ケイケイの映画日記
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2005年03月31日(木) 「酔画仙」

韓国の19世紀後半の貴族社会が仕切る芸術の世界で、民間から宮廷画家にまで上り詰めた、伝説の実在人物チャン・スンオプを描く作品です。李王朝の流れをくむ貴族は、韓国では両班=ヤンバンと呼ばれ、格式様式から全て庶民とは一線を画していました。ヨン様の「スキャンダル」は、そのヤンバンの世界を描いた作品です。

今人気の韓国俳優リュ・シオンがヤンバンの出だと話題ですが、実は私の夫の両親も祖先をたどればヤンバンの出。私の方は母がヤンバン、父はこの作品で幾度となくスンオプが蔑まれる「身分卑しき」出です。観光地として日本の方にも知られるようになった済州島出身で、「血と骨」の金俊平と同じです。済州島出身者は今でこそましになっていますが、私が若い頃は同じ民族なのに差別対象で、二世まで強くその感情が残っていました。昔から夫婦ケンカの絶えなかった母は父のことを、「世が世なら、身分違いで結婚などなかった相手」みたいなことをよく私や妹に言っていました。なら結婚するなよ、と言いたかったところですが、結婚当初は雲行きが怪しくなるなどどは思ってもいなかったんでしょう。当時私の本籍地は父親と同じ済州島。私が結婚して夫の本籍地であり、母の結婚前の本籍地だった慶尚北道に変わった戸籍を見て、母が喜んだことよ。

かように現代でもそのプライドの高さを引きずるヤンバンと、「下賎な血」の混濁した私は、この作品を観て図らずもどちらの血が強いか思い知りました。

開明派の学者キム(アン・ソンギ)は、町で殴られている孤児スンオプ(大人になってからはチェ・ミンシク)を助け家に連れて帰りますが、スンオプはヤンバンの窮屈な暮らしを嫌い、又経済的に苦しいキム家を思い家を出て行きます。数年後、偶然に再会した二人。彼の類稀な絵の才能を感じたキムは、スンオプに絵の修行をさせようと、知り合いの通訳官に預けます。次々と素晴らしい絵を描く彼の名声は世に轟くようになりますが、酒と女の手放せない放蕩暮らしは納まりません。そんな彼に、キムは人の真似でない自分しか書けない、魂のこもった絵を描くよう諭し、スンオプは苦悩します。

古今東西、破天荒な芸術家を扱った作品はたくさんあり、この作品でも創作との壮絶な葛藤が描かれます。しかし鬼気迫るという感じではなく、自分の才能の出し方がわからず、持て余しているかのようです。少々酒に飲まれるきらいはありますが、飲めば飲むほど傑作が生まれ、彼の筆の横では酒がかかせません。女の方は絶倫と言うより、暖かさが恋しいのです。幾人もの妓生=キーセンが彼の周りを彩りますが、彼が焦がれたのはみな包容力に溢れた、母性を感じさせる相手です。初恋のソウンにそっくりのキーセンに出会い、床に呼びますが、会話もそこそこ、そそくさとお務めを済まそうとする彼女に幻滅し、手も触れようとはしません。そのことからも、彼が肉体的な快楽だけで女を相手にしているのではなく、心のつながりも求めているのがわかります。

何故なら、絵心は教養や学問に左右されるとのたもう貴族の中で、無学なスンオプは腕一本でのし上がり、嫉妬や差別の渦の中、ただ一人身を置いているのです。酒と女はそんな彼の慰めであり、心の拠りどころであったのでしょう、少しも遠ざければ良いのにとは感じませんでした。

しかし彼を取り巻く貴族たちが全て陰険なプライドだけの人かと言うとそれは又別で、危機が迫るとみな彼の才能を慈しみ、救われるのです。お金になるとかならないとかではなく、彼を愛するのではなく、彼の才能を愛していた貴族たち。大昔から学問と芸術には深い理解のあったヤンバンならではの懐の深さを示す描写だと感じました。

スンオプと似たもの同士のようなメヒャンは根無し草のキーセンですが、それは迫害されているキリスト教徒だからで、飄々と混乱する世の中を体一つで渡る、度胸としなやかさに富んだ女性で、一番スンオプに似合った女性でした。事実彼女が一番長く彼の人生にかかわった女性と描くことで、スンオプの誰にも支配されない、彼の心の自由さも浮かび上がってきます。

せっかく宮廷画家まで上り詰めたのに、彼は逃げ出してしまいます。そして
メヒャンからも。その圧倒的な才能のため、弟子たちは彼の人柄は慕っているのに、自分の限界を思い知らされ次々スンオプから去っていきます。彼はそのことを受け入れ、生涯守るものもなく、束縛されることも嫌います。宮廷画家として暮す人生は、飼われているのといっしょ。自分の人生の主は、一生自分なのですね。家名や名誉にがんじがらめになったヤンバンの人たちと接っしたスンオプは、一度も自分の出自を呪いませんでした。

キムは直接スンオプに絵を教えたのではありませんが、彼が生涯「先生」と呼んだのはキムだけでした。年老いた者同士の良き師と弟子の姿は、親子の情とは違う味わい深さを感じます。子供たちが独立し、夫を見送った後は、誰にも何も告げずに、一人放浪するのも悪くないかな、などと生まれて初めて考えました。


2005年03月26日(土) 「ナショナル・トレジャー」

「香港国際警察」に続いて、春休み母子鑑賞会作品です。が、どーも予告編で想像していた作品と違う。これ製作はジェリー・ブラッカイマーなんです。それにしては、なんかこじんまりしてるなぁ。もっとド派手な内容で、「インディ・ジョーンズ」や「ハムナプトラ」みたいな感じを期待して行ったので、ちょっと肩透かしでした。

テンプル騎士団が米国内に隠した財宝を、数代に渡り探し続けているゲイツ家。その手がかりをやっと掴んだベン・ゲイツ(ニコラス・ケイジ)。変わり者扱いされていた彼を信じ、出資を続けてくれていたイアン(ショーン・ビーン)ですが、その謎を究明するには、アメリカ独立宣言書を盗まなければならず、諍いになり袂を分ちます。ゲイツは天才ハッカーのライリー(ジャスティン・バーサ)と共に、イアンからの宣言書強奪を阻止すべく、先に宣言書を盗みます。その時巻き込まれてしまったのが歴史学者のアビゲイル・チェイス博士(ダイアン・クルーガー)。宣言書を追うイアン。ゲイツは謎を解きながら、先に財宝にたどりつけるのか?

