きっと どこかで
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2004年04月29日(木) 学習参観

昨日は、小学校の学習参観日。職場の方は、ちょっと忙しい頃だったのだが、休ませてもらった。(半日のつもりだったが、1日休んでいいよ、と言ってくれた。)

子供は二人なので、両方のクラスで半分ずつの見学時間。まあ、こういう人は結構多い。

最初の子供の参観。授業はよく聞いて、ノートもきちんととっている。こちらの子は目立つ事が好きでないので、手を挙げて発表したりすることは少ない様子。

もう一人の子供の参観。とりあえず教科書は開いている。席にもきちんと座っている。ノートはとっていないようだが、落書きもしていない様子。でも、以前に比べたらよくなってきたなあと私は思った。参観の日なので、多少は気にしているのか?(この子は参観日以外でも、授業見学をさせてもらっているので)

実は授業参観日に学校に行くのは、久しぶり。ずっと参観日は月曜日が続いていたので、旦那に行ってもらっていた。(旦那は月曜指定休日になっているため)

こちらの授業は道徳だった。授業の終わりの方で、我が子に関連した話をしていた。(具体的に名前は出なかったけど)

先日、我が子は、学校のトイレのところで、戻してしまった。(吐いてしまった)それに気づいた先生は、近くにいた子供達に、雑巾を持ってきて拭くようにと、話した。そうしたら、近くにいた5人くらいの子供達が、雑巾を持ってきて拭いてくれたのだとのこと。

担任の先生は、そう大したこととは思わなかったらしいが、他のクラスの担任の先生から、お宅のクラスのお子さん素晴らしいですね、と言われたそうだ。

人が吐いたものというものは、見た目もいいものではないし、においもする。そういうものを片付けるというのは、あまり好きではないはずだ。できればしたくない、とも思うだろう。それをしてくれる、というのは、ほんとに素晴らしいし、ありがたいことだなと、私も思った。

いいクラスなんだなあと思った。学級崩壊の原因の一つに手のかかる子供がいること、というのがあったけど、それは違うと思った。先生方の関わり方により、逆にクラスがよくなる場合だってあるのだ。やさしい子供が増えるということだってある。

我が子のような子供だって、その子供なりにがんばっている。それを、教師もクラスの子供も理解してくれれば、逆にいいクラスになるのだ、と思う。

参観の後はPTA総会、その後、お昼までまだ少し時間があったので、授業見学をさせてもらった。


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2004年04月27日(火) 「光とともに」2回目放送見れず

先週見逃してしまった、ドラマ「光とともに」2回目の放送。番組HPなどで大まかなあらすじを見た。

主人公のヒカルくんは、障害児学級在籍となり、可能なものは、通常学級の児童と一緒に授業を受けることとなった。それに対し他の親御さんから、不安の声が上がった。

と書いてあったのだけど、これには、多少疑問を感じた。確か、1回目の放送の時に、地区の小学校へヒカルくんをお母さんが通わせたい理由の一つに、幼稚園から一緒の友達もいますから・・。ということだった。

我が子の場合は、どうなるのかと思ったが、通常学級で入学することとなり、心配したとおり、教室からたびたび脱走するわ、大声で泣きわめくわで大変だったらしい。(双子のもう一人の報告)それをきいた私の父は、「この子は特殊学級」と思い、校長先生、はたまた教育委員会にまで電話をかけたらしいが、校長先生はあくまで通常学級で、と言われていた。お宅のお子さんのような子供も今まで何度も見てきていますから、大丈夫ですよ、と教頭先生も言われた。私自身は、いろいろ騒動が起こるたび、障害児学級にしてくれたほうが楽でいいかな、と思い始めていた。

でも、担任の先生の配慮がよかったのか、子供達の、我が子への接し方はとても自然だった。団体行動が苦手な我が子、教室移動の時などは、同じクラスの面倒見のいい女の子達が我が子を連れて行ってくれていた。体育の時間、最初は団体競技に入れず、横で見ているだけだった我が子、途中から、やりたいと思い出した様子。それに気づいた先生や子供達、仲間に入れる様子が、なんとも自然だったとのこと。(療育先生見学談)

