オミズの花道
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『 無精者の無能な感謝 』
2003年09月25日(木)




昨日の日記はメールを沢山戴きました。
嬉しいです。ありがとう。

無精なんで中々お返事をお返し出来ませんが、隅々までしっかり読んでいます。
本当にどうもありがとうございます。


ことに遊びを左右しておられる男性陣には、大和屋の話は共感を沢山戴きました。

年齢を書いて下さっている訳ではないので詳しくは解りかねますが、お若い世代の方も今回のことを憂いておられるようで、私にはそれが何より、本当に何より、励みになりました。

もし、南地大和屋の関係者の方が、私の戴いたメールを御覧になったら、私が感じた皆様の気持ちよりももっと、もっともっと多くのことを感じ取られる事でしょう。


正直な所アップする前はドキドキものでした。
言いたい事が批判系のものである時、書く人間はきっと皆同じように思うのだと思います。

だけど私が予測していたよりずっと、ずっと多くの意を、私の拙い文面から読み取って下さった方々が、こんなに沢山おられた事に、誰あろう書いた本人こそが、とてもとても驚いています。


私はホステスとして、自分が誰にも負けないほど良いお客様に囲まれていると自負しております。
彼等は私の宝物であり、誇りです。

ですがそれと同じような感覚を、昨日戴いた沢山のメールからも感じさせて戴きました。
私はとても良い読者の方々に恵まれているのだな、と。


この感謝を表すのに、どんな言葉を申して良いのか解りません。

ただただ、本当にありがとう。
無能な事に、それだけです。


本当にありがとう。
心から。







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『 スイを取り戻せ!! 』
2003年09月24日(水)





粋、という漢字を江戸では 『イキ』 と読み、上方では 『スイ』 と読む。


この言葉、言語学は勿論のこと民俗学や歴史学など、様々な観点をもってしても諸説あって、未だにクッキリとは定まらない言葉だ。

語源の要素一つとっても、成り立つものは正反対。
江戸の 『イキ』 は「赤勝の京紫より青勝の江戸紫」の言葉や、形状においては交わる事の無い縞の目を指す。
その深意としては「隠れた所に贅を尽くす」などがあり、物事を明ではなく暗に表す時に使われるようになって行った。
そう、どちらかというと目に見える色や形が、イキと発音する言葉の素だったのである。


対して上方の 『スイ』 は、中国から到来した、「感覚的に艶やかである」と云う意から来ている。
目には見えず、形にも無いのに艶やかな、とは、上記の視覚だけでなく、触覚や嗅覚も含まれる領域なのだろうか。
何とも不思議に掴み所が無い。

だがこの掴み所の無い艶やかさこそ、上方を表すのに相応しいように思う。
スイの街、上方・・・・。









ミナミの料亭『南地大和屋』が閉鎖した。

記事にもあるように、この不況だけが大和屋の首を絞めたのではない。
この界隈への風俗店の乱立こそが、老舗料亭南地大和屋に引導を渡したのだ。

少し検索して戴ければお解かりだと思うのだが、南地大和屋は120年続く老舗料亭であり、料亭でありながら上方文化の担い手でもあった。
能舞台を持ち、大和屋独自で芸奴養成所を開き、上方座敷舞を普及させ、食と文化を重んじる上方気質の砦。
その偉大なる功績たるや、もはやただの老舗料亭とは言えない域に達していたのである。


・・・・経営陣としても、この老舗料亭を「続けること」は出来ただろうと思う。

大和屋は他にも同店舗を持っているし、あの広大な土地を縮小し、人員削減をすれば、小さいながらも看板を残す事は、充分に可能であったろう。
ましてや関西財界人には特別に思い入れのある料亭だ。維持を望む声、援助の手は数え切れない程にあったと推察する。

だが、あえてそれを拒んだ。

この拒否は、ミナミに生きる全ての人間に対しての、大和屋が発した怒りの叫びである、と私は思う。
賛否両論あるだろうが、個人的にはこの南地大和屋の、血まみれの英断に私は心から拍手を贈りたい。



今回は少々怒りを持って書くが、ミナミの人間は本当に自分の町を愛しているのか?はなはだ疑問に思う時がある。

なぜもっと自分の街を守ろうとしないのだ?
なぜ己の居場所が無くなると解っているのに戦おうとしないのだ?
その疑問は私がミナミに出て来てからずっと感じていた事で、一年以上経った今も澱の様に心の底に溜まってしまった疑問である。

今の宗右衛門町は、もはや昔の面影など微塵も無い。
毒々しい光に溢れた風俗店案内所が乱立し、安っぽいドレスやコスプレ衣装を纏った女性が客引きをし、行儀もクソも無い若造の黒服が、露骨な言葉をむき出しにセクキャバの客引きをしている。

そうかと思えばこれまた行儀の悪い言葉遣いも知らないホストが、風俗の女性や我々水商売の女性をターゲットに客引きをしている。

最近はこの手の輩が三津寺筋にまで侵食して来ていて、その惨状たるや目に余るものがある。
かつて歌にまで歌われた宗右衛門町の風情は、もうすでに死に絶えてしまった。



大和屋は、恥じたのだ。
今のミナミを恥じたのだ。
このミナミを捨てたのだ。
誰よりもこの街を愛しているからこそ。


小さくとも看板を残し、この場所で生き残ることは、この惨状を許す事になってしまう。
それを受け入れてしまうという事は、今までの己が料亭の成した功績も、そして出入りして下さるお客様の誇りも、何もかも捨てて失ってしまう事だ、と誰よりも理解しているのだ。

鶴林が閉店した時とは比べ物にならない。
金銭的なトラブルが理由で閉鎖するのと、環境の悪化が最大の理由で閉鎖するのは、天と地程も開きがある。
南地大和屋はミナミへの恥に半ば怒りを持って、ミナミの街に生きる全ての人間に、その身を削って閉鎖という決断を示した。
この決断の方がずっと、この街に対する愛情に思えるのは、私だけでは無い筈だ。

若い世代はともかく、熟年層のお客様に南地大和屋閉鎖のニュースは衝撃的であった。
そして業種を問わず店舗を構えるオーナーからも気力を奪ったし、働く私達から見てもミナミの大きな火が消えたのは理解出来た。
大和屋の決断は、彼等が願うほどの効力は持たなかったかも知れないが、それでも我々一人一人の心に、大きなものを残した。


ここ5〜7年の間にミナミは激変した。もう昔の面影は殆ど残っていない、と言っていいくらいに。
千年町界隈に至ってはまるでコリアンタウンのようで、すれ違いざまに日本語を聞くことも少ないくらいだ。隣の玉屋町筋にもその波は押し寄せている。
唯一ミナミらしさを残すのは、八幡筋から北の筋と、笠屋、畳屋、の2筋しか残っていないだろう。

これでいい筈がない。雑多が運命の繁華街に「法則」は無いに等しいが、その雑多と猥雑さの中にも、守らねばならぬ姿勢は絶対にあるはずだ。色と欲で薄汚れた中にも、保たねばならぬ誇りはある筈だ。


今現在、北新地と掛け持ちで働く私には、それが「何か」クッキリと見える。
新地の人間は、自分の生きる街を心から愛し、守っている。
朝方の北新地の街並みをゆっくり歩いた時に、胸が痛くなるほどそれが良く解った。

明け方の北新地には、タバコの吸殻程度のゴミしか落ちていない。
日本の歓楽街の中で、これは祇園に継ぐ奇跡だと言える。

『どんなにヘベレケに酔うとっても、掃除だけはして帰るんや。
 自分の店の前だけ散らかっとったら、みっともないし、隣近所に申し訳ないよって。』
明け方まで営む寿司屋の大将は、そう言いながら自ら店の前を丁寧に掃除する。


酔ったお客様が車に当たらぬように、歩道を整備し、放置自転車も排除する。
ゴミを捨てさせない何よりの手段は、街を汚れたまま置かぬこと。
そして、飲み屋は新地、風俗は東通というふうに、水と風の境目はキッチリつける。

キャバクラでさえ当初、キタの人間は良い顔をしなかったのだという。
(勿論裏にはいろんな駆け引きや密約はあるのだけれども)

気取っている、お高い、などではない。
楽な方向に逃げず、飲み屋として引かねばならぬラインを、キタの人間は守って来たのだ。

そのプライドは誰あろうお客様の為に。
遊びにいらして恥ずかしい街であってはならぬから。

苦しくともその姿勢を守って来たから、いかな不景気とはいえ、北新地はミナミのような環境悪化を防ぐ事が出来たのだ。
大阪という土地柄なら、尚更この努力は並大抵ではない。
地域が己の利害を捨て、本当の意味で団結し、乗り切らなければ成しえなかったであろう。


この両極端な例を目の当たりに見て、そして大和屋の英断を見て、強く思う。

いかにこのミナミがゴミの尽きること無い24時間眠らない街でも、若者が伸してくる場所であろうとも、金が物を言い、幅を利かす世界であろうとも、外国人が何十パーセントも占める環境であろうとも、


もうこれ以上、許してはならないのだ。
絶対に許してはならない。

自分の生きる街を愛さない、
自分の中にあるそんな気持ちを、
もう決して許してはならないのだ。



スイ、であれ。

その柔らかく甘いものに包まれた言葉の意味を知り、
掴み所の無い艶やかさを取り戻せ。


上方の誇りと意地を取り戻せ。








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『 沈没船から逃げる鼠の如く 』
2003年09月23日(火)



