ケイケイの映画日記
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2023年04月25日(火) 「ザ・ホエール」




やっと観てきました。舞台劇のようだと思っていたら、舞台を映画化したんだとか。多分他の方は、文学的な感想が多いんじゃないかなぁ。私もとても堪能したのですが、世間様とは違った感想のような気がします(笑)。監督はダーレン・アロノフスキー。

講師としてオンラインで授業するチャーリー(ブレンダン・フレイザー)。同性の恋人アランの自死のショックで引き籠りと過食症となり、現在は270キロにまでなってしまいました。アランの妹で看護師のリズ(ホン・チャウ)だけが親しい間柄で、彼女は親身になってチャーリーの世話をしています。自分の余命が短いと悟ったチャーリーは、8年前の離婚後から一度も会っていない娘のエリー(セイディ・シンク)と、和解したいと願います。

チャーリーって魔性の男ですよ。それも無自覚で聡明な。アランは元々熱心なキリスト教(作品内ではカルト的に描かれていたニューライフ)の家庭に育ち、自らも活動していたと、リズは語っています。教義では大罪のはずなのに、教義的には過ちを犯しても、チャーリーの魅力は抗し難かったのでしょう。アランから告白されています。そして父から勘当され、活動も禁止されてしまい、追い詰められた事が、アランの自死の理由です。

元妻のメアリーは、子供だけが欲しかったから、私と結婚したのでしょうと、チャーリーを詰る。違うと思うな。自分でも性的嗜好は曖昧だったんでしょう。もしくは、蓋をしていた。メアリーとなら、幸せな家庭が築けると、間違いなく思っていたはず。それがアランの告白で、蓋を開けてしまった。

リズは「親友」と紹介文で読みましたが、私は違うと思う。リズは明確に恋の対象として、チャーリーを愛していたと思う。ゲイだと判っているので、密かに胸に秘めながら。チャーリーがエリーと連絡を取るのを、離婚の時の約束違反だからと責めますが、エリーと会うと、彼を独占出来なくなるからだと思いました。チャーリーも知っていたと思うな。リズの気持ちを知りながら、エリーのために貯金したくて、お金が無いので病院には受診出来ないと言い続ける。看護師の彼女は、何くれとなくお金のかからない方法で、彼を介護していました。平たく言えば、利用していたんだよ、リズの事。私はそう感じました。それを友情の美名の元、また本心に蓋をして。

チャーリーの大木のような肩にもたれて、安らぎの微笑みを浮かべるリズ。メアリーも元夫との久しぶりの逢瀬に、同じポーズで微笑みを浮かべる。未練があるのですね。「夫を男に取られたと世間に言われる気持ちが解るか!」と、チャーリーを責める元妻。何十回となく、同じ言葉を吐いたでしょう。同じ妻の立場として、メアリーの屈辱や哀しみには、同情して余りあります。今の酒浸りの生活も、私は責める事が出来ません。8年経っても立ち直れないのは、まだチャーリーを愛しているのですね。「ちゃんと分業出来たでしょう?あなたはお金。私は子育て」。分業ではなく、二人でしたかったんですね。

チャーリーを愛した人は皆、苦しめられたり不幸になる。その最もたるのが、私はエリーだと思う。何度も「8年前に私を捨てた」と言う娘。そうです、父は娘より肉欲が勝ったのです。きちんと養育費を払っているのに、面会権の放棄を妻から迫られても、アランを取ったのだから。母から邪悪と評されるエリー。問題ばかり起こす性悪な小娘に描いています。手紙で娘の様子ばかり聞いてくるチャーリー。母は多分、娘に嫉妬もしていて、その感情を溜め込んで接して来たでしょう。ただでさえ心荒ぶるティーンエイジャー、父は同性愛に走り、母酒浸り。エリー的には、両親ともに捨てられたと同じで、絶望を抑え込むには、邪悪になるしかなかったんだと思う。