この手の作品はぼ〜としていても筋がわからなくなることは、まずありません。そう油断したのがまずかった。筋はわかり易いのですが、謎解きがイマイチわからんのです。私が無知なだけかも知れませんが、テンプル騎士団?名前くらいは聞いたことあるなぁ、フリーメイスン?ペリー・メイスンなら知っておるぞ、レイモンド・バーだ、などアホなことを思いつつ、祖父役クリストファー・プラマーのダンディぶりに嬉しくなったり、父役ジョン・ボイドとケイジは全然似とらん、でもこの父からジョリーちゃんが出てくるのも不思議なのでこれもありなのか、などなど他ごとを考えていたら、思いっきり謎の組み立ての底辺に乗り遅れてしまいました。

話は一つ謎が解けると又次の謎が待ち受け、それを頭脳明晰にゲイツたちが解き明かす様子に知性を感じなければならないのに、ふ〜ん、そうですかぁ〜と頭を通り過ぎて行くだけ。これが徳川埋蔵金の謎なら感激するところが、どうも私には馴染みの薄い題材で、謎解きの面白さが感じられませんでした。

期待したアクションも、物珍しい場所を巡るわけでなく、アメリカの地味な都会の中で繰り広げられる、これまた地味な味付けです。私はCGや派手な爆破はそんなに好みませんが、でもでもこの手の作品には、ゴージャスにこれでもかとありえない場面の連続を期待します。追いつ追われつ、そこそこドキドキはするのですが、本当に普通。確かにツッコミは満載ですが、宝探しと言うロマンスに溢れた題材なので、それは気になりませんでした。しかし、このお宝がやっぱり私が期待した向きじゃなかったです。なんちゅうか、金銀ざくざく目にも眩しいものを想像していたのですが、歴史的見地からみてのお宝と言う感じでした。

期待はずれの数々ですが出演者が地味目にゴージャスで、これは良かったです。ケイジは逃げる姿もドタドタ、全然カッコよくないのも御愛嬌で、変わり者扱いされながら家名を必死で守りたい良き子孫ぶりで、好人物に見えます。ダイアン・クルーガーは私は未見ですが、「トロイ」でヘレン役だった人。なかなか綺麗じゃないですかー。戦争を引き起こすのには無理がありますが、この作品の枠にはまった知性と美貌がありました。ゲイツの相棒・ライリー役のジャスティン・バーサは、庶民的なガエル・ガルシア・ベルナル風の容姿で、軽めに愛嬌たっぷりに演じているのに存在感もそこそこあり、彼も良かったです。

ボイド、ハーヴェイ・カイテル、プラマーなどは出ているだけで味があるので、見せ場があるわけじゃないけど、お目にかかれて嬉しいですと言う感じ。そして一番素敵だったのは、敵役イアンのショーン・ビーン。昔危ない橋を渡って財産を築いたというセリフが出てきますが、いわくありげな様子も渋く、ニヒルな男っぷりで一番素敵でした。ただディズニー作品ということもあり、流血や殺人は皆無。イアンも非情さが感じられず、ゲイツとの対比が曖昧で、宣言書強奪、宝探しなど同じことをするのに善悪の対比が薄く、話し合いで協力したらは?などど思ってしまいました。

これが全米で大ヒットとは、ちょっと?な作品ですが、後味は悪くないし、春休みにアニメやファミリー物に飽きた子供さん連れでも、安心してご覧にはなれます。ラストからは、2も作る気満々みたいですが、もうちょっと派手なのを期待したいです。


2005年03月25日(金) 「香港国際警察/NEW POLICE STORY」

永らくハリウッドに出稼ぎに行っていた、ジャッキー・チェン久々の香港作品です。出稼ぎとは言葉が悪いですが、新聞のインタビューによるとハリウッドでの成功も、お金にはなったが、役柄や作品は彼には満足のいくものではなかったそう。そして本拠地に戻ってのこの作品、笑いこそ少ないものの香港テイスト満載の彼らしい作品で、円熟の境地を感じさせる素晴らしい出来でした。まさかジャッキー・チェンで泣くとは思っていませんでしたが、巷の感想を読むと、同感の人が多数です。

香港警察の辣腕警部チャン(ジャッキー・チェン)は難事件を幾つも解決し、若い部下からも慕われる有能な人物です。そんな彼に挑戦状を叩きつける集団が現れます。警察幹部を父に持つジョー(ダニエル・ウー)をリーダーに、富豪の息子娘のグループは、ゲーム感覚で銀行強盗を繰り返していました。彼らを捕まえようと特捜部の若手を従え、アジトに向かったチャンたちは、ジョーらの罠にかかり、チャン以外は惨殺されます。一年後、自分を責め続けるチャンは酒浸りとなり、停職中です。殺された部下の一人が婚約者ホーイー(チャーリー・ヤン)の弟であったことで、ホーイーとの仲も危なくなっています。そんな自暴自棄なチャンの前に、彼の相棒として任命されたと言うシウホウ(ニコラス・ツェー)が現れます。

ジャッキー作品と言えば、普通はスタントを使う命懸けのアクションを、彼自身が演じるというのが最大の売りだと思います。彼がハリウッドで受けたのも、CG全盛の今、彼の驚異の身体能力に魅せられたことも大きかったはず。この作品でも、往年の彼からこそやや見劣りすれど、如何なくその魅力は発揮されています。カンフーシーン、爆破シーンからの全速力、高層ビルからロープ伝いの垂直降下、爆走するバスでの車上シーンなど、これでもかとふんだんに盛り込まれ、50歳という年齢を考えれば、この映画バカ一代ぶりには本当に頭が下がります。

今回主役はジャッキーですが、脇を固める若手にもたくさん花を持たせています。ニコラス・ツェーとダニエル・ウーは、香港の若手有望株として名前と顔は知っていましたが、映画はこれが始めて観ました。ツェーは爽やかで愛嬌があり、誰が観ても好感の持てる素直な芝居でグッド。ウーは陰りと憂いの入り混じった背徳の雰囲気で、悪だけではない複雑な感情を表現しなくてはならない難しい役ですが、こちらも好演。共に観客に好感触の強い印象を残します。これには以前から若手を育てたいと言っていた、ジャッキーの配慮も感じられました。

ホーイー役のチャーリー・ヤンは、引退していたのを復帰してもらったそうですが、清楚で聡明なホーイーを好演、内面の心栄えの美しさまで表現出来ていました。

ストーリーはチャンの栄光から挫折、そして復活。チャンとホーイーの心の内のきめ細かい描写。一心にチャンを慕い、復活を心から願うシウホウの一途さ。ゲーム感覚で殺人をするジョーには怒りを覚えますが、それだけはない、彼の悪の心はどこから来るのか、それもきちんと掘り下げているので、上げた拳も下がります。強盗一味の盗みの場面や集まった時の様子などに、スタイリッシュな表現方法も用いていますが、チャンの復活を願う他の警官たちのありえない心遣いなどに、ベタベタの香港テイストの人情を感じ嬉しくなりました。

