ケイケイの映画日記
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2013年06月28日(金) 「さよなら渓谷」




大好きな大森立嗣監督作品なので、楽しみにしていました。原作は吉田修一。レイプとは、被害者のはずの女性が、身を縮めるようにして、その後の人生を生きる言う、とても不条理な犯罪です。この作品のヒロイン・かなこを観ていると、その様子に、心底同性として同情し憤りを感じます。そんな彼女が、何故理解し難い生活を送っているのか?その心情が手に取るようにわかるのです。ドロドロした情念を浮かばせながら、渓谷にそよぐ風も感じさせる、不思議な作品です。

都会の外れの静かな渓谷に暮らす尾崎(大西信満)とかなこ(真木よう子)夫婦。隣のシングルマザーが幼い子を殺し、尾崎は不倫関係にあったと警察に疑われ、マスコミにも追いかけられます。警察に通報したのは、かなこ。夫婦に興味を持った週刊誌の記者渡辺(大森南朋)は、実は二人は、15年前に起きたレイプ事件の、被害者と加害者だと突き止めます。

登場人物たちが、幾重にも対比になっていると感じました。ラグビーで社会人まで行き着いたのに、怪我で会社を辞めた渡辺と、将来を嘱望された野球選手だったのに、レイプ事件で大学を中退した尾崎。不仲の渡辺とその妻(鶴田真由)と、尾崎とかなこ。口数が少なく憂いのあるかなこと、伸びやかで健康的な渡辺の同僚記者小林(鈴木杏)。

最初の方で、妻に罵られる渡辺を観て、仕事の事で夫に不満があるのだと感じました。でも渡辺と小林との会話を聞き、妻に対しての鈍感さなのだと気づきます。夫の挫折や転職の苦労に、妻もきっと共に泣き、支えてきたはずなのに、この夫は自分の苦しみしか記憶になく、妻の存在は希薄なのでしょう。そんな自己中心的な夫に妻は苛立っているのです。

自由闊達な小林は、若いのに似合わず、人の背景に思いを馳せる、思慮深さがあります。それは記者と言う仕事を通じて、人間の心の深淵を見てきたからでしょう。小林の存在なくば、渡辺はただの仕事の出来ない男に終わったはず。小林の素直な明朗さは、かなこにはありません。それを奪ったのは、高校生の時受けた、レイプだったのでしょう。

通っていた高校を転校、両親は離婚。勤め先で知り合った恋人との縁談は、レイプ事件が明るみに出て破談。職場も変える。次に知り合った夫(井浦新)となる男性には、同じ鉄を踏まないために、告白。全て承知の上で結婚したはずなのに、夫はその事を乗り越えられずDVに走り、離婚。そして自殺未遂。書いているだけで、嫌になる。かなこは被害者なのに、まるで加害者のように世間に追い詰められ、卑屈になる。

どうしてこんな事が起こるのか?渡辺が強引に不仲の妻に迫った時、断固妻は拒否。渡辺は寝室を離れます。その時、ずっと以前に観た「ザ・レイプ」で、恋人の田中裕子に、レイプ被害にあったと告白された風間杜夫が、「本当に嫌がる女と出来るのか?僕には出来ない」と言うセリフを思い出しました。この言葉を聞き、田中裕子は告訴に踏み切ります。そういう一面も、男性の真理なのでしょう。尾崎とかのこの過去と対比になっていると思いました。

女にも隙があった、本当は合意だった。いや、女から誘ったのだ。四六時中そういう好奇の目から逃れられなくなる。そんな追い詰められた人生を送って来たかなこが、愛憎の丈を加害者の尾崎にぶちまけるのは、とてもわかる。尾崎は真実を一番知っているから。罵り着いてくるなと言いながら、橋の上で尾崎を待つかなこは、彼を試していると同時に、甘えているのだと思いました。男性に甘える事など、事件からはなかったでしょう。でもその相手がレイプの加害者だなんて、辛すぎる。

かなこの心情がとても理解出来るのに対して、尾崎は説明不足に感じました。彼もレイプ加害者として、人生が狂ってしまいますが、かなこの比ではありません。この理不尽さ。唐突に事件を暴露されるシーンも不可思議だし、数人で事に及んだのに、何故彼だけ罪の意識が重いのか、それもわからない。これは私が女性だから、わからないのでしょうか?ただ、再会後の彼の行動は、愚かな過去を本当に悔いていると感じ、よくわかります。

