きっと どこかで
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2004年05月31日(月) ゴスペル講座(ハモリ付け)

先週、ゴスペルの講座のレッスンがあった。前回は、別の会に出席したため欠席。(これについても、また機会があれば、日記に書くことがあるかも)

今回は、ちょっと新しい試みをしてみよう、ということで、「即興ハモリ付け」を行った。メロディーの上下にハーモニーを付ける(楽譜なしで)という練習。(メロディーのみ楽譜あり)上下三度の和音を作ればいいのだ。最初メロディーパートが歌って途中から、ハーモニーを付ける。今回のは、割とハモリも音とりのしやすい曲を先生が選んでくださっていたのか、初めてにしては、結構、うまくハモッているじゃない、と思った。

そして、最後は、アルトパートやソプラノパートがメロディーを歌って、その三度下(上)、また、三度下(上)の音をとるということもやってみた。

こういうのは、まわりの音を聴きながら、自分の音を出す練習、また頭の中で音をとる、という訓練にもなると思った。音楽って本来そういうものだよね。楽譜に書いてあることは、まあ、基本のようなもの、実際歌う時は、まわりの状況も判断しながら自分の音を出すってことが大事になってくるよね。(だから、あるクワイアみたいに、メロディーの音が下がってくると他のパートも一緒に音が下がって・・。ハーモニーとしては合ってるんだけど、絶対音感などある人からみれば、ガマンできない、ってことにもなるかな。)

その前の週にイベントがあり、その時の写真を回覧していた。私は自治会の用事の為欠席。

ずっとイベントに出るつもりで、家でも練習していたために、自治会の用事があるとわかったときはどうしようかと思ったけど。でも、自治会の用事も、地元のための大切な行事。役員など滅多に当たるものではないので、当たった時くらいは、出来る限りのことはしておかなければ、と思った。

今年は自治会の役員が当たっている。ここは、順番に1年交代で役員をすることになっている。だから、今年1年やった後次が当たるのは、20年後くらい、ということになる。

会に出たあとは、会費の集金に各家庭を回った。どういう会費なのか説明して、集金をする。これだけのことなのだけど、そのやりとりの中で、それぞれの人間性というか性格がわかるようで、不思議というか面白いなと思った。改めて、いろんな人達がいる自治会だと思った。


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2004年05月30日(日) 「光とともに」第7話

なんだかんだしているうちに一週間がたってしまってる。ドラマの話はとりあえず放映中は日記にかくつもり。

光くんの通う小学校ではもうすぐ運動会。で、練習が始まった。光くんも、同学年の「ねずみマーチ」という踊りと、徒競走に出るという話になった。ねずみマーチの踊りの練習は、光くんがやる気を示してくれず、なかなか進まない。光くんの交流学級の子ども達にも先生から、光くんが運動会に一緒に出るという話があり、自分達でどうすればいいのか、一緒に考え、話し合う場が持たれる。

クラスの萌ちゃんという女の子は、同じマンションに住んでいる。最初は光くんを避けているふうだったが、光くんのことを理解し、手助けできることがあればしたいと思っているようだ。でも、トラブルも起こったりしてなかなか、支援も難しい。


運動会、みんなで一緒に何かをやり、それを大勢の人が見に来る。うまく出来る人はいいが、そうでない人もいる。私もそんな一人だったかな。徒競走が嫌だったなあ。だって、どんなにがんばったって、いい順位にはなれなかったもの。

我が子も、保育園の時から、運動会などの出し物の練習には、参加しようとせず、先生方も、どうしようかと対応に苦慮していたようだった。我が家の場合は双子だったので、もう一人の子は真面目に練習もしていたので、その子に教えてもらって、家で練習させてください、と言われたこともあったし・・。去年も練習に参加しようとしなかったので、担任の先生は、出なくていい、と最初の頃は考えていたと後から聞いた。でも、後半になって、やる気を出してきたので、やはり、前と同じように、もう一人の子供に教えてもらって、家で練習させてください、と言ってきた。