オーナーがクタるとこんなもんか。
噂は早くて、潰れるだの何だの周りがうるさい。


昨日、私の携帯に会った事は無いが、そこそこ聞いた店の経営者から電話があった。
番号を誰に聞いたのかと聞くと、うちにいた黒服らしい。何してくれてんねん。


案の定引き抜きのオファーである。
実はそこのライバル店にも移らないかと言われているのだが、両方とも飲み代が素で4万以上になるので、とても移れない。

もうそんな時代じゃねえし、年齢じゃねえっすよ。
バブバブバブルの時代は、そんな事もございましたが。


引き抜き話も別に私が優秀だからではない。
黒服で移動しないホステスは欲しがる経営者が多いのだ。
黒服が辞めても店には残るでしょう。だからなんだよね。

今一番就職が難しいのは黒服だよね。
女の子を何人連れているかで決まるもの。



何となく手応えとして景気が上向いているのが解る。
歓楽街は暇だが、上向く流れをいち早く察知するのも、また歓楽街なのだ。




写真日記は、ややグロ画像。




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『 ミス・兆の憂鬱 』
2003年09月21日(日)





焼き肉屋『兆』は結構美味しい。
お肉もそこそこキレイだし、モツ鍋もイケる。

味的には御堂筋を渡った『韓日館』の方が美味しいと思うのだが、立地条件の良さとマスターの気さくさで、アフターにはこちらを選ぶ事が多い。
8.5牛乳のサービスや、なんやかんやと帰りにお土産をくれるのも嬉しかったりする。

表に  が、いるんだけどこれがまた可愛い♪


私達は彼女を勝手に『ミス・兆』と呼んでいるのだが、こちらの勝手な呼び名にも関わらず、彼女はしっかりお返事してくれたりする。

で、彼女はちょっと変わった尻尾をしているのだが、アフターのまっこり(韓国のどぶろく)でヘロヘロになった水上は、彼女のその尻尾に触るのが実に好きだったりする。

先っちょの方だけがにょんっと二つ折りのあの尻尾。
折れた部分に指を入れるときゅぅ〜っと締め付けたりしてくれちゃうの。ああうっとり。


ミス・兆は心の広い猫なので水上の自由にさせてくれるのだが、きっと御本人はとても嫌に違いない。

夜中の3時にまっこりでヘロヘロの、オカマのような見た目の猫好きな、化粧の落ちかけたホステス。
私が猫だったら爪を全開にして猫パンチを喰らわせるところだ。


ああ、まるで彼女はホステスのようではないか。
酔っ払いのオジサマ方のお相手をしている私達と、酔っ払いのホステスの相手をしてくれているミス・兆。
ミス・兆もきっと、接客業だから我慢してるのね・・・・。



一匹の猫を見て、またまた負けてはならぬ、と思う金曜日のアフターの水上なのでした。




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『 久しぶりのアドレナリン大噴火 』
2003年09月19日(金)



キレた。マネージャー相手に思いっきり。
久し振りに本格的に怒ったような気がする。

私は低血圧なので怒ると星が散って眩暈がするので苦しい。
あんまり怒らせないで欲しかったりする。
しかも書いて残すのも馬鹿馬鹿しく値打ちの無い内容だ。



己の中のくだらん沽券を優先し、
接客業の理念を蔑ろにし、
お客様に不快な思いをさせる奴は、
それが誰であろうと私は許さん。

店なんかどうでもいい。
中の女性もスタッフとの輪も知った事か。
黒服のポジションや権威など犬のクソ程の値打ちも無い。

と皆の前で叫んでいた。


サオリと店長になだめられたが、ここはグレーにしていい問題ではない。
私が私のエゴを通しているのではない。

気持ちと気持ちが絡む時に、それに報いなければならない時に、
従わなければならぬ店の決め事など何の意味があると言うのだ。


形の無い物を売る世界の人間は、理念や信念を捨ててはならぬ。
それは守らねばならぬ最後の砦だ。



それが出来ないなら接客業なんか辞めちまえ!!









『 汚さないでね。 』
2003年09月18日(木)




5300人ですか。やっぱ有料化にしてれば随分集まったろうになあ。
1ダイブ5000円くらいでどう?

でも、やっぱり不幸があったね。
お酒飲んでたんですってね。お若いのにお気の毒です。

実はワールドカップが終わった後も、一死体が上がって来たってご存知ですか?
それを知ってるから地元の人も危険だって言ってたのにさ・・・・。


昨日お店が終わって行きつけの宗右衛門町の料理屋に顔を出したら、大将が昨日の事故のことを教えてくれたの。そこは地元の商店主さんとかが集まるんですけど。

皆様愚痴っておられました。
橋の上のタイルは赤と黄色なのに、もう色が解らないくらい真っ黒です。
あれ、商店街で綺麗にしなきゃいけないんだって。

何よりも自分の毎日を過ごす場所で、死人が出るのはたまらない、と。
そりゃそうだよね。気味悪いよね。

大阪人だからって暴れていいって訳じゃないでしょうに。
ゴミを散らしていいって訳じゃないでしょうに。


ちょっとやりきれない気分だわ。




写真日記はまたまたサーバー移転の為ストップ。




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『 愛情という名の呪縛 』
2003年09月17日(水)




ママとじっくり話をした。
泣かせてしまった。

泣かせるつもりでは無かったのだが、淡々と話をしていたらいつの間にか泣いていた。

説得や駆け引きや権力の行使ではなく、こういうタイプはやはり情けに弱い。
その事を思うと、こちらも少し泣きたくなる。


私は次女なのだが途中から長女でもあるので、他の姉妹の方よりは長女のもつ色を読み取れるのかも知れない。
ママもやはり弟妹が居る家の長女だから、私の姉と似た色を持っているのだ。

色、と表現すると美しく聞こえるのだけれど、言葉を飾らず言えば親の呪縛である。
長男長女には親の呪縛という独特のものが存在するのだと知ってはいたが、色々な人に触れ、どこの家でもあるのだと解って来る度に、度々こうやって泣きたくなる思いをする。


私とて完璧に恵まれた家庭に育ったかと言えばそうではない。特に家督の問題では、三人姉妹という事もあり色々と大変だった。
誰かが婿を取らねばならぬとか、墓を守って行かねばならぬとか、そういう課題は我が家に常にあって揉め事の種になっていたと思う。

それだけでもややこしいのに、或る時期からもっと困った問題が浮上してきた。
別にうちは由緒正しい家柄でも何でも無いのだが、その拠所ない事情の為、父方の姓一つだけではなく、母方の姓も『姉妹の中の誰かが継がねばならぬ』という事態になったのである。

二つの家の名をいずれは継がねばならぬ、というのはこの時代でも三人姉妹にはキツイものがあり、私と姉は女でありながら、家督の問題に関しては男であることを求められるようになってしまった。

私が姉の持つ『親の呪縛』に気が付いたのはこの頃からだったように思う。
男兄弟の居る姉妹ではなく、まるで『一つの家に長兄が二人居る』様なその状況が、私に今まで見えなかった姉の姿を教えてくれたのだ。


或る日、姉に言った。
貴女は姉妹の中で一番多くを知った人だけれども、
『自由になる事「だけ」を学ばなかった人間』だ、と。

・・・・別に親がそれを望んだ訳ではない。

いや親はむしろ、最終の目的として『自分が居なくとも生きて行ける様に』子供を育てるものだ。
そして子供に対しては何事にも縛られる事無く、出来るだけ自由であれと望む。
家督がどうのこうのと言いながら、その実うちの親も『この問題は二次的な付属』であって、本当はどうでも良いものだったりするのだ。


だが、姉だけがその親の気持ちを理解出来ない。




私はママに入院を勧めた。


今はもう、力を抜いていいんじゃないか、

○○○のママとしてではなく、
○○○○○さん、という個人で生きてもいいんじゃないか、

これからの頑張りは誰の為でもなく、自分の為にしてよ、


そんな風に言ったと思う。



どうするかは本人次第だし、店も彼女のものだ。
意地でも閉めないとは思うが、そうであるなら今度は自分の為に閉めないで欲しい。

・・・・素直に泣けた彼女を初めて見たような気がする。


私とこの人は、遠くて近い所に居るのだな・・・・。









写真日記。消えたカニの目玉は!?




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『 着信拒否の理由 』
2003年09月16日(火)



鯨ちゃんが海外から帰ってきたらしい。
金曜日に6回の着信があった。

らしい、というのは・・・・う〜ん、実の所・・・・携帯を着信拒否にしているからなんだけど。


で、何でそんな事をしているかと言えば、ちょっと鯨ちゃんについて行けない部分が多くて。
別にただのお客様なんだから、そこまで考えなくてもいいのだろうけど、やっぱりちょっと困っちゃうんだよね・・・・。

上手く言えないなあ。
私という人間は、こと自分の事になると放りっぱなしというか、突き詰めて考えないというか、要するに冷静じゃなくてヘタレなんだけど、自分でも自分のこういう所に嫌気が差してしまう時がある。


一緒に旅行には行ったけれど、ホテルも全然違うし行動も別だし、お付の人が沢山居たし、エッチ込みのお世話係の女の人も居たし、向こうに居た時も私は友人と行動を共にしていたし、要するに顔を合わせても一回か二回くらいだけだったんだよね。

ホテルが違うってのは、鯨ちゃんが博打で落とす金が半端じゃないから、ホテル側が用意する部屋が、私と友人とでは全然違うって事なんだけど。
まあ私も鯨ちゃんとどうこうなりたい、って訳じゃないから何でもいいやって機嫌よく友達と遊んでたわけ。


でもまあ、なんて言うのかな・・・・旅行に行くまでにそれまで色々あったワケですよ。

私が中々彼の所有物にならないものだから、店に来る頻度もどんどん減っていってですね。
彼にしてみれば、自分と寝たがる女は沢山居るのだから、私如きが思い通りにならなくて面白くなかったんでしょうね。

で、全ての店がそうだとは限らないんですけど、外国系のお店は特に彼のようなお客様には女の子をあてがうんですよ。
で、そんな女の子を私の店に連れて来るんです。向こうは離れたら逃げられるからついて来るんですけど。