身の上が明かされるまでに出てくる、激しいセックスシーンとは対照的な、静かな距離感のある二人。安らぐ様子には、必ず少し不穏も覗かせます。セックスは男が誘う時もあれば、女の時もある。肌が合うと感じる二人の根底には、誰にも怯えなくて済むと言う気持ちが、必ずあるはずです。スクリーンを見つめていると、男女とは、本当に理屈じゃないんだなぁと、痛感するのです。

「このままだと幸せになりそうだったから」と言う尾崎。かなこは「幸せになるため、一緒にいるんじゃない」と言います。何故?一番かなこが許せないのは、あの時の軽はずみに尾崎たちに着いて行った自分なのだと思います。尾崎を許し、二人で幸せになる事は、自分の行動を受け入れる事です。それは出来ないのでしょう。

自分を一番委ねられる運命の人が尾崎なら、それが背徳であっても、私はかなこに受け入れて欲しい。かなこを嘲笑した世間など、幾ばくの値打ちもないと私は思うのです。数奇な道を歩む二人を観て、平凡な我が身に感謝し、妻の存在を大切なものと認識した渡辺。「必ずかなこを見つける」と言う尾崎。紆余曲折を経て得た、男性の真心だと思いました。この気持ち、かなこにも受け入れて貰いたい。私はかなこには、幸せになって欲しいと、切に思います。もちろん尾崎にも。


2013年06月20日(木) 「華麗なるギャツビー」




製作を聞いた時は全然興味なかったけど、予告編を観て、俄然楽しみになった作品。私の年代だと、レッドフォードの「華麗なるギャツビー」が印象深く(と言っても、ほとんど覚えちゃいない)、こちらは全然違うアプローチで描くならいいんじゃないかと予想したので。ゴージャスな宴と、レオに男の純情と、キャリーに女の狡猾さをたっぷりと見せてもらい、満足しました。

1920年代の好景気に沸くNY。宮殿のような豪邸で、毎夜豪華なパーティーが開かれるギャツビー(レオナルド・ディカプリオ)邸。しかし彼の素性は誰も知らず、大富豪の息子だ、いや殺し屋だと、囁かれています。小説家志望の隣人ニック(トビー・マグワイア)は、ギャツビーから招待状が来て、初めてパーティーに足を踏み入れます。彼が澱みなく話す完璧な経歴に、胡散臭いものを感じるニックですが、ギャツビーのミステリアスな人柄に惹かれ、二人は親しくなります。ある日ギャツビーは、ニックの従妹デイジー(キャリー・マリガン)とのお茶会のセッティングを頼みます。デイジーこそは、5年前ギャツビーが戦場に行ったため、別れてしまった恋人でした。デイジーはその後、トム(ジョエル・エドガートン)と結婚。現在社交界の華となっていますが、夫トムには愛人のマートル(アイラ・フィッシャー)がおり、夫婦は不仲でした。

レッドフォード版はテレビ放映の時観ましたが、もっと静かな印象でした。前半は同じくラーマンの「ムーラン・ルージュ」のノリで撮っていて、これでもか、これでもかのゴージャスなシーンが繰り広げられます。衣装や美術がすごく素敵で、あの時代に容易にトリップ出来ます。そして華やかなれど、ケバケバしい喧騒は、日本のバブル景気を思い出しちゃう。そして観ている時は楽しいけど、案外記憶には残りません。この空っぽさ。これがこれが好景気に踊らされる実態なんだと言っているよう。

若い頃のレッドフォードは端正な二枚目で、当時は美男子の代名詞でした。対するレオは童顔で、でも当第一の花形スターのオーラがいっぱい。そして秘密がありそうなギャツビーに、レッドフォードにはない、ピカレスクさも匂わせて、魅力があります。感心したのはキャリー・マリガン。ミア・ファローのデイジーは、キュートだけどハリウッド型のゴージャスな美人とは言い難い彼女は、世紀の二枚目のレッドフォードが生涯かけて追いかける女性には思えず、世が世ながらエリザベス・テイラーの役だったのにと言われていました。キャリーも正統派美女ではないので、前作の二の舞になるか?と危惧していました。でもこれがこれが、甘やかでグラマラスな美女に仕上げていました。ギャツビーの「夢の女」として愛され続けるのも納得でした。

自信満々だったギャツビーは、恋焦がれていたデイジーの前では、まるで初心。終始一貫全くぶれず、男の純情を貫きます。う〜ん、でも哀しいかな、彼の愛するデイジーは、幻なのですね。