別に出なくていい、と考えた先生の対応が悪いとは思わない。出たくない子供を、無理やりやらせることはない。

我が子の場合、とっかかりに時間がかかるのだ。他の子供がやるのを見て、やり方を覚えて、それから、やり始める。普通は、先生の話を聞きながら、みんなで一緒にやる子が多いのだろうけど。だから、我が子の場合は、説明するだけでなく、実際にやってみせて、やらせることによって、出来るようになるというのが多い。他の子供とは理解の仕方が違うのだ。

それは、ちょっと手がかかることではあるけど、でも、手をかけてやれば出来るようになる、と私は思って、やってきている。

でも、いつもいつもは、私も身がもたないので、出来る時だけになってしまうのだけどね。

さて、ドラマの話に戻って、光くんの運動会、うまく出来ても出来なくてもいいのだ。運動会の練習をする中で、どれだけのことを、光くん自身が感じ、身につけたか、それが大事なのだと思う。運動会の後続く、毎日の生活の中で、そういうものが生かされていくことが大事だと思う。


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2004年05月25日(火) 最近の食生活の話など

最近、食事だけでは、栄養状態はベストにならないと、サプリメントとか、アミノ酸入り飲料とかを採っている。私の場合は、脂肪、糖質の摂取を減らして、たんぱく質類の摂取を増やさなくてはならない。ちょっと肝臓の状態が悪くなりかけているらしいので。

でも、これも体質だろうなあ。お酒もそんなに飲まないし、スナック菓子など滅多に食べない。食事だって、普通程度にしかとっていないと思うのに。私の母など、アルコールは全く飲めない体質なのに、同じようなことを指摘された時期があるらしい。

栄養士の資格を持つ私だが、実際、仕事や育児をしながらでは、自分でも、栄養のバランスなど十分に考えた食事は家では、出せていないと思う。どうしても、時間のかからないものを中心にメニューを考えてしまう。

他に時間をかけてやりたいことがあるので、しかたないかなと。毎日の1日の食事の中でバランスがとれてなくても、1週間とかそういった単位で、バランスがとれていればいいかなと考えてきた。

土日など休みの日は、普段の食事では採りにくいものをとるようにするとか。それでも、時間がかかったり手間のかかるものは、出来ない。

そのうち、子供にも食事作りを手伝ってもらったら、そういうのも出来るようになるかなあと思ったりもしている。将来、子供には、食事づくりの手伝いをさせたいと思っている。私は側にいての手伝いはしなかったけど、母が仕事をして帰りが遅くなった時など、高校生くらいの時から、家の食事も作るようになった。

母は、おかずの材料を必要な分だけ配達してくれるところを利用していて、それに作り方も入っていた。それを見ながら、料理を作っていた。材料は必要な分だけ、入っているから、それを使えばよかった。調味料の量も丁寧に書いてあった。でも、実際の家庭料理はそうやって作るんじゃないんだよね。目分量というか、だいたい・・で味を見ながら作るんだよね。

私は今は、味を見ながら作るってこともごく普通に出来るようになったが、こういう作り方に逆に、違和感があった昔の私なのである。


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2004年05月23日(日) 「光とともに」サイトでの感想

「光とともに」のドラマの感想、公式HPの掲示板、他の匿名掲示板(専用スレッドあり)などで見ている私だが、昨日書いた、「障害を言い訳にしているか」ということについて、数人の方が投稿をしているのを見た。

投稿している方は、障害を公表している方で、自分の子供が障害を持っている事を何かの言い訳にしてきたかもしれない、というような書き込みをされていた。

確かに、先日のドラマでは、光ママは、「すみません、うちの子自閉症なんです」と一人づつに言っていた。ドラマだから、そういうセリフもアリなのかな、と思っていたけど。

確かに障害を持っているからと理解してもらうことは必要なこと。でも、理解してもらって、「この子は障害があるんだから、出来なくてもいいんだ」と常に思われても、その子供の為にならないと思う。

障害があっても、やっていけないことは、いけないこととして、教えていかなくてはいけないし、理解してくれる人に甘えていては、いつまでたってもできるようにはならない。

ただ、そのラインをどの程度のところに置くか、これは、それぞれ子供の状態によって違ってくるだろう。その子のレベルに合わせて、ちょっとずつ出来る事を増やしていくこと、これがその子のためになることだ。