ああ、別に鯨ちゃんも私に妬かせようとかしてるんじゃないんですよ。彼の生きてる世界では、それが常識なの。
自分が遊ぶ時には常に傍に女が居て当たり前、のような世界。
ヤクザじゃないよ(笑)。最近はどうだか知らないけれど、彼が持ち出した頃にはブラックカード(センチュリオン)はヤクザにはおりなかったんだから。

で、それはいいの。そこまではいいのよ。そういう客って今までも沢山見てきたしさ。
この世界は遊びの世界だから、こういう人種ってザラにいるしさ。


でもね、ある日の会話なんだけど。

鯨 『お前はホンマに〜!何回俺に口説かすんや!!』
水『はぁ。でもお見かけするたびに別の女性とご一緒じゃないですか。
  別にワタクシでなくてもよろしいのでは?こっちも本気なのかな?とも思いますし。』

鯨『女か。あんな連中は何でもない、ホンマに身体だけの女や。
  ちょちょっとエッチして、同伴したったり、小遣いやったり、の。
  真剣に恋をする相手と、身体だけの相手は違う。』

これを聞いて私は『なんてオヤジ!!』とか思う前に『怖く』なってしまったわけです。
男性諸氏には解らない微妙な女心と申しましょうかね・・・・。


つまりね、彼の望み通りにしたとしますよ、そうしたらですね、私はとんでもない紅蓮の炎の中の住人にならねばならないのですよ。

彼は人を見抜く洞察力に関しては、神がかり的なものを持っています。
だからこそ彼はブレーンに恵まれ、財を成し、息子たちにも経営者として土壌を与え、一族の隅に至るまで、それぞれの適職を見出し与えているのですね。

人種的な特権も無い世界で(お解かりですね)、その様はまさに常人技ではありません。
そんな人ですから、私如きオミズのオネエチャンなど、内面を見抜くのに手間など要らないのですよ。お見通しなんですよ。スカスカなんですよ。

一見水上は恋愛に関してはドライ型に見えますが『情が深すぎて地雷を踏んだことは多々ございます!』なウェット型だったりするんですね。
こういう女は本妻か、もしくは愛人でも『一番の愛人』向きだという事を、この男は鬼畜なまでに承知してるんです。
紅蓮の炎の住人として耐えられる要素を持つ女か、どうか、を。


事実、彼の奥様はとても出来た女性で、男性の理想とする女性だったりします。
が、御本人は言い尽くせないくらいに泣かされ続けて来た女性です。
同性としては余りいただけない生き方です。

そして彼が15年囲っていた女性が居たのですけど、昨年彼の行動に耐え切れずとうとう別れたのだそうです。
こういう男は嫁が居ようが、愛人が居ようが何だろうが、自分のスタイルを変える事はありません。
そりゃこんな事を耐えられる女性はまず居ないでしょう。しかも愛人さんは女房という社会的立場も与えられず、ただ金銭や物を与えられ、てです。

彼を愛していないなら金銭や物ででも耐えられるでしょうが、愛情があればあるだけ耐えられないのではないでしょうか。
何たってちょちょっとエッチの相手なんて、外にごまんと居るわけですから、彼女にとっては愛情の印は『囲われている事だけ』なのです。


この男が最も鬼畜な所は、こういう紅蓮の炎に身を投じる女が、生活面(女房)でも愛情面(愛人)でも、自分に絶対に必要だという所なんです。
即ち、自分に対して真剣に愛情を持つ女を徹底的に泣かせる、その行為が彼にとっては必要不可欠なんですよ。

反して金だけの女は自分の内面には絶対に踏み込ませないんです。
そういう女は彼にとって何の意味も無い存在なんですもの。
天然のサディストってこういう人の事言うんじゃないでしょうかね。って言ったらサディストさんに怒られますかね。

奥様と愛人さん、彼女達お二人は、紅蓮の炎の中の住人です。
鯨ちゃんを愛してしまったがゆえに、彼と居る限り、その炎に焼かれ続けるんです。
切ない女の気持ち、彼にとってはその苦痛さえ、自分への捧げ物なんでしょうね。


で、ですよ?
仮に水上が鯨ちゃんの女になったとします。

私はアッホゥ〜な女ですので、体が馴染んでしまえば本気で彼のような鬼畜な男でも、鬼畜と解っていながら尽くして尽くして泣き続けるでしょう。
そうなると、ボロボロになってクタクタになって生きていく事になります。

そんな世界、まっぴらゴメンですよ。
予行練習だか何だか(そう言われた)知りませんが、エッチ込みのお世話係を見ても平気でいなきゃいけないんでしょう?
目の前であてがわれた女を見ても、平気でいなきゃいけないんでしょう?
そんなの無理だから。


プライドってんじゃぁ無いんです。
ただ怖いんです。
自分の中の血と膿の混ざった汚いものに振り回されるのが。
そういうのは人生に一度あれば充分なんです。

そこまで彼の事を好きじゃ無いから、耐える必要なんて私には無いし覚悟も生まれません。
適材適所の女を見付けてご満悦だったらしい(側近コメント)ですが、彼の誤算は相手である水上が歳を食った女狐であったことです。


とは言え、姿勢は決まっているものの、どうしていいか解りません。
どうしていいか解らない・・・・それはこの脈絡の無い文面で、読んでおられる皆様が充分にご承知の事とは思います。

その私の不安の正体は、別に同伴や売り上げのノルマなどではありません。
罰金を取りたいなら取ればいいし、それで解決するのならいっそ安いものです。
この収入でだけで生きていない分、他の女性よりはリスクが少ないので(私のこういう所が同業者から見たら腹が立つんでしょうけれど)追い込めるお客様も少ないのですし。
・・・・そんな現実的な事が不安なのではないのです。

鯨ちゃんの持つ独特の可愛さに、自分が揺らぐのが怖いのです。
姿勢を決めているとはいえ、紅蓮の炎の在り処を理解しているとはいえ、己の中の荒ぶる闇に振り回されまいと決めているとはいえ、その箍を外すに充分なものを相手が持っている時には、そんなものは何の歯止めにもならないのです。



だから今は距離。取り敢えず距離。
ゆえに着信拒否。



本当にへタレだよなあ・・・・私。




写真日記はここ。




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『 だるだる 』 写真日記4日分アップ
2003年09月15日(月)



サーバー移転の為ストップしていた写真日記をアップ。
4日分ございますので、よろしくぅぅ。



だるだるの寝溜め。
こんなに眠ったのは久しぶりである。

一昨日は次の原稿の下調べを少しだけした。
専門用語ばかりなのでややこしい。
でもこれを書けないと中国へ行けないから、ちゃんとしておかないと。
難解な言語を解りやすく伝えるって一番難しいなぁ。


昨日はそれもせず、ネットしたりスカパー観たり。
でもこういうのって一番眠気が来るんだよね。


今日は腰が痛い。寝すぎだよな。


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阪神優勝おめでとう。
水上は『仙様らぶ♥の中日ファン』だっただけに、ちょっと複雑です。

でも、おめでとう。

仙様はドラゴンズの監督にピッタリだったけど、
阪神は仙様以外にこなせる監督は居ないからね。

強い時代の阪神になる事を祈ってます。
でもほどほどにね。
心配するのが好き!!なのが阪神ファンなんだから。

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『 夢の女 』
2003年09月10日(水)




今日、以前うちに在籍していたホステス仲間に久しぶりに会った。

彼女はうちをクビになった後に別の店に行った。だがその後すぐプライベートにおいて、彼女にとって耐え難いほど辛い事があったので気力を失くし、その店もすぐに辞めてしまったのだ。
私と彼女が会うのも、それ以来の話である。

彼女の辛い経験とはここに書ける内容ではなく、故人が絡むことなので差し控えさせて戴くが、とにかくその悲惨な出来事によって、彼女と私は疎遠になっていた。
私だけではなく彼女の周りの殆どの人間がそうだったと思う。いや、よしんば近くに居たとて、皆どうして良いのか解らない状況だったろう。

ただ私はその時に、これで彼女は潰れてしまうだろうなと思った。


うちの店をクビになった頃の彼女は、性格は良かったのだが、依存心が強くて感情の波が激しい子だった。
芯は強いのだろうが、脆くてガラス細工のような所ばかりが目立ち、正直に言うとこの仕事をするには神経が持たないようなタイプだったのである。
その辛い出来事は、常人であっても耐え切れる問題ではないのに、脆い彼女が耐えられる筈がない内容だった。

ホステス仲間から言うと、そんな脆い子はこの仕事をしない方が良いんじゃないのか?と見えるのだが、飲みに来る男性はえてしてこういうタイプの女の子にハマる。
彼女の持つ脆さや危うさが、逆に彼等男性のツボにハマり、所謂『本気にさせてしまうタイプの女』になるのだ。

だけど彼女は自分の最大の長所に気が付いていなかった。それをどんなに諭しても、自分の有利さをあざとい物だとして、認めようとしなかった。それゆえいつも行き詰まる。そして訪れる悪循環の波。彼女が不安定さを見せるたび、「勿体無い事もあるもんだなぁ。世の中は上手く行かないね。」・・・・と私はよく思ったものだった。


傲慢だが、私は大概の同僚に脅威を感じた事は無い。昼の物書きの仕事では誰彼無しに脅威を感じっ放しなのに、不思議と夜の接客業においては『怖い』と感じる相手は居なかった。
例えばうちを抜けて、もっとランクの高い他店に行こうが、どこでどんなに売り上げを上げられようが、伸し上がろうが、店を持とうが、その相手を怖く思う事は無かったのである。

だが今日彼女に再会して、私は底知れない恐怖を感じた。
そこにはもう、私の知っているかつての彼女は居ない。

計算せずとも男は自分にハマっていく、そんな自分の長所をシッカリと把握し、それを上手く使いこなし、男性を『適度に』操り、しなやかに、したたかに渡っている。
普通ならこんな女はとんでもないが、彼女の持つ儚さと誠実さゆえの脆さが上手くカバーして、実にいい具合に調和しているのだ。
摩れた女になった、という訳ではない。むしろ以前よりずっとイイ女になっていた。
渡っているという表現より、『舞っている』と表現したほうがいい、そう思うほどに。