本当のデイジーはとてもリアリスト。「娘は綺麗でバカに育って欲しいわ。それが幸せだから」と言うところを見ると、夫の浮気に苛まれている自分は、賢いと思っているのですね。でも賢くはないから、簡単に昔の男に肌を許す。子供のいる女は、例え夫がどうあろうと、簡単に浮気なんかしない。ましてや浮気相手に「一緒に逃げましょう」なんて、言わないよ。と言うかこの女、一切子供の事は頭にないのね。ゴージャスな社交界の華は、実は自己愛の塊です。同じ浮気女の下品なマートルが、あばずれの深情けを見せるのと対照的。処世術にたけ狡猾なのを、彼女は賢いと誤解しているのです。

ギャツビーが追いかけていたのは、本当はデイジーではなく、「良家の子女」だったのでしょう。どんなお金持ちになり、経歴を詐称しても、出自だけは決して消せない。ギャツビーは過去は取り戻せると言います。端的に言えば、金で買えると言う意味か?彼がデイジーに「この五年、トムを愛した事はなかっただろう?」と執拗に拘るのは、自分の出自も「無かった事」にしたかったからなんでしょうね。可哀想なギャツビーですが、ある意味デイジーとはお似合いです。

ギャツビーのお葬式に出席者をと、奔走するニック。しかし誰も来ない。あれだけ彼のお金を湯水の如く使った人達なのに。でも私は可哀想とは思いません。ギャツビーは食い物にされたのではなく、彼がそうしたかったから、人が集まっただけ。みんな本当の彼がどんな人が知らない。ギャツビーは最後まで「どこの馬の骨かわからない」人で終わってしまいました。ニックがギャツビーに心寄せたのは、ギャツビーが心を開き、本当の自分を見せたから。ギャツビーを追い詰めたのは、卑しい自分の出自が許せなかった、自分自身なんだと思います。私もお金で幸せは買えないと思います。

実は私が一番生々しく理解出来たのは、トム。お金持ちの俗物で女好き。お高いデイジーと下世話なマートルで、バランスを取っていたのでしょう。両方に不実なのに、彼なりに尊重してたつもりなのでしょう。だから自分の手からすり抜けそうになると、必死でしがみつくのは、わかるなぁ。悪漢ですが、彼の行動はよくわかります。

一部始終を冷静に見守っていたニック。冒頭でアルコール依存だと描かれますが、これも納得。これだけ人の心の裏側ばかり見せられたら、アルコールに逃げたくもなるでしょう。しかし原作者フィッツジェラルドを想起させるニックが、もがき苦しんだ後に書かれたギャツビーの伝記は、人間はひと皮剥けば皆いっしょ、貧富の差や身分の差など、その後の努力で挽回できるはずだ、と教えてくれます。最後に書いた「GREAT 」の文字は、ニックからギャツビーの人生への、最高の餞なのではないでしょうか。たった独りでも、ギャツビーを愛し理解してくれた人がいた事は、このお話を救いのあるものにしています。


2013年06月13日(木) 「イノセント・ガーデン」




パク・チャヌク初のハリウッド作品。主要キャストに売れっ子を揃え、どんな出来かな?と、とても楽しみにしていました。いつもの文字通り出血大サービスは控えめで、でもとても印象に残る使い方で、期待に応えて貰いました。

18歳の誕生日に最愛の父(ダーモット・マローニー)を事故で失ったインディア(ミア・ワシコウスカ)。母エヴィは、インディアとも父とも折り合いが悪く、それぞれが居心地の悪さを感じていました。父の葬儀の時、突然父の弟であるチャーリーが家に帰ってきます。容姿端麗で教養のあるチャーリーに、エヴィはすぐ親愛を見せますが、インディアは謎めいた叔父に懐疑的です。幾日が過ぎた後、メイド頭のマクガーリック夫人、訪ねてきた大叔母(ジャッキー・ウィーバー)が次々失踪し、インディアの周囲は不穏な空気に包まれます。

音信不通の叔父が母娘二人の家庭に入り込んだと設定なので、エヴィの弟だと思っていました。でも予告編でニコールとマシューのラブシーンがあったので、私はてっきり偽の叔父だと予想したのですが、これが亡き父の弟。エヴィは会った事さえないのに、すぐ打ち解けます。少し不思議ですが、娘との確執と、常に家に閉じ込められているような閉塞感に苛まれている彼女には、絶好の風穴だったのでしょう。

