ケイケイの映画日記
目次過去未来


2014年09月15日(月) 「舞妓はレディ」




このタイトルを観た瞬間、「マイ・フェア・レディ」が下敷きの作品だとわかります。舞台を京都の花街に移して、お国訛りのきついヒロイン・春子(上白石萌音)が、晴れて舞妓さんになれるのか?を、ミュージカル仕立てにして描いた作品。とにかく萌音ちゃんが可愛いのなんの!感動や解放感はちょい薄口なれど、爽やかでとても楽しい作品。監督は周防正行。

京都の花街・下八軒。昨今は舞妓のなり手がおらず、三十路間近のお茶屋・万寿楼の百春(田畑智子)一人だけと言う状況で、そのため百春は芸者になれず困っていました。そんなとき、津軽弁と鹿児島弁の両方を話す純朴な少女春子(上白石萌音)が、舞妓になりたいと万寿楼を訪れます。女将千春(富士純子)から、紹介なしではダメだと追い返されますが、春子の言葉に興味を引かれた言語学者の京野(長谷川博己)が、老舗呉服店の店主北野(岸部一徳)と賭けをし、春子は何とか仕込み(見習い)として、万寿楼で修業させて貰える事となります。

私が一番感心したのは、新人の萌音ちゃんを囲むベテラン勢が、彼女を盛り立てながら、ちゃんと自分も引き立つお芝居をしていた事。名のある人が大挙出演しているのに、隅々までキャラが立っている。これは脚本の描きこみの上手さと、役者さんたちの頑張りだと思います。特に嬉しかったのは、「終の信託」で、私がバカ女、薄らバカと散々扱き下ろした草刈民代と中村久美(踊りの師匠役)が、切れ味鋭く辛口ながらも、愛情を持って春子を見守る、気風の良い女性として登場してきた事です。監督、私の感想を読んでくれたのかしら?と言うくらい、今回二人とも50前後の女の貫録たっぷりで、とっても素敵でした。

春子の舞妓修業を描きながら、京都の花街文化と言う、一種独特な世界も敬愛を持って描いています。私がびっくりしたのは、最初の方で、里春(草刈民代)豆春(渡辺えり)が、コスプレめいた扮装で寸劇をして、外人客(パンチェッタ・ジローラモ)を楽しませていた事。金の鯱の真似など、あんなの温泉の芸者さんのする事だと思っていました。京都の芸者さんって、そんなに気位高くないんだ。岩本多代演じるお茶屋の女将さんが、ちょこちょこ出没して、風流な遊び言葉を教えてくれるのが、花街の伝統を感じさせて、とても良かったです。

舞妓修業の様子は想定内かな?これはダイジェスト版的でした。昼間の芸者の様子、お茶屋の女将の日常、男衆(竹中直人)の存在など、花街の本流はから外れた部分の描き方にコクがあったように思います。京野の助手の西野(濱田岳)の扱いなど、チクリと花街の陰の部分を浮かび上がらせ、私は秀逸だと思いました。残念なのは、肝心の京野が、何故京都の文化をこれほど愛しているのか、それがイマイチ伝わって来なかった事です。確かに花街で交わされる京言葉は、雅で柔らかい。言語学者として、それに魅せられたって事かな?

それにしても、中心人物の京野の存在感が薄いのがちょっと気になりましたが、もしかして、これこそザ・京都のDNA全くのなしの「よそ者」を表していたのか?そう考えると、高等技術。印象的だったのは、千春の優しさ。もっと女将さんって厳しいもんだと思っていましたが、人ひとり預かり、一人前にするには、やっぱり愛情なんだなと痛感しました。

そしてそして萌音ちゃん!まぁとにかく可愛い!素朴で健気で一生懸命に、この大役を頑張っていました。周防監督の談によると、萌音ちゃん発掘時点で、この映画が動き出したと読みましたが、さもありなん。ラスト近くで北野が「若い子が一生懸命頑張る姿を観ると、自分達まで元気が出る」みたいなセリフがありましたが、それを本当に実感させてくれる子でした。観客に身近な人物であるような、「愛しい」と言う感情を抱かせる女優さんです。

別にミュージカルにする必要があったかなぁ〜?と言うと、身も蓋もなくなるので、止めておきます。それじゃ元作へのオマージュでなくなるから。ラストも無理くりまとめた感がありますが、人生愛ですよ、愛。それを爽やかに描けていたので、良しとしよう。周防監督は、やはり楽しいコメディがお似合いだと思います。


