ケイケイの映画日記
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2021年03月30日(火) 「ミナリ」




本年度オスカーの作品賞候補作品です。全編ほぼ韓国語で描かれますが、製作はアメリカ。80年代、移民してきた韓国系アメリカ人を描いています。私には痒いところに手が届く内容で、郷愁も感傷も感慨も、全ての感情を揺さぶられた作品です。監督はアメリカ系韓国人二世のリー・アイザック・チョン。これは私の映画です。今回はネタバレです。

1980年代のアメリカ。ジェイコブ(スティーブン・ユアン)とモニカ(ハン・イェリ)夫婦は、小学生の娘アン(ノエル・ケイト・チョー)と、幼児のデビッド(アラン・キム)と伴い、韓国からアメリカンドリームを求めて、アーカンソーの片田舎に移民してきます。農業で身を立てる夢を持ち、アメリカに来るも、ジェイコブが購入した土地は荒れ果てており、困難を極めます。生計を立てるため、夫婦はひよこの選別作業もしていて、喧嘩の絶えない毎日。一計を案じたジェイコブは、モニカの母スンジャ(ユン・ヨジョン)を韓国から呼び寄せます。

冒頭、用意されていた新居は、家ではなくトレーラーハウスだった事に茫然とするモニカ。お金も充分ないのに引っ越したのは、夫の独断だとわかります。かいつまんだ会話やのちの祖母の言葉で、この夫婦の背景が描かれます。

アメリカに移民したのはアンが生まれてから。五歳くらいのデビットはアメリカ生まれ。当初はアメリカでも都会で暮らしていたのが解ります。ファーストネームがアメリカ仕様なのは、グリーンカードを取得しているからでしょうか?出稼ぎではなく、アメリカに骨を埋める気なのでしょう。

デビッドは生まれつき心臓に疾患を持ち、頃合いを見て手術しなくてはなりません。「デビットの手術費用は手をつけないでよ!お金はどうしたの!?あなたの実家に渡したの!?」と罵るモニカ。盛大で派手な夫婦喧嘩に、アメリカに渡ったって韓国人だなぁと思い、クスクス。いやね、韓国人の喧嘩って派手なんです(笑)。日本の人にはすごく見えたかもですが、この状況でまだましだなと思いました。

それと「実家に渡したの?」です。当時の韓国の男が何より大事にするのが、自分と自分の実家(今の韓国は知らん)。今より40年ほど前の時代背景で、私よりこの夫婦は一回りくらい上の年齢のはず。うちの夫も当然そうです。何せ妻子の優先順位は友人知人以下。夫・父が外で嫌な事があれば、妻子は当たられて当然、モラハラ当然の価値観。結婚10年くらいでモニカが当時の韓国の価値観に食ってかかれるのは、二人とも韓国から離れて暮らしているからだと思いました。翻って日本に暮らす韓国人は、日本もこの価値観が浸透しており、ずっと縛られて暮らす事になります。もちろん日本・韓国の男性でも、例外はたくさんいたはずですが。(尚私は結婚30年くらいから、この作品のモニカ以上に夫に食ってかかっているので、ご安心を)。

この甲斐性なし、子供の事を考えているのか!と腹が立っても、アメリカでは実家にも帰れない。私も母が結婚5年くらいで亡くなり、実家はないも当然だったので、もう上映開始10分くらいでモニカに共感しまくりです。

デビットを家に置いていけず、仕事場に連れていくモニカ。仕事になりません。打開策として、ジェイコブはモニカの母スンジャに韓国から来てもらう事にします。私は上記で韓国の男を罵っていますが、ジェイコブを見ていると、この価値観に縛られて、男性側もしんどかったのではないか?と感じます。ジェイコブは優男で夢見がちな人で、聡明でしっかり者のモニカに、自分には無いものを感じ、魅かれたのでしょう。トレーラー暮らしを気に入るデビットに、「そのことをママに言えよ」と告げます。妻の機嫌を取る姿に、モラハラ上等の価値観を信じて疑わない男どもより、ずっとましなんじゃないかと思い出し、ジェイコブも好きになります(顔も好き)。

