ケイケイの映画日記
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2006年02月25日(土) 手術決定、今度は絶対編

今までの経過はこちら

昨日定期健診に行って来ました。2月中に検診予定でしたが、今の病院は駅からちょっと歩くので、主治医の検診を仕事を休まず受けようと思うと、金曜日の夕方のみなので、さぶ〜くて気が向きませんでした。もう三月でもええかなぁと考えていると、先週末からまたお腹に痛みが。そして張りもかなりあります。これは6月経験した感じとそっくり。意を決しての検診です。

寒いだけでなくお腹も鈍痛が続くので、長男に送って欲しいと頼むと、仕事の都合をつけてくれました。亡くなった私の母(享年55歳)は「子供に迷惑はかけへん。病気になったら見殺しにしてくれたらええ。葬式もせんでええし、お骨は無念仏に葬ってくれたらええねん。」と常日頃子供に悪態をつき、うんざりさせる人でしたが、いざガンになると、幼子二人居る私に、夜討ち朝駆けで電話攻撃、看病疲れで二度目の風疹にかかった私が、5日間病院に通えないと、「あんたは母親がどうなってもええねんな」と、また悪態つくという、言うてることと全然違うやないか!の人でした。病気や死は怖くて当たり前、自分の命は一人で支えている物ではないと、つくづくその時悟った私は、子供たちが小さい頃から、「お父さんもお母さんも、出来るだけあんたらには迷惑かけへんけど、病気の時は助けてな。」と言い続けていました。しかし44歳でその日が来るとは。感慨深いというか、情け無いというか。

うちの車は家族で使いまわしで、最近生意気にもタバコを吸いまくる長男と、一日二箱吸う夫が主に使っていて、タバコを吸わない私には、もう拷問のような臭さ。以前は密室でのモクモクも平気でしたが、筋腫発覚後はうちの車は地獄です。多分因果関係があるんでしょうね。

受付を済ますと、ほどなく呼ばれて診察です。先生に今の状態を言うと、「排卵痛ではないですか。」ノー。
「クラミジアに感染したことは?」
ノーです!!!


まっ、産婦人科ですからね。うちは結婚24年、夫婦とも操を守り通しているという、連れ合いの鏡(またはクズ)なので、そういう心配はありません。というと、残るは一つ。急に筋腫が大きくなっている、です。内診をしてもらうと、ビンゴ。「大きいねぇ。赤ちゃんの頭くらいになってます。予定はいつやった?八月?膣式希望やったら、早くしてもらわんな困るな。」

という事で、四月三日に予約してきました。元々検診を三ヶ月に希望したのは、子宮がもたない時点で手術しようと思っていたからで、希望叶わず残念ですが、4ヶ月早まりました。お腹が痛かったので、余分にもらっていた抗生物質のクラビットを飲んで、少し楽になったと言ったら、「これは急に筋腫が大きくなった部分に血液が集中し、他の子宮の部分に血液が滞るため起こっていることです。勝手にクラビット飲まないで下さい。肝心な時に効かなくなりますよ。痛み止めを出しておきますので、それで様子をみましょう。少しでもおかしいと思ったら、すぐ来院して下さい。」と怒られました。素人判断はいけませんね。反省。

急激に大きくなった時は肉腫が疑われますが、私の場合、先週うちの病院で血液検査をしましたが、セーフ。超音波で主治医に診て貰うと、血流の流れから心配はなさそうです。私の場合、卵巣は二つとも健康なので、ホルモンによるものだろうとのことです。(筋腫は女性をホルモンを食べて大きくなる)。今思えば、やはり10月くらいが手術しどきだったのでしょう。月経過多、生理時の大量出血、貧血、激痛などない私は、あの時元主治医が脅し気味に言ってくれたおかげで決意した子宮摘出です。その後のトラブルで肝が据わり、今は子宮がなくなることに未練はないのですから、元主治医には感謝した方がいいかなと、今では思っています。改善すべきは医局の制度ですね。

ただいまお腹は妊娠五ヶ月くらいの感じです。体の状態はつわりこそないですが、胸がつかえる、仰向けに眠れない、常にあるお腹の張り、お腹がせり出したことでの腰痛、膀胱が圧迫されての頻尿です。まさに妊娠中・・・。今はこれ以上筋腫が大きくならず、開腹に切り替わらないよう祈るだけです。来週の土曜日は、術前の検査に行ってきます。


2006年02月24日(金) 「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道」


本年度ゴールデングロブ賞ミュージカル・コメディ部門で、最優秀作品・主演男女優賞を取り、オスカーでも主演男女優賞にノミネートされている作品です。偉大なアメリカのロカビリー歌手、ジョニー・キャッシュと、その妻(2度目)ジューン・カーターの伝記物で、何でもキャッシュを演じるホアキンがそっくりなんだとか。ほ〜、それは楽しみ、と思っていましたが、ここで問題が勃発。よく考えたら、わたしゃジョニー・キャッシュの歌を知らないどころか、顔さえはっきりわかりません。この作品にもちょい出てくるプレスリーなんぞ、歌も知ってる映画も観たことあるのに、どうしてでしょう?(ちなみにやはり出てくるジェリー・リー・ルイスが歌っているところは、テレビで観たことあり。)こんなんで大丈夫かいな?の危惧も、二人の熱演と心地よい音楽で、見初めてからすぐに払拭されます。キャッシュをご存じない方でも、問題ない作品です。ちなみに、↓が本物のキャッシュ。ちょっと恐そうですね。

貧しい綿花を作る小作農の家に生まれたジョニー・キャッシュ(ホアキン・フェニックス)。幼い時大好きだった兄に死なれ、お気に入りだった長男を亡くした父は「神様はいい子を連れていった」と、さもジョニーが死ねば良かったようにいい、その時から長く父とジョニーは確執がありました。二年の軍隊生活を終え、初恋のヴィヴィアンに猛アタックしたジョニーは、首尾よく結婚までこぎつけます。しかし幼い時からラジオから流れる歌が心の支えだった彼は、仕事が身に入らず、熱心なのは趣味のバンド活動だけです。妻とケンカが絶えない日々でしたが、あるレコード会社のオーディションに合格した彼とバンドは、一躍流行歌手の仲間入り。ツアーに次ぐツアーの成功は、彼に膨大な金をもたらしますが、離れて暮らす妻とは徐々に溝を深めていきます。そんな彼の心の支えは、少年の頃から憧れていた、幼い時から舞台に立つジューン・カーター(リース・ウィザースプーン)でした。キャッシュとジューンはツアーを組み同じ舞台に立ちますが、激しく消耗する心身に、やがてキャッシュは薬と酒、女に溺れていきます。