魔性男のチャーリーは、自分で自分に罰を与えたんじゃないかな?それが肥え太った醜い姿です。ピザの配達員の様子は残酷ですが、これがチャーリーの望む事だったのかも。周囲の人を不幸にし、異形の身体となった彼が、嫌いかと問われれば、私も好きだと答えます。彼は欲深い男ですが、その欲深さは、罪深いのではなく、人間臭く感じるのです。アランに告白された時、妻と娘とのの「程ほどの幸せ」をチョイスしていたら、今もその幸せを保っていたと思います。でもアランとの至福の日々は、残酷な未来が待っていましたが、チャーリーに後悔はなかったのでしょうね。後悔ではなく、唯一の心残りが、エリーだったのでしょう。

今作でオスカー受賞のフレイザーは、渾身の熱演。巨大になったチャーリーの、知性的で聡明な内面を充分に感じさせてくれます。獣のようにジャンクフードを食す場面では、汚らしいのに画面から哀しみが漂います。「以前もそれほどハンサムではなかったが」と、自らを語りますが、何をご謙遜を。若かりし頃のフレイザーは、それは精悍なハンサムでした。リズもメアリーも、今の肉の塊の彼が、偽物なのだと認識しているんでしょうね。

冒頭で読まれた「白鯨」に関する文章が、何度も出てきます。それが何なのか明かされる時、胸がいっぱいになりました。私の父も女にだらしなく、同居中も別居後も、母は悪口を言い続ける。別居したのは私が18歳の頃、ちょうどエリーくらいです。「あんたたち(私と妹)なんか、あの男はどうでもいいんや。だから捨てた」と言い続けましたが、チャーリーと同じく、ずっと私たちに、充分な生活費を渡してくれました。会う時は「お前たちの事を忘れた事は一度もない」と言うのを、思い出しました。それとこれとは違うようですね。子供的には繋がって欲しいよね、>エリー。子供を思うなら、不倫はするべきではありません。

ラストに映るチャーリーの姿は、残したお金以上に、エリーに勇気を与えるはずです。数奇な経験をした彼女たち皆に、平穏な幸せが訪れるよう、祈って止みません。





2023年04月23日(日) 「聖地には蜘蛛が巣を張る」




ベルギー・ドイツ・フランス・スウェーデンの合作品。知らないでイラン映画だと思って観に行ったら、冒頭で女性のヌードが出てきてびっくり。検閲で通りませんもん。私はそこで、イランの作品じゃないのだと理解しました。これは最初に、イランの話だけど、イランで決して作ることが出来ない作品なんですよと、観客に知らしめるための演出だったんだなと、鑑賞後気づきました。出演者や作り手が、イランに帰国出来ない覚悟で作ったのでしょう。イランに蔓延るミソジニーやその他の宗教的教義の問題点を、嫌という程、描いています。監督はアリ・バッシ。2000年初頭に起こった、実在の事件を元に作られています。

イランの聖地マシュマドで起こっている連続娼婦殺人事件。ジャーナリストのラヒミ(ザーラ・アミール・エブラヒミ)は、事件を追ってマシュマドまで来ました。娼婦たちの足跡を辿りながら、自ら囮となり、犯人を捕まえるラヒミ。犯人は妻子とともに普通の生活をしていたサイード(メフディ・バジェスタニ)。しかし、この後に理解し難い事が起ります。

まずは丹念に娼婦たちの背景を描きます。貧しさを感じる古びた部屋、シングルマザー。客にぞんざいに扱われ、お金を取りはぐれる事も。荒んだ心を慰めるのは、アヘンだけ。人によって彼女たちの見え方は違うでしょう。叫ぶ事も忘れた、彼女たちのひりつく心が私にも届き、とてもやるせない。

残忍な殺し方には、証拠も目撃者もいるのに、警察の捜査は杜撰です。汚らしい娼婦たちは、殺され当然なのでしょう。その思いがマシュマドの街に充満している。

ザイールは軍人会の集まりで、「戦争が続いていたら良かった」と吐露します。イランイラク戦争の事なのでしょう。戦場で輝いていた頃に比べ、しがない土木の仕事に辟易しえいるのでしょう。自分だけ生き残った呵責の念に堪えかねたり、または殺戮の日々に疲弊した兵士たちが、PTSDを負うとの描き方は、数々観てきました。でもこの作品は違う。死や障害を負うのは、神に選ばれし存在だが、自分は選ばれなかったと、不満があるのです。だから神の代りに、イスラムの教義を冒涜する娼婦を殺害し、街を浄化する使命を、自らに課す。