インディラは研ぎ澄まされた感性を持つ少女で、彼女が心を開いたのは父親だけ、学校でも独りきり。その感性で、彼女は得体の知れないチャーリーに疑惑の目を向けます。これでだいぶ引っ張るかと思っていたのですが、中盤であっさり謎が明かされます。しかし、お話はこれからが真骨頂でした。

原題は「STOKER」。インディアやチャーリーの姓であり、血の結びつきの濃さを表すと共に、狩りと言う意味も含まれているようです。インディアは父に連れられ、狩りを教えられていました。日に日に弟に似てくる娘を見て、父が考えた「息抜き」なのでしょう。その事はエヴィには言えなかったのでしょう。夫婦不仲の理由もこの辺りかも?この家に巣食う不穏さは、全てチャーリーからインディアに引き継がれた「血」なのですね。

インディアは前半と後半で印象が一変。前半はずっと仏頂面で可愛げがなく、これがあの可憐で透明感のあるミアか?と、びっくりするほど。秘密が解けた後半にかけて、笑顔を見せたり、また獲物を狙うような獰猛な目をしたり、生き生きし出すのです。シャワーシーンで苦悶の表情を浮かべたのは、自分の行為にショックを受けたからと思っていましたが、その直後に微笑み、もう私はびっくり!苦悶じゃなくて性的な恍惚感を表していたわけで。そーですか・・・、と言葉もありません。清純派ミアちゃんにここまでさせて、やっぱりチャヌクは鬼畜よね。

マシューもエレガントで素敵だけど、繊細さが足りないと思っていましたが、この役ならこれで正解。目が大きくて綺麗な人なのですが、今回妙にギラついているなぁと感じていましたが、なるほど、ギラつかなきゃいけない役です。役をよく理解していたんですね。

私が感心したのは、ニコール。大層美しく、教養も育ちも良さそうなのに、人として母として頭は軽く、中身も薄い。華やかさもこの家では、まるでドライフラワーのようです。しかし自分を嫌悪する娘に対して、激しい愛憎を見せるものの、娘からの愛を得る事が諦めきれない。これは本当に可哀想な人ですよ。夫ならまだしも、娘は諦めきれるもんじゃないはず。夫や娘との不仲は、決して彼女が悪かったわけではありません。ニコールがこんなに大きな子の母親役を上手く演じるなんてと、感激でした。

インディアとエヴィとチャーリーの関係に、終止符をつけたのはインディアでした。どこに向かうのか、このお話と思っていましたが、これは当たりました。兄から引導を渡された時のチャーリーの反応は、まるで子供でした。それから彼の精神は、多分成長していなかったのでしょう。孤独はもう嫌なのです。世界でたった一人、自分を理解してくれるインディアに、彼が執着したのは理解出来ます。対するインディアは、孤独ではなかったのです。彼女の最愛の人は、どこまでも父親。そして母を憎んでいたのでもありません。一見全く同じ性癖に見える叔父と姪は、実は違うのですね。チャーリーもインディアの愛を乞うていたと思うと、またまた切ないもんがあります。

お金持ち風のお屋敷や庭の様子がセンスよく、やぼったいルックスのインディアとの対比となっているのかと感じました。プロデューサーはリドリー&トニーのスコット兄妹で、彼らの意向があったのでしょうか、これがチャヌクか?と想う程、洗練されて美しく、かつ幻想的です。同じ脚本で韓国で撮ったなら、きっと過剰な演出で、必ずどこかに情念を入れちゃうはず。そうすると、この酷薄な美的感覚や官能性は台無しだったはずです。個人的には、大成功なハリウッドデビューだと思いました。


2013年06月12日(水) 「ローマでアモーレ」

ここ数年、コンスタントにヨーロッパを舞台に新作を発表するウディ・アレン。今作は久々に自身も出演しています。四つのお話はそれぞれ独立していますが、オムニパス仕立てではなく、それぞれが交錯して描かれます。イタリアと言えば情熱。往年のビットリオ・デ・シーカやピエトロ・ジェルミに代表される艶笑小噺風の内容は、ユーモアたっぷり皮肉もたっぷり、とっても面白かったです。

ローマでイケメン弁護士と知り合い、結婚するという娘(アリソン・ピル)に会うため、ローマまで来た演出家のジェリー(ウディ・アレン)と精神科医のフィリス(ジュディ・デイビス)夫妻。娘の義父(ファビオ・アルミりアート)のすごい美声を聞き、ジェリーは仕事への欲がムクムク。平凡で冴えない中年のレオポルド(ロベルト・ベニーニ)は、突然セレブになった自分に訳がわからず・・・。アメリカ人青年ジャック(ジェシー・アイゼンバーグ)は、恋人サリーの友人モニカ(エレン・ペイジ)と恋に落ち、新婚の若夫婦は、お堅い上流の親戚たちに会うため緊張の真っ只中。妻が美容院に行っている時、何故か手違いで娼婦のアンナ(ペネロペ・クルス)がやってきて、親戚たちは、アンナを妻だと思い込みます。