私は栄養士なので、食事療法にたとえていうと、胃の手術をした場合、昔は、術後は安静にして、食事も長い間をかけて普通の食事に戻していた。それが、最近では、どんどん、流動食から普通食へ早いペースで進めていく。その方が、術後の回復も早いのだ。人間の身体には、自分で治そうとする力が備わっている。大事にしすぎると、回復が遅れるのだそうだ。

それと同じようなことかもしれない。適切な時期にその子に合った、しつけをしていけば、出来なかった事、理解できなかったことが、その子に出来るようになるのだろう。その見極めが難しいところなんだろうけど。

それは、普通の子供を育てている場合にも言える事だと思う。

こういう文章は、自分自身にも言える事、なんだけど、私もどうしていいのかわからず、悩むこともある。気長に、辛抱強く言い聞かせることに尽きるのかなあ・・。そのうち分かってくれると信じて・・。


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2004年05月22日(土) 「光とともに」第6話

この日の放映を見て思ったこと。これは、光くんをとりまく、周囲の子供達のことも描いたドラマだと。(最近の子供達をとりまくいろいろな問題など)

光くんが、学校の帰りがけに、ママがちょっと目を離したスキに、一人でどこかへ行ってしまった。ママは、あわてて捜しまわるが見つからない。光くんはバスに乗ったのではないか、という話になった。光くんと同じクラスの男の子が、同じクラスの女の子の自転車をふんだくるようにして借りていったとのこと。光くんを追いかけていったらしい。まもなくファミレスでその男の子と二人でいることが報告された。

今回、光くんが迷子になったことを聞いて、何か役にたてることはないか、と言って家に訪ねてくれたお母さん方がいた。こういう人はほんとにありがたい。気持ちだけでも・・。

光くんを追いかけていった男の子は両親が離婚していて、父親が子供をみている。家に光くんのママが訪ねて行った時最初、「うちの子はなんてひどいことをして」と言っていた。そういう言葉が出る時点で、お父さんはいい人。そして、光くんのことを説明するうちに、自分の誤解に気づいたお父さんは、「うちの子はやさしい子供だったんですね、それに気づかせてありがとう」と言っていた。

また、迷子になりながら、光くんは、あちこちで、いろんなことをしていた。学校に苦情の電話がかかっていたらしい。次の日に、ママは、謝りに出かける。

こういう場面はせつないなあー。自分の子供が悪いことをしたのを謝りに行くのは、親としてまあ、当然だと私は思っているんだけど、でも、「うちの子は普通の子供と違うんだから、それをわかってくれたら、そんなことは言わないでしょう」と思うこともあるし、それを言うと、「そうなら親がもっと気をつけなきゃだめでしょうに」と言われそうな気もするし・・。今回は、両方の言い方をした人達が出てきていた。

障害を言い訳にしないで、みたいなセリフだったけ?を聞いた時は、そうかなあ?と思った。そういうふうな言い方は私はしたことはないし、私の周囲の人だって、診断名を公表するのは、よっぽどのことがない限りしていないし、その場合もとても気を使う。変に誤解されたり偏見を持って見られたりしないかと・・。障害を公表している人達は、勇気のある人なんだろうなと思う。

福祉の仕事をしている人達は、日々そういう人と接しているせいか、そういうふうな思いになることもある、という話を聞いたことがあるような気もする。

我が子も、以前は、よく外出先で、一人で勝手にあちこち行ってしまうので困っていた。だから、私が子供を連れて外出しないといけない時は、必ず、誰か(旦那とか、私の母とか)に一緒に来てもらっていた。案外足が速いので、追いかけているうちに見失ってしまいそうになったり、一人を追いかけているうちに、もう一人の方が置いてきぼりになって、そっちが、逆に迷子になってしまったり・・。でも、こっちの子は、迷子になってもすぐわかる。迷子になったと泣いているから・・。でも、勝手にあちこち行く子の方は、自分の好きなことをしているだけなので、全然困っていない。親が困って捜しまわっているだけ・・。トホホ・・状態よね、親にしてみれば。最近やっと、そんなに勝手にあちこち行かなくなったので、ちょっと、子供連れの外出が楽になった。