ザイールは異常者です。しかし戦争が彼を異常にしたのではなく、宗教が彼を異常にしたように、私は思いました。

一方ラヒミは、独身というだけで、ホテルの予約もキャンセルされそうになる。職場で上司にセクハラされ訴えたのに、処分されたのは彼女。そう、世界中に「よくある話」。しかし、事件についてインタビューした警察署長まで、ラヒミの部屋に押しかけ、関係を迫る事は、そうそうないでしょう。それが許される土壌が、イランにはある。イスラム教では女性蔑視どころか、女性が憎悪の対象になると、読んだ事があります。自分の母・妻・娘は、女性なのに。

そういう経験が、ラヒミの活動の原動力になっている。私は男たちに選ばれた慎ましい女だと、娼婦を見下す多くの女性たちとは違い、娼婦たちに同情し、女たちが人間扱いされない事に怒っている。アスガー・ファルファディの「別離」で、何故恵まれた中産階級の妻が、離婚してまで娘を国外に連れ出したかったのか、真に迫って理解出来ました。

命からがら、ザイール逮捕に協力したラヒミ。もう警察も見過ごすことは出来ない。しかし私が心の底から震撼したのは、この後です。ザイールが町を浄化したとして英雄視され、国中で彼の無罪を願うシュプレヒコールが起ります。16人を殺害した殺人鬼を、です。

そしてその後の展開が、想像を絶する。あの「嘘」は、最後までザイールに威風堂々として貰わないと、男たちが困るのです。宗教の象徴としての広告塔の如く祭り上げらるザイール。そして、自分たちに都合よく教義や法律を解釈する男たち。彼らによって、正しい倫理観がゆがめられたまま育てられる、多くの男子たち。被害者は女性たちだけではなく、ザイールもまた、教義を操る者たちに翻弄された、犠牲者だったんだと、気が付きました。

ラストのカメラに映る、ザイールの思春期の息子の言動が、哀しくて恐ろしくて、涙が出ました。誰が息子たちに、歪で危険な認識を覆させるのか?ラヒムたち女性だけに委ねるのは忍びなく、大人の男性としての責任で、監督はこの作品を作ったのかと感じます。

私はイスラム教はあまり判らず、輪郭がボヤッと解る程度。数は少なくても、私の観て来たイラン映画は、こんな恐ろしいことだらけの国では無かったです。恐ろしい事だらけの国にしないために、監督は世界に向けて、この作品を作ったのでしょう。監督は主にデンマークで活躍中で、この作品で、カンヌで主演女優賞を取ったザーラ・アミール・エブラヒミも、イランからフランスに移住したとか。いつか二人が、大手を振ってイランに帰れますように。映画好きは必見作です。







2023年04月18日(火) 「パリタクシー」




「梅安2」を観ようと上映時間を観ていたら、二本観られそうだったので、本当に久々のはしごでした。う〜ん、観て良かった!素敵でほろ苦い、大人の寓話です。監督はクリスチャン・カリオン。

借金はあるは、免停寸前だはで、人生ドン詰まりのタクシー運転手のシャルル(ダニー・ブーン)。92歳の老婦人のマドレーヌ(リーヌ・ルノー)を高齢者施設へ送る仕事が入ります。不機嫌をまき散らすシャルルを宥めるかのように、マドレーヌは自分の数奇な人生を語り出します。

まずは撮影当時、マドレーヌと同じ年だった、ルノーが素晴らしい!後半で当初の不機嫌どこへやらで、すっかりマドレーヌに魅了されたシャルルが、妻との電話で、「えっ?美人の客かって?92歳の美しい人だ」と、語りますが、全くもってその通り!マドレーヌとリーヌ自身が同化しているのかと思う程、自然体で余裕たっぷりの演技です。そして、目が童女のようなんだなぁ。