正義、挫折、復活、親子の愛、男女の愛、友情、そしてアクションと、てんこ盛りに描かれていますが見事に整理され、希望と勇気と言う善なる感情を刺激します。それと忘れちゃならないのがシウホウが言い続ける「チャン警部は僕のヒーロー」。恵まれない境遇に育ったシウホウが良き青年に育ち、反対のジョーが悪の道へ転落したのは、少年期に心に正しいヒーローを持つか持たなかったかの違いかと感じました。チャン警部はジャッキー・チェン本人に重なります。ジャッキーが僕のヒーローだった少年は今大人になり、この作品に子供を連れて観たかも知れません。きっとあの人はお父さんのヒーローだった人、と胸を張って子供に教えていることでしょう。


2005年03月21日(月) 「カナリア」

オウム真理教の事件が起きて10年。親といっしょに入信していた子供達はいったいどうなっただろう?という疑問をモチーフにして作られた作品。同じように子供を通しての、現実にあった事件をモチーフにしたフィクションということで、随所に「誰も知らない」を彷彿させる作品ですが、完成度と言う点ではいささか落ちるように感じ、焦点が定まらず散漫に思いました。一言でいうなら、とても惜しい作品です。今回ネタバレです。

無差別殺人事件を起こしたカルト宗教集団・ニルヴァーナに、母道子に連れられて集団生活をしていた12歳の光一(石田法嗣)は、警察の摘発により教団が解散後、妹とともに児童相談所で暮しています。母は事件を起こし逃走中の中、母方の祖父が妹だけを引き取り、光一はそのまま相談所に置いていかれます。再び母と妹と暮すことを夢見る光一は相談所を脱走。途中父に虐待されながら援助交際を繰り返す同じ年の由希(谷村美月)と出会い、二人で妹を取り戻すべく、けんかしながら助け合いながら、遠く離れた祖父宅に向かいます。

光一・由希の描き方が素晴らしいです。共に正常な親の愛を受けたといい難い二人が、12年間生きた中で得た、精一杯の正義を実行する様子に胸がいっぱいになります。子供ながらしたたかに大人を手玉に取ろうとする由希が、「あんたと一緒に妹を探すわ。私も人の役にたちたいねん。」と、光一にすがる時、必死に自分が生きている意味を感じたい由希がいました。そして二人は幼いながら、驚くほど「男と女」なのです。知らない者同士、お互いの距離がわからなくて寡黙な光一、饒舌な由希。けんかを繰り返し、片方が歩み寄れば片方は逃げを繰り返すうち、お互いなくてはならない存在になって行きます。

特にまた援助交際で資金を調達しようとして、男の車に乗った由希を光一が走って追いかけ、男の車のガラスを粉々にするシーンは、たとえどんなにお腹がすいても、自分の愛する女が性を売り物をすることを絶対許したくない男のプライドを感じました。いっしょに必死で逃げる由希には、どんな先行きが待っていようと、信じた男について行く女としての意思を感じました。コインランドリーの片隅、光一に寄り添いうたた寝する由希に、ほのかな女としての幸せを見たのは、私だけでしょうか?

しかしまだまだこの年では、知らなくて良い愛です。そんな彼らの「世界で二人ぼっち」を見ている私たち大人は、これは彼らの親だけの責任ではないのだ、世の中のたくさんのこの子たちの事は、社会が考えていかなくてはいけないことなのだと、彼らの心の痛みから教えられます。

子供達二人を入念に描きこんだ前半は見事なのに、後半、教団の施設で光一たちを世話していた井沢(西島秀俊)らに出会ってからが、映画は失速します。施設内でどのように彼らが暮していたかが出てくるのですが、教祖を無条件に信じる純粋さと、狂信的・盲目的に教義を信じる恐ろしさとが描かれています。これはいいのですが、事件発覚後、教団に残った者、脱会した者の差は何だったのかが見えてこないです。立場を相対するもの同士が語り合う場面も出てきますが、観念的なセリフで表現され、本音がわかりません。

脱会したある者が、「あの時はいったい何を考えていたんだろう。」というセリフ出てきます。洗脳状態が解かれたように感じましたが、脱会した者同士、ひっそり助け合って生きていますが、彼らは信じていた者に裏切られた被害者でもありますが、多く犠牲者を出した事件に間接的に携わっていた加害者でもあるはず。教団にいた老婆や光一など、同じ立場の犠牲者には償おうとするのに、世間に対して罪の意識の葛藤がないので、彼らに感情移入しにくく、光一達を応援する様子にも軽率さを感じます。

母が教団の人間と自殺したと知って、光一は自暴自棄になります。やっと探し当てた祖父にまず由希が先に会いますが、祖父の語る光一の母が泳げるようになるまでの子供の頃の話を聞き、娘のように孫(妹)では失敗しないと語る姿に、「あんたは私の父親といっしょや!」と由希は叫びますが、この事柄で由希に祖父をモンスター扱いして叫ばせるのには無理があります。そして祖父と対面する光一の頭は真っ白になっています。これは母の死を知って一瞬の内になったと解釈しましたが、これは思いっきりはずしました。苦悩の表現というより、やりすぎ。一瞬にして、私は冷めてしまいました。その兄を見て、妹は何の疑問もなく抱きつき、3人一緒に手を携えて生きていこうとするラストは「誰も知らない」に似ていますが、最後に生きる希望を感じさせた「誰も知らない」に比べ、こちらは収集がつかなくなって尻すぼみになった感があります。


途中に出てくるレズビアンカップルは意味不明。オウムの件はまだ生々しい記憶が世間にもあり、デリケートな問題なので切り込み方に躊躇してしまうのはわかりますが、それなら中途半端にあれもこれもと手を出さず、光一と由希二人の心にだけ焦点をあてて描けば良かったと思います。出演者は総じて好演ですが、特に子供二人が良いです。谷村美月は、幼い中にハッとするほど女心を滲ませるかと思うと、また思春期の少女に戻っていき、光一にとって母となり恋人となり友人となる由希をこれ以上ないほど熱演しています。観て損をする作品ではありませんが、本当に惜しい出来ではあります。


2005年03月20日(日) 「ブリジット・ジョーンズの日記/ きれそうなわたしの12か月」

昨日ラインシネマのポイントが貯まり、初日に観てきました。前作が大変好きで、私のような20歳そこそこで結婚してしまった「売り急ぎ」の者にも、充分親近感と共感を呼び、特にラスト近くダーシーをパンツ一丁で追いかけるブリジットには痛く感激、そうだそうだ、紆余曲折してやっと両思いになった男を、誤解なんかで失ってたまるかの気持ちにグッときたもんです。なので前評判も上々のこの作品、すごく楽しみにしていたんですが、まさかの玉砕。あ〜ん!!!

めでたく付き合い始めたブリジッド(レネー・ゼルウィガー)とダーシー(コリン・ファース)。もてないさんだった日々にはさよなら、バラ色の人生を夢ごごちで歩くブリジッドでしたが、ダーシーの才色兼備の助手レベッカの存在を知り、彼の気持ちに疑心暗鬼になり気持ちに行き違いが多くなり、ついには大喧嘩してしまいます。そんな時かつての上司であり元恋人のダニエル(ヒュー・グラント)とともに、テレビの仕事でタイへ同行することに。またまた彼女に言い寄るダニエル。またも二人の男の間で揺らぐブリジッドの心やいかに?

