MIKI.PRUNEの方丈日記
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2003年02月28日(金) 2月も終わり

 今日で2月も終わりを迎える。今月も本当に慌しく過ぎてしまった。
 心の状態もまだ完全ではない。
 

 今日の一句
  
  如月の 終わりになれど わがこころ かたくななまま 時は過ぎ行く


2003年02月26日(水) 友人と・・・

 久しぶりに大学時代の友人と飲みかわす。
 お互い、気の知れた仲間なのですぐに言いたい放題言えるのが
 心地よい。久々にゆったりした気分で家路に着くことができた。

  今日の一句

   久々に 友人と飲み交わす 酒の宴 ただ心地よく 過ぎ行く時よ 

 


2003年02月24日(月) 冷たい雨

 今日は冷たい雨が降りました。
 皆さん、風邪をひきませんように気をつけてください。
 さて、私は頭痛・肩こり・眼精疲労で目が痛くなることが頻繁に
起こります。今までは、仕事やパソコンによる疲れだと思っていました。
 最近興味深い新聞記事が掲載されていましたので、ご紹介します。
 
 かみしめ呑気症候群かも

 おなかにガスがたまって気持ち悪い。肩が凝る。目の奥が痛む
一見、無関係に思えるこれらの症状が、緊張やストレスでぐっと
歯をかみしめるのが原因で起こることを、東京医科歯科大頭頚部
口腔心療科の小野繁教授が明らかにした。
小野教授はこうした多様な症状を「かみしめ呑気症候群」と呼んでいる。

小野教授によれば、緊張を強いられるときに「歯を食いしばれ」
「口を結んで」と言うように、私たちは無意識に口元を締めてしまう。
そうすると舌があごにくっつき、その反射でだ液と空気を飲み込むことに
なるんだそうです。 その結果、通常以上のげっぷや胃のあたりの不快な
膨満感、頻繁な排ガス、左上腹部の痛みが起こる。かみしめ動作による
緊張は首や肩にも波及し、肩こり、側頭部などの頭痛、あごや目の痛みを
もたらすそうです。 この改善には、かみしめの起こるメカニズムを
理解し、自分で下あごをリラックスさせたり、薄い板状のマウスガードを
装着したりしてかみ締めを防止すれば、症状は改善するそうです。

 というように、口に力が入っただけでも頭痛・肩こりなど体に偏重が
起こるなんて思ってもいませんでした。少しでもリラックスできる精神
状態と環境を作って行きたいですね。

 今日の一句

   週始め 冷たい雨が 降り続き 身をも心も こおりつくよ


2003年02月23日(日) 休日の午後

 昨日の疲れと花粉症のせいで、今日も体が重い。
こんなときは、ゆったりとした音楽を聴くのが1番。

いま、流れているのは
 国分弘子 Piano Anniversaryより

   Always 〜いつもそばに〜    です。

ゆったりした流れるようなピアノの音色は、休日の午後には
ぴったりの曲です。
流れるメロディ・ラインに心も体もゆったり・・・。

 今日の一句
  気だるさを 感じつつ聴く 音楽に まどろみ覚える 休日の午後  


2003年02月22日(土) 花粉 飛ぶ

 今日は、休日出勤。
 この頃、花粉が飛びはじめているのが感じられていたが、
いよいよ来たという実感がわいた。

 私の場合は鼻水が出てとまらず、口で息を吸うのでのどがかれてきます。
 はじめは、風邪だと思っていたのですが、4年前にいつになっても
治らないので医者に診てもらったところ花粉症と診断されました。

 なぜ今日、実感がわいたというと、花粉症がひどいときは上記の症状に
体が鉛のように重くなり、疲れを感じるからです。
この感じが出てきたということは、花粉が多くなってきている証拠なのです。
 これから、5月はじめまで憂鬱な日々ですが、花粉症の皆さん
がんばりましょう。

 今日の一句
  梅の香が ほのか漂う 家の前 ふと立ち止まり 枝を見上げる


2003年02月21日(金) 星空を見上げて

 今日も1日がやっと終わった。
 車を降り、家にはいる前に空を見上げる。
 そこには、きらきらと星たちが輝いている。
 星空を見上げると、嫌な出来事も些細なことに
 思えてくるから不思議だ。
 みんな、昔からこの星空を見ていろいろな思いに
 馳せてきたのだろう。
 
 今日の一句
  夜の空 見上げてみれば きらきらと 輝く明日を 星に願う  
 


2003年02月20日(木) 雨水のころ

 昨日、2月19日は24節気のひとつ雨水でした。
 雨水は空から降るものが雪から雨に変わる頃で、深く積もった雪も
融け始めるそうです。関東地方平野部では、少し雨が降りましたが
まだ、冷たい雨のように思えました。
 暦では、立春も過ぎて春なのですね。仕事に追われて街の中を
見廻す余裕がないので、日記をつけながらゆったりした気分に
なりたいものだ。

 今日の一句

   春なりて 雪も融けだし ぽとぽとと 雫が落ちる 川のほとりに  


2003年02月19日(水) 阿吽の呼吸

阿吽の呼吸とは、2人の気持ちや動きがピッタリ合うこと。
息が合っていることをいいます。

「阿」は吐く息、「吽」は吸う息のことで、それがピッタリ合うことです。
お寺の仁王様や神社にある狛犬は、これを表しています。
口を開けているほうが「阿形」、閉じているほうが「吽形」です。

