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第3章 （5） 猫族の証
わたしは女性であるとはいえ、猫族の血統を引いていました。
L・M・モンゴメリ/「運命の紡ぎ車」「モンゴメリ書簡集1」
猫。これほどかわいい生きものはいない、と猫好きは思う。古代エジプトに残る猫のミイラではないけれど、家猫も人間もお互いがいないと生きられない。私は犬も猫も好きだが、猫との付き合いは15年程度でまだまだ日が浅い。スクラップブックにも愛猫の毛を挟んであるモードの猫好きはつとに有名だ。詩集「夜警」のなかにも、猫を悼む詩があるほどである（「マギーを追悼して」）。
作品のなかではむしろ犬たちのほうが、深みをもった存在として描かれることが多いのだが、やはり、生涯猫とともに暮らしたモードの思いは深い。犬の持つ悲哀よりも、猫への迷いなきまっすぐな愛情が、猫族から得たなぐさめを表している。
パット・シリーズのヒロイン、パットの妹レイは、家族の最年少で皆にピー子と呼ばれている。彼女はときどきおどけて「にゃー」と言ったりする。「マリゴールドの魔法」でも見られるが、これは私たちがふざけて「ワンワン」と言うのに似た英語のリアクションなのかもしれない。猫に関する英語的な表現でお気に入りは、「丘の家のジェーン」で家探しをする父と娘の会話。
「つまりね、猫を振りまわすだけの場所がなくては困るからね」と、父が言った。
「丘の家のジェーン」
“There is no room to swing a cat.(in)”（英語のことわざ）
「丘の家のジェーン」は、晩年、家庭的にも問題を多く抱えた状況下で書かれたという（「わたしの赤毛のアン」より）。この本は、出版前の1937年1月に13歳で死んだ愛猫のグッドラック（ラッキー）に捧げられている。モードには3代にわたる長命のパートナー猫がおり、初代がダフィー、次いで時期が重なるがパディとラッキーがいる。最も最後までそばにいたのは、ラッキーである。
「旅路の果て荘」で書かれた1936年のペンフレンドへの手紙（「モンゴメリ書簡集1─G・B・マクミランへの手紙─」）には、猫のパット（パディ）が15歳で老衰のため亡くなったという記述がある。パディは抱かれるのを嫌がる猫だったが、ずっと家族の一員で、年代記に記されるべき猫だった。そして、ラックも相棒の死を悲しがっていると書かれている。この年、ラック（グッド・ラック）は13歳。モードの晩年のパートナー、ラックは13歳半で、肝臓癌のためモードに看取られ世を去る。モードが生涯最も愛した猫は、このラッキーだといわれるが、すべての猫たちが彼女の孤独を癒す長年のもの言わぬ友であったことは違いない。
ある親友の死を除けば、これ以上の悲しみと孤独感をもたらしたものは、今だかつて何もありません。（略）ラックは類まれな猫でした。（略）彼はこの世でわたしが目にしたものの中で唯一の完璧な生き物でした。ほんとうに、ラック以上にしあわせな一生を生きた猫は一匹としてありません。彼ほど《生きる歓び》に満ち満ちた猫は存在したためしがありません。
「モンゴメリ書簡集�季�G・B・マクミランへの手紙─」
初代の愛猫ダフィー殿下は、モードが独身時代から飼っていた大きな灰色の美しく賢い縞猫で、結婚後オンタリオ州リースクデイルのモードのもとへ、故郷から急行便で送られてきた。しかし、13歳のとき事故で射殺されてしまい、モードは失意に浸る。
インフルエンザで死んだ仲良しのいとこ、フリードはダフィーと理解しあっているというのが口癖で、モードがあるときフリードの魂にダフィーを通じて霊魂の存在証明を願い出、ダフィーが期待通りの行動を起こしたという不思議な体験もあった。ダフィーはエミリーの猫としても登場しているし、同じくマクミランへの手紙によれば、「ストーリー・ガール」でセアラ・スタンレーが飼っているパディも、ダフィーがモデルだという。