そしてスンジャ。この人が何を隠そう、私の母方の祖母そっくりなのです。気が強く苦労もしているのに、泣いた姿を見たことがない。韓国は長らく西洋医学を受診するにはお金がかかるため、漢方薬が発達していました。母方の生業が漢方医だったこともあり、作中出てくる煎じた漢方薬を、私も虚弱だったので、子供の頃もう何年も飲まされました。苦いの何の。でもあんなに嫌だった煎じ薬が画面に現れた時、香り迄思い出し、懐かしさと言ったらありません。

デビットにお土産は?と言われ、花札を差し出すお祖母ちゃん。うちのばーちゃんも好きでしたよ。私に母札を教えてくれたのも祖母。私は韓国語がわからないのですが、祖母もスンジャのように、きっ品の無い煽り言葉を言っていたと思います。そして極めつけは、プロレスが大好き(笑)。もう大興奮しながら観ていました。自分の贔屓のレスラーが防戦一方になると、お決まりの言葉は「このレフェリーは金貰っている!」(笑)。今解った。私がプロレスが好きだったのは、祖母の影響なのです。

アンとデビットには「お祖母ちゃんらしくない」と不興を託つ、お茶目でワイルドなスンジャですが、字が書けないスンジャと違い、私の祖母は両班の出で、女学校には女中さんと馬車で通っていたとか。なので、祖母の家には近所の在日の人が、ひっきりなしに来ては、手紙を代読、代返していたのは記憶しています。この事を祖母が私に自慢した事はなく、自分の子供や他人に自慢したのは、祖母とは仲の悪かった私の母です。これも今気が付いた。ばーちゃんの方に似て良かった(笑)。

生い立ちが全く違うのに似ているのは、血の気が多い国民性もあるし、氏より素性なんじゃないかと思いますね。それから家事もしっかりしていたし、私は祖母が好きでした。お祖母ちゃんらしいって、何かしら?揺ぎ無く孫を肯定し愛することじゃないかしら?それならスンジャも同じです。だって煎じ薬を捨てた器に、おしっこ入れてお祖母ちゃんに飲まそうとしても、庇ってくれるんだもん!

スンジャから聞き、デビットを説教する場面で、垂直に万歳の格好で立たされるデビット。これはお仕置きの時のポーズだと聞いた事があります。父は椅子に座り腕組みし、妻・母・娘は後ろで立って神妙に見つめる。家長はジェイコブで有ると言う表現です。家族で一番の年長者である祖母に、孫が狼藉を働いたとは、儒教の精神に則れば犯罪級(多分)。家長の面目丸つぶれのジェイコブは、デビットに木の枝を取って来いと命じます。これはそれで叩くのです。私はされたことはないですが、躾の一環として、本人に枝を取ってこさせて、それで叩くのだとか。夫は自分の父親にそうされたらしいです。そしてデビットが持って帰って来たのは、木の弦のような細い物(笑)。スンジャが「デビットの勝ちだね」と言うと、拳を収めるジェイコブ。「お前、父親を舐めているのか?!」と辺り構わず物を壊す父親も多かったあの時代(こんな風に書き連ねていると、韓国の男は本当にろくでもないな)、私は頼りなくてもジェイコブは、やはり優しい人だと思いました。

韓国人ばかりが出てくる中、重要な白人として登場する人物がポール(ウィル・パットン)。ジェイコブ一家が韓国人だと判ると、「僕は朝鮮戦争に行ったんだ」と答え、一家の手伝いをしたいと申し出ます。ポールは材木を十字架のように背負い、辺りをしょっちゅう歩いているので、村人には変人で通っています。彼が善意の人であるのは、ジェイコブ一家への接し方で疑う余地はありません。思うに戦場に行った事が、繊細なポールの心を傷つけてしまったのでないか?十字架を背負う事も、ジェイコブ一家に力を貸す事も、彼にとっては贖罪なのでしょう。ベトナムや湾岸での戦争で、病んでしまった元兵士は描かれますが、朝鮮戦争だってそうだったのだと、監督は言いたかったのだと思いました。当初は変な人だとポールを毛嫌いしていたモニカですが、彼女も敬虔なキリスト教徒であることから、次第にポールに信頼を寄せます。

立ち行かぬ農場に焦りを覚える夫婦。そんな時、スンジャが脳溢血で倒れます。長らく韓国の男女の価値観である、家長の行いには絶対服従に縛られているのは、モニカも同じ。しかしついには夫に離婚を進言します。今育った作物の引受先が決まらなければ、同意すると言う夫。

