ケイケイの映画日記
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2017年09月30日(土) 「ユリゴコロ」



変態映画です。なのに咽び泣いてしまった(笑)。罪の無い人々を、自分の衝動で次々に手に掛けるヒロインですが、何故か嫌悪感は湧かず、共感出来ずとも、彼女の生き辛さを理解したくなりました。私は好きな作品です。監督は熊澤尚人。

人気カフェ店を営んでいる亮介(松阪桃李)。母が亡くなり、父の男手により育てられた彼ですが、その父も癌で余命わずかと宣告されています。哀しみを癒しているのは、恋人の千絵(清野菜名)。しかし、千絵はある日突然彼の前から姿を消します。傷心の亮介は、父を見舞いに実家に帰った時、押入れから、日記とも小説ともつかないノートに書いた文章を見つけます。そこには美紗子(吉高由里子)と称する人物が、幼い日から、殺人でしか喜びを見出せず、次々人を殺していく内容が書かれていました。

ミステリー仕立てなんでね、あまり書きません。前半は文章を映像化して、美紗子の容赦ない殺人の様子が描かれます。嫌悪感が薄いのは、多分静寂の中、詩的に描かれているからでしょう。普段は自分の闇を押し殺し、普通の生活をしている美紗子。孤独も描き、しかしそれを孤独と感じない歪さも感じる描き方なので、不気味と言うより哀れです。

後半は一転、殺人鬼の純愛が描かれます。洋介(松山ケンイチ)と知り合い、彼と愛し合うようになり、温かい人間らしい人生を送り始めます。しかしそこには美紗子だけが知る、深い因縁が。「私はこの人を地獄に引きずり落とした。でもだからこそ、私はこの人と巡り会えたのだ」と言う、彼女の甘美な懺悔は、洋介が美紗子の救世主だと描いています。二人は深い業で結ばれた、運命の人同士なのでしょう。

吉高由里子は前半の虚ろな眼差しの、心がないような、掴みどころのない美紗子が、後半は血の通った人間らしさを見せますが、きちんと一人の女性の変遷として演じ分け、違和感の無い好演です。美人の彼女ですが、今回は演技力以外に、その清廉な顔立ちが、殺人鬼の恐ろしさより、歪な心を持った者の哀れを引き立てたように思います。

松山ケンイチがはまり役。演技巧者だとは認識していましたが、今回初めて素敵だと思いました。汚れきった美紗子が、洋介と暮らし始める中、笑顔も涙も見せ、彼の懐の中で、業が洗い流されたのも、納得です。

他の演者で目を見張ったのは、何たって贔屓の佐津川愛美ちゃん!今回出ているのを知らなくて、最初黛ジュンかと思いました(笑)。メイクでカメレオンのように色んな容姿に変えられるのも、彼女の強みです。盗癖・摂食障害・リストカットと、メンヘラフルコースのような女性役で、今回も出色の演技。気持ち悪くて可哀想で、悲しい女の子です。女優としては少々小粒で、脇で光るタイプですが、彼女の主演作も観たいなぁ。

観ている間ずっと続く美紗子への憐憫の想い。それは美紗子に罪の深さを後悔させ、罰も与える事で、この感情でいいのか?と言う自分への疑問も、納得させてくれます。後半の彼女の殺人は、自分の欲求を満たすためのものでは、ありませんでした。

かなりヘンテコな内容で、ご都合主義も満載です。それでも、「殺人鬼の血なんて、遺伝しない」と言い切ったある人の涙ながらの言葉は、そうであればいい、ではなく、そうだと私も思います。涙する変態映画、心してご覧下さい。


2017年09月17日(日) 「ダンケルク」(IMAX版)




奮発して、IMAXで観てきました。かつて何度も映画化され、史実は知っている人が多いと思うダンケルクの戦い。何故今また描くのか、その理由は観ればわかる。今だからこそ観るべき、温故知新に溢れた、立派な作品でした。監督はクリストファー・ノーラン。