この系統の大衆音楽家のお話は「レイ」でも描かれています。酒と女と薬に溺れるのもいっしょ。違うのは妻です。一心にレイを支えたレイの妻に対し、キャッシュの最初の妻は、生活苦をなじり、生活が豊かになっても、今度は家に居れない夫に噛み付きます。前者は大衆の星であるレイ・チャールズの妻として、夫を理解し支える美談、後者はどこにでもある夫婦の亀裂に感じます。しかしどこにでもあると言う所が、理解はし易いですが通俗的で、後世に名を残すロカビリー歌手である、ジョニー・キャッシュという人が浮かび上がりません。

例えばレイ・チャールズは大衆が望むようなヒット曲を作り続けることに激しい疲れをみせ、それがため薬や酒に溺れるのが手に取るようにわかるのですが、キャッシュの場合、音楽に対しての思い入れがそれほど感じられません。少々プロ意識に欠け、偶然のラッキーだけで人気者になった感じで、実際当時のショービスの世界がそれほど甘かったとは思えません。

しかし、ずっとツアーを共にし、お互い惹かれあいながら、中々結ばれなかったジョニーとジューンのロマンス物だと思うと、これは悪くないお話です。二人とも出会った時は家庭があり、子供がいました。それが紆余曲折を経て結ばれるまでを、カントリーありロカビリーありバラードありで、吹き替えなしの素晴らしい二人の歌声に乗せて描いていて、その点は大成功に感じます。これは主役二人の頑張りに他ありません。

ホアキンは歌が上手いという感じではなく、歌に味があるという感じで、後半になるほど歌が上手くなり、キャッシュの歌い手としての成長も感じさせます。ギターの抱え方がかっこよく、元々演技力がある人なので、情けないキャッシュの様子も繊細さに変えて演じています。本物のキャッシュを知らないのがすごく残念です。ただキャッシュの20歳前後から十数年描いているはずなのですが、年齢の変化が容姿にも演技にも感じられません。特に若い時は少々苦しかったです。

ホアキン以上の頑張りをみせるのがリース。ラブコメの新女王という印象だったのですが、こんなに演技が出来る人だとは思いませんでした。ご自慢のブロンドをブラウンに染め、舞台ではいつも元気でキュートな明るさを求められそれに応じる様子と、楽屋裏では子供と離れ離れで生活する寂しさ、二度の離婚に懸命に耐える芯の強い姿、キャッシュとの心のすれ違いに涙しながらも、子供の姿を目にすると、すぐ母に戻ろうとする泣かせる様子など、リースの演じるジューンは、その張りのある歌声の素晴らしさと共に、愛さずにはいられません。

若々しくてキュートな彼女は、ジュリアでもなくメグでもなく、アメリカ人が大好きなゴールディ・ホーンの系譜ではないかと感じました。何度も「ジューンは美しい」とセリフに出てきますが、私も肯けます。美人ではない彼女ですが、今回内面の美しさも醸し出し、輝くばかりに美しかったです。

キャッシュ家もカーター家も、共に敬虔なキリスト教信者でした。しかし教義を忠実に守っているつもりが、それに振り回され親としての情をなくし、冷たい隙間風が吹くキャッシュの両親に対し、教義に背き二度の離婚を経験する娘を、世間の矢面から守るカーター夫婦は、娘の心を後押ししキャッシュの更正に共に手を貸します。この人達の行動もまた、「隣人を愛する」というキリスト教の教義にのっとったものであったと思います。アメリカ映画によく見られるこの様子は、いかに教義を取捨選択して人生に生かすのか、これは信仰を持つ人の課題なのだと感じました。

この作品のプロデューサーは、ジョン・カーター・キャッシュで、キャッシュとジューンが結婚して生まれた息子です。この作品を観ると、彼は両親、取り分け母が好きだったのだなと思います。いつも自分を見失わず、前向きな正しいジューンですが、ツアーのバスで男性ばかりの中、自分の身を守るためにも深い仲の男性は、夫達以外にもいたはずです。それを描かないのが、返って微笑ましいです。キャッシュの前妻との離婚も、元妻を立てながらも、父にも理解を示します。きっと自分の母がそうであったように、両親の舞台の袖に寝かされて彼は大きくなったのでしょう。そんな両親を愛する息子の気持ちが観客に伝わるのが、この作品を愛せるものにしています。

何故キャッシュの父親が、息子をあれほど嫌ったのかは、近親憎悪ではなかったかと思います。自分と似ていない長男は牧師を目指していました。お金はなくても人助け出来るという理由で。息子ながら、そういう自分にはない崇高な部分に、憧れもあったと思います。いつも流行歌を聴くジョニーは、お酒が大好きな自分の俗っぽさに通じるところがあったのでしょう。だから流行歌で名をなした息子を認められない。ロバート・パトリックが、いい味でこの父親を演じています。

しかし歌は世に連れ、世は歌に連れです。寂しいのはお前だけじゃないと、愛した恋した、憎んだ怨んだ、哀しい侘しい、そして幸せだと、大衆に支持される流行歌を歌うのがキャッシュとジューンです。そんな二人にふさわしい作品に仕上がっていました。本当は息子の素晴らしさが、この不器用な父親にはわかっていたことでしょう。


2006年02月20日(月) 「タブロイド」

16日、「ジャーヘッド」を観た10分後に観た作品。南米の作品で(メキシコとエクアドルの合作)で、コピーに「あの『シティ・オブ・ゴッド』を凌ぐ!」とありましたが、多分凌ぎはせんだろうと検討をつけつつ、やっぱりラテンの作品は好きなので観ることにしました。しかし・・・。いや作品としては力強く、ラストはそういう展開になるのかぁと、なかなかのもんでしたが、後味が最悪で。「ジャーヘッド」も力が入ったので、とても疲れたはしごとなりました。

マイアミに拠点を置くラテンアメリカ人系向けのタブロイド番組の人気テレビレポーター、マノロ(ジョン・レグイザモ)は、番組プロデューサーのマリサ(レオノール・ワトリング)、カメラマンのイバン(ホセ・マリア・ヤスビク)と共に、子供ばかりを狙う殺人鬼”モンスター”の事件を追うため、エクアドルに入国する。取材中、偶然飛び出した少年が車に轢かれる現場に居合わせた彼らは、興奮した群集にリンチされていたビニシオ(ダミアン・アルカザール)を助ける。翌日”モンスター”の取材のため留置所を訪れたマノロたちは、ビニシオから真実を番組を通じて伝えて欲しいと言われる。代わりにビニシオは、まだ誰も知らない”モンスター”の情報を教えると言います。

