ケイケイの映画日記
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2021年06月22日(火) 「茜色に焼かれる」




摩訶不思議な作品です。色々雑な箇所もあり、決して完成度は高くないのに、鑑賞後は、そうだ、そうなんだよ!と、監督とがっちり握手したくなる作品。コロナ禍に監督が込めた思いが伝わってきました。監督は石井裕也。

7年前夫(オダギリジョー)を交通事故で亡くした田中良子(尾野真千子)。営んでいたカフェは、コロナ禍で閉店を余儀なくされ、今は最低時給でホームセンターでパートの日々。中学生の一人息子の純平(和田庵)と公営住宅でつましく暮らしています。ですが、義父の老人ホームのお金、亡き夫が他所で作った子供への養育費など家計は大変で、良子は純平に内緒で風俗でも働いています。気丈にふるまう良子ですが、行く先々で彼女には難関が待ち受けています。

摩訶不思議なのは、一重にヒロインの造形です。気丈にふるまうと書きましたが、それは便宜上。もうバカなのかアホなのか逞しいのか、解らない(笑)。所謂上級国民の老人の過失で亡くなった夫の保険金を、相手が謝らないからと言う理由で、受け取っていないのです。それも「今後も受け取りません」と誓約書まで書いている。義父だって年金相応、または生保を受けて貰って、それなりの施設に移れば済む事。そして婚姻中の夫の浮気で出来た子供の養育費など、払う必要なんてないです。それが、風俗店同僚のケイちゃん(片山友希)への吐露で、良子の内面の怒りが露になると、彼女の心もこちらに届きます。

夫の死因は、現在話題になっている件と重なり、誰でも想起出来るはず。飯塚某のような態度を取られては、そんな金などいるか!となる気持ちも理解出来るのです(実際は相手からの慰謝料ではなく、車の保険金が下りるのだから、貰ってもいいんだけけど)。実際彼女は当時カフェを経営しており、生活には困っていなかったのでしょう。夫は甲斐性なしだったようなので、義父や養育費も、良子の甲斐性で払っていたのかと思います。それがカフェ閉店で、一気に苦しくなってしまったのでしょう。

義父も養育費も、一見ただのお人好しに思える行為ですが、お人好しだけで、風俗なんか女性が働けるもんじゃないです。そこには正妻の意地もあったのじゃないかな?先に子供が出来た愛人より、妻の良子を選んだ夫。でもそれは愛かな?子供の父親は亡くなり、良子から見たら「不義の子」の養育費を、良子が経済的に困窮しているのを知りながら、養育費の値上げを要求するような、愛人は、そんな厚顔無恥な女です。いやいや本物のバカはこの女かも?

夫もバカだったと思う。夫のバンドメンバーたちは、夫の命日に集まっても、ただ騒いで飲み食いするだけ。あろうこうか、良子に言い寄るような奴までいる。そしてたった5000円のお金も良子に払わせる。彼女の夫の命日ですよ?

夫は自分とお似合いのバカ女より、経済力もあり、自分に都合の良い良子を選んだだけじゃないのかな?誰よりもその事を知っているのは、良子自身じゃないかしら?だから、風俗で働いても、意地を通したいのかと思いました。私はそんな女性を知っている。「シークレット・サンシャイン」で、チョン・ドヨンが演じたヒロイン、シネです。

シネのように、良子が精神を病まなかったのは、怒りを押し込め続けたからだと思います。「田中良子は演技が上手い」。これは、彼女が学生時代、劇団で女優をやっていた事だけではなく、「怒らないお芝居」をしていたのだと思いました。本人も、どれが本当の自分か、解らないと言います。

そしてもう一つ。母としては優先順位が解らず、未熟な良子を支えていたのが、賢くて正しい息子の純平。まぁこの子が本当にいい子なんです。この年で、ケイちゃんに「お母さんをよろしくお願いします」なんて、言えますか?
純平の存在が、息子を失ったシネとの違いだと思いました。