年齢が行くと、水晶体が濁って、綺麗なブルーやグリーンの瞳の人も、グレーになります。それが穏やかで済んだブルーのまま。これまでの人生で、たくさんの物を観てきて、花も嵐も不越えた後の瞳の色こそ、彼女の今の心を映しているのかと感じます。

マドレーヌの人生は波乱万丈。男性に翻弄されそうになるのを、必死で踏み止まった人生でした。しかし、昔(と言っても70年前)は、本当に女性の人権は、フランスに置いても、あってないようなもんだったんだな。「昔は離婚という概念はなかった」「夫に殴られるくらいで、別れるとは言えなかった」。離婚率の高い今のフランス女性は、聞いてびっくりだと思います。人生の後半での、その教訓の使い方も、しなやかで強く、素晴らしい。

当初は現在の境涯に不満ばかりのシャルルが、マドレーヌのウィットと機転に助けられ、包容力=老女力に敬意を感じると、あら不思議。仏頂面は終始笑顔に変わります。「父が教えてくれたの。一つ怒ると一つ老いて、一つ笑うと、一つ若返るのよ」。この言葉、頂きました。シャルルは10歳は若返っていました。

この出会いを一期一会にしたくなかったのでしょう、シャルルはマドレーヌを施設に届けた後(道行きを楽しんだので、大幅の遅刻)、「タクシー代はまた会いに来た時に貰うよ」と言います。シャルルのマドレーヌを慕う心が何をもたらしたか?こうなるだろうとは思いましたが、それでも温かで美しい幕切れでした。

フランスの街並みが絶景との触れ込みでしたが、これは私にはあんまり響かなかったなぁ。ロケが悪いと言うのではなく、私は自覚はなかったけれど、自然の風景の方に心が動くみたいです。

何気なく選んだ作品ですが、大いに笑い、気が付けば泣き、人生は美しいと感じさせる作品です。


2023年04月16日(日) 「AIR/エア」




次は絶対ハリウッド映画が観たいと思っていました。ヒーロー物ではなくて、スター俳優が出ていて、内容も大味ではなく、後味が良い王道の作品。もうこれしかないでしょう!と言うくらい、ドンピシャな内容です。アメリカ人の好きな「we can do it!」的な作品。監督はナイキのCEO役でも出演の、ベン・アフレック。

1984年のアメリカ。ナイキで営業をしているソニー(マット・デイモン)。CEOのフィル(ベン・アフレック)から、不振のバスケットシューズ部門を立て直してくれと指示される。同僚のロヴ(ジェイソン・ベイトマン)やハワード(クリス・タッカー)と共に、試案のあげく、一人の新人選手マイケル・ジョーダンに白羽の矢を立てます。

誰もが知っているシューズ、エア・ジョーダンの誕生秘話です。アフレックは「アルゴ」もそうでしたが、結果が判っている内容でも、盛り上げ方が非常に上手い。「アルゴ」はとてもスリリングだったし、今作も熱気に溢れた、当時の様子に、登場人物と一緒にハラハラしました。

ソニーはバスケットの専門分野には長けているけど、一介の営業職。フィルやロヴ、ハワードには、立場的には水を開けられているようです。しかし、臆せず彼らに物申す様子には、創業当初から苦楽を共にした者同士の、絆も感じます。ソニーは人たらし的傾向があり、誰かれ無しに、強引に無理難題引っ掛けても、結局相手に「ウン」と言わせてしまう。出世には無縁でも、人間的魅力があるのが解ります。

それと仕事への熱気。日本も当時は企業戦士たちが、昼夜厭わず仕事に邁進していた頃、アメリカもそうだったんですねぇ。ソニー以外、当初渋っていたものの、いざ話が進みだすと、アドレナリン上がりまくり(笑)。会社ぐるみでハイテンションで突き進む様子は、そんじょそこらの博打なんか、太刀打ち出来ないよな。こっちは真っ当な仕事なんだもの。ワーカホリックになる人の気持ちが解りました。

でもそこを賛美しているわけではなく、ロヴが離婚した理由も、多分仕事ばかりで、家庭を疎かにしていただろうと、匂わせている。それでも娘と同じくらい会社を愛していると語るロヴ。真摯に仕事に向かう幸福感と共に、切なさを感じます。