冒頭何だか虚ろな表情で怪しげな行動を取っているビニシオが映ります。ここで観客は少々胡散臭く感じます。そこへリンチ事件。これが凄まじいリンチで、ビニシオばかり責められない状況であるのに、人々は”モンスター”事件のため殺気立ち、自分の子供も犠牲になるかも知れない不安感は、群集心理となりまるでビニシオにモンスターへの怒りをぶつけているようです。
ここら辺の演出は南米作品独特の血の気の多さと、湿り気を感じさせ、見応えのある演出でした。

しかし、いくら国民的ヒーロー扱いのレポーターだとて、簡単に刑事の検視現場に入るは、証拠物件の車の中の物を妻が勝手に持ち出すは、留置所で単独インタビューが何度も行われるなど、ちょっと日本に住む感覚だと、脚本がずさんな気がします。ビニシオとマノロとの駆け引きも、延々同じことの繰り返しだし、テンポが遅いです。そして肝心の”モンスター”は誰なのか?もうバレバレ。しかしこの作品は、それで良かったんです。犯人がどんでん返しの鍵ではありませんでした。


ここからネタバレ(終了後文章あり)












モンスターはビニシオ自身でした。彼にテレビでそのことを告白させ、大スクープとしたいマノロは、それを見透かされるように、ビニシオにじらされ、翻弄されます。これはマノロの行動が正義ではなく、野心・功名心のなせることだったからでしょう。マノロの心は、ビニシオが埋めた少女を発見した時、警察に知らせなかった時点で、もう魂は悪魔に売り渡したも同然。
この時から、ビニシオが釈放され、新たな殺人が行われる手はずは整っていたのでしょう。私がおかしいなぁと感じた、ぬるーい南米の警察は、セリフの「信じられない。賄賂が効かないなんて。ここは南米よ。」のセリフで払拭されます。その後の展開も、有力者の鶴の一声やお金で左右され、安全や法が簡単にひっくり返るのも怖く感じ、薄汚くじめじめしたエクアドルの底辺の町は、暗いエネルギーに支配され、モンスターを生み出す土壌を感じさせました。










ネタバレ終了




マノロの取った行動は、エクアドルだけでなく、どこの国でも起こりえることです。名声は自分を見失わせるのだなと思わせます。そして事実がマスコミの演出一つでひっくり返る、黒が白になる瞬間もまたしかり。

マノロを演じたレグイザモは、ちょっとクラシカルなチンピラの風情が個性的は人ですが、この作品のクールな人気レポーターを安定した演技で演じていました。今まで英語を喋る彼しか知らなかったので、ラテン語を話すのは新鮮でした。子供の頃コロンビアからアメリカに移住したそうです。プロデューサー役のワトリングは、あの「トーク・トゥ・ハー」の眠れる裸の美女。あの役は死ぬほど彼女の当たり役だったようで、今回も演技に不満があるわけじゃなく、綺麗だし夫とマノロとの間の揺れる心も無難に演じているのに、全然魅力を感じません。インパクトの有りすぎる役を演じた後は大変なのだなと思います。アルモドヴァルは、女性を美しく映すのは本当に上手なのだとも再認識しました。アルカザールは気弱で優しげな中、どこか危ないビニシオを大変好演していて、少々脚本が手ぬるいところも、彼の好演で最後まで引っ張ってもらいました。

後味は最悪ですが、見応えは充分にある作品。サスペンス面より人間の深層心理を、南米式に濃く見せてくれた作品です。


2006年02月17日(金) 「ジャーヘッド」


去年の暮れ、「キングコング」の時の予告編に思いっきりそそられて、絶対観ようと思った作品。ラインシネマで観る予定でしたが、日程の都合でナビオTOHOにて鑑賞。公開まもなく観て本当に良かったです。だってまた観られるでしょう?今年観た作品の中では一番好きな作品です。

祖父も父も軍人として出征したアンソニー・スオフォード(ジェイク・ギレンフォール)は、大学進学を悩みながらも海兵隊に入隊します。新兵の訓練はすさまじく、めちゃくちゃなしごきをする上官や訓練に、大学に進学すれば良かったと思うアンソニー。しかし配属先の小隊に手洗い歓迎を受けながらも、しだいに軍人らしくなっていく彼。やがてサイクス曹長(ジェイミー・フォックス)の目に留まった彼は、トロイ(ピーター・サースガード)らと共に、厳しい訓練に耐えた60名の中のわずか8名の斥候狙撃隊に選ばれます。折りしも湾岸戦争が開始され、彼らもサウジアラビアに派遣されることになったのですが・・・。

湾岸戦争版「フルメタル・ジャケット」と聞いていましたが、なるほど、口汚く新兵たちを罵り、虐待に近い訓練をさせる上官の姿は、確かにキューブリックの同作品を思い起こさせます。「ファッキン!○△□☆%#&!」、「お前はゲイか?!」「糞ったれ!」「このうじ虫!」などなど、これ以上のお下品で卑猥な言葉の羅列もいっしょ。まだ30歳前に観た「フルメタル・ジャケット」の時は、あまりの口汚さに引いてしまって、最後まで作品に入っていけませんでしたが、今回「サー、イエス、サー!」と元気良すぎる大声を張り上げるこの猥雑なバイタリティーを持った青年たちの、羨ましいくらいの若さと快活さに、引くどころか好感を持ったのですから、私も年を取ったもんです。

物語の中心は辛い訓練を経て、やっと実戦に出れると浮き足立った彼らでしたが、来る日も来る日も待機の日々。単純ですがしんどい訓練が続けられます。その退屈な日々の中、スオフ(スオフォード)を中心に、残してきた妻子や恋人への思い、いつ前線に出るのか張りつめる心、いったい自分は何をしに海兵隊に入り、こんなところにいるのだろうかという、自分の存在の意義や意味に葛藤する様子が、昼は気温が45度になる砂漠で段々追い詰められていく様子が、リアルでコミカルで痛々しく描かれます。