男性の作家が女の理想像として描くパターンがある。

さほど目立つ容姿ではないが、ミステリアスで掴み所が無く、しとやかで妖艶な女。
静かで無口なのだが絡むような視線を投げかける。
どこがどうと言う訳ではないのだが、男心を捉えて離さない。

そんな描写を見て『現実にはこんな女が居る訳ね〜じゃん。』と、女の物書きである私は男とのギャップを常に感じ、反発さえ持っていた。

殊に連城三紀彦氏の描く女性像などは、壮絶に美しく狡猾で妖しいのだが、現実の世界で日々生きる女の私にはどうにも馴染めず、おとぎ話のようにさえ思っていた。


だが、目の前にまさにその描写通りの女が居る・・・・。
男の理想像が、『男の描く女』であるならば、彼女こそまさに完璧だ。

現実感の無い、男の求める『夢の女』だ・・・・。


知り合った時からそんな片鱗を覗かせていたなら私も納得は行くのだが、どちらかと言うとメンタル系のノリであった彼女の、この劇的な変化はどうだろう?
まるで葉蔭に身を隠して怯えながら暮らしていた芋虫が、艶やかな蝶に羽化したようだ。

外見の劇的な変化というのは簡単な話だと思うのだが、内面の劇的な変化というのは望んで得られるものではない。
自分の中の長所を伸ばし有効に使う、だがそれを解っていても中々実行出来ないのが人間で、誰しも自分の中のそんな部分と折り合いを付けながら、ゆっくりと成長して行くしかないのだ。
だからこそ人は愛おしいのだし、歯がゆいのだし、味がある。


そう、今こうして書いていて解ったのだが、私が感じた底知れぬ恐怖の正体はそこなのだと思う。
在り得ないレベルでの『彼女の内面の変化』が、私にとって脅威だったのだ。

一人の人間がまるで人格が変わったがの如く、価値観も波も何もかも変えられるなど、私の経験と理解を遥かに越えている事なのだから。

この劇的な変化の素が、彼女の経験した悲しい出来事の集大成だとしたなら、報われない骸を残した哀れなる者も、この世に何も残さなかった訳では無い。存在は無では無い。
その魂の行き着く先が何処であろうと、彼女の中に残ったものは確実に在る。


私がその旨を告げると、彼女はゆっくりと呑み込み、呟く。
涙は、もう無い。


『私となおは、持ってる物は同じなんだよね。
 二人とも自分の中の荒立ったものを、抑えて、抑えて、生きている。
 だけど・・・・持っている物は同じだけれども、私達は全く正反対の道を行く。』

『・・・・うん。でも、どちらが正しく、王道だとは言えないよ。』
私は答える。

『歩くのは同じだからね。』
柔らかく静かに微笑みながら、彼女は言う。

・・・・本当に強くなった。


『私がどうして今日、なおに「会いたい」って突然電話したか解る?』
ふふっと悪戯っぽく笑いながら、可愛げに問いかける彼女。

ああ、駄目だ。くらくらしちゃう。・・・・ひょっとしたら私もこういうタイプにハマるかも知れない。
(男性陣の心配してる場合ぢゃね〜ぞ)
『ん〜〜〜。とね。 何か腹が据わったんでしょう? だからかな?』

彼女は安心したように微笑み、だけれども答えは出さなかった。
『またちょくちょく会ってくれる?』
そう問いかける彼女に、うん、勿論だよ、と答える私。

歩きながら、彼女は私の顔を見ずに、吹っ切るように言葉を出す。
『私が鬼になっても、なおだけは解ってくれると思ってた。』

『ははは。可愛い鬼だねえ〜。』
探らぬように、柔らかく受け止める。





大丈夫。
貴女は必ず幸せになれる。


写真日記




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『 血と涙の牙城 』
2003年09月09日(火)



久しぶりに夜の店でゴタゴタあった!ので書こう・・・・と思ったが。面倒だなあ。

何て言うのだろう、経営者とはあんなものやも知れぬのだ。
と言うかあの図太さが無ければクラブのママなど勤まらないし、店を大きくする事なんて到底出来やしないのだろう。


私は比較的可愛がって貰っているが、この人はどうにも女の子に信が薄い。
オーナーというのはこんなものだ、お人好しで情愛たっぷりのオーナーなどかえって頼りない、・・・・そう思う冷血漢な私でも、時々彼女の言動に冷や水を浴びせられるような気分になる。

身勝手だとか気侭だとか、接客技術が無いとか、マナーが悪いとか、そういう浅い問題ではない。そんなものならこちら次第で何とでもなる。
そういうものではなくて、根本的に・・・・深くて暗く冷たい闇が、彼女の周りを守るように渦巻いているのだ。

例えるなら『その人は理性があって犯罪を犯さないだけで、内面に抱えてるものは猟奇的な犯罪者と同じような冷たいものを持っている』と伝えた方が解りやすいだろうか。


皮肉ではなくあれはあれで立派だとは思う。

目の前の人間に一切感情を持たず、働く女性達を男を運んでくる生贄のように捉え、泣かされる女性達を哀れだとも思わず、己の中に残る一片の情さえ打ち砕くように、修羅のように生きて行く・・・・。

そんな感情は常人には有り得ない。
あの冷たさがこの城を築いた。いや、あの冷たさが無ければ今ここにこの城は建っていないのだろう。

夜の街のオーナーママには多かれ少なかれこういう部分はあるのだが、このママは私のオミズ人生においても、卓越した物を感じる。


うちのママが戦前生まれなのも関係あるかも知れない。
あの時代に女があれで身を立てるのは、大変な事だったのだろうと思う。
ましてや女だてらに持ちビルだもの。それこそ沢山の障害があったろう。

ママがあの仕事で働き出した頃は、この仕事もふしだらだとか何だとか言われて、親兄弟から親戚縁者に至るまで、いっぺんに絶縁されたらしい。

だけどいざママが高度成長期の波に乗り、ミナミに持ちビルを何軒も持つようにまでなった途端、皆踵を返した様に擦り寄って来て、親の借金や幼い弟妹の学費、親戚の墓の費用までママは支払わねばならなかったそうだ。

女がその時代に一人で生きると言うのはどういう事だろう。しかも寡婦の身で子供二人を抱えて、男に興味本位に軽い扱いを受けながら。
どんなに悔しさに泣き暮れる夜があっても、それでも翌日にはお客様の前で、飛びっきりの笑顔で居なければならないのだ。


この世には何があっても変わらない人も居る。
自分がどんな目に遭っても、常に真っ直ぐに自分を律する人は居る。
誰しもがそう在れたら、と己の中に在る強さに誓いはする。

だが、総ての人間がそうなれる訳ではないし、人は己が望むべくして己を建てて行くのだから、建ち方が如何様であろうとも、誰の事も責める事は出来ないし、誰にも責められる謂れはない筈だ。

それならばこの人が今ここにこうして在る事を、責める権利が誰にあると言うのか。


己の中の強さに、誓う事さえ許されなかった時代。
親子三人が生き延びるだけで、精一杯だった時代。
頼るべき者など、文字通り誰一人居ない。



人は誰しも信じるものが無ければ、
愛される幸福が無ければ、
それが常に共になければ、

こんな風に己の周りに、己の血で出来た黒闇に身を漂わせ、
心さえ見えぬ程に強く塗り固めてしまうのだろうか・・・・。
そして冷たく、時には己の身さえ傷つける、
そんな狂気にも似た渦を、身に纏う事になってしまうのだろうか・・・・。

誰しも?





私はこの人が嫌いだ。

素直に泣く事の出来ないくらい、ひどく孤独なこの人が嫌いだ。




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『 HPの模様替えしました、写真日記を始めました、脳味噌は豆腐です。 』
2003年09月08日(月)




疲れた。でも、お陰様で原稿出来た・・・・・・・・と思う。・・・・思え。・・・・思おう。
いやね、もういいんですよ。ほら、イチローだって3割バッターなんだから。
あんな凄いのに10割じゃないんだよ?そんなもんだよ世の中。(昨日の供養はどうした)



昨日、返事待ちの最中にHPの模様替えしてみました。
スキンお借りしました。画像もお借りしました。助かりました。有難うございます。
でもそのうちタグ整理しないと、とも思っていたりして。 がむばる。

私がエンピツにしたのは広告が入らないのも理由のひとつだったんですが、こうやってレイアウトを変えてみると、尚更これで良かったなと思えてなりません。
何だか静かで嬉しい。広告あると『さりげなく』が中々難しいし。
そのうち自分でも写真とって、画像を背景に使ったりしてもいいかと思っています。

実は水上、カメラが趣味です。
マニュアルのドシッと重たい、レンズもゴツイのが好きです。ニコンなら言う事ありません。・・・・でもサイバーショットも欲しいな。小さいんだもん。
写したい、写したい、写したい。


『今、一番何が欲しい?って聞かれたら何て答える?』とお客様に聞かれて、『フィリップ・シャリオールの時計!!』とか『エルメスのケリーバック!!』とか『デヴィ夫人がしてるような、でっかいダイヤモンドのフルセット!!』とか言わないんですね、このホステスは。

『・・・・特大プラズマビジョンかプロジェクションシステム。とDVD。YAMAHA ホームシアターサウンドシステムならなおうれしい。サイバーショットがオマケならもっと嬉しい。・・・・それと、アシーモが欲しい。(←流石にやや小声)』
なんて言ったりするんです。(アイボでは駄目らしい)


よし!買ってあげよう!!・・・・なんてお客様は殆どおられません。
『何だよ〜、愛が一番欲しいの♥とか言えないのかよ!お前らはっ!!』とか、『俺の子種なら君にいつでもあげられるよ♥』とか、まあ大体そんなコメントでしょうかね。
ポックリ逝きそうな方に子種貰って認知して頂くのも有りだけれど、残念ながらそんな人はこのような事は言わなくて、大概は精気ギラギラ系の方が言うんです。
・・・・言われるだけで孕みそうなんですがね。

そんな方々でも、流石に水上の欲しいと言う物はヒクようでして。
『俺が欲しいんじゃ、アホ。』と言う方もおられましたね。その通りだと思いました。ナイス突っ込み。さすがに関西人です。
今になって良く考えるとヤなホステスですな。家電の黒物が欲しいとは可愛げが無いことったら。(ちなみに家電でも冷蔵庫やエアコンは白物と言うのです)嘘でもダイヤとか言えんか。

修行、ですな。
可愛くならねば。

ムリ。



写真日記のほうに、タイガースのユニフォーム姿の『グリコのオッサン』をアップしようと思うのに、私が帰る頃はネオンが消えていて撮れないんです。
出勤時間はまだ明るいから雰囲気が出ないし、中々上手くいきません。きぃ。

お客様を送るついでにお散歩して(こらこら)、写してこようと思ってます。
・・・・それって言ったものの、思いっきりダッシュだな。
誰かクラブ蓼とかに行くお客様が居ればいいのに。あそこなら近いから言い訳も出来る。

頑張るぞ。おぅ。
早くしないと優勝しちゃうもんね。
いまマジックいくら????