ほんとうの猫は灰色の猫だけである！
「エミリーはのぼる」
ほんとうの猫とは、同名で登場するダフィーのこと。エミリーといえば「猫娘」と呼ばれて嫌がったというエピソードもあるが、ヒロインたちのなかでも猫にかけては彼女の右に出るものはいないほどの猫好きである。
以下は、作品に登場する猫たちのプロフィール。ほんとうにたくさんの猫がいるので、とても書ききれない。共通しているのは、幸せな猫は立派な体格をしていることだろうか。彼らがくつろぐ姿を見た人間の心が、どれほど安らかな思いで満たされるか、猫好きにはいうまでもないことである。たいてい一匹ではなく、セットで登場する。そう、モンゴメリファンなら知らぬ者のない"わが家"の守護神、対になった犬の置物、ゴグとマゴグのように。
* マイク＆ソーシー・ソール
エミリーが窪地の家（生家）で飼っていた猫。ソーシーだけはニュー・ムーン農場へ連れて行ってもらった。マイク二世は行商人のケリーじいさんがくれた猫だが、早死にだった。ダフィはその後ニュー・ムーンでエミリーの友となる猫。（「可愛いエミリー」）
* スモーク＆バターカップ
よもぎが原のテディ・ケントがかわいがっていた猫。母のミセス・ケントによって毒殺される。（「可愛いエミリー」）
* ブイ
カッシディ神父を"飼っている"黒猫。ビー・ワイとも呼ばれている。（「可愛いエミリー」）
* ピーター一世＆二世
ジェーンと父の猫は、スノービーム家からもらった黒い仔猫、ピーター一世。その後ジミイ・ジョン家からもらった黒・銀・白の猫、ピーター二世も仲間入りする。（「丘の家のジェーン」）
* ダスティ・ミラー
アンの下宿する柳風荘で飼われている雄の猫。レベッカ・デューが世話している。レベッカはただ「あの猫」と呼び、ダスティへの愛情を隠している。犬にくわえられて、2年前にやってきた。（「アンの幸福」）
* 猫の伯母さん
あらさがしに目を光らす婦人。人に嫌われているが、最後には知らずに結婚の縁を取り持つ。（「アンの幸福」）
* ラスティ
レドモンド大学の学生だった頃のアンの下宿先、パティの家で飼うことになった野良猫。歩いていたアンにくっついて家までやって来る。アンにしかなつかない。（「アンの愛情」）
* セイラ猫＆ジョセフ猫
ジェムシーナ伯母さんがパティの家につれてきた猫。家の主導権を握る。（「アンの愛情」）
* メーティ
ジム船長がフォア・ウィンズ灯台で相棒にしている黄色い堂々とした大猫。瞳は緑色、巨大な手足は白。仔猫のときに、避暑客に置き去りにされて死にかけているのをジム船長に発見され、九死に一生を得る。（「アンの夢の家」）
* セント・ジョージ
「虹の谷のアン」で隣人となるローズマリーが飼っている猫は聖人の名を持つ故か、後に飼い主の結婚後、牧師館の猫になる。「アンの娘リラ」では、セント・ジョージが長生きして天に召されたことが語られる。
セント・ジョージは竜退治で有名な3世紀のカッパドキアの軍人。キリスト教徒への迫害に立ち上がろうとして、逆に斬首刑に処せられた。イギリスの守護聖人で、G・モローが「セント・ジョージと竜」で描いた白馬に乗って竜を退治する黒い鎧の騎士像が有名。（ロンドン/ナショナル・ギャラリー蔵）
* 炉辺荘の猫
シュリンプ/炉辺荘を代表する猫。ナンが拾ってきた。
* ストライピイ
悲劇の猫。牧師館のブルース坊やの猫。アンの息子で親友のジェムの命を救うこととひきかえに、ブルースは仔猫を神に捧げ、おぼれさせてしまった。（「アンの娘リラ」）
* バンジョー＆グッドラック
ネイチャーライティングの作家、バーニイが一緒に暮らしているのは、大きな灰色の縞猫、バンジョーと美猫のグッドラック。猫のグッドラックといい、愛車のレディ・ジェーンといい、現実のモードの仲間がここにも登場している。（「青い城」）
