ケイケイの映画日記
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2020年09月22日(火) 「窮鼠はチーズの夢を見る」




男性の同性愛を描いて、狂おしく官能的、辛くて甘美な作品です。現役ジャニーズの大倉忠義が、全裸のファックシーンに臨み、お尻まで見せちゃうので、びっくりしちゃった。監督は行定勲。

エリートサラリーマンの恭一(大倉忠義)。ある日、大学の後輩の今ヶ瀬(成田凌)に再会します。今ヶ瀬は探偵をしており、恭一の妻から浮気に関して調査して欲しいと雇われたと告げます。証拠を隠して欲しいと頼む恭一に、今ヶ瀬は学生時代から好きだったと告白。口止め料の代わりに、関係を迫ります。

成田凌って、こんなにお芝居上手だっけ?と、感嘆するほど上手い!その乙女っぷりたるや、恍惚としてしまう程。そしてその中に、ちゃんと男の情念も燃え盛っているんだなぁ、これが。あのくるんくるんの睫毛、パーマしたのかしら?

対する大倉は、当初演技が浅く、主演同士がこれ程演技力に差があって、大丈夫か?と危惧しました。だってクズだけど魅惑的なはずが、クズしか浮かび上がっておらん(笑)。難役ですが、それは成田凌とて同じはず。大倉って、若い頃の美輪様=◎丸山明宏に似てるよなーと、半分くらいまで、そればっかり思っていました(笑)。中盤からは持ち直し、ホッと致しました。

恭一の妻が、遅くにお風呂に入っていて、恭一に裸を見られると狼狽している。浮気して帰ってきた恭一が、「俺も入ろうかな」と言うと、「すぐ出るね」と言うのよね、まだ新婚に近い若夫婦なのに。あー、他の男に抱かれた後なんだと、私でも気づくんだ。でもこのバカ夫は、自分の浮気の気配を消すことに必死で気づかない。なので、男がいると告白する妻が、「気が付かなかった?何でも私の好きでいいよって、私に決めさせて。そういうの、気持ち悪い」と言う感情が、凄く良く理解出来ました。

この流れ、すごく良かった。恭一は冒頭、妻を大事にしたいと言っています。なのに「セカンドでいいから」と妻以外の女性から迫られて、あっさり関係を持っています。要するに、妻を大事にする夫で有る自分が好きなんでしょう。
そこには妻への想いはなく、愛なんかないわけ。

恭一は、情けないほど来るもの拒まずの男。なので弱みを握られているとは言え、ストレートなのに同性でも陥落させられる様子は、無理がありません。そして自分に向ける、今ヶ瀬のひたむきな愛情。IKKOが、長年のパートナーだった男性はゲイではなく、ストレートだったとか。「その人にゲイになって貰うのじゃなく、私の事を好きになって貰うのに、三年かかった」と言う話を思い出しました。

段々に女性といるより、今ヶ瀬といる方がリラックスする恭一。それでもスマホをチェックし、少しの事にも悋気を爆発させる今ヶ瀬。わかるなぁ。だって男なんだもん、自分は。いつ女性に取られるか、気が気ではなかったはず。恭一が「俺は楽しかったんだよ。でもあいつは、ずっと辛かったと思う」と言う言葉が、恭一から出てきた時は、嬉しかったな。

「あなたと居ると辛すぎる。でもあなた無しでは生きられない」と言うキャッチコピーは、トリュフォーの「隣の女」でしたが、これを思い出しました。今ヶ瀬は、恭一が性的にだらしないクズだと解った上で、愛しています。「好みとか、そんなのどうでもいいんですよ。好きになったら関係ない」。これは私も若い頃から、ずっと思っている事です。

別れと寄りを戻すを繰り返し、腐れ縁のようになる二人。そこへ魅力的な女性や男性が入り込む。恭一がゲイの人たちの集まるバーに一人で行き、泣きながらすぐ出るシーンがとても切ない。恭一はゲイになったのではなく、今ヶ瀬を好きになったんですね。それをまざまざと自覚したから、泣いたのね。

女は来るもの拒まずだった恭一が、今度は今ヶ瀬を待つため、拒むのです。これを成長と言わずに何と言おうか。恭一に、本当の愛を教えてくれたのが、たまたま同性の今ヶ瀬だっただけです。

これも大昔読んだ記述ですが、作家の佐藤愛子が、「本当に大好きな人がいて、毎日辛くて、その人が死んでくれないかと思った」と書いてありました。きっと今ヶ瀬の心境はこれなのでしょう。ひとめ惚れから10年近く、さぞ切ない恋だったことでしょう。

