- 2011年12月28日(水) なんでこうバタバタするんだろう、と遠い目になってみる。 まあほら、怠け者の節句働き、って言うじゃない。 そういえばついったで呟いてみたことのまとめと補足。 DQ8で書きつくそうとしたのは結局、神と破戒者マルチェロの対決と和解の可能性だった。ククールやオディロはその倍音として存在したに過ぎない。 ではばさらはどうか。 小十郎という本質として人間の枠からはみ出した男と、これを幼時から世界としてこなければならなかった政宗との、切羽詰まった、しかも逃げ場のないやりとりだ(恋愛かどうかはどうでもいい)。政宗を焦点とするならば、人生に二つの生き方をした男の深淵だ。 元就についていうなら善悪をよく知りながら己の悪の限りを尽くした男であり、元親と重ねるなら互いにまったく埒外にありながら、無視するか滅ぼしあうまで仇敵となるかの二択となる関係。尼子とはこれとは逆で、殺し合いだましあい競い合う仲でありながら常に主役ではない。 - - 2011年12月02日(金) 『人は幸せになれない。 愛するひとに愛されても幸せになれない。 愛してほしいように愛してもらわなければ幸せにはなれない。 それであなたと私の間に愛し方愛され方における齟齬があったとしても、 私はあなたと愛について話し合っていたいのです。 一つの夢について話し合うように』 上記はちょっとした言葉遊び。 それで何が言いたいかというかというと、えーと。 「愛してほしいように愛してもらわなければ」というのはわかりきったことだ。つまりMでもなければドSな愛され方をしてもドン引きするだけだし、週に三日焼き魚が食べたいひとが毎日ラーメン出されてもうんちょっとね…ってなるっていうこと。愛するストライクゾーンはわりにみんな自覚しているけど、愛されストライクゾーンはみんな無意識だよね。でもこれってけっこう大事。どれで愛し愛されストライクゾーンってわりにみんな違うんじゃないかな。私なんか特にそう思うんだけど、ものっそ偏食。アニメでいうとエヴァなにそれガンダム?はァ?特撮なにそれバカにしてんの?毎週毎週同じことやるってどういうつもり?みたいな感じです。ホラ、いらぁってした?した?したでしょ?まぁそんな感じにけっこうみんな嫌いな人より好きな人に苛々させられてるよね。そうだよね?もうやめようこういう書き方。 お互いがお互いのストライクゾーンにこだわりすぎていたら、多分、家族でも友人でも恋人でも、結局ギスギスギスギスするだけで終わる。だけどそういうときにもうちょっと立ち止まって考えてみようよ。ラーメンもいいカレーもいい焼き魚もいい。でもちょっと待ってよ、それって一緒に食べるあなたがいてこそだよね。一人で食べたらラーメンもカレーもみんなおいしくないよね。だから立ち止まって、そうしてあなたとわたし顔を見合わせて「おいしいね?」「一緒にごはん食べれるって幸せだね」って言ってみよう。たぶんそれだけで、嫌いな焼き魚もちょっとおいしくなって、この世界で得られる幸せの総合ポイントがアップするからさ。 なんていうのはキレイ事で、結局ひとは自分の範疇で生きて死ぬものだ。だから琴瑟相和すなんてのはどっちかがものっすごい無理をしなければなりたたない。それならそれでいいじゃない。ありえないならいいじゃない。無理をする必要はなくて、ただそれを夢として、ひとつの美しい夢として互いに語り合えばいい。ありえたかもしれずありえるかもしれないひとつの夢として。 この流れでいくと、瀬戸内はお互い妄想文書で文交わしてたら面白い。伊達さんところはあまりにも現実的すぎて夢物語になる余地がない。 - - 2011年12月01日(木) 「俺は傀儡にはならぬぞ、幸盛」 尼子勝久という青年――少年は、静かにそう言った。はしっこそうな小柄な体格と子供らしい明るい色の頬でいながら、その双眸にはひとつぴたりと据えられて動かぬものがある。縫い付けられた星のようだと幸盛は思う。そうしてそんな光をどこかで見たことがあると。 「俺は傀儡にはならぬ。負けてとられるのは俺の首じゃ。それなら俺は、俺の意志と思惑をもって戦う。それで戦い抜いて戦い抜いて死ぬならよい。だがひとの思惑にのって担がれた挙句が首を失くすじゃ割にあわぬもの」 さかしらというにはあまりに骨のとおった言葉であった。生まれてほとんどすぐに親兄弟を戮されて、赤ん坊のころから寺に育ったとは思えぬ言葉であった。歴戦の勇士のうちにも、ただ己が言動の対価のみを受け取るべしとの意志を臆することなく自ら吐けるものは稀であろう。 誰に似ておるのだろう――と、山中幸盛は、息ひとつするうちに思った。すでに伝説中のひととなりつつある謀聖・経久公、毛利元就に拮抗して十二国の太守にまで上り詰めた晴久公、十年にわたる攻城戦を敗れたりとはいえ粘り強く戦い抜いた義久公――その誰かのようでいて、その誰ともしかとは思えなかった。ただこれは尼子の『血』であろうと、それがこのように発現することは確かにあろうと思った。 「なんの」 幸盛は、にかり、と、笑った。そうして笑み崩すと、厳粛な、いかにも武人という顔が急にひとなつっこくなるのだった。 「勝久さまは、傀儡になんどおさまらぬお方じゃ」 「そうかよ」 勝久も笑った。笑って、ぐるりと面をめぐらせた。狭い寺の隅だった。生まれ育ってその先に行ったことのない少年が笑った。 「しょせんは命ひとつ、首ひとつ――坊主を百年やるより楽しそうじゃ」 -
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