* パットの家「銀の森屋敷」の猫たち
銀の森屋敷は猫だらけである。灰色猫のならず者（Bold-and-Bad）、人なつこくて手の白いポプカ、黒猫の紳士のトム、縞猫のスクイダンク、そして耳にピアスをしていた黒い仔猫ピルスは、ホレス伯父さんの話に出てくる船の猫。銀の森の猫は、島じゅうからもらい手が訪ねてくるほどの人気だが、ジュディばあやは「ただの庭猫」だと謙遜している。
隣人となったスザンヌとデビッド・カークの兄妹が飼っているのは、エメラルドの目をしたアルフォンゾという猫と、犬のイカボド。ワシントン・アーヴィングの「スケッチ・ブック」に収められた短編「スリーピイ・ホロウ」に出てくる主人公イカボドにちなんだ名だろう。
* ルシファ＆ウィッチ
「マリゴールドの魔法」では、ときどき章の終わりを猫たちの会話でしめくくらせている。えぞ松屋敷の猫といえば、大きい祖母の飼っている猫、ルシファ。ウィッチ・オブ・エンダーという有名な魔女の名をもらった猫とつがいになっている。どちらも黒猫だが、なぜか生まれる仔猫たちは灰色や縞も混じっている。
* ウィリアム・アドルファス
短編「隔離された家」では、猫と犬が男女の仲を取りもつ大役を果たす。ウィリアム・アドルファスは、男と犬嫌いの独身女性ピーターのパートナー猫として登場。黒い毛に胸と手足の先が白い、絵に描いたような美猫。女嫌いのアレキサンダーとその犬、ミスター・ライリーの暮らす家に主人ともども天然痘の疑いで隔離されてしまう。そしてミスター・ライリーを完膚なきまでにやりこめ、アレキサンダーの愛情まで得て、終始落ち着き払っているという頼もしさ。
この猫の名前は、ヴィクトリア女王の周辺にヒントがありそうだ。前国王ウィリアム4世は女性関係が派手で、その弟のなかには独身主義のアドルファスの名も見える。（「アンの友達」に収録）
第3章 （4） 名付けることは創りだすこと
あのね、あたしはたとえあおいの花でも一つ一つにハンドルがついてるほうが好きなの。手がかりがあって、よけい親しい感じがするのよ、ただあおいと呼ばれるだけだったらきっとあおいが気を悪くするんじゃないかしら。小母さんだっていつもただ女とだけしか呼ばれないのはいやだと思うわ。そうだわ。あたし、あれをボニーと呼ぼう。
アン・シャーリー/「赤毛のアン」
モードは膨大な人物の名前と役割を、コンピュータの無い時代にどうやって整理していたのだろう。「私は昔から変わることなく理路整然狂でした」と書き残している（「モンゴメリ書簡集1」より）が、並外れた記憶力の他に、名付けの才能があり余るほどあったのは確かだ。主人公や準主人公はいわずもがな、驚いてしまうのは、作品の長短を問わず、1行でも登場する人物のほとんどすべてが、フルネームもしくはニックネームを持っているということだ。人間だけでなく、場所や植物、動物、感覚にすら名前が付けられている。
構想に関してですが──まあ、わたしはメモ帳をいつも手近なところに置いて、筋とか登場人物についての着想、あるいは、頭に浮かんだエピソードを簡単にメモするようにしています。そのあとで、気に入った筋をひとつ取って、それに調和するような登場人物やエピソードを選び出します。
「モンゴメリ書簡集1−G・B・マクミランへの手紙−」
もし、全作品の配役表のようなものがあるのなら、ぜひ見てみたいと思うほど、名前の数は膨大だ。「赤毛のアン」だけでも、作中人物、もしくは想像上の人物が100人以上、「恋人の小径」などの場所や「ボニー」などを入れると150近くになる。モード自身、子どものころ、子ども部屋の本箱についていた2枚の鏡にそれぞれ映る自分の分身を、左の鏡がケティ・モーリス、右側をルーシー・グレイと名付けていた。ケティ・モーリスはアンが同じように名付けた分身と同じ名前で、何でも秘密を話せる同年代の女の子だった。「ルーシー・グレイは大人でしかも未亡人」（「険しい道」より）、いつも不幸な愚痴ばかりいう。モードが好きなのはケティのほうで、この二人はお互いに相手のことをこころよく思っていなかったが、モードはどちらにも平等に接するようにしていた、というのである。