と言う事で、何度かおばさんのアタクシも、切ない涙を流しました。場内はもう老若の女子ばっか!主演の二人のファンと言うより、原作ファン、BLファンなのかと思います。私の年代は思春期に、「風と木の唄」や「ポーの一族」、若い頃は「モーリス」等、一連の英国美青年ブームを経験しているのでね、すんなり作品の世界観に入って行けました。男性の感想が聞いてみたい作品です。


2020年09月21日(月) 「オフィシャル・シークレット」




約二か月ぶり、大変ご無沙汰しておりました。九月に入り、コロナの第二派も少し落ち着いたかな?と言う頃合いで、映画館に復帰しております。復帰第一作がこちら。本当は政治的な社会派、サスペンス、思い悩む人間ドラマはスルーして、洋画でひたすら心温まる作品が観たかったのですが、それらは時間が合わず。で、結局政治的な作品に。ご贔屓のキーラ主演なので、まぁいいかと思いきや、遠いはずの題材が思い切り身近に感じて、社会に対して、純粋で真摯なヒロインに感激してしまいました。とても良心のある作品です。監督はギャビン・フッド。

 2003年1月。英国の諜報機関GCHQ(政府通信本部)の職員キャサリン・ガン(キーラ・ナイトレイ)は、米国の諜報機関NSA(国家安全保障局)から送られてきたメールに震撼。そこにはイラク戦争を強行したい米国政府が、そのために必要な違法工作を英国政府に依頼したものでした。正義感からその情報を反政府団体にリーク。しかし情報はキャサリンの思惑を超えて、新聞の一面に大々的に掲載されたのです。政府の犯人探しが始まり、彼女は窮地に立たされます。

キャサリンは当初正義感から、義憤にかられた一市民として、反政府活動をしている元同僚に情報をリーク。それは諜報部員としては反逆的な行為です。
キャサリンにはトルコ人の夫(アダム・バクり)がおり、難民認定が下りなかった夫は、週に一度、在留資格を延長しています。そんな家庭の事情もあり、告発の後、怖気づいてしまう彼女。この辺勇気はあるが、私たちと何ら変わらない、善良な小市民であることがわかります。

疑われる同僚。見当違いの目星がつけられ、良心の呵責に耐えかねたキャサリンは、自ら自分がやったと申告します。私が目を見張ったのは、ここからです。

仲の良かった同僚は、「あなたは勇気がある。あなたは正しい事をした」と、涙ながらにキャサリンに告げにきます。「あなたは悪い事はしていない」と、反対に慰めるキャサリンに同僚は、「でも正しい事もしていない」と、きっぱり返答します。あー、と私が嘆息。同僚はキャサリンの行いを見て、自分を恥じているのです。これ私だよなと思いました。キャサリンの行動を、機密漏洩として、非難する向きもあったでしょう。でもキャサリンが身近にいたとして、私も彼女の味方をしたい。でもでも、私も「正しい事」をした記憶なんて、何もありません。

裁判で裁かれることになったキャサリン。国選弁護人は、「私は離婚など民事専門なの。私ではこの裁判は勝てない。人権派の弁護士を紹介するわ。頑張って」と、ここでも陰ながらキャサリンを応援する人がいます。紹介された先が、エマーソン(レイフ・ファインズ)でした。

ここからが怒涛の展開。キャサリンは職業人としては規律違反を犯しましたが、人としては「正しい」事をしたまで。一面にしたのは、政府のオブザーバーの新聞社です。要するに提灯持ちの新聞です。ガセだとしたら、会社は転覆するはず。しかし危険を冒しても、ジャーナリストの矜持が、社運を賭けても民衆に届けたかったのです。「正しい事」をしたはずが、当初逃げ腰になってしまったキャサリンですが、周囲のうねりや励ましの中、幼い正義感が、強靭な正義感に変貌していきます。政府に向かい合い、裁判に向かい合い、夫に向かい合い、そして自分にも向かい合う。刑事の尋問に、「君は政府に使える身でありながら」と言われると、「私は国民に使えているのであって、政府に使えているのではない」と、きっぱり反論する場面が、強く印象に残っています。このセリフを聞くだけでも、現在の日本の政治家にも、観て欲しいと本当に思いました。

晩期にはスキャンダルにまみれた前政権が、コロナ禍の中、正体見たりと民衆に叩かれたのは、自分たちの納める税金の使い方が、あまりに杜撰だったからです。身近に感じる事で、これ程世の中は動くのかと、少々驚きながら眺めていました。戦争、難民、その他諸々。民衆がキャサリンのように弱者の辛さを身近に感じる時こそ、世の中は変わるのです。念願の選挙権を手にした今、誰が平和をもたらしてくれるのか、しっかり見つめていきたいと思います。


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