1940年、フランス北端の港町ダンケルク。ドイツ軍に四方を固められ、追い詰められた英仏連合軍40万の兵士たちは、絶体絶命の状況を迎えていました。英国軍の若き兵士トミー(フィオン・ホワイトヘッド)は、仲間数人と街中を逃げ回る最中、敵に銃撃され、命からがら自国軍の領域に逃げ込みます。場所は海岸。ドーバー海峡を挟み、イギリスはすぐそこなのに、英国軍兵士の救出は、困難を極めます。英国は、民間人の船も動員して救出にあたります。その中には、ドーソン(マーク・ライランス)と息子のピーター(トム・グリーン・カーニー)も、危険を省みず救出に向かいます。最新新鋭戦闘機スピットファイアのパイロット、フィリアー(トム・ハーディ)とコリンズ(ジャック・ロウデン)も、決死の覚悟で、援護射撃にイギリスから飛び立ちます。

爆撃・魚雷の激突・四方八方からの銃撃。とにかく、やられっ放し。まるで自分がその場にいるかのような、恐怖感。とにかく逃げ回る兵士たちの必死さが伝わってきて、自分がその場にいるような、錯覚を起こします。自分の顔が歪み、背筋が伸びるのが、わかる。凝った映像で彼らの恐怖を深々と伝えること。それが、監督の一番の狙いだと思いました。何故なら、観客のほとんどが、戦争を体験していないはずだから。

初老であろうドーソンは、何故危険を承知で救出に向かうのかと?と、助けた兵士(キリアン・マーフィー)に問われ、「この戦争は自分たち世代が起こした。だから若い者を救う責任がある」と返答します。彼は多分、元軍人。そして上の息子をこの戦争で亡くしている。父に似て、物静かで誠実なピーターが見せる芯の強さは、兄の事で、戦争の哀しみを知っているからでしょう。キリアン・マーフィーにかける、思いやり溢れる「嘘」も、戦争がさせたと、理解しているからです。

しかし、命がけでダンケルクに向かったコリンズに、「空軍は何をしていたんだ!」と、死をも覚悟した彼に、心無い言葉で怒鳴る民間人男性。「トランボ」で知った、タカ派で鳴らしたジョン・ウェインは、一度も戦場に立った経験がなかったと言うのを、思い出しました。この民間人男性も、戦場へ出たことはないのでしょう。どんな恐怖が待ち受けているか、想像がつかない。いや、しないのでしょう。この作品は、それは罪だと言っているのです。

名誉の戦死。名誉の負傷。これは戦う為に勇敢なれと、兵士を鼓舞する為に作った言葉です。帰還した自分たちは、恥さらしだと罵倒されるはずだというアレックス(ハリー・スタイルズ)。しかし、民は彼らの帰還を大歓迎します。ご苦労様と労う老人に、「何もしなかった」と力なく言うトミーですが、「命があるだけで充分」と応えます。その通りだと、涙が出ました。盲目のこの老人は、もしかして、先の大戦で兵士だったのでは?この作品は、若い兵士たちの、名誉の撤退を描いたのだと、その時痛感しました。

救出される側の兵士役は、なるべく当時の彼らに近い年齢の、無名の役者をオーディションで選んだとか。ワン・ダイレクションのメンバーで、超有名なハリー・スタイルズも、オーディションで選ばれたとか。ビリングトップは、新人の彼らに譲り、中佐役のケネス・ブラナー初め、英国のベテラン・中堅の実力派(ライランス、マーフィー、ハーディ、ジェームズ・ダーシー)は、後塵を拝すのも、若手たちをバックアップしようと言う、作り手の心意気だと思います。主役は、あくまで逃げる若い俳優たちです。色んなエピソードが含まれ、どれも含蓄があり、台詞を噛み締めました。私が一番印象的だったのは、ドーソン父子と、フィリアーとコリンズのスピットファイアー組です。