何だか取り留めの無い文章ですいません。
も〜駄目なんです。
脳味噌が伸び切って皺が無くなって来ました。
ちょっと眠ります。

ごめんなさい〜〜〜〜。






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『 文筆業とは供養に似たり 』
2003年09月07日(日)




ああああ締め切りがああああ。
(あで挟んでみました。)
毎回毎回まったくよぅ。何やってんだか。

締め切りが迫るとこうやって他の事に逃げたくなる。こりゃあ逃避行動だわな。大掃除をしなきゃいけないのについついアルバムに見入ってしまうとか、そういうのにちょっと似ている。

大体私は何でこんな事になっているんだ。何で物書きなんかしてるんだろう。こんなつもりじゃなかったのに、いつの間にかこんな事になって毎回毎回苦しんでいる。
きっかけはやっぱりお金だったように思う。物理的なコストがかからない割には返りがあったので、いいなと思って始めて・・・・もう早6年経ってしまった。


初期の頃に商業ベースで書いてたものは、自分が飼って来た動物達にまつわるエッセイだった。(はぢめて明かしますが、ぢつはそうなんです。はぢかし。でも今はもう違うよ〜ん。)
うちで飼ってた動物達は金魚から爬虫類から鳥類から犬猫、その他に至るまで個性派揃いでネタには事欠かなかったのだ。

あの頃は今のハードな分野(ナイショ)と比べると天国のようだなと思う。のほほんとしていて、後味も良い。何より読み手にシンクロしやすく、それゆえ読者様の反響も良かった。(もちろん身内にウケまくったのは言うまでもない。)

そんな風に世や自分の周りから祝福を受ける仕事は『書く』という分野でも、タペストリーを織るように柔らかな作業だ。
だがあの頃の私は意識こそしていなかったが、もうすでに書くという行為を死んだ彼等への供養の気持ちで書いていたように思う。

・・・・最近は痛切にこの『供養』という言葉を感じる。
書くという行為は供養に似ているのだ。
対象が故人であれ、亡くなった愛しい動物達であれ、己の恋の残骸であれ、通り過ぎた季節と時間であれ、失くした物であれ、時事に沿う出来事であれ、フィクションの読み物であえ、そんな風に相手が何者(物)であっても、それに対する供物のように思いを捧げる、墓標を築く。

その表現が時には思慕であったり郷愁であったり、怒りや涙だったり、愛おしさや優しさだったりするものの、昇華するという材料で出来た白紙の上に、思いと言う文字の供物を捧げ綴って行くのが書くという行為なのであろうと思う。


それがくっきりと解ったのはエッセイ物を書き出して一年くらい経った頃だった。
私と担当の編集者は、あるタブーを犯してしまったのである。
タブーと言うと大袈裟だが、のほほんとしたフィールドの中で目を覆いたくなるような物を怒りを込めて出してしまった。

それは憩いたい読者層の中で、現実から目を背けたいから『こそ』その本でなければならぬという読者層の中で、暴力に近いものさえあったと思う。
とにかく反響は凄かった。批判もあったし、皮肉を込めた評価もあった。賛も否もとにかくごちゃまぜ。それに自分自身打ちのめされたし、書くことが怖くなってしまった。

商業ベースの批判というものは、ウェブで食らう批判の比にならない。
自分がそれで金銭を受け取っている以上、また文責においても絶対的に逃げられないものが生じてしまって追い込みに拍車をかけていく。
(ひらたく言うと喰えなくなるかも知れないし、訴訟沙汰になりやすいってやつ。)
ウェブでは編集者などの第三者を挟む事も無いから、自分が何を書こうがその第三者が職を失う事も無い。

もっと突っ込んで例えるなら、某巨大掲示板で誰かが不適当な事を書き込んだとて、管理人が『不行き届き』を問われる事はあるが、訴訟において管理人が賠償まで支払わねばならなかった事は無かったように思うし、また世論の風潮として『そこまで問えないのではないか』という流れが大きいように思う。
これが著者で、出版社であるならそうは行かない。世に出してしまった責任は両者とも徹底的に追求される。
訴訟沙汰になって賠償せねばならぬ、などはそう頻繁にある訳ではないが、珍しくも無い話だ。
そういう社会的な制裁や捉え方の意味でも、私にとってウェブで書くという行為はぬるく、現実感が薄いように感じる。


さて、勿論私は事実の元に書いた物であったから、訴訟だの何だのそこまでの心配は無かったのだが、『賛と否の中にも存在する文責』という物にはこの時期に深く考えさせられた。
事実であろうが無かろうが、金銭を使わせて読ませてしまう以上、背負わなければならぬものはあるのだ、と。

だが、そのうち面白い現象が起こった。
私の書いたものが読者のページで3〜4号に渡る討論になり、それがある団体の目に留まって、最終的には小さな運動になって行ったのだ。

その時、奇妙なもので『ああ、もうこの問題は私の手を離れて行ったんだな・・・・。』と安心したものの、・・・・それを吹き消すくらいの淋しさが私を襲って来たのだった。

『あれほど私を悩ませて苦しめたものが、
 願い叶ってやっと去って行くと言うのに、私は淋しさを感じる。
 これは一体どういう事なのか?』

・・・・ああ、私は媒体者に過ぎないのだ。
その時、自分の中の何かが呟き、媒体という言葉が浮かんだ。
意識レベルでは、その言葉は強制的でさえあったように思う。


何かを書くという事は、伝えるという事は、それを自分の物にするという事ではない。
私というフィルターを通して濾されて通り過ぎたに過ぎず、最終的には私が書こうがまた他の者が書こうが、書かれた存在がある限り、それは常に書かれた彼等自身の物なのだ、と。

勿論これはフィクション、ノンフィクションに限らず同じ。
いや、事実であろうが空想であろうが、この作業が同じにならなければ、書いた物の手を離して一人歩きさせる事など出来ない。

・・・・そう思った。

私が昇華という材料で出来た白紙の用紙を手に入れたのは、きっとこの時だったのだろう。
それからは相変わらず責任や柵に縛られてはいるものの、織り上げていく過程や組んでいく方程式、捧げていく供物に対しては少しだけ楽になった。
神様が降りて来る(という言い方をするんです)まで自分を追い込む事も、苦しいし身を削られるようだけれども、その都度耐えられるようになった。


物書きになりたい人は自分の言いたい事を書くためになると言う人が多い。それが何よりも大事だと思っている人も多いだろう。

だけどその実、それは全体において断片にしか過ぎないのだ。
降りて来る神様は自分の為にではなく、書かれている対象に対して降りて来るのだし、読み手がまず読みたくて知りたいのは、書かれている対象なのであって、伝道者本人ではない。

だが、反面羨ましくも思う。書く=主張の世界は楽しく、伝道者でなくて良いのは、背負うものも少ない。文筆業でなくとも何でも同じなのだが、物を創造するのを純粋に楽しみたいのなら、生業にするべきでは無い様に思う。
と言っても、この言葉が目指す者にとっては、如何に無駄な事か良く解ってはいるのだが(笑)。

その『楽しい世界』は、私にとっては此処なのかなぁと、こういう締め切り時には思ったりする。
反面、人のチェックを通らないで他人様の目に留まる物を、いいのかないいのかな、と思いながらドキドキと書いているし、私のウェブでの文章を私の担当が見たら、怒り狂うかも知れないなと苦笑いしながら書いていたりする。

生業にしてしまったら、何処で何を書こうとこういう呪縛からはもう一生解かれる事は無いのだろう。ほんのちょっとだけ解放されて、ちょっとだけ楽しむとか、私のように一瞬だけ逃げるとかになるしかない。
そんなものを読ませちゃったりして申し訳ないです、とは思うのだけれど、勘弁してやって下さいませ。
何の供養にもなりはしませんが。


*******
写真日記を始めてみました。
何故か携帯から送れなくて、画面上で編集。
ちっちゃいけど、割と綺麗に画像が出ます。嬉。




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*ライコスに居たから、1回楽天に登録してランダムジャンプであちこち見てみたんだけど、怖そうだし内輪そうだし、楽天抜けました。
何なんだろ・・・・良く解らん。

『愛しき弟への手紙』
2003年09月06日(土)


金曜日の夕方に入ってきたメール。
『姉ちゃん、今日から3日間ミナミの店で3周年のイベントをします。
良かったら帰りがけに寄って下さい。』
珍しい。弟からのメールだ。そうか、もう3年目になったのか。この若さで2店舗のオーナーをこなし、3年間維持するとは偉いものだ。