2014年09月09日(火) 「イン・ザ・ヒーロー」




素晴らしい、素晴らしい!何度でも言っちゃおう、素晴らしい!今では大味だなんだと、ハリウッド大作には文句垂れている私ですが、本格的に映画に魅せられたのは「ポセイドン・アドベンチャー」でした。その後「ジョーズ」や「エクソシスト」などのハリウッド大作にまみれておきながら、大人に近づいた頃には、青臭いちょっとしたシネフィル気取りの頃もありました。今思い出すと、死ぬほど恥ずかしい。この作品はローティーンの頃の、ハリウッド映画に熱狂していた自分を思い出すのです。いつ来て過ぎたんだかわからない今年の夏より、何十倍も熱い作品。監督は武正晴。

ベテランスーツアクターの本城(唐沢寿明)。ブルース・リーに憧れてアクション俳優を目指すも、いつまでも顔出しの出来ないスーツアクターに甘んじる日々。しかしまだまだ希望は捨てていません。そんな役者バカのお蔭で、妻子(和久井映見・杉咲花)には愛想付かされ、去られています。やっとの事で子供向け戦隊もので主役を得るも、寸でのところで新進俳優の一ノ瀬リョウ(福士蒼太)に主役を持っていかれます。それでも腐らない本城に、リョウのマネージャー(小出恵介)は、彼にアクションを教えてやってほしいと言います。しかしジャリ番(子供向け作品)だとバカにするリョウを、本城は自分のアクションチーム「HAC」に連れて行きます。

主演の唐沢寿明、同僚吾郎役の寺島進は、かつて本当にスーツアクターだったとか。そして本当にブルース・リー大好きの唐沢寿明、めちゃめちゃ俊敏な動きで、回し蹴りなんか、とっても早いの!唐沢寿明は私とほぼ同世代なんですが、「燃えよドラゴン」公開時は、そりゃ信じられないくらいの大ブームで、当時小学校高学年〜高校生だった男子は、みんなヌンチャク使えると思います(きっぱり)。品行方正で端正な二枚目役の印象が強い彼が、こんな大バカもん(褒めてます)の役柄で、私の心に火をつけてくれるとは、嬉しい誤算です。

前半は、戦隊モノのアクションシーンのネタバレあれこれ、モーションチャプターは、彼らスタントマンやスーツアクターが演じているなど、ちょっとした内幕風演出が、映画好きには嬉しいです。常に怪我との戦いである彼らは、とにかく己に厳しく練習します。その風景も清々しく、大人のスポ根を観ているようで、またまたテンション上がる私。一人で練習しても、本番は散々だったリョウは、頭を下げて本城に教えを乞います。

映画好きなら、アクションにはアクション監督がいて、きちんと怪我をしないような振付があると知っていますが、素人に毛が生えたようなリョウは、その事は知らなかったのでしょう。そんな人が一足飛びで主役を張り、超がつく一流のアクションが出来る本城はスーツアクターのまま。芸能界の悲哀を見ます。

「アクションはリアクションがあって、初めて成立する」と言う本城。そうなんですよね、時代劇の殺陣でもアクションも、名も無きウケに回ってくれる人が居てこその華。映画はその他美術さん、照明さん、地味な裏方の協力あってこそ作れるものだ、チームワークなんだと、しみじみと思わす描き方に、映画好きの私はまた感激。小道具を粗末に扱うスター俳優リョウに臆せず、「こいつがなぁ、その時計何日徹夜して作ったと思ってんだ!」と、弟子を思う小宮泰隆の小道具さんの恫喝は、良い作品にするため貢献していると言う、美術さんのプライドが溢れていて、やっぱり熱い。

とても素敵だったのが、吾郎の結婚式のシーン。和気藹々と弾けながらも、彼らがスーツアクターとして、自分たちの仕事を愛しているのが、わかるのです。本城の妻も、かつては夫と同じ夢を見ていたのだと、さりげなく挿入されるビデオも良いです。

改心して成長していくリョウ。ここまででも充分楽しませて貰っていたのに、ここから怒涛の展開に。CGやワイヤーなしの鬼畜なアクションシーンを要求するスタンリー・チャン(イ・ジュニク 本物の韓国の監督)に恐れをなした香港のスター俳優は役を降り、白羽の矢が立ったのは、本城でした。これがもぉ〜、本当に浪花節なんですが、もうここから涙が止まりません。皆が止める中、吾郎だけが本城の気持ちがわかると言う。誰の為でもなく、自分の為に引き受けるのだと言う本城。