長編のヒロインたちは皆、この、名付けの才能を生まれ持っている。アンが名付けた「恋人たちの小径」や「輝く湖水」、「雪の女王」、「腹心の友」といった名前に触発され、自分でも回りのあれこれに名前を付けた人は多いことだろう。私もこうした「ハンドル」をこよなく愛するもののひとりである。
『スミー』
それは、なめらかで、つやつやしており、柔らかくて、しかもふわふわしているってことを、一度に言いあらわす言葉ですが、そのほかにも、どう言っていいかあたしにはわからないことを言いあらわしているのです。
エミリー・バード・スターの造語。猫のマイク二世のこと/「かわいいエミリー」
モードの作品において、一度付いた名前はまず混同されることはない。ただし、ごくまれに、名前をもらってもいいはずの人物が「○○の妹」などと単純に片付けられている例外もあるにはある。ともあれ、すべての作品を合せると、名前の付いた存在は3000を越えることが想像される。これだけでも人名辞典ができそうな数だ。
「炉辺荘のアン」では、アンがケン・フォードのことを「レスリー・ウェストの息子」と呼ぶくだりがある。レスリー・フォードは旧姓でもレスリー・ムアなのでおかしいと思い、登場人物のメモを見ると、ウェストはレスリーの最初の結婚前の、つまり生まれた時の姓だったりする。「アンの夢の家」には娘時代の話として出てくるが、炉辺荘時代のレスリーは再婚してフォード姓になっている。
これまでもわたしが小説の中で用いた地名は実在しますし、挿入したエピソードも実際にあった話でした。しかし登場人物だけはわたし自身の想像力がすべて創造したものです。
L・M・モンゴメリ/「険しい道」
マリゴールドの魔法」で特徴的なのは、恐ろしい数のおじさんやおばさん一族。彼らは小さなマリゴールドの世界に総登場して同族の絆を強調している。物語のはじめに彼らが、一族の新入りであるマリゴールドの名前を寄ってたかって考える顛末は皮肉とユーモアに満ちている。話が脇に寄るが、マリゴールドには「ブレアウォーターのマレー家」（エミリーの一族）も話のついでに登場している。
こけらいたのほんとうの名前はマリリン・フローレンス・イザベルです。
スノービームのおばさんは子供たちにくれてやれるのは凝った名前だけだといっていました。
ジェーンから母への手紙/「丘の家のジェーン」
こうした名付けの背景にはアンがいうように、「ただ○○と呼ばれるだけだったら、きっと気を悪くする」というような意識があったのかも知れないし、人に忘れられることへの不安もかいま見える。自伝の「険しい道」によれば、幼いころ、モードはある老人に─「ストーリー・ガール」のマーチン・フォーブズのモデルになったという老人に─からかって「ジョニー」と呼ばれ、彼はモードに徹底的に嫌われたという。これはかなりトラウマになったことだろう。モードはエミリーにも同じような体験をさせているほどである。
名によってすべての存在に個性を持たせることは、物語をよりリアルにするための有効な手段にはちがいない。モードは作品のなかのすべての個性に、その名でしか呼び得ない名を与え、独特の親しみやすい雰囲気を創りだすことに力を注いでいる。
ねぇ、マリゴールド、誰もわたしの名前を呼んでくれなくなってから三十年もたつんだよ。
わたしの名前を知ってるかい？
大きい祖母/「マリゴールドの魔法」
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