ケイケイの映画日記
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2020年07月29日(水) 「透明人間」




何か時代遅れ感のある題材だなぁと思いつつ、監督がリー・ワネルなので鑑賞。これが私にはとても他人事だと思えない作りで、ホラーを題材にした、秀逸なスリラーだと思います。

天才科学者にしてソシオパスのエイドリアン(オリバー・ジャクソン=コーエン)を恋人に持つセシリア(エリザベス・モス)。エイドリアンのモラハラや束縛に恐怖を抱いた彼女は、妹の助けを借りて彼の元を脱出。セシリアの拒絶を儚んだエイドリアンは自殺。これで解放されると安堵したセシリアですが、そこかしこに、死んだはずのエイドリアンの陰を感じ、精神が苛まれます。果たして彼は生きているのか?

冒頭の脱出シーンからして、既にスリルがいっぱいです。エイドリアンだけではなく、緻密に用意周到に物事を運ぶ様子は、セシリアも高い知能を持っているように見受けられます。美しい容姿に高い知能。それがエイドリアンが彼女を手放さなかった要因だろうと思います。しかしいくら用心しても、アクシデントが起こるのは世の常。その見せ方も上手い。

当初は本当にセシリアの長きに渡る恐怖から解けない怯えのように演出されて、ここも上手い。知性的な彼女は病んで行き、周囲も狂人扱い。ボロボロになった頃、「透明人間」は明確に姿を現します。この筋運びも上手い。彼女の訴えは普通に観れば精神病なわけで、そこもエイドリアンの思う壺。袋小路にセシリアを追い込んで行く様子が、心底恐ろしい。

何故私が自分に重ねたかと言うと、ソシオパスと思しき人物と対峙した事があったから。明確なドクターの診断が下されたわけではなく、エイドリアン程の高い知性があったわけでもないので、実際はソシオパスもどきです。しかし両者に共通するのは、「息を吐くように嘘をつく」「良心がない」です。

私は矢面にこそ立ちましたが、バックにたくさんの人がいて、一枚岩になれたので、社会的に何の問題もなく完全勝利出来ました。でも言い換えれば、たった一人の、ほんの欠片の地位を利用した人間が、口先三寸で何年も自分の周囲を傍若無人に牛耳っていたのです。これを討つのに、何十人の人が結集して臨んだわけ。たった一人では無理だと断言します。

なので、セシリアの状況には現実ではあり得ないのに、私には真に迫って感じ、同情と同時に恐怖も蘇りました。具体的には書けませんが、私もあんなことこんなこと、そりゃ神経を病む事の連続でしたが、私が下りれば、その他の何十人の人の生活がめちゃくちゃになるのが判っており、それで踏ん張れました。自分一人のためならば、あんな強靭な精神力は生まれません。

そんな貴重な体験があったので、その強靭な精神力を、たった一人で相手に向けた事に敬服しました。普通に観たら、さぁ面白くなってきた、だと思いますが、私は本当に感動しました。あのラストに、何か他に救いはなかったかと思われる人もおられましょうが、私は声を大きく言いたい。「無い」です。

エイドリアンの具体的な異常な描写は、車のフロントガラスを割る様子くらいで、それ以外はセシリアの供述だけです。それでも「ソシオパス」と表現するだけで充分にストーリー展開が通用するのは、アメリカではそれだけこの言葉が社会に浸透しているからかと思いました。エイドリアンの嘘を確信していたセシリアですが、それでも迷いがあったでしょう。決定づけたのは、「サプライズ」と言う言葉だったと思います。

エリザベス・モスは大奮闘。美人でグラマラスな人ですが、美貌をかなぐり捨てて、脱出シーンや発狂したような様子をすごい形相で大熱演。今後また見たいと思わせる女優さんです。

私は詐欺師もソシオパスだと思っています。あなたが仲良くしている人で、自分以外の人と話すのを嫌がり、他の人を遠ざけようとする人はいませんか?嫉妬ではなく、嘘がばれるのを恐れているのかも?何かおかしいと感じ、具体的な証拠があがれば、その相手とは距離を置いて、金輪際関わらないようにして下さい。身の安全はそれしかありません。