ラストのケネス・ブラナーの台詞に、また涙。これが、大人としての責任の取り方なのですね。ドーソンの言葉が、重なります。この作品を観て、「蟻の兵隊」を観た時、映された靖国神社で、「次の戦争では、負けない日本であるように!」と絶叫する青年を観て、震撼した記憶が蘇りました。戦争有りきが前提とは、怒りと哀しさがない交ぜになった、とても辛い気持ちになったものです。彼もまた、自分は戦場に行かないと思っているのでしょう。戦争が始まれば、この体験をするのは、あなた自身で、私の息子たちであり、あなたの夫・恋人・息子です。そうなった時、ドーソンや中佐のように、あなたはなれるのか?この作品が問いかけている全ては、ここにあると思います。


2017年09月13日(水) 「新感染 ファイナルエクスプレス」


 日曜日に近場の布施ラインシネマで観て来ました。私は通常日曜日は朝食が遅い事もあり、昼食食べないんです。こんな内容だと知っていたら、しっかり食べておくんだった。全編山場ばっかり、スピード感溢れる展開で、そこへ父娘・夫婦・友情など、愛もてんこ盛りに入れた、尻尾まであんこ状態の内容で、すんごく体力使いました。とっても面白い!監督はヨン・サンホ。

ソウルでファンドマネージャーをしているソグ(コン・ユ)。妻は夫の身勝手さと冷徹さに嫌気がさし、別居中。一人娘のスアン(キム・スアン)は、ソグの母親が面倒をみていますが、スアンは母を恋しがります。誕生日は母と過ごそうと、一人ソウルからプサンに行こうとするスアン。それを知ったソグは、危ないからと、早朝の特急でプサンまでスアンを送る事に。しかし、その列車に、得体の知れない病原菌を持つ女性客が紛れ込み、列車中は、あっという間に感染していきます。

ゾンビカテゴリーの作品。昔のゾンビとは違い、昨今のゾンビは全力疾走できるもんだから、感染も早いのなんの。列車の中だけではなく、感染は全国規模にまたがり、救出のため途中下車の駅中の人々、鎮圧するための軍隊など、全てが感染者に。そんな中ソグたち僅かな人数だけが、命からがら感染をまぬがれます。

殴打・流血・噛み付きなど、何でもあり。血しぶきが飛び散りまくり、阿鼻叫喚の地獄絵図が、延々くり広げられます。その最中に、乗客の対立を組み込み、妊娠中の夫婦の愛情、高校生カップルの初々しさと、野球部員の友情など盛り込みます。そしてこの地獄の中で、ソクが身勝手だった自分自身を反省する様子を、感動的に浮かび上がらせています。

ドラマの軸を、父と娘の愛情>夫婦>高校生の順番に味付けしているのも、儒教精神の残る韓国では、幅広い層に納得行くものだったでしょう。そして父・夫・彼氏は、何が何でも娘・妻・彼女を、身を挺して守るのだ。まぁ〜、なんて気分がいいんでしょ(笑)。女子供もね、清々しいほど信じきっている。如何に女性が強くなったとは言え、これはこれで、王道パターンとして、素敵に思えました。

ゾンビアクションにハラハラし、一人また一人と犠牲になっていく様子に哀悼し、気分はゾンビ+「ポセイドン・アドベンチャー」で、最後まで突っ走ります。ラストで父のために覚えた「アロハ・オエ」を歌うスアンの姿に、堪らず号泣しました。スアンの歌声が、犠牲になった全ての人々の、鎮魂歌となりますように。

面白さは太鼓判。すごく体力使いますので、先に御飯食べておいて下さい(笑)。


2017年09月10日(日) 「三度目の殺人」




タイトルの「三度目の殺人」は、いつ出てくるんだろう?と思いながら見ていましたが、観終わって、あぁそういうことなのか、と合点が行きました。是枝監督の作品は、観た直後は手放しなのに、時間が経つと、段々気がそがれていく作品が多いのですが、今作は今まで観た監督の作品で、一番好き。秀作です。