そして、クラス替えの時、我が子とまた同じクラスになりたい、と言っているお子さんがいるという話を聞いてうれしかったけど、なんだか信じられないような気持ちだった。

もちろん、保育園から一緒の子供もかなりいた。私が学校に行くと、「〇〇さんのお母さんだー。」とよく言われた。そのくらい、我が子も私も有名人。(保育園時代から)

現在は小学校の四年生、最近なんだか、とても素直になって、今まで言ってもなかなかしなかったことにも、すぐにとりくむようになってきた。うまく出来たこと、ほめられたことをよく覚えている。これは悪いことではない。自分自身のイメージをよくしておくことは、いいことと思う。がんばればほめられる、うまくいかなくても、その努力も含めてほめられる、ほめられるとうれしいからがんばる、そして出来るようになる、もちろんほめられるけど、本人もうれしい。(親も涙が出るほどうれしい)


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2004年04月26日(月) 冬のソナタ

このドラマも最近見ているドラマの一つ。BSで人気だったとかで、NHK総合テレビで再放送が始まった。

冬のソナタは、音楽も人気で、先日のコンサート(ヤマハ大人の)でも、ドラマからの選曲が2つあった。

ストーリーは、どちらかというと女性好みの作りかな。年代も、私くらいの年代(ちょっと年齢高め)向けという気がする。

ドラマの中で流れる曲も私好み、景色もきれいに作られている。そう、私から見ると、あまり現実感がないドラマ・・。でも、たまにはこういうきれいな絵物語を見るのもいいかな・・なんか心が安らぐ・・。

でも、ストーリー自体は、ちょっとヤキモキさせられ、次はどうなるんだろう、って思わず楽しみというか心配というか・・。

今週までのストーリー

初恋の人は、事故で亡くなった。その後、おさななじみと婚約をする。その直後、初恋の人にそっくりの人と仕事でかかわることとなる。そっくりなんだけど、一応別人。わりとやさしいところもある。見るたびに、昔の恋人のことを思い出す。

まだ昔の恋人の事忘れられないんだろうなあっていうのはわかるなあー。でも、婚約者がかわいそうだなあって思った。こんな気持ちのまま結婚したら婚約者がかわいそうだ・・。昔の恋人との回想シーンもなんだか泣けるのよねー。なんで死んだんだ・・!でも、死んだ恋人のことは忘れてもいいんだと思う。身近に自分の事を大切に思ってくれている人がちゃんといるんだから。

なんて久々にドラマを見ながら色々考えてしまった。


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2004年04月25日(日) ヤマハ大人の発表会

今日は、ヤマハでエレクトーン、ピアノ、クラビノーバを習っている大人のクラスの発表会があった。こういうのは、初めてなのだと、今日、司会の方が話しておられた。私も、出演した。(ピアノ)

個人レッスン1年ちょっと、やはりピアノの一人演奏はまだまだ不慣れだなあと自分で思っている。でも、今日は観客の方も暖かい。同じようにレッスンしている人達、大人で趣味で楽しくやっている人達だからかな。

私が今日演奏した曲は、「人形の夢と目覚め」。「バイエルからソナチネレベル」の曲集から選んだので、今の私のレベルには合っていると思う。間違えたところ、つまったところもあったけど、楽しく演奏できた。やはり、練習不足が悔やまれる。あと、もっと簡単な曲にしておけばよかったかな・・とも思った。ちょっと演奏の出来には不満・・。練習時間はなかなか確保できない。

今日はどの人も楽しそうに演奏していた。上手な人も、それなりの人も自分なりの音楽を楽しく表現していた。

こういう機会を与えてくださったヤマハ関係者、講師の先生に感謝。どんなこともいい経験になると思う。


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2004年04月23日(金) 子犬

妹の家の犬に子供が生まれた。出産は全部で5匹。次々と弱っていってしまって、残ったのは2匹。(おそらく、春だったが寒い日に出産したので、寒さでやられたのだろうとのこと。)妹も仕事に行き出したので、犬の出産の時介助をしてやることもできず。もちろん、出産後の世話も含めて・・。

その2匹ももう、引き取り手が決まった。子犬はカワイイ。犬を怖がっていた我が子、最近になり、「子犬ってどうやって抱っこするの?」と私に聞いてきた。抱っこしたいと思うようになったのかな?