と言うまさにラブコメの王道のストーリー。小ネタでは相変わらず笑わせてくれ、面白いことは間違いありません。しかし太目・ドジ・間抜けは同じなのに、前作ではあんなに共感出来たブリジッドが、今回はただのバカに見えてしまいます。映画の中ではあれから2〜3ヶ月後から始まりますが、実際は前作から3年たって、微妙に時代の空気も変わっているはず。それなのに映画のブリジッドは全然成長しとらん!

恋をすると普通痩せるのに、前作よりもっと太っているし、反省はするが学習出来ない人であったことが、あぁ私もと同性の共感を呼んだのが、今回反省もせず。繰り返し以前と同じようなドジ間抜けをブリジッドに振り当てる脚本は、有りのままの彼女で良いというより、女性が成長する姿を否定する
ようにも感じて、私は少々不快でした。何度も「私はジャーナリストよ。」と自分で言うのですが、実際は笑いを求められているテレビの突撃レポーター。ですが彼女はマジで自分はジャーナリストだと思っているようです。卑しくも社会人として中堅の位置にある女性にしては、この思い込みは幼稚すぎ。それともこの作品は、ブリジッドをヨゴレとして意地悪に笑いものにする映画なの?

ひょんなことから、タイで麻薬の密売人に間違われて刑務所送りとなったブリジッドですが、ここも脱力。この作品で「ブロークダウン・パレス」をやれとは言いませんが、あれでは新東宝作品の中の女牢獄ではないか!いくらコメディとは言え、もちっとセンス良くは出来なかったのでしょうか?前回とても良い味を出していたブリジッドの父も、今回はただ出演しているだけ。芸達者ジム・ブロードベントが演じているのに、もったいないです。

私も太めで女の盛りはとうに過ぎているとはいえ、太めの婦女子がイケメン男子に好まれるのは、とてもメデタク思いますが、このまんまの知性も教養も薄く、性格も別に良いとは描かれていないブリジッドに魅かれる理由がわかりません。ダーシーは彼の地位や職業でなく、彼女が自分の中身に惚れているのはわかってはいると思いますが、それだけであの赤っ恥の数々を許せるなんて不思議過ぎ。ダニエルはまた彼女とエッチするのに必死になるし、ダーシーとも8週間ずっと毎日エッチしているとセリフに出てきますが、女はカワイク頭が軽くて床上手が一番てか?何か他に彼女でなきゃいけない理由を描いて下さい、お願いしますよ!

前回と全く同じテイストなのに、受ける印象はまるで違うのは、監督が女性のシャロン・マグアイアから男性のビーバン・キドロンに代わったからでしょうか?前作の時は巷に「負け犬」なる言葉はありませんでしたが、このシリーズはまさに負け犬女性を描いた映画です。仕事に燃えてみせると言ったのに、恋人が出来た途端結婚結婚と浅ましいブリジッドを見て、キャリアのある独身女性たちは、やっぱ能力のない女は男に頼るのねと思うのでしょうか?

以前テレビを見ていると、見目麗しい数人の負け犬と自負される女性達が、「結婚なんて考えてもいない。結婚している友人も、夫子供の世話に明け暮れるばかりで、いいことなんて何もないと言っている。」と言うのを聞いて、あーた社交辞令ってご存知ないか?と思ったもんです。青筋立てて全力で結婚を否定する姿に、なんだかなぁと思いましたが、本来人間はないものねだり、隣の芝生は青いと感じるもんでしょう?もし3が作られるなら、独身の素敵な女性達が、今の生活もいいけど、結婚てどんなかなぁ、やっぱり子供は生んでみたいよなぁとか感じてくれるような作品をお願いします。


2005年03月19日(土) 「ボーン・スプレマシー」

今頃何をの最終日の昨日観てきました。2月中旬から公開でしたが、前作の「ボーン・アイデンティティ」を観ていないため、ビデオで予習を目論むも貸し出しばかり。仕方なく中古ビデオ980円で買ったものの、忙しくて観ること叶わず。観ずに「〜スプレマシー」を観ようかどうしようかと迷っているうちに、こんな遅くになってしまいました。結局前作は観ましたが、あまりの面白さに今まで観ていなかったのが、損したような気になりました。観なかったら面白さが半減するところでした。

前作から2年、ジェイソン・ボーン(マット・デイモン)は愛するマリー(フランカ・ポテンテ)と共にインドの片隅でひっそり暮しています。記憶は今だ戻らず過去を示唆する悪夢に悩まされながら、記憶を取り戻そうと必死です。そんな時二人はスナイパーに襲われます。それはCIAの女性諜報員ランディ(ジョアン・アレン)が指揮を執る、CIA内部の公金横領事件が絡んでいました。謎を探りに再び危険な旅立ちをするジェイソン・・・。

というのが大まかストーリー。「〜アイデンティティ」を観るまでは、演技力があっても、ちっとも素敵に見えなかったマットですが、このシリーズでのカッコ良さったらないです!元々知性はある感じだったのが幸いし、鍛え抜かれたCIAの元刺客ぶりに説得力があります。このシリーズは派手な銃撃戦や絵空事の爆破などは最小限に押さえ、素手の格闘やアナクロ的な銃の使い方、身体能力と知恵、瞬時の判断力が明暗を分ける様など描いています。体力だけでなく頭脳もクレバーな人でないと務まる仕事ではないと思わせる作りになっており、それが返って非日常でありながら、リアルであると観客に錯覚させるのに成功しています。

事実アクション映画としては地味なはずですが、ストーリー展開と危機また危機の連続にずっと心臓バコバコ、一瞬たりとも目が離せず見応え充分です。前回は主要脇役にクリス・クーパーが出ており、この人は何をやっても上手だなぁと思って観ていましたが、今回は女優としてクリス・クーパーに匹敵するするには、この人しかいないと感じるアレンが登場。キャストの対比も良かったです。アレンは年を取るごとに美しくなるわ、演技に磨きがかかるわでもう最高!50前の女性だと母親役しか回ってこないはずなのに、メリル・ストリープ、グレン・クローズのすぐ後ろはアレンではないか?と個人的に思ってしまうハンサムウーマンぶりでした。

「過去からは逃げられない」とは、ジェイソンとは因縁浅からぬ人物からのセリフですが、彼は過去から逃げようとせず、過去を乗り越え贖罪しようとします。その贖罪部分は、前作で標的を仕留めるのに躊躇した理由を彷彿させ、心の芯まで氷つかせられない人間らしい部分として、記憶のあった時も今もジェイソンの心の葛藤と苦悩が忍ばれ、アクションだけに終わらずストーリーに深みを持たせています。

個人的には自分はいったい誰なのか?というアイデンティティーを模索する部分とアクション部分が相乗効果を生み出し、マリーの存在が苦さの中に青春映画のような光も感じた「ボーン・アイデンティティ」の方が好きです。ですが「〜スプレマシー」も中々良いです。ストーリーにさほど深みを求めず、展開の面白さとキレの良いアクション映画を御期待の向きには、こちらの方が感触が良いかもしれません。原作はあと1作あるそうです。次が待ち遠しい!


