ケイケイの映画日記
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2018年07月29日(日) 「ワンダー君は太陽」





観れば感動するのだろうなぁと思いつつ、今までの難病ものの焼き直し的な気がして、延ばし延ばしにしてたのを、二週間前に鑑賞。だいぶ経ってしまいましたが、予想を遥かに超える秀作でした。自分の記憶に留めるためにも、書いておきたいと思います。監督はスティーヴン・チョボスキー。

トリーチャー・コリンズ症候群と言う顔の障害を抱えた10歳のオギー(ジェイコブ・トレンブレイ)。大好きなママ・イザベル(ジュリア・ロバーツ)とパパ・ネート(オーウェン・ウィルソン)と姉ヴィア(イザベラ・ヴィドヴィッチ)に囲まれた、仲良し家族の末っ子です。今まではママが勉強を教えていましたが、今年から学校に行く事になりました。顔の障害を気にするオギーを、懸命に励ます両親と姉。しかし、幾多の困難がオギーを襲います。

まず感心したのは、巧みな構成です。鑑賞前は、オギーの頑張りと家族の励ましで、困難を乗り越えめでたしめでたし、だと思っていました。それが、オギーに掛かり切りの両親、特に母に対しての姉ヴィアの寂しさが描かれていました。可愛い弟のため、自分はいい子でいなくちゃ、と言う自分自身を呪縛する思い。そして「あなたは、本当に手のかからない良い子」を繰り返す、母の”呪いの言葉”。今までヴィアを救っていたのは、お祖母ちゃん(ソニア・ブラガ!)の、「お祖母ちゃんは、あなたが一番大切よ」と言う”祝福の言葉”だったと言う挿入も、行き届いています。頼りのお祖母ちゃんは亡くなり、ヴィアの憂鬱に拍車をかけます。

ヴィアと姉妹同然だった、ミランダ(ダニエル・ローズ・ラッセル)のパートは、そうではないかと予想した通り。ヴィアとは違う孤独を託つ彼女の感情は、周囲で心当たりがあるのでは?離婚するなとは言わないし、いつも夫婦仲良くも、言うつもりはないです。ですが、その時子供はどう感じるか?親はその事に目を逸らさないで欲しい。

オギーの同級生ジャック(ノア・ジューブ)のパートは、子供の世界は大人の縮図だと痛感。ジャックは母子家庭のようで、奨学金も貰っており、自分が標的にならないよう処世術のつもりが、オギーを心底傷つけてしまうのです。仲直りのシーンには、オンラインを使っており、確かにこの方が謝り易いなと、今時の子供事情も上手く使っています。

特異な状況のオギーと違い、皆々、ありふれた子供たちの葛藤だと思います。大人の義務として気付いてあげなければと、痛感しました。

そして、友情に裏切られたオギーとヴィアの傷心を救うのに、黒人の男子女子を使うなんて、技あり!裕福な子弟ではあるでしょうが、彼らも差別に晒された経験があるのではないでしょうか?それがオギーやヴィアに同情するのではなく、共感し理解する糸口になったと思います。

さて主軸になるオギーのパートで私が感じたのは、同級生の苛めを乗り越えるには、月並みですが、家族の愛情だなと言う事。イザベルのキャラは、私はもっと猛母かと思いきや、養育に熱心なところは感服しますが、等身大の母親像で、とても理解出来ました。ヴィアは母が学問を諦めた事を惜しんでいましたが、何、それくらい母親なら当たり前で終わります。だって子供の方が大事だもの。

それよりヴィアに対しての心配りが足りなかった事を突きつけられて、謝らずに喧嘩。そして後からヴィアの幼い日々を思い出し涙するなんて、私かと思いました(笑)。一生懸命前を向きながら、でも取りこぼしもある不完全さ。これこそ、母親そのものだと思います。ジュリアは論文を書くインテリにも、才能あるアーティストにも見えなかったけど、あの明るい笑顔が家庭を照らす、とても素敵なお母さんでした。

そしてパパ。飄々として、強引な妻の尻に敷かれているようで、絶妙に家族各々に助け舟を出すパパ。頼りないようで、実は家族を温かく抱擁しています。イザベルのようなお母さんは、多分子供が障害を負った場合、最大公約数の母親だと思いますが、ネートのような父親は、極々少数派だと思います。イクメンより、母と子供たちをしっかり見守る父を、私は新しい時代の夫たちに望みたい。

一つだけ気になったのは、オギーの家庭が裕福であった事。障害児は裕福な家庭に生まれるとは限りません。イザベラが付きっ切りでオギーの養育に当たった事が成功したように、傷害の程度により、両親どちらかが働かなくても生計が成り立つよう、国から助成金が出ればいいなと思いました。そんな税金なら、喜んで出します。