もう一人、脇役ながら私の心を揺さぶったのがケイちゃん。良子とは姉妹のような友好関係を結びます。一型糖尿病を患い、父親に性的虐待をされて、天涯孤独のような境遇で、DVヒモ男と暮らしています。ヒモ男と縁が切れないのは、生い立ちが関係しているのでしょう。でも風俗の仕事を嫌い、自分に挨拶する純平に、「いいなぁ、こういうの」と、嫉妬ではなく、満面の笑みを表す彼女は、崩れそうな中、自分を奮い立たせ、自尊心は保とうとしており、健気過ぎて、彼女にも泣けました。ケイちゃんの存在無くば、良子は自分の感情に蓋をしたままだったと思います。

侮辱的な上からの物言いをする弁護士(嶋田久作)、年齢で自分を蔑む風俗の客、そして心の拠り所にしたかった同級生の裏切り。とうとう怒りが爆発する良子。

良子やケイちゃんは弱者です。後ろ盾のなく経済力もなく、学もない人たち。弱者は理不尽な状況でも、黙って怒りを覚えないふりをするしか、生きる術がない。でもこのコロナ禍が、そんな処世術さえ通用しなくなったと、彼女たちを見て、考え込んでしまいます。

弁護士、上級国民、風俗の客、夫やその友達、同級生。男がクズばっかりで描かれたのは、世の中での「上下関係」を端的に表したかったからかと思います。永瀬正敏の風俗店店長が、辛うじてましだったのは、皮肉かな?

私は自分の身の上に起こる理不尽に、怒るのは大切だと思う。寛容さは大切ですが、それとこれとは話が違う。結局劇中、一度も怒れなかったケイちゃんの行く末が、その先を暗示しているように思えるのです。あのお金は、自分の生きた証に使いたかったのでしょう。

怒って感情をクルールダウンさせて、その先を考える事。大事な事だと思います。茜色の夕焼け時、「母ちゃん、大好きだよ」と、良子に言う純平。ほら、男に言われるより、100倍は生きる勇気が湧くだろうが。ここはむせび泣くところなのに、デレデレと「もう一度言って」と言うのが、良子らしいかな?良子とお友達になって、もうちょっと賢い生き方を啓蒙したくなりました。ケイちゃんのお金、大切に使ってね。






2021年06月15日(火) 「Mr.ノーバディ」




あー、面白かった!前日「茜色に焼かれて」を観て、すごく良かったんですが、感想書くのに時間がかかりそうなので、本日見たこの作品から書きます。劇場鑑賞を再開してから、結構重く感受性を刺激される作品が続いたので、「ファーザー」と迷いましたが、感受性をクールダウンしたくて、この作品をチョイス。ラストのコニー・ニールセンの奥さんのセリフに拍手したかったけど、誰もしないので、こそこそ一人で手を打ちました(笑)。監督はイリヤ・ナイシュラー。

冴えない中年男のハッチ(ボブ・オデンカーク)。美しく良妻賢母の妻ベッカ(コニー・ニールセン)とは倦怠期、思春期の息子には疎まれ、幼い娘が懐いてくれているだけが家庭での居場所です。ある事でストレスを抱えたハッチは、バスを乗っ取りやりたい放題のチンピラ相手に格闘し、全員をKO。しかし、その中の一人がロシアンマフィアのユリアン(アレクセイ・セブリャコフ)の弟だったため、以降彼の身に危機また危機が訪れます。

冒頭の毎日のルーティーン場面に笑いました。毎回ゴミ出し間に合わないし、イケてない事この上ないのに、何故か身体は鍛えておる。これが伏線だったわけで。

強盗に一撃食らわさなかったのは、私も相手が女だからだと思っていましたが、一瞬で銃に球が入っていないのを確認したからと語る様子に、あぁ、ただのネズミじゃないのだなと。無線で誰かと語り合うのも、ハッチの背景に謎を呼びます。

仇討ちしたい相手に赤ちゃんがいて、上げた拳を下すも、ストレスマックスのハッチ。大立ち回りは、その発散だと思っていました。強いのは強いのですが、一発二発食らったあと、段々調子が上がる様子は、「久しぶり」だったので、エンジンかけ初めだったのだと、後で解ります。窒息で瀕死の相手に、気管切開してストローで気道を確保する様子に、あれ?と思いました。これ、「ER」でジョージ・クルーニー演じるロス先生が、似たような事していたのよね(その時は自分の胸に差していたボールペンの外側)。何者なの?後から思い起こせば、流れは一味工夫していました。