2005年03月11日(金) 「サイドウェイ」

面白かった!すごく良かった!期待して観た作品が、期待通りだった時ほど嬉しいことはありません。私が大変気に入った「アバウト・シュミット」のアレクサンダー・ペインが監督。今年のオスカーの主要部門に軒並みノミネートになった作品でもあります。(脚色賞だけ受賞)

小説家志望の国語教師にして、ワインについて造詣の深いマイルス(ポール・ジアマッティ)は、ただいま初出版出来るかどうかの瀬戸際。大学時代からの悪友ジャック(トーマス・ヘイデン・チャーチ)が結婚を一週間後に控え、二人で気ままなワインとゴルフの旅に出ます。ジャックは今でこそ売れない俳優で、CMのナレーションで食べていますが、かつては人気ドラマの売れっ子俳優でした。年貢を納める前に、見知らぬ土地の女たちとセックス三昧したいジャックは、2年前の離婚からまだ立ち直れないマイルスもと、虎視眈々。かくしてワインと美女を道連れに、二人の珍道中が始まります。

とにかく笑えます。男同士の友情を描くと、熱かったりライバル同士の愛憎劇や成長劇など、とかく雄雄しい感じのものが多いです。ですがこの作品のマイルスは、竹を割ったようなの反対で餅をついたようなネチネチさ。うじうじぐたぐた文句ばっかり言うし、別れた女房が再婚すると聞くや、酔って電話するし、ここ一番いいムードの女を押し倒して、ものすることも出来ません。あげくジャックの秘密をチクったのに、疑われるやシラをきり、全く女々しいったらありゃしない。

ジャックはジャックで、男の下半身には理性はないのか?と思わせるほどの
シモユルっぷり。女性をナンパする際の入念な仕込み、婚約者に浮気がばれないように苦心惨憺する様など、よく女は浅知恵と言われますが、男は猿知恵なのだなと爆笑します。若い時「囲うのはダメだが、一度や二度の浮気なら、知らなければ別に良い。」と先輩奥さんが口々に言うのを、ウッソーと思っていましたが、今なら私も同じです。まー、男なんかそんなもんですよねー。浮気発覚のピンチにオイオイ泣き出すジャックが、情けなくもちょっと可愛く見えます。彼はそのため色々怖い目にも遭い、懲りないジャックにお仕置きを据える脚本なので、女性にも受け入れやすいキャラクターです。

割れ鍋に綴じ蓋の性格の全く違うダメ男二人ですが、観ていて愛嬌や共感を抱いてしまいます。二人ともすごく人間臭くて素直に感情を表すので、とてもわかりやすいです。それは大人に成りきれない幼児性とも言えますが、自分の自我やわがままを相手にぶつけるのを見ることで、気の置けない男同士の友情の楽しさと大切さを感じました。

マイルスと旧知のワイン通美女マヤ(バージニア・マドセン)は、ダサ男のマイルスに好意を寄せますが、こんな美女が何故?とは疑問に感じません。彼女も離婚経験者ですが、ウェイトレスとして働きながら、園芸学の学位を習得まじか、着々と自立の道を歩んでいます。大学教授夫人の座を手放した彼女には、容姿や身分より、素のその人だけを見る力が備わったと感じました。対するマイルスは、まだ離婚の痛手を引きずる情けなさで、同じ離婚経験者でも、そこからの男女の成長の違いを描いているかと思いました。

何をびっくりしたって、バージニア・マドセン初登場シーンです。ワインバーのウェイトレス姿という地味ないでたちながら、聡明さと成熟な美しさが香っていました。彼女は昔から美しい人でしたが、小悪魔系のセクシー女優で、「ホットスポット」の果敢な全裸ヌードなどもある人ですが、今作ではそれこそ芳醇なワインのよう。知的で思慮深く、画面に小じわも全て映るのに、内面をも美しいと感じさせる、暖かみのある美しさです。マヤ役がアメリカでは大変高評価を受けたそうで、納得の名演技でした。

彼女のセリフで、「最高のワインはピークを過ぎると、緩やかに下り坂になるが、それもまた味わいがある。」とのセリフが、この作品のテーマなのかと思います。私も気がつけば人生の折り返し地点を3歳も過ぎてしまいました。口ではまだまだ若いや、もう一花など言ってみたりしますが、ふっとした拍子に年を気にしてしまいます。そんな時それも味わえばいいのだなと、彼らといっしょに「寄り道」しながら、教えてもらいました。

はからずも自分探しをするはめになったマイルスの、そこはかとない孤独感が心に染みます。大切にしていたワインを、元妻からあることを聞き一人で飲んでしまう彼に、優しさと寂しさの入り混じった切なさを感じさせ、見事な脚本だと思いました。ラストやっと自分の壁を乗り越えたマイルスを見る事が出来、ちょっとウルウルしました。

ワインのことは全然知らない下戸の私ですが、ワインが飲みたくなる作品です。ジャックと深い仲になるステファニーに、実生活で監督夫人のサンドラ・オー。会った日に男性とベッドインする尻軽女ですが、情熱的で魅力的に描けています。監督の妻への愛も感じて、ちょっと嬉しくなります。


2005年03月09日(水) 「復讐者に憐れみを」

韓流ブームが日本にどっと押し寄せている中、毎日のように容姿端麗な韓国俳優が、雑誌やテレビで取り上げられています。しかし四天王と持てはやされているヨン様たちは、映画でのキャリアはまだ浅く、本当の意味での現在の韓国映画の三本柱は、個人的にはソル・ギョング、チェ・ミンシク、ソン・ガンホではないかと私は思っています。作品選びから演技力まで、この三人は本当に甲乙つけ難く、出演しているだけでその作品が観たくなる人たちです。この作品もガンホが主演。確かに力のある作品で、褒める人も理解出来る作品ですが、私は好きになれませんでした。監督は「オールド・ボーイ」のパク・チャヌク。筋は違いますが、「復讐三部作」と名づけられた、復讐がテーマの第一作で、「オールド・ボーイ」は、この後作られています。今回ネタバレです。

聾唖者のリュ(シン・ハギュン)は、親代わりに育ててくれた姉が重い腎臓病で、移植しか生きる道がありません。彼の腎臓は血液型が違い不適合です。折りしも務める工場は不況で、彼は解雇されます。チラシで見た怪しげ臓器売買組織に、姉を救うことを賭けた彼は、結局自分の腎臓を取られ、退職金まで持ち逃げされます。そんな時腎臓提供者が現れ金に困ったリュは、左翼活動家の恋人ヨンミ(ペ・ドゥナ)にそそのかされ、解雇された会社の社長ドンジン(ソン・ガンホ)の娘を誘拐します。最初は金が入れば親に返す気だったリュですが、事故で娘は亡くなります。全てを投げ打ったドンジンは、自分で犯人を探し、復讐の鬼となります。