「抱っこしたいのかな?でも、もうじき、あの子犬ちゃん達、いなくなるんだよ。欲しいって人がいるから、あげるの。だから、抱っこしたいなら、そう思っているうちにしないと・。」と話した。

犬の鳴き声には未だに怖がる我が子だけど、泣かない子犬には、関心を持った様子。

もう何ヶ月かたつが、そのうちの1匹が、まだ、母犬のお乳をもらいに来ようとしていた。その時、母犬は、その子犬を噛んでいた。母犬にとっての子離れの時期のようだ。


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2004年04月19日(月) 妹の仕事

妹は、子供を連れて、実家に帰ってきている。今年の2月にこちらで就職が決まり、4月からは、下の子供も保育園に通えるようになった。でも、まだ、妹は、下の子供が小学校に上がるくらいまでは、パート程度の短時間勤務を希望していた。でも、職場の方が、それでは勤まらないようなところだったようだ。

将来、正社員を希望している=パートでも、正社員並の仕事を与えられる
ということだった。

この今の時代、もう40歳近くなって正社員での就職が出来そうだという話は、他の人からは、「よかったわねえ」と言われることなのだ。(言った方は、ずっと仕事をして来ていた年配の女性の方)妹には、大変なことかもしれないが、頑張ってもらわなくては。実は、妹の旦那サンもあてにならない状態。(これは、日記に書いてもいいと妹にも、私の両親にも承諾をもらったこと)

それで、正社員並の仕事を与えられ、正社員に将来なるつもりだったのだから、ちょっと早いけど、正社員になることを妹も決意したようだ。(おそらく来月から)

そのかわり、フルタイム勤務なので朝早くから夕方まで長く働かなくてはならない。私の職場より、朝の始まりは早いらしい。その分、帰りは、早く帰ることもできるらしい。この意味は、自分の担当の仕事が済めば、帰れるということらしい。以前、妹のしていた仕事を担当していた人は、夜遅くまでかかっていた、という話をされたそう。妹は、さて、どうなるんだろうか・・?


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2004年04月15日(木) 自治会役員

今日の時点で、学校のPTA役員について、電話が我が家にかかってこないということは、おそらく、今年は、学校のPTA役員はしなくてもすみそうだ。

しかし、今年は自治会の役員が当たるということだった。これは、順番にまわす、という制度をここの自治会はとっているそうなので、替えようがないそうだ。

しかも。今年は、その自治会の、保健委員が1年と、自治会役員が半年と両方まわってくるらしいという話をきいて、びっくり。この二つの役員は、逆まわししているそうなので、どこかで誰かがダブってすることになるのだー。自治会役員は、何年か前に一度したけど、保健委員はここへ越して来てから初めてだー。

まあ、自治会に入ると決めた以上、ある程度の役員も順番で回ってくるのもしかたないこと。誰かがしなければいけないことなんだもんね。

後、去年から、大学のOG会(支部会)の役員をひきうけている。私は会計監査担当になった。(まあ、気は楽かな。)


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2004年04月14日(水) 「光とともに」テレビドラマスタート

その日のことを日記に書くのは久しぶりかな。今日から、「光とともに」というテレビドラマがスタートした。自閉症の男の子のお母さんの、子供の成長とともに気持ちを書いた育児マンガをドラマ化したもの。どんなドラマになるんだろう、と思いながら今日の第一回目を見た。

今日は、妊娠してから、その子が小学校に上がるまで。

出産後見た感じは、普通の子供と変わりはなかった。でも、いつも、少し、違うなあと心配しながら過ごしていた。そして、あまりにもひどい日々が続くので、診断をしてもらう。その結果、「自閉症」と診断され、ショックを受ける。まわり(夫や夫の母親)もすぐには理解してもらえない。育て方のせいでなった、と言われ、つらい思いをする。(注:育て方のせいではない。生まれつきの脳の機能障害と言われている。)療育に通い、幼稚園にも、加配の先生をつけてもらって通う。小学校に上がるとき、就学相談をして、親の希望もあり、地域の学校へ入れることとなった。