餅つきには、つく人と、こねる人の阿吽の呼吸が大切です。
もし、息が合わなければ、人の手をついてしまうし、
うまくお餅ができなくなります。

人間生活の中でも、阿吽の呼吸がうまく行けばスムーズにことが
運びますが、呼吸が乱れてしまうとだめになってしまいます。
ひとりの力ではどうにも出来ない事があります。
息のあった人とのめぐり逢いが人生の中で必要なのだと思う。

今日の一句
  寒い日々 行きつ戻りつ 通り過ぎ 1歩近づく 春のあしおと


2003年02月17日(月) ああ言えばこう言う

 これはウチの高1の娘のためにあるような言葉である。
 一言いえば、二言・三言返ってくる。
 なんでこんなことわからないのか?といえば、「お父さんの子供だから
 しょうがないでしょう。」と、言い返す。しかし、親が出来なかった
 ことが、子供に出来るはずもないと納得してしまう自分がいる。

 まあ、屁理屈を並べられるようになったのも成長の証しか!?
 などと思うのも親ばかかな。

 そう言えば、集英社刊 壇ふみ&阿川佐和子著「ああ言えば こう食う」と
 いう本がある。仲良しなのだか、ホント仲が悪いのだかわからない二人で    ある。
 健康エコナのCMでも愉快なトークを連発しているあの二人が書いた往復
 エッセイで、お互いの食について、性格について、結婚観について、よくも
 言ったりという感じでお互いを批評しあっている本で、思わず吹き出して
 しまった。
 どちらかというと、自分の言いたい事を飲み込んでしまうタイプで
 人の話に割り込んでまで、自分の主張をすることの出来ない私は
 この二人のように言いたいことをいえる自分になりたい。


  今日の一句

   寒桜 うすいピンクの 花びらが 風に吹かれて 肩を寄せ合う


2003年02月16日(日) 時の流れ

月日の流れは早いものである。ただ、物思う日々の積み重ねだけでも過ぎていってしまう。そして、そこには何も残らない日々があるだけ・・・。

私が突然、日記を書き出したのは訳があり、それは、自分の生きている証を残す事そして、或る方々へのお詫びをしたいためでもある。

以前私は、ある素敵なネット上で書き込みをさせていただいたことがありました。
それは、音楽・文学・美術そして、日常生活全般にわたる素敵な話題を私に教えて
いただける場所でした。そこに集う人々も素晴らしい方ばかりで、楽しく過ごさせていただきました。

そんな素敵な場所を放棄してしまったのは、この私であり、後悔先に立たずである

そのときは、私自身ネット上のトラブルに巻き込まれ疲れ果て、更に自分自身の
ネット上での大人の交際術に自信がなくなっていたからです。
好き勝手な書き込みをさせていただいたのではないか?相手の気持ち・思いやりを
忘れていたのではないのか?自分が迷惑をかけていると思い、書き込みが出来なく
なりました。
メール等でこれらの気持ちを伝えようと思ったこともありましたが、又、ネット上のトラブルが起こりはしないか? それも心配で出来ませんでした。

今年に入り、そのうちの1人の方とお会いする機会に恵まれ、お話することが出来ました。 先ず、ご迷惑かけたことをお詫びをして、ネット上のトラブルについて私も被害者であることを理解していただけました。
そして、もう1人の方に対してもお詫びを伝えたい気持ちがあることをその方に お話しました。
 いろいろ考えた結果、この日記をつけるという方法をとった訳です。
 何故なら、以前その方に「自分の世界を持たれると良いですよ」とアドバイスを
いただいていましたし、それ以前に、もう1人の方にも言われていたからです。
果たして自分の世界が、その方々のような素敵な場所を作れるわけがありませんが
「自分なりにやってみたい」と、ようやく思えるようになりました。


       お二人の方、ありがとうございました。

 今、私はこうして歩いて行こうと思います。長い時の流れがありましたが、
 「いろいろ、ご迷惑おかけいたしまして申し訳ございませんでした。」


 柿本人麻呂の歌
     もののふ八十宇治川の網代木にいさよふ波の行くへ知らずも

 
 ためらいよどんでいる波がゆくえもしらず流れて去ってしまうように、この世の
 全ては、どこへ行くことか、そのゆくえもわからないことであるよと人麻呂は
 歌っているが、今の私は    


 MIKI.PRUNE
     もの思い 行方もしらぬ なやみなら
                  いざ断ち切ろう 未来のために  


 と、自分を信じ、生きている証を書いて行こうと思う。


2003年02月15日(土) 行く川の流れは

行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、
久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある、人と栖と、またかくのごとし。

 (ゆく川の流れは絶えることなく、それでいて、もとの水ではない。
  流れの停滞している所に浮かんでいる水のあわは、一方で消えたかと
  思うともう一方では新しく出来て、長いこと同じ状態でとどまって
  いることはない。
  この世に生きている人間と、住まいも、無常という点でまたこれ
  水・あわと同じようなものである。)

これはご存知、鴨長明の「方丈記」の1節です。
人の心は何故、移り行くものなのだろうか?
変わりたくない自分がいて、変わろうとする自分がいる。
日々、考えることにより、少し立つ位置が変わるからなのだろう。

私もこの世に生きている人間のひとりとして、移り行く自分の心を
書き留めて行きたい.




 


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