弟、というのは正確でなく、弟分になる。
便宜上面倒なので、周りにはそういう事にしているのだ。何がどう面倒なのかと言うと、私とこの弟分は顔が実にそっくりなのである。私が弟の店に行っても、弟が私の店に来ても、店の子には必ずと言って良いほど身内に間違われるし、いちいち間柄を説明するのも疲れてきたし、話し合って互いの店の子にはもう姉弟で通す事にしたのだ。

コイツはブリブリにモテる。姉と違って女には不自由しない身だ。
ショットバーのオーナーではあるが、どちらかと言うと貧乏であるのに、不思議と女は彼に引き寄せられる。
その引き寄せられた女の子達にあらぬ疑いをかけられ、嫉妬の炎に炙られる事が何度かあった私は、『姉です。』というコメントを彼女等に使うことによって、事態を出来るだけ良い方向に避けて来た。

彼がモテる理由も解らなくは無い。とにかく何事を言ってもやっても、素直で嫌味がないのだ。去年2周年のお祝いに何が欲しいか?と尋ねたら、『大きな観葉植物がいいな!店に置くやつ!普通の大きさじゃなくてデッカイのがいい!』と臆する事無く答えた。
私の気性を知っているので遠慮なく口に出すのだろうが、もっと可愛いのはその後で『絶対枯らさないからね!俺、植物は得意なんだ。姉ちゃんに貰った木だと思うと嬉しくて枯らせられないし。』と言った。
何とまあ可愛いこと。本当は怖くて枯らせる事が出来ないなんじゃないの?
そう、こうやって書いてしまうと如何にもわざとらしそうな『嬉しくて』コメントなのに、弟が言うと本当に嫌味が無くて受け入れられるのだ。

事実、日の当たらない場所でどうしているのかは知らないが、その木は今でも青々としていて、枯れる気配など全く無い。
また植物が得意、というのも嘘ではなく、彼のもう一店舗の方のベランダでは、貰い物の蘭・・・・シンビジュウム、デンドロビュウム、そしてあろうことか胡蝶蘭までもが、もう何年も枯れる事無く毎年花を咲かせている。
これじゃあ得意どころか凄い腕前と認めざるを得ない。通常温室で育てられ、季節外れに売られたものは、ひと時を飾るだけで枯れていくのが普通であるのに、どういうことだろう?
私も薔薇は得意だが、病気や寒さに強い品種を選んだりしているし、気も配っている。だが蘭となるとそうはいかず、貰ってしまっても枯らしてしまうのがオチで、何度も悲しい思いをしていたのだ。
弟と知り合ってからは弟に任せる事にしたので、花達も私も随分と救われている。

私は基本的に若造が好きではないが、コイツだけは身内のような気がして、男に厳しい私が珍しく普段から甘やかしている。
甘やかすのは甘やかすのだが、奴はそれに甘んじず自分を前へ前へ追い立てる。すでにもう経営するバーとは別に、2つの職業においてプロフェッショナルでもある彼は、3足の草鞋を立派に履きこなし、それでも奢らず自分の人生をあるがまま謙虚に生きている。それがまた私にとっては可愛くてたまらないのだ。


仕事を終え、賑わったその場所へ足を踏み入れる。余りにも人が多すぎて見えない弟の姿。探そうにも探せず、困惑する私。また出直そうかなと思ったその時、見知った顔が私に挨拶をする。その顔に『賢ちゃんは?』と尋ねると、背伸びしながら頷いて、一方方向を指してくれる。

『あ!!姉ちゃん!!来てくれたんだ!!』弟クン、満面の笑み。今日は特にいい笑顔。
『3周年おめでとう!!良く頑張ったね!!』
お互いがお互いに辿り着いた時、二人とも条件反射のようにハグをした。女性陣の視線が一気に私を刺す。
・・・・でももう慣れ慣れ。いいじゃん、昔から私と弟、二人の間では昼間でも街中でも、これはもう習慣なんだから。悔しかったら懐かせてみろってんだ、ぺぺぺのぺー。

とは言え私も原稿を抱えた身。そんなにゆっくりする訳にも行かず、一杯だけ飲んで帰る事にする。
『ごめんね、賢ちゃん。今日は帰るよ。また落ち着いたらゆっくり来るから。』
『姉ちゃん、これ多いよ!一杯でこの値段は無いって。』
『今年は急にメールでお知らせだったから、何も用意してなかったの。御祝儀って値段じゃないし、気にしないで。気になるならバイト君と分けなさい。』
『うん。じゃあ分けるよ。ありがとう。また電話するね。』
送らなくて良いと告げ、店の外へ出る。店内に入りきれない若者のグループが、外でそれなりに盛り上がりながら飲んでいる。それを見て何だか嬉しいような、申し訳ないような、不思議な気分になる。
タクシーから弟に電話をかけて『外のお客様にもちゃんと挨拶しておきなさいよ。』そう言おうと思ったが、止めた。

・・・・彼はもう、私の手を離れたのだ。



賢ちゃんへ。
おめでとう。正直ここまで踏ん張れると思わなかったよ。
友人でもありパートナーでもあった人を、あの時に君が切り捨てた事、
他人は好きなように言ったけれども、お姉ちゃんにはちゃんと解っていたよ。

君がちゃんと痛みをもって、心から血飛沫をあげながら、
涙をこらえながら、突き放した事を。
あの時君はやっと、本当の意味での経営者になれたんだよね。
だから今日あんなに沢山の人が君の回りに居てくれたんだよね。
嬉しかったよ。
私こそが、きっと。

お姉ちゃんも君を泣かせた。あんな君は初めてだった。
あの時に私は誓った。君の事はもう絶対に裏切らない、って。
もう二度と君を泣かせたりしない、と。
・・・・とっても綺麗な朝焼けだったのを覚えている。

あれからもう2年が経つよ。
お互い色んな事があったね。

お互いに知ってるけどさ(笑)、仕方ないよね、こんな性分だから。
これからきっと何度もこういう思いはするんだろうね。
だけどさほら、O型ってあんまり懲りないし。きっとずっとこうなんだよね。


心から君を誇りに思う。
大切な人間だと思う。
君は私にとって、いつもいつも大事な宝物だよ。

機会があったら、ちゃんと口に出して言うからね。

ちゃんと眠りなさいよ。
ちゃんと食べて、飲み過ぎないように。
ちゃんと恋をして、沢山泣きなさい。
君はもっとイイ男になれる男なんだから。


お姉ちゃんもちゃんと歩く。
君に誇りにされるように。
大切な人間になれるように。
宝物だと言われるように。

機会があっても言わなくていい。
お姉ちゃんにはちゃんと解ってるから。


大切な弟であり、親友であり、戦友へ。





『士は己を知るものの為に死す、女は男の為にその身を着飾る』
2003年09月04日(木)


ライオンの実験がどうのなどと、前日の日記のような内容を、私が頭の中で考えている最中も討論は続いていた。
討論と言えども飲み屋の討論だ。たかだか知れてはいるが。


まず男性側は頑として、女は男に見られて褒められたいからその身を飾り、より良い男を捕まえようとする、という言い分があるらしい。
彼等によると、ミニスカートも露出度の高い服も(ヘソ出しとか)、見る男が居るからであって、女性ばかりの世界ならそんな文化は育たない、と言うのだ。

反して女性はこう述べる。
例えば女同士で出かける時も、同性の女性の家に皆で遊びに行く時も、女はお化粧をするしお洒落もする。
女は女に負けたくないから、この世に男が居なくても女は身を飾ります、と。


『だってねえ、カップル同士は男を見ないで対面している女を、女は見るのよ。相手の女がどんな服を着ててどんなバック持っててどんな靴を履いているか、とかさ。 女が本当に男の為にお洒落するってんなら、相手の女なんかどうでもいい筈じゃん〜。』
と、若いお嬢さんは述べる。

『それは初期段階の話だろ。最初はより多くの女の中から抜き出でた女になって、注目を浴びることが目的なんだろ?でも最終目的はより多くの男を引き連れた女になって、選択肢を広げる為なんだから、最終的には男の為に装うんじゃないか。』
と、男性連中も負けてはいない。

『そう言えばうちで昔飼ってたインコは、雄の方が綺麗だったんだけど、雌が一生懸命紙をちぎって尻尾に挿してお洒落してたなあ・・・・。』
そんな私のボケは流され、話は続いていく。


『そんな・・・・より多くの男を引き連れる女になりたいか、なんて思うかなあ?まあ、そうだとしてもより多くの男を引き連れる女になって「ふふん♪」って顔をしたいのは、それでもやっぱり女相手にだもの。別に男なんてどうでもいいんじゃないかなあ。』

『じゃあ女子高とかどうなんだよ〜。うちの姉ちゃん、女子高だったけど、男の目が無いと女ってとんでもなく行儀悪かったりするって言ってたぞ。』

『お行儀とお洒落は関係ないもん。女子高でもどこでも、女の子同士で新しい化粧品が手に入ると皆に見せたり、お洋服自慢したり、そういうのが楽しかったりするんだもん。』

『でも、女同士で褒められるのと、男相手に褒められるのとじゃ、嬉しさが全然違うだろ?』

『・・・・う〜ん。オカマが綺麗に装って、多くの男を従えて「ふふん♪」ってしたいのは、同じオカマ相手になんだろうか?それとも女相手になんだろうか?』
今度は真剣な疑問だったのに、皆一瞬私を見ただけで、またコメントは流されてしまった。
流すのはいいんだが、何だよその冷たい目は。(悲)