馴染みのコンビニの黒人店員から、黒人家庭は母親が全て仕切ると聞くや否や、旧知のジョーダンの代理人デヴィッド(クリス・メッシーナ)を飛び越し、直談判に行くソニー。仕事愛と共に、ジョーダンの母のデロリス(ヴィオラ・デイビス)をしっかり描いた事が、この作品に厚みをもたらしています。

「家庭に尽くす事は、自分の悦びであり幸せである」と、言い切るデロリス。その言葉は、夫や子供の、彼女への敬意と感謝があるからこそ。家族はデロリスに依存しているのではなく、信頼しているのです。だからこそ、勝手に話を進めず、夫や息子の意見にも耳を傾ける。お母さんが家庭を仕切っているのは、何も当時のアメリカだけではなく、今も世界中にあります。それも幸せの一つだと現代の女性たちが認め難いのは、家族が信頼ではなく、依存だったり、家庭からの逃避だったりするからではないかしら?主婦だから当たり前だと、敬意も感謝もなければ、私たちは辛いのです。

この感想を引き出したのは、デロリスをデイビスが演じた事に尽きます。デイビスには、聡明で威厳があり、器の大きさを感じる特性があります。後々に彼女が提示した、当時としては掟破りの条件も、頭が良いなと思わせる。普通に演出したら、業突張りに見えちゃうはずです。スポーツ選手が活躍するのは水物だし、怪我も付き物。引退後の息子の生活も考えていたのでしょう。でも一番は、息子は絶対活躍すると信じていたはずです。損はさえまへんで〜という自信ですね(笑)。

最後に本当の登場人物のその後が挿入されます。ナイキの面々はみんな出世したのに、ソニーのその後は、あまり判らず。エア・ジョーダンの一番の立役者ですが、彼がこの作品を楽しんでくれていたら良いな、と思います。本物のジョーダンも、最後にちょこっと映ります!

華やかな熱気に包まれた、爽快な作品。どなたにもお勧めです。




2023年04月11日(火) 「仕掛人・藤枝梅安2」




前後編の後編です。前作がめちゃくちゃ気に入ったので、早速観てきました。今回は仕掛人たちが、何故この煉獄に身を置くようになったのか、その過去が描かれています。今回も深い闇の中に、血の通う、哀愁に満ちた情感が広がります。今回も素晴らしい仕上がりです。監督は引き続き河毛俊作。

梅安(豊川悦司)の師匠である津山悦堂(小林薫)の墓参りのため、彦次郎(片岡愛之助)と共に、京へ向かった梅安。旅の途中で、彦次郎は因縁深き仇(椎名桔平)を見かけます。直ぐに仇を打つと言う彦次郎。しかし梅安にはそうとは思えず、内偵をします。平甲斐守の家臣・峯山又十郎といい、悦堂と父との縁を語る又十郎を、別人だと確信する梅安。そんな時、京の元締(石橋蓮司)から、浪人集団を率いて市中で狼藉を働いている男・井坂惣市(椎名桔平二役)の仕掛けを依頼されます。

今回も息の合った相棒ぶりを見せる梅安と彦次郎。又十郎の事も含め、初めて梅安に自分の身の上話をする彦次郎。二人が二人とも、親に恵まれず。彦次郎はささやかな幸せですら、井坂に奪われてしまい、天涯孤独の身の上と判ります。苦労の仕方は違えど、この二人の強い絆の源は、自分と同じ孤独を、相手にも感じ取っていたのかも知れません。

幾重にも張り巡らされた因縁。彦次郎と共に仇を追う梅安は、自分を仇と狙う、同じ仕掛人の半十郎(佐藤浩市)を呼び込んでしまう。そして半十郎との顛末が、梅安と言う男を、くっきり浮かび上がらせます。

今作は前作以上に梅安がどういう男か?描いています。るい(篠原ゆき子)の誘いに乗り、彼女に溺れていく若き日の梅安。それは若さ故、と言うのもあったでしょうが、彼自身も、女に溺れる自分を持て余している。自分を捨てて行った母親の事から、自分にはそんな感情が湧かないと思っていたと吐露します。