私達の家族や子供と重なる部分が多くて、涙なくては見れなかった。もう忘れかけていたけど、同じようなことは我が家でもあった。

このドラマは、普通に子育てしている人達も見るのかもしれないけど、どう思うのだろうか。「自分の子はそうじゃなくてよかった。」と思うのが正直なところでは。これほどひどいとは、普通の子供を育てている人達は知らないだろう。

でも、自閉症について、名前から受けるイメージがあまりよくないので、すごい障害なのかと思うのかもしれない。でも、この自閉症という診断名は、症状を正しく言い表していないと思う。けして、他の人をとおざけているわけではない。コミニケーションの障害だ。普通の人が感じるような感情が少し少ない。表情や言葉によるコミニケーションが人より苦手なのだ。人により、様々なタイプがある。

我が子の診断名は、本人の将来のことも考え、ここには書きません。でも、似たような傷害です。(発達障害)

これを自分(親)が受け入れられるまでに、だいぶかかった。

でも、この子がいるから、しっかりした母親にならなくては、と思ったのだ。学校の校長先生にも直接話に行くなんて、その前の私なら考えられなかったこと。診断がつくまでが一番つらかったかな。その後は、それに合った指導をということで、資料を捜したり、学校側に理解をお願いしたり。療育も少し行ったが、1年ほどで終了してしまった。

今は、学校と家とで、連絡を取り合いながら、様子を見ている状態ではある。ただ、今は、薬を出してもらっているので、ある程度定期的に主に薬をもらう目的で療育をしてもらっていたところへ行っている。


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2004年04月12日(月) マラソンコンサート出演

ちょっと前の話しになるんだけど、ヤマハのマラソンコンサートに、2回目の出演を果たした。今度の曲も、1ヶ月程度。これは、実は、ぜひ出てくれと電話でお願いがあったものだから・・。

でも、私を教えてくれている先生は、ちょっと困った様子だった。「〇〇さん今度も出るんだって?」「ええ、ぜひ出てくれって家に電話があったものですから」「そうですか、曲、選ばなきゃね、1ヶ月ないわね、でも、できるでしょう」といったやりとりの後、平日に曲を決めるために教室へ行った。私自身でも、楽譜をいろいろ見て、自分の好きな曲を見つけ、購入していた。

なぜ困るのかというと、私はピアノ専攻で、エレクトーンはレッスンではやっていないので、レパートリーが全くないのである。前回の時も、コンサート用に急遽、練習した曲である。

先生は、私が買った曲でやりたい、と言った時、それでなくて、自分が(先生が)持ってきていた曲の中から選んで欲しそうだった。確かに、私の好きな曲もたくさんあった。でも、もう買っていてある程度練習もしていたし、何より、私の家族もこの曲が好きなのである。練習しておいて損はない。

そんなわけで、今回は、私の好きな曲で演奏することにした。今回は、森山直太朗さんの「さくら」。でも、今回も、本番までに時間がなく、足鍵盤の練習は出来ない状態だった。

先生には、本番が終わった後、「次は、足鍵盤も弾けるように・・ね」と言われてしまった。そう、足鍵盤の演奏には、前から興味があった。でも、家にはピアノしかなく、練習が出来ない。1年くらい前からというか、EL−100という安いエレクトーンが出た時から、これなら購入してもいいかも、とずっと考えていた。安いんだけど、機能的には、最新機種並のものをそろえているらしいということだった。

それで、ここでついに、私もエレクトーンで人前で弾く機会が出てきだした、ということで、購入することにした。

おりしも、エレクトーンは、機種変更の時期だった。既存の機種で継続して販売していくのは、EL−100とEL−400のみということで、まだこれから使える、ということもあり、購入することとした。