アメリカのモンペまで出てきて、そっくりそのまま、日本を舞台にリメイクも出来そうなくらい、国の垣根を越えて、全ての親子の心に響く作品です。もうじき終映ですが、是非DVDでも良いので、親子でご覧になって下さい。


2018年07月16日(月) 「バトル・オブ・ザ・セクシーズ 」




良かった!すんごいすんごい良かった!私はね。私はテニスは観るだけで、学校の授業でやったくらいで、それほどファンじゃありません。それでも学生の頃は、女子はナブラチロワとエバートが二代巨頭で、割と熱心に観ていた記憶が。もちろんこの作品のヒロイン、ビリー・ジーン・キングも功績と共に知っていますが、こんな史実が合ったとは。私の最近のキーワードは「不屈」「元気」「自由」なので、とても心境にマッチした作品です。監督はヴァレリー・ファリス&ジョナサン・レイトン。

1970年代のアメリカ。全米女子テニスの女王、ビリー・ジーン・キング(エマ・ストーン)。彼女は女子の優勝賞金が男子の1/8である事に反発。会長のクレイマー(ビル・プルマン)に訴えるも、すげなく却下された事に反発し、賛同者を募って女子だけの協会を設立。ビリーの友人で、優秀なアドバイザーのグラディス(サラ・シルバーマン)は、スポンサーを程なくゲット。女子だけの大会を開催し人気を博し始めた頃、元世界王者のボビー・リッグス(スティーブ・カレル)が、ビリーにエキジビジョンマッチを申し込みます。彼は男性至上主義者の55歳。イロモノ扱いされるのは御免と、一度は申し込みを断るビリーでしたが、ボビーは有力選手のコート夫人にも試合を挑み、勝利します。世間の目が、また男性にだけ傾くのに反発したビリーは、ボビーの挑戦に受けて立つ決意をします。

テーマは「誇り」だと思います。フェミニズムやウーマン・リブと言う言葉から、何を連想するか?男性と平等の権利を得て、自由な生き方を選択したいと言う願い、だと私は思っています。そこには、女性は男性より上だとか、男性のように生きたいとか、それは含まれていないはず。あくまで女性として、男性から敬意を払って欲しい、ただそれだけなのです。記者の不躾な質問に、ビリーは毅然と答えます。「私はただ敬意が欲しいだけなの」と。

男性至上主義のブタと自ら名乗るボビーですが、実はダメ亭主の自分を認識しおり、愛する大富豪の妻プリシラ(エリザベス・シュー)に認めて欲しくて、この対戦を企てます。そんな事は、妻はちっとも望んでいないのに。
男性至上主義のブタとは、テニス協会理事長のジャック(ビル・プルマン)やその取り巻きたちです。台所とベッドのみ、女性を愛しているのです。
決してビリーたちを認めない。

お話はビリー対ボビーや賃金格差のみならず、同性愛も絡んできます。ビリーは当時既婚。マネージャーの役割を果たす誠実な夫がいます。自分はノーマルだと思っていたビリーの前に現れた、自由奔放な美しき人マリリン(アンドレア・ライズブロー)。運命の恋に落ちる時は、あんなものなのでしょう。私が思うに、女性が相手なので、周囲や夫にはばれにくいと思ったのじゃないかな?これが男性相手なら、却って一線は飛び越え難かったと思います。

色んな要素を含んでの内容ですが、私が一番痛感したのは、男尊女卑の世の中を牛耳っているのは、一部の特権階級の男性だけではないのか?という事。ビリーもコート夫人も、経済的な大黒柱は彼女たちです。特にコート夫人は子供もおり、ツアーには夫が寄り添い子供の世話をする。この夫あればこそ、彼女はテニス史に名を残す名選手となり、女性としての幸せも手に出来たはず。ビリーもコート夫人も、絶対夫に感謝していたはずです。この「感謝」が、当時も今も、男性には欠けているのです。

奇想天外なアイディアで、道化のようなショーマンシップを発揮するボビーですが、彼も「男の沽券」の犠牲者です。ギャンブルが止められない自分を妻に賞賛して貰うには、「男」として世間から脚光を浴びることだと思っている。この幼稚な男の妻はしかし、「私は一緒にいて楽しいあなたが好きよ。でも私は「夫」が欲しいの」と涙ながらに語ります。すごーくすごーくわかるよ、プリシラ。でもあなたも、男の沽券に捕らわれている。