25歳の時強盗殺人を犯し、30年の服役から出所してきた三隅(役所公司)。現在は58歳。しかし元勤め先の社長を、また強盗殺人したとして逮捕されます。くるくる変わる供述に匙を投げた弁護士の摂津(吉田鋼太郎)は、同僚のエリート弁護士重盛(福山雅治)に、弁護を依頼します。自白した殺人事件などには興味の薄い重盛ですが、渋々引き受ける事に。しかし接見する度に供述を変える三隅に翻弄され、重盛自身の弁護士としての概念までが、脅かされるようになっていきます。

冒頭の殺人場面以外は、重厚な抑制の効いた演出が続き、ともすれば退屈になりがちな画面です。そこを混沌としていく展開に一瞬隙を作る。それは裁判官だった重盛の父(橋爪功)だったり、別居中の娘だったり。そして彼らにも、わかりやすく重要な台詞や場面を与える事で、観客に内容を反芻し、租借する時間が与えられます。時間だけではなく、法廷シーンが多いにも関わらず、極力平易な言葉を用い、租借し易くしていたと思います。

重盛は尊大な男で、法廷に真実など必要ではなく、罪の量刑にだけが重要であり、依頼人を理解する必要はないと言います。その彼が、三隅と対峙していく中で、公私に渡る、見ないふりをしてきた、自分の人生の欺瞞を突きつけられる。

30年とは、途方もない年月です。雑居房・独居房入り乱れて、三隅は人生の花の盛りを、刑務所で過ごした。何を思い何を考えたのか?俗世間から乖離され、書物を読み、同じ受刑者の人生を見聞きする長い長い時間は、三隅を「哲学者」にしてしまったのでは?それが重盛が三隅に魅入られ、無自覚な自分自身のパンドラの箱を空けてしまった理由に思えました。

終始重苦しい空気が支配する画面を、こちらも身じろぎもせず見続けたのは、演出だけではなく、全ての俳優人の好演だったから。役所公司は、やっぱり凄い!くぐもった掠れた声で、しかし滑舌の良い台詞回し。淡々と礼儀正しいし所作で、微笑を浮かべながらの様子がとても怖く、闇ではなく、元からの人格に問題があるのだと思わせます。しかし、ラストはまた、その感想が一変します。怪演でもなく、熱演でもない、芸術的な演技を見せてもらいました。

福山雅治は、ビリングトップですが、実質は二番手。観客を先導していく役柄で、終始役所公司に圧倒されますが、それは役作りとして正解だったと思います。いつもの明るさや二枚目を封印しての演技で、彼もとても良かったです。

満島真之介は、重盛付きの新人弁護士。一般人が理想とする弁護士像を持ち、志高く仕事に励んでいます。重盛や摂津も、かつてそうだったのでしょう。
理想と現実の狭間で、苦悩し疲弊した後、自分で折り合いをつけた姿が、今の重盛や摂津なのだと思います。それは女性検察官(市川実日子)や裁判官とて同じで、画面は彼らの様子を責めているのではなく、職業的悲哀に、彼らも翻弄されていると描いていたと感じます。

重要人物として登場する被害者の妻(斉藤由貴)と娘咲江(広瀬すず)。妻は夫が殺害されたばかりと言うのに、艶やかで美しさに隙がなく、観客には好感がもたれずらい。斉藤由貴はぬめぬめ気持ち悪いのに、妖艶で魅力的な妻を好演しており、物語を撹乱するのに充分責務を果たしていました。現在スキャンダル渦中の彼女ですが、これで沈んでしまうのには、惜しい女優です。

広瀬すずちゃんは、清楚だけど陰がある役柄。彼女も的確な好演でした。足を引きづる咲江は、真っ赤なコートを着ています。普通は目立たない色を選ぶのにと、謎でしたが、彼女の苦悩が明らかになると、あれは彼女の心の叫びだったんだなと感じました。

三隅の証言がくるくる変わるのは、それは真実ではないから。私は裁判が終わっての、三隅と重盛の会話が、真実だと信じたい。三隅の台詞の「それだと、いいお話ですね」と、私も思いたいから。劇中投げかけられる、「生まれてはいけない人間もいる」と言う三隅の言葉。満島真之介の返事を、私は支持したいです。




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