「ジャーヘッド」とは、海兵隊のこと。丸刈りや頭が空っぽの意味もあります。本国からインタビューに来たテレビ局には、「アメリカの正義のため頑張りますとだけ言え」とサイクスに言われた彼らですが、そんなもん本心じゃありません。あげく画像のように激熱の中、細菌から身を守る防御服がいかに性能が良いか見せるため、フットボールまでやらされる始末。腹いせに彼らがクルーの前で始めたのが、半裸になり男同士で「レイプごっこ」です。モノがモノですから嫌悪感を持ってもいいはずが、見ている私も、もっとやれーと、やんやの喝采を贈りたいほど気分が晴れます。他の乱痴騒ぎを見ても、何故か微笑ましいのです。ここまでバカになれたら立派なものです。女性はここまでは無理。ジャーヘッドにならなきゃ、とてもやってられない場所と言う訳ですね。ここまでバカやれて、男っていいなぁと素直に思いました。

スオフは家庭に恵まれないものの、進学以外に働くことも出来たはず。他の隊員もお金の問題もあるでしょうが、「最高の生き方がある、そう信じて僕は戦場に向かった」というコピーは、アメリカの中流以下の若者の、軍隊に対しての考えを表しているのでしょう。そこには、戦争も第二次大戦を繰り返し描く他国と違い(それ自体は良いと思います)、アメリカはベトナム、湾岸、そしてイラクと、日常生活と背中合わせに戦争があります。軍隊に入ることで何かを見つけたいと願う気持ちは、そんな国に生まれたからに他なりません。

サイクスは「年収10万ドルの仕事を捨ててここにいる。何故だと思う?この仕事が好きだからだ。海兵隊に居れて、毎日感謝している。」という、聞き様によっては恐ろしい言葉を吐きます。しかし年収は10万ドルでも、黒人のサイクスは生きている実感を、その仕事から得ていたのでしょうか?サイクスが生きがいを軍隊に求めていることに、根強い人種差別を感じました。

戦闘場面は少なく、油田の炎上がありますが何故か美しく感じます。これは大爆発が起こるぞ、と思うと笑ってしまう出来事で済んだり、敵だと身構えると、身内のパーティだったり、緊張と弛緩が行ったり来たりの様子も面白かったです。この作品は実際に湾岸戦争に行った人の手記が原作で、実際はそうかもなぁとリアリティを感じました。


ここからネタバレ(以降にも文章あり)










結局実質彼らが前線に出たのは四日だけ。それも敵が殺戮を行った場所を俳諧しただけでした。そして一人も殺さず一発も銃も撃たず。命令が中止になり、狙撃出来なくなったトロイが、「お願いだから撃たせてくれ!」と叫び狂うのが強く印象に残ります。トロイもまた、海兵隊で生まれ変わりたかった人間です。その証として「殺人」がしたかったのでしょう。あまり反戦は見受けられない作品でしたが、彼の狂気めいた様に、戦場にいることの怖さを感じました。そして除隊後亡くなった彼が棺の中で、みんな長髪に戻す中、一人軍隊の残骸である丸刈り姿だったのが、堪らなく哀しかったです。










ネタバレ終わり

監督のサム・メンデスはイギリス人です。(ケイト・ウィンスレットの旦那さん)。「アメリカン・ビューティ」でも、中流の家庭を通して、親子の断絶、夫婦不和、不倫、同性愛、リストラ、ドラッグなど、ブラックなユーモアとシニカルな目でアメリカの病巣を表していましたが、夫の背広を抱き泣きじゃくる妻で終わるラストは、決して突き放した目で見ていたとは思いません。この作品も同じです。戦争を題材にしながら、反戦がテーマではなく、選択肢の少ないアメリカの恵まれないの若者の苦悩を、冷静ですが暖かい目で見守っていたと思います。

演技陣はもうみんな最高!ちょっといけてる坊やくらいに思っていたギレンホールですが、ヤンチャで熱いスオフそのものの感じで、何故オスカーの主演男優賞候補にならなかったのか不思議。サースガードも、繊細で演じるのが難しいトロイを上手く表現し、出演作品全てに強い印象を残し、もうじき主演作品も観られることと思います。ジェイミー・フォックスの憎たらしいけど求心力があり、頼りになる上官は、私はオスカーを取った「レイ」の彼より良かったです。

他の新兵たちもみんなみんなとても良かったです。私がこの作品を大好きなのは、下品でバカなこの子達を、とてもとても愛しく感じたからです。拍子抜けして帰国した彼らですが、きっときっと、誰も殺さなかったことに感謝する日が来るでしょう。そういう人生を送って欲しいと願わずにはいられません。


2006年02月15日(水) 「ホテル・ルワンダ」


月曜日にとめさんと九条のシネ・ヌーヴォで観て来ました。この作品は地味で重たい内容が日本では向かないと思われ、日本公開がオクラ入りになったのを、ネットを中心に上映署名運動が始まり、やっとこ公開にこぎつけた作品です。昨年度のオスカー作品賞の候補作で、映画好きには名の通った作品であったことから、蓋を開けると各地で大ヒットの模様で、月曜日にも関わらずヌーヴォも大盛況でした。完成度云々を問う前に、実話という重みの前には、素直に真摯に作り手に拍手を贈りたくなる作品です。

1994年、アフリカのルワンダの首都ギガワ。ルワンダは多数派のフツ族と少数派のツチ族とが共存していましたが、内戦後フツ族有利に社会は動いていました。ベルギー系の4つ星ホテル・「ミル・コリン」の有能な支配人
ポール(ドン・チードル)は、ある晩我が家に帰ると、暗闇の中で妻子と隣近所の人々が集まり、息を潜めて一部屋に集まっていました。フツ族出身の大統領が暗殺され、それを待っていたかのように、フツ族によるツチ族の虐殺が始まったのです。ポールはフツ族でしたが、妻タチアナ(ソフィー・オコネド)はツチ族出身。フツ族のポールを頼ってみんな集まっていたのでした。外国資本であるため外国人が数多く滞在し、迂闊に手出しできない「ミル・コリン」へひとまず避難することに。「ミル・コリン」へは、同じ思いのツチ族の人々がやってくるのですが・・・。

ルワンダの内戦は、確かに10年ほど前テレビや新聞に報道されていて、私も記憶にあります。しかし当時はなんて悲惨なと思い報道を見ていましたが、何かリアクションすることもなく、忘れていました。そんな私を見透かしたように、ルワンダの内戦を報道が各国に流れるのを知ったポールが、「これで世界中の人が手を差し伸べてくれる。」と喜ぶのに対し、アメリカからやってきたジャーナリスト(ホアキン・フェニックス)は、「そう思うか?他の国の者はディナーの時に放送されて『まぁ可哀相に』と思うだけだよ。」と語ります。自分のことだと感じ、恥ずかしくなった人は私を含めてたくさんいたでしょう。