2020年07月07日(火) 「一度も撃ってません」




鑑賞して受ける層は、中高年に限定されるでしょうが、とっても面白かった!ハードボイルド仕立てのコメディですが、人生の先達方が楽し気に演じているのを見て、すごーく感慨深いものも去来しました。監督は阪本順司。

74歳の売れないハードボイルド作家市川(石橋蓮司)。定年退職した妻弥生(大楠道代)と二人暮らしです。市川は「伝説のヒットマン」と噂される人物ですが、実は殺しは小説にリアリティを出すため、「下請け」に出し、その詳細を聞いていたのです。しかし自分も敵のヒットマンから狙われたため、妻に浮気の疑いをかけらてしまいます。

とにかく往年の花も実もある役者の方々が、みんなカッコいい!トレンチコートを引っかけて、ウィスキー片手の石橋蓮司なんてね、頭の薄さも味方につけてしまう程、男の年輪を感じるのね。50年来の仲間のヤメ検石田(岸辺一徳)も、最近では「ドクターX」のアキラさんが若い人には浸透しているでしょうが、善人なのか悪人なのかわからない、その得体の知れない感が、今回もとっても良かった。

私がすごく感慨深かったのが、元売れっ子ミュージカル女優のひかる役の桃井かおり。奔放に艶っぽく、ポパイ(新崎人生)がマスターの、行きつけのバーにお出ましになり、カウンターの上で、けだるく「サマータイム」を歌う様子なんぞ、私が子供の頃から知っている彼女が、そのまま年齢を重ねていました。何が嬉しいってね、円熟なんて全然してないの。昔のままなの。

ところが、今じゃ落ち目のひかる、昼は立ち食い蕎麦屋で素顔で働くおばちゃんなんです。ひかる=桃井かおりじゃないのに、一瞬落胆してしまいました。でも現実的です。むしろ、昔のプライドを捨てて、地道に暮らしている立派な人です。でも私が感慨深かったのは、そこじゃない。

今のヒカルの暮らしはどうであれ、本来のひかるは、ポパイの店での彼女です。自由奔放、天真爛漫、大人になれないおばさんなのに、それが幼稚ではなく、平たい言葉で人生も語る。そして自らを婆さんと認めながら、誰もが周知する現役の女性です。人間年取ると黄昏系に傾いて、人生の蘊蓄を垂れたり、枯れる事でまた輝こうとする。何か姑息でしょ?

誰にも迷惑かけずに生きているなら、今の自分でいいのよね。今は老後が長く、私もいつお婆さんになればいいんだと(来年還暦デス)、くよくよ思っていましたが、嫌なら成らなくてもいいんだよ。一番素敵な頃の自分で、死ぬまでいていいんだと、この作品のお歴々を見て、痛感しました。

内容的には、勘違いすれ違いを基にしたコメディです。大げさな振りもなく、当初の果て?これはどういう訳?的な伏線は、後で気持ちよく拾ってくれ、小枝の謎も腑に落ちました。

ですが、そんなに笑える場面も多くなく、大人の哀愁に満ちたシーンも多く、全体にふり幅が中途半端な感じはしました。それと若い世代と熟年とのギャップも描かれていましたが、どこかでリスペクトとまで行かなくても、お互いが融合する場面も欲しかったです。

他にも佐藤浩市、江口洋介、豊川悦司、妻夫木聡の主役級のベテラン勢も、冴えない役や怪しげな役を楽し気に好演。その他も名のある役者もいっぱい出ていましたが、それぞれきちんと見せ場を作って印象に残す脚本と演出は、お見事でした

「顔立ちが綺麗で、固い茹で卵みたいよね、あの奥さん(弥生)。市川はあんな女好きよ」と言われた大楠道代も、大映時代の奔放なコケティッシュさは影を潜め、今では熟年の良き奥様がとても似合うのは、これが本来の彼女の持ち味って事かな?楽しく気の利いたセリフも多く、楽しかったです。ひかるが石田に、「死ぬまでに一回やろうねー」と言うんですが、70前になって、そんな事言える相手がいるって、いいなー。私も10年後言えるかしら?(笑)。


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