今回の放映は、実は、子供と一緒に見た。子供の感想は・・。
「光くんって無口なんだね」そうだよ、貴方はいろいろお話できるようになったね。
「光くんって小学校何年生なのかなあ」小学校一年生だよ。貴方の時と似ているところもあるし、そうでないところもあるよ。
迷子になって皆が捜しまわっているところでは・・。笑っていた。何故なのか・・。悲しくなってしまった。我が子にしてみれば、自分と同じような子供を見つけた安心感か?どちらにしても笑うところではないだろう・・。貴方が勝手にあちこち行ってしまった時も、いろんな人にお願いして捜したこともあるのに・・。それは貴方が大事だから・・。事故でもあったら大変だし。そういう話も我が子にしたがどの程度理解してくれたのか。

最近思うに、いろんなことを理解したり、出来るようにさせるためには、子供の成長を待つこと、これも関係しているなあと。他の子供と、成長の進度が違うのだろう。でも、違うけど、今まで理解してなかったこと、理解できるようになったなあと思うこともあるし、出来るようになったなあと思うこともある。


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2004年05月19日(水) 母の日マラソンコンサート

またまた、マラソンコンサートに出演した。今回の曲は、前回と同じ森山直太朗さんの「さくら」今回は、初めて、エレクトーンの足鍵盤を使っての演奏を披露した。(初めて足鍵盤をマスターした曲なのだー。)

ピアノやエレクトーンを習っているのは小さいお子さんが多い。コンサートの出演者の半分以上が幼児や小学校低学年くらい。その中にちょこちょこ、上の学年の子供や大人が混じっているという感じ。ずっと続けている人が多いみたい。

今回は、エレクトーンのところと客席がすぐ近くにあり、前にもまして緊張した。でも、今回も全然間違えなかったぞ・・!指は緊張してふるえ、顔もこわばってしまっていたけど。

私の場合は習っているのは、基本的にはピアノ。なので、こういうイベントの為に普段のレッスンとは別に、曲を用意したり、練習したりしなくてはいけない。今回は初めて、前日に先生が、エレクトーンのレッスンもしてくれた。というのが、たまたま、レッスンがいつもの時間と違う時間となり、エレクトーンのある部屋でレッスンしたので。普段は、グランドピアノのみが置いてある部屋でのレッスン。

エレクトーンも面白そう・・。サポート演奏も部分的についていて、家で私が練習していた時、旦那がやってきて、演奏しているのを見て、「なんだ、全部弾いているんじゃないんだ」と言う。サポート演奏の部分のことを言ったんだろうなあ。フロッピーディスクにリズムとか、部分的にサポート演奏も録音しておけるし、また、レジストの切り替えも、自動的にしてくれる。また、ボリュームペダルも、最近のものは、一定の位置で止めておけるので、両足を使った足鍵盤での演奏も可能だし、ボリュームも、記憶させておくことも出来る。

今の私には、家でピアノやエレクトーンを弾いているのが、気分転換になっている。前からそうだったけど。ただ、せっかくやっているなら、自己流でなく、先生に見ていただいて、いい演奏が出来るようになりたいと、レッスンに通っている。

ピアノもサイレント機能付きなので、夜でも気がねなく練習できる。でも、家の用事などもあるので、練習は毎日は無理かな。時間はだいたい1時間くらいと決めている。他にやることもあるので。ホントは、何時間でもやりたいけど・・。


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2004年05月17日(月) 大学OG支部交流会

だいぶ前の土曜日になるんだけど。大学OG支部の交流会に行ってきた。今回は、新しく出来た、地元のタワービルの中の中華料理のお店での食事会だった。

私は仕事の上でのつながりのある人はいないのだけど、そういうつながりのある人も多いようだった。(出身大学で取得した資格を生かして仕事をしている人達)

