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終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2004年10月29日(金)



蝶のごとく野良犬のごとく花のごとく朝あるいは夜のごとく死ね。


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- 2004年10月28日(木)



例えば花が咲く。十月の雨に濡れそぼり桜咲く。
不思議そうにその儚い薄紅の花弁を広げている。
羽化したばかりの蝶のよう、また生まれたばかりの透き通った稚魚のよう。


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- 2004年10月16日(土)

そして再び、夜。

 奇妙なことに、私はまた海に向かおうとしている。
 電車の窓から鉛色の秋の海が見える。海鳴りは聞こえない。先ほどから断続的に弱い雨が降って、窓ガラスに水滴を散らしている。私は海に向かっている。
 海というのは奇妙な場所だ。私はずいぶん昔、真夏の海を訪れたことがある。晴れ渡った日の海はまったく翳りなく、果てしない水涛は静謐で、輝きは尖った宝石に似ていた。この世が生まれた日もこのようではなかったかという感慨さえ起こさせる風景だった。そのとき私はそこでしばらく泣いたのだった。真夏の海は人気がなく、私の涙を見る者はなかった。もし誰かが近くを通りがかっても、誰も気付かなかっただろう。私自身でさえもそのときは自分が泣いていたことを知らなかった。自分が泣いていたということは。おそらく、私にとって泣くということは常に過去形として知るほかないことなのだ。それは涙を伴わない。
 それで、どこまで話したろう。列車の中だ。秋の日中、臨海線に人はまばらだ。この車両に乗っているのは私一人、隣の車両には中ほどに人がいるようだがよくは見えない。こんな季節に海を目指す人間も少ない。


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- 2004年10月13日(水)

「みんなどこにいるのだろう?」―フェルミ・パラドックス

まったくこれは不合理な話だ。私は奇妙な疲れに悲鳴を上げる寸前、しかも打開策はまったくない。こんなことがあっていいのだろうか? いったい、渦を巻き円を描き何度ここに戻ってきただろう。もうそろそろ私の羽毛はすっかり抜け果て、はげた恐竜のようなありさまになりつつある。グロテスクな目をした獣がうずくまり、私の肉を端からついばみながら、時折見上げる。それともこれは私のピンクの鰐か? 実際はそんなところだろう。

 さあそれでもここにたわごとを書こう。お楽しみは探しておくれ。


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- 2004年10月08日(金)

小山幼児殺害事件:

「殺人者を理解しようとするのも限度がある。
 理解してはいけないものもある。そこから先は責任を問うべきだ」
 ある男性が新聞から顔を上げ、そう言った。
 過去の日本の司法は、理解に重点を置き過ぎてきたきらいがないか。
 情状は常に結果によって適正さを問いなおされねばならないのではないか。



 3歳と4歳の幼児に何が出来ただろう。
 日常的に暴行を加える男に、彼らはついて行きさえしたのだ。
 「おいで」と言われて。暴行されれば、泣いて謝ったのだ。
 かわいそうに。かわいそうに、どうして死なねばならなかった。



 どうして救いもなく闇に投げ落とされねばならなかった。どうして。
 もうしばらくこの問いを繰り返したい。


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- 2004年10月07日(木)

ジンニーア、夜だ。
どのようにせば君よ、朝は来るのか。
いいだろう。毒を飲もう。


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- 2004年10月05日(火)

a.



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- 2004年10月02日(土)

手を伸ばしてその頬に触れて、
それでなにもかも終りにしてしまおうか。
やっかいなことに、私にはそれができる。


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- 2004年10月01日(金)

私もまた、太陽の下に立つことが許されるのだろうか?
躊躇もなく疑いもなく、そうだ、私は外側に立ってきた。
だがあるいは、そうだあるいは――私は内側に進み出ることもできるのか。

私はまだそれを信じていない。
一つの問いが残るからだ。――いかにして。その問いが。


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