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Montgomery Book

第1章 (3) ストーリー・ガール
 モードの生い立ちについてごく簡単に紹介しよう。1874年11月30日、プリンスエドワード島クリフトン生まれ。ヒュー・ジョン・モンゴメリとクレアラの間に生まれたひとりっ子で、父も母も先祖はスコットランドからこの島に移住してきたという同じルーツをもっている。モードが2歳になる前に母は病死。父はモードを母方の祖父母、キャヴェンディッシュの農場に住むマクニール夫妻に預けて、やがては一旗あげる夢をかなえるため本土へと旅立ち、後に再婚。父方の祖父モンゴメリは地元の名士で上院議員。

 モードの生活は厳格なクリスチャンである老夫婦によって管理されてはいたものの、コミュニティに住む多くの親類たちとの関わりなしには語れない。なかでもパーク・コーナーのジョン・キャンベルおじさんとアニーおばさん、彼らの子供である3人の元気ないとこたちに会うのはモードの最大の楽しみでもあった。親との関係が希薄であっても、そういう身内の存在は、感受性の強い幼い子供にとって大きななぐさめとなりうる。

 モードが子供時代実際に体験したエピソード、あるいは一族の先祖たちの興味尽きない物語とフィクションを牧歌的にミックスした「ストーリー・ガール」(1911)「黄金の道」(1913)は、アンの成功の数年後に書かれ、彼女のお気にいりだったという。エミリー・シリーズが最終的には作家としてのエミリーの精神的成長を追うのに対し、ストーリー・ガールのテーマは、血で結ばれたコミュニティのなかの、まさに黄金時代といっていい、子供としての時間への追想である。日本語訳では全4冊の前半が「ストーリー・ガール」、後半が「黄金の道」となっている。(「アヴォンリーへの道」というタイトルでTVドラマ化され、日本ではNHKで放送された。タイトルがアンの村の名にちなんでいることからもわかるように、TVの脚本は原作にかなり手を加えている)

 これらの作品は、全編、主人公ストーリー・ガールことセアラ・スタンリーを取り巻く子供たちのひとりによる一人称の記録としてつづられている。語り部という神聖な才能を生まれもった、母親のいない少女の未来の活躍をほのめかしながら語られる日常の出来事は、セアラのモデルであるモード自身にとって、幼い日々の黄金のきらめきの詰まったバイブルであったようだ。飛躍するが、聖書においてキリストの生涯が弟子によって記録されたように、この作品も記録として語られてこそ生き生きとしてくるのかもしれない。

 実際、この作品に限ってモードは超越的な創造者の目ではなく、大人と子供の境にいる等身大の人物に物語の進行を委ねている。これは非常に珍しいことなので特筆したい。彼自身は将来新聞記者になるという設定だ。そうであらねばならないだろう。なにしろ、モードの役割を肩代わりするのだから。もうひとり、当時ジャーナリストになっていた重要人物がいる。現実のモードが生涯ペンフレンドとして交流を続けた、スコットランドのジョージ・マクミランである。そしてもちろん、モード自身もハリファックスの「デイリー・エコー」という新聞社で短期間記者兼雑用をしていた経験がある。さて、作品の語り手、ベバリー・キング少年はこう自らを描写している。

当時カーライル生活に関する全資料の、保管マニアだったこのぼくが…

ベバリー・キング/「ストーリー・ガール」

 作品のいたる所にモードの子供時代から多くのヒントを得たエピソードが詰まっているが、特にモードを連想させるのはストーリー・ガールの「才能」についてのくだりである。モードの分身、セアラ・スタンリーには他の子どもたちにはない、不可思議で情熱的な才能があったのだ。古い時代なら、一族の語り部になったであろう才能が。

「さあ、説教石のところへ行きましょう。お話をしてあげる。」と、ストーリー・ガールが言った。 (略)
「キング家の血は歌い手の証」、当時のカーライルにはそんなことわざがあった。 (略)
ストーリー・ガールが顔も気性も、父親にとても似ていると思われていることは、
ぼくたちも知っていたが、彼女のほうが、情熱も力も、意志の強さも、遥かに勝っていた。
──キング家とウォード家からの遺伝だ。ストーリー・ガールは、道楽だけで満足する人間ではなかった。将来何になるにせよ。
それに全身全霊をこめてぶつかるに違いなかった。

/「ストーリー・ガール」

 セアラの父親、ブレア・スタンリーはボヘミアン的な人物だ。妻に死に別れ、故郷の島に一人娘を残したまま放浪して絵を描いたり、旅先から手紙を寄こしたり。どことなくエミリー・シリーズの"幸せになれない器用な旅人"ディーン・プリーストを連想させる。幼い娘を島に残して西部に行ってしまったモード自身の父のイメージも濃く重ねられている。情熱と意思の強さ。作家になるのには才能と運以外に少なくても2つ必要なのだ。

「ヨーロッパへ行くのって、素晴らしいでしょうね。」
セシリーが憧れのため息をついた。
「私行くわ、いつか。」軽やかにストーリー・ガールは言った。(略)
「そこで何をするんだい?」ピーターが実際的な質問をした。
「世界中にむかってお話をする方法を、教わるの。」
と、ストーリー・ガールは、うっとり言った。 (略)