本城の設定は唐沢自身と重なる50歳前後の年齢設定だと思います。彼を観ていると、夢をあきらめない人生の、何と豊かな事かと羨ましく思いました。諦めないから、希望がある。いい年なのになんて、全然思わない。だって彼は努力し続けているんだもの。愚痴やぼやきがいっぱいで、口先だけで御大層な事言う人とは、真逆な人なのです。自分が輝く事で、周りも照らされる。人生のおいての理想だと思います。

ラストの長時間のアクションシーンは圧巻。実際には長回しではないし、CGも使っていますが、どっぷり本城及びアクション俳優たちにのめり込んで観ているので、全く気になりません。それどころが、こんな気合の入ったアクションは久しぶりです。正に全身全霊と言う言葉がぴったりで、例え唐沢寿明にスタントを使ったとして、私に感動をもたらしてくれたのは、作り手一丸となった、チームワークの賜物です。映画はチームで作るものなんだよね!

愛想を尽かし切れなかった妻子の描写も良いです。和久井映見の奥さんは、桂春団治の女房みたいでした(笑)。妻が本城を見限れなかったのは、本城の夢は趣味ではなく、命がけの男子一生の仕事だったからだと思います。和久井映見に感激した人は、そこんとこよろしく。

チャン監督は、何度も「映画は監督のものだ!」と言いますが、あれは皮肉でしょうね。映画はお金を出すプロデューサーのもんと言うのは、定説です。。プロデューサーの一声で、内容まで変わってしまう。ディレクターズカット版なるものは、一種の仇花的なもんですかね?それでも良い作品を作るのが、作り手さんたちの、腕の見せ所でしょうか?

「HAC」と言うのは、千葉真一が主催していた「JACK」をもじっているのでしょうね。真田広之、志穂美悦子、伊原剛志が在籍していましたが、今では演技派として名を馳せていても、アクションはないなぁと、少し寂しかったり。年齢的なものもあるでしょうが、後続の役者さんは続かなかったようです。何故なのかな?そこもちょっと寂しいですね。

体中の血が活性化されたようで、モリモリ元気になりました。本当はね、リョウの背景なんか説明不足で、省いても良いような安っぽいもんです。それでもその安さまで感動に置き換えさせて貰ったんだから、問題なし。やっぱり映画は人生に夢と希望を与えなきゃ。高校生の時読んだ淀川先生の著書で、「映画をたくさん観て感受性を磨き、自分の人生に生かしなさい」との記述は、私の一生の宝物です。これからも作り手さんに負けないよう、私も一生懸命映画を観たいと、改めて誓いました。熱くなったもん勝ちの作品。


2014年09月04日(木) 「物語る私たち」

女優・監督として活躍するサラ・ポーリーが、自分の家族をテーマに撮ったドキュメンタリー。どんな平凡に思える家庭でも、一本の映画に出来るドラマチックな要素はあるもので、複雑な環境にあるポーリー家には、まぁお宝がゾロゾロ。鑑賞後の感想は、チャーミングで破天荒だった亡き母の道程を追っていたはずが、実はサラの父マイケル・ポーリーを描いた作品だったのだと、思い到ります。淡々と描いているのに、途中から滂沱の涙で、サラ及び家族のみんなが大好きになる、とても素敵な作品です。

小さい頃から、父マイケルと似ていない事を冷やかされていた末っ子のサラ。軽いジョークと思いながら、漠然とした不安を抱えていたサラは、まずは1990年に亡くなった女優の母ダイアンの生前を追う事で、自らの出自を調べようと決意します。両親、異父の兄姉、一緒に育った兄姉、両親の友人たちや母の兄など、彼女の親族縁族が「物語る」中、浮かんできた真実とは?

順番にカメラの前でダイアンについて答えるのは、全て実在の人。父からは妻として、兄姉からは母として、友人からは女性としての母ダイアンが浮かび上がります。誰とでもすぐ打ちけて、友人が多くエネルギッシュな日常を送っている。奔放な男性関係。なのにどこかしらいつも心寂しく、男性の愛を求めていたダイアン。アンバランスな魅力を持った女性だとわかります。

その寂しさはどこから来るのか?実は彼女はサラの父親とは二度目の結婚で、他の男性との不倫(マイケルではない)が原因で、最初の結婚は破綻していました。幼かった異父兄と姉は、元夫の手元に残され、ダイアンは月に一度会えるだけ。この件は泣かされました。もちろんダイアンはしてはならない事をしたのですが、この事が今生の彼女の悔恨となるのです。私はこの手の女性には手厳しいですが、不倫は裁いても、新たなパートナーや子を得ても、残してきた子が忘れられないダイアン。泣きぬれた暮らした子供たちに、とても同情しました。この辺から私も泣く羽目に。

