ケイケイの映画日記
目次過去未来


2019年04月29日(月) 「ある少年の告白」




驚きました。大昔ならいざ知らず、現在もゲイと言うだけで、それを「正す」矯正施設があるなんて。監督は俳優としても堅実に仕事をこなすジョエル・エドガートン。この作品では矯正施設の院長も演じていますが、その理不尽さを問いたかったのでしょう。この作品も実話です。

田舎町の大学生のジャレット(ルーカス・ヘッジス)。心優しく誠実な青年です。牧師の父(ラッセル・クロウ)と優しい母(ニコール・キッドマン)に育てられ、何不自由ない生活です。しかし、ある一本の告発電話が父に届き、ジャレットはゲイの疑いをかけられ、初めて両親へ自分の本心を告白。父の勧めにより、矯正施設へ通うことを余儀なくされます。

ジャレットが自分がゲイだとはっきり認識したのは、実はレイプなのです。男性同士の性暴力は軽んじられる事が多いですが、痛ましさに性別の違いはないはず。彼の場合、認識のあやふやさな時の、自覚を恐れる情緒不安定な様子も切ないです。しかしその不安定な様子がすごくリアル。世間にカミングアウトする人腹の座った人たちしか、私たちは知らないのです。この不安定さを託つ思春期の子達を、私たちは理解してあげなくてはと感じました。

この施設は、一応キリスト教を名乗っていますが、正規のカウンセラーもおらず、プルグラムも偏見に満ちたもので、実態は月3000ドルを詐取する詐欺まがいのもの。印象深かったのは、ホームドクターであろう女性医師が、ジャレットがプログラムへ参加する事に「私は同性愛には反対だ。でもあなたのご両親は間違っている」と語った事です。医学的根拠がまるでない事が、示されています。何が恐ろしいかと言うと、そんなまがい物の施設へ、父や数人の牧師が集まり、即座に施設に通うことが決まってしまう事です。

プログラムの内容も唾棄すべき物で、延々性行為の内容と当時の感情、その事への反省を語らせます。まるでポルノとして、矯正側が楽しんでいるのかと感じ、怒りに震えます。「マグダレンの祈り」を思い出しました。

このように、同性愛への偏見の糾弾としては文句ありませんが、親子の葛藤部分が甘い。グラマラスでスウィートな母はチャーミングで、でも聖職者の妻としては、些か違和感がありました。なるほど、のちのち、夫から抑圧されていると語ります。夫から解放されたい心境の表れだったのかも。でも確かにジャレットが矯正施設に通うことを承諾したのは、「お父さんの言う事をきいて」と、目配せする母がいての事ですが、それだけじゃなぁ。

台詞で語らずとも、演出で父の怖さや服従の辛さを表現できていれば、子供を救いたい母の勇気溢れる行動が、もっと浮かび上がったのにと、そこだけ残念です。例えば目の動き一つでも、名優ラッセル・クロウなら期待に応えてくれたはず。見せ場のあったニコールはまだしも、ラッソーにはこの役、役不足に感じました。キリスト教の宗教としての闇は、色々な作品で描かれていますが、その点への踏み込みも、もう一息でした。

日本では孫がいる年代の女性たちが、若かりし頃コミックで同性愛文化を受け入れる土壌が出来ており(成人してからは映画でも!)、そんなのは日本だけかと思っていましたが、どうも欧米でも柔軟に思考できるのは、女性のようです。「普通」とは何なのか?自分と違う人を恐れず、理解や共感は出来ずとも、礼節を忘れず尊重するだけで、世の中は暖かく回っていくはず。エンディングの本物の両親とジャレットとの笑顔に、強くそう感じました。


2019年04月19日(金) 「ビューティフル・ボーイ」




映画を観て泣くときは、色んな涙があると思います。感動、哀しみ、切なさ。でも辛くて辛くて泣き続けたのは、しばらくぶりの気がします。薬物依存症患者を持つ家族の姿を描いて、私は依存症の怖さより、子を思う親の愛情の深さや痛ましさの方を、痛烈に感じた作品です。監督はフェリックス・ヴァン・ヒュルーニンゲン。