今回は値引き交渉一切なし。でも、いろいろとおまけをたくさんくれた。中でもうれしかったのは、エレクトーン演奏曲のCDをくれたこと。

でも、レッスンはピアノで続けていくつもり。小さい頃からのあこがれの曲をピアノで弾けるようになるように、ということで始めたピアノレッスンだから。

でも、次のマラソンコンサートは足鍵盤も使っての演奏で、と思っている。家でひそかに練習中・・。


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2004年04月11日(日) お花見&誕生日

この前の月曜日に、家族で、市内の公園に夜桜の花見に行ってきた。旦那の休日は月曜日だし、それ以外の日は早く帰れないのだから、家族揃うのは、我が家の場合は月曜の夜。

平日だからか、職場関係らしい集団ばかりだった。なぜか、男性が多い・・。その日は、子供達の誕生日でもあった。誕生日にお花見でお祝いというのもいいなあ。お弁当は、駅が近くにあったので、駅弁を売っているところで買った。お花見弁当も売っていた。

この近くにアルコール類を売っているところがあるかどうかわからなかったので、旦那には、もし飲むのであれば、持参、と伝えておいた。缶ビール6本(セット)と子供用にジュースを持ってきていた。子供達はちょうど春休みなので、平日の夜の外出もそんなに気にならない、というところ。普段は、宿題やら、次の日の準備やらいろいろあるので・・。

子供に、何歳になったのか聞いたら、「10歳」との答え。おお、もう10歳になったのねえ。新学期からは小学校四年生になるというし。

それなりに、それぞれ、成長している。発達障害のある子供の方も最近は、なんだか以前より扱いやすくなってきて、よくなってきているなあというのが実感できる。

子供の様子は、この日記にはたまにしか書いていない。(と思う。)あえてそうしている、というのもある。あまり、子供に一生懸命になりすぎると、親も疲れるし、子供自身も疲れるのだ。これは、出来ない事なんだなあ、と思うとまあ、あまりいいことではないのだが、「あきらめ」の気持ちで対処している時も。

それでも、今は出来ないけど、そのうち出来るようになる、という気持ちは捨ててはいないのだけれどね。


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2004年04月07日(水) 子育て支援アンケート

数ヶ月前になるんだけど、我が家に、地元の市から子育て支援についてのアンケート調査書類が送られてきた。2月くらいだったかな。「小学校三年生用」で、我が家は、無作為抽出により選ばれたのだと書いてあった。

提出は無記名で出すようになっていたので、一応、誰が書いたのかわからないことになっていると思う。

アンケートなので、統計調査がしやすいように、項目のどれかに〇をするようになっていた。

結構詳しく聞かれていたのは、学童保育の利用状況とか、土日にどういうふうな過ごし方をしているかとか利用したいサービスや施設はあるかなど。あと、仕事をしている場合の子供のための休みがとりやすいかどうか。私の場合で言えば、前もって日にちが決まっていて、その日に自分の担当の仕事などでしなければいけないことなどなければ、休みはとれる。でも、子供の病気というのは急に起こるものなので、そういう場合は、「休みをとるのはやや困難」と回答した。

我が家の場合は、実家の親にお願いして預かってもらって、病院にも連れていってもらっている。その後薬が追加で必要になった場合などは、私が病院に連れていくことも出来るけど。知り合いで、子供に留守番をさせて仕事に行っている、という話も聞いたことがある。

子供も大事なんだけど、一旦働く以上は、仕事もそうそう簡単には休めない。

職場へ望むことは?という質問には、「学校行事への出席への理解」と回答。我が家の子供は、普通学級にいるのだけど、発達障害があるので、どの程度、授業やクラスに順応できているのか、先生はどんな対応をしているのか、見に行きたいし、学校の先生とも連絡を密にとっておきたい。(軽度発達障害の我が子の対応には、学校でも、家庭でも、さぐりさぐりの状態なので。)

市へ子育て支援として望むことがあれば、ということだったので。

今現在私自身も子供にしてやれることはこれだろうと思うのだけど。我が子達が、自立した社会人になれるような支援を。(市へは、学習障害への理解、対応が出来る先生を増やしてほしいこと)