中華料理は、料理の鉄人でおなじみの人のお店だということ。でも、どんな料理なのかは、行くまでは詳しく知っている人はいないようだった。盛り付け(料理の飾り付け)の仕方などは、フランス料理風だった。一人ずつ、お皿に盛り付けて持ってくる。味付け(ソース)も変わっていたので、聞いてみたところ、ヤシ油を使っているのだとのこと。ヤシ油は加熱すると、黄色くなりどろっとして、卵の黄身のような感じになるらしい。味は、ほんのり甘めだった。

ちょっと変わった料理が食べたい、と思っている人にはオススメだと思った。帰りに下で、もうすぐ母の日(ちょうど母の日の前の土曜日だった)で、お花を売っていた。

滅多に花など買わないのだけど、今年は、カーネーションと他の花がコーディネートされているカゴを買った。


2004年05月16日(日) 「光とともに」第5話

ドラマのヒカルくんのいるのは「あさがお学級」という、障害児学級。児童は一人だったが、今週から同じような自閉症の子供が入って二人になった。あるサイトで、あさがお学級の子どもが一人なのを不思議がっている書きこみを目にしたが、障害児学級は、小人数で、丁寧な指導をしているところのようだし、我が子の通う学校も、障害の違いなどにより数クラスあるので、子供が一人であるのもめずらしいことではないと思う。(あまり詳しくは知らないので・・違ってたらゴメン)

あさがお学級に、ヒカルくんとは違ったタイプの自閉症の女の子(琴美ちゃん)が体験入学で入ってくる。琴美ちゃんは、絵を上手に書き、お母さんも、大喜びする。ただ、ヒカルくんのママは複雑な心境。自分の子供はそんなにうまく描けていなかったから。比較してしまう自分を責めるが、気持ちは押さえきれず、家にいる時練習さそうとして、ヒカルくんの好きなパズルを隠して絵を描こうと言うが、ヒカルくんはパズルがないと言って大騒ぎ。思わずカッとしてぶってしまう。

子育てとはわからないもの。手をかけたからといって、それがすべて結果として現れないのが、不思議なところ。琴美ちゃんは、十分な療育は受けてはいなかったが、母親はわからないなりにも懸命に子育てをしていた。光くんは療育機関にも通い父親も協力して子育てをしている。

絵を描く、ただそれだけを見れば、あの日は琴美ちゃんの方が優れた感性を持っているようだった。でも、自分の子供を見る時、苦手なところばかりに目をやってしまってはいけない。その子の得意なところや、こんなことなら夢中になってやる、というものがあるもの。そういうところに目を向けて、自信を持たせて、やらせていると、他のことも、そのうち出来るようになってくるもの。

そういう子育ては、普通の子供を持つお母さんにも通用するものだと思う。


2004年05月11日(火) 倉本裕基さん

先日たまたまつけたラジオの番組に、ピアニスト&作曲家の倉本裕基さんが出ていた。スタジオにピアノも置いてあるらしく、ピアノを途中で弾いたりしながら、話をしていた。

最初にラジオをつけた時、ちょうど、ピアノを弾いているところだった。

ん?この音楽、最近音楽が気に入って見ているテレビドラマ「冬のソナタ」の曲に似ているなあ・・と思った。

その番組の中で、冬のソナタの話もしていたけど、(ドラマの曲は、この方の作曲ではない様子)倉本さんは、韓国では、かなり人気のある音楽家らしいということだった。そして、こういう感じの、癒し系音楽が韓国では人気があるらしいことも。

そして、曲のメロディーの作られ方のような話もしていた。有名な曲、メロディーの一部を弾いて、そして、この部分をこう変えると・・と言ってちょっと変えるとおやおや、別の聞いたことのありそうなメロディーが聞こえてきた。

こういう話を聞いていると、実に楽しそうに作曲をしている様子が感じられた。メロディーが次々と、浮かんできてそれをピアノで表現している、といった感じ。


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2004年05月06日(木) 今年の連休

今年の連休はかなり長かったー。なので、今年は、家族旅行に行った。宿泊先は今年はネット予約。(今までは、ガイドブックに載っているところに電話しての予約だったけど)

行き先は、愛媛(新浜・しまなみ海道)となった。行く前日まで、どこに行くか、具体的に決めてなかったんだけどね。(とりあえず、泊まるところだけ先に押さえた、というところ)マイントピア別子、チロルの森、あとしまなみ海道を渡って、耕三寺、そして、タオル美術館、愛媛県立博物館など。2泊3日の旅行。