どちらが勝ったのかは、知らなかったので、結構手に汗握りました。終わった後、誰にも知られないように咽び泣くビリーに、貰い泣きしました。もう感情をコントロールする必要はなく、吐き出しているのです。尊厳を勝ち取ろうとするパイオニアは、一身に背負った肩の荷を降ろしたのでしょう。この人たちを、本当の孤独にしては、いけないのです。

ビリーと夫、ボビーとプリシラ。二組のカップルのその後が素敵です。各々「ねばならない」と言う呪縛や、「男の沽券」から自由となり、間柄を再構築させています。女性の解放は、男性を苦しめるプレッシャーからの開放にもなるのだと、痛感しました。

エマは顔の半分が目じゃないかと思うくらい、大きな目が印象的ですが、めがねを掛けると、この役にはちょうどいい塩梅(笑)。短くしたヘアは良く似合っており、知的でホットなビリーを好演。カレルは、こんな役やらせたら、もう最高!愛嬌と哀愁を共存させ、常に軽躁状態のようのボビーを好演。悪役ながら、それはフェイクと思わせたのは、彼の名演技のお陰です。地味ですが、マリリン役のアンドレアは、とても演技巧者で、私は大好きです。。女性の名バイプレーヤーで、私はローラ・リニーの立ち居地を継ぐのは、彼女だと思っています。今回も芯は強いのに、ふわっと軽やか、ビリーのために自分は何が出来るのか?と思慮深い女性を演じて、すごく良かったです。

ハリウッドの男女の賃金格差、「me too」運動の是非など、女性を取り巻く環境はまだまだ男女対等とは言えません。でも少しずつ、時代は動いている。あのクリス・エバートが、インタビューでこの対戦はボビーが勝つと予想をしているのを観て、当時なら私もそう答えたろうな、と思いました。でも今なら、絶対ビリーに勝ってほしい!と、答えます。この40年が、私を少しずつ変えたのです。男女とも、手を携えて世の中を変えて行かねば。フェミニズムの敵は、決して男性全てではありません。


2018年07月04日(水) 「焼肉ドラゴン」




監督は在日からは非難囂々の映画「血と骨 感想1」「血と骨 感想2」の脚本を書いた、鄭義信。「血と骨」は、親族・在日の知人で、マジな話、褒めた人がいない作品でした。私なんか腹立ち紛れに、罵詈雑言の感想を前後編で書いたくらい。しかし今回鄭義信はメガホンも取り、それをチャラにして倍に返してくれたような出来です。作品の完成度云々ではなく、ハートで観る作品。今回は日本の方にわかり辛い部分もあるでしょうし、解釈&感想のネタバレです。長文になると思うので、読んでいただく方は、好きな所だけお読み下さい(笑)。

大阪万博開催が程近い、兵庫県の伊丹市。その路地裏の一角に、韓国人一世夫婦の営む焼肉屋「焼肉ドラゴン」がありました。父龍吉(キム・サンホ)は、第二次大戦で日本兵として出征。片腕腕を失っています。再婚同士の妻英順(イ・ジョンウン)は、寡黙な夫に対して、常に声を張り上げる喜怒哀楽の激しい性格ながら、根は善良で情の濃い妻。長女静花(真木よう子)、次女梨花(井上真央)は父の連れ子で、三女美花(桜庭ななみ)は、母の連れ子。私立中学に通う末っ子の長男・時生(大江晋平)は、二人の間の子供です。賑やかに暮らす家族ですが、問題は山積み。今住んでいる土地は、国有地なので返却せよと国から言われ、時生は学校でいじめに遭い、梨花の夫となった哲男(大泉洋)は、静花に恋心を残したまま。この家族の昭和44年から47年が描かれます。

国有地を違法に占拠していると言う理由で、今にも潰れそうな家ばかりの集落には、ライフラインは完備されておらず、陳情でやっと共同の水道がついただけ。私は昭和36年大阪市生まれの在日。当時小学校二年生。下水道は完備しており、ガスはプロパンではなく都市ガスでした。周囲にはバラックの家もちらほらありましたが、この作品のように、ガスや水道が通っていない区域は記憶になく(プロパンはあり)、大阪市から近い伊丹で、このような場所が当時あったことに、少々びっくりでした。

立ち退きを要請する国に対して、父は断固拒否。理由は「醤油屋の佐藤さんから買うた」。多分騙されたのですね。登記簿や領収書の必要など、知らなかったのでしょう。寡黙で実直な父の口から、幾度となく繰り返される、「醤油屋の佐藤さんから買うた」の台詞には、胸が締め付けられます。