デビットの受診に家族四人で都会に出ます。何と田舎暮らしが良かったのか、デビットの心臓の穴は小さくなっており、手術の必要はなくなりました。このままこの暮らしを続ける方が良いとの主治医の言葉に、喜色満面のジェイコブ。作物の出荷先も決まり、意気揚々です。これで離婚は回避出来たと喜ぶ夫に、妻はそれでも別れると言う。ジェイコブは自分が甲斐性がない事に妻が不満で、それさえ乗り越えれば夫婦仲は円満だと思い込んでいる。しかし妻は、苦しい時辛い時、妻の心に寄り添ってはくれず、意見さえ拒んだ事が哀しいのです。共に人生のパートナーとして歩んだ手応えの薄さが哀しいのです。本当に本当に解るよモニカ。

暗い気持ちで家路に着けば、農作物が置いてある納屋が火事に。体の自由が利かず、家族に迷惑をかけている事が辛いスンジャが、せめて役に立ちたいとごみを燃やしたものが引火したのです。茫然とする間もなく、懸命に作物を出す夫婦。モニカが命がけで作物を出すのは、夫がどんなに丹精込めて作った野菜かを知っているから。しかしジェイコブは途中で作物を出すのを止め、「ヨボー!」と必死でモニカを探します。亡我の妻を外に引っ張り出す夫。

余りの事に死のうとする祖母を、子供たちが追いかける。「お祖母ちゃん、そっちじゃない。お家はこっち。一緒に帰ろう」。何度も笑ったり涙ぐんだりしましたが、ここが一番泣けました。

そしてその後、最初の水探しにはジェイコブ一人だったのが、今回はモニカも同伴。二人の夫婦仲はすっかり元通りに。ジェイコブはやはり優しい人です。お前の母親のせいで!とは言わないのよ。モニカは丹精込めた作物より妻の命を優先し、スンジャの事も問わない夫に、夫婦としての愛情を実感したのでしょう。そして命がけで作物を守ろうとする自分に、夫への愛情を確信したのだと思いました。夫婦は愛情が残っている間は、別れないのが正解だと思います。

デビットは祖母が倒れた時、「お祖母ちゃん、アメリカに来なければ良かったね」と言います。それは韓国なら倒れなかったと言いたいのか、お祖母ちゃんが来てから、良い事がないと言いたいのか、判りません。でも私は思う。モニカが必死に家族の幸せを祈り、ポールも共に祈ってくれた一家。現象としては災いばかりでしたが、それを跳ね返す力を一家に与えてくれたのは、スンジャが来てからです。何も役に立てなかった彼女こそ、幸運の女神だったのじゃないかしら?それがラストシーンに繋がると思いました。

ラストシーンで、川面に盛大に育ったセリ(ミナリ)を見て、ジェイコブは「
お祖母ちゃんのお手柄だな」と呟きます。セリの種は、スンジャが韓国から持ってきて、蒔いたのです。彼女はその時言いました。「煮て良し、鍋にして良し、ナムルにして良し。手もかからず育って、セリはいい事尽くめだ」。雑草のように自力で逞しく育ち、どんな環境にも柔軟に調和する。在米の韓国人はセリのようにアメリカと共生してきたのだと、取りました。私は明確なラストシーンだと思いましたが、どうも巷では判らないとの感想が多いようです。でもセリでジェイコブ一家が生計立てたと信じた方が、安心するでしょう?(笑)。なので、私の感想に一票入れて下されば幸いです。私には忘れられない作品。


2021年03月21日(日) 「KCIA 南山の部長たち 」




韓国の故・朴正煕大統領の暗殺の顛末を描く作品。冒頭に史実を基にしたフィクションとテロップが流れます。良くある事ですが、鑑賞後は、この事を噛み締める事になりました。監督はウ・ミンホ。

1979年の韓国。絶大な権力を誇った朴正煕。側近である大統領直属の中央直属部(KCIA)の当時の部長に暗殺された史実を基に、登場人物を仮名にし、その内幕が描かれます。