心優しく優等生のニック(ティモシー・シャラメ)。父デヴィッド(スティーヴ・カレル)と母ヴィッキー(エイミー・ライアン)は、彼が幼い時離婚していますが、父の元で成長し母とも行き来があります。継母のカレン(モーラ・ティアーニ)とも良好な関係で、年の離れた可愛い弟と妹にも慕われています。それがある日、遊び心から薬物に手を出したニックは、坂を転げるように依存症に堕ちていきます。

人は自分や大切な人が闇を抱えた時、あれが悪かったのだろうか、これがいけなかったのだろうかと、思い悩み、答えを求めると思います。答えが解れば、対処方の糸口になるから。この作品の闇は薬物中毒。この作品を観る限り、理由は何もありませんでした。

優等生である事がストレスだった、父親が管理しすぎだ、ステップファミリーの中孤立した、実母の愛情が足らなかったのだ。この作品の背景で、ニックが薬に手を出した理由を論うには、幾らでもあります。でもどれもこれも関係ないと、私は断言したい。ただの遊び心、興味本位が招いた末路は、ニックと彼を愛する人々に、地獄の苦しみを与えたのです。これこそが、依存症の恐ろしさではないでしょうか?だから、誰しもがなる可能性があると。

父デヴィッドの姿が、ニック以上に痛ましい。怒りと哀しみが混濁し、一晩でも息子がいないと、狂ったように探し回る。時には大声で息子を怒鳴りますが、そんなの当たり前です。そして息子を理解しようと、果ては自分も薬物を試す。カレンと幼い二人の子との生活は、心ここにあらず。寂しさや不満を隠して、夫を支えるカレンの様子に、また切なさがこみ上げます。

そんな共依存一歩手前の夫を救ったのも、またカレンでした。逃げ去るニックを、車で猛スピードで追いかける彼女。泣きながらです。胸に去来したのは、私の家庭を壊すこの悪魔!もあったでしょう。でも大半は、どうしてお父さんの気持ちがわからないの?弟妹も、あなたが大好きよ。そして私も。帰ってきなさい。私はこちらだと思います。子連れのニックと結婚した時、夫の全てを愛そうと決めていたのでしょう。

ニックを追いかける車に、妻カレンの慟哭を見たデヴィッドが、その時真っ先に心配したのは、カレンが事故を起さないか、無事なのか?だったと思います。自分の人生を捨てて息子を救うのが自分の使命と思い込んでいたデヴィッドは、息子は人生の大切な一つ。自分には他にも守るべき者がいると、憑き物が落ちたのだと、その後の展開を見て感じました。

使命感は、執着の愛だったのかと思います。離れていた期間が多い実母ヴィッキーが、「あなたやカレンには感謝している。でも私はあきらめられない。あなたの助けが必要なの」と、涙ながらに別れた夫に訴える姿にも、また泣きました。ものすごく理解出来ました。精根尽き果てても、子供を救いたい。それもまた子を思う親の愛情です。この作品は、そんな親の姿の是非を問うのではなく、暖かく寄り添っていたところに、非情に感銘を受けました。

シャラメは繊細な演技で好演でしたが、堕ちていく過程で、もっと薄汚くても良かったかと。その方が、平穏時の美しさとの対比が明確になったと思います。カレルの演技は圧巻。母親とは異なる父親の愛を、知的にリアルに演じていました。とにかくこの人、何を演じても上手い!継母ティアーニは、私が大好きだった「ER」で主要キャストでしたが、久しぶりに観た役が重要な役で嬉しかったです。控えめ演技で、継母の愛を好演しています。

エンドロールで、この作品が実話だと知りました。誰も死ななかったけど、死ぬ一歩手前はたくさん出てきた。実話だと知り、なるほどと頷きました。死ななかったのは、運が良かっただけなんだよ。奇跡のようなオチが実話だと言うのは、依存症に苦しむ人々への、大きな光明になると思います。たくさんの人に見て欲しい作品。


ケイケイ |MAILHomePage