命からがら、江戸戻ってきた梅安は、真っ先におもんの(菅野美穂)元へ。荒ぶる魂を鎮めるため、女の肌が必要なら、途中の岡場所でも良いはず。しかし梅安は、おもんでなければ、自分の心身が鎮まらないのを知っているのです。るいとは、死んでも良いと思った梅安。しかしおもんには、「死にたくなったから、お前に会いたかった」と言います。これは生きたい、と言う意味でしょう。溺れた女とは死が待つが、情けを持つ女とは生きたいのです。おもんに情は持っても、愛は持たないのは、仕掛人としの分を知り、おもんを幸せには出来ないと、己を律しているのだと思います。

朝に家に戻れば、そこには下女のおせき(高畑淳子)が、主人の帰りを待っていました。自分が留守の間も、毎日朝餉の支度をしていたおせき。「おせき、明日も頼む」と、にこやかに彼女を見送る梅安。おもんと睦み死から逃れ、自分を待つおせきの笑顔に励まされ、明日も明後日も迎えたいと誓ったのでしょう。梅安は生きるために、女が必要な男なのです、きっと。それが叶わぬ身の上なのが、とても哀しい。

半十郎は、何故梅安を狙うのか?武士としての面目ではなく、男としての嫉妬だと思う。「梅安はお前の事など、どうでもいいのだ」とおもんに告げるも、「そんな事知っています!あの方を好きだと思う気持ちが、私の生きる糧なのです」と切り返されます。男として、敗北感がいっぱいだったでしょう。半十郎が道を過ったのは、己の嫉妬心に溺れたからだと思います。

かように、熟年の美丈夫男性たちが、重厚な時代劇で、女に溺れたり嫉妬したりで堕ちていく様が、入念に描かれるなんてね、もうウハウハしてしまった(笑)。

俳優陣は全てが好演。椎名桔平は二役も無難に演じ分け、取り分け真面目で誠実そうな又十郎の中に、卑小さとしたたかさを、ちゃんと忍ばせていました。篠原ゆき子は、綺麗ですが目を見張る美貌ではない。ふしだらも感じさせず、それ故、女性の持つ魔性性は、女性なら誰しも持つのかも?と感じました。石橋蓮司の軽そうで、その実、仕掛の掟に厳格で、懐も深い元締めを、貫禄たっぷり演じています。その愛人に高橋ひとみ。いやー、綺麗!艶やか!私と同じ年なんですよ、この人。若い頃より今の方が綺麗って何事?美貌の秘訣を是非聞いてみたいです。

小林薫の悦堂も、ほんの少しの出演なのに、物凄く良かったです。慈悲と滋味に深い人柄なのが、手に取るように解ります。「腕が上がって、患者が良くなっていくと、鍼が面白うて仕方がなくなる」と語る言葉は、面白い=悦びであったのだろう人なのでしょう。

唯一気になったのは、半十郎の相棒の佐々木を演じる一ノ瀬颯。彼だけ背景がまるで描かれない。仕掛でもないのに、半十郎の因縁に生死をかけるのは、梅安と彦次郎のように、強い絆があるはずです。彼、殺陣はとても良かったです。主役が鍼と吹き矢なので、華やかな殺陣を担う役柄は重要なはず。前作ではそれが早乙女太一で、殺陣も背景も存在感もバッチリでした。戦隊モノ出身だそうですが、背景なしで演じるにはニヒルさも存在感も、まだ足りない。若さのせいでしょうね。せっかく「颯」なんて時代劇向きの名前なのだから、もっと大事に育てたらいいのにと、ちと可哀想でした。

梅安と彦次郎の仕掛けは、ドラマのような荒唐無稽さはなく、知恵を絞り、時間をかけ、一瞬で仕留めるもの。仕留める様子は華麗さはありませんが、緊張感がじっくり持続するので、殺しの場面は、カタルシスを強く感じます。

重厚な作り込まれた時代劇の中に、情感がたっぷり漂っています。「2」だけご覧になっても、充分楽しめると思います。両方良いですが、私は「2」の方が好きです。






2023年04月07日(金) 「主戦場」(Amazonプライム)