ここに書いてあるだけで、すんごい豪華キャストでしょ?この他ジャックパートには、狂言回し的にアレック・ボールドウィンも出演です。これだけ豪華だと胃もたれしそうなんだけど、アレンは余裕しゃくしゃく、飄々と演出しているので、とても軽妙です。何が偉いって、これだけの面々がほぼ自分のパートでは出ずっぱりで、キャラも背景も全然別々、きちんと描かれている事。影の薄い人が一人もいない。、尺にして111分、ひとつのお話が30分切っているのに、全部違う笑いで、でも同じ教訓を残します。

その教訓とは、「身の丈を知り、足るを知る事が人生には大事」です。そうすれば、幸せになれますよと言っているのに、一人だけ浮いた人を演じるのはアレン自身。アバンギャルド過ぎると言うより、突飛すぎて誰もついていけない演出ばかりして、才能があるのかないのかわからないけど、自信家で夢を追い掛け、家族を振り回してばかり。これがお茶目で実にチャーミングな爺さんなんです。その証拠に、困った顔ばかりする割には、妻も娘もジャックを愛しているのが、とてもわかる。自分は特別と言っているみたいで、なんかちょっとずるいなぁ〜。

ファビオ・アルミりアートは、本当にすごい美声と声量で、吹き替えなのかと思っていたら、本当のオペラ歌手さんなのでした。それがあんなシーン(爆笑ものなので、特に秘す)やってくれるなんて、素敵よね〜。男気がある!個人的には良い女優さんと思うけど、エレン・ペイジが魔性の女っつーのは、どうよ?と言う気がしますが、相手役が女の数は知りません風のジェシー君なら、エレンでも有りだなと感じるので、この辺のキャスティングもヒット。ジュディ・デイビスのクールなしわがれ声は、今回とっても温か味がありました。ちょこっとオルネラ・ムーティが大女優役で出てくるのも、嬉しかったです。

その他日本ではあまり知られないイタリアの俳優さんたちは、皆イケメンと美女で、トレビの泉や下町風景などなどと一緒に、とても良いイタリア案内になっています。こんなにソツなく作っているのに、それを感じさせないのが、すごーく品がいいです。豪華キャストが奏でる小品にして逸品。とにかく楽しいです。


2013年06月09日(日) 「オブリビオン」

トムちんの映画は、内容が興味なくても観る事にしています。なのでこの作品も、ボケ〜と何も考えず金曜日会員千円のラインシネマに向かいました。始まって暫くして愕然!そうだ、SFだったのだ・・・。ワタクシSFは大の苦手でして、ちょっとは内容を仕込んでおくべきだったと後悔しておりました。しかし、娯楽作キング・トムちんに置かれましては、いらん心配でした。あれこれ以前に観た風景が現れ、SF的にはそこそこの描き方で、難易度はAくらい。それにそもそもこの作品、SFに名を借りたラブストーリーなのではないかと思います。最後まで楽しめました。監督はジョセフ・コシンスキー。

2077年の地球。エイリアンの来襲で起こった戦争で、地球は大気汚染に犯され、生き残った人類は、土星へと移住しています。そんな人々のいなくなった地球で、パトロールを続けるのがジャック(トム・クルーズ)。公私とものパートナーのヴィクトリア(アンドレア・ライズブロー)と二人きりです。任務に忠実であるため、彼らは赴任する前の記憶が消されていました。ある日墜落する宇宙船を見たジャックは、その後を追跡。そこにはカプセルで眠る女性ジュリア(オルガ・キュリレンコ)が。彼女こそ、毎夜にようにジャックの夢に出てくる女性でした。彼女はジャックの事を知っていました。

前半は荒廃した地球の様子と、それを監視するジャックとヴィカ(ヴィクトリア)の様子が描かれます。地球で二人きりですが、お互い信頼関係にある二人は穏やかに暮らしています。土星へ移住した組織との交信は、サリー(メリッサ・レオ)を通じて行われます。毎日必ず「今日もパラダイスよ」と答えるヴィカから、ジャックへの愛の満足感が伺えます。