私は日本に帰化した在日韓国人なので、多分日本の人とは感想が異なると思います。当時私は高校生で、日本の新聞にも一面に掲載。両親は、在日の環境にも影響が及ぶかもと、とても心配していたのを覚えています。

この作品に描かれているように、朴政権はほぼ独裁政権であったと記憶はしていますが、「漢江の奇跡」と呼ばれる経済政策で、貧困に喘いでいた韓国を、一気に経済的に底上げした功労者であり、大きな二面性を持つ大統領です。まず作品では、功罪の功の描き込みが少ない。

大統領を演じるイ・ソンミンとキムKCIA部長を演じるイ・ビョンホンが、「あの時は良かった」と、二人とも日本語で会話しているシーンがありますが、これは朴正煕だけではなく、キムも日本の士官学校に通っていたのだと、表していたのだと思いました。

権力者の孤独を描けば行き着く先は、猜疑心と傲慢。それが卑小さへと繋がるのは解りますが、その孤独に行き着くまでも悪漢に描かれている。そして同じく暗殺された警護室長も小賢しい巨漢の男で、スマートで知的、温厚なキム部長とは対極で、観客への刷り込みが過ぎます。相反するように、何故キムがそこまで追い詰められたかは、とても丹念に描かれています。そのせいか正義感から大統領を成敗したかのような、どす黒い華やかな解放感を感じる暗殺シーンでした。

何故キムが大統領を暗殺したか、韓国では大統領の寵愛を受けた側近であったのが、その立場を警護室長に奪われ、その焦燥感からキムは心身に破綻を来たし、暗殺に及んだと言うのが、韓国の見解。対して実際のキムの裁判での証言が挿入されますが、「大統領を殺さねば、韓国は国として立ち行かなくなるから」と言う証言を基に、作られた作品だと言うのがわかります。

うーん、でもなぁ。何度も政権の反対勢力として、野党の党首・キム・ヨンサム(ここだけ何故実名?)の名前が出てくるのに、日本でも記憶に深い当時のもう一人の野党党首・金大中が出てこないのかしら?この人、危険分子扱いで、日本でKCIAに拉致されるは、国内で軟禁されるは、果ては死刑宣告まで受けて、のち大統領になる人です。それってこの作品で描く憂国の士キム部長に不利になる事だからかな?この辺は私も韓国の史実は深くわからないので、関係ないかもしれません。

片手落ちの描き方に、少し落胆しました。フィクションとしてのみ鑑賞すれば、「人に人格があるなら、国にも格がある」と、野蛮な大統領の行為を諫めるキム部長のセリフや、アメリカ高官の「君の国はマフィアか?気に入らない政敵は拉致して殺して」のセリフに、過去を振り返り懺悔する気持ちも感じて、政治ドラマとしては、悪くない出来です。


2021年03月10日(水) 「ステージ・マザー」




先週土曜日は何を観ようかと迷っていたところ、親愛なる映画友達の方に勧めて頂き、観てきました。そうそう、こう言う作品が観たかったの、とっても良かった、素晴らしい!母と息子「たち」の物語を軸に、良妻賢母と言う呪縛からの解放も描いていて、息子三人を育てた私から観たら、1を描けば10解る世界観で、津々心に響きまくった93分です。監督はトム・フィッツジェラルド。

聖歌隊の指導をしている主婦のメイベリン(ジャッキー・ウィーバー)。サンフランシスコに住む一人息子リッキーの訃報が届き悲嘆に暮れます。ドラッグクィーンの息子を否定する夫は、行くなと止めますが、メイベリンは強引にサンフランシスコに向かいます。そこで息子がバーを経営していた事、夫のネイサン(エイドリアン・グレニアー)は事実婚なので、店の経営権はメイベリンに移った事など知ります。

華やかで毒々しい葬儀に敬虔なキリスト教徒であるメイベリンは絶句。まぁ当然ですよね。でも葬儀の時、神父的な役割をしていた年長のドラッククィーンが、リッキーの好きな物として、メイベリンを指さし「マスカラ!」と叫んだのは、やっぱり故人の気持ちを尊重しているのです。「メイベリン」は化粧品メーカーで、マスカラが一番有名なんです。カジュアルなブランドで、日本で言えば、キャンメイクみたいな感じかな?「名前がメイベリンだなんて。せめてロレアルなら良かったのに」と言うセリフにも笑いましたが、男性は意味が解ったかな?