タイトル通りテーマは復讐で、リュの臓器売買組織への復讐、ドンジンのリュへの復讐と、復讐の連鎖が胃をキリキリさせます。緑色に髪を染めるリュは、一見パンク青年に見えてもよさそうなのに、物静かで穏やかな青年です。ヨンミも少々蓮っ葉でピントのはずれた思想活動家に見えますが、心の悪い人ではありません。そしてドンジンは学歴社会の韓国で、高卒ながら懸命に仕事をし、一代で会社を築いた人です。会社の役員達から、「そんな人の良いことを言っていたら、会社がつぶれてしまいますよ。」と言われる、最後まで社員の解雇に首をふらないような人で、男を作った妻に逃げられ、大切に一人娘を育てています。言わばみんなが善良と言える人たちなのです。

そんな善良な人たちが、少しずつ歯車が狂い復讐の連鎖の渦に巻き込まれるやるせなさや痛みは充分に感じます。しかしその見せ方が残虐で扇情的過ぎるのです。そのため返って登場人物に気持ちがついていかないです。幼い女の子が溺れて硬直する姿を見せ、そしてその解剖に父親を立ち合わせるのですが、こんな場合遺族は立ち会うのでしょうか?遺体にメスを入れるシーンまでご丁寧に出てきます。誘拐中、少女を大切に扱っていたシーンはいいのですが、裸体で少女が昼寝するシーンは必要でしょうか?

重要な証言をする人物に、脳性麻痺と思われる人物が出てきます。「オアシス」のムン・ソリを見て、最初は見てはいけないような気分になる人も、段々としっかり彼女を見て、自分の偏見の気持ちを正そうとするでしょうが、この作品ではただの見世物か道化のような扱いです。申し訳程度に「知能は正常」というセリフが出てきますが、彼の扱いも不快でした。

臓器売買の組織を殺戮するシーンは残虐でも、多少溜飲を下げる気にもなりますが、こんな人でなしが母と息子達とは、やりきれなさを通り越して、気分が悪くなります。ヨンミを見つけたドンジンが拷問するシーンも、ご丁寧に失禁する尿に血が混じっています。そんなことはおかまいなく横で食事を取り、拷問を続けるドンジン。

確かにこの汚辱にまみれた凄惨なシーンを逃げずに見続けることで、決して監督の言いたいことが「人を呪わば穴二つ」だけではないと感じます。しかしもっと嫌悪感を感じてもいいはずだった「オールド・ボーイ」では、獣道を歩む決心をした二人やユ・ジテに、「哀切」という言葉も浮かびました。こちらは同じ復讐の連鎖でも、この作品から最も感じるのは、不快感と嫌悪感です。ラストもドンジンを殺したのは、解雇された会社の元社員だと思っていたら、なんとヨンミが属していたテロ集団の報復にあったと表現されています。最後の最後まで少しも気は晴れませんでした。

私にも嫌いな人苦手な人はいますが、今までの人生で、殺したいほど人を憎んだことはありません。帰りの電車の中、そんなことを考えながら、監督は復讐の不毛さや、無常感とともに、自分の境涯に感謝しなさいと言っているのかな?とふと思いました。


2005年03月06日(日) 「レーシング・ストライプス」(吹替え版)

金曜日に試写会で観てきました。末っ子は塾なのでどうしようかと思っていましたが、中1への境目で当日は休みだと言うので無事いっしょに鑑賞。「ちゃんと塾からの手紙に書いてあったやんか。」と言われましたが、「あぁ〜、そうそう、そうやったね〜。」とごまかしましたが、そんなん読んでません。三番目ともなると親の気も緩みっぱなし。あきませんねぇ・・・。
試写会は夕食時に始まることが多く、開演前はみんなパンやお握りを頬張り、とてもにぎやかです。この作品はファミリー向けの吹替え版と言うこともあり、手作りのお稲荷さんを子供さんに食べさせている方もいました。こういう風景は、私が小さい頃よく見かけた映画館の風景で、ちょっぴり昔を思い出して私は好きです。

嵐の晩、サーカス小屋から置き去りのされてしまったシマウマを農場主のノーランが見つけ、自分の家に連れて帰ります。娘のチャニングに大層気に入られたシマウマは、ストライプスと名づけられ、そのままノーランの所で飼われることに。農場に飼われている他の動物達、ポニーのタッカー、やぎのフラニーたちに優しくしてもらいながら成長したストライプスは、やがてサラブレットのような競走馬に憧れます。

ご存知「ベイブ」のスタッフが再び贈る動物ファミリー作品です。二匹目のドジョウと言われているように、テーマは牧羊犬に憧れていた小豚が、初志貫徹して牧羊豚になる「ベイブ」といっしょ。今回はシマウマがサラブレッドたちに混じり競走馬になります。どんな生まれや境遇であっても、自分の成りたいものには、一生懸命努力すれば成れると言うお話です。現実はなかなか難しい話ですが(と言うか、こんなケースはありえない)、子供達にはやはり未来に希望を持って欲しいし、大人のドヨ〜ンとする曇った心にも光明が射そうというものです。

「ベイブ」同様、トレーニングを受けた動物達の「演技」と、CGを組み合わせた喋りや表情はとても自然で、観ていてニコニコしてしまいます。広大なケンタッキーの自然の中、伸びかな風景とよく合っていました。レースシーンは「シービスケット」が中央競馬なら、こちらは地方競馬でしょうか?少々規模は小さいですが、やはり馬が走る爽快感が良く出ていて、見応えがあります。

人間側は父親にブルース・グリーンウッド。悪役の彼を観る事が多いのですが、私は割りとお気に入りの人でなかなかハンサムです。今回はジョッキーだった妻が落馬で亡くなり、その痛手から立ち直れない元名調教師役で、一人娘を愛する良き父親、動物達にはボスと呼ばれ慕われる温厚で誠実な役柄です。競馬場のいじわるな女主人・ダルリンプルは、ぜ〜ったい彼に惚れていたはず。うん絶対そう。貧乏そうなのに気品があって、以前より好きになりました。彼は善良な人の方が似合うと思います。(思いっきり肩入れ)

チャニング役のヘイデン・パネッティーアはまん丸笑顔が最高に可愛い!父親思いで元気ハツラツ、動物好きで優しいチャニングそのままです。動物主体のこの作品でストライプスに負けない愛らしさです。母を亡くした理由のため父に反対され、大好きなジョッキーになれない彼女ですが、ストライプス同様ひたむきな気持ちを訴え、父と娘が手を取り合って母の死を乗り越える様に私はグッと来ました。