アクションとして、お金をかけてスリリングなシーンも用意されています。それなりに見応えはありますが、目新しさはありません。それより私が印象に残ったのは、ジャックが生まれる前の2017年が刻まれる、アメフトのスタジアムの残骸跡で彼が語る勝負のシーンです。鮮やかな記憶の再現と、始終見る夢の数々です。こちらも見慣れた演出ですが、上手く作品をリードしています。

ジャックとヴィカとジュリア三人の場面が、静かですがピリピリします。これみよがしにジャックの手を取るヴィカ。せせら笑う様なジュリア。何とも意味深なSFらしからぬ光景です。三人の関係で私が一番共感したのは、ヴィカです。記憶が消され、見知らぬジュリアを夢見るジャックに対して、ヴィカは記憶が消されようと、夢にまで見るのはジャックだったんじゃないかなぁ。彼女は記憶が消させる以前から、ジャックが好きだったのだと感じました。それがジュリアへの敵対心になったのだと思います。切々としたジャックへの女心は、ジュリア以上だったと感じます。彼女の取った行動は、規律重視ではなく、ジャックに取って自分が、オンリーワンでなくなった哀しみだと思いました。

記憶や想い出。私のように年齢にならなくても、それが人生にどんなに希望や愛をもたらすものか、私たちは知っています。それが例え、「自分が自分」ではない状態であっても、自我の目覚めや感情を発露する事を引き起こすんだと、実感します。若い軍曹は否定しても、老いたモーガン・フリーマンがその事に賭けたのは、人生の経験値の違いなんだと思いました(ネタバレ出来ないので、苦しい書き方・・・)。そして私が痛感したのは、例え記憶がなくなっても、大事な人が存在する、それだけで人は希望が貰えるのだと言うことです。

「アウトロー」では、トムちん老けたなぁ〜と感じましたが、今回美女二人のラブストーリーと言う事もあってか、とっても若い!特に隠れ家にいる時の若々しさったら、往年を彷彿させるもんがありました。これなら四度目の結婚もあるかも?三回も結婚すると言うのはね、家庭を求めていて、そこに幸せを見出したいと思っているからですよ。ファンとしては、是非懲りずにもう一度結婚して欲しいと思います。

美女二人も、良かったです。オルガは素朴で愛らしく、芯の強さを感じさせるジュリアに適任でした。アンドレアは、他の作品では全然記憶にないのですが、この作品では大変エレガントで美しく、聡明で落ち着いたヴィカの見せる、一瞬の激情も見事に表現。とても感心しました。彼女の好演なくば、ヴィカに対しての理解やこの作品の解釈も、違うものになっていたと思います。

ネタバレになると差し合わりがあるので、この辺で。きっとネタバレが耳に入ると思うので、ご覧になる予定があれば、早いほうが良いです。似ていると評判の某作品、私は未見なので、レンタルしたいと思っています。


2013年06月02日(日) 「グランド・マスター」




1日の映画の日に観てきました。新作ラッシュで予定が大変な事になっていて、この作品も、本当は観たい度下位作品でした。でも1日の日は夫も仕事が休み。せっかくなので夫婦で観られる作品をと思い、「これイップ・マンの話やねんで」と、ウォン・カーウァイ作である事は隠し(てか、名前言っても知らんし)観てきました。夫はドニー兄貴の「イップ・マン 葉問」はケーブルで観ており(ワタクシ未見)、「ドニーのは面白かったけど、まぁ娯楽作やな。こっちはドラマ重視で作ってあって、なかなか味わい深い」などど語り、へぇ〜意外〜と思っておりました。しかし今日は、「大した映画やなかった」と「本音」を言うじゃございませんか。実を言うと、私も「オブリビオン」にしとけば良かった・・・と、思っております、ハイ。いやいや、決して出来が悪かったわけじゃございませんけど。

1930年代の中国。北の八卦掌の宗師、ゴン・パオセン(ワン・チンシアン)は引退を決意。南北統一の悲願を託せる後継者を探しています。候補は一番弟子のマーサン(マックス・チャン)。ゴンの娘ルオメイ(チャン・ツィイー)も後継者に名乗りを上げる中、ゴンが後継者に氏名したのは、人格的にも優れているイップ・マン(トニー・レオン)でした。憎悪を募らせるマーサンは、師匠であるゴンの命を狙います。

カーウァイで武侠映画なんて、どんな出来かな?と、そそられるでしょう?まさか天下一武闘会になるとは思っていませんでしたが、ちょっと肩透かしでした。何故なら直接対決があまりありません。カンフー場面はふんだんに出て来て、各々満足は出来るんですが、後継者争奪戦の感じはありません。