今月初めからAmazonプライムで観られるようになったと読み、早速鑑賞。次から次への膨大な情報量に、頭が付いて行かない瞬間もありましたが、期待以上に大変面白かったです。最後に見せる、監督の主義主張が圧巻でした。国が違えど、同じような生い立ちの私には、胸が熱くなるものがありました。監督は日系アメリカ人のミキ・デザキ。

センシティブな内容なので、先ずは私の立ち位置を書きます。私は日本生まれの在日韓国人から、4年前に家族ごと日本に帰化して、韓国系日本人となりました。李明博の「天皇陛下は土下座しろ」には心底怒り、心から恥ずかしく思い、それ以外でも韓国の行き過ぎた反日政策には閉口していました。半面、芸能や若い子たちの文化が日本で盛んに受け入れられ、それを嬉しく思い、嫌韓の心無い言葉には、憤りを感じる自分もいます。私は韓国人ではなく、日本も韓国も愛する、日本に帰化した「日本人」です。政治は表層的+αくらいの理解力で、賢くはありませんが、バカでもありません。以下はそういう者が書く感想です。

監督の主張は、「慰安婦肯定」であるのは知っていました。まずドキュメンタリーとしての構成が上手い。名が知られた人、そうでない人、たくさんの否定派・肯定派がインタビューに答えています。人種は日本人・韓国人・アメリカ人。1/3は、平等に主張を取り上げていました。ふむふむ。

私は歴史というものに真実は無く、あるのは事実だと思っています。これが真実だ!には主観が混じり、事実は客観的証拠の積み重ねだからです。これを痛く感じ、胸に刻んだのは、「ハンナ・アーレント」を観た時からです。

否定派は、慰安婦募集の新聞広告や、高額のお金が入金された通帳や、物的証拠や状況証拠が盛沢山です。なので、「強制連行された慰安婦」ではなく、「売春婦」であるとの主張です。その証拠を、逐一肯定派が論破する。上記の件では、新聞広告を目にするのは、主に女衒だと言う肯定派の主張には、頷きました。だって慰安婦に連れて行かれる層は、文盲だもの。高額の入金通帳も、外地に行かされた女性のもので、そこは貨幣価値が暴落して、お金は紙切れ同然だったと反論。お金は毎月渡されるのではなく、通帳に入金だけでした。

確かね、「サンダカン八番娼館」で、ヒロインの高橋洋子が、何軒かの鞍替えで、最後の雇い主だった水の江瀧子から、形見分け的にたくさん宝石を貰ったシーンがありました。内地に帰り、自分を蔑む周囲の冷たさから自暴自棄になり、宴席で宝石を投げまくっていたシーンは、貨幣に価値がないから、親心で宝石を渡したいう意味だったのかと、思い当たります。当時まだ子供だったので、自暴自棄しか解らなかったですが、違う?

そしてびっくりしたのが、慰安婦には白人もいたとの事。しかし欧米からの圧力で、白人慰安婦は抗議で即解放。うーん、「ハーツ&マインド」で、「黄色人種の命は、白人より軽い」と言った、学者=欧米人の思考と、同じ穴の狢じゃないかと苦々しい。

そして終盤に入り、監督が怒涛の攻撃に入ります。先ずは日砂恵ケネディ氏という存じない方が登場。これが隠し玉と言うか最終兵器と言うか。彼女は桜井よし子氏の後継者と期待されたナショナリストでしたが、あることから、転び伴天連ならぬ、転びナショナリストなりました。ここでの爆弾発言に唖然。でもよくよく考えたら、それ程びっくりする事でもないかと(笑)。ケネディ氏の「ナショナリストを辞めて、心が自由になった」との言葉は、深くて重い。

そして否定派のお歴々の数々の言葉がもう。

「フェミニズムは不細工な女が誰も寄り付かないから始めた事」
→はっ????

「アメリカでは、不細工な女とセックスする時は紙袋を頭に被せる。だから慰安婦像には紙袋を被せた」←何という侮辱!!!!