余談ですが、昨年親から譲り受けた実家の借地権を売却したのですが、地主である不動産屋さんからは、古い借地権で、こんなにきちんとした登記簿は珍しいと言われました。龍吉がこの土地を「醤油屋の佐藤さんから買うた」のは、終戦直後のはず。在日だけではなく、このような事柄は、日本の人にもたくさんあったのでしょう。

静花は哲男の気持ちを知っており、哲男からの求婚を断っています。事故が元で足を引きずっており、それには幼馴染の哲男が関わっているのですが、それが断った理由でしょう。哲男に負い目を追わせたくなかったのでしょう。彼女も哲男が好きなのですね。梨花もその事は知っているのですが、それでも哲男が好きだったのですね。哲男は例え義弟と言う形になっても、静花のために出来る事があれば、と思っての結婚だったかも。そんな結婚が上手く行くはずはありません。

梨花は仕事が続かず、ふらふらしている哲男を詰る。自分は勤めているのですから、妻として当たり前の事です。哲男は言い訳しませんが、彼は大卒。あの時代は、誰でもが大学へ行く時代ではなく、貧しいながら大学を出た人は、それなりに優秀であったろうと思います。しかし仕事には恵まれず不遇。そこには差別があったはずです。彼のプライドは満たされません。

しかし梨花はそんな夫を、「あんたは他の韓国人を見下してるんや!自分は違うて。そやから、仕事が続かへんねん!」と、俗っぽい言葉で夫を看破。当時の在日のたくさんの妻たちは、職場の差別から逃避しようとする夫を、首根っこ捕まえて説教していたはずです。多分優しく諭した人は、少ないと思います(笑)。

父はあの時代の在日の男性にしては、物静かで大人しい人。しかしその大人しさには、腕のない事や、様々な屈託を抱えているのがわかります。いじめがわかり時生が不登校になっても、学校を転校させないのは、そこが進学校だから。自分の今の不遇の一端は、学がない事だと思っているのです。そして、差別を乗り越えなければ、ここ(日本)では暮らしていけないと知っている。たった一人の男子として、姉三人に何かがあれば、実家に戻って来られるよう、立派に家を継いで欲しかったのでしょう。それは、自分の妻の哀しみを知っているからです。

陽気で気の強い妻は、癇癪を起こすと、「もう出て行く!」と家を出るのですが、意に介さない夫。「すぐ戻ってくる」のを、夫は知っています。だって帰る所がないのです。どんなに辛くて苦しくても、韓国に戻っても家はもうなく、この家にしがみつくしかない。なさぬ仲の静花と梨花を、自分の生んだ美花や時生同様、慈しむ母。豪快ですが、女性のたしなみはある人なので、梨花の不倫場面を目撃して、後ずさりして叱らなかったのが、不思議でした。しかし、美花が結婚前の妊娠を告白した時、「この恥知らず」と大暴れ。叱らない夫に「自分の娘ではないから、怒らないのだろう!」と食って掛かり、夫に怒られます。

遠慮していたのですね。上の二人の心配事には、「自分の子だろう!何故怒らないのだ!」と、夫の分まで怒っていた妻。一見図太そうに見えますが、いつもいつも繊細に、家内安全を願って切り盛りしていたと思うと、こみ上げるものがありました。私の両親も再婚同士。当時の在日は複雑な家庭が多く、韓国に本妻を残し、こちらで家庭を築いた人も多く、財産分与の時など、骨肉の争いになる事もしばしば。英順は、とても立派な良妻賢母であったと思います。

しかし時生は、転校をする事を許さない父に絶望。自殺します。衝撃でした。
この作品のナレーションは時生で、私はてっきり差別を乗り越え、医者か弁護士など、「先生」と呼ばれる職業に就くと思っていたから。それと謎だったのは、当時とは言え、私立の中学がいじめを把握し、教室の机に「国へ帰れ」と書かれているのを観て、放置するのかな?と言う事。

私も時代は下りますが、私立の女子校に通っていました。高校の時、とある授業で先生が、部落差別の話しをされました。自分の担任のクラスである生徒(A子)がクラスメート(B子)に、「あんた、部落の子やねんやろ?仕事聞いて、うちの親が言うとった」と、侮辱したのだとか。言われた子は寝耳に水で、親に問い質したところ、そうだと言う答え。しかし親御さんは、大ショックの娘に、何も恥ずべき事はない、胸を張って学校へ行け、A子にもそう言えと教えたとか。B子は親の教えを実践。しかしA子は親共々引かず、学校を交えての大騒動となったとか。先生によると、当然学校はB子側に立ち、A子に謝罪を求めるも、断固拒否。とうとうA子は転校したんだとか。