この事がユリアンの耳に入り、それからはお約束のアクションの嵐。バスの立ち回りは序章に過ぎず、強いのなんの。ハッチは「死して屍拾うもの無し系」では、アメリカでは、いや世界の頂点に立つ三文字の元凄腕。三文字としか言いません。解らない人は教えます(笑)。そこから足を洗った理由も哀愁を帯びています。再び覚醒していく様子は、元FBIだったハッチの父親(クリストファー・ロイド)も同じで、「これが忘れられない」と言い、目が爛々とするのな。

この三文字は、アメリカ映画ではプロットの宝庫。シリアスなら社会派ドラマに、エンタメならこの作品のよう殺戮系アクションやスパイもの。ユーモアたっぷりな所は「レッド」を思い出しました。古式ゆかしくロシアンマフィアが敵役と言うのは、昨今の世相に気を使ったのかと思います。中東とか中国なら洒落にならんし、ロシアはロシアでも、マフィアだしね。ユリアンのキャラは、時間の関係もあったでしょうが、もう少し極悪非道の方が良かったです。

主演のオデンカークは、「ストーリー・オブ・マイライフ」で、四人姉妹のお父さん役の人ですよね?あの時より、無精ひげ、傷だらけの今作の方が、男っぷり10倍アップ!トムちんと同じ年なので、後数年はアクションも大丈夫でしょう。リーアム・ニーソンみたいに、突如アラカンからアクション俳優に転向したのか?的な人もいるし、身体鍛えて頑張って欲しいです。

相変わらずニールセンは綺麗で、良妻賢母が似合いました。欧米は法律でもあるのか?と思う程、夫婦は狭いダブルベッドで眠りますが、夫婦の間に枕で仕切ってあるのは、初めて観た(笑)。嫌なら別室かツインにすりゃいいのに、枕と言うところが、微妙な夫婦の葛藤を見る思いでした(演出の芸が細かいね)。クリストファー・ロイドは、最初老けすぎていて解らなかったです。お茶目ではっちゃけていて、凄く良かった!「my son!」と叫ぶのを、字幕では「せがれ!」と訳していて、場面に合ったなかなか憎い訳で、気に入りました。

冒頭哀愁を帯びた「悲しき願い」(何回もリバイバルしているけど、私の若い時は、サンタ・エスメラルダが有名)が流れ、以降華麗なる殺戮場面に似合う往年の名曲も炸裂。「ジョン・ウィック」や「イコライザー」等、同じような設定の作品は多いですが、この作品もシリーズ化しそうなので、家族愛・夫婦愛で一味工夫をしてくれそうです。次があるなら、必ず観ます!






2021年06月13日(日) 「トゥルーノース」




お話しが始まってすぐから、北朝鮮収容所が舞台の内容なのに、私が想起したのは、ピーター・フランクルの著書「夜と霧」でした。冒頭、語り部の青年が「これは政治的なお話ではありません。僕の物語をお話しします」と語った意味は何だったのか、それを受け取った時、大きな勇気が湧いてくる作品。監督は清水ハン栄治。3Dアニメです。

幼い兄と妹のヨハンとミヒ。彼らの両親は日本からの帰還事業で、北朝鮮に帰ってきた在日朝鮮人です。ピョンヤン生まれのヨハンとミヒは、毎日を楽しく過ごしていましたが、ある日父が政治犯として政府の取締りにあい、母と兄妹は収容所に連行されます。

監督は10年かけてこの作品を制作。脱北者の証言を基に脚本を書いています。凄惨、過酷、非人道的と言う言葉を100並べても、足りないくらいの日々。支配される者に対する、あらゆる拷問や蹂躙が、支配者階級には娯楽となる日常。観ていて目を背けたくなるシーンの連続ですが、きちんと観られたのは、リアリティの薄いアニメだったから。作り手はそこを狙ってアニメにしたのでしょう。

これ、ナチスじゃないの?いいえ、ウイグルだってボスニアの内戦だって。観ているうちに、監督が言いたいのは、北朝鮮を糾弾することではなく、政治の独裁や混乱により、罪もない人々が絶望の日々を送らなければならない、その理不尽さを糾弾しているのだと、理解しました。