平和維持軍が現れ、やっとホテルに集まった人たちが救出されると喜んだのもつかの間、ルワンダに派遣されていた平和維持軍の大佐(ニック・ノルティ)は、外国人だけを救出し、ルワンダの人々を見捨てます。「我々は平和維持のためにきているのであって、平和の創設者ではない。君は白人でもないし、ニガーですらない。ただの黒人だ」というような言葉をポールに語ります。

ポールは今まで有能な支配人としてルワンダの将軍、各国の要人、平和維持軍の大佐などに如才なく接し、自分を冷静な目で高く評価していたでしょう。それは驕りなどではなく、自分の職業に対してのプライドだったように思います。それが力のある国からみると、ただの黒人、死んでも何ら問題ない人間、そういわれたも同然なのですから、ポールの忸怩たる思いや、いかばかりであったかと思います。自分だけ脱出する時、「自分が恥ずかしい」という言葉を残すジャーナリストに、責められない気持ちともどかしさとで、やはり自分も同じだろうなと感じました。

しかしこの後からのポールの行動は、実話という重みを最大限に生かす展開となります。ポールは、政府がいうところの「ゴキブリ」を匿う彼に反抗的な従業員に、種族に関係なく、滞在者は客としてきちんともてなし、自分の仕事をきちんとこなすように厳しく注文します。これがフィクションなら、出来すぎ、あざといという言葉も出ましょうが、これは実話。人間が土壇場になって出る行動は、その人の本質でしょう。ポールの高潔な行動が真実であるということに、心が揺さぶられない人はいないと思います。

そしてポールはお金や貴金属など、貢げるものは貢いで、巧みに話術を駆使し、なんとか脱出の糸口を見つけようとします。そんな彼に、人は清濁を併せ呑んで、清を取れるようになるのが大切なのだとも教えてもらいます。

日本で公開が危ぶまれていると聞き、感動はあっても映画的には面白くないのかと思っていましたが、とんでもない。ポールたちは?ツチ族は?ああ言いながらも何か方法はと考える大佐は?そしてルワンダという国はどうなる?と、次々サスペンスと言っても良いような息詰る展開で、娯楽色もたっぷり。行き詰る中感情も痛く刺激されるなど、社会派娯楽作として、一級品です。何故これがオクラ入りだったのか首を傾げると、とめさんとも語りました。

虐殺の様子は過剰に演出せず、たくさんの死体を見せるに留まり、流血は少なめです。しかし政府のラジオ放送で、何度も「ゴキブリのツチ族」と流され、冷酷で卑劣なこの言葉は、流血シーン以上の深々とした恐ろしさを感じさせます。しかし悲惨さばかりではなく、褐色の肌のルワンダの人々は、その容姿からひ弱さよりたくましさや力強さを感じさせ、観ながら希望が抱きやすかったです。これが白人だと、絶望的な気分が先に立つかと思いました。

私が中3の時の社会の先生は50半ばのはげ頭の先生でした。人種差別の話になり、「差別をなくすのは異人種での結婚を促し、混血の子供をたくさん作ること。」と授業中にお話されたのを思い出しました。その時はそんなものかと思った私ですが、ポールと妻は別の種族です。妻がツチ族でなかったら、彼は同じ行動を取ったかな?と思います。30年経って、やっと先生の
言葉が実感として理解出来ました。お元気なら、このことを伝えたく思います。公開の劇場は少ないですが、是非足を運ばれることをお薦めする作品でした。


2006年02月11日(土) 「プロミス/PROMISE」


監督チェン・カイコー、出演真田広之、チャン・ドンゴン、セシリア・チョン、ニコラス・ツェーの、中・日・韓合作の超大作(?)。いやストーリーはともかく、かなりお金はかかっています(CGにはけちった模様)。予告編を観て、わぁ〜すんげぇ綺麗、絶対観ようと思っていた作品。だから中身なんかどうでも良かったのですが(大暴言)、いっしょに観た友人は「全然こんな内容とは知らなかった」と呆然&大笑い。もっと中身が充実していると思っていたとか。しかし友よ、あなたは器が大きい。普通笑ってすませられませんよ、この「そんなアホな」のスカスカの中身。でも私には絢爛たる映像美と、美男美女の恋のさやあての艶やかさに酔いしいれた、魅惑の2時間でした。

戦乱の昔、親を失い路頭に迷う幼い傾城(成人からセシリア・チョン)の前に、女神が現れ、全ての男性の寵愛と何不自由ない生活を約束するが、引き換えに真実の愛は得られないが良いか?と問います。受け入れた傾城は、美しく成長し、王の妃となっています。しかし今はその王と共に逆臣の侯爵・無歓(ニコラス・ツェー)に捕らわれています。王の片腕の大将軍・光明(真田広之)は、目を見張る俊足の自分の奴隷・昆崙(チャン・ドンゴン)に命じて、王を救出するよう命じるのですが・・・。

まず赤・白・黒を描き分けた色彩が美しいです。赤を基調にした軍の衣装、光明の鎧と兜も威厳と華やかさを兼ね備えたデザインで魅力的。花が満開の様子、ほころんで散る様子、カゴの鳥の捕らわれ部屋、光明の家の周りの自然の風景、屏風や扉など、ため息ものの圧倒的な美しさがもう満開。全てのシーンが見せ場だと言っても過言でないほどの映像美です。見飽きたワイヤーアクションも、演じる人が魅力的なら、それなりに観られます。

ドンゴンの「あなたの〜、肌が〜、大好きで〜す」のCMを見る度、髪切らんかい、髪を!男前が台無しやがな!といつも腹が立っている私。今回その上をいく超ロン毛のドンゴンに、上映開始10分も経たずに大爆笑させられます。襲い来る水牛の群れのなか、何故か水牛より早くハイハイするドンゴン!その後前の主人を背負い、あんたはターミネーターか?の勢いと表情で猪突猛進する彼。しかし普通はこんなシーン、失笑以外の何ものでもないはずが、意外と楽しめたりするんですからドンゴンは奥が深い。その後も「ドラゴン・ボール」のスーパーサイヤ人か?の空を飛ぶ彼に、5回は笑いました。昆崙の純粋さ愚直さを表すおどおどした仕草も、純粋というより愚鈍、もっとはっきり言ったら「あんたアホやろ?」です。しかしそれでも素敵に見えるんですから、ドンゴンの男前オーラたるや、すごいもんです。

真田広之は名前がトップに出るだけのことはある演技で、厭味な人物になりがちの光明を、年齢相応の渋さのある人に仕上げています。私は中国語はわかりませんが、イントネーションなど違和感はなく上手に聞こえました。