「韓国は日本が戦争に勝ったから、嫉妬しているんですよ」←えぇぇぇぇ!日本は敗戦国ですよ。何言ってんの????この返答はあんまりなので、インタビュアーが「勝った?」と聞きなおしていましたが、「はい、勝ちました」と答えていてね、本当に耳を疑いました。

全部別の人の発言です。この前のシーンで(いや、後かな?)、日本兵として戦争に行ったと言う90代の男性は、「当時は女性は人間ではなかったんです。」と証言されていました。上記の方々は、戦争前の状況から戦後80年近く経っているのに、全く思考がアップデートされていないのが判る。

いやはや、こんな暴言・暴論がが出てくるとはね。事は慰安婦問題だけではありません。監督は慰安婦問題を通じて、人権の尊重を描きたかったんだなと確信しました。膨大なインタビューは、まさしく証言という事実の積み重ねで、言った言わないの水掛け論は存在せず。

裁判でも、ケント・ギルバート氏など数人の否定派が「自主製作作品だと聞いていた。商業作品として公開するとは聞いていない」との訴えを、製作者側は、「公開することもあると事前に伝えていた」と反論。でもその反論が無くとも、裁判は勝ったんじゃないかなぁ。否定派の見知った人は、いつもの論法で答えていて、主張にブレはなかったですもん。映画とは、例えドキュメンタリーでも、作り手の主張は入るものですから。例え自主製作でもね。それを教えてくれたのは、マイケル・ムーアです。

しかし映画はここで終わらず、もっともっと壮大な展開に。岸信介まで出てくる。私はこの人がA級戦犯で巣鴨の刑務所に入っていて、東条英機の部下だったとは知りませんでした。これは幅広く認識されているんですかね?事は人権問題に留まらず、如何に右傾化する政治は危ないか?とのメッセージでした。

安倍氏の死去から明るみに出て来た、旧統一教会と自民党との癒着。表看板では嫌韓を装い、裏では韓国本国やその他の国でもカルト宗教扱いの教団に、にこやかに祝辞をする安倍氏やその他の自民党の政治家たち。自民党を支持して、甘い汁を吸っていたならいざ知らず、そうではない支持者たちの声が聞かれないのは、どうしてかしら?私が当事者なら、裏切られたと思います。日砂恵ケネディ氏の勇気と胆力は、高潔だと思う。

監督は日系アメリカ人。私は韓国系日本人。私たちのように、血筋とは違う国籍や永住権を持って、その国で根を生やし生きている人は、たくさんいます。そして最大公約数の人は、両国とも愛していると思う。監督は右傾化の進む日本を案じて、この作品を作ったのではないでしょうか?反日映画との評判は、全く持って遺憾に思います。

この作品の公開は四年前。安倍氏死去の後、数々の政治絡みの検挙が出ているのは、偶然ではないはず。コロナ禍で誤魔化されていた現状が明るみに出て、国の状態も少しずつ変わりつつある今、感情論ではなく、この作品を正しく理解する人は、四年前より増えると思います。

さて映画を観た私の見解ですが、強制連行された従軍慰安婦は存在したと思います。劇中出てきましたが、連行と言うと、腰縄つけて夜中に連れて行かれて、と思われがちですが、騙されて連れて行かれても、連行になるのだとか。そして強制。意に添わぬ事を無理やりさせられるのは、強制であるとの事です。これが理由です。

昨年95歳で亡くなった父は、日本兵として出征しています。日本へは数え年の15で来ました。「慰安婦は強制で連れていかれたんではない。みんな知ってて日本へ行ったんや」と言っていました。姑は生きていれば100歳。戦争当時は日本に出稼ぎに来ている舅宅で、夫の帰りを待っていました。「日本に仕事があると言われ、連れて行かれた女の人は、みんな騙されてパンパン(すみません、すみません。原文ママ)にされたと言われていた」と、生前話していました。今思えば、もっと詳しく聞いておけば良かったなぁ。

杉田水脈氏が、またしても「幾らでも嘘をつく」と言っていました。この人、このセリフが好きやな(笑)。同性が言うなんてと、とても嫌悪感のある言葉だと、最後に付け加えておきます。色んな感想があって良い問題です。たくさんの感想が読みたい作品です。


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