それと同時に、過酷な支配と飢えと憎悪の渦に飲み込まれながら、どうして希望を捨てずに生きていくか、それが描かれていました。過酷な毎日でも、隣人を気遣い、母を亡くした子供を我が子のように慈しむヨハンの母。ヨハンは一度は失った人間性を、この母の身の上に起こった事により蘇らせます。母と生き写しの心映えを持つミヒに導かれ、人としての心を取り戻すヨハン。二人を中心とした、収容された人々の密かで強い連帯。私は絶望から人を救うのは、良心だと感じました。良心こそが強靭な、明日を信じる自分を作るのでしょう。

私が一番辛かったのは、兵士におもちゃにされ、妊娠した女性たちが、快楽に耽ったと銃殺されるシーンです。戦争でも収容所でも性的に搾取され命まで奪われ、犠牲となる女性たち。なのに戦争に加担する女性の政治家がいるのは、本当に何故なんだろう?

私がもう一つ謎なのは、北朝鮮を描く作品が日本で公開され、それを目にするはずの北朝鮮系の在日の存在です。何故どこからも声が出ないのか?昔なら祖国たる北朝鮮に親兄弟、親戚がいるから、本音は出せないのは理解出来ます。しかし今はもう、祖国の人の大半が亡くなっているはず。

監督は在日四世だとか。日本名に「ハン」と付けたのは、多分本名をミドルネーム的に監督名義に入れたかと想像しています。在日の出自を明らかにしているのに、清水と日本名を名乗っているのは、帰化していると思われます。インタビューで、幼い頃祖母から外で遅くまで遊んでいると、収容所に入れられるよと言われたと書いてあるのを読み、北朝鮮系(だった)ではないかと感じました。私は帰化して今は日本人ですが、元は韓国系在日。監督より年長ですが、そんな事は言われた事がない。祖母から言われたのは、日本の同年代の人と同じく、「遅くまで遊んでいたら、子取りに攫われて、サーカスに売られる」でした。

監督は自分のアイデンティティを見つめ、映像作家として何が出来るのかと、問うたのでしょう。そしてその思いを、全世界に向けて解き放った作品が、「トゥルーノース」。私の推測が当たっていれば、長年の疑問に、一つ答えを貰ったような気がします。


2021年06月09日(水) 「明日の食卓」




もう泣いた泣いた。10歳の石橋ユウを育てる三人の母全てに、自分の昔の子育ての情景が、走馬灯のように蘇り、三人まとめて抱きしめたくなりました。暗いと言う評価が多いですが、子育てに苦悩する母親の有りのままを描いて、私的に100点満点の作品です。監督は瀬々敬久。

神奈川県に住むフリーライターの43歳の石橋留美子(菅野美穂)。やんちゃ坊主の小学生の男子二人と夫の四人家族です。自ら鬼母と称したブログが好評で、出版化も検討されています。夫は子育てと家事には非協力で、育児に疲弊している折り、夫が失業します。静岡に住む36歳の石橋あすみは、夫の実家の敷地に家を建て、専業主婦です。姑(真行寺君枝)の存在が気掛かりですが、息子は学校の成績も行儀も良い自慢の息子です。しかし、その息子が苛めをしていると疑われ、不安が募ります。大阪の30歳のシングルマザーの石橋加奈(高畑充希)。夫を女が出来、離婚。コンビニとクリーニング工場を掛け持ちし、心身共に疲れ果てていますが、息子の笑顔を心の拠り所に頑張っています。しかし、無情にもクリーニング工場からリストラされ、途方に暮れてしまいます。

とにかく細かい演出が上手くて、唸りました。留美子が朝起きると、ズラッとシンクに置かれた食器やコップ。寝る前に洗っておいたのに、また食器が溜まっている様子は、私も朝から激怒でした。言っても言っても直らないのは、本当にどうしてなんだろう?これだけで一から十まで主婦の留美子の肩に、家事が圧し掛かっているのが解る。