クレオパトラか楊貴妃か?というくらいの絶世の美女役のセシリアは、薄衣のエレガントな衣装が似合い、真田広之とのラブシーンも艶っぽく精いっぱい演じています。しかし、何故か私には榎本加奈子に見えてしょうがない。彼女は「パイラン」しか観ていませんが、清楚な美貌に似つかわしくないハスキーボイスだった記憶がありますが、この作品では声まで可憐。吹き替えだったのでしょうか?確かに美しかったけど、私は「パイラン」の貧乏臭い彼女の方が数倍美しく感じました。しかし荷が重い感じはなく、好演だったのは確かです。

一番格好良かったのはニコラス。常に酷薄な微笑を浮かべ、優美で冷酷な姿がとても決まります。「少林サッカー」の敵役の、やしきたかじんそっくりな親父さんから彼が出てくるとは信じられない、「美しいって罪ね」感がいっぱいです。何度も大爆笑させてくれるドンゴンに比べ、2枚目パートは独り占めの感が。やはりカイコーは中国人、香港出身とはいえ、これから自国を背負って立つ若手スターには配慮した模様。

しかし肝心の内容は、ひとことで言えば、女一人のために幅広い年代のイケメン男たちが、幼稚な愛を振りかざし、命がけで右往左往するだけのお話です。同じような作品「LOVERS」で、チャン・イーモウが、ちったぁストーリーの充実も気にかけていた感じは、カイコーには皆無。無理無理タイムトラベラーを作り出し、ちょっと家族愛と同郷人会の懐かしさも描いています、みたいな。しかしながらラストの4人の様子は、息詰まりはありませんが駆け引きも面白く、盛り上がります。お安いですが、ちょびっと愛の哀しみも感じさせます。真田広之のセリフが好印象。

伝説の神話ファンタジーと言う感じでしょうか?筋が命という方には到底お薦めできる作品ではありませんが、私は個人的には見応え充分(目が)、何の文句もない作品でした。しかしこれはマニアな感想かな?


2006年02月10日(金) 「ミュンヘン」


ラインシネマでやっているので、気軽に仕事帰りに観るつもりでしたが、3時間近くの長尺と知り仕事休みの昨日観てきました。前評判も上々、スピルバーグの最高傑作という方もいて期待していましたが、確かに3時間近くだれることなく緊張感が続き、力のこもった秀作でした。

1972年のミュンヘンオリンピック。武装したパレスチナのテロリスト「黒い九月」が選手村を襲い、最終的にはイスラエルの代表選手11人が殺害されます。このことによりイスラエル政府は報復措置として、襲撃に加わったテロリストの殺害を決定。選ばれたのは5人、リーダーは諜報機関「モサド」から出産間近い妻のいるアヴナー(エリック・バナ)が指名されます。彼らは金で買った情報を頼りに、ヨーロッパ各地に点在するターゲットを次々仕留めていくのですが・・・。

1972年といえば私は小5で、ぼちぼち新聞を読みニュース番組も見だした頃、この事件も記憶にあります。アメリカ代表の水泳選手で、何個金メダルが取れるか期待されていたマーク・スピッツもユダヤ人だということで、厳重に保護されていた記憶があり、私がパレスチナとイスラエルの険悪な関係を知ったのは、この事件がきっかけであったように思います。

しかし政治の話には疎い私、どれくらい理解出来るのかとの危惧もありました。ハムラビ法典並みの報復を政府が決めるなんて恐ろしいと思いつつ観ている私は、あるシーンで立ち止まります。「暗殺者として生きている間、君の存在はこの国ではない。」と言われるアヴナー。何もかも抹消されて国を出される彼らには、大金が渡されるだけで、綿密な作戦も資料も手渡されません。そして「ちゃんと領収書を渡してくれ。ドイツ系のユダヤ人に無駄遣いはさせない。」と言われ、「僕はイスラエルで生まれ育った」と反論するアヴナーですが、「父親はドイツから来たのだろう」と厭味のこもった言葉が返ってきます。私ももし韓国で暮らすことがあったなら、「日本で生まれた育った奴は信用ならん」と言われるだろうなと苦笑しつつ、ある思いに駆られました。監督のスピルバーグはアメリカ系ユダヤ人。アヴナーの姿に自分を投影していたのではないかと。アメリカで暮らしながら、自分の血である人々が建国したイスラエルを、宙ぶらりんのように見つめるスピルバーグを見た気がしました。

最初常に五人で行動するは、作った爆弾の火薬の量を間違え、仲間の命まで危なくするは、上手く爆弾が点かないと面割れもなんのその、敵地に堂々と乗り込むなど、あまりに不細工な工作の仕方に唖然としました。ここはスパイ映画並みに華麗とまではいかなくても、もっと熟練した手練手管で見せ場にするはずなのに、何故と思いました。

アヴナーはこの任務を請け負うまで、人を殺したことはありませんでした。偽造パスポートの名手だったり、射撃の腕がすごかったり、爆弾を作ったり、「死体の掃除屋」であるメンバーも、もしかしたら素人に毛が生えた程度の人だったのではないかと思うと、この垢抜けない足のつきまくる暗殺の仕方は、俄然リアリティが感じられるのです。こんな暗殺者として未熟な人たちに任務を任せる国の恐ろしさ。マチュー・カソビッツ演じるロバートの告白が、一層その感を強くします。そう思い出すと、血の噴出し方、死に方などの生々しさとともに、彼らの凄まじい緊張感が観るものに伝わります。

最初は標的以外には火の粉が降りかからぬよう案じていた彼らが、段々と関係ない人々を巻き込むのも平気になり、標的を追い詰めていた彼らが、今度は自分達がターゲットになったのを知り、神経をすり減らし何のための任務か苦悩し葛藤します。自分のしたことの意義を感じたいのに、彼らには冷酷な国。利用価値がある時だけ必要な、元々捨石扱いだったわけです。政治的にはパレスチナにもイスラエルにも偏らず、むしろどこの国でも考えられる、国家対個人に焦点を合わせた描き方に感じました。

前半仲睦まじいアヴナー夫婦の、妻が妊娠中の営みが描かれていて何のためかな?と思っていましたが、ラストの方、帰還したアヴナー夫婦の営みのとの違いの対比だったようです。暗殺を経験して平凡で誠実なアヴナーには戻れないことを的確に表現していた、見応えのあるシーンでした。妻がアヴナーにたった一言、「愛しているわ。」と言うのが、私にはものすごく救いでした。