そう言えば男が着飾ってお化粧している部族が居たな。アフリカだったっけ?ニューギニアだっけ?チャンブリ族って言ったっけ。みんな顔がテレンス・トレント・ダービー(古)みたいだったのよね。それなりに綺麗だったなあ・・・・。
ああいかんいかん。どうもこういう討論になると私の脳味噌は逃げたがる。
だいたいさあ、そんなもん決着なんて付くわけ無いじゃん〜。帰ろうよ〜もうお店終わった時間だよ〜。お腹空いたよう〜。


『昔から「士は己を知るものの為に死す、女は男の為にその身を着飾る」言うんや。中国の言葉やったかな。 士、言うのは男を指すんやけど。』
すっぽんぽん発言オヤジが言う。なんだ、頭イイじゃないか。

『何それ?意味が解らへんわ。女は気楽や、言う意味?』
『何やろ?戦場に向かう男の為に着飾れ、とか?』

双方の問いにすっぽんぽんオヤジ、
『う〜ん、何やったかな?思い出されへんわ。』
・・・・なんだよ。頭イイのに酒漬けで働いてねえじゃん。

『なおちゃん、アンタ解るんちゃうのん?古い事よう知ってるし。』
すっぽんぽんオヤジ、何ゆえママに聞かず私に聞くのだ・・・・。

『はあ・・・・確か、女が着飾るのは男の仁義とか義理と同じだ、って意味だったかと。』
『ああ、そうやそうや。それやったわ。』
『え〜っ何それ?そんなお気楽な扱い、ひどいわ〜!!』女性陣からのブーイングだ。

『ああ、違う違う。私の言葉が足りなかったけれども、女がお洒落をするのは、男が仁義に生きる事と同じくらい重要で意味がある、って最上級の褒め言葉らしいよ。』
『ああ、そうやそうや。それやったわ。』・・・・頼むよ、すっぽんぽんオヤジ。てめえが引用こいたクセに野放しかよ。


『何もな、ワシ等男は女を馬鹿にして「女は男がおらへんかったら、お洒落せえへん」なんて言うてるんやないで。女にしたらそういう言葉を聞くと何や「能が無いとか、お気楽そうや、とか馬鹿にされてる」ように思うんやろうけど、そんなんとちゃうねん。尊敬も込めて言うてるんや。』

すっぽんぽんオヤジ、なおも続ける。
『男が義理人情や仁義を重んじるのと同じくらい大事やって、二千年やったか三千年前やったかの儒教の格言や。それくらい男を奮起させる女は大事な存在やって意味もあるんやろう。裏を返せば男も女がおらんかったら義理も仁義も通さへんのちゃうか、って事やな。』

す、素晴らしい。何だか良く解らないし、理屈は全然通って無いかもしれないけれど、強引に引き込み、尚且つ綺麗にまとめる。ダテに重役職ではないな。


さて、綺麗にまとめたあとお会計を済まし、重役と若造と皆で(ママは抜き)アフターに行った。アフターのお好み焼き屋さんで、じゅうじゅうと焼けるお好み焼きを見ながら、水上はふと思う。

儒教の格言とは知らなかったなあ・・・・。ぢゃなく。
例えば昨日の日記で書いたように『女が進化した』と言う説が成り立つとしよう。
そしてその進化を守る為に、男も女を繁殖活動の相手としてだけではなく、『士は己を知るものの為に死す、女は男の為にその身を着飾る』という言葉を残した如く精神が進化したなら、彼等男性は他の生物とは一線を引いた、大いなる進化を遂げた事になる。

猿山のボス猿は世代交代をすると、前のボスの子供を片っ端から殺す。別に人間の戦国時代のように仇討ちが怖い訳ではなく、自分の遺伝子を残すのが最終目的なのだから、他の遺伝子は必要ないのだ。子を産み育てている雌の感情など一切構う事は無い。
解析によればその猿と97%が同じ遺伝子だと言うのに、人間の雄は尊敬という高尚な感情さえ、ましてや装飾という無駄な行為にさえ、敬意を払っている。
こりゃあ凄いことだよ。おっぱいの上げようもあるってもんだ。


だけど、水上はもう少し突っ込んで想う。『士は己を知るものの為に死す、女は男の為にその身を着飾る』の言葉の本当の意は、互いにその行為が無駄だと思ってはいても、お互いを尊敬し助け合って譲り合って暮らして行きなさい、というありがたい先人の教えなのではないだろうか。
今も昔も、ひょっとしたら今日のように男女の集まりにおいて、何度も何度も繰り返されてきた話題だったりするのではないだろうか。

何だかちょっとほのぼのしちゃうね・・・・。


・・・・ん?ちょっと待て。
それなら私が変えたお化粧くらい、気が付ついてくれよ。

何だか一人だけ割りを食ったような気分で、イカ玉を突っつく水上なのでした。






『ライオン実験と女性の身体は進化した論』この世に男が存在せずとも女は自分の身を飾るのか?(2)
2003年09月03日(水)


『 この世に男が存在せずとも、女は自分の身を飾るのか? 』
の続きだ。

確かに人間だけが生物の法則に反してはいる。
他の生物は昆虫や鳥類や哺乳類のどれも、雄の方が生まれもって煌びやかで、雌の容姿を遥かに凌ぐ姿の者が多い。
人間に近いとされる猿においても、雄の容姿のほうが雌よりも毛並みが豪華だったり、多色であったりするのだから面白いものだと思う。


昔CS放送のディスカバリーチャンネルで面白い実験の様子を放送していた。
米ミネソタ大研究グループがアフリカのタンザニアの国立公園内にて、等身大のライオンのぬいぐるみを作り、鬣(たてがみ)だけを入れ替えて、雌ライオンの群れの近くに置いたのである。

鬣のパターンは2つ。
1)茶色い鬣
2)黒色の鬣

鬣を入れ替えているだけだから体格も全く同じなのに、雌ライオンが求愛行動を示したのは2番だった。
つまりライオンの雌にもてる雄というのは、黒い鬣を持つ雄だという事になる。
しかも面白いのが、これには鬣の長さや豊かさは関係なく、色のみが重視されるという結果だった。

実際の所、黒い鬣をもつライオンというのは茶色い鬣を持つライオンよりも男性ホルモンが多く、また栄養状態も良いのだという事が血液検査で判明している。
そして野外観察においても、鬣が黒いライオンの子供は生存率が高いのだそうだ。

つまり雌は見た目で(相手がぬいぐるみだから匂い説はここで打ち消される)優秀な遺伝子を残せる相手なのだと、黒い鬣の雄を品定めするらしいという事が解った。

反して雄ライオンは鬣の黒い雄ライオンには近寄らず、茶色い鬣のライオンに近寄ってきたのだという。黒い鬣のライオンは自分にとって脅威になる存在だから近づきたくないらしい。
この辺りも自分の子供を守る雌ライオンにとっては、種の存続において大切なポイントなのだろう。

このように人間以外の動物は、外見が重視されるのが男だけなのだから実に面白い。面白いというか解りやすくていい。
最終的な目的が種の保存である彼等は、求めるものもストレートでピュアなのだ。


だが、ちょっと面白い説もある。
人間の雌は自分の種の保存の為に、特徴を身体に現わすように進化した、というものだ。
つまり人間の女性は、自分の生殖能力の高さを見た目に押し出した、最初の雌だという論がある。
勘の良い方はお解かりだろうが、これは女性の乳房についての話だ。

本来なら人間の女性の乳房はこの位置に無くてもいい。体格、または二足歩行においての生活形態、生理的機能においてもちょっと不自然なものだという。
猿の雌が人間の雌に近いのではあるが、猿の雌の乳房は比率で言えば人間よりずっと下の位置にあり、また普段(妊娠や授乳期でない時期)の大きさも全然違う。

最終的な論としては、女性の乳房は男性の視線に沿うように高い位置にあり、また平常時のその種として不自然な大きさは、生殖前に自分がいかに子供を育む能力が高いか、を主張する為に進化した、というものだった。

これはちょっと興味深いと思う。いささか怪しげでこじつけの様な感も否めなくはあるが、確かに人間の雌の乳房は、生殖の為だけに存在する『だけ』とも言い難い。
だが同時に上記の説が正しいとするならば、何故人間の雌だけがそう進化『せねば』ならなかったのか、という疑問が生じる。

私自身がこの説を押すならば(余り押さないけど)、次のように推測する。
まず人間の雄が、種としては個体数も雌と同じくらい多く、また個体数が雌と同じく存在する他の生物に比べて長命であることが、女性の身体を進化させた原因ではないかと思う。

人間の雄が、生物として沢山の優位性・・・・長命や個体数の確保を兼ね備えてしまったゆえ、人間の雌は雄を獲得する為に変わらなければならなかったのではないか?選ばれる雌になる為に自分の身体を進化せざるを得なかったのではないか?

もし他の生物・・・・例えばライオンの雄が人間の雄と同じ優位性を得たら、ライオンの雌も進化したのではないだろうか?
彼等が人間の雄のように長い期間の生殖能力を得たら、選び選ばれる雌の範囲も広がるし、雌は雌で雄を確保する為に何かしらの変化をせねばならない筈だ。

勿論これは『女性の身体は進化した論』を押すならば、の話ですが。
(続く)


*1st(初日分)追加しました。プロフィールです。






『 この世に男が存在せずとも、女は自分の身を飾るのか? 』 ・・・・についての考察(序章)
2003年09月02日(火)


アートメイクをした。っていうか修正なんだけど。一年前に本格的に入れたのだが、薄くなって来たのだ。私の先生は3年間保証付き。つまり、お直しは無料なのだ。何だか得した気分。
こういうのって儲かるのかなあ。だって、払うのは最初の5万円だけで、後は3年間お直しし放題なんだよ?これって安くない?自宅にまで来てくれるしさあ。変な話だけど、何度も修正したいからって、何回も何回も呼んだって良い訳でしょう。・・・・何回も呼ぶ。そんな人いないだろうか。う〜ん。

でも事実、半年もすればこの眉は薄くなってしまって、ファンデーションをつければ見えなくなるほど。『何となく眉のアタリは付けられるけど・・・・?』って程度になってしまうのだ。それを考えるとこれって刺青とやってる事は同じなんだけど、刺青とはちょっと異なるのかも。だって刺青ってそんなにしょっちゅう薄くなったりしないよね?アートメイクは皮膚の浅い部分に入れるからかな?それで落ちるのも早いのかな?