泊まったところは、ビジネスホテルで、食事なしで、大人一人4000円という安さ。まあ、私達は民宿も使うんだけど、(安いところ!)それと似たりよったりかな。でも、次旅行に行く時は、大きなお風呂があるところにしようね、という話になった。

おとどし旅行に行った時は、帰ってきてから体調を崩してしまった私だったので、今回は、宿泊も2泊とし、旅行の前の日と、帰ってきてからの日と、1日づつ休みとした。おかげで旅行の準備も前日にすることが出来たし、旅行から帰ってきた次の日は、旦那も疲れていたのか、お昼近くまで寝ていた。(ずっと運転手だったからねー。大きな車は、慣れてないので、私は運転はしないことにしている、今のところ)

子供達は、しまなみ海道渡る前に寄った来島海峡パーキングエリアで食べた「しおなみアイス」が印象に残っているらしい。そこには、「いよかんアイス」もあったけど。行きと帰りに寄って、両方食べた。

旅行は、今回は、子供を追いかけながらの旅行だった。自分の興味のある方向へそれぞれ行こうとする。それを、あまり離れすぎないように、監視しながらの行動となった。危ないことも平気でやろうとするし・・。まだまだ、目が離せない。


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2004年05月05日(水) 「光とともに」第4話

今日は連休で旦那も休み。「自閉症の子供のドラマが始まるから一緒に見ようよ」と誘ったけど、別の部屋に行ってしまった。まだ認めてないんだよねー。「うちの子はちょっと変わった普通の子」なんだと思ってる。そんな割には、「イルカセラピー」の話を聞いてきて、「うちの子供みたいな子供にいいらしいんだって」などと言ってる。

確かに、我が子は「自閉症」ではない。軽度発達障害の中の一つ。(コミニケーションの障害だと私は考えている。)でも、エピソードなど、我が家の出来事とダブるところが結構あって、そのたび、涙してしまう。

私の母も見ていたらしい・・聞いてみたら・・「うちの子とは全然違う」でも、母親が子供の事を一生懸命考えているのは、同じなんだけどなあー。

さて今日は第4話。

ヒカルくんのために、トマトを交流学級の子供と一緒に育てることになる。学級の中の一人の子供が、トマト係りとなり、ヒカルくんと一緒に、トマト畑まで行き、じょうろに水を入れ、トマトの苗のところまで一緒に行き、水をかける。これだけのことだが、ヒカルくんに理解させるのにトマト係りの子供も一苦労。先生方の助けもあって、トマトの苗に水をやることが出来るようになる。その時、トマト係りの男の子も、同じクラスの男の子も、手を取り合って喜ぶ。(女の子は、そんなこと出来るわけないじゃないの、と冷ややかな態度だった)

障害を持っていない子供には難なくこなせることが、障害のある子供には難しいことだったりする。だから、心障学級のようなところで、手をかけて指導していくことも一つの方法。また、友達との係わり合いを学ぶために、交流学級のようなことも本人のペースに合わせて、無理なく進めていけたらいいと思う。

こういう子供と一緒に過ごすことについて、嫌悪感を抱く人もいるのかもしれない。でも、もしかしたら、自分の子供もそういうふうにならないとも限らないのだ。事故などで、後天的にそういうふうな障害を持つこともある。そう思うと他人事とすまされないのでは、と思う。

トマトの水やりにあれだけの手間をかけないと出来るようにならない子供と同じクラスにいると、「勉強が遅れる」などと思う親もいるだろうなあー。でも、勉強って、机に向かって、字を覚えたり、計算が早くできるようになることだけではないはずだ。実際に社会に出た時、求められるものは、人に対する思いやりとか、気配りとか、とっさの機転とか・・。そういうのは教科の勉強では身に付かない。いろんな人間と関わって身につけていくものだと思う。

そういう意味では、我が子はそれこそ、そういうことが最も苦手分野。(生まれつき)(発達障害のため)