家が駅から離れているので、あすみは夫(大東駿介)の駅までの送迎をしています。夫の勤務地は東京。なのに朝から盛りだくさんの食卓。そして遅い帰宅なのでしょう、夫のお茶漬けには副菜もつけて、お茶漬け海苔ではなく、塩鮭を焼いている。主婦と言うのは、決まった時間にあれこれしなくちゃ行けない。それが深夜や早朝にあっては、一日がどれ程長いか、主婦以外の人は考えた事があるかな?専業主婦であるからこそ、完璧に家事や家族の世話しなくてはと呪縛されている彼女が、観ていてとても辛いです。

加奈の家はプロパンガスが並ぶ東大阪市の府営住宅。息子には笑顔だけを見せるのは、疲れた顔を見せると、際限が無くなるから。そして笑顔を見せる事で、息子に引け目を感じさせたくないと思い込んでいる。

留美子はお兄ちゃんのユウにはストレスをぶつけて八つ当たりし過ぎ。そして次男の躾が甘い(これは有り勝ち)。あすみも、実家同士の格差に卑屈になる必要はないし、夫や姑(真行寺君枝)に対して息子がどう見えるかばかり気になり、表の息子の顔しか見抜けない。加奈も、母一人子一人、親として気張るだけではなく、息子の成長を喜び、本音で向かい合うべきです。

でもね、これは私が彼女たちの母親と同世代で、過ぎ去りし日々を噛み締めながら観ているから、彼女たちの未熟さが解る。いっぱいいっぱいなんだよ、このお母さんたちは。自分に何が足らないか、何が過剰なのか、当事者は解らなくて当然なんだよ。

では誰が助言するのか?夫です。しかしこの夫どもが(怒)。妻が家庭を守っている事に胡坐をかいて、問題が起きても家庭と向き合おうともしない。劇中一度も感謝の言葉もない。加奈に至っては、養育費どころか、あれは元夫の借金を肩代わりしていたのではないか?私が現役で子育てをしていた頃と、子育てを取り巻く状況はほぼ変わっていない。この風景が今描かれることに、震撼しました。

しかしこの作品は、一縷の望みも描いています。失業のやるせなさを妻子に八つ当たりする留美子の夫は、果ては暴力まで振るう。息子を庇いながら、「顔も見たくない!出て行って!」と叫ぶ留美子に「今」を感じ、良く言った!と絶叫しそうになりました.
私の頃は、子供には父親が必要、夫が悪くても我慢して,
夫を立ててと言われた時代を生きた、辛い気持ちが溶けていくようでした。

あすみの夫は、妻子より姑優先の人です。これは私の夫もそうです。自分の実家はおろか、何なら妻子より友人知人を優先されました(今でも恨んでるよ)。夫、父と言うだけで、そんなに偉いのか?実家が一番だったあすみの夫は、自分の母親の奇行の原因を見過ごし、涙ながらに「母さん、ごめんな」と謝ります。これは結婚しても、妻子を一番に出来ない男は、どちらにも中途半端だと言う事です。

彼らは会心したと思いたい。夫を支えているのが妻なら、妻を支えるのも夫だから。子育てのパートナーである父親には、しっかり家庭に向き合って欲しいから。

夫のいない加奈が苦境の時助けてくれたのは、実の母(烏丸せつこ)。同じく貧困に喘ぎ、彼女が子供の頃は決して良き母ではなかったでしょう。でもあの通帳は、娘への母のありったけの愛です。

四番目の石橋ユウの母(大島優子)の吐露に、留美子は、あれは私だったかも知れないと思う。私も同じことを思いました。四人とも、身体のどこを切り取っても、子供への愛が迸る、そんな普通のお母さんたち。思春期の入り口に立った、難しい年頃の息子たちへ、あなたを愛している、あなたがいない生活は、お母さんには考えられないとぶつかり合い和解する様子に、また号泣しました。

私が長男を産んで直ぐの時、この子は昨日今日私の元に来たのに、どうして私の人生の最初から居たような感情に包まれるのかが、自分で不思議でした。子供を生き甲斐にするのは駄目ですが、私は子育てを生き甲斐にするのは、良い事だと思っている。子育てなら、何時か終わりが来るから。この作品を観て、子育ての終わった私たち世代が、温かく現役のお母さんたちを見守ってあげなくちゃと、痛感しました。女性たちが、まだまだ悪しき呪縛や洗脳で苦しんでいるのなら、そこから解くのも私たち世代。私も出来る事がいっぱいありそうです。


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