ただ気になったのは、イマイチ吹替えが字幕版と比べると作品にマッチしていなかったかなと感じられます。ストライプスは字幕版はティーンに人気のフランキー・ムニッズ。吹替え版は田中麗奈。彼女の吹替えが悪いと言うのではなく、ストライプスは人間で言うと思春期の少年で、女性の彼女が吹替えると小さい子供のように感じるのです。ポニーのタッカーはダスティン・ホフマン。吹替えは三宅裕次。この役は力量はあるのに持って生まれた素養にはばまれ、人生の悲哀も感じる役で動物側では重要です。それが上手く表現出来ているとは思えませんでした。ペリカンのグースにオセロの松島尚美。早口で横山やすしのようなしゃべくりは男性の方がよく、コメディリリーフの役は、少々荷が重かったかも。天然さが魅力の彼女には合っていませんでした。

反対に予想以上に良かったのがヤギのフラニー役、オセロの中島知子。母性豊かで農場の動物達の母親代わりのフラニーの懐の深さをよく表現できていました。馬達のマドンナ・サンディの役の島谷ひとみは歌手ですが、容姿が美しいだけでなく、心も清らからで芯が強いサンディを上手く吹替えていました。それぞれ字幕版はウーピー・ゴールドバーグとマンディ・ムーア。大人だけで鑑賞の場合は、字幕版が良さそうです。

巷の前評判では、平凡で深みがないと言われているようです。確かに予定調和のお話ですが、少なくとも私にはストライプスのくじけない心、父娘の愛、動物と人間との共存、人間・動物両方にいる希望の目を摘み取る排他的な存在を登場させ、子供にもわかりやすく良き心悪しき心を描いて、何も文句はありませんでした。春休み大人も子供も楽しめる作品として、是非お薦めしたいです。


2005年03月04日(金) 「火火」

「ひび」と読みます。女性陶芸家の陶芸に賭ける情熱と、息子の白血病とを絡ませて描いていると聞き、陶芸も全然わからないし全くノーマークだったのですが、公開後出るわ出るわ賞賛の声。これは見逃すと後悔するなぁと、「マニシスト」をブッチしてこちらにしました。もっとしっとり情緒豊かに描いているかと思っていましたが、厳しさと迫力、そしてユーモアと濃い情感に溢れた佳作でした。

冒頭、現代の賢一死亡を映し、その後約40年近く前の時代から描かれます。陶芸の町、滋賀県信楽。女性陶芸家の神山(こうやま)清子(田中裕子)は、まだ女性への偏見の残る世界で、昔からの穴窯による自然釉を成功させようとしています。名のある陶芸家の夫はそんな彼女を嫌って若い女性の弟子と出奔し、残された子供達と極貧の生活を送っています。来る日も来る日も思うような作品を作れない清子ですが、陶芸への情熱は一向にやみません。幾多の苦難ののち、やっと自分の思うような作品を作り上げた清子を、やがて町の窯元たちも受け入れるようになります。生活も徐々に安定し、姉は短大を卒業して自立し、弟賢一(窪塚俊介)は陶芸の道に進み始めた頃、賢一が白血病に倒れます。

テレビなど見ると陶芸を趣味にしている方が、「ろくろを回している時、無心になれる。」と言うような意味を仰いますので、私はもっと静かで優雅に作業をするのかと思いきや大変な重労働で、力の限り土をこね、ろくろを回し、近寄るのさえ危ないような高温の窯の温度を保つため、寝食も忘れすすだらけになるすさまじい姿を映します。女性が陶芸を一生の仕事に選ぶのは、それだけでも根性のいることなのだと感じ、こんなことさえ知らなかったのかと、自分の無知を恥じました。

清子はがさつで、子供にも暴言以上の罵詈雑言を浴びせながら、子供の悩みや辛さなどどこ吹く風、容赦なく厳しく育てます。夫は陶芸に一心不乱になる妻より、普通のくつろげる家庭が欲しかったのでしょう。だからと言ってしてはいけないことですが、清子を見る限り少し夫の気持ちもわかります。しかし「自然釉を復活させるのが、お母ちゃんの使命なんや。」と、力強く子供達に語る彼女に、子供の世話は手かせ足かせになったはず。それを手放さなかったのは、子供達には陶芸の方が大事と思われていたでしょうが、清子にとって創作と極貧の中、やはり子供達は生きがいだったのではないでしょうか?事実夫が子供引き取りたいと言って来た時、「お母ちゃんとおる。」と言い切った子供達に、彼女は安堵していました。賢一闘病時にも、「お父ちゃんにお金のこと頼んだら?」という姉に、「お母ちゃんがそんなことするわけないわな。」と二人で言い合う姉弟のようすなど、夫婦別れはしたが、父親は決して子供たちまで捨てたわけではないと描写しています。このお話は実話が元なので、細やかな元夫や子供達への配慮など、一層清子と言う人の潔さ、器の大きさを表していました。

賢一の骨髄移植のドナーを探すため、友人知人が街頭運動をしながら探しますが、資金面や忙しさから志半ばで頓挫するや、清子はこれは国に動いてもらうしかないと、骨髄バンクの設立に奔走します。これ以降壮絶な賢一の闘病生活の描写と、看病と陶芸の創作にと、女のか弱さなど微塵も見せない清子が描かれます。自分に都合の悪い話になると、子供達に「もう寝ぇ!」と怒鳴り、中途半端ないじいじした息子に「出て行け!」とまた怒鳴り、テレビの取材にさらし者になりたくないと尻込みする息子に、「みんな頑張ってくれてるのに、自分は何もせえへんのか?お前なんか今すぐもう死ね!」と怒鳴ります。子供に死期が迫っていると言うのに、皆目優しい言葉をかけるシーンがないのです。それなのに見るものには、切々と心に響く子供への思いが届きます。清子は母ではなく父なのです。これは父親の示す子供への愛なのだと感じました。誰もいないところで流す涙、本人の前では決して言わない「賢一はよう頑張った」の言葉など、一瞬戻る母の姿に、女手一つで子供を育てるため、母親を捨て厳父にならざるおえなかった清子の辛さ強さが偲ばれ、胸を打ちます。

異色の母物です。監督の高橋伴明は清子に実母を重ねたとか。直球と言うより剛速球で神山清子という人を描いています。彼はお母さんが好きだったのだと感じました。演じる田中裕子はとにかく素晴らしい!華奢な体から、陶芸家の業と母親の強さが全身から発散しているようでした。とにかく子供を罵る母なのですが、そこに暖かさ哀しさを滲ますのは、並大抵の演技力ではありません。勝手に今年の主演女優賞は彼女だと決定してしまいました。

一つだけ気になったのは、賢一臨終のシーンです。危篤状態の患者は個室に移されるはずなのですが、そのまま相部屋で迎えました。臨終の際には家族だけで迎えられるよう、また他の患者にも動揺がないようどこでもそうだと思うのですが。原作ではどうだったのでしょうか?他には何も疑問のない筋運びだったので、ちょっと気になりました。