印象に残った戦いは、イップ・マンVSルオメイの濃密なラブシーンのような戦いと、マーサンとルオメイの名誉と家名をかけた戦いです。そうなんです、イップ・マンのお話のはずが、終わってみれば、ルオメイの一生を追った感じなんです。

チャン・ツィイーは流石に二十歳の小娘の役は無理があるだろうと思いましたが、なんのなんの、可憐で気の強い令嬢役を軽々こなしていました。カンフーもところどころスタントを感じますが、基本的な振り付けは充分及第点です。父を思い女の幸せを捨て、家を守る健気な姿も共感を呼びますが、圧巻だったのは、ラスト近くのイップ・マンとの逢瀬のシーン。今までの凛とした姿ではなく、けだるい哀愁と死の匂いを香らせて、朽ち果てる直前の女の色気を発散させています。そんな彼女の口から「ずっとあなたが好きだったの。ただそれだけ・・・」のセリフに、私は思わず落涙。結婚せず子も持たず、武道家として弟子もなし。恋もなし。家名を守るためだけに生きた彼女の一生は、いったいなんだったのだろう?と、とにかく哀れでなりませんでした。

他に印象的なのは、イップ・マンと妻(ソン・ヘギョ)との、愛を感じる夫婦の風景です。キスやセックス一切なしで、この濃密さ。素晴らしい!妻を演じるへギョがまた、可愛くってねぇ〜。こりゃ夫たるもの、全力で愛しますよね。妓楼の風景もクラシック音楽が奏でられ、品はあるけど淫靡な華やかさが素敵でした。

と、思い出すのはグランド・マスター争奪戦以外の事ばっかりです。映像はそれぞれ美しく、カンフーシーンも雨有り雪ありで、これもロマンを感じさせます。まぁ、カーウァイらしいっちゃ、らしいのですが。チャン・チェンも争奪戦メンバーなんですが、何で出てきたの?と言うくらい、絡むシーンほとんどなし。謎の登場人物でした。

イップ・マンは、清朝・中華民国・香港と、中国が変貌していく中を生きた人であるのに、イマイチ高潔で人格者である武闘家、以外には、彼が浮かび上がりません。トニーは登場すれば魅力的でしたが、印象には残っていません。とにかく圧倒的にツィイーの好演と、数奇なルオメイの一生が私の心を捉えた作品でした。

天下一武闘会をご期待の向きには、あんまりお勧め出来ません。まっ、こうなることは半分わかっていたのに、夫を誘った私が悪うございました。ストーリーより完璧にムードと映像の武侠映画なので、カーウァイファンの方なら、それなりにお楽しみいただけるかも。

大阪では7月下旬から、シネマート心斎橋でウォン・カーウァイ特集を上映予定です。この作品の絡みでしょうから、感謝しております。そんな作品(どんな作品やねん)。


2013年06月01日(土) 「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ / 宿命」

「ブルーバレンタイン」のデレク・シアンフランス監督の二作目と言う事で、とても楽しみにしていました。三部構成に分かれていて、血の因果が面々と受け継がれる様子が描かれます。それぞれ内容に目新しさはないのですが、とにかく一瞬一瞬の場面に浮かぶ、繊細な登場人物の心模様の演出が素晴らしく、そこにとても感じ入りました。私はこの作品、大いに買います。

移動動物園で天才的なバイクの曲芸を見せるルーク(ライアン・ゴズリング)。かつての恋人ロミーナ(エヴァ・メンデス)と再会したルークは、ロミーナが彼の息子ジェイソンを生んでいたと知ります。浮き草稼業から足を洗い、ロミーナと息子のために、この街に住むことにしたルークですが、ロミーナにはパートナーのコフィ(マハーシャラ・アリ)がいました。自動車修理工場主のロビン(べん・メンデルスゾーン)に拾われたルークですが、それは彼の卓抜したバイクの腕を見込んでの事。裏では銀行強盗をしており、ルークを引き込みます。しかしルークは単独行動でヘマをし、警官のエイヴリー(ブラッドリー・クーパー)に追い詰められます。しかしエイヴリーはルークが拳銃を引く前に発砲。ルークは死亡。この重大なミスを誰にも言えないまま、皮肉にも彼は正義のヒーローとして、出世していきます。