我が子の場合は、就学前相談で、通常学級で対応可能と判断された。幸い校長先生や担任の先生、クラスの子供達にも恵まれ、暖かい雰囲気の中で過ごさせていただいているようである。

そういう雰囲気の中にいることで、我が子自身もそういったものを、感じたり身につけたりしてほしいと思う。それが、我が子が通常学級にいる意味なんだろうと思う。


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2004年05月03日(月) 冬のソナタ

最近ドラマ視聴日記になってきているかも・・。お気に入りのドラマ、どちらも私の見やすい時間(夜遅い時間)にあるので・・。

この日は、連休のため、旦那も休みだったので、旦那も一緒に見たのだけど、こういう恋愛ドラマ(特に純愛もの)はあまり好みでない様子。

この日の放送だけ見ていた旦那は、「主人公の女性は、取引先の男性が好きなので気を引こうとしているんだろう」というふうな言い方をした。だから、この男性は、女性のもう死んでしまった昔つきあっていた男性にそっくりで、女性は、幼ななじみと婚約もしているということを話した。それに、取引先の男性も、付き合っている女性がいることも。

でも、確かになあー。どうもドラマの展開が、このまま、主人公の女性と、取引先の男性がだんだん引かれあっていくような気がしてきた。三角関係というやつかな。まあ、こういうのがないと、ドラマの話としては、続いていかないのだろうけど。

それにしても、ドラマに出てくるお店などは、おしゃれで趣味もよさそうなところばかり。景色もきれいなところが多い。こういうところでも、楽しめる感じ。

前回にも書いたが、音楽も、ドラマによく合っていて、いい感じ。まあ、ドラマの内容は、大した事ないといえばそうなんだけど、音楽とか景色とかにもつられて、見つづけそうな気がする、私なのである。


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2004年05月01日(土) 「光とともに」第3話

なんとか・・。「光とともに」ドラマ第3話見ることが出来た。この日の話にもやはり涙・・。でも、第1話のそれとは違っていた。今回のは、うれしい涙・・。

ヒカルくんのパパがヒカルくんを理解しようとしはじめる。仕事一途だったのが、積極的に育児にかかわるようになる。ヒカルくんも、いろんなことが、落ち着いて少しづつできるようになってきたり、まわりも、ヒカルくんの考えていることがわかるようになってくる。そして、ある日、学校で事故が起き、それをきっかけに、ヒカルくんのママは、「光通信」というリーフレットを作成し、交流学級の保護者に配ってまわったり、また子供達に、ヒカルくんとの接し方について、理解してもらおうと、話しをする。

どうも、第2話でのことがきっかけで、ヒカルくんのパパは、子供の障害と向き合う決心をしたようだ。実際は、そんなに簡単には進まないのだけど・・。(父親が子供の障害を受け入れるのはそう簡単なことではないし、協力をしてもらうのもなかなか・・)

ドラマの中に「自閉症ですみません」とあやまる場面があった。我が家では、実際には、そういうふうにあやまるってこと(診断名を言って謝る事)はないんだけど、小さい時から、何かまわりから子供のことを言われるたびに、「すみません」(大人には)「ごめんね」(子供には)とあやまることは多かった。

考えてみればそうだ。障害を持っているがゆえに、そういう行動をしてしまうのだ。あやまるのは、そういう障害が起こす行動を、あやまっているようなものだなあと思った。

ドラマの中の、ヒカルくんの担任の先生は、あやまることなんてないんですよ、と言っていたが、人に不快な思いをさせたことは事実。障害を知らないため、というのが大きいんだけど。障害をしっていれば、障害があるゆえの行動と思い、理解してもらえるのだろうか?

できれば、「すみません」よりは「ありがとう」と言えるようになりたい。こういう子供なんだなと理解してくれている人達や子供達は、我が子を助けてくれていることがよくあるようだ。気が付いたら「ありがとうございます」と言っている。最近はこう言う方が多いかなあ。

まあ、子供の事で相手が不快な思いをしたら、「すみません」と謝ることはやはり必要なのではないだろうか?でも、障害を持っている場合(目に見える形で現れていない場合)理解されにくいので、謝ることは普通の子供を持っている親より多いのではないかと思う。


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