昨今子供には良き言葉「ばかり」で接するようにと、盛んに言われますが、賢一の頑張りは、母の浴びせるキツイ言葉を自分の中で浄化して、叱咤激励にしたからだと思います。もちろん意味なく子供に暴言を浴びせるのは言語道断ですが、世の中は汚い物だらけ。子育ての理想ばかり追い続けるより、賢一のように言葉の真意を汲み取る力も必要だと、些細なことでも「言葉の暴力だ」といきり立つ人に、監督はやんわり諭しているようです。

もうびゃーびゃー泣きます。ハンカチでは足りません。しかし母物+不治の病で何故にこんなに迫力あるのか狐につままれたようです。この作品を観て感動したのだったら、やっぱり骨髄バンクに登録せねばと検索しましたが、私は次男の出産時、大量出血して死にかけた際に輸血しており、該当外でした。他にもガン・心筋梗塞・糖尿病の病歴がある人、また家族にいる人もダメで、なかなか審査は厳しいようです。私はダメでしたがこの作品を観て、一人でも多く登録者が増えることを祈ります。


2005年03月01日(火) 「ステップフォード・ワイフ」

「ニワトリはハダシだ」を観たあと、速攻で梅田まで出てナビオTOHOで観てきました。現在向かうところ敵なしのニコール・キッドマン主演なのに、大阪市内で上映はここだけです。共演もグレン・クローズ、クリストファー・ウォーケン、ベッド・ミドラー、マシュー・ブロデリクなど豪華絢爛。それなのに公開後は下がる一方の評価。でもでもウォーケン&クローズが夫婦役なんですよ、そんな怖い夫婦を見逃すなんてもったいないことは出来ません。パッパラパーでも脱力でもいいさ、とドキドキもんで臨みましたが、そんなひどいこともなかったです。斬新さはないけど、軽く観てそこそこ楽しめる作品でした。

辣腕テレビプロデューサーのジョアンナ(ニコール)は、自分が企画したバラエティが元で殺人事件が起こり、局をクビになります。同じ局で勤めていた夫ウォルター(ブロデリク)は、妻を気遣い退職します。鬱な日々を送るジョアンナ。夫の助言で心機一転を計ろうと越してきたのがステップフォード。出迎えるのはこの町の中心人物のクレア(クローズ)。そこには美しく着飾り、ひたすら夫を立て尽くす貞淑な妻たちと、一見紳士風な夫がいっぱい。馴染めないジョアンナを尻目に、クレアの夫(ウォーケン)の導きで紳士クラブに出入りするようになったウォルターは、すっかりこの町が気に入ります。一方ジョアンナは、やはり引っ越してきたばかりでここに馴染めないボビー(ミドラー)とゲイのロジャーとともに、この町の秘密に迫ろうとしていました。

実を言うと、私はステップフォード様式の雰囲気が大好きです。シックとは無縁に生きている私は、さすがにいい年なので、あんなぴらぴらの服は着れませんが、10年くらい前はもっと安モンであんな格好もしていました。今でも花柄やレースが大好きで、ミドラーのセリフに出てくる「田舎くさい主婦」であるのはわかっちゃいるけど、好きなもん好きなのだ。家の中の様子もインテリア雑誌の「素敵な部屋」に出てくるような感じのゴージャス版で、私には憧れてしまうものです。お金があったらこんな調度品に囲まれて住みたいわ〜、と少々うっとり。宝石や毛皮を見ても、全然うっとりしないのですが。

エクソサイズの際もぴらぴらを着たまんまで行うのにびっくりするジョアンナに、「夫の前で少しでも見苦しい格好は出来ないわ」ときっぱり言い切るクレア。新婚の時、朝から旦那様にはきちんとお化粧した姿を見せるよう、帰って来る前には、お化粧直しをするよう母から言われていた私ですが(自分はしてへんかったくせに)一週間で挫折。朝はぼさぼさ髪でいってらっしゃい(弁当は持たす)、夜は化粧はげはげの顔でお帰りなさいと迎える私は、この言葉がグサグサ。そうや仕事先や八百屋のおっちゃんに綺麗な顔を見せてもあかんのやと反省しきり。

ジョアンナ解雇の理由となる番組も、なんだか男性をバカにしたもので感じ悪かったし、ジョアンナ自身も最初の方は、主婦達に馴染む気もサラサラないし、新参者のくせに事が起こると私が私がとでしゃばり、主婦の仁義は知らんようです。夫婦は妻が負けて勝つのが賢いを一応「理想」としている私は、少々気持ち悪いけど、私ならそれなりに楽しく暮せる町かなと思いつつ見ていると、その妻の従順さには秘密がありました。

秘密は早いうちからそうじゃないかと予測がつきます。あぁ情けなや情けなや。夫たるものがこんなことをしないと、自分のヨメ一人言うことを聞かせられんのか?才色兼備の女性たちが、こんなイケてない(本当に誰もイケてなかった)男性を夫に選んだのは、学歴や収入ではなく、もっと他に自分より上だと思うことがあったからでしょうが?

腹は立つものの、男を弱くしたのは女の責任、女を強くしたのも男の責任のはず。ジョアンナが今まで我がままだった自分を反省し、町に馴染んで良き主婦に変わろうとすると、段々夫は強くなり、そうすると妻のピンチには、夫が捨て身で守ってくれるなど、紆余曲折したのち、こちらから愛情を示せば相手も変わってくれるという、古典的で普遍的な夫婦円満の秘訣も、リアルなセリフの夫婦喧嘩も織り込みながら、見せてくれます。

最後は誰も離婚しなかったみたいだし、結局どっちもどっち、夫婦げんかは犬も食わないを描いていたと言うところでしょうか?クローズの「秘密」だけ、平凡な主婦の私にはない、出来すぎる女性の哀れさを感じました。

ニコールはいつもと違い短髪ブラウンヘアですが、やっぱりマンハッタンのキャリア女性の服装より、お人形さんファッションが似合います。なかなかのコメディエンヌぶりで、確か「奥様は魔女」のリメイク企画があったはずで楽しみです。ブロデリクは、いつの間にやらとっちゃん坊やになっていました。実生活でも妻(サラ・ジェシカ・パーカー)の尻に敷かれてるんやろなぁ。グレン・クローズのパツンパツンに肌をつっぱらした笑顔と、フリフリファッションは怖くて見応えあり。でも一番インパクトがあったのは、ちょっとだけみせる頭にリボンをつけ、花柄フレアーのワンピースに身を包んだベッド・ミドラー。その姿に私は爆笑しました。完全にコスプレです。あれだけ観ただけでも、元は取れた気分です。

元々は日本未公開のキャサリン・ロス主演の30年前の作品のリメイクです。当時はゲイカップルは入っていなかったのでしょうね。ゲイにも夫や妻の役割分担があるのね、と当たり前ながら感心していました。ゲイの彼は中々楽しい演技でした。元作も観て観たいです。


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