冒頭長回しで、ルークの体中の無数のタトゥーを映します。彼の左目尻にもナイフの刺青。それは彼の人生が、いつも涙と共にあったように感じました。Tシャツを裏返しに着ても頓着なく、敗れたジーンズはおしゃれのためではありません。そんな育ちの悪さを感じるルークが、自分の息子が祝福されて洗礼式を受ける様子を、涙ながらに観る姿が切ない。この時ルークは、息子の為に生きようと決心したのだと思いました。彼にはなかったはずの、父親の愛を与えたかったのかと思います。

ロミーナがルークと再会時の服装は、タンクトップにショートパンツ。ノーブラの胸元は、くっきり乳房が浮かんでいます。しかしこのシーン以外、彼女はきりっと髪をまとめて、肌の露出の少ない地味な服装なのです。子供を産む前の、ルークとお似合いだった時の格好なのでしょう。ルークに捨てられたような形なのにジェイソンを生んだのは、ルークは彼女の人生で一番大切な想い出だったのだと感じました。コフィに対しての思いは、同じ大切であっても、恩人のような気持ちが大きかったと思います。ルークとジェイソンと三人で写真を撮る時のロミーナの涙は、女としての哀しみの深さと、人としての誠実さの狭間に揺れる涙です。

ルークのした事は横暴で、結果的にはろくでなしです。しかし智慧や教養のない彼なりの、精一杯の男の責任と誠意を感じるのです。幸せにまっとうに暮らしたいと願いながら、少しずつ歯車が狂ってくる底辺の人々。このパートが一番好きです。

続いてのパートはエイヴリーが主役。出世のために手段を選ばなかった裁判官の父を嫌い、警官を選んだのは、彼なりの正義です。それがルークの一件を秘密にする事で、皮肉な事に彼の正義も飲み込まれ、父と同じ保身のために手段を選ばぬ人間になっていきます。この辺の描き方も、エイヴリーの葛藤が細やかにこちらに伝わるので、真実を告白できない不実より、重大な秘密を抱える人生の辛い重さの方に感情が向きます。

エイヴリーは最終的には嫌っていた父を頼り、逮捕を覚悟したルークは、俺の事は絶対息子には告げるなとロミーナに電話する。それぞれ「父」と言う存在は、違う重さを放つのです。

最後はジェイソン(デイン・デハーン)とエイヴリーの息子AJ(エモリー・コーエン)のパート。エイヴリーは秘密の代償のように出世とは反対に家庭は崩壊。妻は変貌して行く夫を嫌ったのでしょう。息子は甘ちゃんの不良息子となっています。ジェイソンは家庭にも学校にも居場所がない浮遊感を漂わせています。同級生となった二人は、親しくなります。

ロミーナはコフィと結婚。堅実に家庭を築き、誠実なコフィはロミーナとの間に生まれた娘と、きっと分け隔てなく接したはずです。しかし食卓で、ヒスパニッシュのロミーナ、黒人のコフィ、やはり黒い肌の妹に囲まれる様子は、白人の血の混ざるジェイソンだけは異質だと言っているようです。義父に愛されれれば愛されるほど、感謝はしても、その思いはずっとジェイソンの中に蟠っていたと思います。二度のアイスクリームを食べる場面の使い方も、「父」を感じます。

エイブリーが出世に意欲を燃やしたのは、その事で自分の秘密を払拭したいと思ったのでは?幸せを掴めたかもしれないルークの人生を奪った代償として、自分も家庭を顧みなくなったのかもなぁと、エイブリーが持ち続けるルークの写真を観て思いました。

自分の気持ちに落とし前を付けるための行動に出るジェイソン。彼と対峙した時、エイブリーはどうするのか?逃げ回った秘密から、彼はほんの少し開放されたかも知れません。エイブリーはAJに事の顛末を話したと思いました。それは父親は、息子には自分を超えて欲しい、そう願う気持ちがあるはずだからです。ラストのジェイソンの姿は、父親ルークの思いを受け止めたからだと思います。

ライアンVSクーパーの新色男対決は、直接対峙する場面は一箇所だけですが、私はライアンの方が好き。でも特権階級に属する人の苦悩より、底辺でもがく人の辛さの方が心に染み入るものなので、役柄的にはライアンに分があるかも。それでもライアンの作品はそれなりにたくさん観ている私ですが、この作品の憂いマックスの彼は、今までで一番素敵でした。

ストーリー展開より、ひとりひとりの登場人物の心に寄り添って観るのが良い作品です。様々な感情が刺激され、それでも人は生きていく、人生の素晴らしさではなく、重みを感じる作品です。


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