地上懐想
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2002年02月02日(土) 修道院滞在 2002年春


昨日まで三日間、いつもの修道院に滞在した。
敷地の中の林を歩いた。
風の音と、小鳥の声のほかは何も聞こえない世界。
若葉はまだ初々しく、足元にはタンポポやスミレや、名前もしらない小さな花がそこかしこに咲いている。
私はここでこうしている時がいちばん幸せだなあと思い、去年の春も、この同じ場所を歩いてそう思ったことを思い出した。

敷地は広いけれども、滞在者が自由に歩ける範囲は決まっているので、散歩といっても同じコースを毎回歩くことになる。
以前だったら物足りないと感じたと思うけれども、今はそのこと自体は気にならない。
外に刺激をもとめて歩くのではない散歩であるから。

二十歳前後の時に初めて一人旅をして、それ以来たびたび一人で旅することがあった。
けれどもただ旅を好きだと思って旅していた頃は、じつは旅先で自分は何をしたらいいのか不安定だった。
観光名所をまわるということもしてみたし、眺めのいい美術館でぼーっとしてみるということもしてみた。その時はそういう旅で満足感があったけれども、どこかでもっと風景と対峙していたいという気持ちがあった。旅先でゆっくり座って風景画を描けるように絵を習おうかと考えたりもした。

こうして修道院に滞在するということを知ってから、そうしたいわゆる「旅行」というものにだんだんと興味が薄れていった。
とくに何も見て回らなくても、絵を描いたりしなくても、風景を凝視したりしなくてもいい、そういう滞在。

一般にはリゾート地での過ごし方と似ているかもしれない。

リゾートでの滞在とちがうのは、日に何回かある修道院の聖務日課に与って、一緒に聖歌を歌い、お祈りをするという点。
この聖務日課は、一般の教会などでは味わえない。ここの修道院では日に7回あるけれども、それがあることによって、滞在者の時間にも区切りが生まれ、緩急のリズムが生まれるように思う。

聖務日課以外の時間は、散歩したり、本の一節を読んで心に深化させたり、部屋で横になっていたり(そんなことをしていても、自宅で寝ているのとはちがって、無為に時を過してしまったという焦りがない)・・・そんなふうにして、つまりは、心身と魂の休息をとる。そして静かな自分に帰る。


2002春 記


c-polano |MAIL