サンフランシスコは多分同性婚可能だったと思いますが、生前リッキーはメイベリンの許可があってからと、ネイサンとは結婚には至らず。同性の事実婚の法律上の問題点も挿入しながら、例え国が同性婚を認めても、親に認めて貰いたい子供の願いも描き、この辺は胸が痛い。私は息子三人なんで、一人くらい申し入れがあっても、さほど困惑しないと思いますが(夫は発狂すると思う)、リッキーは一人息子、結婚を認めなかったメイベリンの気持ちも解る。そして、それを一番今後悔しているのは、彼女だと思うのです。

店は閑古鳥が鳴き、閉店寸前。メイベリンに対して塩対応のネイサンや年長ドラッグクィーンに対して、若手のジョアンナ、エリック、チェリーの三人娘は、好意的な態度。そこにはLGBTに対しての世間の認識の緩和が、年齢層に現れているのかと感じます。それと同時に、若手三人組は、メイベリンに対して、素直に「母」を感じ取ったのだと思います。

シングルマザーのシエナ(リューシー・リュー)。リッキーとは親友で、彼が一生に育てようと言ったので、この子を産んだと言います。赤ちゃんの名前はリッキー。私事ですが、昨年9月に初孫が生まれました。親になったら生きている限り親ですが、子育てはもうだいぶ前に終わったので、母性と言う本能は減少しています。それがあなた、孫が生まれたら一気にまた母性の器が満たされていくのですよ。とても不思議な感覚です。リッキーが育てようと言ったなら、赤ちゃんリッキーは、メイベリンに取って、孫も同然。メイベリンが店やリッキーが紡いでくれた人たちに向ける母性愛としか言いようのない愛情を引き出したのは、私はシエナの赤ちゃんだと思います。

三人娘に口パクではなく歌を教え、下品だったショーは官能性たっぷりの
ゴージャスなショーへ。店の内装を変え、「娘たち」の私生活の難儀にもズケズケ乗り込み、バッタバッタとなぎ倒す。猪突猛進のその姿が眩く見えるのは、メイベリンが「お母さん」だからなのですね。「娘たち」は今まで恵まれなかった母の愛情を貰い、メイベリンはリッキーに与えらえなかった愛情を、彼女たちに与える。幸せな関係のみ描いているのは、作り手が「お母さん」と言う存在に、敬意を表してくれているのだと思いました。

メイベリンの夫は、息子が亡くなっても彼を否定し、頑なにマチズモ的思考を変えません。同じ年頃の男性たち四人で、フットボールだか野球だかをリビングで観覧。メイベリンは甲斐甲斐しくお世話するだけの風景は、私にも経験があります。私の夫が今でもあのままなら、とっくに三下り半を渡して、私は離婚しています。世の中の価値観が変化しても、進歩も成長もしない夫。メイベリンはそこが嫌なのです。一人息子の死が、メイベリンを狭い世界から解放したのだと思いました。

あれもこれも、心に残るエピソードが満載ですが、私が好きなのは、メイベリンが息子を否定するエリックの母親に、「エリックは立派よ。私は息子が亡くなって、もう会えない。是非店に来て彼の唄を聞いて欲しい」と涙ながらに言う場面と、和解したネイサンが、「今から歌うのは僕のママです」とメイベリンを紹介する場面。メイベリンも「あなたは息子」と言いました。あっ、シエナが傷ついた時、「ずっと傍にいて」と、メイベリンの手を握るシーンも良かったなぁ。息子たちが中学生の時、熱が出て介抱している時、「お母さんが手を握ってくれたら、熱が下がる気がする」と言ってましたっけ。

ジャッキー・ウィーバーが素晴らしい!小柄で声も可愛く、どこにこんなバイタリティーがあるんだろう?と言う感じですが、それはお母さんだから、で納得してね。若い時はさぞ可愛かったんでしょう。高校生の時から彼女に片思いしていた人が現れますが、納得のキャスティングです。まっ、こんなに頑張ったんだもん、ロマンスくらいいいよね(笑)。華やかで孤独な悩める子羊たちに、ありったけの母性を注ぐ、お母さんて素晴らしい!と言う作品です。


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