それはともかく、今回は睫毛パーマもしてもらった。でもこれって良し悪し。
私はアイラインをアートメイクでは入れてないのだけれども、(やると顔がとことんキツくなってしまうから)それゆえ化粧でアイラインを引こうとする時に、くるんとなった睫毛が邪魔になってしまってしまうのだ。また使っているのがリキッドアイラインなので、睫毛がアイライナーの筆の毛先を微妙にばらつかせて引く時にどうしても不安定になる。これを考慮すると、睫毛パーマはアイラインとセットでした方が良いかも知れないなと思った。

だけどもこれ以上キツイ顔になるのも嫌なので、アイラインをアートメイクで入れるのは問題だ。それでは使っているアイライナーをペンシルタイプに変えようかとも思ったが、何だか気が乗らず、昨日は思い切ってアイラインを引かないでアイシャドウとマスカラのみ、の顔でお店に出勤してみた。
この方法だとお化粧にかける時間はトータルで10分くらいになる。私が一番時間を食うのはマスカラなのだが、それを入れてもこの時間で終わってしまう。いやはや、こりゃやっぱり便利だわ。

眉毛はもうファンデーションを綿棒で落とすだけでいいし、睫毛をアイロンビューラーで上げる必要も無いのだから考えてみると当然かも知れない。
私の目元は日本のメーカーの普通のビューラーでは角度が合わない。その為今までアイロンビューラーを使わないと目尻まで綺麗にくるんとならなかったのだが、睫毛パーマだとその点は改善されて非常に楽。湿気っぽい日でもカールが落ちる心配が無いのも嬉しい。

で、その10分化粧の評判はと言えば、
・・・・男の人って殆ど!!殆ど!!気が付かないのね。女の子は『あれ?お化粧変えた?』とかちゃんとリアクションがあるんだけど。
アイラインくらいじゃ気が付かないのかな?とは思えど、女の化粧においてアイラインの占めるポジションがいかに大きいか、女性の方々なら解って戴けるのではないかと思う。

『まあ、男の人ってそんなもんよね。髪型変えても気が付かないもんだしさ。』
ママや私のコメントに、20代前半のお嬢さん方はブーイングを出してくる。そんなもんだって諦めて許すからいけないらしい(笑)。
若い男の子のお客様は、そんな彼女等の言い分を聞いて苦笑いしている。

『化粧に拘るのは女だけで、男はそんなもんどうでもええねん。男はみんなスッピンよりスッポンポンの方が好きや!』
と叫んで、お客様のTさん(56歳・某鉄鋼関係重役)は、サオリに教育的指導の鉄拳を食らっていた。さすがにおっちゃんは酒場でのお約束コメントを弁えている。素晴らしい。

だが、彼の次の一言で女の子はのみならず、ママや他のお客様まで巻き込んで、熱い議論が展開される事になるのだ。みんな、ここは酒場なんだから深く考えず酒を飲もうぜ・・・・。

さて、そのTさんのコメントとは。
『女なんか男がおらんかったら、お洒落も化粧もダイエットもせんわい。みんなオバハンになるんや。ズルズルのスウェット着て髪もボサボサで、化粧もせえへんし。ミニスカートも履かへん。みんな男にモテたいから化粧もするしお洒落もするんや。』
である。

(続く)






『 毎月初めに水上が必ずすること 』
2003年09月01日(月)


日曜日は一か月分を買出しに走り、料理の下ごしらえに没頭。


牛肉は安上がりのスジの部分が好きだったりする。でもこれを当日で調理するのは大変なので、一か月分を煮込んで冷凍保存しておく水上なのだ。
この冷凍スジ肉、カレーやオデンのみならず、肉じゃがやお好み焼きやドテ焼きにも使えて、思いのほか便利。プリプリコラーゲンがお肌にも嬉しいしね。

圧力釜もあるのだが大豆で塞がっていたので、別の手段を使って調理時間を短縮。
もう要らなくなった方の電子ジャーで下茹で済みのスジ肉を炊く。(っていうか煮る?)
この手段だと圧力釜ほど時間は短縮出来ないが、30分程でスジ肉は程よく柔らかくなる。
上蓋を外して洗えるジャーで無いと匂いが残るかも知れないけど、これって実は本当に便利なのだ。
黒豆など忍耐の要る難しい炊き物なんかも、保温にしたままほうりっ放しで見事に炊けたりする。


さて炊き上がったら肉を取り出して煮汁を容器に移し、冷まして冷蔵庫へ。煮汁が冷え冷えに冷えたら冷蔵庫から出して、上に浮いた脂分を徹底的に取り除く。
それからシノワにキッチンペーパーを敷き、煮汁をこす。こうすると凄く綺麗な金色のスープの出来上がり。
このスープ、コンソメよりは当然色が浅く、やはり味も薄めなので和風の料理に使える。
肉じゃがも良し、茄子の煮びたしも良し、カツオ出汁よりパンチのある物が欲しい時に便利だ。
ペットボトルに移し変え、冷蔵庫で保存しておく。余り持たないので使うのは早めに。

肝心の肉の方は小分けにしてラップで包み、アルミホイルで光を遮断するように包む。こうするとただラップで包むより持ちがいいのだ。冷凍食品であっても紫外線は痛みの素である。


野菜はカレー用の玉ねぎを大量に用意し、飴色になるまで根気よく炒める。これも小分けして冷凍庫に放り込み、当日の料理時間を短縮するのに役立てるのだ。

人参は毎日のように使うので、一本分を千切りにしてタッパに移し冷蔵庫で保存。炒飯などに使う時は千切りを少しとって、みじん切りにちょちょっと切るだけ。

ジャガイモは5〜10個を茹でて、半分はタッパに移し保存。煮物やサラダにすぐ出来るように。残りの半分はマッシュ状態にして、炒めた挽肉と玉ねぎと混ぜておく。ラップに小分けしてコロッケの形にし、そのまま冷凍保存。当日解凍して衣を着けて揚げるだけ。


ベシャメルソース作りも欠かさずに。これも小分けにして冷凍しておくと、グラタンは勿論スパゲティ用のホワイトソースにも使える。
三分の一はクリームコロッケ用に置いておく。これは水分と分離しやすいから当日に蟹缶と和えた方がいい。和えて置いておいて俵型にまとめてしまうと、口当たりがムラっぽくなってしまうし。

ミートソースも缶詰だと安くていいのだが、やはり作った方がプレーンで美味しい。これも小分けして冷凍保存。
ラザニアなどはその時点で作って保存しておくと、オーブンに放り込んだだけで食卓に出せる。家に多人数が来る時はこんなものでもちょっとは見栄え。


その他、常備するものは月々決まっているもの。
ひじきはフリカケにしたり、炊いたりして冷蔵庫に保存しておく。
こんにゃくは賽の目切り、短冊切り、半切りにし、塩で揉んで下茹でしておく。
大豆も茹でて置いておく。どんな料理にでも放り込めて便利。細かく刻んでドレッシングに混ぜてサラダにかけたりすると、豆が苦手な人でも知らずに食べれる。
あと、トマトソースで煮込んで保存していることも。これも意外と便利です。

買ってきた野菜も長持ちさせたいから、葉物は新聞紙を湿らせてくるんでビニールで包む。
キャベツは芯をくり貫き、キッチンペーパーを水に湿らせた物を芯の部分に押し込んで保存。
当然野菜さんは畑に居る時のスタイルで保存する。人参も立てる、ほうれん草も立てる、ネギも立てる、レタスも立てる、セロリも立てる、キャベツも座らせる。


北の窓と南のベランダを全開にして、汗をかきながら、あぢあぢ言いながら、ガスコンロも全開でフル回転。
まな板も包丁もフル回転。お魚の血飛沫もとってもスプラッタ。流し台には内臓も頭も散らばって、干物籠にはアジが並ぶ、カレイが寝そべる。その他にはイカの残骸もタコの指先も散らばる。
・・・・お魚らぶ♪・・・・冷凍でもらぶ♪
・・・・鯖は特にらぶ♪(生スシは毎日欠かせない♪)

だって月曜日はゴミの収集日だし。夏場の台所は日曜日が勝負どころ。この下ごしらえ日を一気にやってしまって、サクサクとゴミ出し!!
ついでに分別も一気にやってしまう。白トレーのお片づけも、下ごしらえあってこそ捗ろうというもの!!


おうちでご飯は面倒だけど大事だと思う。
原稿詰まって忙しくなっても、お店の方で忙しくなっても、ご飯は手作りにしておかないと、どんどん体力が落ちてゆくってのが、外食続きの時によぉ〜く解ったから。

それに料理で健康維持って、何も栄養バランスだけの話じゃないんだよね。
自分の胃腸の具合に合わせて柔らかく炊いたり出来るから、そういう意味でも大事なの。
やっぱりいかな不規則な自由業と言えど、外食の多いホステス業と言えど、おうちご飯は大切なのです。


ごんごん炊いて、茹でて、炒める。
夏場のガス代はお風呂の分と合わせても8000円くらいですから、普通なのかな?
冬はやっぱり多くなる。お皿洗いでお湯使っちゃうし、もともとの水温が低いから、それを温めるのに要るもんね。
その代わり電気代が夏は凄いです。今月はいかほどかしら・・・・。冷夏だからそんなにいかないかな。

今年の夏の電気代は日本全体で少ないかもね。本当に冷夏って感じだもん。
それにしても、もうローソンにオデンが並んでいたのにはビックリ。

・・・・そ、そこまではまだちょっと早い気がするんですが。






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