エリック・バナはアヴナーの変化を誠実に演じて好演。ラストまでだれずに観られたのは彼の功績が大です。ただ何故彼がリーダーに選ばれたのか、その辺がイマイチわからず、説明があればと思いました。メンバーの一人で、最後まで心がぶれず任務に非情に徹したスティーブに、時期ボンドのダニエル・クレイグ。何故彼だけが他のメンバーと違い、心がぶれなかったのかの描写もあれば良かったかな?と思います。クレイグはこの作品では好演でした。しかしボンドはどうかなぁ。少々アクが強いように思いますし、歴代のボンド役者のようなセクシーさやダンディさなど、男としての洗練度に落ちる気がします。私の予想がはずれていると良いのですが。


2006年02月08日(水) またまたバトン、今度は映画

また「ミクシィ」より、あーちゃんさんからバトンが回ってきました。お題は「映画」。つーことで、さくさく書きます。

1.PC、もしくは本棚にはいってる『映画』

お菓子のカバヤ制「水野晴男映画館」のDVD。昨今流行の版権の切れた安DVDの先駆けで、古い名作旧作がガム一つついて315円なり。大騒ぎして買った割には、まだ「古城の亡霊」しか観ていない(もうひとつだった)。その他、BSやケーブルで録画した旧作映画が多数。観ないままなので(何故観ない?)、多分もう発酵してパンパンになっているはず。一度旦那に怒られて捨てられてしまう。でも何を録画したかも覚えていなかった。

2.今、妄想している『映画』

「ブローク・バック・マウンテン」。ヒースとジェイクの熱いブチュ〜を観てしまうも、アン・リーは「ウエディング・バンケット」も秀作だったので、きっと過激ではなく、叙情に溢れた作品ではないかと、妄想というか推察している。

3.最初に出会った『映画』

「ゴジラ」シリーズのどれかだった模様だが、本人は覚えていない。自分の記憶で覚えているのは、大映のアニメ「九尾の狐」。こういうのが出てくる辺り、現在の片鱗が伺える。

4.特別な思い入れのある『映画』

「ポセイドン・アドベンチャー」。当時鳴り物入りでミナミに出来た蝋人形館へ母と妹と行くも、定番のプレスリー、モンローなどを過ぎると、何故か館は拷問部屋と化し奥へ奥へ・・・。女子供が喜ぶもんではなく、気分を悪くして出てきたら、横の東宝敷島でやっていたのがこれ。ストーリーの面白さと、子供にもわかるヒューマニズム、主人公及び主要人物が次々と死んでしまうのに、希望を与えるラストとに感激。私を「映画道」に引きずり込む。

思い入れではないが、小1くらいに観た新藤兼人の「藪の中の黒猫」も。「ケイケイ、お母ちゃんと布施に行こう」と言われるままついて行くと、今は亡き東劇という映画館に到着(現スーパーのスバルタウン)。絵の看板を見ると化け猫もんではないか!いやがる私に「怖い場面になったら抱っこしたるから。終わったら向かいの木村屋に入ろな」と言われる。木村屋とは今もある喫茶店で、そこのホットケーキが大好物だった私は、交換条件を呑むことに(子供やのぉ)。

しかし「ほら、怖い場面やで!」と、母が目をつぶるよう教えてくれたのは、どう考えてもスケベ場面(大地喜和子が着物を脱ぎ初めていた)。乙羽信子の化け猫顔や、切られた手が真っ黒な猫の手であったのを、今でもしっかり覚えている。おかげで「猫は怖い」が私の中で定着する。多分どうしても観たかった母が、妹と二人をお手伝いさんに頼むことが出来ず、私を騙くらかして連れて来たのだと思う。

うちの母は、当時小学生だった妹も連れて、私と三人「悪魔のいけにえ」(それも高い特別席で)を観に行くとんでもない母だったが、今の私があるのはこの母のおかげなので、感謝している。

5.お題バトンを回す5人お題は新たに指定で!
 


では私も好きな、『プロレス』で。
プロレスと言えば、
シューテツさん、ゆうすけさん、お二人の他にはいません!
では、お時間のある時で結構ですので、よろしくお願いします。


2006年02月03日(金) バトン!ワタシを知る!

えー、ワタクシご存知の方もいらっしゃいますでしょうが、mixiというものに入っております。「mixi」ではこの「ケイケイの映画日記」を、そこの日記として貼り付けております。タイトルのバトンが友人あーちゃんさんから回ってきましたので、早速書いてみたいと思います。


Q1…家に帰ってまず何をする?


パソコンをつける。


Q2…普段家での格好は?


Gパンかジャージ。家事がしやすいため。
ただしジャージの時は買い物に出るときはGパンにはきかえる。


Q3…部屋はどんな感じ?


部屋というか家が狭い!でも息子達は大きくなり、あまり家にいないので、それほど不自由にも感じない。家族が仲が良いのは、きっと狭い家で顔をつき合わせているので、お互い気分良くいようと、それぞれ気を使っているからだと思う。


Q4…その部屋はあなたの理想に叶ってる?


畳が好きなので一応。


Q5…朝方人間?夜型人間?


多分夜型。でも朝は6時過ぎに起きている。睡眠時間の確保が毎日の闘い。


Q6…好きな音楽は?


70年代の洋楽。昔はクィーンが一番好きだったが、今聞くとKISSが一番良い。皿洗いの気が乗らないときなど、「ラブガン」「デトロイト・ロック・シティ」を聞くとはかどる。


Q7…好きな本は?


特に好きな分野はなし。
一時期はまったのは澤地久江、上坂冬子などの、女性のノンフィクション。
その他専業主婦時代、森瑤子、桐島洋子など派手と見られがちな所帯持ちの物書きのエッセイをたくさん読み、「主婦をしっかりすることは、後々自分の財産になる。」と解釈し、今を頑張ろうと自分を励ました。


Q8…好きなゲームは?


今は全くしないが、最初に「ドクターマリオ」が出た頃、異常に上手かった。小学生だった息子達に「ドクマリの女王」と呼ばれる。忘れられないのは「Dの食卓」。2時間の制限時間中に、もうちょっとという時ブレーカーが落ちたり、数字がわかっているのに、技術が伴わず出せなかったり(息子にやらす)、落とし穴に落ちたローラが上がって来れないなど、散々苦労した。極めつけは一番ラスト、「そんな、いくら吸血鬼だって父親を殺すなんて」、と迷っているうちに、鬼畜の父親に食べられてしまい、バッドエンディングになってしまったこと。猛烈にむかついて、次は躊躇なく拳銃をぶっ放す。


Q9…好きな服装は?