たしかにストーリー・ガールその人は、王侯の前に立つことを運命づけられ、後に
彼等が喜んで誉めたたえる人物になるのだった。しかし果樹園に座っていたころ、ぼくたちはそんなことは知らなかった。彼女が、ただ王侯を見る機会に恵まれる可能性があるだけでも、十分に素晴らしいと考えていた。 (略)

こうして、信仰と迷信と疑惑は、ぼくたちの間でせめぎあったのだった。丁度、おおかたの歴史のように。

/「ストーリー・ガール」

 ストーリー・ガールを書いた頃、モードは知る由もなかったろうが、1923年の冬にはカナダの女性として初めて英国王立芸術協会の会員に選ばれたし、1935年にはカナダ総督から英国王ジョージ5世の大英帝国勲章(OBE)を授与されている。

 子供たちが農場で繰りひろげるエピソードとは別に、モードがストーリー・ガールに託して語った物語は、旧世界からの入植者たちが残した歴史でもある。かつて生きていた一族の男女が主人公となって演じた、生き生きとした愛や哀しみの物語の出典については、ほとんどが、モードの母方の大叔母、語り部メアリ・ローソンによって子供の頃に聞かされたものなのだという。ストーリー・ガールは、このおばに捧げられている。

70代のこの大叔母と10代のわたしは「仲良し」でした。大叔母メアリ・ローソンに負っている借財を、いまもわたしは返済しきれないでいるのです。

L・M・モンゴメリ/「険しい道」(自伝)

 私なら、「100年前に生まれたモードと100年後のわたしは"仲良し"でした」というところ。全作品中、モードとメアリ・ローソンに近い登場人物の組み合わせといえば、子供時代のエミリー・バード・スターと大叔母のナンシー(ディーン・プリーストの叔母)であるが、このナンシーは語り部ではない。彼女はエミリーがシュルーズベリー高校に行っていた頃すでに94歳で、エミリーがディーン・プリーストと婚約していた夏に急死する。エミリーは作家としてのモードの自伝的要素が最も色濃い作品なので、メアリ・ローソンの転生が登場するのはごく自然な成りゆきかもしれない。といってもナンシーは決して気心が知れた「腹心の友」ではなかったが、しがらみを瞬間的に射通す洞察力の持ち主で、風変わりなその言動によって、幼いエミリーに大きな影響を与えた重要人物である。ナンシー大叔母のような複雑な人物とふれあった痕跡は、作家の魂から生涯消えることはないだろう。

「私たちに大人がわからないのは、不思議じゃないわ。」
ストーリー・ガールは憤慨に耐えず言った。
「だって私たち、大人になったことがないんですもの。でも大人のほうは、子供だったことがあるのよ。どうして私たちを分ってくれないのか、見当もつかないわ。(略)」

/「ストーリー・ガール」

 こうした台詞を、かつてモードも遊び仲間に使ったことがあるのだろうか。この作品を書きながら、子どもの頃の日記をめくり、きちんと保存された思い出の品々を飽きず眺め、彼女はかなりのところまで子どもの気分に舞い戻っていたのだろう。物語を口から紡ぎだすか、紙の上に紡ぐか、表現方法はちがっても、セアラとモードは、ともにたぐいまれなストーリー・ガールなのだった。エミリー・スターがまたストーリー・ガールであったように。そういう意味ではアンがストーリー・ガールではなかったように。誰かをその気にさせる力、夢を見させ信じさせる力、いわば魔法をかける力。物語る力は、焚き火の回りで暮らしていた太古から連綿と続いてきた、そういう力のひとつである。

 そして次にあるように、本当にストーリー・ガールを楽しめたのなら、母を亡くし父に去られたモードが、寂しいだけの可哀相な子どもでは決してなかったということがわかる。

幸せな創作活動を長年過ごした切妻屋根のある部屋の窓辺で書いた最後の本が、これです。これはわたしが一番好きな本です──書いていて一番楽しかった本、登場人物も風景描写もわたしにとっては一番「真実」と思われる作品なのです。

L・M・モンゴメリ/「険しい道」(自伝)

 ベバリー少年は、本の終盤でストーリー・ガールと一緒だった子供時代を時に感傷的に振り返っている。未来に何が失われても、記憶のかぎり思い出はその個人のものなのだと。

若さが子供時代のからを抜け出るころ、黄金の道にはだかる霧の丘の向こうには何があるのかと思いにふけり始める魔法の時期、こんな頃に生まれた相互信頼によって築かれたものほど、永続きする絆はないからだ。

それは楽園の贈り物だった。時はいつも美しく、愛しいものだった。あかつきの光から夜の帳が降りるまで、そこなうものは何もなかった。ほほえみも笑い声も去りぎわに連れて行ってしまったけれど、思い出の賜物だけは置いていってくれた。

/「ストーリー・ガール」
参考文献
2001年03月05日(月)


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