障害を持つ子供もその子の持つ能力を生かして自立した生活が出来るように学校などでも指導してほしい。経済的に自立出来るということは、公的機関のお世話にならずに生活できるということで、税金で生活する人間でなく、税金を納める人間になるのだから、市にとってもプラスになることなのだ。(ここまではスペースが少なかったので書かなかったけど、意図していることはわかってくれるようには書いたつもり)

でも、税金で生活するのも悪いことではないのだ。私の知り合いにも重度の障害者はいる。その人なりに懸命に生きている。その人の存在は、家族にとっては、何にも変え難いものだと、その人の親は言っていたそうだ。そう、生きているのに無駄な人などいないのだ。何か、意味があるのだ。自分ではなかなかわからないけれど。


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2004年04月04日(日) 母の職業の話など

昨日の日記にも書いたとおり、私の母方の祖母は小学校の先生だった。だから、というわけでもないが、私の母も、小学校の先生になりたい、と思ったそうだ。でも祖母から反対されたそうだ。

祖母は、仕事もしながら家事育児をこなしてきていたが、元々身体が丈夫でなかったのか、しんどい思いをしていたらしい。そんなことは、自分の娘にはさせたくない、ということで、平凡な(昔でいうところの)家庭の主婦になるように言われたらしい。母は祖母が亡くなる前に、自分には、今いる兄弟以外にも、子供がいたことを知ったらしい。生まれても、仕事をしながらで、昔のこともあり、小さいうちに亡くなってしまったのだそうだ。死が近づいた頃、うわごとのように、亡くなった子供の名前を言っていたそうだ。祖父に聞いてそれが、小さい頃に亡くなった子供の名前だということを知ったそうだ。

仕事自体は、祖母にとって楽しいものだったようだが、家庭では、大変な思いをすることが多かったようだ。そのような思いを自分の娘にはさせたくないと思ったのだろう。

でも、結局母は、高校から就職して、父の転勤のため一度は退職するわけなんだけど、私達子供がある程度大きくなってから、いろんな仕事をしている。それは、保育や教育に関係のあるもので、やはり、自分の親のしていた仕事に近いことをしていたわけだなあと思う。

私自身はと言えば、母がしていたように、子供が生まれたら仕事はやめてしばらく専業主婦になるんだろうなあと就職する前は思っていたのだけど、今の職場の上司が、出産後の職場復帰を勧めてくれ、思いがけずなんだけど、ずっと仕事を続けている状況である。

大学で学んだ事とは全く違う仕事なんだけど、家庭との両立が出来やすいということで続けている仕事である。


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2004年04月03日(土) 実家にある足踏みオルガンにまつわる話

私の実家には、一台の足踏みオルガンがある。私の母方の祖母が購入したものだそうだ。祖母は、私が生まれる少し前に亡くなったそうなので、直接は会ったり話をしたことはない。でも、母から、祖母の話はいろいろ聞いている。

祖母は、小学校の先生だったそうだ。だからオルガンが家にあるのか、というとそうでもない。購入したのは、小学校を退職してからだそうだ。当時は高価なもので、そう安易に買えるものではなかったんだろうということだった。

そのオルガンを買った動機というのは、もう小学校も退職し、家にいるようになって、自分の孫達とオルガンを弾きながら一緒に歌など歌いたいということだったらしい。でも、その願いは叶うことはなかった。

祖母にとっての初孫は私なのだけど、私が母のおなかの中にいた頃くらいに亡くなってしまったそうだから。

だから、オルガン自体もそんなに弾いていないのかもしれない。母の実家にあり、物置で誰に使われることもなく置いてあったものを、数年前、母がひきとったのだそうだ。

でも、あまり使われる事もなかったので、処分しようかと思う、というので、私はそのオルガンを弾いてみた。

昔の足踏みオルガン、電子音でない、木のぬくもりのある音というのか、実にいい音がする。ただ、長い間使われていなかったせいなのか、数カ所、音の出にくいところがあった。

これを捨てるなんてもったいない、と私は思った。こんなにいい音の出るオルガンを捨てるなんて・・。

というわけで、それまで、実家の物置部屋のようなところにあったオルガンは、今は実家の一番いい部屋に置いてあるのです。


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