不倫したって、母親は母親。この当たり前の感情を素通りせず、きちんと浮き彫りにした監督は、この世に生を受けた事、母の手で育てられた事に、感謝の思いがあったのでしょう。そしてダイアンがこの辛い教訓を忘れなかった事が、監督の人生を大きく左右したのだと思います。

ネタバレになってしまいますが、実はサラは、ダイアンがトロントに舞台の仕事に単身行っていた時の浮気相手の子供だったのです。異父兄姉とも交流があったためか、すんなり新たな血縁も受け入れているように見えたサラ。しかし、そうじゃなかったんですね。

父マイケルは、監督であり「娘」であるサラに「このドキュメントを通じて、お前は何を感じたんだ?」と、監督に問います。監督の答えは出てきません。しかし観ている私には、監督の答えは明白なのです。このドキュメントは、遺伝子の繋がらない父マイケルへの感謝と愛情なのです。

サラに別の父親がいた事は、当時カナダのマスコミにすっぱぬかれそうになったそう。マイケルには隠し通そしたかったサラですが、観念する代わりに作ったのが、このドキュメントだと思うのです。母ダイアンを追いながら、私の心を掴んだのは彼女ではなく、妻亡きあと、お互い支え合った生きた父と末娘の絆。真実を知っても、「私が父親でなくて良かったよ。父親だったら今のサラではないのだから。これからも私たちの関係は変わらない」と言い切ったマイケルの強靭な言葉は、とても感動的でした。彼に屈託があったのはわかり過ぎるほどなのに。この作品で一番懐が深く素敵だったのは、マイケルです。例えこれが演出だとしても、それが監督の想いなのでは?

マイケルに比べて、遺伝子上の父ハリーは、なんともはや。子を成した事で、ただの浮気じゃなくなったですって?ダイアンは自分を一番愛していたと言わんばかりですが、それってファンタジーですから(笑)。最後に父親候補だったジェフの言葉が、引導です。多分他のジェフも何人かいたと思われ。孕むと言う見地から見ると、女性の性欲はほどほどがよろしいようで。

しかし、サラはハリーを嫌っているわけではありません。この辺は長年の懸念が晴れた事、そしてアーティストとしての好奇心だと感じました。しかし一貫して彼女が「パパ」と呼び続けたのは、マイケルだけでした。

全く男性には恐ろしい話かも知れません(笑)。この作品で痛感するのは、父親の脆弱さです。乳母に虐待されたり、辛かった子供時代を送ったはずの異父兄姉は、自分の意思を持つ頃には、父親違いの兄弟と親睦を持ち、母の元に戻ってくるのです。子供は母親だけのものでありませんが、やはり父親と母親では、根本的に子供の心を占める割合が違うのですね。

最初の結婚で子供と別れた辛さを繰り返したくなくて、ダイアンがマイケルの元に留まったとして、それはマイケルへの愛を疑う事でしょうか?いつも不安に晒され、落ち着かない日々だったでしょう。そういう事に図太い女性であるとの印象はなかったです。自分の子の父親として、ダイアンはハリーよりマイケルを選んだんじゃないかなぁ。

ブラピとアンジーの結婚式がネットを賑わしていますが、6人の子がいなければ、ここまで辿り着けた二人だったかなぁと、私は思います。子を成した責任、養子を迎えた責任。二人の関係の破たんは、即6人の子を傷つけるのです。8人で撮った記念写真からは、私は「育む幸せ」を感じました。それを誰より大切に思っているのは、家庭の愛に恵まれなかったアンジーだと思うのです。

この作品でも、何度も挿入される甥や姪とはしゃぐサラの様子。家庭や家族。例えそこに複雑な血の交わりがあっても、家庭や家族の笑顔こそ、人生の基盤だと監督は言いたいんだと思いました。

しかし、一見スキャンダラスな我が家の秘密を、しっかり映像化して私を大泣きさせるなんぞ、映像作家の業と言うのも、したたかと言うか深いと言うか。この作品には仕掛けもあり、何度も挿入される過去のフィルムがそれ。私が幼い時に、家には8ミリカメラがあったので、アメリカなら当然だろうと思っていたら、目が点になる映像が終盤に。いやはや、すっかり騙されちゃった。もしかして、インタビューのセリフも演出?ちょっと疑心暗鬼にもなりましたが、煙に巻かれず私の感動は真実としよう。映像作家のサラ・ポーリーの今後に、赤丸付の期待です。


ケイケイ |MAILHomePage