柄は花柄。レースや刺繍など手芸っぽいテイストがええ年こいて、いつまでも好き。この年齢では不気味なので我慢している。しかし最近おばちゃん御用達の店にそういう商品が数多く置いてあるので、着てもいいのか?と、誘惑にかられている。実際にはジーンズが多い。

Q10…好きな食べ物は?


お寿司、韓国風具たくさんスープ、アイスクリーム、杏仁豆腐、焼肉、豆腐料理全部。


Q11…好きな飲み物は?


アイスでもホットでもコーヒー。
お店でも今日は他のものを注文しようと思っても、結局コーヒーを注文してしまう。


Q12…好きな動物は?


なし。嫌いというより苦手。怖い。ねずみと遭遇した時のドラえもんや、猫に追いかけられた時の月影兵庫の気持ちがよくわかる。


Q13…好きな場所は?


もちろん映画館。


Q14…好きな言葉は?


ありがとう


Q15…逆に苦手なものは何?


お酒。体質的に全然受け付けない。
人生で悔しいことの一つ。


Q16…これだけは人に負けないものはある?


絶対にお弁当が作れること。今までに自分の都合で作らなかったことは、長男が中学入学以来9年間一度もない。熱があっても腎盂炎になっても、指の骨を骨折した時も作った。(後で看護婦さんに怒られる)。寝過ごしたこともない。現在も毎日4つ作っている。


Q17…親友に一言!


「新年会はどうなったん?」


Q18…マイミクに一言!


毎日お世話になってます。ほのぼのしたり、刺激になったり、考えさせられたり、いつも心と頭に栄養をもらって、どうもありがとうございます。皆さん、これからも期待してます。


Q19…最後にこのバトンを回したい人5人まで。


とめさん、マタンゴさん、じゅんさん、お茶屋さん、モクさん。女性ばっかりにお願いしてみます。これを読んでいたら、お時間があるときにお願いしまーす。



2006年02月02日(木) 「フライトプラン」


昨日映画の日に観てきました。レディースデーと映画の日が重なると、一日分損した気になるシブチンの私、せっかく出向いて追い返されてはならじと、前日にラインシネマで2時半の回を予約しました。しかし昨日は大阪は雨、一旦勤め先から家に戻りまた出直したため、濡れ鼠になってしまいました(自転車なので)。トンデモ映画の誉れ高い本作、いくら千円の日でも平日やで、きっとガラガラやと思いきや、なんと超満員。後で知ったのですが、今一番観客動員数を稼いでいる作品だそう。しかし前評判もイマイチ、そのトンデモさを是非この目で確かめたい一心で観たこの作品、まぁまぁ面白かったのだな、これが。良いまで行きませんが、観ている間はそれなりでした。公開すぐなので、ネタバレせずに頑張ります!

航空機設計士カイル(ジョディ・フォスター)は、夫の突然の事故死のため、6歳の娘ジュリアを伴い、夫の遺体も共に乗せた飛行機で帰途するはずでした。フライト中カイルが目を覚ますとジュリアがいません。半狂乱になり娘を探すようクルーに頼み込むカイル。しかし調べたところ、誰もジュリアを見た者はなく、ジュリアの搭乗記録もなく、あろうことか夫と共に亡くなっているというのです。可哀相な狂人扱いされるカイルでしたが、ジュリアは生きていると信じる彼女がとった行動は・・・。

結末は決して話してはいけません系サスペンス。しかしこの手の題材は映画的には魅力があるので、古今東西腐るほどあり、最近滅多に秀作にはお目にかかれません。この作品もダメとの噂に一瞬「ハイド・アンド・シーク」のデ・ニーロが浮かび、ジョディもシングルマザーやからお金稼がんとなぁ、と思いつつスクリーンを観ると、なんとそこにはデ・ニーロではなく「ハイド〜」のエイミー・アービング張りに老けたジョディが!ショック!(だって私より一つ年下。ぎゃぁぁぁぁ!)。でも考えてみれば旦那が突然の事故死とあらば、いっぺんに10歳老けたって当たり前というもの。亡くなった夫の幻影を見る姿は、フライト中の展開をかく乱する要素かなと納得。

血眼で娘を探す姿は、母は強しより他人の迷惑を顧みない困った人に感じます。日本に住む感覚では、一言カイルから乗客やクルーに「ご迷惑をかけてすみません。」のアナウンスがあってしかり。娘娘と血眼になる気持ちは充分わかりますが、共感は出来ず。しかしクルーに居丈高、乗客無視のカイルの性格の悪さが、お話を「ジュリアは本当にいるの?死んだの?」と疑心暗鬼にさせてお話を引っ張るんですから、これは良い演出だったと思います。

しかし!まぁ俗にいうどんでん返しが「やっぱりそうか・・・」と言う感じです。それもトリックは後でこじつけ、雰囲気でだいたいわかるという2時間ドラマの法則です。事の次第が明らかになるにつれ、何でここまで面倒なことを、どこが綿密な計算やねん、おい!と破綻しまくるプロットのあれこれを思い出す私を尻目に、画面は飛行機内大アクション劇に突入。これも後から考えれば???なシーンもありますが、スピード感があったのが良かった。私はツッコミ忘れてないぞ、でも取り合えずコレ観てからね、と感じるくらいには面白かったです。

でも搭乗口でフライトアテンダントが、抱っこされている乗客を観たかどうか不確かなんて、いくらなんでもアホ過ぎ。アメリカで客室乗務員の扱いにクレームが来ているそうですが、そりゃそうですわな。機長役のショーン・ビーンも乗客の安全を守って定年まで頑張りたい、温厚なだけがとりえの機長を、貫禄のない児玉清の雰囲気で精彩なく演じていました。でもこれは精彩のない人の役ですからね、この機長さんもしっかりせんか!という人だったので、これは役作りなのね。まぁショーンったらやっぱり演技派(好きなので不問)。

私が好きな飛行機パニックモノに「乱気流・タービュランス」があります。この作品でお化粧をぐちょぐちょにして、飛行機の操縦を頑張ったローレン・ホリーに対する親近感や爽やかさは、この作品のジョディからは感じられません。母でも慈愛に満ちた母ではなく、自分の子しかわからない猛母に見えるのがちょっと痛いかも。強さを求めすぎですね。夫や子供がいなくなった哀しさを、狂人もどきにだけ描いている点もいただけません。孤独や喪失感を端々に滲ませる演出に深みがあれば、グッと物語にコクが出て、どんでん返しの破綻を繕ってくれたかも。ジョディはラストはピチッと皺が伸びていました。さすがオスカーを二度取った人、皺も自由自在なのか?(違います)。


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