時生の母が、学校側へ掛け合った台詞も出ていたし、この辺はどうだったんでしょう?在日だと受験すらさせない学校もありましたが、夫の近所でも、今70過ぎの人が、名の知れた進学校に通っていたとかで、当時でも受け入れた学校はたくさんあったはず。受け入れるからには、このようなことは想定済みのはずで、この描き方には、謎が残ります。これで差別を強調したかったのなら、ちょっと違うのじゃないかなぁ。

美花の結婚相手を前に、父が語る人生の軌跡には、一緒に観た夫共々号泣しました。自分の親を重ねたからです。私たち在日が、一番言われて腹が立つ言葉が、「国へ帰れ」です。戦前の統治時代から日本に住んでいた在日が、何故解放後、韓国に帰らなかったのか?帰らなかったのではなく、各々の理由で帰れなかったのです。国に戻っても戦後のどさくさで家はなく、直後に起こった朝鮮戦争が拍車をかける。差別されて、地を這う思いをしても、腹を括って、この日本で生きていかねばならなかったのです。父は出征時は、日本兵でした。

父の語りで、何度も出てくる「働いて働いて働いて」の言葉。日本の人も同様です。しかし「働く」意味が違う。私の父は一代で会社を興しましたが、口癖は「日本人の三倍金を持たな、韓国人は仕事は出来ん」でした。日本人が10万で接待するなら、30万の接待。よそで30万で請け負う仕事なら、うちなら10万でやりまっせ。そうやって、仕事を取ってきたのです。

そして多くの在日は、日本の人がやりたがらない汚い仕事、辛い仕事をやって、私たち二世三世を育ててくれた。私たちは、統治と戦争の狭間の落とし子です。真面目に仕事をし家庭を持ち、税金も年金も納めて、微力ながら日本社会にも貢献しているはず。日本の人と何ら変わらない暮らしです。ワールドカップで、韓国と日本、両国応援するのは、罪なのか?韓国人としてのアイデンティティーを持ち続ける事は、反日ではないはずです。

立ち退きのための役人が来た時、大人しい父は、作中初めて感情を爆発させます。収めに入った子供たちが、それぞれ自分の伴侶と連れ立つ中、二人だけ残った夫婦。この描き方は秀逸でした。「私まだ元気よ。もう一人子供を産もうか?」と、夫の気持ちをなだめる為に冗談を飛ばす妻に、笑う父。あんたのせいで、息子は死んだ!と、詰め寄った日もあったろうに。妻たるもの、常に明るくなければと、痛感しました。家族は夫婦で始まり、夫婦で終わるのです。

静花は哲男と北朝鮮、梨花は常連客と韓国へ。美花は夫の親と同居。未知の世界へ旅立つ娘たちに、「バラバラになっても、自分たちは家族」との言葉を、娘たちの餞にします。優しい静花は泣きながら、気の強い梨花は笑顔で、母と抱擁する姿が、麗しい。ラストシーンでも、まだ笑わせてくれる母。老け込んだら、あかんで。私の一人くらい養ってや、と言う意味ですね。

とにかくキム・サンホとイ・ジョンウンが上手い!日本の役者でも上手く演じる人はたくさんいるでしょうが、魂レベルの演技です。この人たち、まだ50前なのに、何でこんなに上手く当時の一世を再現できるのか不思議。特にジョンウンは最強(笑)。あんなオバチャン、私の子供の頃は、いっぱい居ましたよ。「パッチギ!」のキムラ緑子にも唸りましたが、本場はやっぱりモノが違いました。

予告編では危惧した大泉洋でしたが、今もミスキャストだとは思いますが、意外と好演でした。大阪弁も上手かったしね。真木よう子は、いつもの彼女とは違い、情念を胸に秘め、長女らしさの良く出た演技でした。井上真央も、気の強い梨花の寂しさを、時には官能的な演技で好演。夫によると、食べ方に育ちの悪さ出て、良かったとか(笑)。桜庭みなみも、私は清純な彼女しか知らなくて、蓮っ葉な美花を弾けた演技で好演して、びっくり。一番在日らしく見えたのは、彼女でした。

苦言を言えば、焼肉屋が舞台なのに、料理があまり出てこなかった事。出てきても、あまり美味しそうに見えなかったし。私はゴマの葉の漬物が好きなのですが、出てこなかったので、昨日自分で漬けました(笑)。

笑って笑って泣いて泣いて観た作品。1を描けば10解る私と違い、日本の方々には、笑って貰うだけでもいいです。ついでに、一世は大変やったんやなぁと、思っていただければ、大変嬉しい作品です。


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